Amazonと楽天の違い

Amazonと楽天には違いがあります。

Amazonは欲しい物を探すには便利です。余分な情報は極力削ぎ落としてあります。あくまでも消費者にとって有益な情報を最低限提案するだけです。無駄が省かれているので、価格も安く対応も速やかです。お客さんに便利で良い物を提供しようとしています。利益の確保は事業を継続するためです。決して利益が目的ではないようです。私の提唱する『利益は企業のためならず』に近い考え方で運営されているようです。

楽天は欲しい物を探すには不向きで、買い物自体を楽しむことが好きな人には向いていると思います。検索をすると購買意欲を駆り立てるように様々な情報が散りばめられています。目的は衝動買いをしてもらうことです。更に付け加えると会社の利益を上げることが目的です。お客さんの買い物を手助けする視点が欠落しています。店舗は楽天を向き、楽天は利益を向いているようです。誤解させてでも売り上げが上がれば良いと考えているようで、ランキング1位が続出しています。在庫有りで検索しても、在庫のない商品の宣伝を見せるのは辟易します。目的を持って買い物しようとしても「衝動買いの心理」の心理を刺激し、ついで買いをしてもらうことで成り立つビジネスモデルです。衝動買いを繰り返していればいずれお金が無くなります。ふと我に返って楽天から離れてしまいます。

先日書いた損得主義で考えるとAmazonと楽天では得だと考える対象が異なるのです。お客さんの満足してもらうことが得だと考えるかお客さんからお金を引き出すのが得と考えるのかの違いから、売り上げの差は開くばかりだと私は思います。私としては日本の企業に頑張って欲しいのですが…。お金に目が眩んでいると物事の本質は見えないのかも知れませんね。

私は楽天で買い物することは無いので全く私の生活には関係無いのですが、ネット店舗という業態がいつまで持ちこたえるか個人的に興味があります。上記のことに気付いて方針を変えるのか、変わることなく淘汰されるのかに興味があります。

最低賃金の引き上げよりも得な仕組みを

最低賃金を引き上げることが一部で叫ばれています。最低賃金が上がれば企業の合理的判断が起こり、機械化が進むだけだと私は思います。賃金に見合うだけの仕事ではないと企業が判断すれば、最低賃金が上がっても仕事が無くなるのです。

最低賃金が時給1500円程度に設定されている国や地域がありますが、人件費が高いと判断されれば機械化が急速に進むと思います。

最低賃金を引き上げると労働生産性の高い業種も労働生産性の低い業種も関係なく全ての労働者の賃金を上げることになります。労働生産性が低い業種にとっては酷な仕組みです。

一つの提案ですが最低賃金の引き上げよりも、労働者に賃金を支払う方が得な仕組みを考えてみてはいかがでしょうか?別に今でも労働者に最低賃金をこえていればいくら賃金を支払っても良いはずです。しかし企業が賃金の支払いを抑えるのは、賃金を支払うと利益が減るからです。それなら賃金を支払うと企業の利益が増える仕組みを作り出せば、最低賃金を引き上げるより効果的だと思います。つまり労働者に賃金を多く支払う方がお得な仕組みを作り出すのです。

具体的には、労働者に支払った賃金の倍額とか3倍額の経費を認めるなどです。現実的には抜け道を塞ぐ必要はありますが、労働者に賃金を多く支払うと得する仕組みを作り出せば多くの問題が解決する可能性があります。労働者思いの会社が得する仕組みは、理にかなっていると思います。

税金を多く支払うくらいなら労働者に還元しようという考え方です。最低賃金を引き上げるよりも面白い仕組みだと私は思います。

山の日よりも平和記念日を

今日は山の日だそうです。今年から祝日となりました。お盆前の祝日で私は戸惑いましたが、世間では歓迎されているようで経済効果が大きいようです。

私は山の日よりも平和記念日として8月15日を祝日に制定すれば良いと考えています。幾つか意味がありますが、詳しくはリンク先を読んでみてください。幸いにして71年間戦争することなく平和に生きてきています。日本が戦争をしないことを毎年祝う日とするのです。今年も祝うことが出来たと平和であることの有り難みを実感する日とするのです。

