アナログ思考とデジタル思考の見分け方

アナログ思考とデジタル思考の見分け方を見つけました。

アナログ思考とデジタル思考の見分け方

見分け方は簡単です。何かわからないことを質問してみるのです。アナログ思考の人は質問の答えが的はずれです。デジタル思考の人は質問の答えが的確で明確です。

アナログ思考の特徴

アナログ思考とデジタル思考の概念を思いつくまでは、質問に的確に答えてくれない人は、わざと誤魔化しているのだと思っていました。どうやら違うようです。都合の悪いことやわからないことをわざと誤魔化して言い逃れしようとする人も確かにいますが、的はずれな答えをする人の多くはアナログ思考のようです。

アナログ思考はそれぞれ相反する考えの境界線が不明瞭なため、両極端は説明できても、中間周辺のことは自分でも区別できないのです。自分で区別できないことを人に明確に説明出来ないのは当然といえば当然です。

要するに本人はわかっているけど人に説明するのが苦手というのがアナログ思考です。

アナログ思考の人の特徴は抽象的な説明が苦手です。すぐに例えばと具体的な例をあげ、相手に具体例から抽象的な概念を類推してもらおうとします。抽象的な概念の扱いが苦手なようです。

デジタル思考の特徴

物事の概念の境界線が明確に理解しています。質問の多くは問題の境界線の区別がわからないことに対するもののため、その区別を一言で伝えるのでわかりやすく、的確です。

判断基準を明確に出来るため、人にも伝えやすく再現性にも優れます。

様々な問題を解決するには的確な思考方法だと思います。

ギリシャ問題の本質

ギリシャがヨーロッパから世界を揺るがしています。

民主主義の原則に則り、国民の意向に沿って政治を行うのは良いことです。良いことですが、国内だけで問題が解決するなら国民の機嫌をとるだけで終わっては大変です。

債権者の意向を無視し自由奔放に振る舞っているのが問題の本質です。

国民負担を軽くするか重くするかで、国民が選べば軽くすることを選びます。国民は軽くすることが何を『意味』するのか理解しないまま首相を選んでしまったのです。

そして首相は選挙で勝ったことの『意味』を勘違いしたようです。選挙に勝ったから、債権者のことは考えず、国民の負担を軽くする方針が正解だと誤解しているのです。かつて日本で徳政令発令が頻発し経済が混乱したことからも、借りたものを返さないことが許されると非常に混乱します。

そして国民は今までの生活を確保したまま、軽くすることを望んでいます。そんな魔法のような方法はありません。

子供の論理

物事は全て何らかの対価の上に成り立ちます(トレードオフの関係)。負担を軽くするなら何かを我慢しなくてはなりません。そのことを差し置いて要求だけするのは子供と同じです。

お手伝いは嫌だけどおもちゃは買ってという子供の要求と何ら変わりません。子供は要求には対価が必要だというを常識をまだ知らないのですから仕方がありません。子供の場合は教えてあげればいいのです。

何かを欲しいなら何かを我慢するか、何かをして欲しいなら変わりに何かをするのかを身をもって知る必要があるのです。

国の場合は…。1人のカリスマ指導者が現れるのを待つか、大問題と引き換えに、要求には対価が必要だと実感するかでしょう。

ギリシャの場合

ギリシャの場合周辺国や債権者たちは何度も改善策を提案していました。そしてこのままいくと経済的に破綻してしまうことも説明していました。

ギリシャはヨーロッパ諸国がユーロ圏の離脱を認めないと思い込んでいたのです。つまり最悪の事態はありえないと高を括っていたのです。

もしくは治ると思い込んで病院を訪れる患者さんに、どれだけ治らない病気だと説明しても、治らないことの意味が理解できない心理と似ているのかもしれません。

そして子供と同じで、どんなことがあっても見捨てられるわけがないと甘えているのです。見捨てたらヨーロッパも困るから、ユーロ離脱は選択肢にないと勝手に思い込んでいたようです。

