今時わざわざ消毒する医者のブラックな目的

少し前まで傷口の消毒は常識でした。消毒の痛みを我慢することで早く治ると信じられていたのです。当時の私も信じて疑うことはありませんでした。しかし今となっては消毒は百害あって一利なしは多くの人達が知るところとなりました。消毒の害を発見された夏井先生の啓蒙活動のおかげだと思います(参考:さらば消毒とガーゼ 「うるおい治療」が傷を治す)。消毒するか消毒しないかを比較してみれば一目瞭然です。消毒をすればなかなか治らず、消毒をしなければ速やかに治ります。私の印象では約2倍早く治るイメージです。

消毒しない方が傷が早く治るのですから、消毒する理由などありません。その上消毒は痛いのですからわざわざ患者さんに痛い思いをさせてまで治りを遅くするのは誠実ではありません。

ただ単に消毒しない方が傷口の治りが早いことを知らないだけかもしれませんが、不勉強としか言いようがありません。

消毒のブラックな目的とは、儲けのためにわざと消毒しているのです。目的は治りを遅らせることです。わざわざ傷口の消毒を行う方が治りが悪いことを知った上で消毒しているのではないかということです。何故なら治りが悪い方が通院回数が多くなるため病院としては儲かるからです。水道水で洗い流すだけなら何度も通院する必要はないので、儲からないのです。消毒の害を知らなければ仕方がありませんが、害を知っていても自分の儲けのために消毒している医者がいるのではないかと思います。勤務医は収入に関係ないのでただの不勉強だと思いますが、開業医で消毒していれば儲けのためだと思います。

知らずに消毒しているだけなのか、わざわざ治さないために消毒しているのかはわかりません。問い質したところで白状しないでしょう。今時消毒する医者は、不勉強か儲け主義かのいずれかなのですから、近寄らないことをお勧めします。

治さない医者の方が儲かる仕組みに問題がありますが、患者さんが知恵をつけて儲け主義の医者を避けるしかありません。

子供が時間を守らない時は?

久しぶりに怒らない子育ての話です。
怒らないと言っても放置する訳ではありません。知恵を使うことで怒る必要がない子育て法の提案です。

子供が時間を守らないのは、時間を守る『意味』を知らないのです。そして時間を守らなくても子供が困らないから時間を守らないことを繰り返します。もしくは時間を守るための具体的な方法を知らないのです。

時間を守る『意味』

時間は人間だけが持つ概念です。時間とは人間が快適に生活するために編み出された概念です。人間社会において社会生活をするために期限を区切る目的で作り出されたのでしょう。

時間という決まりがなければ、みんなが好き勝手な時に行動をすることになります。みんながバラバラなタイミングで行動をするので、非常に非効率的です。人間同士の活動の効率を高めるために時間という概念によりタイミングを合わせて行動せるのです。

時間を守る『意味』とは、お互いのタイミングを合わせることです。タイミングを逃してしまうと、効率が悪くなるので全体的にみると損をするのです。だから損をしないために時間を守るのです。

困る仕組みを作る

時間を守らなくても困ることがなければ、誰も時間を守ろうとはしません。国によっては時間とは大雑把な目安に過ぎず、誰もが時間通りに行動することを期待していません。誰も困らなければ、時間を守る動機が無いのです。

子供でも大人でも時間を守らなくても困らなければ、いくら怒られたところで時間を守ろうとはしません。怒られた直後には怒られないために、何とか時間を守ろうとはしても長続きはしません。何故なら怒られないことが目的なので、怒られない時点で気が緩むからです。

時間を守らなけば本人が困る仕組みを作ると、自分自身が困らないために時間を守るようになります。

例えば出発時間に間に合わなければ置いていくのです。置いて行かれると、自分で辿り着くのは大変だと教えることです。自分で考えて電車やバスを乗り継いで行くように仕向けるのです。時間に遅れると、自分が考えて行動しなければいけないことを教えてあげると良いと思います。最初からいきなり置いて、先に目的地までいくのではなく、段階を追って教えてあげると良いと思います。

例えば先に出発して少し行った先で待っておいてあげるのです。置いて行かれることはないと安心し切っていると、なかなか行動しようとしません。そこで本当に置いて行かれることを理解させることです。そして自分で考えなければいけない分、大変だと教えてあげるのです。

