営業マンの意味

会社のために商品を売るのが仕事だと勘違いしている人がいます。
営業成績も商品を売った金額で判断されるためやむをえないとは思います。
営業マンの本当の『意味』は何でしょうか?
商品を売るのが仕事でしょうか?
とにかく売れれば何でもありなんでしょうか?給料をもらっている限り、自社の商品を売るのが存在理由だと思っているのです。
私は違うと思います。人付き合いで買ってもらえたのは昭和の古きよき時代だと思います。それは情報が限られていたから、営業マンに言われるままに買うしか選択枝がなかった時代のことです。
これだけ情報が溢れていれば無理に営業マンから買わなくても、大抵のものはネットで購入できます。
では営業マンの存在する『意味』は何でしょうか?
営業マンはお客様の欲しいものを買ってもらうためにいるのです。自社商品を売るのが仕事だと勘違いしていると、お客様の欲しいものではなく自分の売りたいものを売り付けてしまうのです。
言葉巧みにその気にさせて買ってもらうのでは『意味』がないのです。お客様は少しでも不満が残れば周囲に不満を漏らします。結果として商品の評判を下げてしまうのです。
これまでは情報を集めること自体が難しく、本当に欲しい商品を探すことが大変なことでした。
今の営業マンに求められるのは、お客様の代わりに欲しいものを考えることです。代わりに考えることの出来る営業マンだけが、これからの情報社会を生き残ることができるのです。
これらの考え方の根本は利益は企業の為ならずです。

勉強する意味 嘘つきおサルを見つけるため?

おサルさんも嘘がつける

勉強する『意味』はヒトの『知恵』を身につけるため。
言い換えると嘘を見抜く『知恵』を身につけるため。
おサルさんでもつける嘘。おサルさんとヒトの違いは嘘を見抜けるかどうかだと思います。
実はおサルさんも嘘をつける賢いおサルさんがいるのです。嘘つきおサルさんは餌を食べている際、餌を独り占めしようとして敵が来たときに発する叫び声をあげ、仲間を追い払い餌を独り占めします。敵がいないことがわかって戻ってきても嘘の叫び声を発して餌を独り占めした嘘つきサルの嘘に気付けません。嘘つきサルを責めたり、仲間ハズレにしたりはしないのです。
と言うよりおサルさんはサル知恵ですから、恐らく嘘が理解できないのです。

嘘を見抜けるのはヒトだけ

巧妙に練り上げられた嘘は見抜くのは困難ですが、確認すればすぐ判明する嘘でもおサルさんには理解できないのです。ヒトが他人の嘘に気付くためには『知恵』をつけるしかありません。言っていることの矛盾や違和感に気付き、論理的に正しいかどうかの検証を行うことが出来るようになるために勉強するのです。おサルさんからヒトに進化するために!
ヒトとしての『知恵』があれば、嘘のチェックポイントを見つけ出して、一つ一つ矛盾がないか探し出せます。
この質問にこう答えれば本当、これだと嘘というようにチェックポイントを考えつくことがヒトの『知恵』だと思います。
思いつかなければ、まだヒトに進化していない毛の無いおサルさんなのではないでしょうか?

勉強の意味は嘘を見抜く知恵をつけること

嘘も方便の方便を見破る必要はありませんが、小さな嘘が泥棒の始まりとなることもあります。
嘘をつくということは何か隠したいことがあるはずです。隠したいことが大きければ泥棒や詐欺などの犯罪に結びつくと思います。
嘘から始まる犯罪に巻き込まれないようにヒトとしての『知恵』を身につけましょう。
その第一歩が勉強なのではないでしょうか?
嘘つきを見つける集団面接とかすると、ヒトの知恵がわかりますね。
数学、物理など論理的思考問題で問題の解法の間違い探しの入試問題も面白いですね。

