信じるか信じないかはあなた次第


以前は文字を書いて印刷して広めるしか情報伝達手段がありませんでした。印刷することに多大な費用がかかるため、印刷する時点で印刷する価値がある内容かどうか吟味されていたのです。そのため印刷された物には一定の信頼ができました。しかし現代ではインターネットを活用することで情報発信にお金がかからなくなったため、誰でも情報発信できるため色々な情報が錯綜しています。

例えば儲け話や耳寄りな情報などといった怪しい情報から、小学校や中学校で習う基本的なことまで様々です。
さすがに小学校・中学校で習う教科書に明らかな間違いはないとは思います。社会の教科書も時代の変化とともに様々な情報が加わるという意味で変わりはしても明らかな間違いとはいえないと思います。ただし歴史の教科書などは時代とともに新しい解釈によって変わることはありますが、そのときにわかっていることで間違いないと広く信じられていることが教科書に載っています。少なくとも社会の教科書以外は大きく変わることはないと思います。

小学校・中学教科書の内容は多くの人たちが吟味に吟味を重ねた内容なので正しい可能性が高く信じるに値すると思います。
恐らく正しいことでしょう。少なくとも私は小学校・中学校の教科書の内容の間違いに気づいたことはありません。

世間には教科書のように吟味に吟味を重ねた内容ではなく不確かな情報が数多く存在します。
誰かがただ思いつきで言い始めたことから、確信に迫る内容まで様々です。
そして多くの人が信じているから正しいはずという錯覚が起こるのです。

例えば主食として炭水化物を食べることが正しいと多くの人は信じています。しかし様々な意味で間違っているのはこのサイトに書いてある通りです。

人が詐欺などに騙されてしまうのは、信じてしまうからです。
電話でオレオレと言われ、自分の子供だと信じてしまうことで詐欺に発展します。

信じるか信じないかはあなた次第です。

多くの人が信じているからと言って正しいとは限りません。そして信じている人が少ないからと言って間違っているとは限りません。

自分の知識と経験と照らし合わせて矛盾がないか確認しながら信じるかかどうか見極めるのです。本当に頼りになるのは自分だけです。これまで培った経験と知識だけが信じるかどうか判断に役立つのです。経験や知識と照らし合わせて矛盾があれば、信じてはいけませんが、理解出来ないだけであれば保留しておくのです。何故なら画期的な考え方はそれまでの常識では理解できないからです。

つまり信じることが出来るか信じることが出来ないか判断するためには、経験や知識が必要です。信じるか信じないかは自分次第です。信じるために経験や知識を身につける必要があるのです。

どうしても経験や知識が不足しているのであれば、既に経験や知識のある人の知恵を借りると良いと思います。そんな知恵のある人が近くにいるといいですね。

糖質制限の落とし穴

糖質制限の落とし穴を考えてみます。言葉の問題ですが、制限というのは人からなされるものです。他動的な言葉ではないかと思います。自分で決めて選択するのであれば回避だと思います。
糖質制限という考え方だと人が決めた考え方に従うことが言葉の裏に隠されているので、人に決められたことに従うことが嫌になる可能性が秘められています。(余り深く考えない方には何の問題もありません。)

落とし穴とは糖質制限を嫌々行っていると、途中でどうにでもなれ効果により、逃げ出してしまう可能性があるのです(参考文献:スタンフォードの自分を変える教室)。どうにでもなれ効果とは、糖質を食べてはいけない糖質を食べてはいけないと自分自身にプレッシャーをかけていると、ストレスに耐え切れなくなって、どうにでもなれと投げやりになってしまうことです。ストレスから逃げるために、ストレスの元である糖質を食べないということを否定してしまうのです。

このどうにでもなれ効果が、糖質制限を失敗してしまう原因の一つです。

そこで糖質を食べないという意味では同じですが、自分の意思で避けるという意味で糖質回避という考え方を提唱しています。ちょっとした考え方の違いですが、自分の意思で糖質を避けるのでストレスを感じることが少なく、どうにでもなれ効果を避けることができる可能性が高いと思います。

もう一つの落とし穴は、糖質依存の考え方を知らない場合です。強い空腹感という禁断症状に耐え切れず糖質制限に失敗してしまうか、少し食べると余計お腹がすく不思議な感覚に耐え切れず糖質制限に失敗してしまうことです。