期限の2015/6/30までに国民投票を提案されたのに、期限後に国民投票を行うのは物事を論理的に考える人間にとっては意味不明です。

子供の理屈でユーロから放り出されないはずだという根拠のない思い込みがあったと仮定すれば何とか理解できます。

もしかしたらギリシャ首相が常人の常識を遥かに超える『知恵』の持ち主で、現時点の全ての物事を計算し尽くしていて、実は計算通りに事が進んでいることを密かに祈っています。そして世界中のみんなが納得する形で、事態の収拾を図ってくれることを祈っています。

どこかの国のかつての首相のように、思いつきで発電所を地獄にしたようなことにならないことを心から祈っています。

銀行からお金を引き出せない事態で、国民は悪夢から覚めたのかもしれません。もしかしたら本当の悪夢は始まったばかりかもしれませんが、

ヨーロッパ諸国・債権者の誤算

ヨーロッパ諸国の誤算は、ギリシャを大人扱いしてしまったことです。

自分達で賢い判断ができると自分達の価値基準でギリシャを判断したことです。自分達と同じ大人扱いしてしまったのです。ギリシャの人達を貶めるつもりはありません。ただ要求には対価が必要といあ常識、世界中では当たり前のことを、余り理解できていないように見受けできることを表しているのです。

財政破綻は嫌だけど年金は温存、支援して欲しいけど税金はそのままなど。

誰の問題か?(問題論)

誰の問題化を考えるのは簡単です。放置したら誰が困るかを考え、困る人の問題です。
もしかしたらギリシャの人達はヨーロッパの人たちの問題だと勘違いしたのかもしれません。
ギリシャがユーロを離脱するとヨーロッパの人達も困るからギリシャの人達と同じつもりで、ユーロ圏に残るように助けてくれると思っているのではないでしょうか?

ギリシャのユーロ離脱は確かに混乱はしますが、ギリシャの人達の困難より他の国々は遥かに小さな混乱です。その温度差を余り理解できていないように思えます。

もう一つ問題があります。もし財政破綻しても首相は命を失うだけではありません。職を失うだけです。失業してしまう他の国民と同じくらいしか困らないのです。そのためあまり先のことは考えていないのではないかと疑ってしまいます。アナログ思考とデジタル思考でいうと圧倒的アナログ思考で、デジタル思考で考えると明らかに取り返しのつかないデッドラインを越えているのに、デッドラインが理解できずまだ挽回できる可能性がどこかにあるはずだと存在しない可能性を模索しているのかもしれません。

どこかの国の元首相のように、国の運営が目的ではなく、元首相の肩書きを目的に腰掛けで首相になっていないか心配になります。

自分達の問題だと捉えていれば、国民投票は2015/6/30の返済期限までに行うはずです。

私の頭では正直ギリシャの情勢が理解できませんが、理解できる余地があるとすれば上述した子供の論理だけです。私などの常人の考え及ばないような解決方法を、ギリシャ首相が準備されていることを心から祈っています。

幸いギリシャが財政破綻しても私の生活に直接影響はないので、私の問題ではありませんが、世界恐慌を引き起こすことになれば私の問題にもなります。
世界恐慌に陥ることがありませんように。

患者さんの治ると医師の治るのすれ違い

患者さんと医者のすれ違いは良くあることです。

その一つが患者さんの治ると医師の治るのすれ違いです。

患者さんにとっての治る

患者さんにとって病気が治るというのは薬を使わなくても健康な状態になることです。一時的には薬を使うことはあっても最終的に薬が必要なくなる状態のことです。

確かに細菌感染やウイルス感染などの感染症は、抗生物質や抗ウイルス剤が効くものに限って治すことが出来ます。

実際には治すことの出来る病気は数少ないのが現状です。

医者にとっての治る

本来医者にとっても治るとは薬が必要ないことです。しかし多くの病気は治らないことが医者には当たり前で常識となっています。治らない病気だという前提で、止むを得ず治療しているので薬を使って症状を抑えることが出来ている状態を治っていると表現している医者がいるのも事実です。実際には医者によっては治るということを勘違いしているか、治っていると錯覚しているのかも知れません。もしかしたら最終的に薬が必要ない状態を患者さんが求めていることを知らない医者もいるのかも知れません。

