想像力の乏しい人・欠落した人

想像力の乏しい人や欠落した人はどこにでもいるものです。

実は新しいことを受け入れるには想像力が必要です。
想像もつかないような全く新しい概念は、想像力に乏しい人や欠落した人は受け入れることが出来ません。

想像すら出来ないことは理解出来ないのです。

このサイトでは糖質回避が病気を失くす可能性を説明していますが、実はかなりの想像力が必要です。

全てとは言わないまでも、原因不明の病気を糖質による高血糖が引き起こすという考えです。そして糖質依存に付随して高血圧なども起きているという考え方です。

想像力が乏しい人・欠落している人に対して、周囲の人たちは日頃から話が通じないと感じてしまいます。何故なら話をしても知らないこと・わからないことをあまり受け取ろうとしません。わかることしか理解しようとしていないからです。
想像力豊かな人は日頃からあらゆる可能性を模索していますから新しいこと・新しい概念を受け取ることができますが、想像力の乏しい人・欠落している人は逆にみんなが認めた確実なことしか認めない傾向にあると思います。

相手の想像力による会話の工夫の仕方

今回は糖質依存や糖質回避のことを例にあげましたが、日常会話でも想像力はとても大切です。何故なら想像力の豊かな人と想像力に乏しい人・欠落した人とのでは会話の仕方を変える必要があります。

想像力豊かな人

想像力の豊かな人は基本的に何でも受け入れる素養がありますから自由に会話出来ます。
全く知らないことだとしても、そういうこともあるかもしれないというスタンスで物事を受け入れます。新しいことを伝える場合でもあまり気にせずに会話することができます。

想像力の乏しい人・欠落した人

想像力に乏しい人・欠落している人とは会話に注意が必要です。知らないことは基本的に理解出来ないため、わかろうとしてもらえません。少しでもわかってもらうために、知っていることを例えに理解してもらうしか無いからです。少なくとも知っていることから想像してもらうしかないのです。

アナログ思考とデジタル思考の見分け方

アナログ思考とデジタル思考の見分け方を見つけました。

アナログ思考とデジタル思考の見分け方

見分け方は簡単です。何かわからないことを質問してみるのです。アナログ思考の人は質問の答えが的はずれです。デジタル思考の人は質問の答えが的確で明確です。

アナログ思考の特徴

アナログ思考とデジタル思考の概念を思いつくまでは、質問に的確に答えてくれない人は、わざと誤魔化しているのだと思っていました。どうやら違うようです。都合の悪いことやわからないことをわざと誤魔化して言い逃れしようとする人も確かにいますが、的はずれな答えをする人の多くはアナログ思考のようです。

アナログ思考はそれぞれ相反する考えの境界線が不明瞭なため、両極端は説明できても、中間周辺のことは自分でも区別できないのです。自分で区別できないことを人に明確に説明出来ないのは当然といえば当然です。

要するに本人はわかっているけど人に説明するのが苦手というのがアナログ思考です。

アナログ思考の人の特徴は抽象的な説明が苦手です。すぐに例えばと具体的な例をあげ、相手に具体例から抽象的な概念を類推してもらおうとします。抽象的な概念の扱いが苦手なようです。

デジタル思考の特徴

物事の概念の境界線が明確に理解しています。質問の多くは問題の境界線の区別がわからないことに対するもののため、その区別を一言で伝えるのでわかりやすく、的確です。

判断基準を明確に出来るため、人にも伝えやすく再現性にも優れます。

様々な問題を解決するには的確な思考方法だと思います。

仕事が遅い人の対策

仕事が遅い人と周囲が思う人がいます。

実は仕事が遅い理由は二つに分かれます。

能力的にこなしきれないため仕事が遅い

わざと遅くしているわけではなく、能力の問題でこなしきれないのです。責めても仕方がありません。その人の個性です。精一杯仕事に取り組んでいるのは伝わるのですが、仕事が進まないのです。
能力的に精一杯なため、自分で早くするための改善点を探す余裕が無いのです。