糖質制限・糖質回避をしばらくしていると糖質依存から抜け出すことが出来ます(抜け出すまでの期間は早い人は3日、通常2・3週間程度で人によっては1カ月以上かかります)。強い空腹感や少し食べると余計お腹が空く感覚を感じることがなくなれば、糖質依存から脱出成功です。糖質依存から抜け出していれば、そこから落とし穴に落ちることはほとんどないと思います。

糖質回避の是非の議論を避けるために糖質回避教という論理的宗教を提案しています。

動物の中で人間だけが太る理由

動物には太らない仕組みが備わっています。
何故なら太ると文字通り命取りとなるからです。
太ると肉食動物は餌が取れませんから自然と痩せてしまいますし、太ってしまうと草食動物は肉食動物の一番の餌になるからです。(詳しくはこちら)

人間にも本来太らない仕組みがあります。満腹感があることが太らない仕組みです。
人間だけが太るのは何故でしょうか?

人間だけが太らない仕組みを失くしてしまったのでしょうか?
人間は食料を自分達で増やすことで、以前ほど食料に困らなくなりました。
しかしそれだけでは太る理由にはなりません。

人間だけが太る理由の一つに食料が豊富にある必要はありますが、それだけでは太らない仕組みが働くことで太らないはずです。
しかし人間は太ってしまいます。
太る仕組みを手に入れたというよりは、本来太らない仕組みを糖質に騙されてすり抜けてしまうことで太ってしまうのです。糖質に騙されるとは糖質依存の状態に陥ることです。満腹を感じることで太りすぎない仕組みが備わっていますが、糖質依存によって糖質を食べ過ぎることで太ってしまうのです。(正確には一時的に糖質依存を引き起こして大量に食べる方が生存に有利だったので、太る仕組みとしてわざわざ身につけた能力です)
その証拠に本来太らない仕組みのある動物もペットとして人間と似たようなものを食べることで、糖質依存に陥ることで太ってしまいます。デブ猫とかデブ犬といわれるペットたちです。

実は動物も太る仕組みにより太っているのですが、毎年定期的に訪れる冬の飢餓を乗り切るために秋のうちに食料を大量に食べることで脂肪を蓄えます。
イノシシが秋にドングリを大量に食べることで太って、冬を乗り切るのです。
食料が確保しやすい季節と確保しにくい季節があることが太る仕組みを育てました。

タイトルの太るのは人間だけと書きましたが、正確には年内変動ではなく一年を通して太るのは人間だけです。そして一部のペットは太ってしまいます。
人間もペットも太ってしまうのは、糖質依存によるものだと思います。

糖質を避けることで糖質依存が解除され、本来人間に備わった太らない仕組みにより痩せていくのです。

一から十まで聞く人と一を聞いて十を知る人の違い

一から十まで全て聞かないとわからない人もいますが、一を聞いて十を知る人と言われるように物分かりの良い人もいれば、。
その違いは何なのでしょうか?その違いについて考えてみます。

一から十まで全て聞かないとわからない人は、一の大きさそのものがわからない上に、その方向性が理解わからないためのです。そのため全容の把握ができず、全てを聞かないとわからないのです。一を聞いて十を知る人は、一がわかればその大きさと方向がわかっているので全容を把握することが出来るのです。
一言で言えば、違いは一の大きさと方向性を把握出来ているかどうかです。

同じ1でも大きな違いがある
同じ1でも大きな違いがあります。
片方は1の大きさが曖昧で、並び方がわかりません。
片方は1の大きさがはっきりしており、並ぶ方向も明らかです。

一の大きさが曖昧で、方向がわからないので一つ一つ並べ方を聞かなければわからないのです。
一の大きさと方向が分かっていれば、一さえわかれば十までの並べ方がわかるのです。

一から十まで聞く人と一を聞くだけで十がわかる人のイメージの違い
一から十まで聞く人は一貫性がイメージできないため全て聞くことになります。
一を聞いて十を知る人は方向がはっきりしているので一を聞けば十まで並べることができます。

つまり一が正確に把握できるかどうかの違いです。

これまでの経験や知識と照らし合わせて一の大きさや方向が把握ができなければ一から十まで大きさと方向を教えてもらわないとわかりませんが、一だけ聞けば大きさや方向がわかるので十まで並べることができるのです。

糖質回避 牛丼の未来予想

様々な観点から糖質回避を提案しています。様々な観点とは例えばダイエットです。ダイエットには糖質回避以外の方法を考える必要はなさそうです。糖質回避で痩せることが出来なければ、少し歩く程度でも運動を加えれば痩せることが出来ると思います。他にも2型糖尿病やアレルギーなど糖質が引き起こしていると疑わしい病気が多数ありますので、糖質は避けると良いと思います。