私は山の日よりも有意義な祝日になると思います。知り合いの政治家の方がおられたら進言してみてください。

国が方針を変えるだけで医療費の削減は簡単

国が方針を変えるだけで、医療費の削減は簡単です。自己責任として嗜好品による病気は嗜好品を楽しむ人に支払ってもらうようにするだけです。ちなみに自分でわざと怪我をすると健康保険は使えず自己負担となります(自傷行為といの精神疾患の一症状としての、自らわざと怪我をする場合には健康保険が適用されるかもしれません)。それと同じように自分で選んで嗜好品を楽しんだ結果病気になる訳ですから、自分の責任として自己負担が当たり前だと思います。逆に今の状態の方が不公平なのです。何故なら嗜好品を楽しまない人まで、嗜好品を楽しむ人の分の医療費を負担しているからです。

嗜好品に医療費の上乗せ

つまり医療費の中の嗜好品による病気の治療費を、嗜好品を楽しんだ人に負担してもらうのです。国がこの方針を変えるだけで医療費は減らすことが出来ます。突然嗜好品による病気の治療費を全額自己負担とするとなると莫大な費用が必要になるため、大変です。現実的には嗜好品に前もって医療費を上乗せして販売するのが簡単で確実だと思います。治療費を先払いする分嗜好品の価格が高くなるため、結果として嗜好品による病気を減らし国民が健康になるのです。このように考えれば良いこと尽くめです。

タバコ

嗜好品による病気でよく知られているのはタバコです。タバコによる病気の治療費に年間何兆円もかかっているので、その分をタバコを吸う人に負担してもらうのです。タバコによる病気を自己負担とするとタバコ一箱が1000円程度になるようです。

糖質

他にも砂糖や糖質による病気が多数あります。2型糖尿病は間違いありませんし、生活習慣病はただ単に糖質依存症に過ぎません。各種アレルギーも糖質の摂り過ぎに過ぎません。ニコチン依存によりタバコが健康被害があるとわかってもやめられないように、糖質も糖質依存によってやめられないのです。タバコは医療費と比較すると少ないながら課税されている分消費が抑えられていますが、糖質は税金のような足枷がないため安価で食べ過ぎているのです。タバコは年齢制限もあるため、分別がついてからタバコを吸うか吸わないか選択することが出来ます。糖質が厄介なのは子供の頃から当たり前に食べていることです。物心ついた時点で糖質依存に陥っているのです。ちなみに糖質依存かどうかは我慢出来ない程お腹が空くかどうかです。我慢出来ない程お腹が空くのは、糖質依存に間違いありません。何故なら糖質依存の禁断症状だからです。その証拠に糖質依存から抜け出せば、お腹が空かなくなります。正確には空腹を我慢したあとのピークをこえた空腹感しか感じなくなります。

糖質ではなく砂糖に課税しようとした国がありますが、糖質に課税しなければ意味がありません。考え方は本質をかすめているので惜しいものの、本質からは少しズレているので大した効果は期待出来ないでしょう。糖質にこそ医療費を上乗せするべきです。

嗜好品に医療費の上乗せしない方が不公平なのです。

国が病気を生み出している?

現時点では国が病気を生み出しているようなものです。何故なら嗜好品であるべき糖質を主食として推奨し、食事の6割を主食で摂るように促しているからです。このことが2型糖尿病や各種アレルギーなどで国民を悩ませているのです。

国が糖質を食べないように推し進めるだけで、医療費は簡単に削減出来ます。糖質による病気が失くなるのですから。

糖質回避により医療費削減を目指す政治家

糖質を食べないように推し進めることで医療費削減を目指す政治家が出て来ればよいと私は思います。

みんな糖質依存から抜け出しましょう!糖質回避を推し進めます。結果として医療費が削減出来ます。更に糖質による病気の治療費は糖質を食べる人達に払ってもらいましょう。

このことを訴える候補者が出てくると私は面白いと思います。国が負担する医療費が大幅に削減出来ますから、その分を子育て支援に割振ることで少子化対策になります。タバコによる病気の治療費だけで3兆円という資産があります。糖質による病気に至っては、その何倍にもなるでしょう。糖質をわざわざ推奨するせいで、無駄な医療費にお金をかけていると言っても過言ではありません。

