アトピー性皮膚炎の上手な付き合い方

アトピー性皮膚炎の上手な付き合い方を見つけました。これまでは原因はダニ、ホコリに対するアレルギーだから避ける方法がなくステロイド外用で一時的に改善するしか方法がありませんでした。糖質とアトピー性皮膚炎の関係の仮説を書いていますように、血糖値を上げないことがアトピー性皮膚炎に有効なようです。

今回提案する方法は食べ物を選ぶだけです。

糖質回避がアトピー性皮膚炎を救う?

出来れば完全に糖質回避してもらうことですが、より合理的な回避法を見つけました。

アトピー性皮膚炎は糖質回避でかなりの確率で症状が改善しています(病気の改善率はこちら。2015/07/26時点で84.6%)。食べる量に依存(多く食べれば悪く、少しだけなら良くなる)して症状が増減するようです。

糖質を食べた際の反応は何時間かで痒みとして出はじめるようです。少なくとも翌日には皮膚の状態は悪化するようです。

対策

痒みが出れば直前の食事での糖質の食べ過ぎを考えます。

皮膚の赤みが出れば前日の食事での糖質の食べ過ぎを考えます。

糖質の量を減らしていきましょう。

痒み、赤みが出なければ糖質の量は許容範囲と考えることが出来ます。

まずは許容範囲を把握することだと思います。日頃から食べ過ぎを気をつけるようにし、もし痒くなったら食べ過ぎの合図だと認識して次から気をつけるようにしていきます。

痒み・赤みを指標に糖質回避

血液検査や機械も必要ありません。指標は痒みや赤みを目安にして食べ過ぎを防ぐことです。赤みは目に見えるのでお子さんの場合も指標になるかも知れません。

糖質を避けることでアトピー性皮膚炎が改善することがはっきりすると思いますが、関係がはっきりすれば2型糖尿病に並び現代の脚気の一つとして語り継がれるようになるかも知れませんね。

糖質回避による病気の改善率を更新しました

糖質回避により2型糖尿病をはじめ様々病気が改善しています。

糖質回避による病気の改善率を固定ページを作成しました。

最新情報はこちらをご覧下さい。アトピー性皮膚炎(13人中11人改善)、慢性蕁麻疹(5人中2人改善)などの改善率を掲載しています。

適宜更新していきます。

 

 

学校の勉強が面白くなかった理由

私は学校の勉強が面白くなかった理由を考えてみました。

正直学校の勉強は嫌いでした。何故なら意味・目的を教えてくれずに授業がいきなり始まるからです。知らないことを知る楽しみは確かにありますが、教科書に書いてあることを授業で説明する目的がわからないからです。

目的が教えてもらえないまま授業が始まり、テストが行われます。あたかもテストで理解度をはかるために授業をしているかの印象でした。

今振り返ってみても、教育の目的が生徒の理解ではなく、生徒を評価することではないかと考えてしまいます。

学校の勉強本来の目的は知らないことを知る楽しみ・喜びを教えることだと思います。残念ながら私の巡り合った生徒の中で、知る楽しみ・喜びを教えてくれた先生は数える程でした。

学校の授業は時間が限られるので仕方ないのだとは思いますが、知らないことを知る楽しみ・喜びを教えてくれると楽しくなると思います。

具体的に理科の実験で考えてみます。今では常識であることも実験で確認するまではわからなかったことが多々あります。理科の実験は科学の確認作業の感覚ですが、当時の科学者の苦労と共に伝えると目的が明確になり理解も深まると思います。

算数で言えば、足し算引き算掛け算は買い物という日常生活に役立つます。数学が発展するまでは言葉で論理的思考をトレーニングしていました。数学が一般的になると物事を論理的に考えるトレーニングに便利で、理解出来ているか出来ていないかの確認が容易なので重宝されています。残念ながら、本来論理的思考力を養う学問のはずですが、問題を解くことが目的になっています。本来の目的から外れ、解き方を暗記して試験を乗り切るのは残念なことです。

これも本来の数学の目的である論理的思考力を養うという目的を伝えることなく、授業が進められていることに起因すると思います。

国語や社会や英語にも勉強の目的があるはずですが、少なくとも私はその目的をはっきり教えてもらったことはありません。

教育改革はまず各科目の学ぶ目的を明確にすることから始めると良いと私は思います。

喫煙者は自制心が強い?

