赤ちゃんは究極のおもてなしの教材

赤ちゃんは究極のおもてなしの教材だと思います。

赤ちゃんに言葉は通じません。赤ちゃんを泣かさないためには究極のおもてなしが必要です。赤ちゃんのことを思い遣る心が求められます。

赤ちゃんは不満があれば泣きます。赤ちゃんは不快に思えば泣いてしまいます。赤ちゃんは気に入らなければ泣いてしまいます。言い訳なんて聞いてくれません。こちらの都合なんて気にもしてくれません。周囲の状況なんて御構い無しです。

泣く子と地頭には勝てぬ

という故事成語があるように、泣く子に道理は通じません。

赤ちゃんを中心にして物事を考える必要があります。赤ちゃんが泣いていれば何らかの不満・不快があることはわかります。わかることはそれだけです。後は大人が何が不満なのか、何が不快なのか思い遣るしかありません。お腹がすいたのか、オムツが不快なのか、眠りたいのか抱っこして欲しいのか、寂しいのか、暑いのか寒いのか想像するしかありません。この想像の枠をこえた赤ちゃんの不満・不快のメッセージは受け取ることが出来ないのです。例えば喉が渇いたので水が飲みたいのか、同じ体勢で体がしんどくなったのかは、想像できなければ対処出来ません。

様々な知恵と想像力を働かせて、赤ちゃんが泣いている理由を探します。文句を言ってくれれば対策がとれるのですが、赤ちゃんはただ泣くだけです。泣き方と泣いた状況や置かれた状態から泣いた理由を探すしかありません。

対策を施し、泣き止めば対策は成功です。泣き続ければ対策は失敗です。大泣きになれば大失敗です。もしかしたら赤ちゃんの望んでいることから遠ざかったヒントかも知れませんし、赤ちゃんにとっての地雷だったのかも知れません。

ひたすら赤ちゃんの立場を慮って泣き止むまで対策を探すしかないのです。

大人や言葉の通じる子供と違って言い訳や嘘・誤魔化しは全く通じません。ただ赤ちゃんの不満・不快を取り除くようにもてなすしかないのです。

泣かさない子育てが出来れば赤ちゃんのおもてなしも自然に出来るようになるのかも知れません。

赤ちゃんが成長しいつしか言葉が通じるようになると、言葉での誤魔化しや言葉での支配により子供をおもてなしの教材とは考えなくなってしまいます。

赤ちゃんはもちろん、言葉の通じる子供達もおもてなしの教材なのです。子供に不満・不快な感情を芽生えさせることなく、常識を身につけさせてあげることが泣かさない子育ての目指すところです。

魔法の言葉 心配してくれてありがとう

私は言葉の魔法の力を信じています。
その一つに

心配してくれてありがとう

があります。同義語は余計なお世話です。余計なお世話ですと言いかえせばその場はもしかしたらスッキリするかも知れませんが、角が立ちます。

言われた側にとっては余計なお世話以外の何物でもありませんが、言う側はせっかく心配してあげたのにと考えます。だからこそ、それを逆手にとって心配してくれてありがとうと伝えるのです。ありがとうと言われて怒る訳にもいきませんし、心配しているつもりなので皮肉だと言う意味は理解できません。理解出来ないからこそ皮肉の意味を込めても、皮肉を込めなくても角は立ちません。

ありがとうと言われている訳ですから、心配してないとも言えませんし、心配を口実にそれ以上口にすることも避けることが出来ます。

不快に思ったり余計なお世話だなと感じることを言われたら、『余計なお世話です』と言う言葉を飲み込んで『心配してくれてありがとう』と伝えるとそれ以上お互い嫌な思いをすることなく会話を打ち切ることが出来ます。

