糖質制限・糖質回避の注意点

糖質制限・糖質回避では注意点があります。

耳管解放症。

喉と耳が耳管という管で繋がっていますが、通常は閉じています。
唾を飲み込んだ際にだけ解放し喉と耳の圧を同じにする働きがあります。
ダイエットで急速に脂肪が減ると、耳管を押さえている脂肪がなくなり解放したままになります。
息をすると耳に空気が抜けるのがわかります。
自分の声が直接耳に届くため話しずらくなります。

予防策はゆっくりゆっくりと体重を落とすことです。

体重が減り過ぎる

糖質回避をしていると糖質依存が解除されるので、食べる量が減ります。そのまま普通に食べているつもりでも体重が減り続けることがあります。標準体重よりも減ってしまうというだけで、受験には標準体重の定義自体に間違いがあるのかも知れません。

いずれにしても体重が減り過ぎるのを防止するためには、少し糖質をとると良いかも知れません。血糖値を上げすぎないように、食事の後暫くしてから食べると良いと思います。ご飯でもケーキでも体に吸収されると同じ糖質になるので、せっかくなら甘いものを少量食べると満足感が大きくオススメです。

糖質依存にさえ戻らなければ良いので、調整しながら糖質を楽しむと良いと思います。

現時点で他のダイエットで努力されている方からすると、理解出来ないかも知れませんが、太る理由が糖質依存による食べ過ぎなので糖質を控えると痩せるのは当たり前です。

筋肉が落ちる

運動をせずに糖質回避、糖質制限をしていると、脂肪はどんどん落ちていきます。その際糖質依存が解除されると、食べる量が減るため必要ない脂肪や筋肉が減らされていきます。

糖質回避で体重が減ることを楽しんでいると、いつの間にか筋肉も落ちてしまいます。(今の私がそうです。)軽くでも良いので運動をするようにしましょう。腕立て伏せだとしんどいので、膝をついて四つん這いで腕立て伏せを5回程度を3セットするだけで改善します。腹筋も5回3セットで良いのでやってみましょう。

これらに注意しながら楽しく糖質回避生活を楽しみましょう。

物事は最悪から考える

物事を考える場合、都合のよいことを考えがちですが、まず最悪を考える考え方を身につけましょう。
そうすることにより、最悪に対して備えることができます。
常に想定しうる最悪を考えておくと、実際に遭遇した場合にも慌てることが少なくなります。ましてや最悪よりもましな状況ならその対処も、最悪よりは容易です。
ほぼ確実に起こらないだろう!という阿蘇山の破滅的噴火が起こるとどうする!くらいを想定する。(ちなみに阿蘇山が何十万年に起こすという破滅的噴火を最悪に想定しています。九州北部は壊滅で呉でも助からないそうですので、可能性も非常に低いので想定をやめました。)
そこから、それよりはましだけど○○だとどうする?
などを想定していくように考えます。

この場合確率が低ければ、じっくり考える必要はありません。心構え程度で構いません。
しかしこの心構えをするかしないかで、実際に起こった場合には生死を分けることがあり得ます。
ただ非常に確率の低いことをウジウジ考えてもあまり意味がありません。ざっくり思い浮かべる程度に想定するだけでよいと思います。
ここから最悪の枠を起こりそうな確率のものへ絞っていく作業が大切です。阿蘇山の壊滅的な噴火は起こってしまえば対策のとりようがないので、そんなことを想定しても残念ながら無意味です。対策が出来る範囲で想定しうる最悪を考えるということです。
その場合には、実際最悪の場面に遭遇したら、どうするかを想定しながら考えていくようにします。

うまくいけばこうなるという楽観的に考えることは、余程暇ならば考えても構いませんが後回しで十分です。

最悪を想定して行動する癖があるのとないのでは、トラブルの生じた際の対応が全く異なります。
全く想定していないと頭が真っ白になってしまい、その時点から考え始めるので速やかな対応が出来ないのです。
原発しかり、船の沈没しかり・・・。

