漫画・雑誌・テレビの中毒性

漫画や雑誌、テレビには中毒性があります。当然病的な中毒性ではありませんが、次を知りたいと思わせるように作るのです。

次を見たくなる仕組みが中毒性を生み出すのです。次を見たくなる欲求は「衝動買いの心理」が作用するようです。次に用意されているものが凄く魅力的に感じる錯覚を起こすのです。そもそも「衝動買いの心理」がエスカレートして中毒を引き起こすので、これらのことに中毒性があってもおかしくはありません。

漫画や雑誌の発売日やテレビの放送日が待ち遠しくて仕方ない人は中毒になっているのかもしれません。コアなファンのほとんどはもしかしたら中毒なのかもしれません。

漫画や雑誌はお金を目的に中毒性のある作り方をしますし、テレビであればコマーシャルになってもチャンネルを変えられないようにするするに中毒性のある作り方をするようです。

中毒性を表すのが、連続で見なければいけないという脅迫観念に近いような感覚に陥ることです。見ることをやめるとしばらくイライラしますが、「衝動買いの心理」と同じで、過ぎ去ります。中毒性から抜け出した後で振り返って考えると、何故あれほど続けて見ていたかわからないこともある程です。

本来の魅力で見ているなら良いですが、「衝動買いの心理」を駆使した中毒性は気をつけた方が良さそうです。

 

混乱の解決策 目的を明確にする

会議や話し合いなど様々な事柄において事態の収拾がつかず混乱することがあります。話していることが迷走し、何を話しているかわからなくなってしまうのです。今回は混乱の解決策を考えてみます。

混乱している時には目的を明確にすると迷走することがなくなります。目的に沿っていればそのまま押し進めれば良いですし、目的から外れていれば目的に合わせて修正するのです。

会議や話し合いの目的を明確にすることで方向が定まります。そもそも会議や話し合いの目的が曖昧なまま話し合ったところで、時間ばかりが経過してしまいます。何を決め何を話し合えば良いのか誰にもわからないからです。

逆に目的が明確にされていれば、話が目的から外れた時点で打ち切ることが出来るのです。

混乱の解決策は目的を明確にし、目的に沿って物事を整理することです。特に話し合いにおいて理由について議論しても時間の無駄です。理由にはもっともらしい言い訳が含まれているからです。

まず目的を明確にし、次に目的に沿っているかどうかを話し合いましょう。会話や会議が混乱した場合の簡単な解決策です。

1円購入から駐車無料サービスの目的

店舗の駐車場のサービスで、1円でも買うと何時間か無料にしてくれるサービスをするお店があります。その仕組みと目的を考えてみます。

1円でも買うと何時間か無料になるので、駐車場代を支払うことを考えれば何も買わずに駐車場代を支払うより何かを買う方がお得です。ただお客の立場からすれば、1円以上から買わなくても駐車券サービスをしてくれると良いのにと考えてしまいます。実は1円でも買ってもらうことに目的があるのです。全く買う気が無い状態と、何かを買う目的で買う物を探すのでは買う意欲が全く異なります。一度何かを買うと決めるとついでにあれもこれもと欲しくなってしまうのです。購入に対する心理的なハードルを下げることが出来るのです。最初から1時間無料より、1円でも購入してもらうようにする方が遥かにお店にとってお得なのです。1000円以上購入で駐車券サービスよりも良心的にみえるのも心理的な落とし穴が用意されています。全体的に売っているものの単価が家電量販店などはお店にきてもらって「衝動買いの心理」をついて、つい買ってもらうことが目的です。

1円でも買うと駐車券サービスがあると、それ程必要ではない物でもつい買ってしまうものです。家電量販店であれば必ず使うリモコンの電池などを購入するのがお得です。

そして1000円以上買うと駐車券サービスよりも、1円以上買うと駐車券サービスの方が何かを買えば良いのでお客の立場からは気軽に立ち寄ることが出来ます。立ち寄るかどうかの判断の際に、心理的なハードルがかなり下がります。

様々な心理学を駆使して1円以上買うと駐車券サービスという仕組みが成り立っています。罠とまでは言わないまでもお金を使ってしまうカラクリが仕組まれているので、気をつけるようにしましょう。