魔法の言葉、心配してくれてありがとう。

余計な一言を言う人にも有効ですが、興味本位で根掘り葉掘り聞く人にも最適な一言です。

質問に対して的外れな回答をする人の心理

今日はスーパー心理学を考えてみたいと思います。質問に対して的外れな回答する人の心理を考えてみたいと思います。

本人は真剣に答えているつもりですが、論点がずれてしまっているので質問した人は混乱してしまいます。

的外れなことを言っている心理には2通りあります。一つはわざと論点をずらして答える心理です。一つは論点が理解出来ないのです。

わざと論点をずらす心理

わざと論点をずらして答えるのは、都合の悪いことを隠すことが目的です。意図的に論点ずらして答えていますので、質問を繰り返してもこちらの聞きたいことは答えてくれません。何故なら質問の答えを隠したいからです。
対策は隠したい心理を察して諦めるか、どうしても答えさせたいなら2択の質問にして追い詰めるしかないと思います。隠すことが目的で的外れなことを言うので、2択の答え以外を認めない質問をして追い詰めるしかありません。

本人は都合の悪いことを隠したいのですから、的外れな答えで相手が諦めるのを待っているのです。

ただし何か不正なことをしているのでなければ、相手をしないのが得策かも知れません。恐らく心理状態は言い訳人間と同じなので自分の責任を認められないので的外れな答えをしている可能性があるからです。

相手をしなくてすむ方法を探すことに頭を使いましょう。

論点が理解出来ない

そもそも質問の意図や目的が理解出来ないのかも知れません。本人に悪気はないのです。そして的外れな答えでも、本人は真剣に質問に答えているつもりなのです。理解力の問題であれば、相手が理解出来るように説明し、相手が答えられるように質問を調整するしかありません。

隠すつもりは無いので答えてはくれるのですが、答えが的外れとなってしまうので一言で答えられる質問にするのが得策です。質問を工夫することに頭を使いましょう。

糖質回避だけで痩せるなんて嘘!

糖質回避だけで痩せるなんて嘘!と思われる方も多いようです。糖質を避けると痩せる話をしても、言葉にはされないものの怪訝そうな表情からは

嘘でしょ!?

と口に出される以上に顔が物語っておられることがあります。

私の体重が16Kg減ったことが何よりの証明なのですが、以前の私の太り具合を御存知無い方には説得力の無い話です。

嘘だと思われたなら御自分で嘘だと証明して見せて頂くことを提案します。嘘だと思うから、糖質回避をしないというのは言い訳人間の論理です。糖質を食べたいことが先にあって、糖質を食べるために嘘だと決めつけるだけのことです。

御自分が言い訳人間では無いと思われるなら、一度御自分で嘘か本当か試されることをお勧めします。

太る理由が糖質の摂り過ぎなのですから、健康な方が糖質を食べなければ痩せない理由は無いと思います。もし糖質を食べなくても痩せられなければ何らかの基礎疾患が隠れているかも知れませんので内分泌内科の受診をお勧めします。

糖質を避けるだけで痩せるかどうか、嘘だと思われるなら嘘だと証明してみてください。

この理屈は様々な糖質が原因の病気にも当てはまります。嘘だと思われる方なら実際に試してみて間違っていると教えて頂けると幸いです。

周囲の人を振り回す人の心理

周囲の人を振り回す人というのはどこにでもいるものです。

振り回す人が職場の人であったり、恋人や配偶者などのパートナーであったり、子供であったりします。
本人には振り回しているつもりは全くありません。
ただ困っていたり心配しているだけです。
困っていることや心配していることの解決を周囲に求めるのです。
直接助けを求める場合もありますし、困っていることを切々と訴えて暗に解決して欲しいと主張するのです。
自分で解決する人は周囲の人を振り回したりはしません。自分で解決するのでわざわざ困っていることを人に言ったりもしません。
よほど暇であれば世間話として話すことはあっても、わざわざ自分の困っていることを周囲に話す目的がないのです(目的論
周囲の人を振り回す人は困っていることをアピールします。もしかしたら周囲の人のせいにして自分は悪く無いと思い込んでいる言い訳人間なのかも知れません。または周囲の人を振り回す自覚は無くても、無能ぶりをアピールすることで、手を差し伸べてもらうことを期待しているのです。