そして何度か置いていっても時間通りに行動しようとしない場合、完全に置いていくことを警告しておくのです。いきなり置いていくと虐待と区別がつかなくなります。あくまでも時間通りに行動しなければいけないことを理解してもらうことが目的だから、段階を追って教えてあげるのです。

他に時間通りに行動しなければ損する仕組みとしては、時間に遅れた分遊びや楽しむ時間を削ることです。終了時間を先に設定して説明しておくのです。時間に遅れると、その分時間が減るので、時間を守る大切さを身をもって実感してもらうのです。

相手が困る仕組みのメリット

相手が困る仕組みを設定するメリットは、わざわざ怒る必要がないことです。相手が時間に遅れると、勝手に相手が困るのですから、怒る必要などありません。自分自身が時間を守らなければ損するのですから、次第に時間を守るようになるでしょう。

借金してまで生活する『意味』

借金して生活する『意味』を考えてみます。

本来なら借金は突発的に収入が減ることや突発的な支出に対して行うものです。日常の生活費が足らないために借金することは、いずれ破綻してしまいます。生活費が足らなくなるのは、収入に対して生活レベルが高過ぎるのです。お金を借りることが出来た時点で、お金が増えたと錯覚してしまうのです。利息を支払う分、明らかに負担が増えるのですが返済が長期に渡ると月々の返済が少なくなるので得した錯覚に陥ります。

日頃の生活費が足らない時点で、生活レベルを見直すべきです。貯蓄には無駄を省くより生活レベルを見直すことと同じ発想です。予想外のことが起こった際の借金は仕方ないかもしれませんが、借金をしなければ生活費が足らないのは生活レベルの設定ミスです。先日は高額所得者が経済的に困窮か破産する話を書きましたが、誰でも生活レベルの設定ミスにより経済的に破綻する可能性があるのです。「衝動買いの心理」により錯覚を起こし、どうしても欲しくなるのです。「衝動買いの心理」を我慢しなくて済む仕組みの一つが借金という仕組みです。通常人は手元にお金が無くなった時点でお金を使うことが出来なくなります。使うことの出来るお金に制限があるので、「衝動買いの心理」に打ち勝ち買い過ぎないように気をつけます。その当たり前の仕組みを借金がすり抜けてしまうのです。手持ちのお金という制限を取り払ってしまうので、歯止めがきかなくなり使い続けてしまうのです。生活レベルを見直さない限り、借金出来なくなるまで使い続けてしまうのです。

いわば借金への依存した状態に陥っています。客観的に見れば生活レベルの設定ミスが明らかですが、本人は借金が異常な状態だと気付くことが出来ないのです。気付いたとしても生活レベルを見直すという発想には思い至らないので破綻が避けられなくなってしまいます。

対策は少しでも早く生活レベルを見直すことです。現時点で贅沢している訳ではないので、1人で見直すことは無理です。そもそも当たり前だと考えている生活レベルの設定ミスだからです。誰かに生活レベルの設定方法を改めて相談するしかありません。

大きな借金

大きな借金が今回の本題です。大きな借金とは国の借金です。上記の借金の主を国に置き換えてみてください。毎年国債により借金し予算を組んでいる状態です。客観的にみれば生活レベルが高過ぎるのです。借金の分無理をしている状態です。先程の話同様自ら正すことは出来ません。借金で生活するのが当たり前で、贅沢している自覚がないからです。

このままでは借金出来なくなるまで使い続けてしまうでしょう。税収が増え借金をかえすことが出来る奇跡が起こるか、大混乱しない程度の国の破綻の仕方を祈るばかりです。それとも財政を立て直すことの出来る魔法のような知恵を持つ政治家が現れ、生活レベルの見直しをしてくれることを祈ります。

残業代が長時間労働を生む

残業代が長時間労働を生むきっかけになっているという話です。

残業代が長時間労働を生み出す

残業代は割り増しになるので、労働者にとってお得です。残業代目当てにわざとゆっくり仕事をする労働者も大勢いることでしょう。今の所上司が仕事振りを見極めるしかありません。上司の目が節穴なら残業代は貰い放題でしょう。残業代目当てにわざとゆっくり仕事をすることに対して悪気はありません。わざとゆっくり仕事をしている自覚すらない人も大勢います。他人から見ると今する必要のないことをわざわざして仕事をしている振りをしています。人は無意識のうちに損得で動いているという損得主義の考え方からすれば、ゆっくり仕事をすればする程残業代が増えるのですから、労働者が得をするための当たり前の行動です。

