母乳育児の乳児湿疹も糖質が原因?

母乳育児の場合の乳児湿疹は母親の糖質により引き起こされている可能性があります。

乳児湿疹の対症療法はステロイドを塗ることですが、もしかしたら根本治療は母親が糖質を控えることかも知れません。

完全除去はアレルギーを助長する可能性が否定できないため、米、小麦は少量食べる方が良さそうです。

まだわかりませんが、お母さんが炭水化物を多く食べるようになるにつれて生後数週間のお子さんの乳児湿疹が悪化している方がおられます。

もしかしたら別の原因かも知れませんが、糖化産物が乳汁中に移行するか、母乳中のブドウ糖が乳児に入ることで、乳児の体内で糖化産物が出来ている可能性があります。糖質が悪化因子であればお母さんが糖質を控えることで改善するはずです。

乳児湿疹でお困りの母乳育児中のお母さんが、糖質・炭水化物を控えると乳児湿疹がもしかしたら良くなるかも知れません。もしくは血糖値が上がらない食べ方をすると糖化産物が問題になる程出来ず、症状が改善するのかも知れません。

まだわかりませんが、お母さんが糖質を控えることで乳児湿疹が改善する可能性は十分あると思います。

面白いあるいはダメ元でいいからやってみようと思われたら糖質回避教をご覧ください。

言葉には多くの意味が含まれています

言葉には多くの意味が含まれています。

例えば子供という言葉一つをとっても、様々な意味が含まれています。普通名詞としての漠然とした子供という意味から、うちの子供はという我が子という意味、あの子はまだ子供だからという未熟な者の例えまで一つの言葉が様々な意味を含んでいます。

大人という意味も様々な意味を含んでいます。20歳をこえた法的な意味で成人という意味での大人や、大人の対応として使われる分別をわきまえた存在という意味や、単に子供ではないという意味の大人という様々な意味を含んでいます。

人という言葉も他人という意味や人間という意味、場合によっては獣に対してただ人間という意味だけでなく良識ある存在としても使われることがあります。(人としてどうよ?などの使われ方)

夢という言葉も寝ている間に見る夢と、将来実現すると嬉しい目標としての夢という意味があります。

人は会話や読書の際に様々な意味の中から適切なものを無意識のうちに選び出しています。数多くの言葉を知っていると誤解されにくい話し方が出来るようになりますので、数多くの言葉の意味を知ることが大切です。

無意識のうちの選択を間違うと勘違いにつながります。一つの意味だと思い込んでいると、違う言葉の意味があることに気付かず、誤解されることがあります。政治家の失言の多くが別の言葉の意味を知らずに使っているのではないかと思います。

ジェネリック(後発)医薬品の問題点

ジェネリック医薬品の問題点を考えてみます。

医薬品には自社開発の先発医薬品と特許切れを取り扱う後発医薬品とがあります。
成分は同じもので値段が違う・・・。先発品は特許が切れたにも関わらず高い。
同じ成分で開発費用が回収されているにも関わらず、同じ値段ではない・・・。
皆保険のない国の制度をそのままスライドさせているだけのように思います。

ジェネリック医薬品は厚生労働省が金額を決め、それを踏まえたうえで先発医薬品は自社で金額の制約なしで完全に届出制にすれば良いと思います。
後発医薬品よりも安い戦略的な値段付けをするのも一つですし、ジェネリックと同等の値段にするのも、高い値段設定も自由とするのです。
(既にそうなっているのであればすいません。私の『勉強』不足です)

ジェネリック医薬品が安いからと行政までジェネリック医薬品の活用を推進しています。厚生労働省が値段設定しておきながらその仲間である行政が安いからといってジェネリック医薬品を推進するのは、私の目には奇異にうつります。