いじめを学校が隠蔽する理由

いじめを学校が隠蔽しようとすることが散見されます。その理由を考えてみます。いじめはあってはならないものなので、いじめが発覚すると学校が責められることが原因のようです。人の行動には必ず目的があります(目的論)。いじめを隠蔽する目的は責められることを避けるためです。決していじめを無くす目的で隠蔽する訳ではありません。ましてやいじめられた子供を守るために隠蔽する訳でもありません。学校側の自己保身を目的に隠蔽するのです。

今のままでは隠蔽しようとするのは仕方ありません。何故ならいじめがあったことを責められるからです。人間の心理として責められたくないので隠すのです。隠そうとする嘘つきの嘘を暴く必要に迫られるため、その分無駄な労力を費やします。

いじめの隠蔽を無くすために

野生動物でもいじめをするのですから、動物の一種でもある人間が放っておくといじめをしてしまうのは、ある意味では仕方がないことです。人間がいじめをする野生動物と違うのは、人を思いやる心を持っていることです。人を思いやることをまだ知らない人間がいじめをしてしまうのです。人のことを尊重することをまだ知らない人間がいじめをしてしまうのです。人を思いやること・人を尊重することをまだ知らない人がいることを認め、いじめを無くす知恵を絞るべきだと私は思います。

いじめを無くすためには、いじめが起こり得ることを受け入れ、その上で対策を取るべきです。いじめはあってはならないものという考え方から、いじめがあるのは当たり前だから大事に至る前に対策するという考え方を変えるのです。

このような考え方に変われば、いじめを見つけ対応したことを誇りに思うようになるでしょう。いじめを無くすのが理想ですが、無くす前の段階として早く見つけ対応するのです。いじめがあったことを責めるのではなく、大事に至らなかったことを評価するのです。そうすることでいじめを成果として積極的に公表するようになるでしょう。

いじめを隠しても問題を先送りするだけです。隠さず再発しないための知恵をみんなで絞るのです。人間には他の動物が持たない言葉という魔法を使うことが出来るのですから、最終的にいじめをなくすことくらい出来るはずです。

糖質買いの銭失い

新しい諺を考えました。

安物買いの銭失い

を変えてみました。

糖質買いの銭失い

当然糖質を買うこと全てが銭失いではありません。糖質によって害があるにも関わらず買うことを指しています。具体的には糖質を買うことで害を生じ、その害を治すためにお金を使うことを指します。

具体的には糖質を買うことで太り、ダイエットにお金をかけることを糖質買いの銭失いと表現するのです。糖質を食べ過ぎた結果を打ち消すためにダイエットに更にお金をかけることを銭失いと表現するのです。何故なら糖質を食べ過ぎなければ必要のないお金だからです。

他の例え話では糖質を買って食べ過ぎた結果、2型糖尿病やアトピー性皮膚炎やニキビを悪化させ、治すために病院で治療費を支払うことです。糖質をわざわざお金を出して買い、病気を引き起こして治療にわざわざお金をかける。糖質を食べ過ぎなければ必要ない治療費です。

糖質を食べ過ぎる理由

糖質を食べ過ぎると病気になることを知らない人もいますが、知っていてもやめられない人もいます。その理由は糖質依存です。タバコを吸う人がタバコをやめられないニコチン依存やお酒をやめられないアルコール依存と同じような心理です。依存の心理により糖質をやめられないのです。

糖質依存から抜け出す一つのきっかけが、糖質買いの銭失いという考え方です。糖質をわざわざお金を出して買って、わざわざ病気になるのは勿体無いと冷静に考えるのです。

糖質買いの銭失いにならないために

糖質買いの銭失いとは糖質を買って食べ過ぎることで何らかの不都合が起こります。不都合を避けるためには糖質回避がお勧めです。

少なくとも糖質による不都合を生じない程度に糖質を回避することです。

特に糖質依存の状態であれば、少なくとも糖質依存からは抜け出すことをお勧めします。

血液製剤不正製造会社が事業譲渡を嫌がる理由

あくまでも私見です。私の頭で考えるとこのような見解に行き着いただけのことです。あくまでも一意見として読んでいただけると幸いです。

血液製剤不正製造会社とは40年も前から国の承認とは異なる方法で血液製剤を製造していた会社のことです。厚生労働相が組織の抜本的見直しを求めたため事業譲渡の方向で交渉していたそうです。しかしこの事業譲渡交渉が打ち切りになったそうです。血液製剤不正製造会社が事業譲渡に難色を示しているからだそうです。その理由を考えてみました。