対策は簡単です。仕事の遅い原因の多くは躊躇いです。躊躇いを無くして早く出来る改善点をアドバイスしてあげることです。

仕事の全体像が見えていない状態で、目の前の仕事に必死で取り組んでいる場合も結果として仕事が遅くなってしまいます。
総論がわからず各論に捉われているような状態です。
一定の広さの草むしりが仕事ですが、まず全体を大まかに草むしりをして、足元に残った小さな草を細かく抜いて綺麗にする方が要領よく作業ができますが、目の前の草むしりを完璧にこなしながら少しずつ少しずつ作業を進めているようなものです。
何事も荒削りから初めて、段階を追って仕上げに移りますが、最初から仕上げの状態ですべての作業を進めようとしてしまうため全く作業が進まない状況に陥ります。

能力的には問題無いが早くする気がない

早く仕事をする意味をしらないか、向上心が欠落しているため、改善しません。
手抜きをしているわけではなく、自称最善を尽くしている状態です。(中には手抜きをしていてもばれていないと考えている不届きな輩もいるにはいます)

対策は、早く仕事をする意味を伝えてあげることです。早く仕事ができるとみんなが助かること・得することを説明する。そして早く仕事が進むとこを楽しむという価値観を伝えることが出来れば、最高です。そうなると自分で楽しみながら、早く仕事が進む方法を探すようになると思います。

仕事の遅い人の対策の極意

能力的に問題があれば、具体的な改善策を相談。
能力的に問題無ければ、自分で改善点を探すように仕向ける。

二人で議論しても永遠に決着がつかない

実は二人で議論しても永遠に決着はつきません。水掛け論に陥るという言葉もありますが言った言わないで揉めるだけでなく、二人で議論すること自体にあまり意味がないのです。
何故ならお互いの主張がそれぞれあるから議論になるのです。お互い認め合う余地があれば、議論ではなく意見の擦り合わせ・確認・認め合いになるので、議論にはなりません。

人々はそれぞれが信じていること、正しいと思うこと、経験など全てが異なります。誰一人として全く同じ考えを持つ人はいません。善悪の価値観も相対的なものです。

まずお互いの立場や信じていることからして違うので、価値観や尺度が異なるのです。
尺度だけ見ても片方は1・2・3で話をしていても、片方はA・B・Cの話をしていて議論がかみ合ないこともよくあります。同じ尺度に揃えないとお互いの意志の疎通すらはかれないのです。

第三者に当たる議論の根拠になるものが、宗教や倫理観であり規則であり法律です。

共通認識のルールがなければ議論は無意味

誰が正しいかなんてわかりません。
無人島で二人で口喧嘩したとしたら、永久に決着はつかないでしょう。
殴り合いをすれば、どちらか腕力の強いほうが勝つでしょう。
暴力で解決するというのは一つのルールではありますが、人間がサルと変わらない価値観、それで良いのでしょうか?

多数決の決定に従う理由

話し合いで解決するというルールの中で決めるのであれば、どちらかが我慢しない限り永遠に解決しません。3人目がいて初めてどちらが正しいかもしれないということがわかるのです(正確にはまだわからない・・・。というよりも正しいかどうかなんて誰が判断するか?ということです)
正解がわからないから少しでも大勢が納得できる多数決という考え方が生まれました。
何が正しいのかわからないから、わからない中で知恵を集合すれば最も正解に近いはずだという考え方です。
ちなみに科学の分野では多数決は無意味です。何故なら正しいことは1人しか言っていなくても、正しいからです。
正しいことがわからないので仕方なく、多数決をするだけのことです。

宗教の生まれた理由

大勢が集まって生活するようになって、いちいち多数決をすると不便です。
生き方の基準がないと、様々なことの判断がつかないから皆が生活しやすいように一種のルールである宗教が生まれたのだと思います。
同じ価値観で、同じ生活様式で生活し、同じタブーをもって生活する。
価値観が同じなので非常に生活しやすいのです。いわば生活の知恵として宗教が生まれたのだと私は考えています。
『神』や『アラー』や『仏陀』、『八百万の神(万物全てに神が宿るという考え)』、『ブラフマー』(ヒンズー教)に従うことをよしとするのだと思います。