喫煙者は自制心が強い?

依存を続けるにも意思・自制心が必要とされるという考え方です。

タバコを吸うことで生じるニコチン依存症ですが、タバコはいたるところで禁止されています。
タバコを吸うためには時間・場所・タイミングを合わせる必要があります。
禁煙の場所でタバコを吸う人は意思・自制心が弱いと言えます。しかし禁煙の場所では我慢し、喫煙所を探してタバコを吸うのは意思・自制心が強くないとできないことです。
タバコを続ける意思・自制心が強くないと、面倒くさくなって禁煙してしまうということです。

増税で禁煙できる人は意思・自制心が弱い?

増税という財布の痛みを伴う障害があっても吸い続ける人の方が意思・自制心が強いそうです。タバコを吸い続けるという意志や自制心が強いという意味ですが。
増税されると嫌になってタバコをやめてしまうのは、増税分タバコ代がかかることを他で節約するのが面倒な人です。そこまでタバコを続ける意思・自制心が強くはないのです。

依存の方はそもそも続けるかどうかを考える!

ニコチン依存の方はそもそもやめることは考えていません。
タバコをいかに続けるかを考えているのです。

依存状態ではない方からすればタバコはやめたいはずと思っているので、会話が成り立たないはずです。
別に依存の方を責めるわけではありません。(私も様々な依存状態でした)

依存を抜け出したいと思うなら、やめたほうがお得な情報を自分で探し出して、より多く知ることだと思います。

もしタバコをやめようと思うなら、タバコをやめるメリットを良く考えて、続ける方向に向けていた自制心をやめる方向に向けることです。元々自制心が強いので自制心を向ける方向を変えるだけで、簡単にやめられる人もいると思います。

良かったらお試し下さい。

子供が人前で大声を発する理由

子供が人前で大声を発することがあります。今日はその理由を考えてみます。

大声は子供の武器?

一言で言えば親を攻撃しているのです。一番最初は思い通りにならないことで感極まって感情が爆発し、偶然奇声や大声を発したのだと思います。奇声や大声を発することで親が嫌がることを目の当たりにし、自分の持つ武器だと理解するのです。このことを成功体験として記憶するのです。

武器を使えば使う程威力を知る

同じ状況になれば再び成功体験を持ち出して親を攻撃するのです。回数を重ねれば重ねる程子供は自信を持って親を攻撃するようになります。

怒るのは逆効果

ここで子供を怒ると、子供は親がダメージを受けていると感じます。親の怒りは目的を達成すらためのハードル・障害でしかありません。親の怒りというハードル・障害を我慢したご褒美として目的を手に入れると考えているのかも知れません。奇声や大声をあげて怒られると子供は目的に近づいたと内心喜んでいるかも知れません。無意識のうちにもう一押しと考えて、更に大きな声を出したり泣いたりします。

つまり怒ると逆効果です。

対策は?

子供が奇声や大声をあげても気にせず、他のことに気を逸らすのが一番の対策です。子供は二つのことを同時には考えられませんから、全く別のことを話しかけられると混乱して泣き止みます。拒絶して泣き続けようとすることもありますが、更に他のことに気を逸らすようにして、気が逸れるまで興味を惹くことを探すのです。

結果論と経過論

結果論という結果が全てという考え方に対して、途中経過に重点を置いて考える経過論という考え方が、あります。

結果論

結果論は結果が良ければ正解で途中経過は関係ないという考え方です。結果だけが求められ、途中経過はいくら努力をしても考慮されないため、対応がいい加減になりがちです。

本来の目的に反してスポーツに結果論を持ち込むと、悲惨な現実が待っています。スポーツ本来の目的は競い合うことで全力を出し切ることですから、試合に備えて準備をし、試合で全てを尽くすことができればよいのです。スポーツにおいて結果論を持ち込むと、負けはそれまでの努力を否定してしまうことに繋がります。

