営業成績も商品を売った金額で判断されるためやむをえないとは思います。
営業マンの意味
営業成績も商品を売った金額で判断されるためやむをえないとは思います。
誰の問題か区別して考えましょう。
他人の問題に介入するのは越権行為です。
他人の問題に介入しようとするから争いが起こるのです。
誰の問題かを区別する方法は簡単です。
放置した場合、誰が困るかです。
困るのは誰かを考えるのです。
最終的に困る人の問題ということです。
親子であっても他人の問題に口出しをするから争いを生じます。
意見を言う場合、自分が困らない問題に口出しをするのは越権行為です。感想を求められた場合は別ですが、自分から感想を述べるだけでも議論が混乱するため他人の問題への口出しは控えるべきです。
基本的に他人の問題に口出しをしなければ争いは起こりえません。
争いの元をたどれば、他人の問題への口出しが原因だということはよくあります。
例えば、子供が宿題をしない。
困るのは子供ですから、子供の問題です。
そのことに口出しをすること自体が問題なのです。
子供が困ることを理解させることが大切です。
他人の問題に口出しをしない。
自分が困る自分の問題だけ口出しするように心がけましょう。
私はアドラーの心理学から学びました。
自分の頭で考えよう
ちきりんさんの本です。
自分の頭で考えるのは当たり前なのですが、実は巷では人の考えた結果を知ることが自分で考えたと勘違いしている人たちが大勢いることを表している本です。
与えられた情報から自分独自の考えを導き出すことの大切さをわかりやすく説明してくださった本です。
私の頭の中のモヤモヤもこの本のおかげで整理整頓することができました。
そんなためになった本です。
良かったらご一読ください。
時間の使い方を考えてみました。
1日は24時間は誰にでも平等に与えられた時間です。
しかし使い方は人それぞれ異なります。
やりたいことが山ほどあるので、少しでも時間を有効活用する方法を考えました。
方法は三つです。
1.に関しては20代のころからトレーニングをしていました。幸いタイピングゲームが訓練に最適だったので、楽しみながら入力速度を上げました。3.に関してはできるだけ思考を抽象的に行うようにしました。何故なら物事を具体的に考えることは一つ一つの違いを考えなければならず、時間がかかるからです。できるだけ一般化し、抽象的に物事の本質をとらえて考えるようにしました。このことを文章で説明することは今の私には困難なので割愛します。
私の速読のやり方は至ってシンプルです。
恐らく頭の使い方を変更することが得意な方はごく簡単に速読できるようになると思います。頭の使い方を変えるという概念自体がない方はこの速読法は困難かもしれません。
やり方はワープロの入力の際、何度も出てくる単語登録をする方法を活用します。
例えばアメリカ合衆国という単語が何度も出てくる文章を入力する際、『あめ』と入力して『アメリカ合衆国』と入力できるように単語登録を行います。これを速読に応用します。
文章を読む際
『アメリカ合衆国』という単語が何度も出てくれば、『アメ』まで読んで後が続いていれば、頭の中で『アメリカ合衆国』だと短縮読みして読み飛ばすのです。何度も出てくる単語をこの容量で読み飛ばすことで、読む速度を速めます。長ければ長い単語を短縮して読み飛ばすことで早く読むことができるようになります。いくつもの単語を組み合わせて速読を行うことで、速度はドンドン上がっていきます。文章の意味が通じなければ予測が間違っているので、元に戻って読み返せばよいのです。
日本語は表意文字のため、漫画のような絵として一瞬で意味を読み取ることのできることを利用した速読だと思います。
全員の方ができるようになるかどうかわかりませんが、理屈は難しくない速読だと思います。
良かったらお試しください。
織田信長が本能寺で倒れず、生きながらえていればと考えてみました。
必ず行ったであろうと考えられるのが、実際には豊臣秀吉が行った武器を取り上げる刀狩です。
豊臣秀吉が行った力ずくでの刀狩であれば、隠す人間が必ず一定数いたはずです。
織田信長は物事を常識に捉われず、非常に合理的に考える人物だと認識しています。
合理的に考えると、刀を隠されてしまうような制度の隙はなくすと思います。
信長であれば、刀を買い取ったのではないかと思います。
以上を周知徹底するのです。
実際に打ち首にするほど徹底するかは別にして、刀を早く差し出すと得をし隠すと損をする仕組みを考えだしたのではないかと思います。
歴史のやり直しはききませんが、織田信長が何年か余分に生きていれば、もっともっと日本は合理化が進んでいたと思います。
織田信長のような合理的で剛腕な政治家が表れて、日本を私利私欲が差し挟まれる隙の全くない、合理的な世の中に変えてくれるといいんですけどね。
怒らない子育てという考え方がはやっているようです。
よいことだと私は思いますが、勘違いされている方も多いようです。
怒らないのと放置を混同されているのです。
子供に任せると称して、放任主義。育児放棄・ニグレクトの一歩手前という人もおられるようです。
放任主義の怒らない子育てと怒る必要のない子育ては全く異なる概念です。
怒る必要のない子育ては、文字通り子供に対して怒らないのはもちろん、怒る必要がない子育て方法を模索するという考え方です。
基本的に子供は物事を知りません。
ただ知らないだけなのです。
知らないからこそ無邪気な言動をしてしまうのです。
何故なら子供が知らないのは誰の責任かを考えればわかることです。
そうです子供が知らないのは親の責任なのです。親の責任なのに親を怒らず子供を怒るのは子供にとってはいい迷惑です。
怒りたくなることもあるとは思いますが、何かを知らないのです。
例えば片づけをしない。宿題をしない。
片づけをする意味を知らないのです。片づけをした方が探し物が早く見つかるというお得なことを知らないだけです。
宿題を早くやる方が時間を有効活用できてお得なことを知らないのです。
知らなければ教えてあげれば良いだけです。
何度も言っているといわれる方もおられることでしょう。
ただ単に言っただけで子供には伝わっていないだけです。伝われば子供は変わります。伝わらなければ伝わるまで伝え方を変えるのです。
そして子供の問題、つまり子供が困る仕組みを考えるのです。
片づけをしなければ、大きな箱に全て放りこんでしまうのです。
探すのに苦労をするから片付けた方がお得だと実感させるのです。
宿題をしなければ、放っておくのです。
勉強ができないと将来困ることは伝えてあげてもよいかもしれません。
ゲームなどをして宿題をしないのであれば、子供にとっての仕事である宿題をすることで、ゲームをする権利を得る仕組みを作ってもよいと思います。
最終的に忘れていくか、追い込まれてやるのか子供に選択させるのです。
絶対に手伝ってはいけません。
困れば手伝ってもらえると学習し、わざとやらなくなる動機づけになるからです。
宿題をするかしないかは子供の問題で、困るのは自分だということをしっかり理解させてあげることです。
子供の問題を親の問題と勘違いして、親が困ることのように怒ってしまうのです。
別に子供が宿題をしなくても本当の意味で親は困らないのです。
子供にとっては、親が勝手に困っているけど何でだろう?
