大腸ポリープの原因は糖質・糖化産物?

糖質が様々な病気を引き起こすのは間違いないようです。糖質が引き起こす病気には糖質そのものが障害を引き起こす2型糖尿病や、何らかの免疫異常を起こす病態や、糖質依存に伴い引き続いて起こされる塩分依存による高血圧など様々です。

今回私が気付いたのは大腸ポリープです。糖質回避により一部の皮膚腫瘍が改善します。ということは大腸ポリープも糖質回避により改善するのではないかという仮説です。逆に糖質の摂り過ぎによりポリープを生じているのではないかという仮説です。ポリープを生み出すのは糖化産物、駆逐する邪魔をするのが糖質にやる免疫抑制という考え方です。

大腸ポリープが出来る原因

私の仮説ではポリープを生み出すのは糖質とタンパク質が熱で反応するメイラード反応により生じた糖化産物ではないかと疑っています。アメリカ人にポリープが育つ事で生じる大腸ガンが多いのは肉を焼く事で生じる糖化産物が原因ではないかと私は考えています。つまり肉食が問題ではなく、焼いた肉食が問題だという考え方です。茹でた肉を食べる分には、メイラード反応が起こらないので糖化産物が出来ないため問題ないと私は思います。糖化産物で一つ心配なのは揚げ物です。トンカツやコロッケなどパン粉を揚げた際のキツネ色はメイラード反応によるものなので、焼いたお肉と同じようにポリープを生み出す可能性が考えられます。もし揚げ物を好んで食べる人に大腸ガンが多いというデータが見つかれば、私の仮説を裏付ける結果となります。

ポリープを消す仕組み

ポリープなどの異形細胞はかなり高い頻度で生み出されています。しかし大半は肉眼で見える程大きくなる前に、免疫反応により消し去られてしまいす。多くの異形細胞はその免疫に捕まるので、肉眼で見える程の腫瘍は珍しいのです。もし腫瘍に対する免疫が働かなければ、人間の身体は腫瘍だらけになる事でしょう。

一説によると人間の身体全体で良性悪性を含め1日に5000個程の異形細胞が生み出されているそうです。通常はその全てを免疫で駆逐するので滅多に問題にはならないのです。

逆に発生した異形細胞がこの仕組みをすり抜けてしまうとポリープとして肉眼で見えるようになるのです。

糖質による免疫抑制

糖質を一定量をこえて食べると限定的な免疫抑制がかかるようです。1日に5000個生じる異形細胞はいつもは駆逐出来ても、たまたま身体に発生した異形細胞に対する免疫が抑制状態だと駆逐出来ないのです。免疫が異形細胞に対して、働かないため異形細胞を駆逐することが出来ず、育ってしまいます。結果としてポリープとして認識されるのです。特にいくつものポリープを生じる人は、ポリープに対する免疫抑制が何種類にも渡り同時に生じている可能性があります。一つの異形細胞に対して何種類もの免疫が働くはずですが、一二種類の免疫抑制であればポリープは稀に出来る程度で、同時に異形細胞に対する免疫が数種類に渡って抑制されているといくつものポリープを生じてしまうのかもしれません。

限定的な免疫抑制のためまだみんな知らないようです。糖尿病の方が易感染性があるとされているのは、糖質による限定的な免疫抑制がいくつも組み合わさるため積算され易感染性として認識されるのだと思います。実は似たような感染症を繰り返すのは、糖質による限定的な免疫抑制の結果なのかもしれないのです。

限定的な免疫抑制が腫瘍細胞に対して起こってしまうも腫瘍を発症するのです。

糖質を控えることで免疫抑制が解除されるので、腫瘍がなくなる可能性があります。少なくとも皮膚腫瘍では糖質回避により改善している患者さんが何人かおられます。

イメージとしてはガードマンが休んでしまうようなものです。腫瘍細胞担当のガードマンが休んでいるので腫瘍細胞が好き勝手に増えてしまっているのです。そして糖質回避により腫瘍細胞担当のガードマンが復活するようなイメージです。