人を振り回す理由

そして周囲の人を振り回す人の特徴は、これまで困っていれば誰かが助けてくれた成功体験があるのです。それに味をしめて困っていれば、誰かが助けてくれるはずという心理が働いています。しかも困ってはいるけど助けてくれとは言わない、ズルい心理の持ち主でもあります。

偶然周囲の人を振り回してしまうことはあるかも知れませんが、その人が他人を振り回すことを再び見かければ、余り関わら無い方が良いと思います。

困っていることをアピールしてきても、大変ねぇと感想を述べるにとどめるのです。間違っても頼まれてもいないのに救いの手を差し伸べてはいけません。何故なら手を差し伸べられることに味をしめ、何度でも周囲の人を振り回すようになるからです。

頼まれてから手を差し伸べるかどうか考えると良いと思います。そして手を差し伸べるとしても、お金ではなくても何かしらの対価を求めるようにすると、振り回せない人(思い通り動かせない人)として認識されるので、次から困っていることを伝えてこなくなります。

子供に対しても同じなんです。子供の場合は子供が泣き叫ぶことで親を思い通り振り回そうとすることがあります(恋人や配偶者などのパートナーも泣き叫ぶことで相手を振り回すことがあります)。結果として子供の思い通りに親が行動すると、子供の成功体験として学習してしまいます。泣き叫ぶことで親を振り回すことが出来ると認識してしまうのです。嫌な思いをする→泣き叫ぶ→親が言うことをきくという図式を成功体験として学ぶのです。泣き叫んでも子供の思い通りの行動をしないことが大切です。そうすれば次から親を振り回す目的で子供が泣くことを避けることが出来ます。

自己免疫性疾患とアレルギーの関係(仮説)

現時点では自己免疫性疾患とアレルギーは別の疾患として認識されています。自分の身体の細胞や組織に対する免疫異常は自己免疫性疾患、花粉や食べ物など外的要素に対する免疫異常はアレルギーとして認識されています。

色々考えているとアレルギーも自己免疫性疾患の一種で、アレルギーそのものの解釈を間違えているのではないかと思うようになりました。原因不明ながら自分の細胞に対して免疫細胞が反応してしまうのが自己免疫性疾患ですが、アレルギーも実は自分の細胞に対して免疫細胞が反応していることを観察しているのではないかと思います。
例えばアトピー性皮膚炎では皮膚の細胞、蕁麻疹であれば白血球の一つである肥満細胞、花粉症であれば目や鼻の粘膜細胞に対する免疫異常ではないかと考えています。他にも食物アレルギーは腸粘膜細胞、気管支喘息は気管支の細胞に対する自己免疫を生じていると考えると物事が単純に理解出来ます。あくまでも仮説ですが、この機序で自己免疫性疾患が生じているとすれば、糖質を控えることで自己免疫性疾患も各種アレルギーのように改善が期待できます。

アトピー性皮膚炎は皮膚のダニ・ホコリに対するアレルギーと言われていますが、本当でしょうか?確かに血液検査をすれば皮膚炎の症状に応じて、ダニ・ホコリの数値は高く結果が出ます。そのことをもって原因とされています。ダニ・ホコリが原因であればダニ・ホコリの環境が変わらなければ症状は変わらないはずです。しかし現実は糖質を控えるだけで症状は改善します。ダニ・ホコリの環境は特に変わらず、症状が改善するのであれば原因ではない可能性が高いと思います。

