怒らない子育てと怒る必要の無い子育て

怒らない子育てと怒る必要の無い子育て

全く概念が異なります。

怒らない子育ては育児放棄一歩手前の可能性すらあります。怒る必要がない子育ては子育てをきちんとした上で、怒る必要がないのです。見分け方は怒らないだけできちんと子供を正しい方向に導くか、放置するかです。きちんと子供を正しい方向に導くのは非常に立派な子育て方法です。放置するのは育児放棄をしているだけです。子供のことは子供に任せているとして、半育児放棄をしていながら怒らない方針だからと自分を正当化しているのです。

怒らないのは誰のため?

誰のためか怒らない目的を考えると更に良くわかります。怒らないだけできちんと子供を正しい方向に導くのは、子供のために怒らずに必要なことを伝えることが目的です。子供のためです。

一方ただ怒らない子育ては、子供には善悪の区別や常識がなかなか身に付かず、子供自身は苦労することになります。親が怒らない代わりに何も教えてくれないことが多いのです。自己責任として自分で考えることを促されるようです。では目的は何でしょうか?目的は親が責任逃れして楽をすることではないでしょうか?つまり親のために怒らないのです。

子供のために怒らない工夫を

子供のために怒らない工夫をすることです。決して怒る必要はありませんが、良い方向に導くことは必要です。怒る、叱るではなく諭すのが一番です。

良かったら『諭す』を考えてみて下さい。

遊びの本来の目的と意味

遊びの本来の目的と意味を考えてみました。

動物の子供でも見られる遊びには生きていく上で得をする仕組みがあるようです。生存競争の厳しい自然界の中で、無駄なことにエネルギーを費やす余裕は無いはずです。つまり、何らかのメリットがあるから遊ぶのだと思います。

身体を使う遊びの目的

遊びの目的は身体の動かし方を楽しみながら学び・習得することです。そのため身体の動かし方に慣れていない子供は遊ぶことに夢中になりますが、大人になるにつれて身体の動かし方を習得してしまうと身体を動かすことに喜びを感じにくくなります。大人はスポーツをすることがあっても遊びをしなくなるのは、身体を動かすこと自体に楽しみを感じにくくなるからです。

遊びの中で楽しみながら競い合うことで、最大限力を発揮することに喜びを感じます。勝つことで楽しみを感じ、負けることで悔しさを味わい、遊び方の更なる工夫をするようになります。無意識のうちに、身体の動かし方を工夫して楽しく感じるのです。

頭を使う遊びの目的

トランプやオセロや将棋など頭を使う遊びの目的は何でしょうか?

特に楽しく感じるのは生きていく上で得をする仕組みが備わっているからだと思います。頭を使う遊びの目的を考えてみました。

頭を使う遊びの中に組み込まれている脳が楽しく感じる仕組みに目的がありそうです。

頭を使う遊びに求められるのは記憶力、論理的思考能力、確率に関する思考能力、瞬時の判断力、先を見通す力などです。

これらは生きていく上で重要な役割をする能力のため、習得できると生存競争に有利になるので楽しく感じるのです。満足するほど習得すれば飽きることで遊びを終了します。

飽きる理由

大人でも子供でも同じことをしていると飽きるという現象がみられます。最初は楽しく感じたことも、既に知っている記憶の分楽しみを差し引いていく脳の仕組みが備わっています。感じる楽しみが記憶により差し引かれるため、繰り返し経験することで期待した楽しさが得られなくなってしまいます。これが飽きるという状態です。

刺激を受け切った。飽きる程経験した。飽きる程習得したとも言い換えることが出来ます。

一つのことをやり過ぎてしまうと他のことを経験する機会を奪ってしまうので、飽きることでやり過ぎを防ぐ仕組みが備わっています。

一度飽きたことでもまた経験したくなるのは、経験した記憶が薄れるからです。

ゲームの問題点

ゲームは娯楽・楽しみ・生き甲斐を感じること・時間潰しなどに役立つのは確かです。ただゲームには一つ問題点があります。

ゲームの目的が継続させ、病みつきにさせることだからです。

遊び本来の目的は何らかの能力の習得でした。習得すれば飽きることで遊びを終わる仕組みが備わっているのです。ゲームは遊び続けてもらうことが目的のため、飽きることを避ける仕組みを仕掛けています。そして一度はまると抜け出せないアリ地獄のような、魅力が続けるように仕向けます。やり過ぎを防ぐ飽きる仕組みを意図的に回避するように設計してあることこそが問題です。

