性善説と性悪説なんて意味がない

性善説と性悪説という考え方がありますが、私は意味がないと思います。
理由は二つです。

人はいつも同じ行動をするとは限らない

一つ目の理由は人はその時その時で一般的に良いとされる行いも、一般的に悪い行いもする存在だからです。いつもは良い人がつい出来心ということもありますし、いつもは悪いことをしているのに仏心で良い行いをすることもあることは、出来心と仏心という言葉が存在することが証明しています。

善悪自体が曖昧

二つ目の理由は善悪自体が強者と弱者・多数派と少数派ということによって左右されるからです。人を殺すことは一般的には悪とされますが、戦時にはより多く殺すと英雄として扱われます。時代や状況、取り巻く環境により善悪は簡単に変わってしまうのです。

自分は善人と思い込んでいる人の理屈

元々性善説と性悪説は、自分は善だと思い込んでいる人の考え出した理屈だと思います。人を殺すこと一つとっても、状況によって善悪の判断が分かれるのです。つまり善だと思っていたことが悪に変わることだってありえるということです。その曖昧な善悪を生まれつきの性善説と性悪説と分けても意味がないと思います。

善悪の概念自体が絶対的なものではなく、相対的なものだということを意識すると、新しい感覚を身につけることが出来るかもしれませんね。

誤解に関して

何事にも意図せぬ勘違いを元にした誤解はつきものです。今の世の中では誤解したら誤解した方が悪いと考えている人もいるようです。

しかし私は21世紀の企業や人は誤解する隙を与えてしまったと考えることで、もう一段上のステージに上がることができるのではないかと思います。

例えばホームページで何らかの告知をした場合、こちらの意図しない解釈をされたお客さんがおられたことを想像してみてください。こちらはいわなくても当たり前と考えたことが、ホームページを見られた方にとっては当たり前でないので意図していない解釈があり得るのです。私は誤解を与える隙があったと考える方が良いのではないかと思います。

そういう解釈があり得るなら、誤解を生じ得ない適切な表現に改めるべきだと思います。

誤解する方が悪いという高飛車な考え方は20世紀の企業や人の考え方で、21世紀の企業や人の考え方であれば誤解される隙のある表現ですいません。表現を改めます。という方針の企業や人が成長していくと思います。

誤解した方が悪いなどの良し悪しの考え方ではなく、表現した側に誤解を与える隙があったことを踏まえて今後の対策を考える方が、建設的だと思います。

あなたの幸福度は?

あなたの幸福度は?と聞かれると、70~80点くらいと答える人が多いと思います。
減点法の考え方をされているのか、もしくは100点とするとこれから下がるしかないから100点としたくないという考え方なのかも知れません。良いことを探して点数をつけた結果70〜80点という人は少ないのではないかと思います。

私の幸福度は100点でもあり、0点でもあります。

今ある状況に恵まれていると感謝し満足していると考えれば100点ですが、私はそれ以上ないから下がるしかないとは考えません。これからは120点、130点、200点、1万点を目指していきます。

そして全てのことを当たり前として受け止めていれば0点でもあります。これからプラスになるのもマイナスになるのも自分次第とも考えることができます。

『ありのままで』と考えれば幸福度は100点で今幸せですし、『ありのままを』と考えれば幸福度は0点でこれからにかかっているといえると思います

あなたの幸福度はいくつですか?

『ありのままで』から『ありのままを』に

2014年『ありのままで』という言葉が流行りました。ありのままでいいんだよというメッセージが万人受けしたのだと思います。

『ありのままで』というのは今のままで良いということを表し、頑張っている人を認めてあげる・才能のある人を認めてあげるという強烈なメッセージが凄く良かったと思います。ただ『ありのままで』努力をしなくて良いと、これまでの自分を都合の良い解釈をする人もいるのも確かです。自己肯定感は大切なことなので『ありのままで』に大きな意味がありました。

いずれにしても『ありのままで』はこれまでの過去のことで、そのままで良いということです。『ありのままで』はこれまでを100点と認めることです。

これから大切なことは自分の『ありのままを』受け入れて、今後どうするかという未来だと思います。

『ありのままで』いいんだよという過去が100点という考え方から、『ありのままを』受け入れて対策を考えるという今0点でこれからどうするのかという未来志向が望ましいと思います。

『ありのままで』から『ありのままを』、過去から未来という考え方はいかがでしょうか?

無意識の情報処理の活用法

人は無意識のうちに情報処理をしていることをご存知ですか?