血液検査は皮膚炎が悪化し、皮膚に付着したダニ・ホコリをさらに掻き壊すことで感作が成立してしまった結果を観察しているようです。恐らく汗も同じ機序で感作が成立しているのだと思います。本来であれば皮膚の上皮細胞によるバリア機能により、ダニ・ホコリが皮膚に付着しても感作は成立しないはずですが、自己免疫による皮膚炎がバリア機能を破綻させ感作を成立させてしまいます。ダニ・ホコリが付着した皮膚を掻き毟ることで感作を増強し、免疫反応も引き起こすため皮膚炎は悪化します。ダニ・ホコリは2次的なもので皮膚細胞に対する自己免疫性疾患と考えると辻褄があいます。感作が成立した程度を血液検査で確認していただけなのです。そのため皮膚炎の程度とダニ・ホコリの数値が相関するのは当たり前のことです。

ダニ・ホコリ、汗は感作が成立しているため悪化因子ではありますが、アトピー性皮膚炎の原因ではありません。原因であれば糖質を控えるだけではアトピー性皮膚炎は改善しないはずだからです。

原因と結果の取り違えは、2型糖尿病において血糖値が高いことが原因だと考えられていたことに似ています。血糖値が高いことが問題なので血糖値を下げる治療法が模索されました。そもそも糖質を取り過ぎたことが原因なのですから、取り過ぎの結果でしかない血糖値だけを下げたところで根本的な解決には至りませんでした。

他のアレルギーとされている疾患も、実は自己免疫性疾患の一症状で偶然感作された悪化因子を原因だと取り違えていると考えると辻褄があいます。食物アレルギーも腸粘膜に対する自己免疫によって未消化のペプチドやタンパク質を吸収し感作されてしまうから食物アレルギーを生じると考えると辻褄があいます。それぞれのアレルギーも同じような機序で感作されていると考えると、辻褄があいます。

糖質を食べることにより血糖値が上昇することで各種疾患を生じるようです。血糖値の元となるブドウ糖は分子構造が単純すぎるので免疫機能に影響を与えることは難しいと思います。そこでブドウ糖がタンパク質と結合することで生じる糖化産物が免疫機能に働きかけるのだという仮説を立てました。免疫機能を亢進させれば自己免疫性疾患(アレルギーも含む)、抑制すればニキビやイボなどの慢性感染症や腫瘍性病変を生じると考えます。どのように免疫機能に影響を与えるのかはわかりませんが、糖質を控えることで多数の方の病気が改善していることを受け止めるとこう考えるしか私には理解出来ません。全く見当外れの仮説かも知れませんが、原因不明の疾患であれば糖質を控えてみる価値はあると思います。特にアレルギーを含む自己免疫性疾患など、何らかの免疫機能の関わる疾患であれば効果は期待できると思いますので、糖質回避教も一度考えてみて頂いてはいかがでしょうか?

 

科学は因果関係の積み重ね

科学は因果関係の積み重ねの上に成り立っています。偶然なのか必然なのかを見極めることで、必然性を見つけ出し、条件を整えて自由に再現することで科学も人々の生活も発展してきました。
科学は世の中の解釈を広げ、生活を豊かにしてくれました。科学が因果関係を明らかにしてくれた賜物です。例えば水が熱すると沸騰し、冷やすと氷になる。いつも同じ温度で沸騰や氷になることから、100℃と0℃を決めました。その後不純物があると沸点が上がり、凝固点は下がることがわかりました。氷に塩を加えることで凝固点が下がることを利用しアイスクリームが生まれました。

科学という程厳密なものではなくても、人は日常生活で因果関係を利用しています。一説によると4歳児でも遊びながら因果関係を探すそうです。何故なら因果関係を見つけ出せば、思い通りに現象を再現できるからです。

お湯を沸かす際に蓋をするのと蓋をしないのとで、蓋をする方が早く沸騰することは何度か試すといつもどちらが早く沸騰するかわかります。蓋をする方が早く沸騰します。蓋と沸騰までの時間の因果関係を見つけ、生活に活用しています。

科学はその因果関係から何故そのようになるのか理屈を導き出します。蓋をすると沸騰するまでに水が蒸発することで熱が使われることを防ぎ、余分な熱を使わないため早く沸騰します。余分な蒸発を防いでいることは沸騰するまでに蓋に水滴がつくことでわかります。