腫瘍という『意味』ではガンも同じ機序・仕組みだと思います。しかしガンが進行していると別の免疫抑制の仕組みが働いてしまう(長く身体にあるものは自分の正常な細胞だと勘違いしてしまう)ので、糖質回避の効果はないかもしれません。しかし糖質回避には抗ガン剤のような副作用がないため、糖尿病や腎臓病・肝臓病などでタンパク質制限などの食事制限がなければ、一度試しても良いのではないかと私は考えています。

食べ方の提案

ポリープが多くてお悩みでしたら、糖質を控えることをお勧めします。糖質の摂り過ぎは糖質の一回の糖質量が多いと発症するようです。そして瞬間的な高血糖が問題のようです。糖質以外のオカズから食べると発症が抑えられる可能性があります。

実際に出来るかどうかは別にして、3食で食べている量を6食に分けて食べると症状は起こりにくいようです。

禁断症状を伴う糖質依存の状態であれば、糖質の量を減らすより一食抜く方が楽に糖質を減らすことが出来ます。

1円購入から駐車無料サービスの目的

店舗の駐車場のサービスで、1円でも買うと何時間か無料にしてくれるサービスをするお店があります。その仕組みと目的を考えてみます。

1円でも買うと何時間か無料になるので、駐車場代を支払うことを考えれば何も買わずに駐車場代を支払うより何かを買う方がお得です。ただお客の立場からすれば、1円以上から買わなくても駐車券サービスをしてくれると良いのにと考えてしまいます。実は1円でも買ってもらうことに目的があるのです。全く買う気が無い状態と、何かを買う目的で買う物を探すのでは買う意欲が全く異なります。一度何かを買うと決めるとついでにあれもこれもと欲しくなってしまうのです。購入に対する心理的なハードルを下げることが出来るのです。最初から1時間無料より、1円でも購入してもらうようにする方が遥かにお店にとってお得なのです。1000円以上購入で駐車券サービスよりも良心的にみえるのも心理的な落とし穴が用意されています。全体的に売っているものの単価が家電量販店などはお店にきてもらって「衝動買いの心理」をついて、つい買ってもらうことが目的です。

1円でも買うと駐車券サービスがあると、それ程必要ではない物でもつい買ってしまうものです。家電量販店であれば必ず使うリモコンの電池などを購入するのがお得です。

そして1000円以上買うと駐車券サービスよりも、1円以上買うと駐車券サービスの方が何かを買えば良いのでお客の立場からは気軽に立ち寄ることが出来ます。立ち寄るかどうかの判断の際に、心理的なハードルがかなり下がります。

様々な心理学を駆使して1円以上買うと駐車券サービスという仕組みが成り立っています。罠とまでは言わないまでもお金を使ってしまうカラクリが仕組まれているので、気をつけるようにしましょう。

いじめを学校が隠蔽する理由

いじめを学校が隠蔽しようとすることが散見されます。その理由を考えてみます。いじめはあってはならないものなので、いじめが発覚すると学校が責められることが原因のようです。人の行動には必ず目的があります(目的論)。いじめを隠蔽する目的は責められることを避けるためです。決していじめを無くす目的で隠蔽する訳ではありません。ましてやいじめられた子供を守るために隠蔽する訳でもありません。学校側の自己保身を目的に隠蔽するのです。

今のままでは隠蔽しようとするのは仕方ありません。何故ならいじめがあったことを責められるからです。人間の心理として責められたくないので隠すのです。隠そうとする嘘つきの嘘を暴く必要に迫られるため、その分無駄な労力を費やします。

いじめの隠蔽を無くすために

野生動物でもいじめをするのですから、動物の一種でもある人間が放っておくといじめをしてしまうのは、ある意味では仕方がないことです。人間がいじめをする野生動物と違うのは、人を思いやる心を持っていることです。人を思いやることをまだ知らない人間がいじめをしてしまうのです。人のことを尊重することをまだ知らない人間がいじめをしてしまうのです。人を思いやること・人を尊重することをまだ知らない人がいることを認め、いじめを無くす知恵を絞るべきだと私は思います。