糖質回避の具体的な方法に書いていますが、御飯を豆腐に置き換えるのが簡単です。私のマイブームは、おかずはそのままに御飯のかわりに、醤油をかけていない豆腐をおかずの塩気で食べることです。

今回は糖質回避が当たり前になる未来の牛丼屋さんのことを予想してみたいと思います。御飯はハレの日の食べ物として残るとは思いますが、日頃から糖質を主食として食べる食生活は無くなると思います。

未来予想は現時点では一部牛丼屋さんが提供をはじめている御飯の代わりに豆腐の上に牛丼の具をのせるというスタイルです。まだ糖質回避が主流ではないので、際物扱いですが豆腐牛丼は糖質回避の観点からは理想的な食べ物だと思います。

糖質回避の未来予想の中では、既に売り出されているだけに一番広まるのが早いかも知れません。

現時点で簡単に糖質回避するなら、牛皿を持ち帰りにして豆腐を買って家で豆腐牛丼にして食べると良いかも知れません。牛丼の具は冷凍でも売っているので、豆腐を用意すれば手間をかけず豆腐牛丼が手軽に家で楽しむことが出来ると思います。

いつ頃豆腐牛丼が主流となるのか楽しみにみていましょう。

大人の価値観・フィルターで判断しない

子供と接する際にどうしても大人の価値観やフィルターで判断してしまいがちです。
例えば、ブランコと簡単な滑り台しかない公園に行っても子供は楽しくないだろうという大人の価値観・フィルターで判断してしまうことはよくあることです。
大人にとってはもっと楽しい遊び道具のあるところに連れていかないと子供にとって楽しくないと考えてしまうのです。ブランコと簡単な滑り台では子供が楽しめないと勝手に考えてしまうのです。

今回はブランコと簡単な滑り台をたとえに出しましたが、大人にとっては使い方や体の感覚は当たり前で刺激がないと考えてしまいます。しかし子供にとってはブランコ一つとっても体が揺れること、重力の働く向きが変わること、スピードが出て止まってまた動き出すことなどが新鮮です。簡単な滑り台一つとっても、風を感じるほどのスピードを体験することが少ないので楽しいのです。景色が流れるように動くのも新鮮な体験なのだと思います。

遊び一つとっても大人の価値観、フィルターでは意味のないものと判断しても、子供は大喜びで遊ぶということはよくあることです。ちなみに子供の遊ぶ意味は身体の動かし方、感じ方を学ぶことです。身体の動かし方・感じ方をマスターすると刺激に慣れてしまって、飽きてしまうのです。人が物事に飽きてしまうメカニズムと飽きる理由はこちら

飽きるまでは刺激が楽しいようです。逆に考えると飽きなければ何らかの学びがあるようです。

子供の成長のためには、どうせ大したことはないだろうという大人の価値観・フィルターで可能性を排除しないことだと思います。大人にとっては意味がなさそうでも子供に体験させてあげるのです。そして子供が楽しめれば続けて、子供が楽しくなさそうなら本当に大したことはないのだと思います。すぐに飽きてしまうのも、恐らくそれまでの体験に似たことがあったのだろうと思います。

大人の価値観は長年の経験の蓄積の結果です。その経験がない子供たちにとっては、シーソー一つとっても驚くべき経験だと思います。大人にとっては仕組み・理屈を知っているので、不思議でもなんでもありませんが、子供にとっては体が持ち上がるのは不思議な体験なのだと思います。ちょうど科学が発達していない大昔に、大人でも不思議がっていたのと同じような感覚を子供の間にいろいろ経験しているのです。

子供にとっては何も遊び道具のない公園でさえも、落ち葉を見つけて遊び始めたり、石ころを見つけて遊び始めたり。大人にとっては何が楽しいのか全く理解できませんが、子供にとってはかけがえのない体験となるきっかけになるのかもしれないのです。
ついつい大人の価値観で、子供が楽しいだろうと思って連れていくところは実は子供にとっては大した何もない公園で一つ一つ発見していくことに比べたら、はるかに刺激が少ないかもしれないのです。