不正を40年も続けた実績から組織内の自浄作用は全く期待出来ません。事業譲渡は当然の流れのように思います。燃費で不正を繰り返した企業は結局身売りしました。

血液製剤の製剤は国民にとってなくてはならない事業ですから、商売として考えた際に手放したくない魅力があるのでしょう。だから事業譲渡に難色を示すのは当然と言えば当然です。

しかし40年も前から不正を行っていた流れから考えると、組織の存続は常識的ではありません。にも関わらず難色を示すのは、事業譲渡により更なる不正が噴出することを避けたいのではないかと私は考えます。そのように考えると、此の期に及んで悪足掻きするのも頷けます。全てを明かす訳にはいかないので、隠せるだけ隠そうとしているのではないでしょうか?

厚生労働省も出来るだけ穏便にことを済ませようと考えて、現在のような対応をしているようです。常識が通じると期待しているのです。しかし40年も不正をしていた会社です。常識が通用しないと認識を改める必要があると私は思います。認可取消を宣言し、事業譲渡するなら存続を許すように設定しなおすのです。経営陣は今のまま存続出来ると考えているのです。事業譲渡が出来ない方が都合が良いので、難色を示しているのではないかと思います。騙して利益を得ていたことで詐欺罪の適応を検討すると、経営陣も考え方が一新されると思います。

利益を追い求める企業が問題を起こすのです。「利益は企業のためならず」のような考え方が広まることを心から祈っています。このように考えると不正を行う必要がありません。利益は追い求めるものではなく、企業が存続するための必要経費だからです。全ての企業がこのように考えると、理想の世の中が実現出来るのかもしれません。

あるカツラメーカー衰退に思う

インターネットを見ているとあるカツラメーカーの業績が悪化していることが掲載されていました。低価格のカツラが出現したことがその理由に挙げられていました。それもあるのかもしれませんが、主な原因は別のところにあると私は思います。

一言で言えば薬です。AGAに対してパラダイスシフトが起こっているのです。カツラで隠す時代から薬で治す時代になったのです。フィナステリドとデュタステリドの二つの薬によりカツラを使う人が減少しているだけだと私は思います。何故なら薬を使うとはいえ、自毛です。しかも病院によってかかる費用は異なりますが、カツラを使うことに比べると安価です。カツラと薬を比較すると一桁違うようです。薬の方が安くて自毛なので、わざわざカツラを試す人が減っているに過ぎません。

少し前までは恥ずかしくて人に相談できなかったかもしれませんが、今では手軽に情報が手に入ることもカツラより薬に流れる一因です。

私は従来のカツラ産業は早い段階で淘汰され、低価格のものだけがかろうじて生き残るだけだと思います。

何よりカツラは一度はじめるとやめることに勇気が必要です。一方薬はいつでもやめることが出来るのも始めやすさの違いとして、心理的なハードルを下げていると思います。

インターネットに掲載されたカツラメーカー衰退の解釈が間違っていると思ったので掲載してみました。もしこの事実にカツラメーカーの人達が気付いていなければ、淘汰は免れないでしょう。薬でカバーしきれない人を対象とするか、全く別の業種に進出するしかないのかもしれません。

患者さんが開業医より総合病院を選ぶ理由

患者さんの多くが総合病院の受診を好みます。何故なら開業医を受診しても、総合病院に紹介されることになると開業医の受診が無駄に思えるからです。また開業医はわざと治さず、治療を続けようとしているように思えるからです。