仕事の能率に関わらず残業代が支払われる仕組みに問題があります。

サービス残業が更に長時間労働を生み出す

もっと長時間労働を生み出すのは、サービス残業です。いくら仕事をさせてもコストが増えないのですから、労働者にどの仕事をさせるかさせないかの吟味がないまま全ての仕事をさせるようになります。この仕組みが労働生産性を引き下げ、長時間労働を強いることにつながります。

労働者の仕事の量がどれだけ増えても経営者が困らない仕組みに問題があります。

長時間労働の対策

まず大前提として、仕事を無尽蔵に増やさないために残業代は支払うべきです。残業代を支払わない時点で、仕事を取捨選択する動機がなくなるからです。不必要でもコストがかからなければ、念のためやっておくことになるからです。不必要な無駄なことを念のためにすることを避けるために、適切な残業代を支払い仕事をするべきです。

しかしいくら取捨選択して仕事を吟味しても、無尽蔵に残業代を支払うのではわざとゆっくり仕事をする輩を排除出来ません。そこで一つの対策は定時の時点で仕事の終わった人に、定時で仕事が終わっていない人の仕事を割り振るのです。そもそも定時に仕事が終わらない人は能率が悪い可能性があるので、能率の悪い人に割り増しの残業代を支払うのは経済的ではないからです。ゆっくりしても定時で人に引き継ぐことになるため、自分は得にはなりません。

結果として残業代を受け取る人は仕事の能率が良いことがわかりますし、定時で帰る人は能率が悪いことがわかります。

万が一リストラとなった場合、客観的にみて定時に仕事が終わらず他人に後始末してもらうことが続く人が一番の候補になるでしょう。異動の際も他の部署でなら効率良く働くことが出来るかもしれないので、早目に候補に上がるでしょう。

わざとゆっくり仕事をする人と、目一杯仕事をする人との区別出来る効果的な方法だと私は思います。

定時の時点で残りの仕事を引き継ぐことが出来ないと言い出す人がいますが、終わった仕事と残りの仕事を明確に区別出来ないだけです。

このような仕組みにすると面倒なことは他人に任せようとする人も出てきますが、そのような人は仕事に向いていないのでいずれ職場から消える運命でしょう。残業出来る人と、人に残業させる人という具合に仕事振りが区別出来るようになるのがわかりやすい会社だと私は思います。

もし万が一みんなの仕事が定時に終わらないのであれば、そもそも労働者の数き対して仕事の量が多過ぎるのではないかと思います。本当に必要な仕事かどうか、念のための無駄な仕事が含まれていないか考えるべきだと私は思います。

マンションに児童相談所を作る問題について

ある都市でマンションに児童相談所が入ることが計画され問題になっているようです。構造上は同じ建物ではあるが、入り口は別なので別の施設という言い訳をしているようです。

住人の方は不安を口にされていますが、不安は反対するための言い訳に過ぎません。ただマンションに児童相談所が入るのは初めてのことなので何が起こり得るのか予測出来ないので不安に感じるのも仕方ないことです。不安を理由にしても行政側は相手にしてはくれないでしょう。

そこで私が住人ならどうするかを考えてみました。前もって起こり得ることを住人側が最悪のことも含めて想定し話し合うことです。行政側がそんなことは起こり得ないといえば、万が一起こった場合に備えて公正証書を作成してもらうのです。最悪の場合は我慢出来ず転居せざるを得ないことでしょう。そうなればマンションの購入費用、転居費用、慰謝料を前もって試算し公正証書にしておくのです。行政側が本当に起こり得ないと考えていれば高額な慰謝料をあらかじめ設定してくれるでしょうし、実は起こるかもしれないと考えていれば出来るだけ慰謝料は少なめに設定しようとするはずです。その時点でどのように想定しているかが透けて見えてきます。

行政側の良くいう問題ないから大丈夫に対抗して、問題ないなら口だけではなく公正証書で前もって保障を確定しておいてください。と切り返すのです。このままでは計画を止めることは困難でしょう。もし賠償額が最悪の場合何億円にもなるとわかれば、議員達も立ち止まって考えるでしょう。

最悪の場合はこのように保障させていただきますので、見守ってくださいといずれにしても損得のない状態にするしか円満な解決策はないと私は思います。

私は児童相談所は必要だと思いますし、大変なお仕事をされていると思います。しかし街中のマンションにわざわざ入所する合理的な理由があるとはそれ程思えません。更に移転を決めてから、移転するために理屈を後付けしているようにしか思えません。その証拠に既に予算がついているそうです。

空いているから手っ取り早く使ってしまおう。万が一後で問題になれば、誰か他の人間が後始末するだろうという思惑が透けて見えてきます。その後で問題になる前に、今公正証書で保障してもらうのが一案だと私は思いますがいかがでしょうか?