宗教の話の詳しくはこちらをご覧ください。

国としてルールを作る

話し合いや明文化しない一般常識で解決しないことは国が法律として定めます。
いわば外枠を作って、その枠から外れると犯罪として取り締まるという考え方です。
みんなが従うルールを作るのが目的です。

当事者同士での話し合いが成り立たないのは上記の通りですが、その話し合いの指針を作り出すいわば3人目の役割をするのが法律です。
どんな議論も共通の指針となるものが存在しなければ、無意味です。
他国の人と議論がかみ合わないのは、そもそも法律・文化・風習が異なるため、共通の指針がないことが原因です。
無人島でルールなしでいきなり話し合うのとよく似ています。

議論する前に共通の指針をお互いで確認することをしないと、議論は全くかみ合いません。

同じ日本語を話をしていても、共通認識のないまま議論をしていることはよくあることです。
議論する前に前提条件をお互いで確認することが、争いを早くおさめるコツかもしれませんね。

進化できるのは人間だけ? ~新進化論~

進化という言葉があります。
多くの人のとらえ方は、古いものが新しいものに入れ替わること、単純なものから複雑なものに変化していくことだと思います。

タイトルの進化できるのは人間だけ?というのはやや大袈裟な表現ですが、その意味を説明していきます。

宗教的に信じていない方もおられますが、多くの方が理解している通りダーウィンの進化論で明らかになりましたように、様々な生物が進化して今の形態になりました。
この進化論で誤解を生じている人が多くいます。

生物が意思をもって進化したと、人間的にとらえていることです。
生物は遺伝子によって後の世代・子孫に情報を伝えます。伝える情報に意図的に変化をもたらしたり、偶然傷ができて損傷してしまうことで子孫に様々な変化をもたらします。その様々な変化が生存に有利に働くと子孫をより多く残すことができ、不利に働くと子孫を残すことなく死に絶えます。

淘汰の生き残り

優れたものを選んで作り出した印象を受ける進化という言葉ですが、実は偶然生まれた多様性(様々な性質・特徴のこと)の中で、適したものが環境というフルイにかけられて生き残っているだけのことなのです。進化というより淘汰の生き残りと表現する方が適切だと思います。
ダーウィンが見つけた進化論というのは画期的な理屈でしたが、実は淘汰の生き残りを歴史を遡って解釈したということです。進化論という言葉は、生物があたかも優れた性質を考えて勝ち取り、生存競争に生き残ったという錯覚を起こしてしまいました。

動物は意図的に優れた性質を狙った進化ではなく、淘汰の生き残りの結果ということです。
実際には高度な知恵のある動物も存在するので、それらは自ら考えて進化していると表現できるかもしれません。具体的には仲間で合図をしていて狩りをするイルカや、道具を使うチンパンジーなどは進化しているといえると思います。しかし積極的に合図や道具の工夫はしないのが人間との大きな違いです。

進化とは

ここでいう進化とは、単純なものから複雑なもの、難しいものから簡単なもの、古いものから新しいものに意図的に改善していくことです。
仕事でも物事でも、自分自身のことでもよりよく改善する変化を進化と表現することができます。
人間は様々な改善策を探して、どんどん進化していくことができます。
物や技術を発展させることで、人々は一昔前では考えられないような魔法のような生活を送っています。
魔法のような生活の獲得も進化といえるのかもしれません。

そして言葉一つで行動を変えることができる、魔法使いのような存在は人間だけです。
そもそも一部の動物にみられる簡単な合図ではなく、複雑な言語を使うことができるのは人間だけですから当たり前といえば当たり前です。

究極の進化

この言葉一つで行動を変えることが、究極の進化ではないでしょうか?
人間は言葉一つ・きっかけ一つで考え方を変え、行動を変えることで、進化することができる生き物なのです。