医者によっては医者としか会話しないため、治らないことが余りに常識になり、患者さんにとっても治らないことが常識はずだという大きな勘違いをしています。(実際には相手も常識のはずだとも思っていません。治らないと知らない人がいることが想像つかないのです)患者さんが治らないことは受け入れていると思い込んでいるのです。

想像すら出来ないことは理解出来ない

逆に患者さんによっては治らないことなど想像すらしない常識の外なので、言葉では理解出来ない患者さんもおられる程です。10件以上幻の薬(治らない病気が治る薬)を求めて病院を転々とされた患者さんにお会いしたのもお一人二人ではありません。治らないこと、治せる薬がまだないことを何度も繰り返し説明しても、帰りがけに一旦良くなってもまた症状が出るのは何とかなりませんか?と言われるのです。つまり治るはずだから治る薬が無いこと自体が受け入れられないのです。私は比較的説明はわかりやすいと自負していましたが、全くの思い上がりでした。相手にその概念が無ければ、いくら言葉を並べても理解出来ないのです。

魔法の言葉

患者さんに概念が無いことを一言で理解してもらえる方法を考えました。

そこで思いついたのが魔法の言葉です。

こと魔法の言葉を使うようになって説明時間が大幅に短縮出来ました。

一言で病気が治る薬が無いことを理解してもらう言葉です。

詳しくは次の記事

依存症の患者さんは意思・自制心が強い?

依存症の患者さんは意思・自制心が強い?
不思議なタイトルです。
私も日経サイエンス 2015年 08 月号 [雑誌]の記事を見つけた時には意味不明でした。
依存症の患者さんは一般的に意思・自制心が弱いと考えられています。
その一般的な考えとは大きくことなり依存症の患者さんは意思・自制心が強くないとつづけられないという考え方です。

認識が違うのは視点が異なるから

意思・自制心が強い弱いのとらえ方が異なるのは、依存の方はやるかやらないかの2択ですが、依存ではない方はやめるのが当たり前という1択なのです。
依存の方はやるかやらないかの2択で、続けることを選択しています。
依存ではない方は続けるという選択肢は存在せず、やめるのが当たり前と考えているので認識がずれてしまうだけのことです。

多くの人がやめるのが当たり前で、やめる意思だけで意思・自制心を評価しているのです。
タバコを続ける人にとっては続ける意思・自制心が問題という考え方です。

依存にも意思・自制心が必要

依存を続けるにも意思・自制心が必要とされるというものです。
どういうことでしょうか?
ニコチン依存の患者さんで考えてみましょう。
タバコを吸うことで生じるニコチン依存症ですが、タバコはいたるところで禁止されています。
吸うためには時間・場所・タイミングを合わせる必要があります。
禁煙の場所でタバコを吸う人は意思・自制心が弱いと言えますが、禁煙の場所では我慢し、喫煙所を探してタバコを吸うのは意思・自制心が強くないとできないそうです。
続ける意思・自制心が強くないと、面倒くさくなって禁煙してしまうということです。

増税で禁煙できる人は意思・自制心が弱い?

増税という財布の痛みを伴う障害があっても吸い続ける人の方が意思・自制心が強いのです。吸い続けるという方向ですが。
増税されると嫌になってやめてしまうのは、増税分タバコ代がかかることを他で節約するのが面倒な人と考えることができます。そこまでタバコを続ける意思・自制心が強くはないのです。

依存の方はそもそも続けるかどうかを考える!

依存の方はそもそもやめることは考えていません。
いかに続けるかどうかを考えているのです。
依存状態ではない方と会話が成り立たないはずです。
別に依存の方を責めるわけではありません。(私も様々な依存状態でした)

依存を抜け出したいと思うなら、やめたほうがお得な情報を自分で探し出して、より多く知ることだと思います。

いつも言い訳する人の心理 ~言い訳する理由~

いつも言い訳する人の心理を考えてみました。

言い訳する人と言い訳しない人ははっきり分かれます。
ある時は言い訳し、ある時は言い訳をしないということはあまりないようです。
言い訳する人はいつも言い訳をします。
言い訳をしない人はいつも言い訳しません。