誰にも未来は予測出来ないのですが、人間の知恵によりどのようになっても困らないように前もって保障の仕組みを作るのが公平な考え方だと私は思います。

授業中につい話してしまう人の心理

授業中につい話してしまう人の心理を考えてみます。多くの人は授業中に話すことは良くないことだとは理解しています。理解してはいますが、つい話してしまうのです。

授業中に話をするのは生徒だけとは限りません。授業参観に来た父兄も同じです。授業を見に来たはずの父兄が授業そっちのけで話をするのを見ると日本の将来は不安になります。何故なら親に常識がないのですから子供に常識が身につく訳がないからです。

授業中に話をしてはいけないと知らない人

授業中に話をしてはいけないことを知らない人も中にはいます。人に迷惑をかける行動をとってはいけないという人間社会における基本的な常識が欠落している人がいるのです。授業中に話をすることで、その話し声により授業が聞こえなくなる人達に迷惑がかかることが想像出来ないのです。

授業中に話をしてはいけないことを知らないのですから怒っても仕方ありません。話をしてはいけないことを教えてあげましょう。効果的な対策は話す相手を引き離すことです。何故なら話すためにはお互い相手が必要だからです。

自分だけは許されると錯覚する人

授業中に話をしてはいけないけど、自分だけは特別な存在だから許されると錯覚している人がいます。話をしても誰からも注意されないから許されていると誤解している人もいます。あらかじめ注意されないように気をつける発想はなく、注意されるまでは許されたと考える人がいるのです。

怒られるから行動する人や行動しないようにするという発想の人に多い考え方なのかもしれません。

授業中つい話してしまう人の心理

授業中話をしてはいけないことを知ってはいますがつい話してしまう人もいます。その根底には「衝動買いの心理」が潜んでいます。何か物が欲しくなった状態を我慢出来なくなってつい買ってしまうのが「衝動買いの心理」です。この場合、話をしたくなって我慢出来なくなってしまうのです。今話したい話題を忘れないうちに人に話したいのです。そもそも時間が経つと忘れてしまうような内容に、わざわざ授業中にどうしても話さなければいけない意味はありません。

しかし「衝動買いの心理」の仕組みにより、今どうしても話したいというよりも、今話さなければいけないと錯覚してしまうのです。どうしても今話さなければいけないと思い込んだ時点で話しはじめてしまうのです。

自分が授業中に話をしたくなってしまった場合、「衝動買いの心理」の対策と同じで10分で話したくなくなります。10分我慢すれば良いのですが、10分我慢することだけ考えると大変です。他のことを考えるのです。どうしても話したければ、後で思い出せるようにキーワードをメモするようにしましょう。

授業中に話をしてしまう人

「衝動買いの心理」に振り回されてしまう傾向があるので、物事を論理的に考えるのは苦手な傾向があると思います。物事を論理的に考える癖をつけて、「衝動買いの心理」に振り回されないようにする方がお得です。

 

高額所得者が経済的に困窮し破産する理由

誰もが羨む高額所得者がその後経済的に困窮し破産してしまうこともあるようです。その理由を考えてみます。

この記事を書くきっかけは、偶然ネットニュースでアメリカのある有名俳優さんが経済的に困窮している記事をみかけたことでした。一時は資産125億ともいわれ、出演のギャラは1話につき180万ドル(約1億8000万円)だったそうです。一般庶民からすれば夢のような資産・収入ですが、現在仕事はなく両親の家に住んでいるそうです。

この俳優さんに限らず、高額所得者が経済的に困窮し破産することがあるのは何故でしょうか?。それは同じ状態が永遠に続くと錯覚することと、お金を使うことに依存してしまうことが原因です。