そういう意味で、意図的に進化できるのは人間だけだと思います。
具体的には言葉一つで糖質をやめることで、糖尿病を失くしてしまった患者さん。
病気を失くしたのですから、すでに患者さんでもなくなりました。
彼は言葉一つで一段上のステージに進化できたのだと思います。

人間は言葉の魔法一つで進化できます。
言葉にそんな魔力が秘められているなんて考えたことがありますか?
これから書いていくそんな言葉の使い方の話が、新進化論です。

ギリシャ問題の本質

ギリシャがヨーロッパから世界を揺るがしています。

民主主義の原則に則り、国民の意向に沿って政治を行うのは良いことです。良いことですが、国内だけで問題が解決するなら国民の機嫌をとるだけで終わっては大変です。

債権者の意向を無視し自由奔放に振る舞っているのが問題の本質です。

国民負担を軽くするか重くするかで、国民が選べば軽くすることを選びます。国民は軽くすることが何を『意味』するのか理解しないまま首相を選んでしまったのです。

そして首相は選挙で勝ったことの『意味』を勘違いしたようです。選挙に勝ったから、債権者のことは考えず、国民の負担を軽くする方針が正解だと誤解しているのです。かつて日本で徳政令発令が頻発し経済が混乱したことからも、借りたものを返さないことが許されると非常に混乱します。

そして国民は今までの生活を確保したまま、軽くすることを望んでいます。そんな魔法のような方法はありません。

子供の論理

物事は全て何らかの対価の上に成り立ちます(トレードオフの関係)。負担を軽くするなら何かを我慢しなくてはなりません。そのことを差し置いて要求だけするのは子供と同じです。

お手伝いは嫌だけどおもちゃは買ってという子供の要求と何ら変わりません。子供は要求には対価が必要だというを常識をまだ知らないのですから仕方がありません。子供の場合は教えてあげればいいのです。

何かを欲しいなら何かを我慢するか、何かをして欲しいなら変わりに何かをするのかを身をもって知る必要があるのです。

国の場合は…。1人のカリスマ指導者が現れるのを待つか、大問題と引き換えに、要求には対価が必要だと実感するかでしょう。

ギリシャの場合

ギリシャの場合周辺国や債権者たちは何度も改善策を提案していました。そしてこのままいくと経済的に破綻してしまうことも説明していました。

ギリシャはヨーロッパ諸国がユーロ圏の離脱を認めないと思い込んでいたのです。つまり最悪の事態はありえないと高を括っていたのです。

もしくは治ると思い込んで病院を訪れる患者さんに、どれだけ治らない病気だと説明しても、治らないことの意味が理解できない心理と似ているのかもしれません。

そして子供と同じで、どんなことがあっても見捨てられるわけがないと甘えているのです。見捨てたらヨーロッパも困るから、ユーロ離脱は選択肢にないと勝手に思い込んでいたようです。

期限の2015/6/30までに国民投票を提案されたのに、期限後に国民投票を行うのは物事を論理的に考える人間にとっては意味不明です。

子供の理屈でユーロから放り出されないはずだという根拠のない思い込みがあったと仮定すれば何とか理解できます。

もしかしたらギリシャ首相が常人の常識を遥かに超える『知恵』の持ち主で、現時点の全ての物事を計算し尽くしていて、実は計算通りに事が進んでいることを密かに祈っています。そして世界中のみんなが納得する形で、事態の収拾を図ってくれることを祈っています。

どこかの国のかつての首相のように、思いつきで発電所を地獄にしたようなことにならないことを心から祈っています。

銀行からお金を引き出せない事態で、国民は悪夢から覚めたのかもしれません。もしかしたら本当の悪夢は始まったばかりかもしれませんが、

ヨーロッパ諸国・債権者の誤算

ヨーロッパ諸国の誤算は、ギリシャを大人扱いしてしまったことです。

自分達で賢い判断ができると自分達の価値基準でギリシャを判断したことです。自分達と同じ大人扱いしてしまったのです。ギリシャの人達を貶めるつもりはありません。ただ要求には対価が必要といあ常識、世界中では当たり前のことを、余り理解できていないように見受けできることを表しているのです。