無料ゲームの意味

無料ゲームの『意味』を考えてみました。
無料ゲームとは自分の時間をポイントにかえてゲームをするものです。お金を払うのは、自分の時間をお金を出して買っているようなものです。
無料ゲームも慈善事業をしているわけではありません。当然利益を上げるために行っているものです。利益は時間を金で買うこと、つまりお金を払ってもらうことを求めています。基本は時間をいっぱい使うように出来る限り多く使ってもらうような仕組みを創り上げていますが、お金を使うことで時間を待つことなくプレイできるような仕組みにしてあります。
自分の時間を使ってゲームをしていると言う意味に気づいていないと、いくらでもお金を使っていないしまいます。
そしてゲームから離れられない仕組みを作り上げます。ゲーム会社の『目的』は株主のためにお金を稼いで収益をあげることです。
利用者を楽しませるのは『目的』ではなく、ただ単にお金を稼ぐための『手段』です。利用者のためを考えてと言ったところで、自分達のお金を稼ぐためと公言できないので、利用者のためと言う振りをしているだけです。
人は興味を持ったものに対して、衝動的に手に入れたくなってしまいます。衝動買いの心境を思い出すと理解しやすいと思います。人類の歴史では食べ物の確保は死活問題でした。食べ物を見つけたら、高い所にあっても川の向こうにあっても何とかして手に入れようと努力出来たものだけが生き残ることが出来たのです。
その子孫である私達は欲しいものを見つけると無性に欲しくなってしまうように、頭の構造が出来ているのです。欲しくなるものを準備してゲームを続けるように設計しているのです。
そうゲームの最終『目的』はあなたの時間かけて遊んでもらうことでは無く、あなたのお金です。
その衝動を抑えるには10分間は我慢することで乗り越えることが出来るそうです。
その『意味』を知った上で楽しく遊ぶようにしましょう。

 

遊び・スポーツの意味を考えてみました。

遊びの意味を考えてみました。
遊びは様々なルールを学び体の動かし方を身を以て体験することにより、将来さまざまなことができるようになるための準備運動なのです。
そのため動物でも体をつかった遊びを自然におこないます。動物でも大人になったら体の動かし方がわかるため遊びをしなくなります。
恐らく子供のうちは体を動かすことに喜びを感じるように脳の仕組みが作られているのだと思います。
人間でも同じように大人になると遊びをしなくなるのは、体を動かす、体を操縦する楽しみがなくなるからです。
最近では子供があまり遊ばなくなっているようです。
本来は楽しいはずの遊びよりも、楽しく感じてしまうゲームなどの誘惑が多いのが原因かもしれません。
体の動かし方の習得がおろそかになって、怪我が増えるなどなければよいなと思います。
スポーツの意味は、身体の能力を最大限に引き出すトレーニングする目的に始まりました。
競争するのは自分の能力を最大限に引き出すための手段です。競争することにより最大限に努力することが目的であり、順位にあまり意味はありません。最大限努力すれば勝ち負けや順位は本来どちらでもよいのです。
だからこそスポーツマンシップにのっとり、正々堂々なのです。
スポーツマンシップとは勝ち負けではなく、努力したことに価値を見出すのだと思います。
最大限に努力するための競争であるのに、不正なことをしてでも順位を上げようとするのは、『意味』・『目的』を理解していないのでしょう。
順位によって得られるお金や地位が変わる場合、勘違いが起こりやすいようです。

 

誰の問題か区別して考えましょう

誰の問題か区別して考えましょう。
他人の問題に介入するのは越権行為です。

他人の問題に介入しようとするから争いが起こるのです。

誰の問題かを区別する方法

誰の問題かを区別する方法は簡単です。
放置した場合、誰が困るかです。
困るのは誰かを考えるのです。
最終的に困る人の問題ということです。
親子であっても他人の問題に口出しをするから争いを生じます。