デッドラインを想定しておく

最悪この線を越えると不可逆的(元に戻せない)だから、こうしないと仕方がないということだけは想定しておくと良いと思います。
こういう物事の考え方は物事の境界を明確に区別するデジタル思考が有効です。
原発なら冷却できなければ海水注入(実は素人が考えても、仕組みを知っていれば選択しが無かったことはすぐにわかります)
船なら、傾いたまま復元しなければ沈没?(少なくとも航行不能。船は乗り換える必要があります。デッキにでましょう)

本来なら責任者がこの最悪のデッドラインは想定するべきなんですけど・・。
残念ながら今は最悪を想定できない人が世の中を動かしているようです。
今のところ他人は信じられそうにないので、様々な立場・状況がありますが、常に最悪を自分で想定しておくようにしましょう。

ちなみに私は、日本の災害で起こる可能性の高い最悪の事態は
・東海東南海連動地震とそれに伴う大津波、その後の富士山の爆発です。

時期はともかく私が生きている間に必ず起こると思っています。
富士山が噴火し風下にあたる東京に首都機能が集中しているのは危険極まりないと思います。
津波が大阪などの低地を広範囲に襲ってしまうことも含めて考えれば、大阪への分散は同時に水没する可能性があるためバックアップになりません。
合理的に考えれば岡山の山の中あるいは岐阜県あたりに首都機能を移転できるようにバックアップしておくべきだと思います。
飛行場と新幹線がすぐ近くに交わる広島空港近辺に首都機能移転も一つの選択枝だと思います。

首都機能のバックアップしないのは・・・。お気楽主義か利権が絡むからか・・・。
関東は地理的に平地が多いという利点はあるものの、想定される自然災害に弱い東京に首都をおいておく意味はあまりないと思います。
ちなみに富士山が爆発すると首都機能は少なくとも数週間に渡ってマヒします。火山灰が降り積もり、雨によりショートしてあちこちで停電してしまいます。
(東海・東南海地震が起こるとマグマの圧力の兼ね合いから、地震に引き続いて富士山は多分爆発します。)

最悪を考えても実際にどこまで備えるかは、起こる確率と想定される被害などから考えると良いと思います。

最悪から考える思考法。良かったらそんな観点から物事を考えてみて下さい。

今回は極端な最悪を書きましたが、日頃の考え方も伝えてみたいと思います。

子供の習い事の意味と目的

子供が学校以外で行う習い事の意味を考えてみました。前回の習い事の話はこちらです。
学校では経験できないことを学ぶことが目的です。
書き方や音楽教室、水泳教室や体操教室、英会話教室など様々な習い事があります。

習い事の目的

将来のため

習い事の目的の一つは成長して役立つことを身につけることです。
例えば書き方教室では綺麗な字をかけるようになることが目的ですし、音楽教室は教養としてピアノが弾けることなどを目的とします。水泳教室は溺れないように泳げるようになることが目的ですし、体操教室は学校の体育についていけるように体の動かし方を学ぶことが目的です。英会話教室では英語が話せるようになることが目的です。

本来は目的が達成されれば途中でやめることも選択肢の一つです。これらの習い事では、本来の目的を忘れてしまい、通うことが目的になることもよくあります。

将来のためという意味では塾も同じですが、塾の場合は日頃の勉強と受験というわかりやすい目的があります。

日々の勉強のため

学習塾に通う目的は小学生の間は学校の授業についていくように勉強を教えてもらうのが目的です。
中学生となると高校受験に備えて、学校の勉強の補強をしてもらうのが目的です。中学生の場合には高校受験という将来の目的がありますが、基本的には日々の勉強の補強のためです。

子供さんが納得して学習塾に通っていればいいのですが、納得していなければ塾の先生の思いと子供さんの思いがズレてしまいます。

塾の先生はお金を頂いている以上当然全力を尽くします。子供さんも親御さんがお金を払っている以上、覚悟をもって塾に通ってきているはずと塾の先生は期待しています。何故なら義務教育ではないので塾は行くのも行かないのも自由です。わざわざ来るのだから意欲があるはずと期待してしまいます。

もしかしたら子供は良くわからないまま塾に通っているだけかも知れません。先生と生徒の塾に対する認識の齟齬を生じているのかも知れません。良くわからないまま親に行きたいと言ってしまい、引くに引けなくなったのかも知れません。