いじめを無くすためには、いじめが起こり得ることを受け入れ、その上で対策を取るべきです。いじめはあってはならないものという考え方から、いじめがあるのは当たり前だから大事に至る前に対策するという考え方を変えるのです。

このような考え方に変われば、いじめを見つけ対応したことを誇りに思うようになるでしょう。いじめを無くすのが理想ですが、無くす前の段階として早く見つけ対応するのです。いじめがあったことを責めるのではなく、大事に至らなかったことを評価するのです。そうすることでいじめを成果として積極的に公表するようになるでしょう。

いじめを隠しても問題を先送りするだけです。隠さず再発しないための知恵をみんなで絞るのです。人間には他の動物が持たない言葉という魔法を使うことが出来るのですから、最終的にいじめをなくすことくらい出来るはずです。

糖質買いの銭失い

新しい諺を考えました。

安物買いの銭失い

を変えてみました。

糖質買いの銭失い

当然糖質を買うこと全てが銭失いではありません。糖質によって害があるにも関わらず買うことを指しています。具体的には糖質を買うことで害を生じ、その害を治すためにお金を使うことを指します。

具体的には糖質を買うことで太り、ダイエットにお金をかけることを糖質買いの銭失いと表現するのです。糖質を食べ過ぎた結果を打ち消すためにダイエットに更にお金をかけることを銭失いと表現するのです。何故なら糖質を食べ過ぎなければ必要のないお金だからです。

他の例え話では糖質を買って食べ過ぎた結果、2型糖尿病やアトピー性皮膚炎やニキビを悪化させ、治すために病院で治療費を支払うことです。糖質をわざわざお金を出して買い、病気を引き起こして治療にわざわざお金をかける。糖質を食べ過ぎなければ必要ない治療費です。

糖質を食べ過ぎる理由

糖質を食べ過ぎると病気になることを知らない人もいますが、知っていてもやめられない人もいます。その理由は糖質依存です。タバコを吸う人がタバコをやめられないニコチン依存やお酒をやめられないアルコール依存と同じような心理です。依存の心理により糖質をやめられないのです。

糖質依存から抜け出す一つのきっかけが、糖質買いの銭失いという考え方です。糖質をわざわざお金を出して買って、わざわざ病気になるのは勿体無いと冷静に考えるのです。

糖質買いの銭失いにならないために

糖質買いの銭失いとは糖質を買って食べ過ぎることで何らかの不都合が起こります。不都合を避けるためには糖質回避がお勧めです。

少なくとも糖質による不都合を生じない程度に糖質を回避することです。

特に糖質依存の状態であれば、少なくとも糖質依存からは抜け出すことをお勧めします。

赤ちゃんに濃い味を食べさせない理由

赤ちゃんに濃い味付けのものを食べさせると、濃い味付けに慣れてしまって薄味を食べなくなると聞いたことがあります。だから濃い味付けを食べさせてはいけないと言われているようです。

わざわざ赤ちゃんに濃い味付けを食べさせる必要は無いとは思いますが、何故いけないのか客観的に考えてみます。

一言で言えば塩分依存に陥るからです。人類が高血圧になる理由と同じです。塩分依存とは塩味に依存してしまい、塩気がやめられなくなるのです。薄味だと満足出来なくなるのです。

赤ちゃんに濃い味付けの物を食べさせていると塩分依存に陥ることがあるのです。塩分依存に陥ると薄味では満足出来ないので、薄味の物を食べてくれなくなるのです。昔の人達は理屈はともかく経験的に赤ちゃんに濃い味付けを食べさせていると薄味を食べなくなることを知っていたようです。