農家と製薬会社への配慮が必要

糖質を食べない、タバコを吸わない世の中になれば栽培している農家の方々が困ります。その対策は必要でしょう。具体的には他の作物に切り替えて栽培する手助けをするなどです。

製薬会社も病気があることが前提で病気を治すことを目的にこれまで開発費をかけていたのですから、病気が失くなることに対する配慮は必要だと思います。具体的にはタバコや糖質による病気に対する薬を開発している製薬会社に開発費を補塡することなどです。

簡単なことが出来ない理由

嗜好品と病気に対する既得権益を守りたい人達が必死で反対するでしょう。嗜好品に依存している人達も嗜好品が高くなるので、値上がりには抵抗するでしょう。つまり人それぞれの私利私欲のために簡単なことが出来ないのです。

嗜好品を避ける方が健康になってお得だと理解する人達が少なくとも過半数をこえるまで実現は困難です。しかし過半数をこえた段階で議論が巻き起こることでしょう。嗜好品を楽しんだ結果病気になったのだから、自己責任だという考え方が主流になるでしょう。過半数をこえるのが何時になるのか、時間の問題です。私は20年程度で過半数をこえると良いなと考えています。私の知人は千年かかると言っていました。

少なくとも私の生きている間に実現することを祈っています。

お店がクレジットカードを導入する目的

お店によってはクレジットカードを使って支払いをすることが出来ます。お店は5%程度の手数料を支払って決済する仕組みです。クレジットカード会社との契約で現金とクレジットカードでの支払いに差をつけてはいけないことになっているので、単純に考えればお店は手数料の分損をしてしまいます。客の立場であれば同じ支払いですが、クレジットカード払いの方が0.5〜1%程度のポイントが付くのでお得です。

一見するとお店は手数料を払ってお客の利便性をはかり、その上ポイントまで付くので実質値引きしているようにみえます。実はお店は手数料を払っても得なのでクレジットカードを導入しているのです。クレジットカードは品物やサービスを手に入れて、支払いは1・2ヶ月後です。財布から直接お金が減らないので、使い過ぎてしまう傾向があるそうです。直接現金で支払いしないため「衝動買いの心理」を刺激しやすいのかもしれません。一説によるとクレジットカード払いの方が現金払いより20%多く使ってしまうそうです(かなり以前にどのかで読んだので出展は不明です)。最近ではクレジットカード払いは使い過ぎることに気付いた消費者も増えているでしょうから、クレジットカード払いの方が売り上げが上がるとしても5〜10%程度かもしれません。

一見するとお客さんのためのように見せかけて、実はお店が得する仕組みなのは良くできたビジネスモデルです。お客さんの利便性を高めるために手数料を負担するよりも、その分同じものを安く提供することを目指す企業はクレジットカードを扱いません。また「衝動買いの心理」での購入を良しとしない企業もクレジットカードは扱いません。

クレジットカード払いだとつい使いすぎてしまう仕組みを知った上で上手に使うようにしましょう。

ポケモンGOの可能性 政治に結び付ける

世間で話題になっているポケモンGOですが、政治に結び付ける面白い活用法を思いつきました。ポケモンGOの運営者がこの考え方を受け入れてくれる必要がありますが、行政や政治家が制御出来ないことが面白いところです。

ポケモンGOのジムなどを投票所に設置するのです。日頃は選挙に無関心な若者を投票日に全国の投票所に設定するだけで投票率に影響を与えるのではないかと思います。組織票のように票読が出来ない無党派層が投票所を訪れるきっかけとなるので、世の中が変わるかもしれません。

あくまでも架空の話ですが、もしゲーム内で特定の候補者に投票を促すと、投票に影響するかもしれません。絵空事ですが、もし万が一そうなるとゲームで政治が動くかもしれません。そのように考えると、現実の人の行動を変えてしまう可能性を秘めたゲームはこれまで無かったと思います。