自己制御出来なくなるのは依存のメカニズムに良く似ています。

ゲームで得るものは、ゲームが上手になることだけです。(それ自体が楽しいのですが)そして失うのはゲームを買うお金と、ゲームをしている間に他のことが経験できないという貴重な時間です。(無料ゲームの意味)

安いから買うという勘違い

安いから買う人がいます。偉そうに書いていますが、私もその一人でした。何故そのように考えてしまったか今ならわかるので書いてみます。理屈は衝動買いの心理と同じです。

本来買い物は必要だから相応なお金を払って買うものです。

買い物の判断は必要か必要ではないかが基準のはずですが、バーゲンで安くなるとある錯覚が起こります。

ある錯覚とは安いか安くないか。損か得かが判断基準になってしまいます。必要なものが安くなっているならお得ですが、必要かどうかはあまり問題とせず安いから買わないと損をしてしまうという錯覚が起きています。本来必要ないものが安くなっても得もしませんし、ましてや買わないからといって損もしません。しかし元の値段が基準になってしまい、安く買わないと損だという錯覚に陥るのです。

バーゲンはその錯覚を利用した販売方法です。

何も違法なことをしている訳ではありませんが、別の角度から考えてみます。バーゲン価格が本来の値段で正規価格として高い値段での販売は利益を上乗せしていただけのことです。バーゲンがお得なのではなく、正規が損なのかもしれません。

つい陥ってしまう安いから買う。これは理性と衝動のせめぎ合いの良い例だと思います。安いから欲しいという衝動と必要なものかどうかを見極める理性とのせめぎ合いです。

実際には正規価格と安くなった価格でお得、今買わないとなくなるという焦りが判断を狂わせます。

10分間待って、本当に必要かどうかを考えてみましょう。

理性と衝動のせめぎ合い

人には理性と衝動の両方が備わっています。理性は人間的で衝動は動物的と言えるかもしれません。人が短時間で心変わりする理由は衝動で決めたことが、理性で冷静に振り返ると判断が間違いだったと気付くことに由来するようです。

理性

理性とは物事を論理的に考え損か得かで判断することです。いくらやりたいことや欲しいものであっても、法律上の問題や誰かが嫌な思いをするなどの倫理的な問題などを考えて踏み止まることが出来るのは理性のおかげです。やりたいことである衝動を抑えるブレーキのようなものといえるかも知れません。
冷静に後あとのことまで考えて損か得かを判断できるのは理性のおかげです。
この理性のおかげで人類は発展することができました。

また理性が働くので人はお互い嫌な思いをすることなく生活することができます。
人間が多くの人と社会生活を送ることができるのも理性のおかげなのでです。

衝動

衝動とは人を突き動かす様々な欲求の源です。人はこの衝動がなければ何も行動をしたいとは思いません。事実欲求を生み出す脳の部位を損傷してしまうと、無気力になってしまうそうです。衝動はやる気や欲求を起こすアクセルのようなものです。
今では衝動が様々な欲求を生み出してしまうので理性で抑えるのが大変で厄介者のような印象ですが、この衝動のおかげで太古の昔の食糧難の時代を乗り切ることができたのです。

衝動買いの心理

衝動には実は問題があります。脳が自分自身を騙すようにドーパミンを大量に放出するため欲求を増大させてしまうのです。本来のやりたさよりも遥かに大きな欲求として脳が感じてしまうのです。太古の昔にはこの欲求の増大が生き残りには大変役に立ちました。食べ物を見つけたものの手に入れるには危険を伴います。その危険と食べ物の手に入れたさを比べるのが理性です。この理性だけだと安全を優先して食べ物を手に入れることができません。食料の確保が難しい時代にはこれでは飢え死にしてしまいます。そこで脳は自分自身を騙す方法を手に入れたのです。食べ物を実際より以上に魅力的に見せるのです。理性で考えるとやめておくことでも、脳が自分自身を騙すことで衝動を生み出し、理性に打ち勝ち食べ物を手に入れる行動に仕向けるのです。
太古の昔には食料を手に入れるために必要な脳の能力でしたが、その名残として残っているのが衝動買いの心理状態です。

人間には理性が備わったのでなかなか行動しないため、一度欲しいものがあるこ衝動のスイッチを入れて何とかして手に入れたほうが生存競争に有利だった名残が、衝動買いの心理として残っているのです。
衝動買いをする人は何度でも衝動買いを行いますし、理性的な人は衝動買いをほとんどすることがありません。