塩分依存の考え方からすれば、依存に至らなければ濃い味付けを時折食べても問題はないのかも知れません。ただ繰り返していると塩分依存に陥るので連続で濃い味付けを食べさせるのは問題があると思います。赤ちゃんを塩分依存にさせないために濃い味付けを続けて食べさせない方がお得だと思います。

ちなみに大人でも濃い味付けを好むのは塩分依存に陥っているだけなのかも知れません。高血圧の人が塩分を制限すると良いことを知っていても、なかなか塩分を減らすことが出来ないのは塩分依存だからなのかも知れません。

塩分依存は糖質依存との共依存の可能性が高いので、まず糖質回避により糖質依存から抜け出すと塩分依存からも抜け出すことが出来ると思います。

気の回る人と気の回らない人の違い

世の中には気の回る人と気の回らない人がいます。一言で言えば考えているか考えていないかです。想像力を働かせることが出来るか出来ないかでもあります。

気の回る人

気の回る人とは、全ての説明を受ける前に相手の意図を読み取って行動を出来る人です。気の利く人と言われることもあります。一を聞いて十を知るという人のことです。

気の回る人はあらかじめ様々な事態を考えているのです。あらかじめ考えているので、すぐに行動することが出来るのです。

絶えずもしかしてと考える癖がついているのです。もしかしてと考えているので、相手の意図を素早く読み取ることが出来るのです。

気の回る人のもう一つの特徴は、相手のために何かをしてあげようと考えている人です。相手の意図に気がつき、そしてそのことに対して行動出来る人です。人に対して何かをしてあげようと考えていなければ、気の回る人とは言えないでしょう。

一般的に気の回る人は気を回そうと意識はしていません。何故なら意識するのもなく自然な振る舞いが周囲から気が回ると評価されるのです。気の回る人は絶えず様々なことを考えているので、気を回そうとわざわざ意識することがないのです。

気の回らない人

気の回らない人とは、相手の意図を読み解くことが出来ません。言外の意味に気付くことが出来ないのです。一から十まで説明しなければわかってもらえません。酷い場合には一、二、三ではわかってもらえず、1.1、1.2、1.3、1.4、1.5、1.6、1.7、1.8、1.9、2と詳しく説明しなければ理解出来ない人もいます。

気の回らない人は様々な事態を想定することがありません。想定外なので咄嗟に理解出来ないのです。

気の回らない人は物事の流れを理解することも苦手なので、次にするべきことを予測することも苦手です。普通の人がわかる物事の流れを理解しないので、気の回らない人だと認識されてしまいます。

人のために何か行動するという視点が欠落していることもあります。いつも誰かにお膳立てしてもらって行動することに慣れてしまったいると、自分で準備することが出来ません。ましてや他人の準備を手伝うことなど出来ないのです。

気の回らない人も悪気がある訳ではありません。わざとではないのです。気が回る、気が回らないという概念そのものが理解出来ないだけなのです。だから気の回らない人に気が回らないねと嫌味を言っても通じないのです。何故なら概念が無いからです。

気の回る人になるには?

人の行動を変えることは非常に困難ですが、もし変えることが出来るとすれば目的を伝えることだと私は思います。気が回ることの目的とは相手の行動を手助けすることです。

気の回る人は相手の行動を手助け出来る人のことで、相手の行動を予測して先回りして手伝うことです。そうすることで相手の負担を減らすことが出来ますし、時間も短縮することが出来るのです。

気が回る人になるためには、相手の求めているものをあらかじめ理解していなければいけません。相手の行動の予測が出来なければ、気が回る人にはなれないのです。

具体的には食事の際に人がキョロキョロしていれば、箸か調味料を探しているのでしょう。あるいは飲み物が無いか見回しているのかも知れません。食事の食べ始めであれば箸を探しているのでしょうし、食事を食べ始めた後であれば、調味料を探しているのでしょう。相手が何を求めているかを予測することが気が回るかどうかの分かれ目です。相手のために何が出来るかを絶えず考えるようにすると、気の回る人に近づくことが出来るかのではないかと思います。