開業医と総合病院

開業医を受診しても総合病院に紹介されるのでは、最初から総合病院を受診する方が得だと考えるのは仕方なくことです。患者さんには開業医で済む病気か、総合病院で治療する病気か判断がつかないからです。だから患者さんが開業医から総合病院に紹介されるという無駄を省くために直接総合病院を受診するのは合理的な考え方でした。しかし患者さんが殺到した総合病院では診療がパンクしてしまいます。対策として開業医で済む病気は開業医で診療を行い、総合病院での治療の必要な患者さんだけを紹介する仕組みになりました。しかし直接総合病院を受診してもデメリットが大してないため、直接総合病院を受診することが続きました。そこで直接総合病院を受診する場合には診察料とは別に料金を徴収し、紹介してもらう方が金銭的にも得な仕組みを作ったのです。紹介してもらう方が患者さんが得する仕組みを作ることでようやく開業医と総合病院の役割分担が出来るようになりました。

開業医と勤務医

患者さんが総合病院を選ぶ傾向の理由の一つが商売の要素です。

開業医は基本的には医者が経営者なので患者さんに通院してもらえば通院してもらう程収入が増えます。つまり病気を治さない方が開業医自身が儲かるのです。そのため不届きな開業医は製薬会社と結託して患者さんに病気のままでいてもらうように仕向けます。このことを患者さんは無意識に感じ取り、総合病院の受診を求めるのかもしれません。患者さんの利害と儲けたい開業医の利害がズレているのです。

総合病院の勤務医は患者さんを多く診ても収入が増える訳ではありません。だから商売のためにわざわざ病気を治さないことがないだろうと類推出来るため、患者さんが総合病院を受診したがるのです。患者さんを治す方が勤務医にとって患者さんが減る分楽になるのです。患者さんの利害と勤務医の利害が一致するのです。

勤務医の中にも不勉強で病気を治そうとしない医者もいますが、一般的に開業医より少ないのは事実でしょう。

全ての開業医が儲けを追求している訳ではありませんが、一定割合でわざと治さない医者が潜んでいるようです。

医療制度の問題点

現在の医療制度の問題点を考えてみます。国民皆保険は国民全てが医療を受けることの出来る一面では素晴らしい制度です。しかし出来高制という点に大きな問題が潜んでいます。医者は通院回数が多ければ多い程儲かります。薬を処方して副作用が出れば、その対処薬も処方します。通院してもらえる限り、治さない方が儲かるのです。

国民皆保険では治療することに保険点数は支払われますが、治療しなくてよくなってしまえば保険点数は支払われません。つまり治してしまっては保険点数はつかないのです。本来なら治りにくい病気を治せば、ご褒美の保険点数があっても良いはずですが、そのような制度はありません(治った判定は難しく、治癒を保険点数化するのは現実には非常に困難です)。良心的な医者はそれでも病気を治しますが、儲けたい医者は治さず通院させ続けるのです。

例えば糖尿病や高脂血症の薬を処方すれば管理料という名の保険点数が支払われます。糖質回避により薬が要らなくなれば管理料がもらえなくなるのです。だから糖質をやめられては困ると考える医者がいるようです。

医療費の問題は出来高制で病気を治さない方が得な仕組みだからなのかもしれません。根本的な対策は今の私には思いつきませんが、一つの対策は患者さんが知恵をつけることです。糖質回避で治る病気は自分で治すこと、もしくは治してくれる医者を探すことの2つです。

人生は金じゃない

某有名人が書いた本のタイトルです。
有名人の本のタイトルには「!」がついています。

「人生は金じゃない!」

今回のタイトルに「!」を付けなかったのはタイトルに「?」を付けると全く反対の意味になるからです。

「人生は金じゃない?」

私は2つの意味の両方とも正しいと思うので、あえてタイトルに「!」も「?」も付けませんでした。

人生は金じゃない!

人生はお金を稼ぐためにあるのではありません。その一言に尽きます。

だから「人生は金じゃない!」のは当たり前のことです。しかし著者はわざわざその当たり前のことを本のタイトルにしてまで伝えたいようです。つまり人生はお金だと思っていたことがあったのでしょう。今は人生はお金を稼ぐことが目的ではない当たり前のことに気付くことが出来たのでしょう。

お金のためなら何でもする人がいますが、お金の魔法にかかっているに過ぎません。

人生は金じゃないと言えるのはお金に困っていない人だけかもしれません。

人生は金じゃない?