永遠に続く錯覚

多くの人は経済状態が今より悪くなることはなかなか想像出来ません。今と同じか、むしろ今より良くなると思いこんでしまいます。

特に俳優さんなどの人気商売だと一気に売れるので、この錯覚に陥りやすいようです。右肩上がりにずっと売れ続けると思い込んでしまうのです。

芸人さんで一気に売れてしまった人も同じような心理に陥ります。頭では一発屋で終わるかもしれないと思っていても、一昨日より昨日、昨日より今日の方が人気が出ていると永遠に続くと錯覚してしまうのです。

宝くじに当たった人も稀にこの錯覚に陥ると、その後経済的に困窮してしまうことがあるようです。冷静に考えれば宝くじに2度当たることは無いのですが、同じことが起こると錯覚してしまうのです。

永遠に続くと錯覚してしまうと、お金を使っても減らないと錯覚してしまいます。ここに落とし穴が潜んでいるのです。

お金を使うことに依存

突然大金を手にすると舞い上がってしまってお金を使うことに依存してしまう人がいます。買い物に依存したり、高い飲食や宿泊にお金を使うようになってしまいます。お金を使う依存は自分で歯止めをかけることが出来なくなるのです。

衝動買いの心理」により、衝動的にお金を使ってしまいます。お金を使うこと自体に満足するのです。お金を使うことに対する依存が厄介なのは、同じことをしても満足出来なくなることです。お金を使う刺激に慣れてしまうのでお金の使い方がエスカレートしてしまいます。初めての高い買い物や飲食を経験すると満足するものの、物事に飽きてしまう心理により同じ物や飲食では満足出来なくなってしまいます。初めての時にはワクワクしても、同じ経験ではワクワクしなくなるのです。ワクワクするためにより高い買い物や飲食を求めるようになるのです。

お金を使うことに依存してしまうと、お金を使うことが止まらなくなります。借金してまでお金を使うようになると末期症状です。お金がいつまでも入ってくる錯覚に陥っていると借金しても支払えると思い込んでしまうのです。収入が確実に増えるのであれば借金しても問題ないかもしれませんが、借金の時点で収入のピークだと経済的に困窮してしまうのです。

高額所得者が経済的に困窮してしまう理由は、お金を使うことに舞い上がり、いつまでも続くと錯覚することによって起こります。

高額所得者でなくても、お金を使うことに舞い上がってしまえば、実は誰にでも起こり得ることです。注意しましょう。

論理的思考の得手不得手の指標

論理的思考の得手不得手はある程度遺伝による影響を受けるそうです。
その論理的思考の得手不得手を見極める簡単な指標があるので考えてみたいと思います。

論理的思考の得手不得手の指標の一つはタバコを吸うか吸わないかです。タバコは百害あって一利なしの嗜好品です。吸う人自身の健康被害はもちろんですが、副流煙として吐き出される煙は迷惑以外の何物でもありません。

タバコをやめるやめないが論理的思考の得手不得手の一つの指標です。やめられないからと言って必ずしも論理的思考が出来ないという訳ではありません。タバコがやめられないのはニコチン依存という病気だからです。

少なくともタバコをやめることが出来た人は論理的思考が得意な人だと思います。ニコチンに対する依存度が低く、やめることが出来ただけかもしれません。タバコのことをよく知らないうちに興味本位で吸い始めやめられないのは良く聞く話です。タバコを吸うか吸わないかを論理的に深く考える前に吸い始めてしまった人達です。改めて論理的に思考し、タバコはやめる方が得だと考えてやめることが出来たのです。

最も論理的思考の得意な人はタバコを吸ってみるかどうか、吸う前に考えます。病気になるとわかっていても、なかなかやめられない人達のことを知った上でタバコを吸うかどうか論理的に考えるのです。一時の快楽のために一生吸い続ける罠にかかるのはもったいないと考えるのです。

一概にはいえませんが、論理的思考が得意かどうかの一つの指標になりそうです。タバコを吸っている人に理屈で納得してもらうのは難しいかもしれないことを知っておくと良いと思います。

少なくとも理屈で何が何でも行動を変えるという強い意思はないのかもしれません。

グレる(非行に走る)子供の心理

グレる(非行に走る)子供の心理を考えてみたいと思います。あくまでも私がスーパー心理学として考えたことなので、本当に当てはまるかどうかはグレる子供を見て判断してみてください。今でも世間一般でグレるという言葉を使うのかわかりませんが、グレるとは人とは違う悪い行動をすることです。