血液製剤不正製造会社が事業譲渡を嫌がる理由

あくまでも私見です。私の頭で考えるとこのような見解に行き着いただけのことです。あくまでも一意見として読んでいただけると幸いです。

血液製剤不正製造会社とは40年も前から国の承認とは異なる方法で血液製剤を製造していた会社のことです。厚生労働相が組織の抜本的見直しを求めたため事業譲渡の方向で交渉していたそうです。しかしこの事業譲渡交渉が打ち切りになったそうです。血液製剤不正製造会社が事業譲渡に難色を示しているからだそうです。その理由を考えてみました。

不正を40年も続けた実績から組織内の自浄作用は全く期待出来ません。事業譲渡は当然の流れのように思います。燃費で不正を繰り返した企業は結局身売りしました。

血液製剤の製剤は国民にとってなくてはならない事業ですから、商売として考えた際に手放したくない魅力があるのでしょう。だから事業譲渡に難色を示すのは当然と言えば当然です。

しかし40年も前から不正を行っていた流れから考えると、組織の存続は常識的ではありません。にも関わらず難色を示すのは、事業譲渡により更なる不正が噴出することを避けたいのではないかと私は考えます。そのように考えると、此の期に及んで悪足掻きするのも頷けます。全てを明かす訳にはいかないので、隠せるだけ隠そうとしているのではないでしょうか?

厚生労働省も出来るだけ穏便にことを済ませようと考えて、現在のような対応をしているようです。常識が通じると期待しているのです。しかし40年も不正をしていた会社です。常識が通用しないと認識を改める必要があると私は思います。認可取消を宣言し、事業譲渡するなら存続を許すように設定しなおすのです。経営陣は今のまま存続出来ると考えているのです。事業譲渡が出来ない方が都合が良いので、難色を示しているのではないかと思います。騙して利益を得ていたことで詐欺罪の適応を検討すると、経営陣も考え方が一新されると思います。

利益を追い求める企業が問題を起こすのです。「利益は企業のためならず」のような考え方が広まることを心から祈っています。このように考えると不正を行う必要がありません。利益は追い求めるものではなく、企業が存続するための必要経費だからです。全ての企業がこのように考えると、理想の世の中が実現出来るのかもしれません。

怒る意味 怒る必要のない子育て

怒る必要のない子育てを提案しています。

今回は怒る意味を考えてみます。怒るのは感情なので仕方ないと考えている人も多いかもしれませんが、アドラーの心理学によると認知の仕方により同じ物事を喜びとして捉えることが出来るかもしれないのです。

例えばすれ違った女の人が自分の顔を見て笑ったように見えたとします。嘲笑われたと認知すれば、怒りを感じるでしょう。微笑んでくれたと認知すれば好意を持ってくれていると感じることが出来るでしょう。怒りの前に認知という作業があるので、アドラーは認知を修正することで怒る必要などないことを提唱しています。ちなみにアドラーはそのことに気付いたので、若い頃に怒るのをやめたそうです。

怒る意味。犬が吠えるのと変わらない

人は意識しているか無意識かは別にして、必ず目的を持って行動しています(目的論)。では人が怒る目的は何でしょうか?相手を支配することです。通常人が人を怒る場合、立場の強い者が立場の弱い者を怒ります。怒るのとでその立場の違いを明確にし、従わせることを目的に怒るに過ぎません。

相手の行動を変えるために怒ると誤解している人がいますが、怒れても人の行動は通常変わりません。何故なら怒られている人には、怒られている理由がよくわからないからです。

怒ることで伝わるのは不快な思いをしているということだけです。言い換えると犬が吠えているのと何ら変わりません。犬が吠えていれば怒っているのはわかります。しかし何を怒っているのか想像するしかありません。何故なら犬とは会話出来ないからです。怒っている人が犬が吠えるのと同じというのは、怒る理由を相手にわかるように説明しないからです。怒っていることしか伝わらず、何をどのように怒っているのかわからないのです。

 