依存の心理

様々なことで喜びを得ることができるように脳は設計されています。
その喜びを何度も繰り返し得ようとすると危険信号です。
喜びに慣れてしまって、欲求が増大するようになると依存状態になっているのかもしれません。
衝動買いの心理を繰り返して、欲求が増大するのが依存と言い換えても良いのかもしれません。

食糧難の時代には役立った衝動も、魅力にあふれる現代では抑えるのが大変です。
理性を身に着け上手に衝動と付き合うことが大切なようです。

人が短時間で心変わりする理由

人が短時間で心変わりするには理由があります。

判断する際に良く考えたつもりでも、少し時間を置いて考えると熱が冷めたような印象になることが良くあります。

脳の科学から考えると仕方がないことのようです。

脳はやりたいとか欲しいという欲求はドーパミンを元に作り出されます。このドーパミンという物質が厄介で、どうしても欲しい・やりたいと必要以上に錯覚させる働きがあります。通常よりも多量に分泌されることで手に入れなくてはいけない、やらない訳にはいかないという気持ちにさせてしまいます。良く言えば悩んでいる背中を押してくれるような印象ですが、実は冷静な判断力を奪っているのです。

本来欲しいとかやりたい欲求と、過剰なドーパミンによる欲求が乖離してしまいます。その結果やることになったとしても後で冷静に考えると後悔することに繋がるのです。

実は衝動買いはこのような理由で起こります。ドーパミンの作り出した幻の魅力で買うことに決めたものの、本来の魅力とのギャップで後で後悔することに繋がるのです。

衝動買いした後で後悔するのと同じようなもので、ドーパミンによる錯覚がなくなることで心変わりをしてしまうのです。実際には心変わりする訳ではなく、本来の選択をするだけなのかも知れません。

人が短時間で心変わりする対策

ドーパミンの作り出した幻、ドーパミンの錯覚は10分程度だそうです。15分してから確認すると決心は本物かも知れません。

相手が知らないだけなのに怒っていませんか?

何事においても相手が知らないことは良くあることです。ただ知らないだけなのに怒っていませんか?

日常大人同士でも良くありますが、子育てにおいても良くあることです。

相手が知らないだけなのに、烈火のごとく怒ってしまうことです。相手が知らないことを責めても何も生み出しません。

知らないことを怒られても怒られた方としては、知らなかっただけじゃないかと反発するだけです。

知らないことで最悪どれだけのことが起こるかを説明することです。そして何故本来は知っておくべきだったのかを理解させるべきです。知らないことを責めても仕方がありません。怒る側も、事前に知らないことを確認する作業を怠った落ち度があるのです。

怒る側は落ち度なんてない、全て相手の責任だと思い込んで怒ることが出来るのです。しかし相手が知っているかどうか知っている側から確認するという視点で考えると確認を怠ったという落ち度ともいえると思います。

子供が知らないのは誰のせい?

子供が知らないのは誰のせいかを考えれば、間違いなく親の責任です。親の責任を棚に上げて子供を怒るのは二重の意味で子供が可哀想です。教えてもらえない上に怒られる。

知らないことで怒っても仕方が無いです。知る目的、知らないとどのような不都合なことが起こるかを教えてあげましょう。

議論が噛み合わない理由

人と話をしていて、議論が噛み合わないことは良くあります。
人によっては都合の悪いことを避けて、ワザとズラして話をする人もいるのが厄介なところです。最悪なのは本人が都合の悪いことを避けて話をしている自覚がない人です。論点がズラていることを指摘しても、論点のズレが認識できないので議論が噛み合いません。アナログ思考の人とデジタル思考の人との会話で、相手がアナログ思考タイプの人に良くこのような事態に陥ります。アナログ思考タイプの人は本人の頭の中で2つの事柄の境界がはっきりせず不明瞭なため、人に違いを指摘されても理解出来ないようです。

別の観点から議論が噛み合わない場合を考えてみます。
根拠の無いことを信じて議論しようとする人がいます。
真実を元に話をしている人にとっては言い掛かり以外の何者でもありませんが、世の中には自分の信じていることは全て正しいと疑わない人がいるようです。
お互い時間の無駄になるので、議論は終わりにしましょう。そもそも議論が成り立っていません。片方は真実で、片方は勝手に思い込んでいることなのですから。