皆保険が未整備な他国は参考にならないので、独自の先進的な考え方をすると・・・
ジェネリック医薬品の薬価収載を希望するメーカーは協力費(薬価収載費という名目にでもするか?)をオークション形式で提示する。
オークション上位5社(3社なのか10社なのかは検討)が薬価収載される。
協力費は薬価収載費として厚生労働省が活用する。(開発した先発医薬品メーカーに半分支払っても良いかもしれません。)
特許の切れた薬剤を国民の利益となるように、国民の健康のために活用することを目的とする
現状では後発医薬品メーカーだけが得をするシステムには問題があるように思います。
協力費を使って、薬効成分が基準を満たしているかどうか検査する仕組みを作り上げる。
※恐らく自由競争を阻害するという反対意見が出ると思いますが、医薬品として国費を使っている以上過当競争を避けるため制約はやむをえないと考えます。
更に付け加えるとすれば自由競争とするなら、値段も自由に競争するべきです。完全自由化の案(薬価は自社で決めるなど)も改めて考えてみます。

髪の毛を切る二つの意味

物事の意味を考えるシリーズです。
髪の毛を切ることには二つの意味があります。

一つは生理的に伸びる髪の毛が邪魔なので切るという意味です。
二つ目は髪の毛を切ることでそれまでの自分とは変わる変身という意味です。

邪魔なものを切る

生理的に伸びる髪の毛を切るというのは邪魔なものを切ることで、周囲の人に不快な思いをさせない身だしなみという意味です。
邪魔なものを切るだけですから、時間は短ければ短いほどうれしいです。
髪の毛を切っているのは、邪魔なものを切り落としているだけですからいわば無駄な時間です。
切る時間は短ければ短いほど嬉しいのです。

この観点からは1000円カットは実に理に適っています。
髪の毛を切るという無駄な時間を節約できる上に安いのですから。

逆にこの観点の人からすれば通常の理髪店や美容院は理解できません。
1時間近く時間をかけて、しかも高いのですから。

変身という意味

女性に多い髪の毛を切ることで、それまでの自分とは異なる自分になる変身という意味です。
髪の毛を切るのは少しずつ変身していくので、楽しくて仕方がありません。
鏡の中の自分が別人のようになっていくので、娯楽のようなものです。
いわばジェットコースターに乗っているのと変わらない感覚なので、短いと残念なのです。
長くても苦痛にはなりません。むしろ変身という楽しい時間が長くなるので少しうれしいかもしれません。

また髪の毛を人に洗ってもらうという非日常の体験が、まるで王女様か王子様にでもなったかのような特別な時間を演出してくれます。

変身を楽しむという意味からすると通常の理髪店や美容院は実に理に適っています。
時間をかけて細かくお客さんの都合に合わせて髪の毛を切っていくのは、お客さんの思い通りに変身していくイメージです。
変身時間が短いと残念に感じます。

この観点で考えると1000円カットはあり得ません。
いくら安くてもただ切るだけで、変身という楽しみの時間が短いのですから。

物事を突き詰めて考えましょう

人それぞれの求めていることが異なります。
そのため様々な業態が成り立ちます。
本来の意味を突き詰めて考えることで、新たな可能性が見えてくるかもしれません。

食べ物はバランス良く そのバランスが問題

食べ物はバランス良く何種類も少量多品種が理にかなっていると思います。一品種を大量に食べると、バランスが崩れます。

食事はバランスが大事

少量多品種を食べていると必要な栄養が満遍なく含まれていることが期待できるので、何をどれだけ食べるのが良いかわからなくても体が必要な栄養を摂り込むことで対応できます。一つの食材を大量に食べてしまうと、必要な栄養素が得られないかも知れません。またビタミンDAKE(ダケと語呂合わせできます)では過剰摂取(摂りすぎ)による害が起こってしまう可能性があります。

栄養の観点からも、過剰摂取の観点からもバランス良く食べるのが合理的です。

そのバランスが問題

日本人の多く方が食生活が偏ってはいないでしょうか?
冷静に考えてみると、かなり偏っています。偏っていないと思われる方も多いと思いますが、その理由はおかずのバランスを考えてのことだと思います。ここでいう日本人の食生活の偏りとは主食という考え方で、主食として糖質だけ一品目を多くとっているということです。
糖尿病の食事療法でも6割を主食で食べることを推奨しています。
主食、つまりご飯という糖質一品目で6割というのは偏り過ぎだと思います。

必ずしも人間の体に必要がない糖質を6割もとるのは取りすぎだと思います。
現時点で根拠を示すほどの知識はありませんが、私の感覚では1割か2割程度糖質で摂取することが妥当なのではないかと思います。