怒るのは感情をぶつけているに過ぎないのです。感情をぶつけられても、他人には感情は理解出来ないのです。人が怒るのは、相手も共通の認識を持っているはずなのにその認識を持っていないからです。しかし多くの場合相手も共通の認識をしているはずだと誤解していることが原因です。相手も知っているはずだと思い込んでいるので、知らないことが想像出来ないのです。

認識の齟齬があるにも関わらず、共通の認識を前提に怒るのです。認識の齟齬をお互いで修正しなければ怒るのは犬が吠えているのと変わりません。認識の齟齬が修正されないのですから、同じことを繰り返すのは当然です。

怒らない対策

散々怒り散らされた後で、「わかった?」と聞かれて、「怒られている意味がわかりません」とは怖くて言えないでしょう。次は「わかったと言ったのにどうして出来ないの!」と責め立てる情景が目に浮かびます。片手に思い込んで何がわかったのか確認もせずに、「わかった?」と聞くのは客観的に見ればズレ漫才のように滑稽です。怒る目的が相手を支配することなので、「わかった」と言わせると満足出来るのです。相手の行動を変えることが目的であれば、何がわかったのか気になって仕方ないと私は思います。認識の齟齬が修正されたかどうか確認するために、「何がわかった?」と聞いてあげてください。

人を育てるのに怒る必要などありません。相手が知らなければ教えてあげれば良いだけです。いくら自分は常識だと思い込んでいても、相手が知らなければ仕方がありません。怒るのではなく、教えてあげれば良いだけです。もし相手が子供ならその常識を身につけさせてあげるべきなのは誰なのでしょうか?誰のせいで子供は常識を身につけていないのでしょうか?それなのに子供を怒るのは子供が二重の意味で可哀想だと私は思います。常識を身につけてくれない上に、更に怒られるのですから悲惨です。しかし子供が知らないことを親が認識出来ないのも仕方がありません。何故ならいつの間にか常識は身につけたので、自分は人に教えてもらったことを忘れたのです。常識は教えなくても自然に身につくと思い込んでいるのです。子供に常識などありません。親がその都度教えてあげなくては常識は生まれつき身についているなどあり得ないのです。何度言ってもなおらないと言う人もいますが、伝え方に問題があるに過ぎません。一方的に伝えたつもりになっているだけです。物事が伝わったかどうか確認しなければ伝わったかどうかわからないはずです。この文章を読まれた方の子育ての考え方が変わることを私は祈っています。

感情で人を動かそうとするのは幼稚です。何故なら言葉の通じない動物と変わらないからです。人は言葉という魔法を使うことが出来るのですから、言葉で認識の齟齬をなくしましょう。認識の齟齬が無くなれば怒る必要などありません。

あるカツラメーカー衰退に思う

インターネットを見ているとあるカツラメーカーの業績が悪化していることが掲載されていました。低価格のカツラが出現したことがその理由に挙げられていました。それもあるのかもしれませんが、主な原因は別のところにあると私は思います。

一言で言えば薬です。AGAに対してパラダイスシフトが起こっているのです。カツラで隠す時代から薬で治す時代になったのです。フィナステリドとデュタステリドの二つの薬によりカツラを使う人が減少しているだけだと私は思います。何故なら薬を使うとはいえ、自毛です。しかも病院によってかかる費用は異なりますが、カツラを使うことに比べると安価です。カツラと薬を比較すると一桁違うようです。薬の方が安くて自毛なので、わざわざカツラを試す人が減っているに過ぎません。

少し前までは恥ずかしくて人に相談できなかったかもしれませんが、今では手軽に情報が手に入ることもカツラより薬に流れる一因です。

私は従来のカツラ産業は早い段階で淘汰され、低価格のものだけがかろうじて生き残るだけだと思います。

何よりカツラは一度はじめるとやめることに勇気が必要です。一方薬はいつでもやめることが出来るのも始めやすさの違いとして、心理的なハードルを下げていると思います。

インターネットに掲載されたカツラメーカー衰退の解釈が間違っていると思ったので掲載してみました。もしこの事実にカツラメーカーの人達が気付いていなければ、淘汰は免れないでしょう。薬でカバーしきれない人を対象とするか、全く別の業種に進出するしかないのかもしれません。