例えば2型糖尿病において、炭水化物・糖質が原因であるという事実についてです。

論理的にも患者さんの協力により明らかになった事実(糖質回避でHbA1c12.5→6.1)としても糖質が原因であることは明らかです。

受け入れるか受け入れないか、信じるか信じないかは各個人の問題です。そして各個人がどのように思うかは関係ありません。思いを裏付けるものを提示して初めて議論が成立するのです。裏付けのない思い・感想を議論と勘違いするのは時間の無駄です。

知らないことを知りたいのであれば、自分で情報を集めるべきです。思い込みを正しい知識にするのは自分自身の責任です。それを人の責任のように錯覚するから噛み合わない擬似議論でお互い疲れてしまうのです。

信じられないからと言って新しい論理・理屈を攻撃するのは、かつてガリレオが裁判にかけられたのと変わりありません。野蛮な行いです。

真実を受け入れられない人を説得するような無駄なことを私はしません。だから糖質回避教、信じるものは救われる論理的宗教の考え方が適切だと思います。

議論が噛み合わない人とは議論しない

私の出した結論です。

議論が噛み合わない人とは持っている情報が違い過ぎるのです。相手にはわからないので、議論しなくて済む方法を考えること。私の行き着いた先は論理的宗教・糖質回避教でした。これなら論理を理解できた人とだけ会話すれば良いので議論にならずにすみますから。

もしかしたら自分の方が情報が少なすぎるかもしれないという客観的観点は必要だとは思います。

相手が自分で情報を集めて理解できるまで、待ちましょう。

天動説を信じて疑わない人に地動説を説明しても平行線です。真実は一つです。

人が笑う理由 お笑いの心理学

人が笑う理由を考えてみました。

楽しければ笑う・面白ければ笑うのは当然ですが、中には意図的に笑いを作り出せる人達がいます。お笑いを仕事にしている人達です。何故笑いを意図的に作り出せるのか考えてみました。

そもそも人が笑うのはどんな時か考えると、予想された期待を裏切られた時です。こうなると思っていたのに、ならなかった。それが考え付く範囲内なら呆れて終わりですが、考え付く範囲内を超えると驚いて笑いに繋がります。

例えば

1→2→

とくれば3が期待されます。少しズラして4・5が来るかもしれないと期待されます。もしかしたら8かも知れないと身構える人もいるかも知れません(2の0乗、2の1乗、8なら2の3乗)。それをあえて期待を全く裏切る10とか100とするのです。で、何でやねん!として笑いにするのです。

もっと笑いを取るお笑いの方は

1→2→

の数字が来ているのに、cとかgとかのアルファベットや、SUNとかの音だけ同じで英語だったり。

1→2→

次は?

太陽でしょ?

何でやねん!

SUNだから

とかです。

一発屋と売れっ子の違い

期待したり予想しているのを上手にズラすと笑いに繋がります。お笑い芸人さん達で一発屋と呼ばれる人と売れっ子になれる人の違いは明らかです。ズレを考え抜いてお笑いに凝縮出来れば誰でも一発屋にはなれるかもしれません。このズレを瞬間的に次々と探し出せるか出せないかで、その後の活躍が決まります。

お笑い芸人さんの中で司会者になれるのは、瞬間的に期待されていることをズラして、予想をこえる発想で驚かせることで笑いを取るのです。彼らは無意識のうちに期待されていることとは違うことを探し出せるのだと思います。一発屋さん達は何時間も、場合によっては何日間もかけて絶妙なズレを探せば良いので誰にでもチャンスはあるのです。

売れっ子や台本のないバラエティーで活躍できるようになるには、期待されていることを瞬間的に絶妙にズラす頭の回転力が問われるのです。

お笑いを目指される場合、期待されていることとは違う一言(笑いを取れる一言)を瞬間的に探せるかどうかを考えてみられると良いと思います。探せなければ売れっ子になって大活躍は難しいかも知れません。

病気が怖い理由 もう2型糖尿病は怖くない!