他人の問題への口出しは控えましょう

意見を言う場合、自分が困らない問題に口出しをするのは越権行為です。感想を求められた場合は別ですが、自分から感想を述べるだけでも議論が混乱するため他人の問題への口出しは控えるべきです。

基本的に他人の問題に口出しをしなければ争いは起こりえません。
争いの元をたどれば、他人の問題への口出しが原因だということはよくあります。

例えば、子供が宿題をしない。
困るのは子供ですから、子供の問題です。
そのことに口出しをすること自体が問題なのです。
子供が困ることを理解させることが大切です。
他人の問題に口出しをしない。
自分が困る自分の問題だけ口出しするように心がけましょう。
私はアドラーの心理学から学びました。

自分の頭で考えよう ちきりんさん

自分の頭で考えよう
ちきりんさんの本です。

自分の頭で考えるのは当たり前なのですが、実は巷では人の考えた結果を知ることが自分で考えたと勘違いしている人たちが大勢いることを表している本です。

与えられた情報から自分独自の考えを導き出すことの大切さをわかりやすく説明してくださった本です。
私の頭の中のモヤモヤもこの本のおかげで整理整頓することができました。

そんなためになった本です。

良かったらご一読ください。

 

私の速読の方法(短縮読み)

時間の使い方を考えてみました。
1日は24時間は誰にでも平等に与えられた時間です。
しかし使い方は人それぞれ異なります。
やりたいことが山ほどあるので、少しでも時間を有効活用する方法を考えました。
方法は三つです。

  1. 文章の入力速度を上げる
  2. 文章を読む速度を上げる
  3. 思考を抽象的に行うこと。

1.に関しては20代のころからトレーニングをしていました。幸いタイピングゲームが訓練に最適だったので、楽しみながら入力速度を上げました。3.に関してはできるだけ思考を抽象的に行うようにしました。何故なら物事を具体的に考えることは一つ一つの違いを考えなければならず、時間がかかるからです。できるだけ一般化し、抽象的に物事の本質をとらえて考えるようにしました。このことを文章で説明することは今の私には困難なので割愛します。

私の速読法のやり方

私の速読のやり方は至ってシンプルです。
恐らく頭の使い方を変更することが得意な方はごく簡単に速読できるようになると思います。頭の使い方を変えるという概念自体がない方はこの速読法は困難かもしれません。

やり方はワープロの入力の際、何度も出てくる単語登録をする方法を活用します。
例えばアメリカ合衆国という単語が何度も出てくる文章を入力する際、『あめ』と入力して『アメリカ合衆国』と入力できるように単語登録を行います。これを速読に応用します。

繰り返し出てくる長い単語を最初の2・3文字から予測する
短縮読み

文章を読む際
『アメリカ合衆国』という単語が何度も出てくれば、『アメ』まで読んで後が続いていれば、頭の中で『アメリカ合衆国』だと短縮読みして読み飛ばすのです。何度も出てくる単語をこの容量で読み飛ばすことで、読む速度を速めます。長ければ長い単語を短縮して読み飛ばすことで早く読むことができるようになります。いくつもの単語を組み合わせて速読を行うことで、速度はドンドン上がっていきます。文章の意味が通じなければ予測が間違っているので、元に戻って読み返せばよいのです。

日本語は表意文字のため、漫画のような絵として一瞬で意味を読み取ることのできることを利用した速読だと思います。
全員の方ができるようになるかどうかわかりませんが、理屈は難しくない速読だと思います。
良かったらお試しください。

空想日本史 もし織田信長が刀狩をするなら

織田信長が本能寺で倒れず、生きながらえていればと考えてみました。
必ず行ったであろうと考えられるのが、実際には豊臣秀吉が行った武器を取り上げる刀狩です。

豊臣秀吉が行った力ずくでの刀狩であれば、隠す人間が必ず一定数いたはずです。
織田信長は物事を常識に捉われず、非常に合理的に考える人物だと認識しています。
合理的に考えると、刀を隠されてしまうような制度の隙はなくすと思います。
信長であれば、刀を買い取ったのではないかと思います。