財政破綻は嫌だけど年金は温存、支援して欲しいけど税金はそのままなど。

誰の問題か?(問題論)

誰の問題化を考えるのは簡単です。放置したら誰が困るかを考え、困る人の問題です。
もしかしたらギリシャの人達はヨーロッパの人たちの問題だと勘違いしたのかもしれません。
ギリシャがユーロを離脱するとヨーロッパの人達も困るからギリシャの人達と同じつもりで、ユーロ圏に残るように助けてくれると思っているのではないでしょうか?

ギリシャのユーロ離脱は確かに混乱はしますが、ギリシャの人達の困難より他の国々は遥かに小さな混乱です。その温度差を余り理解できていないように思えます。

もう一つ問題があります。もし財政破綻しても首相は命を失うだけではありません。職を失うだけです。失業してしまう他の国民と同じくらいしか困らないのです。そのためあまり先のことは考えていないのではないかと疑ってしまいます。アナログ思考とデジタル思考でいうと圧倒的アナログ思考で、デジタル思考で考えると明らかに取り返しのつかないデッドラインを越えているのに、デッドラインが理解できずまだ挽回できる可能性がどこかにあるはずだと存在しない可能性を模索しているのかもしれません。

どこかの国の元首相のように、国の運営が目的ではなく、元首相の肩書きを目的に腰掛けで首相になっていないか心配になります。

自分達の問題だと捉えていれば、国民投票は2015/6/30の返済期限までに行うはずです。

私の頭では正直ギリシャの情勢が理解できませんが、理解できる余地があるとすれば上述した子供の論理だけです。私などの常人の考え及ばないような解決方法を、ギリシャ首相が準備されていることを心から祈っています。

幸いギリシャが財政破綻しても私の生活に直接影響はないので、私の問題ではありませんが、世界恐慌を引き起こすことになれば私の問題にもなります。
世界恐慌に陥ることがありませんように。

『病気が治る』を改め『病気を失くす』

2型糖尿病肥満高血圧などが治ると表現していましたが、間違っていました。

治るのでは無いです。

病気が無くなる。

そもそも2型糖尿病や肥満は糖質に対する認識が原因で引き起こされた疾患というよりは状態です。

原因である糖質を摂り過ぎなければ、そもそも2型糖尿病や肥満の状態にはなりません。

糖質を控えることで改善すれば、2型糖尿病や肥満は治るのではありません。2型糖尿病や肥満は失くなるのです。表現を間違えていました。

病気を失くす

歴史を振り返ると、知識不足による食べ物の選択ミスによる病気がありました。ビタミンという概念が無かったためにビタミンが含まれた玄米をビタミンを削ぎ落として白米にして食べたために生じた何万人もの死人を出した脚気のように、現代にも食べ物による病気が蔓延しています。現代の脚気とも言える様々な病気を治すのではなく、失くしてしまいましょう。

幸いかつての脚気は先人の『知恵』により日本ではほぼ無くなりました。

次は2型糖尿病、肥満、高血圧を失くしてしまいましょう。アレルギーも恐らく失くなると思います。

病気を治すのではなく、失くす。無になるのではなく、病気を失ってしまう『意味』を込めて病気を失くす。当て字ですが表現としてぴったりだと思います。

二つの最善 ~自称最善と絶対最善~

実は最善には2つあるのですが御存知ですか?
言葉で区別するとすれば自分なりの最善である自称最善と、誰が見ても最善である絶対最善です。

自称最善

自称最善はいわば自分なりの最善ということです。主観的最善と言い換えることができます。自称最善は競争相手がいなければ大きな問題にはなりません。自分も納得し、周囲もそれを受け入れます。
しかし競争相手がいれば自称最善はただの自己満足でしかありません。自分なりに最善だと思っていたことが、他の人にとっては努力してない状態とあまり変わらない可能性すらあります。競争のスタートラインにすら立てていないこともあり得ます。

