忘れないことを忘れる場合の対策

忘れないことを忘れてしまうことがあるのが人間です。というか少なくとも私には忘れないことを忘れることが良くあります。

忘れてはいけないから覚えておこうとしたこと自体を忘れてしまうのです。

人は物事を思い出す際、何かをきっかけにして思い出すようです。そのきっかけを上手く思い出せるようにセット出来る人は、物事を忘れにくく記憶を取り出すことが得意となります。何か行動する必要がある場合には、その行動のきっかけになることを忘れない方法でセット出来る人とセットがしにくい人がいます。

思い出すきっかけをセットする

私は行動のきっかけを覚えて置くのが苦手なので、工夫するようにしています。

例えばゴミ出しを忘れそうなら、忘れないように覚えておくだけではなく、必ず思い出す仕組みを作ります。ゴミ出しであれば玄関の靴の側にゴミを置いて出掛ける際に思い出す仕組みにします。

必ず持って行く必要があるもので持って行くことを忘れそうなら、靴の上に置いておきます。

他には再々目につく目立つところに忘れてはいけないものを置いておいて、その都度思い出すのも一つの方法です。これは受験勉強などどうしても覚えたいことがある場合にも有効な対策です。人間何度も見返していれば覚えるものです。

それでも忘れそうなら

二重三重に思い出す仕組みをセットしておきます。締め切りのあることに対して、簡単な対策は携帯のスケジュール機能です。携帯のスケジュール機能に忘れては困る内容をメモしておきます。そうすることでスケジュールの時間を忘れない仕組みを作ることができます。

他には忘れてはいけないことの数を数えておく方法です。今日は2つ、明日は3つなどその数の物事を思い出すことができるかどうかを確認します。内容はともかく数だけ抜き出して記憶しておく方法です。

この数のチェックは小学生が登校の際の忘れ物チェックなどには有効な手段です。ハンカチ、ティッシュ、水筒、帽子、名札、帽子の六個とかですね。

私の場合は大したことはありませんが、財布、携帯、鍵の3つを持たないと外出しない癖をつけています。だから私のチェック項目ら3です。

良かったらお試し下さい。

糖質の害が明らかになりつつある今…

糖質とは炭水化物の中で人間が消化できない食物繊維を除いたもののことです。糖質と食物繊維を合わせて炭水化物といいます。糖質は直接血糖値を上げることの出来る唯一の栄養素です。

糖質による害は直接血糖値を上昇させること、依存性糖化産物(仮説)による三つのが考えられます。

血糖値の上昇

食事により血糖値が上下するのが当たり前の常識でしたが、直接血糖値に影響を与えるのは糖質だけのようです。つまりタンパク質や脂質を食べても直接血糖値は上がりません。(参考文献:糖質オフ健康法)

血糖値の上昇が繰り返されることで血糖値を下げるホルモンであるインスリンを分泌する膵臓が耐えきれなくなると2型糖尿病ます。発症初期であれば糖質を避けるだけで、薬無しで治すことも可能なようです。

血糖値の上下が食後の眠気を誘うようです(参考文献:炭水化物が人類を滅ぼす

依存性

どうやら糖質には依存性があるようです。その証拠に依存の禁断症状が認められます。禁断症状とは強い空腹感のことです。強い空腹感を我慢しているとピークをこえる感覚になることがあります。これが禁断症状を抜けた証拠です。禁断症状でなければ食べ物を食べないのに空腹感が改善する理由が見当たりません。

依存の症状の一つに自己抑制できないということがあります。一度食べ始めるとやめられないということがあります。少したべると余計お腹がすくという不思議な感覚がその原因です。

時間が経つと強い空腹感によりつい糖質を食べてしまいますし、一度食べ始めるとやめられないのが依存の特徴です。

糖質依存の結果、肥満が引き起こされます。だから糖質を避ける知恵だけで痩せることが出来るのです。

糖化産物による病気

血液中のブドウ糖がタンパク質と結合することで生じる糖化産物が免疫機能に働きかける仮説を考えています。

この仮説が正しいかどうかは別にして、糖質を避けることで様々な病気が改善、あるいは治っています。糖質回避による病気の改善率はこちらをご参照ください。例えば花粉症やアトピー性皮膚炎などの各種アレルギーやニキビは改善率から考えて関係は間違い無いと思います。