高血糖による糖化産物が人体に害を引き起こす可能性が考えられますから、血糖値を上げない食べ方を工夫すれば3割か4割は食べても大丈夫かもしれませんがまだわかりません。1割か2割であれば、ちょうど食事が終わってからデザートを食べる程度が理想なのかもしれません。

主食の過剰摂取が問題

主食である炭水化物の過剰摂取が問題なのですから、バランスに問題があるのは明らかです。主食を0にする必要があるかどうかは議論の余地はありますが、少なくともバランスを考え直す必要があることは議論の余地はないと思います。

おかずのバランスではなく、食事全体のバランスを見直す時期なのかもしれません。

かつてテレビが広まり、焦った新聞が行ったこと

庶民の情報収集手段が新聞だった時代、ラジオはあったもののそれほどの脅威とはなりませんでした。ラジオでは音楽を伝えることは出来ましたが、声の情報伝達は情報量も多いはなく新聞とは競合しなかったようです。

しかしテレビは違います。映像というそれまでにない脅威の情報伝達力に新聞各社は焦りました。

テレビにとって代わられ、当時は新聞の未来が真っ暗だと思われていましたが、あることに気付いて共存の道が見つかりました。それはテレビの番組欄を新聞に掲載したのです。

当時はテレビをつけてみないと何を放送しているかわからなかったので、テレビを見るために新聞で確認するこというスタイルが当たり前になりました。こうしてテレビが出現しても新聞は共存することが出来ました。

今では新聞だけでなく、テレビもインターネットによりビジネスモデルが崩壊しかけています。テレビの番組欄のような共存の知恵がなければ、新聞・テレビの市場は今後縮小されていくことでしょう。

私が社外取締役なら、インターネットのホームページ紹介の番組を立ち上げます。インターネットは無視できない規模・将来性ですから、ホームページ紹介の番組と共に今後スポンサーになってもらうことを考えて深夜枠でも放送するようにします。ホームページの紹介は検索に使うキーワードが伝われば良いので、15秒・場合によっては10秒でも伝わるので、30秒単位のコマーシャルを10秒単位に変更してホームページのコマーシャル枠を作ります。

とはいえこれからやっても既に間に合わないかも知れません。

症状が悪くなると… 病院に行くタイミング

様々な病気で様々な症状が現れます。病院は出来れば行きたくはありませんから、ついつい我慢してしまいます。そこで病院に行く受診のタイミングを考えてみます。

腹痛や喉の痛み、咳、発熱など様々な症状があります。原因となる様々な病気がありますから、病院に行くタイミングの判断に迷うことも良くあると思います。

何か症状があってもすぐ治るかも知れませんので、ついつい様子をみてしまいます。様子をみていて症状がドンドン悪くなれば、恐らくそのまま悪くなり続けます。何故なら治療もしていませんから良くなる理由がありません。万が一良くなるとすれば、自分の免疫機能が急速に高まり治してしまう場合(同じウイルスや細菌感染であれば二度目は覚えているので早い段階で治ることもあり得ます)です。

様子をみていて、悪くなれば、そのまま悪くなり続ける可能性が高いと思います。もし悪くなるのが止まれば、その後は改善に向かうかも知れません。少なくとも悪くなっている最中に突然良くなることはありません。一旦変わらなくなってそれ以上悪くならなくなってから、次に良くなっていきます。

イメージとしては症状が悪くなるのが下り坂、良くなるのが上り坂です。悪くなっていれば悪くなり続けます。下り坂を下っていれば下り続けます。一旦平らになって、上りはじめるのです。

ちょうど下り坂のイメージと同じで悪くなる程度・速さも加速してドンドン悪くなります。感染症であれば免疫力が必死でブレーキをかけるので、MERSなどのように体がはじめて遭遇する特殊なウイルスでなければ、坂道を転がり落ちるように悪くなることは非常に稀です。逆に感染症で一気に悪くなるのは、免疫力が全く対応出来ていないことを表します。

医師の立場からすれば、治療は早ければ早いに越したことはありません。患者さんの立場からすれば病院に行かなくても治るなら出来れば行きたくはないので、仕方がなくなるまで病院には行かれないと思います。