患者さんが開業医より総合病院を選ぶ理由

患者さんの多くが総合病院の受診を好みます。何故なら開業医を受診しても、総合病院に紹介されることになると開業医の受診が無駄に思えるからです。また開業医はわざと治さず、治療を続けようとしているように思えるからです。

開業医と総合病院

開業医を受診しても総合病院に紹介されるのでは、最初から総合病院を受診する方が得だと考えるのは仕方なくことです。患者さんには開業医で済む病気か、総合病院で治療する病気か判断がつかないからです。だから患者さんが開業医から総合病院に紹介されるという無駄を省くために直接総合病院を受診するのは合理的な考え方でした。しかし患者さんが殺到した総合病院では診療がパンクしてしまいます。対策として開業医で済む病気は開業医で診療を行い、総合病院での治療の必要な患者さんだけを紹介する仕組みになりました。しかし直接総合病院を受診してもデメリットが大してないため、直接総合病院を受診することが続きました。そこで直接総合病院を受診する場合には診察料とは別に料金を徴収し、紹介してもらう方が金銭的にも得な仕組みを作ったのです。紹介してもらう方が患者さんが得する仕組みを作ることでようやく開業医と総合病院の役割分担が出来るようになりました。

開業医と勤務医

患者さんが総合病院を選ぶ傾向の理由の一つが商売の要素です。

開業医は基本的には医者が経営者なので患者さんに通院してもらえば通院してもらう程収入が増えます。つまり病気を治さない方が開業医自身が儲かるのです。そのため不届きな開業医は製薬会社と結託して患者さんに病気のままでいてもらうように仕向けます。このことを患者さんは無意識に感じ取り、総合病院の受診を求めるのかもしれません。患者さんの利害と儲けたい開業医の利害がズレているのです。

総合病院の勤務医は患者さんを多く診ても収入が増える訳ではありません。だから商売のためにわざわざ病気を治さないことがないだろうと類推出来るため、患者さんが総合病院を受診したがるのです。患者さんを治す方が勤務医にとって患者さんが減る分楽になるのです。患者さんの利害と勤務医の利害が一致するのです。

勤務医の中にも不勉強で病気を治そうとしない医者もいますが、一般的に開業医より少ないのは事実でしょう。

全ての開業医が儲けを追求している訳ではありませんが、一定割合でわざと治さない医者が潜んでいるようです。

医療制度の問題点

現在の医療制度の問題点を考えてみます。国民皆保険は国民全てが医療を受けることの出来る一面では素晴らしい制度です。しかし出来高制という点に大きな問題が潜んでいます。医者は通院回数が多ければ多い程儲かります。薬を処方して副作用が出れば、その対処薬も処方します。通院してもらえる限り、治さない方が儲かるのです。

国民皆保険では治療することに保険点数は支払われますが、治療しなくてよくなってしまえば保険点数は支払われません。つまり治してしまっては保険点数はつかないのです。本来なら治りにくい病気を治せば、ご褒美の保険点数があっても良いはずですが、そのような制度はありません(治った判定は難しく、治癒を保険点数化するのは現実には非常に困難です)。良心的な医者はそれでも病気を治しますが、儲けたい医者は治さず通院させ続けるのです。

例えば糖尿病や高脂血症の薬を処方すれば管理料という名の保険点数が支払われます。糖質回避により薬が要らなくなれば管理料がもらえなくなるのです。だから糖質をやめられては困ると考える医者がいるようです。

医療費の問題は出来高制で病気を治さない方が得な仕組みだからなのかもしれません。根本的な対策は今の私には思いつきませんが、一つの対策は患者さんが知恵をつけることです。糖質回避で治る病気は自分で治すこと、もしくは治してくれる医者を探すことの2つです。