本来スポーツは全力を出し切るために競い合うだけで、勝つために競う訳ではありません。勝ち負けは全力を出し切るための手段です。結果論ではその手段のはずの勝ち負けにこだわるようになってしまうため、考え方が本来の目的から歪んでしまいます。

特にお金が絡むと勝ち負けが目的の結果論に陥りがちです。

経過論

経過論とは途中経過こそが大切で、結果は様々な要因が重ね合わさった偶然の産物でしかないという考え方です。

途中経過でどれだけ用意周到な準備をしているかを課題とします。結果論では成功すれば、用意周到な準備は無駄なこととして切り捨ててしまいますが、経過論では結果的に無駄になるかもしれない、この用意周到な準備にこそ価値を見出し出します。

経過論では、途中で問題になりそうなことは極力避けるか、問題に備えて準備しておきます。経過論では結果が最善になるように、不測の事態にも備え、できる準備は全てすることです。何故なら経過論では結果が最善になるように、途中経過で最善を考えておく考え方です。結果が問題でさなく、経過こそが問題だと捉えるのです。二つの最善の考え方で結果論は結果さえ良ければ途中経過は問わない自称最善で、経過論は絶えず最善の絶対最善のように思います。

例え失敗したとしても、経過論で物事は考えたいと私は思います。

日本製品が高い理由を以前書きましたが、結果論の他国の製品とは異なり、安全な経過にも拘る経過論で日本製品は作られているからだと思います。

起こらない事故に備えるのは無駄と考える結果論か、事故が起こらないように備える経過論か、どちらが優れているか考えてみて下さい。

子供の好き嫌いは誰のせい?

子供の好き嫌いは誰のせい?といっても今回は食べ物ではなく、歌や踊りや絵などの話です。

実は子供は歌や踊り、絵を描くことは大好きです。何故なら楽しいから。というよりも楽しくなるように自分なりに工夫していくからです。歌や踊りはテレビなどで人の真似をして楽しみます。楽しいので真似をするのですから、楽しくない訳がありません。絵を描くこともそうです。描くと楽しそうなものを選んで絵を描くのですから楽しくない訳がありません。

でもお子さんによっては歌や踊り、絵を描くのを嫌がると思われるかも知れません。それは誰か他人が他人の価値観で評価したからです。それで子供は否定されるので嫌になっただけのことです。

自分で自由にしていれば好きも嫌いもありません。楽しいからやるだけのことです。

誰かの価値観で評価され、否定されてしまうと楽しく無くなって嫌いになるのです。

子供の伸びる芽を大人の価値観で摘み取っていませんか?

対策としては基本的に危険が無ければ子供のやることを否定しないことです。人に迷惑をかけてしまうことは、教えてあげるべきですが、それら以外は何でも子供の好きにさせることです。音程が外れても、踊りが不器用でも、色使いが独特でも子供が楽しければそれが一番です。他人の価値観で子供の感じ方を歪めないことが大切だと思います。

未来の仕事予想 人は2通りに分かれる?

ここ数年でも仕事が様変わりしつつあります。インターネットやコンピューターが人に変わって活躍するようになっています。

一度機械に任せてしまえば、機械は疲れず夜間も作業し文句も言わず、賃上げ要求もしません。人間だとどうしても避けられない人為的なミス(ヒューマンエラー)も起こり得ません。機械化出来る作業は機械化がどんどん進みます。現在職人さんの手作業には機械が勝つことは出来ませんが、力加減や作業の意味を機械に教えることが出来れば近い将来機械が職人さんにとって変わると思います。今はセンサーと力加減、その作業の意味合いを機械に伝えることが出来ないだけだと思います。

将来人は2通りに分かれます

これまでの機械の進歩よりも加速が考えられる、これからの機械の進歩を正確に予想することは困難です。しかし一つ言えることは、人間は2通りに分かれると思います。

2通りに分かれるとは機械を使う人間か機械に使われる人間かという意味です。機械にさせる作業を考えて機械に教える(プログラミングする)人間と、機械のサポートをする人間、サポートといっても機械の指示されて動く人間つまり機械に使われる人間です。機械に指示を与える人間は、機械が自分で考えることが出来るようになる(人工知能が人間をこえる)と予測されている今後30年は、機械に仕事を奪われることはないと思います。機械に指示されて動く人間は、コストの兼ね合いで機械化されていないか、機械化が難しいかのどちらかです。状況によってはいつ機械化されてもおかしくありませんし、いつ海外に移転してしまうかわからない不安定な仕事です。