特定の候補者への投票を促すことの実現は難しいとしても、投票所へ訪れることを促すのは比較的簡単だと思います。政治家は難色を示すとは思いますが、単純に組織票での当選が難しくなるからだと思います。

発想一つでゲームが世の中を変えるきっかけになりえる可能性を考えてみました。面白いと思われたら誰か関係者に提案してみてください。

無料ゲームが流行る理由

無料ゲームの意味は以前書きました。ポケモンGOは旅行の意味を変えてしまうかもしれません。今回は無料ゲームが流行る理由を考えてみます。

無料ゲームはゲームの利用料金が無料のため心理的なハードルが低く手軽に始めることが出来ます。このことが流行る理由の一つです。通常はお金という制約の中でゲームをして遊んでもらいますが、無料な分時間をポイントに変えて遊んでもらいます。待っていればポイントが復活して再び遊ぶことが出来ます。時間を待てないとお金を支払うことでポイントをすぐに復活させることが出来ます。お金で時間(ポイント)を買うような印象です。

あと少しでゲーム内の何かを得られる場合、お金を払ってでも手に入れたい欲求に駆り立てられます。その欲求こそ「衝動買いの心理」なのです。その考え抜かれた策略にはまってしまい、つい課金してしまうのです。

一度始めるとなかなか止められない仕組みが組み込まれています。通常なら同じことの繰り返しは人間の飽きる仕組みにより、簡単に飽きられてしまいます。しかし飽きられてしまうとゲームをしてもらえなくなるため、飽きられないように常に新しいことを作っています。例えばイベントであったり、新キャラクターであったり、レアアイテムであったりなどです。

無料ゲームが流行る理由は、人間の飽きる仕組みを回避するからです。延々と繰り返して遊んでしまうのです。「衝動買いの心理」からのめり込んでしまって、無料ゲームに依存してしまう人も出てくると思います。無料ゲームをすることを中心に生活を考えて行動してしまうようになります。課金する人に多くみられると思いますが、ギャンブル依存に近い心理状態なのかもしれません。無料ゲームに依存している人もいることが流行る理由の一つです。

無料ゲームを運営するのは利益を上げることが目的です。時間をお金代わりに差し出して遊ばせてもらっているようなものです。余程暇を持て余している人には良い暇潰しにはなるとは思います。もしくは気分転換に活用する意味はあるとは思いますが、無料ゲームにのめり込んでしまうのはじがもったいないと思います。無料ゲームで得られるのは、暇潰しと気分転換だけだと私は思います。

無料ゲームは娯楽の一つだとは思いますが、楽しみ以外何も生み出すことのない虚像だと思います。次の新しい娯楽が生まれるまでの、一時のブームで終わるように思います。

タイムセールの目的

タイムセールとは時間限定で販売する販売手法のことです。安く買うことが出来るので買う側からするとお得に感じます。スーパーなどでタイムセールを行いますが、インターネットなどでもタイムセールを行うこともあるようです。その目的を考えてみます。

セールは安くすることで人を集めます。タイムセールの目的は時間を限定することで、決断を焦らせることで「衝動買いの心理」を刺激することです。

タイムセールを行うことで欲しいという欲求を刺激し、どうしても欲しいと錯覚させてしまうことを利用します。時間限定なので、判断する時間が限られていることも特徴です。迷っていると品物が無くなってしまうため、冷静な判断をすることが出来ません。タイムセールを行うということは、衝動買いで良いので売り上げを上げることが目的です。

元々欲しい物がタイムセールになったのであればお得ですが、タイムセールだから買うというのは冷静に考える方が良いと思います。

衝動買いを避けるためには、10分程間を開けて改めて考えることをお勧めします。10分しても欲しいのであれば衝動買いではないと思います。10分したら欲しく無くなるのは、衝動買いの心理が働いた証拠です。

