子育てで怒る必要はありません。

怒らない子育てという考え方がはやっているようです。
よいことだと私は思いますが、勘違いされている方も多いようです。
怒らないのと放置を混同されているのです。
子供に任せると称して、放任主義。育児放棄・ニグレクトの一歩手前という人もおられるようです。

放任主義の怒らない子育てと怒る必要のない子育ては全く異なる概念です。
怒る必要のない子育ては、文字通り子供に対して怒らないのはもちろん、怒る必要がない子育て方法を模索するという考え方です。

基本的に子供は物事を知りません。
ただ知らないだけなのです。
知らないからこそ無邪気な言動をしてしまうのです。

子供が知らないことを怒ってもかわいそうです。

何故なら子供が知らないのは誰の責任かを考えればわかることです。
そうです子供が知らないのは親の責任なのです。親の責任なのに親を怒らず子供を怒るのは子供にとってはいい迷惑です。

怒りたくなることもあるとは思いますが、何かを知らないのです。
例えば片づけをしない。宿題をしない。
片づけをする意味を知らないのです。片づけをした方が探し物が早く見つかるというお得なことを知らないだけです。
宿題を早くやる方が時間を有効活用できてお得なことを知らないのです。

大人が知っている目的を子供が知らないだけ

知らなければ教えてあげれば良いだけです。
何度も言っているといわれる方もおられることでしょう。
ただ単に言っただけで子供には伝わっていないだけです。伝われば子供は変わります。伝わらなければ伝わるまで伝え方を変えるのです。

子供の困る仕組みを作る

そして子供の問題、つまり子供が困る仕組みを考えるのです。
片づけをしなければ、大きな箱に全て放りこんでしまうのです。
探すのに苦労をするから片付けた方がお得だと実感させるのです。
宿題をしなければ、放っておくのです。
勉強ができないと将来困ることは伝えてあげてもよいかもしれません。
ゲームなどをして宿題をしないのであれば、子供にとっての仕事である宿題をすることで、ゲームをする権利を得る仕組みを作ってもよいと思います。

最終的に忘れていくか、追い込まれてやるのか子供に選択させるのです。
絶対に手伝ってはいけません。
困れば手伝ってもらえると学習し、わざとやらなくなる動機づけになるからです。

宿題をするかしないかは子供の問題で、困るのは自分だということをしっかり理解させてあげることです。

子供の問題を親の問題と勘違いして、親が困ることのように怒ってしまうのです。
別に子供が宿題をしなくても本当の意味で親は困らないのです。
子供にとっては、親が勝手に困っているけど何でだろう?
何で宿題しないと親が困るのだろう?と思っているのではないでしょうか?

子供が勉強しないことで親が困っていると、子供にコントロールされるようになってしまいます。子供が何か要求があると勉強の手を止め、親を脅し、勉強したら何かしてあげるという条件を引き出すようになってしまいます。
子供が勉強しなくても困るのは子供。と子供の問題を背負わないことが大切です。

怒ることの意味 ~怒ることに意味はない?~

怒ることの意味を考えてみました。

あまり知られていませんが、怒ることで相手は怒られたことを反省すると考えがちですが、大きな勘違いです。

そもそも何故怒られているか理解していません。

何故なら多くの場合怒られるとわかっていて怒られるような行動をしているわけではないのです。怒られると知らないからこそやってしまったのです。
そして怒ることで伝わるのは怒っているという事実だけです。何か怒らせることをしたんだろうなという漠然としたことだけが伝わります。何故なら感情的に任せて怒っているだけで、怒っている理由を相手にわかるようには説明していないからです。
ありがちなのが怒っている際にガミガミ言った後で
『わかった?』と聞くことがあります。
ここで『わからない』などと言おうものなら振り出しに戻るので、怒られている人は実際には全くわからないと思っていても口が裂けても言えません。結果として『わかりました』という答えが返ってきます。
怒られる理由がわからないので、同じことを繰り返して余計怒るという無限ループに陥るのです。

そもそも何故怒られているか理解しないまま怒られているのですから、わかったと言われても本来はわかるわけがないのです。でも余計怒られるから言えない、結果再び怒られる、の繰り返しです。

怒るという行為は、わかりやすくいうと犬が吠えているような状態です。
怒っていることはわかるけど何を怒っているのかわからない。怒っている理由を聞きたいけど聞けない、その意味で犬が吠えるのと同じなのです。
怒られた側としては、エサを取られると勘違いしたのかな?と類推するしかないのです。

人間同士なのに吠えるだけなのは勿体無いですよね。何故なら人間には怒る理由を説明出来る言葉があるからです。

怒られている人にとっては犬が吠えているのと同じ

怒っている人も同じです。怒っている理由は怒っている人にとっては許しがたい当たり前のことですから、わざわざ口に出すのも憚られるほどの内容です。
怒っている人にとっては当たり前ということがポイントです。
怒られている人にとっては初耳です。当たり前でもなんでもなく、全く知らないこともよくあるのです。それこそ想像すらしていないことを怒られているかもしれないのです。想像すらできないことを言葉で言われても全く理解できないので、それこそ本当に犬に吠えられているのと変わらないのです。それを一方的に怒られるのですから、どうしたらよいのかわからないのです。

怒ることに意味はありません。

このことは三つの理由があります。

  • 怒る元はお互いの認識の齟齬(勘違い)だから。
  • 怒ったところで伝わるのは怒っているという事実だけだから
  • 怒ることで相手より優位だと示すことが目的だから(目的論

怒らない対策は?

いくら腹が立っても相手が知らずにやったことを責めても仕方がありません。同じことを繰り返さない目的で、知らないことは教えてあげればよいだけのことです。本来相手の立場であれば知っているべきことで、知らないこと自体が落ち度なのであれば、相手が理解できるようにその落ち度を伝えてあげればよいだけのことです。知らないのですから。
知らないことで、どれだけの損害を与えるのか、どれだけ不快な思いを相手にさせるかを説明すればよいのです。そもそも相手にわかるようにその落ち度を説明しても、理解することができないレベルの相手に怒っても時間の無駄です。(気分は少しだけ晴れるかもしれませんが)

実は怒る場面を振り返ってみると、多くの場合怒っている側にも落ち度があるのです。
それは前もってこちらの意向を相手が理解しているか確認していないことです。認識がずれていないかを前もって確認していなければ、怒る資格はほとんどないと言えます。
当たり前に相手は知っているはずと思い込んで、確認しないことが原因ということもよくあります。自分が確認を怠ったことを棚に上げて怒るのは私はフェアではないと思います。
怒る前に自分が確認を怠った落ち度がないか振り返ってみてください。通常怒る側が優位な立場です。優位な立場から確認をするようにすれば怒る場面は激減するはずです。
親子間でも同じことが言えます。その話は改めて。