自分の責任という概念が欠落している

いつも言い訳する人は自分の責任と認める概念自体が欠落しているのです。
自分の責任という概念自体がないのです。
ですから自分の責任だと認める選択肢はありません。
当然責任を取るという選択肢もあり得ません。

言い訳というのは人のせいにして言い逃れることが目的のため、何も生み出さない無駄な行為です。
いつも言い訳をする人と話をしても得るものはありません。
何か不都合があっても言い訳を考えるだけで、言い訳の辻褄を合わせるために事態は更に悪化していきます。
自分が困らないのであれば、不都合があっても放っておきましょう。
関わるだけ時間の無駄です。
改善策を考えるわけではなく、言い訳を必死で考えるだけだからです。

せめて自分の責任は認めないまでも、改善策を探してくれればよいのですが、探すのは言い訳ですから事態は良くなりません。

いつも言い訳する人の対策

できるなら相手にしないことです。
何か不都合があっても責任を取るという概念どころか、自分の責任と認める概念自体が欠落している可能性が高いため相手にしないのが一番の対策です。

頭にあるのは責任逃れです。常に考えているのは言い訳です。
残念なことに、言い訳でこれまで納得した人がいるのです。
その納得してしまった人たちの影響で、言い訳は正当な主張だと勘違いしているのです。

どうしても相手にする必要があれば、言い訳できない環境を作り出すしかありません。
『誰が悪いの?』
私ですけど、でも聞いてください
という言い訳を始める可能性があります。
でもの時点ですぐに言葉を遮り
『でも、誰が悪いの?』
と逃げ場をなくすしかないと思います。

人が人を騙す理由

人が人を騙す理由。
それは騙す隙があるからです。
騙してもばれないと思うから騙すのです。

そして騙した人が得をするのです。

隙がなければ騙そうとはしません。
得しなければ騙すなんて面倒なことはしません。
明らかに自分より賢い人を騙そうとはしないものです。
何故なら嘘がすぐにばれるから。
嘘がばれないと思える相手にだけ、嘘をつくのです。

実はある種のお猿さんは嘘をつくのです。詳しくはこちらを。
お猿さんですら嘘をつくのですから、人間も嘘をつくのが当たり前だと考えた方がよさそうです。
しかし通常人は嘘をつきません。何故なら人間は嘘を見破る知恵を持ち合わせているからです。
そして嘘は良くないという倫理観を通常人は持ち合わせており、人間社会では嘘つきは相手にされなくなるのです。
(ちなみにお猿さんは嘘をつかれても見破れません。お猿さんは嘘つきも相手にされるのです。)
そのため人は嘘がばれないと思った相手に嘘をつくのです。(希に嘘に罪悪感を抱かない人がいるので注意が必要です)

最初から狙って嘘をつく場合と、話をしているうちに相手の隙に気づいて出来心で嘘をつく場合とがあります。
出来心での嘘は悪気なくついついてしまうものです。
しかし一度ついてしまった嘘は取り返しがつかなくなり、嘘の連鎖に陥ります。
最初から狙った嘘は巧に練り上げられ辻褄が合わされています。
見破るにはそれなりの知恵が必要となります。

騙されない対策

騙されない対策は簡単です。本当かどうか確認することです。
かかってきた電話なら合言葉で家族確認をする
相手の言っていることを第三者に確認するということです。

非常識な人への対策 (誰の問題論の延長)

非常識な人というのはどこにでもいるものです。
常識を知らないのか、そもそも人に迷惑をかけない(それ自体が常識)という発想がないのかわかりませんが、非常識な人に嫌な思いをさせられるのはよくあることです。

何故わかっていてもわざと非常識なことをするか?
それは非常識な人が困らないからです。
むしろ非常識な人が得をする仕組みだから、人になんて思われようと関係ないと開き直った人が非常識なことをしてしまう隙があるのです。

非常識な人への対策

非常識なことをする人が困る対策をすることです。
他国から訪れた人は日本の常識を知らないのも無理はないことです。(郷に入っては郷に従えという諺があるので、常識を勉強してから来てほしいとも思いますが)
日本の常識に従わなければ、金銭的・時間的ペナルティーを被る仕組みを作るのです。