糖質の害がわかりつつある今…

糖質の害を信じる信じないは宗教と同じで個人の自由ですが、糖質に問題があるのは真理だと思います。

人類は糖質の問題を知った上で、上手に付き合うことが求められていると思います。

糖質の問題に気付かれた江部先生ご兄弟のおかげで、人類は大きな転換点を迎えることになりそうですね。

定食屋で糖質回避の未来予想

糖質の様々な害がわかりつつあります。例えば肥満や2型糖尿病、高血圧、もしかしたらアレルギーの原因かも知れません。この糖質の害が広まれば、糖質を避けるのがいずれ常識となると思います。少なくとも主食という概念は廃れていくと思います。

時間はかかると思いますが主食という考え方なくなると仮定して未来予想をしてみます。今回はその中でも、御飯の美味しいのが特徴の定食屋さんで、将来糖質回避が広まった場合の対応メニューを考えてみました。と言うより私個人の希望として糖質回避対応メニューが出来るといいなという願望も込めて考えてみました。

定食屋さんによっては既に糖質回避に対応しているお店もあります。おかず単品のメニューがありますし、冷奴も単品であります。他の定食屋さんでは、自分の好きなおかずを選んで食べる形式のお店もあります。御飯や麺類を頼まなければ簡単に糖質回避ができます。

しかし定食屋さんによっては御飯のお代わりが出来る定食屋さんもあり、私が糖質回避を始めるまで良く行っていました。残念ながら御飯のお代わりが売りだけあって、その定食屋さんではおかず単品メニューはありませんでした。そのため糖質回避を始めてから足が遠のいてしまいます。今後糖質の問題点が世間一般に広まれば、糖質回避をする人が増えるため、定食屋さんも単品メニューを置くようになると思います。今の所御飯が売りだけに、思い切った方向転換をすることは難しいのかも知れません。実際には売上が減るまでなかなか御飯無しメニューには踏み切れないかもしれません。

定食屋さんの糖質回避

お代わり自由の御飯の代わりになるものを考えてみました。バイキング形式のお店で見られるような、汲み出し豆腐のお代わり自由の定食屋さんが出来るのではないかと思います。私個人は出来ると嬉しいです。お醤油をかけず、御飯を食べる代わりにおかずの塩気で豆腐を食べることを提案すると面白いと思います。

御飯を食べる前提が無くなれば、糖質の甘みを塩分で打ち消す必要が無くなります。その結果減塩した味付けでも十分美味しく感じることが出来るようになります。健康志向を売りにした展開も出来るのではないかと思います。

コストの問題があるのでなかなか実現は難しいかもしれませんが、検討の余地はあると思います。

糖質回避や糖質制限の利点が世間一般に広まるのにどれだけ時間がかかるかわかりませんが、早く広まれば良いと思います。

回転寿司で糖質回避の未来予測

近い将来糖質回避時代がやってくると思いますが、その糖質回避時代の回転寿司の未来を考えてみました。

お寿司は美味しいので無くなることはないと思いますが、炭水化物を扱ってばかりはいられない時代がいずれやってくると思います。ラーメンで糖質回避の未来予測で書いたように回転寿司も進化するのではないかと思います。

回転寿司で糖質回避?

まだ糖質回避や糖質制限は主流ではないため、糖質回避や糖質制限をする人は回転寿司を避けていると思います。残念ながら現時点の回転寿司のメニューでは、糖質制限はシャリを残さない限り難しいと思います。私には回転寿司で糖質回避はシャリ抜き以外思いつきません。

糖質の害が広まれば糖質を避けることが当たり前の時代が来るはずです。完全糖質回避でみんながみんな糖質を全く食べなくなるわけではないと思いますが、主食として食べる時代は間も無く終わりを迎えると思います(まだ10年はかかるかも知れませんが)。

糖質回避が広まれば、回転寿司のお客さんが減ると思います。少なくともお米自体が日頃の食べ物ではなくなりハレの日の食べ物になるのではないかと思います。日頃の食べ物としてお寿司の地位を守るためには、回転寿司屋さんでも糖質回避メニューを考えると思います。お客さんが減らなくても、糖質回避が明らかな流れになれば、新しいメニューは生まれると思います。

糖質回避メニュー

私の考える回転寿司の糖質回避メニューは、ネタだけ流す寿司のシャリ抜き、つまり刺身として流すことです。二貫のお寿司の代わりに三つのお刺身にするのか、料金はそのままで寿司のシャリ抜き、つまり二つの刺身にするのかは悩ましいところです。お試しは寿司のシャリ抜きではじめてみて売れ行きとアンケートの結果で考えると良いと思います。二切れの刺身のままか、刺身の提供をやめるのかそれとも三切れの刺身にするのかです。

他には硬めの豆腐をシャリ代わりにして、豆腐にネタをのせた豆腐寿司が生まれるのではないかと思います。豆腐寿司はともかく、寿司のシャリ抜きは今でも出来るはずなので、ネタだけ流してくれると私が回転寿司に行く機会が増えるので早く実現して欲しいものです。

大手回転寿司屋さん、この案いかがですか?