しかし人と比べなければ問題ないのも自称最善の特徴です。他社と比較しなければ自称最善で社内は納得していることもあるようです。

行政・自治体がなかなか動かない・変わっていかないように見えるのも、自称最善だからなのかも知れません。他と比較する発想がないので自分なりの最善を尽くしているので、これ以上どうしようもないと行政側は考えているのかも知れません。

身近な例で考えると、腕立てや腹筋などの筋トレです。自分だけだとどうしても最善を尽くしたつもりでも、少ない回数で挫折してしまいます。これが自称最善です。(そもそも人との比較や競争が無ければ、筋トレをわざわざしないように思います)

絶対最善

絶対最善は誰から見ても最善です。客観的最善と言い換えることができます。もしくは考えつく限りの最善を尽くすのが絶対最善です。考えつく最善があっても、出来ない言い訳をして自分なりの最善で納得出来るのが、自称最善です。
一方誰がみても最善が絶対最善です。

スポーツやコンクールなど人と優劣を競うのは、自称最善の自己満足だけではなく、人と比べることで自分の考え得る絶対最善を引き出す手助けをするためです。

絶対最善、誰が見てもベストを尽くす努力をしたのであれば、勝ち負けや順位は飾りでしかありません。

筋トレの例えであれば、数人で競ってトレーニングしていることを想像してみてください。もしくは目標回数を設定され声をかけられている場面を想像してみてください。筋肉の限界目一杯、もう動かないまで頑張るのが絶対最善です。

競争する『意味』

勝ち負けや順位は絶対最善・誰から見ても最善を引き出すための手段であって、目的ではないのですから。勝ち負けや順位だけに拘るのは、手段と目的を取り違えている人達です。

競争をしなくてもみんなが絶対最善を尽くすのであれば、競争は必要なくなります。

しかし国の方針として競争を排除した国々は、経済的に立ち行かなくなり、淘汰されつつあることが競争の大切さを証明しています。

教育の現場では順位をつけることを躊躇う声が聞こえてきます。競争の『意味』を知らない人が、手段と目的を取り違えた上で、競争自体を排除しようとしているのです。

競うことに疑問を持ってしまったら、絶対最善を尽くすために競争する『意味』を、今一度確認されることをお勧めします。勝つことに『意味』があるのではありません。競うことにこそ大きな『意味』があるのですから。

絶対最善を実践する企業

おまけですが、ある突き抜けた企業は恐らく他社との競争は余り考えていません。考えつく限りのお客さんの最善を絶えず自ら追求しているだけで、他社と比較する必要がない程突き詰めて絶対最善を実践しています。理念・方針が突き抜けているので、他社は競争相手になれないのです。現実に利益は企業の為ならずの私の考えた諺を実践している企業があるのです。(実際にはある企業の経営方針に感銘を受け、この諺を作り出しました。) 私は付け入る隙の無い理想の企業だと思います。

絶対最善企業は改善できる点は、まだ問題が起こっていなくても改善します。何故なら改善策を思い付けば、問題に至る前に対策を取ることが最善だからです。そもそも価値基準・志が自称最善企業とは全く異なります。

出来ない言い訳を考えるか、出来る言い訳・改善点を考えるかの違いかも知れませんね。

絶対最善企業はどれでしょう?

アップルとソニー、トヨタとマツダ、Googleとヤフー、Amazonと楽天

病気が治らないことを伝える魔法の言葉

病気が治らないことを伝える魔法の言葉を考えてみました。

長い時間かけて現代の医学では治すことができない病気であること伝えたとしても、治ると思い込んでいる患者さんにはなかなか理解できないのが現状です。

治らない病気に自分がかかるわけがないと思い込まれているので、治らないと口で説明されても、治らないこと自体が受け入れられないのです。現代の医療は何でも突き止めることが出来て、どんな病気でも治すことが出来ると過信しておられるのです。