  • 平和になったので今後刀が必要がなくなること。
  • 刀は必要がなくなったので、更に治安を維持するために買い上げること。
  • 最初は高く買い上げ、次第に買い取り額を下げること
  • 最終的に隠していることが判明すればただで没収されること
  • 数多く隠していれば打ち首にすること

以上を周知徹底するのです。
実際に打ち首にするほど徹底するかは別にして、刀を早く差し出すと得をし隠すと損をする仕組みを考えだしたのではないかと思います。

歴史のやり直しはききませんが、織田信長が何年か余分に生きていれば、もっともっと日本は合理化が進んでいたと思います。
織田信長のような合理的で剛腕な政治家が表れて、日本を私利私欲が差し挟まれる隙の全くない、合理的な世の中に変えてくれるといいんですけどね。

子育てで怒る必要はありません。

怒らない子育てという考え方がはやっているようです。
よいことだと私は思いますが、勘違いされている方も多いようです。
怒らないのと放置を混同されているのです。
子供に任せると称して、放任主義。育児放棄・ニグレクトの一歩手前という人もおられるようです。

放任主義の怒らない子育てと怒る必要のない子育ては全く異なる概念です。
怒る必要のない子育ては、文字通り子供に対して怒らないのはもちろん、怒る必要がない子育て方法を模索するという考え方です。

基本的に子供は物事を知りません。
ただ知らないだけなのです。
知らないからこそ無邪気な言動をしてしまうのです。

子供が知らないことを怒ってもかわいそうです。

何故なら子供が知らないのは誰の責任かを考えればわかることです。
そうです子供が知らないのは親の責任なのです。親の責任なのに親を怒らず子供を怒るのは子供にとってはいい迷惑です。

怒りたくなることもあるとは思いますが、何かを知らないのです。
例えば片づけをしない。宿題をしない。
片づけをする意味を知らないのです。片づけをした方が探し物が早く見つかるというお得なことを知らないだけです。
宿題を早くやる方が時間を有効活用できてお得なことを知らないのです。

大人が知っている目的を子供が知らないだけ

知らなければ教えてあげれば良いだけです。
何度も言っているといわれる方もおられることでしょう。
ただ単に言っただけで子供には伝わっていないだけです。伝われば子供は変わります。伝わらなければ伝わるまで伝え方を変えるのです。

子供の困る仕組みを作る

そして子供の問題、つまり子供が困る仕組みを考えるのです。
片づけをしなければ、大きな箱に全て放りこんでしまうのです。
探すのに苦労をするから片付けた方がお得だと実感させるのです。
宿題をしなければ、放っておくのです。
勉強ができないと将来困ることは伝えてあげてもよいかもしれません。
ゲームなどをして宿題をしないのであれば、子供にとっての仕事である宿題をすることで、ゲームをする権利を得る仕組みを作ってもよいと思います。

最終的に忘れていくか、追い込まれてやるのか子供に選択させるのです。
絶対に手伝ってはいけません。
困れば手伝ってもらえると学習し、わざとやらなくなる動機づけになるからです。

宿題をするかしないかは子供の問題で、困るのは自分だということをしっかり理解させてあげることです。

子供の問題を親の問題と勘違いして、親が困ることのように怒ってしまうのです。
別に子供が宿題をしなくても本当の意味で親は困らないのです。
子供にとっては、親が勝手に困っているけど何でだろう?
何で宿題しないと親が困るのだろう?と思っているのではないでしょうか?