何で宿題しないと親が困るのだろう?と思っているのではないでしょうか?
子供が勉強しないことで親が困っていると、子供にコントロールされるようになってしまいます。子供が何か要求があると勉強の手を止め、親を脅し、勉強したら何かしてあげるという条件を引き出すようになってしまいます。
子供が勉強しなくても困るのは子供。と子供の問題を背負わないことが大切です。
怒ることの意味を考えてみました。
あまり知られていませんが、怒ることで相手は怒られたことを反省すると考えがちですが、大きな勘違いです。
何故なら多くの場合怒られるとわかっていて怒られるような行動をしているわけではないのです。怒られると知らないからこそやってしまったのです。
そして怒ることで伝わるのは怒っているという事実だけです。何か怒らせることをしたんだろうなという漠然としたことだけが伝わります。何故なら感情的に任せて怒っているだけで、怒っている理由を相手にわかるようには説明していないからです。
ありがちなのが怒っている際にガミガミ言った後で
『わかった?』と聞くことがあります。
ここで『わからない』などと言おうものなら振り出しに戻るので、怒られている人は実際には全くわからないと思っていても口が裂けても言えません。結果として『わかりました』という答えが返ってきます。
怒られる理由がわからないので、同じことを繰り返して余計怒るという無限ループに陥るのです。
そもそも何故怒られているか理解しないまま怒られているのですから、わかったと言われても本来はわかるわけがないのです。でも余計怒られるから言えない、結果再び怒られる、の繰り返しです。
怒るという行為は、わかりやすくいうと犬が吠えているような状態です。
怒っていることはわかるけど何を怒っているのかわからない。怒っている理由を聞きたいけど聞けない、その意味で犬が吠えるのと同じなのです。
怒られた側としては、エサを取られると勘違いしたのかな?と類推するしかないのです。
人間同士なのに吠えるだけなのは勿体無いですよね。何故なら人間には怒る理由を説明出来る言葉があるからです。
怒っている人も同じです。怒っている理由は怒っている人にとっては許しがたい当たり前のことですから、わざわざ口に出すのも憚られるほどの内容です。
怒っている人にとっては当たり前ということがポイントです。
怒られている人にとっては初耳です。当たり前でもなんでもなく、全く知らないこともよくあるのです。それこそ想像すらしていないことを怒られているかもしれないのです。想像すらできないことを言葉で言われても全く理解できないので、それこそ本当に犬に吠えられているのと変わらないのです。それを一方的に怒られるのですから、どうしたらよいのかわからないのです。
このことは三つの理由があります。
いくら腹が立っても相手が知らずにやったことを責めても仕方がありません。同じことを繰り返さない目的で、知らないことは教えてあげればよいだけのことです。本来相手の立場であれば知っているべきことで、知らないこと自体が落ち度なのであれば、相手が理解できるようにその落ち度を伝えてあげればよいだけのことです。知らないのですから。
知らないことで、どれだけの損害を与えるのか、どれだけ不快な思いを相手にさせるかを説明すればよいのです。そもそも相手にわかるようにその落ち度を説明しても、理解することができないレベルの相手に怒っても時間の無駄です。(気分は少しだけ晴れるかもしれませんが)
実は怒る場面を振り返ってみると、多くの場合怒っている側にも落ち度があるのです。
それは前もってこちらの意向を相手が理解しているか確認していないことです。認識がずれていないかを前もって確認していなければ、怒る資格はほとんどないと言えます。
当たり前に相手は知っているはずと思い込んで、確認しないことが原因ということもよくあります。自分が確認を怠ったことを棚に上げて怒るのは私はフェアではないと思います。
怒る前に自分が確認を怠った落ち度がないか振り返ってみてください。通常怒る側が優位な立場です。優位な立場から確認をするようにすれば怒る場面は激減するはずです。
親子間でも同じことが言えます。その話は改めて。