タイムセールの目的は衝動買いを促すことなので、目的を理解した上で買うようにしましょう。

広告募集の空き看板が増えている理由

広告募集の空き看板をよく見かけるようになりました。私がそういう視点で見渡すから、余計目につくのかもしれません。

看板広告の意味の変化

実はここ数年で看板広告の意味が変わってしまいました。もしかしたらまだ看板広告をあげている広告業者の方は気付いていないのかもしれません。だからこそかつての広告料での看板広告を望んでいるため、時代の変化に取り残された結果、空き看板が増えていると私は思います。

どのように看板広告の意味が変わったかというと、かつては物事を調べるためには情報を自分で覚えておくか、タウンページなどで調べるしかありませんでした。情報を覚えてもらうきっかけとして何度も目にしてもらう看板には大きな意味があったのです。例えば病気や怪我で病院を探す場合、かつては看板で目にしたことのある病院を受診しようと考えました。いざという時に思いつきてもらえるかどうかが受診してもらえる違いになりました。だからこそすぐに受診に繋がらなくても、何度も目にしてもらえることでいざという時の受診のきっかけになり得たのです。日頃覚えているかどうかが行動を左右していたからです。

スマホの影響

ここ最近で人々の行動が変わったのはスマホの影響です。いざという時にスマホで検索すれば必要な情報が簡単に手に入ります。つまり日頃覚えているかどうかは、行動にはほとんど影響を与えないのです。スマホで検索した結果で、そういえば看板を見たことがあるなという程度の違いにしかなりません。

広告業者はまだ気付いていない?

看板広告による広告効果の変化に気付いた広告主は、看板広告を打ち切るのです。費用対効果を考えれば、ホームページを含めたインターネットでの広告と比較して明らかに効果が乏しくなっています。効果が下がっていることから考えれば、広告料が引き下げらるのが自然の成り行きです。しかしまだこのことに広告業者が気付いていないのか、気付かない振りをしているのかはわかりません。広告主と広告業者の希望の乖離により、金額的に折り合いがつきにくくなってきています。広告効果の変化に気付いた広告主に広告料の引き下げを求めますが、広告業者は引き下げを受け入れてはもらえないため、結果として空き看板が増えてしまうことになるのです。

今後の看板広告

これからもどんどん空き看板は増えていくと思います。余りにも急速にスマホでの検索が広まってきています。費用対効果を考える広告主から順番に取り下げていきます。これからも看板広告を出したままの広告主は、些細な広告料が気にならないくらい余程儲かっているのか、費用対効果という視点を持っていない広告主のどちらかだと思います。そんな視点で看板広告を見てみると面白いと思います。

そして恐らく2、3年もすれば空き看板は減ると思いますが、空き看板が減る時点で広告料が引き下げられたはずです。何故なら今更あえて看板広告に高いお金をかける広告主が現れるとは思えないからです。費用対効果を考えて、効果の方が勝っていると考えられる程広告料が下がることで空き看板が減ると私は思います。

ちなみに看板広告が今でも有効なのは、咄嗟に立ち寄る可能性のある業種だと思います。例えばガソリンスタンドやコンビニなどです。ただし費用対効果を考えれば、広告料に見合うだけの効果は期待出来ないと思います。開店直後とか、競合店が周囲にあるなど特殊な環境でなければ、咄嗟に立ち寄る業種でさえ、看板広告の意味がかなり薄れていると私は思います。

少し前までは奥まったところにあるためわかりにくい業者であれば、案内するための看板広告は意味がありましたが、カーナビとスマホのおかげで案内する必要がほとんどなくなりました。

広告募集の空き看板に思う

電話番号の掲載された広告募集の空き看板は見かけますが、定価の広告料が掲載されていない時点で当分空き看板のままだろうなと私は思います。何故物事を伝えることが目的の看板に、最も重要な情報の1つである価格が書かれていないからです。今時わざわざ電話してまで広告を打ちたい広告主が増えるとは思えないからです。

もしかしたら相手によって広告料を変えるため、あえて看板には広告料を載せていないのかもしれません。それはそれで広告主としては気分の良い話ではありません。いずれにしても看板広告という広告は役割を終えつつあるのかもしれません。