考え事をしたり難しい問題を解いていてもなかなか解決策が見つからないことはよくあります。他のことをしている際に思いがけず解決策に思い当たることがあります。このことを経験されたことがある方には、無意識のうちの情報処理を理解しやすいと思います。

人は意識して考えているときはもちろん解決策を探していますが、実は意識していない時にも無意識のうちに解決策を探すのです。

この無意識の情報処理の有効な活用法は、なかなか解けない難しい問題に直面したら、ひとまず他の問題に取り掛かることです。無意識のうちに情報処理することで、時間の経過とともに問題に対する認識が変わってきます。受験勉強でも同じことです。

一定期間毎に次々別の問題に取り組むと並列して情報処理を行うことができるようです。

寝ている間にも無意識の情報処理が行われることがあるらしく、ケクレによるベンゼン環の発想など大発見が夢の中で発想を得た実例もあるようです。

仕事や勉強で行き詰まったら、気分を変えるためにも別の問題に取り掛かると捗る可能性があると思います。

直感的・感情的思考と論理的思考

思考方法には直感的・感情的思考と論理的思考があります。

直感的・感情的思考

直感的・感情的思考は即座に答えが出せる利点がある反面、様々な要因によって状況が変わるため再現性に乏しく、人に説明し理解してもらうことが困難です。理由を求められても何となくとしか答えられません。

論理的思考

一方論理的思考は状況が同じなら同じ理屈に辿り着くため再現性が保たれ、論理的に説明できるので人に説明することも容易で理解してもらえる可能性が高まります。理由を求められても詳しく説明することができます。

直感的・感情的思考は動物的で、人と考え方を正確には共有しにくいため人との議論や意見交換には不向きです。成功したカリスマ経営者の中に直感的・感情的思考をする人がいます。考え方を伝えるのが苦手なことが多く、周囲の人達は意図や目的・真意を読み取ることに苦労するようです。
論理的思考は思考過程・考える途中経過・判断理由を人に説明できるので、考え方を共有しやすく人間的で話し合いに向いています。思考過程に問題や検討不足があれば、周囲の人達が修正することができるので直感的・感情的思考よりも成功する確率が高くなります。

思考方法の区別にアナログ思考とデジタル思考という思考方法も提唱しています。

スポーツなどで順番を競う理由

行政改革大臣が口にして一時期話題になった『2位じゃダメなんですか?』ですが、発明・発見の分野では1位が総取りで2位には何の意味もないのです。発明・発見の分野では2位ではダメではありませんが、意味はないと思います。

ではスポーツやコンクールなどでは2位ではダメでしょうか?

結論は2位でも3位でも構いません。

一部の運動会では徒競走の順位をつけなくなったとも聞きますが、そもそもスポーツで順位をつけることにどんな意味があるのでしょうか?

それは手を抜かず全力を出し切るために順位をつけるのです。人と比べること競うことで競争心を刺激して、最善を尽くすために順位をつけるのです。

人には多かれ少なかれ競争心が備わっています。この競争心は、食べ物が満足になかった時代、食うか食われるかの生存競争に打ち勝ち生き残るために重要な役割を果たしていました。

その競争心を活用して最善を尽くすように仕向けるのが競うということの意味です。順位は良いに越したことはありませんが、順位だけが大切な訳ではありません。如何に最善を尽くすために努力したか、自分が納得できたかが重要なのです。

つまり全力を出し切るために競うのです。全力を出し切ることができさえすれば目的は達成されるのです。順位はおまけでしかないのです。

順位にお金が絡むようになると順位・勝ち負けが目的と勘違いしてしまう人が出てしまうのです。

この競う意味を知っている指導者達は、勝ち負けや順位に拘らず楽しもうと指導します。勝ち負けや順位に拘らる指導者は勝つために必死なのです。1番という順番にこそ意味がある発明・発見の感覚と勘違いしているのかもしれません。

競技の競う本当の意味・理由を、改めて考えてみるといいかもしれませんね。

出来るようになる言い訳をしよう

出来る言い訳とは何でしょう?

その前によくある言い訳、出来ない言い訳について考えてみましょう。
出来ない言い訳は全くの無駄です。
何故なら出来ない言い訳の多くは、出来るか出来ないか検討した上で、出来ない理由を説明するのではありません。
出来ない決断をしたことを隠すために、周囲が納得しそうな理由を探し出しているだけだからです。
言い訳をするのも聞くのも全くの無駄です。まず反対ありきだからです。

出来ない理由ではなく、後付けで出来ないことにしたい納得してもらえそうなこと(俗に言い訳といいます)を探し出しただけだからです。

建設的な出来るようになる言い訳をしましょう。
これがあれば出来る。これがクリアできれば出来る。
ネックになっているところ・障害になっていることを説明・提案するのです。
出来ない原因を言うのです。
出来るようになる言い訳とは前向き。
出来ない言い訳とは後ろ向き。しかも本当の理由(面倒くさい・ただ単にやりたくない)ではなく後付理由だからです。

見分ける方法は簡単です。
出来ない理由を言った後に、それの解決策提案してみることです。
出来ない言い訳であればすぐに別の出来ない言い訳を必死で探します。目的が出来ないと認めてもらうことだからです。
出来る言い訳であれば、解決策が見つかれば出来る可能性を考え始めます。

出来ない言い訳をする人の対策です。言い訳が終わった後に、じゃあどうすれば出来るか考えて!と伝えることです。

目的が出来ないと認めてもらうことなので、出来る方法を探すなんて考えたこともないので恐らく軽いパニック状態になると思います。もしかしたら言い訳人間が言い訳しなくなる魔法の一言になるかもしれません。良かったらお試ししてみてください。