進化できるのは人間だけ? ~新進化論~

進化という言葉があります。
多くの人のとらえ方は、古いものが新しいものに入れ替わること、単純なものから複雑なものに変化していくことだと思います。

タイトルの進化できるのは人間だけ?というのはやや大袈裟な表現ですが、その意味を説明していきます。

宗教的に信じていない方もおられますが、多くの方が理解している通りダーウィンの進化論で明らかになりましたように、様々な生物が進化して今の形態になりました。
この進化論で誤解を生じている人が多くいます。

生物が意思をもって進化したと、人間的にとらえていることです。
生物は遺伝子によって後の世代・子孫に情報を伝えます。伝える情報に意図的に変化をもたらしたり、偶然傷ができて損傷してしまうことで子孫に様々な変化をもたらします。その様々な変化が生存に有利に働くと子孫をより多く残すことができ、不利に働くと子孫を残すことなく死に絶えます。

淘汰の生き残り

優れたものを選んで作り出した印象を受ける進化という言葉ですが、実は偶然生まれた多様性(様々な性質・特徴のこと)の中で、適したものが環境というフルイにかけられて生き残っているだけのことなのです。進化というより淘汰の生き残りと表現する方が適切だと思います。
ダーウィンが見つけた進化論というのは画期的な理屈でしたが、実は淘汰の生き残りを歴史を遡って解釈したということです。進化論という言葉は、生物があたかも優れた性質を考えて勝ち取り、生存競争に生き残ったという錯覚を起こしてしまいました。

動物は意図的に優れた性質を狙った進化ではなく、淘汰の生き残りの結果ということです。
実際には高度な知恵のある動物も存在するので、それらは自ら考えて進化していると表現できるかもしれません。具体的には仲間で合図をしていて狩りをするイルカや、道具を使うチンパンジーなどは進化しているといえると思います。しかし積極的に合図や道具の工夫はしないのが人間との大きな違いです。

進化とは

ここでいう進化とは、単純なものから複雑なもの、難しいものから簡単なもの、古いものから新しいものに意図的に改善していくことです。
仕事でも物事でも、自分自身のことでもよりよく改善する変化を進化と表現することができます。
人間は様々な改善策を探して、どんどん進化していくことができます。
物や技術を発展させることで、人々は一昔前では考えられないような魔法のような生活を送っています。
魔法のような生活の獲得も進化といえるのかもしれません。

そして言葉一つで行動を変えることができる、魔法使いのような存在は人間だけです。
そもそも一部の動物にみられる簡単な合図ではなく、複雑な言語を使うことができるのは人間だけですから当たり前といえば当たり前です。

究極の進化

この言葉一つで行動を変えることが、究極の進化ではないでしょうか?
人間は言葉一つ・きっかけ一つで考え方を変え、行動を変えることで、進化することができる生き物なのです。

そういう意味で、意図的に進化できるのは人間だけだと思います。
具体的には言葉一つで糖質をやめることで、糖尿病を失くしてしまった患者さん。
病気を失くしたのですから、すでに患者さんでもなくなりました。
彼は言葉一つで一段上のステージに進化できたのだと思います。

人間は言葉の魔法一つで進化できます。
言葉にそんな魔力が秘められているなんて考えたことがありますか?
これから書いていくそんな言葉の使い方の話が、新進化論です。

病気が治らないことを伝える魔法の言葉

病気が治らないことを伝える魔法の言葉を考えてみました。

長い時間かけて現代の医学では治すことができない病気であること伝えたとしても、治ると思い込んでいる患者さんにはなかなか理解できないのが現状です。

治らない病気に自分がかかるわけがないと思い込まれているので、治らないと口で説明されても、治らないこと自体が受け入れられないのです。現代の医療は何でも突き止めることが出来て、どんな病気でも治すことが出来ると過信しておられるのです。

長い時間をかけて説明して納得して頂いたつもりでも帰りがけに、症状が一旦良くなったらまた出てくるのは何とかならないかと言われたことが何度もありました。

口で説明しても、治らない病気に自分がかかってしまうという概念が欠落しているので、受け入れることが出来る素養が無いのです。恐らく一時間説明しても理解してもらえないとわかりました。

そこで思いついたのが魔法の言葉です。

病気が治らないことを伝える魔法の言葉

私は患者さんに

『そんな魔法みたいな薬はないんです。』

と伝えることにしました。あれだけ苦労して時間をかけて説明しても理解してもらえなかった、この病気が治る薬はないことをたった一言『魔法みたいな』という魔法の言葉で伝えることが出来たのです。