子供が勉強しないことで親が困っていると、子供にコントロールされるようになってしまいます。子供が何か要求があると勉強の手を止め、親を脅し、勉強したら何かしてあげるという条件を引き出すようになってしまいます。
子供が勉強しなくても困るのは子供。と子供の問題を背負わないことが大切です。

怒ることの意味 ~怒ることに意味はない?~

怒ることの意味を考えてみました。

あまり知られていませんが、怒ることで相手は怒られたことを反省すると考えがちですが、大きな勘違いです。

そもそも何故怒られているか理解していません。

何故なら多くの場合怒られるとわかっていて怒られるような行動をしているわけではないのです。怒られると知らないからこそやってしまったのです。
そして怒ることで伝わるのは怒っているという事実だけです。何か怒らせることをしたんだろうなという漠然としたことだけが伝わります。何故なら感情的に任せて怒っているだけで、怒っている理由を相手にわかるようには説明していないからです。
ありがちなのが怒っている際にガミガミ言った後で
『わかった?』と聞くことがあります。
ここで『わからない』などと言おうものなら振り出しに戻るので、怒られている人は実際には全くわからないと思っていても口が裂けても言えません。結果として『わかりました』という答えが返ってきます。
怒られる理由がわからないので、同じことを繰り返して余計怒るという無限ループに陥るのです。

そもそも何故怒られているか理解しないまま怒られているのですから、わかったと言われても本来はわかるわけがないのです。でも余計怒られるから言えない、結果再び怒られる、の繰り返しです。

怒るという行為は、わかりやすくいうと犬が吠えているような状態です。
怒っていることはわかるけど何を怒っているのかわからない。怒っている理由を聞きたいけど聞けない、その意味で犬が吠えるのと同じなのです。
怒られた側としては、エサを取られると勘違いしたのかな?と類推するしかないのです。

人間同士なのに吠えるだけなのは勿体無いですよね。何故なら人間には怒る理由を説明出来る言葉があるからです。

怒られている人にとっては犬が吠えているのと同じ

怒っている人も同じです。怒っている理由は怒っている人にとっては許しがたい当たり前のことですから、わざわざ口に出すのも憚られるほどの内容です。
怒っている人にとっては当たり前ということがポイントです。
怒られている人にとっては初耳です。当たり前でもなんでもなく、全く知らないこともよくあるのです。それこそ想像すらしていないことを怒られているかもしれないのです。想像すらできないことを言葉で言われても全く理解できないので、それこそ本当に犬に吠えられているのと変わらないのです。それを一方的に怒られるのですから、どうしたらよいのかわからないのです。

怒ることに意味はありません。

このことは三つの理由があります。

  • 怒る元はお互いの認識の齟齬(勘違い)だから。
  • 怒ったところで伝わるのは怒っているという事実だけだから
  • 怒ることで相手より優位だと示すことが目的だから(目的論

怒らない対策は?

いくら腹が立っても相手が知らずにやったことを責めても仕方がありません。同じことを繰り返さない目的で、知らないことは教えてあげればよいだけのことです。本来相手の立場であれば知っているべきことで、知らないこと自体が落ち度なのであれば、相手が理解できるようにその落ち度を伝えてあげればよいだけのことです。知らないのですから。
知らないことで、どれだけの損害を与えるのか、どれだけ不快な思いを相手にさせるかを説明すればよいのです。そもそも相手にわかるようにその落ち度を説明しても、理解することができないレベルの相手に怒っても時間の無駄です。(気分は少しだけ晴れるかもしれませんが)

実は怒る場面を振り返ってみると、多くの場合怒っている側にも落ち度があるのです。
それは前もってこちらの意向を相手が理解しているか確認していないことです。認識がずれていないかを前もって確認していなければ、怒る資格はほとんどないと言えます。
当たり前に相手は知っているはずと思い込んで、確認しないことが原因ということもよくあります。自分が確認を怠ったことを棚に上げて怒るのは私はフェアではないと思います。
怒る前に自分が確認を怠った落ち度がないか振り返ってみてください。通常怒る側が優位な立場です。優位な立場から確認をするようにすれば怒る場面は激減するはずです。
親子間でも同じことが言えます。その話は改めて。