塾に向いているお子さん

かなり強引ですが、動物を生徒に、勉強を餌に例えてみます。

野生動物のように貪欲に勉強を食べにいくお子さんは当然塾に向いています。

家畜やペットのように与えられた勉強を食べることができるお子さんは塾に馴染むことが出来ます。

しかし生まれたての動物の赤ちゃんのように与えられた勉強を食べさせるように口に運び噛んで飲み込むまで補助しなければならないお子さんは、塾には向いていないように思います。

家庭教師が向いているお子さん

勉強を口に運んで食べさせてくれる家庭教師がオススメだと思います。

ただし勉強を口に運んで食べさせてくれる優秀な家庭教師に教えてもらえれば学生時代は良いかもしれません。しかし社会に出ると自分で餌を食べるだけではなく、餌を探さなければならないので後々苦労することになるかも知れません。

勉強を習う意味

お子さんに必要なのは勉強というエサを食べさせてくれることではなく、勉強というエサの探し方や取り方そして食べ方を学ばせてくれることではないでしょうか?

もしかしたら後は飲み込むだけの流動食のような食事・勉強を提供してくれる、塾もあるかも知れません。しかしそれでは塾に依存し塾から離れると何も出来ないお子さんに仕上がります。(もしかしたらやめさせないための、考え抜かれた塾の戦略かもしれませんね。)

勉強の本来の目的は知識の吸収の仕方を学ぶことです。
そして吸収した知識をテストの答えとして出力するようにすることです。
知識をわかりやすく加工して教えることをしていますが、わかりやすく自分で加工できるようになるべきです。

自分で必要な情報を見つけて、自分でわかるように加工して知識として吸収すること

これが勉強の目的です。
目的を達成を助けてくれる塾を見つけることができるといいですね。

糖質回避での病気の改善率 2015/7/23

前回の糖質回避での病気の改善率から新たにわかったことを加えます。

アトピー性皮膚

アトピー性皮膚炎は糖質回避をされた方の8人中8人が改善していますので、改善率100%です。糖質回避の効果はまず間違いなさそうです。
悪化する場合には糖質を食べてから数時間から翌日に悪化するので、アトピー性皮膚炎が悪化した場合には前日までの食事を振り返るだけでよさそうです。
食べ過ぎを認識し、今後に向けた改善の糸口が見つかるかも知れません。

慢性蕁麻疹

慢性蕁麻疹は5人中2人だけ改善していますので改善率は40%です。アトピー性皮膚炎ほど明らかな相関がないのか、もしかしたら長年の糖化産物が蓄積しているため発症しなくなるまで糖化産物が減少するのに時間がかかるのかも知れません。
時間と共に改善するのかしないのか今後の経過で色々なことがわかってくると思います。

日本製品が高い理由

日本製品が高い理由を考えてみました。

日本製は何故高い?

日本製が高いのは人件費が高いことが一因であることは間違いありません。しかし海外生産された日本のブランド製品も高いのは何故でしょうか?何故海外のメーカーと、性能では太刀打ちできても価格では勝負出来ない程高くなってしまうのでしょうか?利益を上乗せし過ぎるせいでしょうか?必要ない程性能を高め過ぎた結果、値段も高くなりすぎるのでしょうか?

日本製品が高い理由

日本人は製品を販売した後も満足してもらえたかどうかを考えます。買ってもらった時点で満足してもらうのは当然ですが、その後も満足してもらうために最善を尽くします。
日本人は常に絶対最善を尽くして最もお客さんの満足する製品を作ります。特に安全に関しては妥協しませんので、様々な危険に気付けば気付く程、その対策のために高くなってしまいます。

日本人の目的がお客さんに満足してもらうことだからです。利益のために高くなる訳ではなく、お客さんの満足を最大にするためにどうしても高くなってしまうのです。

利益は企業の為ならず

を全ての日本の企業が求めているかどうかはわかりませんが、企業の為に高いのではなくお客さんの為に高い製品になってしまうのではないでしょうか?