皆さん魔法が無いことは御存知なので、そんな魔法のような薬も無いことを一瞬で理解してもらえます。

私は言葉の魔法だと思います。

文字通り『魔法』の言葉を使うことで一瞬で概念を作り出すことにより、かなりの時間を節約することが出来ています。

こと『魔法』と言う言葉を使うことで、笑い出す患者さんまでおられます。そうか魔法かwと。無い薬を探し求めてしまっていたことに一言で気付くことが出来たからだと思います。

医者にこそこの魔法の言葉を使ってみて欲しいです。

何より一言で患者さんに理解してもらえますから、医者にとっても患者さんにとってもお得ですよ。

私は言葉の魔法の使い方をまだみんな知らないだけで、その秘めた力と正確な使い方を知ることで更に発展出来ると私は思っています。

言葉の魔法。本当にあると素敵だと思いませんか?

そして治らないことが常識だった病気が治るかも知れない話はこちらです。

こちらも別の『意味』の魔法かも知れませんね

言葉の正しい使い方 ~誤解の少ない伝え方~

言葉の受け取り方、受け取られ方(言葉の感受性)が人によって異なることを表す例え話を考えてみます。
『Aはいいよ。』
という話を聞いた場合、この言葉からはAはOKです。
国語の教科書的にはAだけOKです。何故なら他のことは言及していないからです。

ただ言葉の感受性が高い人は、じゃあBは?、Cは?と考える人も出てくるのです。
同じカテゴリーで同様に選択肢になりえるBとCは駄目なの?と考えるのです。
逆に言葉の感受性の高い人が考えた上で話をしていると、(BとCもダメで)Aはいいよということを一言で表している場合もあるのです。

ここで『Aはいいよ。』という一言でも2通りの解釈があることがわかります。
他も検討された結果AはOKなのか、他が検討されていないけどAはOKなのか。
この言葉では言葉の感受性により受け取り方が異なるので誤解のもとです。
無意識のうちに言外の検討されたかされていないかを『Aはいいよ。』から感じ取ってしまう余地があるのです。
他の人に伝える際、勝手に情報を付け足してしまうことも考えられるのです。

  • 他も検討された結果Aはいいそうです。
  • 他はわかりませんがAはいいみたいです。

他が検討されていれば後で選択が変わる可能性は低いですが、他が検討されていなければ後で他の選択肢を検討すれば選択が変わる可能性もあります。実は他が検討されているかどうかというのは物事を決める上で重要な要素なのですが、あまり意識されていないようです。
伝言ゲームで少しずつ言葉がずれていくのは、記憶が曖昧ということと人によって受け取り方が違うことを表しているのだと思います。

私は言葉の揺れと表現しますが、言葉には曖昧さを秘めています。
『Aはいいよ』だけ見ても、曖昧さが内包されています。
日本の学校では、国語の授業で書いてあることだけが全てと習うため、言葉の揺れの違いが認識されにくいことが原因なのかもしれません。
実際には日常生活では問題にならないほどの曖昧さですが、何かを決める際にはその曖昧さが争いを招くこともあります。
いわゆる言葉による勘違いです。この勘違いの余地をなくすことが言葉の魔法の正しい使い方につながると思います。

私の言葉の使い方は
A・B・Cの選択肢があった場合。
『Aはいいよ』とした場合、B・Cの可能性はまだわからないけれどもとりあえずAはいいよという意味を内包しています。つまりAはOK、B・Cは保留という意味です。
既にB・Cを検討した上でAを選んだとすれば、
『Aがいいよ』と使い分けています。
この場合AはOK,B・CはNGです。

ただしこの使い方は相手次第で受け取ってもらえない可能性もあります。同じ言葉の使い方・感受性を持ち合わせていないと通じないのです。
そこで私の言葉の魔法の使い方は誤解のできるだけ少ない方法で伝えます。
『BとCはまだわからないけれども、Aはいいよ』
『BとCはダメだけど、Aはいいよ』
と誤解の余地をなくすように言葉の揺れの範囲を狭めるように話します。
ここで重要なことはA以外の選択肢を検討しているということです。その情報のあるなしで今後の展開の可能性がかなり変わるからです。

言葉とは情報のやり取りです。
相手にとって有用な情報を話すことができるのかどうかが重要となってきます。
これまでは相手にとって意味のあることを話すかどうかは問われていません。聞かれたことをこたえるだけでした。言葉の魔法の正しい使い方とは、その言葉の意味が何を目的にしているかを考えて話すことです。
そのことはまた改めて書いていきます。