機械化は止められない

現時点で言えることは多くの職業が機械と置き換わると思います。現在でも弁護士や税理士はコンピューターに仕事を奪われはじめています(弁護士業務では過去の判例の検索は人工知能が活用されはじめているそうです)。利権を守るため抵抗する人が邪魔しようとするとは思いますが、将来薬剤師の仕事は機械に奪われてしまうと思います。(処方歴を厚生労働省が一元管理し、飲み合わせのチェックを行うことで薬剤師の仕事はかなり減ってしまいます。自動販売機のような機械に処方箋のバーコードを読み取りさせると薬が出てくる時代が来るかも知れません。)

サラリーマンも機械にとって変わられつつあります。例えば営業マンは今後コンピューターに仕事を奪われていくと思います(詳しくはこちら)。最後まで残る営業という仕事は一部だと思います(詳しくはこちら)。

これからの仕事は物事を自分で考えることの出来る人しか必要とされないと思います。50代の方は定年まで逃げ切ることが出来ると思いますが、40代の方は業界によっては定年まで働くことが出来ないかも知れません。リストラかも知れませんし、他社との合併かも知れません。そして20代・30代の多くの方は大変な時代に突入すると思います。機械に仕事を奪われる時代が来るからです。最初のうちは機械が導入されて便利になって喜んでいられますが、便利になり過ぎると自分の居場所がないという事態もあり得ます。今のうちから自分に何が出来るのか考えるようにしてみて下さい。

少なくとも自分で物事を考えることが出来なければ、機械を使う側にはいけません。少しでも物事を考える癖をつけましょう。オススメの本は(ちきりんさん、自分の頭で考えよう)です。

高血糖を指摘された方への説明

私は糖尿病が専門ではありませんので通常高血糖を指摘された患者さんや、糖尿病の患者さんに日常の診療で説明することはありません。

専門外だからこそ私利私欲にとらわれず公平な考え方で病気の説明ができると思います。(理想はAプランだけど経営を考えるとBプランを勧めるということがないという意味です。)

以下の内容は患者さんの立場に立った考え方で、説明を考えています。現実にこの説明で御理解いただければ、病院に行く前に糖質回避教に入信されてしばらくしてから行かれる方が良いかも知れません。病院では血糖値とHbA1cの数値の確認だけで済むかも知れないからです。

一つの理屈としてお楽しみ下さい。

高血糖を指摘された方へ

血糖値とは血液内のブドウ糖濃度のことを表します。そして血糖値が高いまま下がらない状態を高血糖と表現します。診断基準を満たせば糖尿病と診断されます。糖尿病を放置したまま進行すると足の壊疽、失明や腎不全により透析が必要となる疾患ですから何らかの治療をする必要があります。

血糖値が上がる原因

血糖値が上がる原因は炭水化物(糖質)を食べることです。これまでは炭水化物、タンパク質、脂質いずれの食事でも血糖値が上がると考えられてきました。実は血糖値を直接上げるのは炭水化物だけです。

炭水化物は消化されブドウ糖となって吸収されます。このブドウ糖の血中濃度が血糖値です。たんぱく質はアミノ酸に・脂質は脂肪酸とグリセリンに消化されて血液中に吸収されます。たんぱく質・脂質は食べても直接血糖値を上げません。焼肉だけ食べても血糖値は上がりません。焼肉にご飯を食べると血糖値が上がります。

血糖値が上がりすぎると身体に害を及ぼすので、インスリンを使って血糖値を下げます。

通常は正常範囲内の血糖値の上昇下降ですが、人によっては高いままとなります。(正常範囲内といっても糖質を食べる前提なので血糖値が上下しますが、糖質を食べないのが当たり前になると将来正常範囲も変わるかも知れません。)