病気は怖いですよね?私は怖いです。そこで病気が怖い理由を考えてみました。

少し前の私は糖尿病が怖かったですが、今は全く怖くありません。怖く無くなったのです。この怖く無くなった理由を考えると、病気が怖い理由がわかりました。

いつ病気になるかわからないから怖いのです。
そして何故なるのかわからないから怖いのです。

確かに風邪やインフルエンザなどの感染症も病原菌やウイルスが目に見えない為いつかかるかはわかりません。正確にはわかりませんが、周囲で流行していなければ、感染する可能性が低いことはわかります。他国で問題になっているMERS(中東呼吸器症候群)も今のところ日本には入りこんでいないので、心配する必要が無さそうです。つまり今のところMERSは日本国内では怖く無さそうです。

2型糖尿病は怖くない

いつなるかわからないから怖いのが病気ですが、原因がはっきりし、自分で意識して病気を避けることができると全く怖くありません。
そういう意味で原因がはっきりし、簡単に避けることができることがわかった2型糖尿病は全く怖くはなくなりました。
糖質回避をしている私は2型糖尿病の心配をする必要はありません。
誰が2型糖尿病にかかるか知らなかった少し前までは、私もいつ2型糖尿病になるか恐れていました。糖尿病にかかるかもしれないため不安でした。
今は糖質を主食として食べることが原因だとはっきりしたので、全く怖くありません。
2型糖尿病になったとしても糖質を避けるだけで病気を失くすことができます。治るのではなく患者さんの意思で食べ物を選ぶだけで、治療することなく失くすことができるのです。
まるで現代の脚気のようなものです。食べ物の選び方を間違えていただけのことです。
正しい知識(血糖値を上げるのは炭水化物だけという事実)を手に入れれば、恐れる必要がなくなりました。

高血圧も怖くない?

塩分を食べることにより、腎臓から塩分を排出するが、排出しきれなくなると浸透圧を保つため血管内の血液量が増えることで血圧が上昇する機序が考えられます。
塩分摂取をゼロにすれば高血圧が必ずなくなるのかはまだわかりません。
しかし多くの方の血圧が改善することが期待できます。
塩分は魅力的で控えることは困難ですが、実は糖質との共依存により多く取りすぎている可能性があります。
このように考えた根拠は塩分に関して全く無関心でしたが、1日塩分摂取量が4.8gだったことです。特に制限しておらず、毎日美味しく食事していますが4.8gでした。恐らく気を付ければ3gでも可能だと思います。その理由を考えてみると、糖質を控えることで塩分が必要なくなった可能性が考えられました。糖質を食べる際甘味を打ち消すために塩気を自然に欲するようです。糖質依存に伴い塩分依存にも陥るようです。(糖質回避で高血圧が治る?
やめられないとまらないというお菓子はまさに糖質依存と塩分依存のたまものという印象です。

他の病気も原因が特定され、避ける知恵が見つかるといいですね。

想像力の乏しい人・欠落した人

想像力の乏しい人や欠落した人はどこにでもいるものです。

実は新しいことを受け入れるには想像力が必要です。
想像もつかないような全く新しい概念は、想像力に乏しい人や欠落した人は受け入れることが出来ません。

想像すら出来ないことは理解出来ないのです。

このサイトでは糖質回避が病気を失くす可能性を説明していますが、実はかなりの想像力が必要です。

全てとは言わないまでも、原因不明の病気を糖質による高血糖が引き起こすという考えです。そして糖質依存に付随して高血圧なども起きているという考え方です。

想像力が乏しい人・欠落している人に対して、周囲の人たちは日頃から話が通じないと感じてしまいます。何故なら話をしても知らないこと・わからないことをあまり受け取ろうとしません。わかることしか理解しようとしていないからです。
想像力豊かな人は日頃からあらゆる可能性を模索していますから新しいこと・新しい概念を受け取ることができますが、想像力の乏しい人・欠落している人は逆にみんなが認めた確実なことしか認めない傾向にあると思います。

相手の想像力による会話の工夫の仕方

今回は糖質依存や糖質回避のことを例にあげましたが、日常会話でも想像力はとても大切です。何故なら想像力の豊かな人と想像力に乏しい人・欠落した人とのでは会話の仕方を変える必要があります。

想像力豊かな人

想像力の豊かな人は基本的に何でも受け入れる素養がありますから自由に会話出来ます。
全く知らないことだとしても、そういうこともあるかもしれないというスタンスで物事を受け入れます。新しいことを伝える場合でもあまり気にせずに会話することができます。

想像力の乏しい人・欠落した人

想像力に乏しい人・欠落している人とは会話に注意が必要です。知らないことは基本的に理解出来ないため、わかろうとしてもらえません。少しでもわかってもらうために、知っていることを例えに理解してもらうしか無いからです。少なくとも知っていることから想像してもらうしかないのです。