外国の人に限らず、非常識なことをしても他人が困るだけで、自分は困らない
突き詰めると他人の問題なのです。
非常識なことをする人の問題にしてしまえばよいのです。(誰の問題論
誰の問題かを考え、その人の問題・その人が困る問題になるように仕組みを作り替えるのです。

常識に従わなければ損をして、常識に従えば得をする

そんな発想で世の中のルールを作るようにすれば世の中が少しは変わるのではないかと私は思います。

そもそも常識は明文化されません。
何故ならみんなが当たり前に知っている常識だから。
その常識を知らない人たちがいれば、ルールとして明文化するしかなくなります。
そのルールを非常識な人が損する仕組みにしてしまうのです。

今のルールは非常識な人が見つかると罰を受けるという仕組みです。
それでは見つからないことを目指してしまうだけです。
見つからないことが目的だからです。

常識に従うことを目的にさせるため、常識に従わなければ損をする仕組みづくり。
こんな考え方はいかがでしょうか?

そもそも常識とは何かを考えているのはこちらです。

アナログ思考とデジタル思考

アナログ思考とデジタル思考という分類を考えました。
何もアナログが古くてデジタルが新しいとか、アナログが遅くてデジタルが進んでいると表現したわけではありません。
思考方法の明らかな違いを表している言葉ではないかと思います。
というのがアナログとデジタルというのは明確な違いがあります。
アナログは境界が明確ではなく全てが連続していることを意味し、デジタルは境界が明瞭で一つ一つが非連続です。

どうやら人によりアナログ思考とデジタル思考の2種類の思考方法があるようです。
以前はアナログ思考が文系、デジタル思考が理系と考えていましたが、必ずしもそうとは限らないようです。

アナログ思考とデジタル思考でどちらが優れているとは一概にはいえません。
芸術などの感性ではアナログ思考の方が有利かもしれません。
芸術家の頭の中をのぞいたことがありませんので、明確にはわかりませんが様々なことの境界が不明瞭で連続的な考え方をしているのではないかと思います。
アナログ思考の方は明確な境界が自分でもわからないので、物事を言葉で人に伝えることが苦手な傾向があります。
物事の境界を自分でも明確にはわからないため、人にうまく伝えられないからです。
人には伝えられないけれども自分にはわかるというのがアナログ思考の人の特徴かもしれません。
明確に言葉に変換するのは苦手でも、絵や音楽など連続した表現が得意です。

アナログ思考では思考が連続なため、変化がどこで区切るかわかりにくく、物事を変化させるきっかけを捉えにくい傾向があります。
そのため物事を論理的に考えることが苦手な傾向があります。全く別の物事の関係も連続的に捉えようとする傾向があり、理解するのに時間を要する傾向にあります。論理も連続的に考える傾向があるため、非連続の論理展開は苦手な傾向があります。
自分がアナログ思考型だと思われた場合、人への説明される場合は物事の境界を意識するようにされると説明がわかりやすくなると思います。

人に説明するのは圧倒的にデジタル思考をする人が有利です。
何故ならデジタル思考の場合境界が明瞭なため、2つの物事をはっきりと区別して理解しているからです。
境界からこちらはAであちらはBという具合に説明するため、聞いている人が理解しやすい傾向があります。
そしてデジタル思考の場合、AがBに変わるきっかけも理解しているため、どうすればBになるのかも人に容易に説明できます。
その理屈を組み合わせることで、物事を論理的に理解することができます。
論理は言葉で伝えることができるので、人に考えていることを説明できます。

私自身の脳は完全デジタル思考なのでアナログ思考に関しては、恐らくアナログ思考だろうと思う方のことから想像して書いています。間違いがあるかもしれませんがご了承ください。

話が噛み合わない場合、デジタル思考の人とアナログ思考の人がお互いが同じ思考だと思い込んでいて、やり取りが噛み合わないのかもしれません。

アナログ思考とデジタル思考の話は今後掘り下げていきたいと思います。

直感的・感情的思考と論理的思考もご覧ください。

緊張する人・上がり症の人の心理

緊張する人・上がり症の人の心理を考えてみました。
緊張するのは上手にやれると考えているのが前提です。もしくは上手にやれないといけないと思い込んでいる人です。
そして上手にやれなければどうしようと不安に思ってしまうのです。
設定ラインが上手に出来て当たり前で、上手に出来なければどうしようと考えてしまうことが原因です。