人の行動には必ず目的があります(目的論)。目的を自覚出来ていない場合もありますが、必ず目的があるのです。子供がグレるのも目的があります。優秀な子供がグレることは通常ありません。何故なら優秀な子供にはグレる目的がないからです。優秀であればわざわざグレなくても賞賛されるからです。人は誰でも周囲の人から認められたい、受け入れて欲しいという欲求を持っています。優秀な子供は周囲から認められるので、その欲求が満たされているのです。グレる子供は称賛されることは難しいため、認められるための別の手段を考えるのです。つまりグレる子供の目的は相手にして欲しいのです。相手にして欲しい自分を認めて欲しいのです。グレる子供に寂しい思いをしている子供が多いのはそのためです。勉強やスポーツで称賛を得ることが難しいことを悟った子供が、認めてもらうためにグレるのです。無視される、相手にされないよりは怒られる方が認められる欲求が満たされるのです。しかしその結果得られるものは当然称賛ではありません。負の称賛とでも言うべき非難の意味を持つ感情で認められるのですが、グレる子供にとっては無関心よりましなのです。存在を認められているからです。通常の人の視点ではこのことが理解出来ないので、何故グレるのか理解出来ずどう対処して良いか分からないのです。褒められることが出来ないから非難されることをするという、普通の大人には理解出来ないため、混乱してしまうのです。

グレる子供本人も言葉に出来る程深く考えて行動している訳ではないでしょう。相手にして欲しいからグレるとは口に出来ないでしょう。

グレる子供によっては周囲が自分のことを理解してくれないことを理由に上げることがありますが、言い訳に過ぎません。相手にして欲しいことを口に出せないので、探し出した言い訳に過ぎないのです。

一部では非常識なグレる行動を称賛するような仲間を見つけ、その称賛を得るために行動がエスカレートする場合もあります。寂しい者同士が慰め合うような心境なのでしょう。

周囲の無関心が嫌なのでグレる行動を取るのです。例え怒られるとしても相手にして欲しいのです。そのため怒るのは逆効果です。何故なら怒られるのは相手をしてもらっているからです。褒められるという本来望む形での相手ではありませんが、次善の策として怒られる方が無関心よりましなのです。つまり怒られると成功体験として記憶され、相手にして欲しい度に繰り返してしまうのです。

対策は怒るのではなく、どのように相手にして欲しいのか本人に聞くことです。同じことを繰り返したら、相手にしないことを伝えることです。グレる行動をするとグレた子供が困ることを考えて防ぐことです。

広島に所縁のない人達がカープファンになる理由

プロ野球にはいくつものチームがあります。多くの人は地元など何らかの所縁のあるプロ野球チームを応援します。しかし広島カープは広島との所縁のない人達が応援しています。その理由を考えてみます。

一言で言えばカープの選手の銭金ではない心意気に共感するのだと思います。札束で選手を買い漁る球団がある一方、銭金ではなくカープでプレー出来ることに誇りを持って帰ってくる選手に共感するのだと思います。世の中お金だけが全てではないということをカープの選手が、身をもって証明してくれるのでファンになるのだと私は思います。

その集大成がリーグ優勝です。とにかくお金をかけて選手を集める球団と対照的に、お金のことは二の次で集まる心意気に惚れるのだと思います。

お金を尺度にして物事を考えることしか出来ない人には到底理解出来ない魅力を秘めているのがカープという球団です。世の中お金だけが全てではないことを証明してくれたので、涙を流して我がことのように喜ぶのです。

お金は大切です。しかしそれだけではないとも思っています。しかしお金の威力と魅力を前にすると多くの人が屈してしまうのです。お金の対極にあるものの象徴、アンチテーゼがカープという球団なのではないでしょうか?

資本主義は良くも悪くもお金を中心に物事が動きます。資本主義の世の中ですからお金をかけて球団を強くするのは自然な流れです。上手な選手に高いお金を投資をし、球団を勝ちに導くのは資本主義では悪いことではありません。しかしお金が全てという考え方に何か釈然としないモヤモヤした気にさせる部分があるのも確かです。そのモヤモヤをスッキリさせてくれるのが、お金ではなく思いで動くカープの選手達です。

お金をかけて勝つのは当たり前です。お金をかけられないのに勝つところにカープに魅力を感じるのだと思います。日本人特有の判官贔屓も根底にはあるのかもしれません。

広島に所縁のないカープファンの人に直接聞いた訳ではありませんが、少なくとも私はこのように想像しています。