他国が安くできる理由

最も利益が出る製品を作ることが目的です。目的は利益ですから安全や機能は二の次にして利益が最大になる方法を模索します。

戦後の日本もそうでしたが、他国の真似をすることで開発費を抑え、安い人件費をいかして安い商品を売り出します。

真似をした上で利益が最大になるように無駄を削ぎ落として、安い商品を作り出します。

日本と他国の対応の違いが価格の違い

事故の対応をみるとよくわかります。日本製品で事故があれば事故の原因を追究し再発防止に役立てます。それがお客さんにとって一番求めていることだからです。時間はかかりますが、最終的に結果として会社のためにも利益にも繋がります。

他国では違います。原因を追究し問題を認めると、利益を減らしてしまいます。誰かが責任を取らないといけなくなるかも知れません。お客さんのためではなく自分達の利益のために、追究しないのです。だから穴を掘って埋めるのです。問題の解決策を探すのではなく、問題をなかったことにすることで安く仕上げるのです。

ちょうど映画のセットのようですね。見栄えは同じように見えても別物です。映画のセットと本物の値段を比べることに意味があるようには思えません。

日本と他国の考え方の違い

日本人は狭い国内で仲良くすることを長い年月をかけて培った世界でも数少ない民族です。他国との関わりを持たない鎖国を行うことで、より国内だけで物事を解決する方法を見出しました。

その一つが隣人は変わらないため、思いやりを持って末長く商売をするというやり方です。店の信用で商売をするという考え方です。一度売った商品に対しても責任を持つのが日本人の考え方です。人と人との関係を大切にする考え方です。

一方他国では政府が変わることも多く、隣人が絶えず入れ替わります。人と人との関わりをを大切にするという考え方は成り立たないようです。何故ならその人がいつまで側にいるかわからないからです。結果としてお金しか信用できないのかも知れません。

人を信用するという感覚に乏しいため、商売はお金と商品の交換で終わりです。商品に欠陥があっても、お金を払う段階で見抜けなかったお客さんの問題と考えます。

日本は商品を売った後のことも考えての値段設定、他国はお金を払うまでの責任だけ考えた値段設定。そもそもの考え方が違うので、値段を比べること自体が意味をなさないと思います。

日本製品は利益ではなく、絶えず最善・改善を考えています。真似は出来ても改善まではまだ無理なようです。その分が値段の違いにあらわれるようです。

命に関わらない製品は無駄を削ぎ落として値段を安くすることに問題はないと思います。しかし自動車や列車など事故が起こると直接命に関わるものは値段よりも安全を優先する方が良いと思いますが如何でしょうか?

値段の違いをこのように売り込んでみると、もしかしたら日本製品は飛ぶように売れるようになるかも知れません。

日本製品は足し算だから高く、他国製品は引き算だから安い

日本製品は考え得る様々なことに備えています。こんなことがあったら便利、こんなことが出来ると楽などです。途中で気付いたことに対応していく経過論に基づいて作られています。海外では過剰スペックも捉えられることがあるのもそのせいです。

海外製品は機能を絞って無駄なものは削ぎ落としていきます。価格相応として割り切って考えるのです。

タバコの意味 喫煙の問題点

タバコの意味を考えてみました。

かつてはお酒と並んで合法的に税金を集めてくれる優秀な収税システムでした。

しかし健康被害が明らかになるにつれて、優秀な収税システムの側面よりも、医療費の無駄遣いの側面の方が大きくなってしまいました。タバコによる税収は年間1兆円、一説によるとタバコによる医療費は3兆円と明らかに損です。金銭的観点だけから考えれば速やかにタバコは禁止する方が合理的です。とはいえ禁止したとしてもアメリカの禁酒法時代のように治安の悪化と闇取引が増えるだけなので、現実的ではありません。

現実的な解決策はタバコを吸うことで余分にかかる医療費を喫煙者に負担してもらうことです。

タバコを吸うことで医療費が余分にかかるのですがわその分の負担を非喫煙者にも負わせるのは不公平です。

タバコによる医療費の分だけ負担を増やすことは増税でも何でもありません。医療費のタダ乗りを正すだけのことです。いつになったら喫煙者の医療費のタダ乗りを正すのでしょうか?