人生は金じゃない?とは逆説を使って人生の目的はお金だという考え方を強調する表現です。

賛否はあるとは思いますが、自給自足の生活をしていない限りお金が無ければ生活出来ないのはまぎれもない事実です。人生にお金が必要なのは誰にも否定は出来ないはずです。お金が無ければ今日食べるものを買うことすら出来ないからです。

人生にお金は必要なのです。贅沢をしなくても生きていくだけで生活のためのお金はなくてはならないのです。その意味では人生は金じゃない?とお金が必要なのは当たり前ではないか?と逆説で問いかけるのも正しいと思います。

お金の別の一面を知っている人もいます。命すらお金に換算されてしまうのです。命をお金で買うことが出来る訳ではありませんが、失われた命を償うのはお金が使われているのです。例えば事故で失われた命に支払われるお金は計算式まであるのが現実です。失われた命は取り戻すことが出来ないので、仕方なくお金で償う仕組みが用意されたのです。

この意味で人生はお金だと考えてしまう人もいるのかもしれません。

目的と手段を明確にする

一部の大人はお金のことを言うのは卑しいと考えています。しかしお金は生きる上で必ず必要なものでもあるので、お金のことは誰もが考えるべきことです。そこで人生とお金について考えてみます。目的と手段という言葉で分けて考えることで、誤解なく理解出来ると私は思います。

私は「人生は金じゃない」とは最低限のお金は必要だと考えるきっかけを与えてくれる言葉だと思います。そしてお金を目的だと捉える考え方ではなく、生きていく上で必要な手段としてお金を捉えるのです。

お金を目的だと考えると、稼ぐことに際限が無くなります。嘘偽り、人を騙してでもお金を稼ごうとしてしまいます。お金のために生きていると誤解してしまうのです。ちょうど多くの企業が利益を目的に追い求めることに似ています。無理をしてでもお金を稼ごうとしてしまうのです。

お金を生きるための手段だと考えると、最低限生きるために必要な分を稼ぐように考えます。決して無理をしてまで稼ごうとは考えません。ちょうど「利益は企業のためならず」を実践している企業のように利益を追い求めて無理をしたりはしません。

人がお金を必要とするのは、生きるための手段としてです。生きるための目的では決してありません。このことを誤解しなければ、多くの人が幸せになれると思います。お金を目的と考えるから、借金したり無理をしてしまうのです。お金は生きるための手段に過ぎません。その手段に振り回されて人生を棒に振ってしまうのは勿体無い話ではないでしょうか?

人生は金じゃない!?

この2つの意味を併せ持つ言葉の意味を理解し、お金に振り回されてしまわないようにしましょう。

爆発する洗濯機に思う

ある国の洗濯機が爆発するそうです。世界中で100件もの事故が起きているそうです。日本の企業であればPL法の兼ね合いもあるため、即座に対応するでしょう。その企業の驚くべき対策は「デリケートモード」の使用を推奨したそうです。携帯電話の発火事故も起こっています。

企業の目的が利益を追い求めているからでしょう。日本の企業もほんの数十年前までは利益ばかり追い求めていたため、公害問題を引き起こしました。最近では安全性を確保することが前提で、利益を求めています。

日本より数十年遅れで目先の利益に振り回されているのでしょう。安全性が第一だと気付いてもらうことを待つしかないのかもしれません。船の沈没事故でも利益優先でした。

企業が利益を追い求めるのは仕方ないことかもしれませんが、21世紀になっても安全性よりも利益を求めるのは残念なことです。「利益は企業のためならず」という理想の追求は無理でも、少なくとも安全性は確保する考え方になって欲しいと思います。安全性を犠牲にして利益だけを追い求めること自体が結局自分達を追い詰めることを知ることになるのでしょう。

安全性を確保することが企業にとって一番お得だということを多くの日本の企業は理解しています。日本の企業の製品は万が一に備えた安全性まで考えているから高くなってしまうのです。性能だけ真似してもハリボテのようなもので、安全性の担保が無ければこれからは誰にも相手にされなくなるでしょう。

日本の企業と某国の企業とでは、前提が全くことなるようです。多くの日本の企業は安全で当たり前、某国の企業は利益最優先が当たり前。世界中で安全が当たり前の世の中になることを願っています。