テーマパークに連れていくと子供たちは確かに喜びます。
しかし用意された娯楽を楽しむことに慣れて、遊ばされてしまうことしかできなくなってしまいます。用意された娯楽といえば、ゲームで遊ぶことを覚えてしまうと、ほかのことが目に入らなくなってしまいます(そのようにゲームは設計されているので当然といえば当然です)。
公園で落ち葉や石ころに自分だけの意味を見出して、自分で考えて遊ぶ癖をつけることが遊び本来の目的にあっていると私は思います。
落ち葉遊びや石ころ遊びを親が意味がないとして否定してしまうと、子供たちの考える目を摘み取ってしまいます。親にとっては意味がないというよりは、親には意味が理解できないだけなのです。理解できないだけでその大きな意味を摘み取ってしまうのは非常にもったいないと思います。

遊び一つとっても大人の価値観・フィルターで判断しないことが大切ですが、勉強や進路、就職などに関しても大人の価値観・フィルターで判断しないことです。何故ならそれらは本来子供の問題だからです(問題論)。人に迷惑をかけることや犯罪であれば当然止める必要はありますが、自分で責任が取れる範囲内で子供自身が自分で行動すると争いが減ると思います。大人の価値観・フィルターを強要すると争いに発展してしまい、お互い嫌な思いをすることになると思います。

子供自身が考えることが何より大切だと私は思います。

買った後で後悔する理由

買った後で後悔することは良くあることです。その理由を考えてみました。

考えられる理由は二つです。一つは衝動買いの心理状態で買ってしまうことです。欲しいという衝動に追い立てられて買ってしまうのです。一度欲しいという心理に追い込まれると冷静な判断が出来にくくなるのが衝動買いの心理の厄介なところです。冷静に考えていないので、冷静になった際に、後悔することになるのです。

もう一つは買うことが目的になっていることです。本来なら買い物が楽しい訳ではなく、買った物を使うことに意味があります。しかし買い物自体に楽しみを見出してしまうと、買った物には意味が見出せません。だから後悔してしまうのです。

対策は10分別のことを考えてから改めて買うかどうか考えること。そして買った物を使う自分を想像してみることです。そうすることで幾分か客観的になることが出来るようです。それでも欲しいと感じるようなら後悔する可能性は低いと思います。

寝ている赤ちゃんが突然泣き出す理由

極力泣かさない子育てを提唱していますが、子供は予想外なことで泣くものです。中でも赤ちゃんは突然泣き出すことも良くあります。

今回は寝ている赤ちゃんが突然泣き出すことを考えてみます。ついさっきまで気持ち良さそうに寝ていた赤ちゃんが、何の前触れもなく突然泣き出すことがあります。しかも全開で泣き始めるので親も何が起こったかわからず混乱して慌てふためいてしまいます。これが夜中に起こると夜泣きになってしまうのかも知れません。

赤ちゃんは突然何故泣き出すのでしょうか?恐らく夢を見ているのだと思います。赤ちゃんが突然泣き出すような夢とはどんな夢かは想像もつきませんが、さぞ怖い夢なのでしょう。

突然泣き出して、目を瞑ったまま大泣きすることが良くあります。夢の中と現実を混乱して寝ぼけて泣き続けているのだと思います。目を瞑ったまま泣いていれば、声をかけて起こしてあげることです。現実に引き戻されて目が醒めると、泣いている泣いている自分に驚くのかキョトンとすることも良くあります。

他に考えられるとすれば、自分の状態を忘れて寝ていた睡眠から脳が目覚めて、自分の置かれている状態に驚いて泣き出すのかも知れません。脳は目覚めているのにうまく身体を動かすことの出来ない(俗に金縛りと言われる状態ですが、脳科学的にはよくあることのようです)ので、怖くて泣き出すのかも知れません。

何れにしても赤ちゃんが泣いていれば、安心させてあげるのが一番です。抱き締めて声をかけ、安心させてあげてみて下さい。

糖質・炭水化物を勧める人は異教徒

今時糖質・炭水化物を勧める人がいます。物事を論理的に考えることが出来ないだけか、自分自身の利権や立場を維持するために糖質・炭水化物を推奨するのだと思います。

糖質の害は明らか

糖質・炭水化物は消化・吸収されて血糖値を上げるだけです。血糖値はタンパク質があれば十分維持されるので血糖値の維持のためには糖質・炭水化物は必ずしも必要ありません。しかも高血糖が血管を障害するなどの害を起こすのです。つまり血糖値を維持するためには必ずしも糖質は必要なく、逆に糖質が高血糖を引き起こし害をなすのです。生物学的にみると糖質・炭水化物には百害あって一利なしのようです。

では何故ここまで糖質・炭水化物が広まっているのでしょうか?人類の歴史的には、糖質・炭水化物は保存が出来る数少ない食材という大きな意味がありました。人類を餓えから救い、人類の発展に大きく寄与してくれました。