誰も反対出来ないと思うのですが、何故タダ乗りを許しているのか不思議ですね。

非喫煙者の方が多いのですから、多数決でもタダ乗りを容認するとは思えません。

ちなみにタバコの値上げにより喫煙者が減ることで、タバコ農家さんに対する補償も検討の余地はあると思います。

もし反対する議員さんがいれば、分別のつかない喫煙者か献金や票という自分の私欲を目的とした反対です。

不安の持つ2つの意味

不安には2つの意味があります。

知らないこと・わからないことに不安を抱くのは当たり前です。
ただし不安には二つの意味があります。
本来の意味である自己防衛本能としての不安と言い訳としての不安という意味です。

自己防衛本能としての不安

自己防衛本能としての不安が本来の存在理由です。
物事を後先考えず躊躇わずに行ってしまうという無謀な行動をしないように、人は不安や恐怖心というブレーキを備えています。
この不安や恐怖心は動物にもある本能であり、もし不安や恐怖心というブレーキがなければ、人類は滅びていたと思います。

人間が動物と異なるのは物事を冷静に考えることができます。
不安や恐怖心だけだと何もできません。かといってなんでも考えずに行動すると命の危険もあります。そこで人間には理性というものがあります。
物事を論理的に考えて不安や恐怖心を打ち消して行動に移します。

不安や恐怖心があるのは当たり前です。
動物にもあるのですから。
その不安や恐怖心をどのように打ち消すかを考えるのが人間です。

言い訳としての不安

人によっては不安をできない言い訳にします。
○○が不安だからできません。
この不安だからできませんは正確な描写ではありません。
やりたくないことが先にあり、やらないための理由を探してきて○○という不安を作り出しているだけのことです。
やらない言い訳に○○という不安を見つけたのです。
(参考文献:アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉

不安を口にする心理

わからないことに対する不安は誰でも当たり前のことです。
未来はわからないのですから必ず不安です。
逆に先のことを予測することのできる人は必ず不安を感じます。
不安を感じた上で、それを上回る準備をすることが大切です。

誰でも感じる当たり前の不安をわざわざ口にするのは、言い訳の心理です。
やらない言い訳なのか、やるとしても失敗した場合に備えての言い訳です。
口にするとしても、わからない未来に対する不安をいかにして最小にするかを口にするべきです。

不安は言い訳

不安を口にするのは言い訳人間の入り口かもしれません。
できない言い訳か、失敗したときに備えての言い訳か。
対策は、言い訳人間への対策と変わりません。
不安はやらないための言い訳でしかありません。
その不安を取り除くにはどうすればよいですか?
と質問するのです。

無意識のうちに不安を口にしていませんか?
もしかしたらあなたのことを周りの人は言い訳人間だと思い始めているかもしれません。

糖質を少量食べると余計お腹が空く理由(仮説)

糖質依存の一症状として、糖質を少量食べると余計お腹が空くという不思議な感覚を味わうことがあります。ちなみに日頃糖質を食べなくなれば、この不思議な感覚を味わうことはできなくなります。

糖質依存の診断基準の一つにも入っている糖質の量のコントロールが困難になる症状の一つです。
少量食べると余計お腹が空くので、追加で満腹になるまで食べ過ぎてしまうのです。
そのため量のコントロールが困難になるので、肥満を引き起こす一因となります。

糖質を少量食べると余計お腹が空く理由(仮説)
糖質を少量食べると余計お腹が空く理由(仮説)

原因は条件反射?条件反射とは?

本来であれば少量糖質を食べることで、少し血糖値が上がるだけのはずですが、いつもは糖質を大量に食べるため体があらかじめ大量の糖質に備えインスリンを分泌するのではないでしょうか?ちょうどパブロフの犬という条件反射の実験の際、エサを見たパブロフの犬がヨダレを垂らしたということです。本来はエサを食べると出るはずのヨダレが、エサを見ただけで条件反射といばれる反応で食べる準備をするものです。人間でもおいしそうなものを前に、食べることを想像した瞬間口の中に唾液が分泌されることを経験された方も多いと思います。

糖質を少量食べると余計お腹が空くのは条件反射の影響では?