病院に行く受診のタイミング

医師は出来るだけ早く、患者さんは出来るだけ遅くの受診を希望します。その折り合いのつくタイミングを考えてみたいと思います。

病気・症状により増悪加減(悪くなる速さ)は異なります。数ヶ月で悪くなるAGA(男性型脱毛症)の薄毛から、数日間で増悪する腹痛や喉の痛みや体の痒み、数時間で増悪する腹痛や呼吸困難など様々です。

まず命に関わる急速な症状の進行(進み具合)の場合を考えてみます。お腹の痛みや息苦しさを感じたとします。すぐに良くなるだろうと気楽に考えていましたが、10分で痛み息苦しさが増しています。それでも病院に行くのが怖いので出来れば避けようとします。次の10分で更に痛み息苦しさが増しました。どう考えれば良いでしょうか?

  1. 次の10分で良くなるかもしれないからこのまま様子をみる
  2. 次の10分は悪くならないかもしれないのでこのまま様子をみる
  3. 更に悪くなる可能性が非常に高いので病院に行く

正解は3.です。

様子をみても良くなる可能性は非常に低いので、我慢出来て動けるうちに、出来るだけ早く病院に行きましょう。少なくとも覚悟を決めて病院にいく準備を始めましょう。

時間毎の経過から想像する

腹痛や咽頭痛など数日間で増悪する場合には前日の様子と比べてみると良いと思います。前日より悪くなれば恐らく明日は更に悪くなります。前日と変わらなければ明日も同じか良くなる可能性が高いと思います。前日より良くなっていれば、翌日は良くなると思います。

前日より悪くなっていれば、今日か明日病院に行くことを考えましょう。まだ程度が軽くまだ大丈夫だと思ったとしても、明日も悪くなっていれば、明後日は更に増悪することを知っておくべきです。そして早く治療すれば早く治療する程早く治るからお得だということも知っておくと良いと思います。

遅くなれば遅くなるほど治るのに必要な時間は余計にかかります。薬もその分余計にかかります。時間もお金もかかるので損してしまいます。損しなくてすむように出来るだけ早く受診するタイミングを見計らいましょう。

火事に例えてみる

病気の症状を火事に例えてみます。

火がついて燃えています。周りに少しずつ燃え広がっています。でも消防車を呼ぶのは躊躇ってしまいます。

そのまま様子をみていると当然燃え広がりました。それでも火が消えるかもしれないので消防車を呼ばず様子をみています。バケツで水をかけることを思いつきました。火は広がっています。それでも消防車を読んで大事にはしたくありません。

その後も燃え広がり、近所の人に勧められて消防車に通報しましたが、間に合わず全焼してしまいました。

実際には火事はすぐに燃え広がることが常識で、早ければ早い程小さくてすむことをみんな知っていると思います。だから燃え広がる時点で躊躇わず消防車を呼ぶと思います。

病気も連鎖反応

実は病気の症状も同じです。火事だと早ければ早い程消火が有効なのは常識ですが、病気の症状も同じなのですが余り知られていないようです。国が学校で教えても良いのではないかと思います。

火事の拡がり方と病気の悪化の仕方が似ているのは、連鎖反応で悪化する点が似ているからです。火が周りのものを燃やして拡がるように、病気の原因は次々周りに拡がります。

症状は増悪すれば増悪し続け、改善しはじめれば改善し続けます。しかも火事が連鎖反応で燃え広がるように、症状の増悪も連鎖反応で一気に悪くなります。このことが知れ渡っていないため、ついつい我慢してしまう人が多いようです。

増悪し続けていれば加速して増悪する可能性が高いのです。早めの受診がオススメですし、お得だと思います。

症状が改善していれば

逆に症状が改善していれば、翌日は更に改善する可能性が高いので無理に受診する必要はないかも知れません。それまで我慢出来たのですから、改善しはじめればそのまま様子をみてみましょう。良くなり始めても受診される方は病気を治すことが目的ではなく、不安を取り去ることが目的で受診される傾向があると思います。

常識の存在する意味

人は常識、当たり前に縛られて生きています。
縛っているのは意識していない無意識の自分自身なので、自分で自分を縛り付けて窮屈に生きているようなものです。実際には常識が当たり前なので窮屈という感覚はないと思います。