血糖値が下がらない理由

血糖値の上がる原因は上記の通りですが、通常は正常範囲内に収まるように膵臓から分泌される血糖値を下げることのできる唯一のホルモンであるインスリンで下げます。

何らかの理由でインスリンを作る膵臓の細胞が壊されてインスリンをつくることが出来なくなると1型糖尿病となります。インスリンを作ることが出来ず、インスリンがないと細胞がブドウ糖をうまく使えないためインスリン注射をすることが必要となります。

長年糖質を食べることにより血糖値の上昇を繰り返していると、膵臓が働き過ぎて働きにくくなるか、インスリンに反応しにくくなることがあります。その結果糖質で上がった血糖値が下がらなくなります。これが2型糖尿病です。血糖値が下がらなくなってしまったため、下げる治療法が探されていましたが、血糖値を上げる唯一の食べ物である糖質を控えることで改善が期待できます。(2型糖尿病が薬無しで治りました)

理論上は糖質を食べなければ血糖値が上がる理由がないので、2型糖尿病は失くなると思います。無くならないとすればこちらの理由が考えられます。

糖尿病のこれまでの考え方

みんな同じようなものを食べて発症する人と発症しない人がいるため、発症する人の体質だと思われてきました。特に2型糖尿病には遺伝性があるため、体質によるものだと思われてきました。人類の多くが糖質を摂り過ぎており、耐えきれなくなった人が2型糖尿病を発症するようです。

人類の多くが農耕がはじまって以来、大きな大きな落とし穴に落ちていたようです。余りにも落とし穴が大き過ぎて気付けなかったようです。

そして食べ物の選択ミスによる病気という意味では、現代の脚気とも考えることが出来ると思います。

糖尿病を放置すると

糖尿病は放置すると壊疽による足の切断の可能性や、失明の可能性、腎不全による透析が必要となることなどが考えられます。

治療法

治療法としては糖質を避ける食事療法からはじめます(既に糖尿病の内服治療中の場合や腎機能障害や肝機能障害で治療中の方は主治医の先生との相談が必要となります)。完全に糖質を避けることが出来れば理論上は血糖値は上がらなくなるはずですが、血糖値が改善しなければ、いつの間にか糖質を食べていないか食事療法を見直します。

それでも血糖値が改善しなければ薬での治療法も考えてみましょう。

天動説と糖質依存

天動説は人間が観察できることを主観的に捉えた考え方です。今となっては科学技術の進歩により、明らかに間違っていることは容易に理解できますが、当時としては天動説が間違っているとは疑いもしない人が大半だったと思います。

何しろ当時は見たもの聞いたものが全てであり、見えないものは理解しがたかったと思います。

天動説に疑問を抱いたのは惑星の存在のようです。惑星、月、太陽が他の星々と違って不思議な動きをする観察結果から、天動説では矛盾を生じたため疑いを持つものが現れました。その結果地動説という理屈に至ったようです。自分自身が存在する場所を客観的に捉えることの難しさを表していると思います。

糖質は多くの人類が当たり前に食す食材であり、食に対する依存など想像すら出来なかったと思います。通常は自分自身を客観的に捉えることは困難です。しかしその困難なことを行わないと、糖質依存の考え方は理解することが出来ないと思います。

糖質依存は野生動物ではあり得ない肥満から思い至りました。野生動物は肥満になれば肉食動物ならエサが捕まえられなくなりますし、草食動物ならいち早く肉食動物のエサになってしまいます。

本来なら人間も太りすぎない仕組みがあるはずです。その仕組みをすり抜けて太ることが出来るのには何らかの仕組みが無いと説明がつきません。糖質が脳を騙す仕組みです。通常動物は肥満にはならない仕組みがありますが、ペットの中には肥満にならない仕組みをすり抜けて食べ過ぎるようです。恐らく人間と同じ糖質の摂り過ぎではないかと思います。

いつの間にか食べ過ぎてしまう糖質に騙されている。結果的に地動説が正しかったように、糖質に騙されていたことが何年かしたら当たり前になるかも知れません。

主観的に物事を捉える天動説から、客観的に物事を捉える地動説にたどり着いたようにそれまでの常識にとらわれずゼロから考える必要があります。