長い時間をかけて説明して納得して頂いたつもりでも帰りがけに、症状が一旦良くなったらまた出てくるのは何とかならないかと言われたことが何度もありました。

口で説明しても、治らない病気に自分がかかってしまうという概念が欠落しているので、受け入れることが出来る素養が無いのです。恐らく一時間説明しても理解してもらえないとわかりました。

そこで思いついたのが魔法の言葉です。

病気が治らないことを伝える魔法の言葉

私は患者さんに

『そんな魔法みたいな薬はないんです。』

と伝えることにしました。あれだけ苦労して時間をかけて説明しても理解してもらえなかった、この病気が治る薬はないことをたった一言『魔法みたいな』という魔法の言葉で伝えることが出来たのです。

皆さん魔法が無いことは御存知なので、そんな魔法のような薬も無いことを一瞬で理解してもらえます。

私は言葉の魔法だと思います。

文字通り『魔法』の言葉を使うことで一瞬で概念を作り出すことにより、かなりの時間を節約することが出来ています。

こと『魔法』と言う言葉を使うことで、笑い出す患者さんまでおられます。そうか魔法かwと。無い薬を探し求めてしまっていたことに一言で気付くことが出来たからだと思います。

医者にこそこの魔法の言葉を使ってみて欲しいです。

何より一言で患者さんに理解してもらえますから、医者にとっても患者さんにとってもお得ですよ。

私は言葉の魔法の使い方をまだみんな知らないだけで、その秘めた力と正確な使い方を知ることで更に発展出来ると私は思っています。

言葉の魔法。本当にあると素敵だと思いませんか?

そして治らないことが常識だった病気が治るかも知れない話はこちらです。

こちらも別の『意味』の魔法かも知れませんね

患者さんの治ると医師の治るのすれ違い

患者さんと医者のすれ違いは良くあることです。

その一つが患者さんの治ると医師の治るのすれ違いです。

患者さんにとっての治る

患者さんにとって病気が治るというのは薬を使わなくても健康な状態になることです。一時的には薬を使うことはあっても最終的に薬が必要なくなる状態のことです。

確かに細菌感染やウイルス感染などの感染症は、抗生物質や抗ウイルス剤が効くものに限って治すことが出来ます。

実際には治すことの出来る病気は数少ないのが現状です。

医者にとっての治る

本来医者にとっても治るとは薬が必要ないことです。しかし多くの病気は治らないことが医者には当たり前で常識となっています。治らない病気だという前提で、止むを得ず治療しているので薬を使って症状を抑えることが出来ている状態を治っていると表現している医者がいるのも事実です。実際には医者によっては治るということを勘違いしているか、治っていると錯覚しているのかも知れません。もしかしたら最終的に薬が必要ない状態を患者さんが求めていることを知らない医者もいるのかも知れません。

医者によっては医者としか会話しないため、治らないことが余りに常識になり、患者さんにとっても治らないことが常識はずだという大きな勘違いをしています。(実際には相手も常識のはずだとも思っていません。治らないと知らない人がいることが想像つかないのです)患者さんが治らないことは受け入れていると思い込んでいるのです。

想像すら出来ないことは理解出来ない

逆に患者さんによっては治らないことなど想像すらしない常識の外なので、言葉では理解出来ない患者さんもおられる程です。10件以上幻の薬(治らない病気が治る薬)を求めて病院を転々とされた患者さんにお会いしたのもお一人二人ではありません。治らないこと、治せる薬がまだないことを何度も繰り返し説明しても、帰りがけに一旦良くなってもまた症状が出るのは何とかなりませんか?と言われるのです。つまり治るはずだから治る薬が無いこと自体が受け入れられないのです。私は比較的説明はわかりやすいと自負していましたが、全くの思い上がりでした。相手にその概念が無ければ、いくら言葉を並べても理解出来ないのです。

魔法の言葉

患者さんに概念が無いことを一言で理解してもらえる方法を考えました。

そこで思いついたのが魔法の言葉です。

こと魔法の言葉を使うようになって説明時間が大幅に短縮出来ました。

一言で病気が治る薬が無いことを理解してもらう言葉です。

詳しくは次の記事