考え方を強要すると争いになる

考え方を強要するから争いになります。

例えば親子で親の経験から子供に対してこうしなさい、ああしなさいと一方的に強要することは良くあることです。子供が納得出来る説明した上での強要なら、大きな問題になりませんが納得出来ないまま強要しようとすると争いに発展します。

一方的な考え方の強要や押し付けは時として争いに発展するのは仕方ありません。強要された方が理解出来ないからです。何故やらなければならないか納得出来ないまま強要されるので、納得出来ないことに加えて、考え方を変えるように強要されることで争いになります。二重の意味で不快に感じてしまうからです。

強要してもねじ伏せる圧倒的な力があれば争いにはならないかもしれませんが、対等に近い関係であれば争いに発展します。健全かどうかは別問題として、かつての欧米諸国の植民地支配が争いにならない程の圧倒的な武力の違いによるものです。

子供が小さい頃には子供自身が判断できませんので、強要するのも仕方がありません。しかし子供が生意気なことを言ったり反発したりする自我が目覚めてくれば、強要するから争いになるのです。子供の成長に伴い、圧倒的な差が無くなった証拠なのかもしれません。まだ子供だから自分の思い通りにしたいという欲求は抑えて、子供の考え方を尊重するようにすれば争いは避けることが出来ます。その代わり子供が責任を取るのです。

一方的な論理で考え方を強要した結果争いが起こるのは何も親子だけではありません。かつての宗教戦争も一言で言ってしまえば考え方である宗教の強要をしようとして戦争にまで発展しました。信じるものは救われる、信じない人は関係無いという本来の宗教の考え方で言え考え方の強要などあり得ないことです。そのあり得ないことをしたため戦争にまで発展したのです。

逆に考えれば考え方の強要などしなければ、争いの多くは避けることが出来るのかもしれません。例えば先ほどの親子の場合、親の知っている情報を子供に伝える。親からすればこうする方が得だと思うという提案をするのです。その結果子供が自分で判断するように促すのです。強要しなければ争いにはなりません。強要するから反発するのです。子供自身の判断であれば反発のしようが無くなると思います。当然その責任は自分で取らせると子供自身も自らが選んだ行動には責任が伴うことを実感すると思います。

最終的に子供が困ることなら、子供の問題だと子供に気付かせてあげると良いと思います(問題論)。子供が困る問題に親が口出しをすること自体が越権行為ですが、さらに強要すると争いになるのは当たり前と言えば当たり前のことなのです。

考え方の強要はしない

いくら自分の考え方に自信があっても、人に考え方の強要をしないことです。

考え方を強要すると思わぬ争いを生じるかもしれません。

大人に対して考え方を強要しないのは当然ですが、子供が反発するようになってきたら、子供に対しても強要するのは終わる時期なのかもしれません。

糖質回避教について

自分が信じるか信じないか自由な発想の論理的宗教である糖質回避教をオススメしています。

お布施やツボなどのグッズ販売はありませんし、全くお金はかかりませんのでご安心ください。(多少食費は変わるかもしれません)

食生活を変えるのは嫌だと思われたら信じなければ良いだけですし、食生活を変えるだけで病気が治るかも知れないなら変えてみると考えるのも自由です。糖質回避教は考え方を強要したりしません。人に考え方を強要するから争いが起こるのです。そして信じる人だけが意味がわかれば良いと思います。

御利益

御利益とは糖質回避により得られる良い効果のことです。様々な御利益に恵まれると思います。例えば肥満でお悩みの方は、難なく痩せることが出来ると思います。2型糖尿病高血圧などはかなりの確率で改善すると思います。各種皮膚病も糖質を控えるだけで改善する人が多くおられます。花粉症も治るようなので、もしかしたらアレルギーそのものが糖質の取り過ぎが原因で引き起こされているのかも知れません。(病気の改善率はこちら)

具体的な方法

具体的な方法は糖質を控えることです。以前書いた詳しい内容はこちらをご参照ください。

簡単なのは御飯の代わりに豆腐にすることです。豆腐に醤油をかけず、おかずの塩気で豆腐を食べることがオススメです。丁度御飯を豆腐に置き換えるイメージです。

考え方の基本は主食という考え方をやめるのです。歴史上糖質を食べるのが当たり前になったぢけのことで、人間の身体にとって良いものかどうかは別問題のようです。(参考:人類が糖質を当たり前に食べている理由)