特にしっかり頑張りなさいとか失敗は許さないとかのプレッシャーをかけられると、緊張する度合いが高まります。
失敗したところで、やり直しが出来るわけでもありません。
うまくいかなかったところで、過去に戻れるわけでもありません。

うまくいかなくても次に生かして学ぶところがあれば、厳密な『意味』での失敗ではないのです。

緊張する人・上がり症の人の対策は?

緊張する・上がる原因は自分自身を追い込むからです。

上手に出来ればラッキー。
ミスが3つなら合格。ミスが10個を超えたら次はやめておこう。
とか気楽に構えれば良いのです。口に出すと真剣さが足らないなどと怒り出す人もいるかもしれませんから、自分の中に秘めた合格ラインを作っておけば良いのです。

それが無理なら、そもそも上手に出来る訳がない。上手に出来たら天才、出来なくて当たり前なんだから

一生懸命気楽にいこう

という心境で臨んでみましょう。良くも悪くもやり直しは無いのですから。

衝動買いのメカニズムとその対策

ついつい勢いで買ってしまう衝動買いですが、そのメカニズムを考えてみます。

生残りのための仕組み

衝動買いのメカニズムは、元々は生き残りのための仕組みでした。
欲しいものを実際よりも魅力的に感じる錯覚させる仕組みが原因のようです。

大昔の人類を思い浮かべてみてください。
川の向こう岸に美味しそうな果物を見つけました。
溺れるかもしれないので泳いで渡るか躊躇しています。
脳は無理してでも食べた方が生き残りに有利なため、自分自身を騙します。
美味しそうな果物を見た目以上に大きく魅力的に感じる魔法をかけるのです。
(一種の錯覚、勘違い。自己暗示のようなものだと思ってください)
大きな果物で食べないといけない・食べるしかないと思うようになってしまうのです。
そこで川に飛び込んで果物を食べることに成功します。
川に飛び込まない人類の子孫は食糧不足により死に絶えました。
私たちはこのようにして、川の向こうの果物を食べることの出来た人類の子孫なのです。食糧難の時代には役立ったこの仕組みが、物が簡単に手に入る今の私たちを苦しめます。

衝動買いのメカニズム

同じことが衝動買いでも起こります。
一目見て欲しくなります。頭の中で魅力が駆け巡ります。
どんどん魅力が増大するドーパミンの魔法がかかります
冷静な判断は無理です。
何しろ昔は溺れるかもしれない程の命がけでも、川を渡るほどの魔法なのですから。
財布の中身が減るということはあるものの、命を危険にさらすことなくほしいものを手に入れるのです。
結果として何故買ったかわからないものが家にいくつもある状態に陥るのです。
ちなみに様々な依存では、この魔法の繰り返しが起こってしまうのです。
一度欲求が膨らんで手に入れたものや経験は、忘れられません。
そして一度経験したことは慣れてしまうので、同じ喜び・ドーパミンを得るために欲求がエスカレートしてしまうのです。

衝動買いの対策

欲しいものを魅力的に見せつけるドーパミンの魔法がかかるのは約10分です。
10分間我慢して乗り切ると、魔法が解けます。
ただし10分間ほしいものを眺めて考え続けていると、脳に魔法をかけるドーパミンが減りはしますが、出続けるのでお勧めしません。
考えてはいけないと打ち消そうとすることが、脳にとって一番ストレスになるそうです
10分間他のことを考えるか、他の売り場に行くことをお勧めします。
それでもほしければ衝動買いではないのかもしれません。
別の対処法は、買ったものの具体的な使用法を想像してみることです。冷静に値段に見合った価値があるか検討してみるのです。
実は買い物がしたいだけで、物がほしいわけではないかもしれないのです。

参考文献:
脳内麻薬 快楽物質ドーパミンの正体
スタンフォードの自分を変える教室