ルール・決まり・法律の出来た理由

現代社会はルール・決まり・法律により社会生活が守られています。これらは何故あるのでしょうか?その理由と目的を考えてみます。

そもそもルール・決まり・法律が無くても、みんなが人の嫌がることをしないという考えで秩序を保つことが出来ていれば何の問題もありません。しかし現実には思いやりのある人だけではなく、自分勝手な人など様々な考え方をする人達がいるため、ルール・決まり・法律が出来たのです。
誰も盗み取ることが無ければ、盗んではいけませんというルールは出来ませんし、誰も人を殺さなければ殺してはいけないという法律もないはずです。

人類が木から下りて大地を歩き始めた頃には、法律はもちろん明確なルールや決まりなどは無かったはずです。盗ったもの勝ちのお猿さんの世界と同じで秩序がない状態です。人々が離れて暮らす狩猟採集生活の場合にはそれ程問題にはなりませんでした。

宗教が秩序を作った

人間は農耕という知恵を習得したため発展することが出来ましたが、集団生活をすることを余儀無くされました。何故ならかつての農耕は人手が必要だつたのです。同時に畑を耕して種蒔きをし、同時に刈り取りをする必要があったのです。多くの人々がいつも一緒に生活をする中で、盗ったもの勝ちでは都合が悪くなりました。そこでルールが出来たのです。盗ったものは相手にしない、ルールを守る人とだけ相手にするようになったのです。まだ人々が文字を持たない時代には、口伝えでルールが広まりました。ルールに従う証に神や仏を信じるようになったのです。つまり宗教が生きる上でのルール・指針となったのです。宗教のおかげでお猿さんの世界にヒトとしての秩序をもたらせたと言っても過言ではありません。

宗教の目的

同じ宗教を信じているもの同士は同じ考え方・常識を共有出来るので、価値観が似通うため共同生活が楽に行えます。逆に違う宗教同士だと、考え方・常識が異なるため、共通する価値観が見出せないためお互い相手にしないようにしたはずです。元々はお互いが仲良く秩序立てて生活するために宗教が生まれたのです。宗教が死後の世界を説くことが多いのは信者を集めるための手段です。誰も見たことのない死後の世界を引き換えに信教を迫るのです。貴方はまだ知らない死後の世界を教えてあげるから、我が宗教を信じてくださいと布教するのです。この死後の世界観の方が有名になってしまったため、本来の宗教の目的である皆が仲良く暮らすという価値観が薄れてしまったのです。

宗教の決まりを守らなければ、死後に罰を受けることになると考えられるようになったのです。死後の世界を人質に現世で決まりを守るように促したのです。世の中のことが良くわかっていなかった時代には、宗教の世界が全てだったので上手く秩序を作ってくれていました。

単純な社会生活で成り立つ時代には、宗教があれば十分でした。しかし社会生活が複雑化するにつれて、宗教の考え方だけでは判断出来ないことが出てきました。同じ宗教によって国が成り立てば、問題ありませんが、異なる宗教同士が一緒に生活するようになると明文化されたルールが必要になりました。何故ならはっきりとした決まりが無いから、やったもの勝ちになってしまうからです。

国の出現

人類の歴史の上で農耕の結果、富という概念が生まれました。力ずくで奪おうとする輩が出てきたため、武力という概念が生まれました。奪われないためにお互いが協力して守る概念が生まれ、国が出来ました。国に秩序を作るために法律が出来たのです。皆に守るように求め、守らなければ罰を与えるのです。法である決まりを律である罰をもって守らせるのです。

 ルール・決まり・法律の出来た理由

ルールや決まり・法律は守らない輩が出現した時点で明文化されたのです。暗黙の了解でみんなが守っていることは、ルールや決まり・法律にする必要が無いのです。マナーと言われる言わば常識が明文化されていないのは、みんなが暗黙の了解で当たり前に守るからです。マナーが乱れマナーを守らない輩が増えてしまえばルールや決まり・法律になるのです。

逆に言えば守らない輩が出現した時点でルールや決まり・法律が作られるのです。少しずつ変えながら継ぎ足し継ぎ足し変えていますが、そろそろ仕組みそのものを変える頃合いかもしれません。