一食毎の糖質の量を減らすより、糖質を食べる回数を減らす方が簡単です。何故なら少しでも食べると余計食べたくなる(糖質依存の一症状のようです)ので、余分な我慢をする必要があるからです。御飯をお茶碗一杯食べていたのを3分の1減らして食べるより、朝昼晩のうちの一食に御飯抜きでおかずだけにする方が我慢が少なく簡単です。慣れてきたら2食、3食と糖質を避けるようにしてください。

信じる者は救われる

糖質を避けるとダイエットに効果があることや病気が良くなることを私の話やこのサイトから知って、糖質回避を始められた方は信者さんだと私は思っています。私がきっかけだからです。

私はお布施が欲しい訳でも、信者さんの数を自慢したいわけでもありませんので私が信者さんだと信じることが出来ればそれで良いのです。糖質回避をはじめても信者になったつもりはないと思われる方もおられると思います。信者云々は私の自己満足で構いません。糖質回避教というのは例え話のようなものですから。

信じるものは救われるということを強調するための一つのきっかけに過ぎません。

何しろ皆さんの病気が良くなることが目的なので、そのきっかけの一つになれたという自己満足が私に得られれば良いのです。

信者さんは恐らく100人はこえたと思います。そして20人以上の方の病気が良くなっています。人によっては糖質をやめただけで病気が失くなりました。(参考:2型糖尿病が薬無しで治りました)

興味があれば糖質回避教を始めてみてください。御利益があるかもしれませんよ。

我慢のダイエットから楽しむダイエットの時代へ

これまでのダイエットは食べたいという本能に逆らう我慢が当たり前で、辛いことが常識でした。糖質を避ける知恵により食事の我慢は必要無くなりました。何故なら糖質を避けるだけでお腹いっぱい食べても痩せることができるからです。そういう意味で食事の我慢の必要がなくなりました。

そもそも強い空腹感は糖質依存の禁断症状だから、しばらく糖質を避ければ依存から抜け出し、禁断症状である強い空腹感はなくなります。
太るのは糖質の取りすぎが原因だからです。
糖質を避けていれば太りたくても太れなくなります。

空腹感という本能に逆らって我慢する必要が無いので、楽しみながらダイエット出来ます。
というよりも糖質回避の中に楽しいことを探しながらダイエットするだけのことです。

その楽しみは人によって異なると思います。私の場合は体重計に乗ることでした。毎日減っていくのが楽しかったです。体重が減るのが楽しくて、余分に歩いたり、食べる量をいつの間にか控えたりしていました。何しろ体重計が楽しいから食べる量を減らしてしまいました。

他の楽しみは食事のメニューです。糖質を避けながら何を食べるか考えるのも一つの楽しみになります。肉・魚・脂肪分・卵・豆腐等大豆製品はどれだけ食べても大丈夫(長期的には動物性タンパク質での病気の可能性が指摘されています。植物性タンパク質はどれだけ食べ続けても問題はないようです)なので、それらをいかに美味しく食べるかを考えます。
カロリー説では諸悪の根源のような脂肪分ですが、実は食べても大丈夫なので、思った以上に食事を楽しむことができます。

例えば豚肉の角煮や豚バラ、霜降りの牛肉やステーキの脂身も問題がありません。
魚も食べても問題がありませんので、我慢の必要があるとすれば糖質だけですが、本能である空腹感はタンパク質や脂質を食べることで抑えることができるので、本当の意味の我慢は必要なくなります。糖質依存の禁断症状を如何に避けるかだけのことです。

主食を避けるだけのことなので、慣れてしまえば無意識のうちに行うことができるようになります。

糖質回避で尋常性疣贅(イボ)改善が2人目

糖質回避でお一人イボが改善したことはお伝えしましたが、もう一人改善しました。

一人目の方は完全糖質回避でしたが、二人目の方は一食は御飯を食べておられるそうです。

お二人とも一週間で効果が出ているので、お子さんにも試すことが出来るかも知れません。

もしかしたら尋常性疣贅(イボ)に対しても、糖質回避は画期的な治療法となるかも知れません。

この仮説が正しければ、本来免疫機能が正常ならうつらないはずの尋常性疣贅(イボ)のウイルスに対して、糖質の食べ過ぎで免疫抑制がかかっただけなので治療法とすら言えない方法なのかも知れません。