因果関係が分からなければ、試してみることです。仮説を立てて因果関係があれば仮説通り再現されますし、因果関係が無ければ仮説とは違った結果が出ます。

信じられないような話でも、公序良俗に反することや危険が無いのであれば自分で試してみれば良いのです。因果関係の有無を自分で確認してみましょう。因果関係が明らかになればどんなに信じられないような話でも、信じるしかありません。呉からの風をいつも読んで下さっている方には何のことかわかっていただけると思います。

まずは因果関係の有無を見極めましょう。既に解明されている因果関係かも知れませんし、まだ解明されていなければいずれ科学が解明してくれると思います。

無から有を生み出す能力

今から求められる人材は無から有を生み出すことの出来る人だと思います。
元々有るものを工夫するのは多くの人が出来るでしょう。そして10年もしないうちに機械がちょっとした工夫はしてしまう世の中になってしまうでしょう。
30年もすると人工知能が人類の知恵をこえてしまうそうです(特異点:シンギュラリティ)。すなわち無から有を機械が生み出してしまう世の中が来ることになることを意味します。

いずれは機械にとってかわられるとしても、少なくともこれからは無から有を生み出す能力が求められます。
何もないところから仕事を作り出すのです。1人の天才がiPhoneやiPadを作り出したように。

無から有を生み出すことは多くの人には難しいと感じてしまうことでしょう。何故なら学生時代必ず答えの準備された問題から、答えを探し出すトレーニングを繰り返されるため、今有るものの中から答えを探すように頭の使い方が出来上がっているのです。(常識の話)

しかし子供の頃は違っていました。何でもないものから何かしら意味を見出して遊ぶことで、無から有を生み出すトレーニングをしていたのです。具体的にはただの石ころに意味を見出して遊んだり、ただの鬼ごっこに捕まえる側と捕まえられる側とに分けて警察と泥棒の意味を見出して遊んだりしていました。

小さい子供は何もない広場でも石ころや落ち葉を見つけて何かしらの自分なりの意味を見出して遊ぶことで、無から有を生み出すトレーニングをしていたのです。そこに携帯ゲームやスマホなどの遊び方を人に決められた遊びに慣れてしまうと、無から有を生み出す能力を失ってしまうようです。携帯ゲームや無料ゲームは飽きない仕組みを作り出すので、子供達が本来の遊びの目的から遠ざけてしまう厄介な存在です。

無から有を生み出す能力はゲームや受験勉強で削ぎ落とされてしまうようです。

無から有を生み出す能力について改めて意識してみることから始めてみると良いと私は思います。例えば何か新しいイベントを考えてみてはいかがでしょうか?家族や親しい友人とのイベントです。自分自身が楽しくなければ意味がありません。そして新しい家族や親しい友人も楽しめなくては、迷惑なだけのイベントです。参加する人が楽しむことが出来るなら、外でバーベキューでも家でタコ焼きパーティーでも、何でも良いのです。これまでやったことのないイベントを企画してみるだけでも、無から有を生み出す能力のトレーニングになります。無理のない簡単なことから楽しみながらトレーニングしてみましょう。

医者が糖質の害を教えてくれない理由

糖質を避けるだけで肥満は改善しますし、様々な病気が治ります。例えば2型糖尿病では糖質を食べないだけで治る人までいます。食事の中で血糖値を直接上げるのは糖質だけなのですから、少なくとも糖質を食事の6割も食べて良い理由は無いはずです。他にも糖質を避けるだけで、様々なアレルギーが治る人が多数います(改善率はこちら)。これだけ明らかな糖質の害ですが、医者が教えてくれないのは何故でしょうか?