常識について

ではなぜ人は『常識』という名の当たり前のことを身につけるのでしょうか?
身につけるのが当たり前だから・・・。
あまりに当たり前すぎて、何故『常識』を身につけるのか考えたこともない人も多いと思います。
自分が当たり前に身につけている『常識』を、相手が身につけていないことを『非常識』だとして非難することもあるでしょう。
そもそも子供は『非常識』の塊ですし、放っておくと何をするかわかりません。
文明とかかわりのない生活をしている人にとっては、人と関わらないこと自体が『常識』です。

常識を身につける意味

では何故『常識』を身につけるのでしょうか?
『目的』は二つ考えられます。

  • みんなが快適に不快な思いを抱かずに生活できるようにするため
  • 限られた人間の判断力を省力化し、速やかに判断を下すため。

常識の使い方

友人とランチを食べることになりました。
ランチしようよと
世間一般の常識的にはランチといえば1000円以下でしょう。
600円~800円がありがちな値段ではないでしょうか?
ワンコインランチ500円というのも探せばあるかもしれません。
一方ホテルのランチであれば3000円~5000円、場合によっては10000円のランチもありえるのではないでしょうか?
しかし特殊な人や特殊な場合を除き、ホテルのランチが通常のランチの選択肢になる人はまずいないと思います。
人とお昼御飯を相談している時にホテルのランチを提案したら『非常識』と言われるでしょう。
それは通常は選択肢になり得ない、常識の枠からはみ出した高額なランチを探しているからです。
本来なら常識とはお互いが当たり前に共有共通しているはずの認識です。

何もホテルのランチが駄目なのではなく、ランチの値段が常識の枠をはみ出しているのです。逆に600円のホテルのランチがあればお得情報として喜ばれるかも知れません(多分そんなホテルのランチはないと思いますが)

常識の存在する目的

お互いが不快な思いをしないためと、無駄な選択をしないための省力化のためです。共通認識がズレていると不快な思いをしたり、あり得ない選択肢を検討するという無駄なことに時間を費やしてしまいます。

常識の存在する意味を改めて考えてみて下さい。

興味があれば常識革命の起こし方をご覧下さい

学校の授業はいつまでするの?

ふと思いついたことがあります。
素朴な疑問です。

なぜ学校では未だライブで授業をしているんでしょうか?

そしていつまで生身の人間の授業をするのでしょうか?100年後に今のスタイルで授業しているとは思えません。それならばいつまで今のスタイルで授業を行うのでしょうか?すんなことを考えてみました。

先生が授業をする意味

生身の人間ですから教え方が上手な先生、下手な先生など様々です。

説明の上手な先生のビデオを流す方がよほど有意義だと私は思うんですが、生身の人間が説明しなければならない理由が何かあるんでしょうか?
確かに生身の人間が授業をするなら、その場の理解度を読み取り、説明の仕方を変えるということができます。生徒の反応で授業を変えることのできる先生は、恐らく生身の人間の方が子供達の理解度が高いと思います。しかし先生の授業スキルによっては、生徒の反応に関わらず同じような授業をしていることも多いのではないでしょうか?

子供達の反応によって授業内容を変えることのできる先生は、何年経っても残すべきかも知れません。子供達の反応によって授業内容を変更しないのであればビデオと変わらないのかも知れません。

試験導入してみる

これだけ技術が進歩したのですから、まずはお試しで良いので、録画を活用した授業を導入するべきだと私は思います。
小学生ならどの授業でもインターネットを活用し家でも見放題とか。
30分に授業を集約して、残りを個別『質問』時間とすると有意義だと私は思います。

導入しない理由

何故しないのでしょうか?
先生の仕事を奪い、失業が増えることを恐れているからかも知れません。それともただ単に新しいことを取り入れたくないだけで、反対しているのかも知れません。

先生方の仕事を奪うわけではなく、先生達の余裕を生み出すための工夫だと認識してもらえれば前に向いて進めると私は思います。

教育の目的

教育の目的は子供達の学力向上です。知識を身につけさせることで考える癖をつけ、人に騙されない知恵をつけることです。最終的には教育で得た知識と知恵を使って国を維持し、繁栄させることです。