いずれにしても治るのは良いことですね。

子供が生意気なことを言う心理

ある知人と話しているとお子さんが生意気なことを言って困ると聞きました。つい生意気なことを言われると怒ってしまうとも言われていました。前回の子供に腹が立つ理由に続き、子供が生意気なことを言う心理を考えてみます。

思い返せば自分が子供の頃、生意気なことを言っていたと思います。

一言で言えば、何も知らないから言えるのです。そして生意気だと感じられること自体も知らないのです。

例えば家でお母さんに生意気なことを言ったとします。大人からすれば掃除や洗濯、食事の準備などの家事をやってあげているのに、そんな生意気なことを言っているとして腹が立ちます。

子供は生まれてから当たり前に掃除や洗濯や食事の準備という家事をしてもらっています。それは当たり前で空気みたいなものです。やってもらって当たり前で感謝する、少なくともわきまえるという感覚が無いのです。

対策は?

子供から生意気なことを言われたら、『凄い!大人になったね。ということは全部自分でするんだ。めでたい』みんな拍手!^_^

と笑いながら言うのです。『それだけ生意気なことを言うのだから、自分でするよね?』と聞いてあげればいいのです。生意気だったことを認めれば、そのまま笑顔で終わりです。

引くに引けず、自分ですると言い張ればやらせてみるのです。責め立てることはせず、淡々と自分でやらないと何も進まない子供が困る状況を作り出すのです。

実際にやってみて困る状況になれば、子供も考え方が変わると思います。子供自身が自分では全て出来ないことを理解した時点で、わかった?と優しく声をかけてあげれば良いと思います。本当に困って助けを求めてくるまで待つのも一つの選択肢ですが、子供といえども意地になるかも知れませんので、適当なところで助け船を出してあげると良いと思います。何しろ相手はまだ何も知らない子供なんですから。

生意気なことを言われても、怒る必要はありません。素直に成長したことを喜び、更に成長を促すだけで良いと思います。まだ親がしてくれている有難さを知らないだけやってなんですから。恩着せがましく言えというわけではありません。子供が当たり前だと思って有難さを認識出来ないので、そのことを伝えるだけのことです。

身の回りにある空気と同じで、当たり前過ぎて認識出来ないだけかも知れません。空気は目に見えないだけに、身の回りにあることを実感するのは難しいのです。子供にとっても親のしてくれることは子供の当然の権利だと誤解しているのです。当たり前だと思っているから空気のように見えないのです。

生意気なことが言える年にまで成長すれば、自分で身の回りのことは出来るはずです。自分が身の回りのことをしてみて初めて親の有難さが理解出来ると思います。空気の存在を知るように。

子供に対して腹が立つ理由

子供というのは何も知らずに生まれてきます。
教えなければ、伝えなければ何一つ知らないのです。
反対に大人はこれまで様々な経験をしているため、当たり前に常識を身につけています。あたかも常識を生まれつき身につけて生まれてきたかのような錯覚に陥るくらい当たり前に思い込んでいます。
大人にとって当たり前のことを子供が知らないこと・わからないことに思いが至りません。
大人が自分の親から教えてもらったことを、子供に伝えないとわからないのです。

子供は知らないから何か大人が腹を立つことをしただけなのです。
もし知っていて大人を怒らせようとして行動したのなら、何か目的があります。
構って欲しいとか、自分のことをわかって欲しいとか、何らかの怒らせようとした目的があります。
大半は怒らせないように気をつけていたのに、知らない間に親の地雷を踏んでいるのです。

子供に対して腹が立つのは、理解できないからです。
何故そんな行動をするのか理解できないから腹がたってしまいます。
ただ単に何かを知らないのだという前提に立てば、腹は立ちません。
親が驚くような常識を知らなければ、そんなことも知らないのか?と笑えば良いのです。
ご免ご免まだ教えていなかったね。と笑えば良いのです。

子供に対して腹が立つのは、子供が知っているはずはないはずなのに知らないように振舞っていると思うから腹が立つのです。
子供は以前教えたから知っているはずなのに、知らないかのごとく振舞うから腹が立つのです。
子供には言葉で伝えてはいても、その意味・目的を理解していないので気にしていないだけかもしれません。
それとも頭に残らず忘れているのかもしれません。

子供が何かを知らずに親を怒らせたとしたら、その知らないことは誰の責任なのかを考えて見ましょう。
怒る気はなくなると思います。
腹が立っても怒る前に、子供は何を知らないのか?子供は何を目的に行動しているのか?を一呼吸置いてから考えるようにすれば、怒る必要はなくなります。
ただ教えてあげれば良いだけなのですから。