ただ知らないだけか、知っていても理解していないか、教えたくないかのいずれかです。

知らないだけであれば仕方がありません。新しいことに対する探究心に乏しいのかも知れません。

知っていても信じていないのは、物事を論理的に考える素養がないのかも知れません。もしかしたらあまり物事を深く論理的に考える素養がなく、ただ偏差値が高いから医師になっただけで、新しいことを考えるのは苦手な医師なのかも知れません。いずれにしてもその先生が信じていないのは仕方がありません。

知らないか知っていても信じていないのは、罪はありません。知らないか理解出来ないのですからやむを得ません。一番問題なのは知っていても患者さんに教えたくない医師です。何故なら自分のこれまでの治療法を否定することに繋がったり、場合によっては病気が治ってしまうため患者さんがいなくなっては困ると考えるのかも知れません。無意識のうちに自分の地位の保全のために教えようとしないのだと思います。

これまでの様々な治療法は投薬にしろ処置にしろ医者が施す必要がありました。病気を治してしまう画期的な治療法が医者必要としない治療法のですから、教えたくない心情はわからなくもありません。しかし患者さんのことを思えば、伝えるはずです。

ちなみに盲腸(正確には虫垂炎)になれば手術が常識となりました(今では手術しなくても済むこともあるようです)。盲腸の病態がわかった時点で外科医は手術で根治出来ることを知っていましたが、当時の内科医はなかなか受け入れなかったそうです。結局新聞が外科手術で根治出来ることを取り上げ、盲腸で内科を受診する患者さんがいなくなって手術が常識となったようです(参考:炭水化物が人類を滅ぼす)。

糖質の害を知っていても伝えるか伝えないかは、患者さんのことを考えているのか自分のことを考えているのか区別する手立てになるのかも知れません。主治医の先生に糖質の害を知っているかどうか聞いてみるのも面白い質問かも知れませんね。

質問すると怒り出す医者の心理

様々な口コミサイトをみていると、世間一般の感覚とはずれた人種がいることに驚きました。何と質問すると怒り出す医者がいるそうです。

以前はスーパー心理学として患者さんを怒る医師の心理を考えてみましたが、今回は質問されて怒り出す医者の心理を考えてみます。あくまでもスーパー心理学として考えてみるだけで、質問されて怒り出す医者全てに当てはまるとは限りません。怒られて不愉快な思いをされた患者さんの気持ちを少しでも和らげることが出来れば良いとの思いから考えてみます。

質問されて怒る目的

本人が意識出来ているか意識出来ていない無意識かは別として、人の行動には必ず目的があります「目的論」。怒るという行為にも必ず目的があるはずです。その怒る目的とは不快に思っていることを伝えることと、優位性を見せつけることだと思います。それ以外に怒る意味はありません。もしくは虚勢を張って自分の弱さを隠すことです。

質問されて不快?

質問されて怒るほど不快に感じていることとは何でしょう?恐らく知らないことを聞かれたのが不愉快なのだと思います。プライドの高い医者に多いようですが、知らない・わからないと素直に患者さんに伝えることに抵抗がある医者がいるようです。知らないと言えないから、自分の論理を攻撃的にまくし立てるのです。怒る目的はそれ以上答えられない質問をされないことで、質問出来る雰囲気をかき消すために攻撃するのです。

優位性の顕示

優位性を見せつけるとは怒る人が精神的に優位に立ち、怒られる人が精神的に劣位に立たされる立場を明確にすることです。怒る医者は自分が優位に立ちたいので怒るのです。自分に都合の悪いことを言われないために怒るのです。そして自分は患者さんを怒ることが出来る程偉く、患者さんは優秀な自分に従って当然のだと勘違いしているのかも知れません。

弱さの隠蔽

怒る目的の一つは弱さの隠蔽だと思います。弱さの隠蔽とは、わからないあるいは答えられないことを認められない弱さを隠そうとすることです。この質問に答えられないという弱さを隠すために、怒るのです。攻撃が最大の防御とばかりに攻撃的になるのです。

質問されて怒る心理は常人にはついていけないと思いますので、他の医師を探すことをお勧めします。