雇用確保はおまけでしかありません。これまで生身の人間が直接教える以外に選択肢が無かったので当たり前に教えてきただけです。
もし子供達への最適な教育方法がタブレットによる自学自習だと判明しても、先生達の雇用確保のために今の授業スタイルを維持するのはおかしな話です。最適な方法ではなく、先生達の雇用確保のために次善の策として授業スタイルを維持し、子供達が犠牲になるのはおかしな話です(実際には最適な教育方法は子供達によっても違いますし、もし判明するとしても何十年も先になると思います)

家でもスマホやタブレットで上手な先生の授業を見ることができれば、塾の必要性もかなり薄らぐと思います。
直接指示されないと勉強出来ないお子さんは、引き続き塾に通うことになりますが、自分でわからない授業を探すことの出来るお子さんには塾が必要なくなります。

学校だけでなく、塾業界も含めた教育革命とも言える大変革になると思います。

学校で見せる動画もYouTubeで掲載し、家でも見ることが出来る体制を整え、広告収入は出演した先生に支払われる仕組みも面白いですね。

男女での相手の選び方の違い

男性は女性を顔で選び、女性は男性を性格で選ぶ傾向があるそうです。

私独自の考えではなく、ディスカバリーチャンネルで見た内容が理にかなっていると思いましたので、違いをまとめたものです。

男性は女性を顔で選び、女性は男性を性格で選ぶそうです。

男性は女性を顔で選すぶ

男性が女性を顔で選ぶと言っても時代や地域によって好まれる顔が異なります。それでも無意識のうちに顔で選んでいるのでしょうか?どのような基準で選んでいるのでしょうか?

ディスカバリーチャンネルでは男性が女性を選ぶ基準は、女性の顔が左右対称かどうかだそうです。目が大きい・鼻が高いということは関係がないようです。目が大きくても、鼻が高くても生存に有利にはならないからだと思います。(寒い地域だと高い鼻は生存に有利かも知れませんが)では女性の顔が左右対称だと生存に有利、子孫に有利な可能性があるのは何故でしょうか?それは顔が左右対称だと、以下のことの表れと考えるようです。

  • 遺伝的に問題が少ないこと。
  • 左右対称では無くなる大きな怪我をするような危険なことをしなかったこと。
  • ホルモンバランスも問題ないこと。

これらのことから男性は女性の左右対称性を無意識のうちに考えるようです。女性を選ぶ際に自分の子供のことを考えて遺伝的な観点から女性を選ぶ方が子孫を残す上で有利だった名残りなのかも知れません。

学問的に傾向があるだけで、必ずしも全員に当てはまる訳ではありません。女性の顔を目鼻立ちではなく左右対称性の観点で見てみるのも面白いかも知れません。

かと言って必ずしも顔で選ぶとは限りませんし、目鼻立ちで選ぶ人もいると思います。学問的には男性は女性の顔の左右対称性で選ぶ傾向があるというだけのことです。

女性が男性を選ぶのは性格

女性が男性を選ぶ基準・一番の心配事は、出産後に自分と子供の食べる物を確保してくれるかどうかです。優しくて食料を運んでくれるかどうかで選ぶそうです。つまり性格で選ぶそうです。

多くの動物やお猿さんでは、メスは強いオスを求めました。人間は赤ちゃんが他の動物と比較して格段に未熟な状態で生まれるため、一夫一妻制を採用し、優しく優秀な食料確保者であることを男性に求める傾向があるそうです。他の動物では子育て中でも、メスは食料確保が出来ますが、人間では少なくとも赤ちゃんの首がすわるまでは女性の食料確保が問題です。人類の進化の歴史では女性が生き延びる確率を高めるために、強さよりも優しさを重視する傾向があったようです。

学問的にこうした傾向があるというだけで、最終的には好きになってしまえば、その人が運命の人です。タデ食う虫も好きずきということだと思います。みんなが共通の好みだと人気が集中してしまうので、隠された魅力を見つける能力が備わっている人ももしかしたらいるのかも知れません。

あくまでも学問的にはこのような傾向があるということです。