しかし今となっては他にも食材があるので、わざわざ病気の危険をおかしてまで主食として毎日大量に食べる意味はありません。快楽としての食を追求し続けると健康を害してしまうだけです。

糖質・炭水化物推奨者は異教徒

様々なことを考えても、糖質を主食として毎日大量に食べることを推奨する意味がわかりません。人の行動には必ず目的があります(目的論)。糖質を推奨する人達の目的を考えてみると、何らかのその人の私欲(利権や立場の維持など)を達成するためではないでしょうか?。

例えば医師が推奨するのは、糖質・炭水化物をみんながやめてしまうと患者さんがいなくなるので、やめられては困るから。もしくは今までの治療法を全て否定されるのを嫌って反対しているのかも知れません。つまり自分自身の地位が危ぶまれるから糖質を推奨するのではないでしょうか?

炭水化物を扱っている人達は直接商売に関わるので、推奨するのは当然といえます。

製薬会社は人々が糖質を避けることで様々な病気が失くなってしまうことを嫌って、糖質・炭水化物を推奨するかも知れません。

異教徒とは議論しない

今更糖質・炭水化物を勧める方々とわざわざ議論する意味はありません。糖質・炭水化物を勧める人は相容れない異教徒として争わず丁重に扱うのが正解だと思います。異教徒の方々は自分の利権や立場を守るために必死ですから、決して説得しようとはしないことです。もしくはこれまで当たり前に食べていたものを否定されることが嫌なのです。兎に角変化を嫌う人というのは何処にでもいるものです。

お互い考え方を強要しなければ争いは起こりません(考え方を強要しない)。最終的には異教徒の方々が糖質・炭水化物の害を受け入れるしかないのですから、いつ受け入れることになるか静観しましょう。真実は一つです。先に気付くか後で気付くかの違いだけです。

糖質回避教徒が糖質の本質を先に知った人、異教徒はまだ知らない人。ただそれだけのことです。自分で糖質の本質を知ろうとしない人達に、わざわざ争いを起こしてまで教えてあげるサービスはしなくて良いのではないかと思います。いつ気付くのか楽しみに静観しましょう。

怪しい理屈に惑わされない

糖質の害が明らかな今、それを上回る糖質の利点が今更新たに見つかるとは思えません。

怪しい理屈に惑わされないことです。怪しい理屈に惑わされてしまうことが、色々な意味で騙されるきっかけになってしまうのです。

糖質回避教の新たな教えとして、異教徒とは議論しないということを付け加えようと思います。

アレルギーと糖化産物による病気の関係

アレルギーと糖化産物が引き起こす免疫機能障害による病気(仮説)の違いとお互いの関係を考えてみます。

アレルギーとは?に詳しくは記載しましたが、アレルギーは本来なら細菌やウイルスに対応する免疫機能が、敵ではないはずのものに対して働きすぎる疾患です。アレルギーであれば少量の原因物質(アレルゲン)に対しても反応するのが特徴です。つまり量に関係なく反応してしまいます。

もし糖質に対するアレルギーであれば少量でも症状が出るはずです。現在のところ糖質が少量では症状が出ないため、アレルギーではなさそうです。

糖化産物による免疫機能障害であれば、アレルギーのように少量では症状が出ません。ある一定量の糖化産物が産生・蓄積することによってアレルギー反応を誘発している可能性が考えられます。そして容量依存的に症状が増悪するのも特徴です。

糖質による反応が、アレルギーではなく糖化産物によるものと考える根拠は、容量依存性によります。アレルギーであれば、容量依存的に反応しないのでアレルギーは否定されます。

一定量までは食べても症状が出ず、一定量をこえると症状が出るのが特徴です。これまではアレルギーの概念しかなかったため、一定量食べることで症状が出現する疾患の概念がありませんでした。そのため糖質が原因だとわからなかったのです。

糖質が大元の原因だとわかりさえすれば、糖質だけ見張っていれば良いので対策を立てるのも容易です。症状が出現すれば糖質の食べ過ぎ、症状が出現しなければ許容範囲とわかります。

糖質の量を目安にした自己調節可能な疾患という、新たな概念となると思います。

糖化産物による病気の一つにアレルギーが含まれると私は考えます。つまり糖質に対するアレルギーではなく、糖質がアレルギーを引き起こしているという考え方です。アレルギーの元が糖質から生じた糖化産物で、糖化産物が免疫機能障害を引き起こしているという考え方です。糖質を避けると糖化産物が減るため症状が改善するのではないかと思います。