実はこの仕組みが膵臓にも備わっていて、糖質を食べるといつものパターンならこの程度食べるから前もってインスリンを分泌しているのが現認ではないかという仮説です。
この条件反射が成立している状態が、糖質依存の条件なのはないでしょうか?
その結果糖質を少量でやめることが難しく、一度食べ始めるとお腹いっぱいになるまでついつい食べ過ぎてしまうのではないかと思います。

条件反射がなくなれば少量だけ食べることもできる?

糖質依存から抜け、条件反射が起こらなくなるまでの期間は、私は2週間、人によっては3週間だったり3日だったり、1か月しても依存から抜け出せない人まで様々です。
条件反射さえなくなれば、少量糖質を食べたとしても更に食べたくなることはなくなるはずです。事実主食をやめた私は糖質を食べる量は少量でも大量でも、食べると決めた量だけ食べることができます。

この食べる量を決めながらついお代わりするのは、糖質依存の一症状だと思いますし、糖質から抜け出せない最大の理由の一つです。
条件反射が血糖値が少しでも上がることで引き起こされる(食べた時点で条件反射のスイッチが入る)のか、糖質を食べたという満足感がスイッチでインスリンが分泌されるのかは不明です。この仮説が正しければ、いずれ誰かが検証してくれることでしょう。

箱根 噴火だが噴火とよばずって誰のため?

箱根では噴火したのですが不安を避けるために噴火と言わないそうです。

誰のために噴火を噴火とは言わないのでしょうか?

周囲の住民の不安を煽ることを避けるためと説明しているようですが、情報を正確に伝えず歪めて伝える方が余程不安になるのではないでしょうか?福島原発の爆発の際、『爆発的事象』と言葉遊びをしていたことを思い出します。

イメージとか風評被害とかを心配しての噴火という言葉を避けたように思います。

余計な不安を煽る必要はありませんが、正確な情報を伝えることが大切です。正確な情報を意図して歪めて伝えることが人々の判断を誤らせ、結果的に間違った決断に誘導してしまいます。正確な情報が伝わらなかった戦時中を思い浮かべれば、正確な情報の大切さは良くわかると思います。

正確な情報を受け取り、それを不安に思うか対策に活かすかは聞いた人次第です。情報を歪めるのは、情報を流す人が聞いた人の不安を口実に、何かを隠そうとしているだけのことです。

最大の不安は間違いなく正確な情報を伝えてもらえないことなのですから、余計な不安を与えないために噴火という言葉を使わないのは詭弁です。言葉の選択は住民のためではなく、他の人達の思惑で行われています。

まずは住民の安全を目的としま言葉の選択をするべきだと私は思います。そして住民が不安に感じるのであれば、不安を解消できる更なる情報を提供するのが本来の姿ではないでしょうか?

言葉を濁すことが、生死に関わる住民のためになるとは思えません。21世紀なんですけど、意識の上ではまだ情報統制できる時代に頭が取り残されている人達がいるようです。

 

 

怒る人の心理

怒る人の心理を考えてみました。

怒るというのは感情だから仕方ないと考えている人もいるようですが、若い頃に怒ることをやめた心理学者のアドラーによると目的があって怒りを利用しているに過ぎないそうです。(参考文献:アドラーの心理学)

怒りを利用する目的とは、相手の支配なのか、自分の正当性を認めさせることなのか状況により様々です。

怒る心理ですが、相手が自分の考えていることをわかってくれていないことに腹を立ているに過ぎません。

相手は知っているべきだと責めているだけのことです。わかっていて当然だと非難しているに過ぎません。

自分のことをわかってくれないと言って泣いている子供と本質は大して変わらないのかも知れません。子供の場合は怒っても相手にされないので、わかってもらえないことを責めるために泣くのですから。私を泣かせるなんて酷い人だと、感じてもらう目的で泣くのですから。(本人に自覚は無いと思います。人の行動には必ず目的があります。人前で泣く目的は相手を責めることだと私は思います。)

怒っている人を、何をわかってもらえなかったことを怒っているのか観察してみると面白いかも知れませんね。

怒られている当事者だとそこまでの余裕はないと思いますが、周囲で怒っている人を見かけたらこんな視点から読み解いてみてあげて下さい。