近い将来医者が余る2つの理由

成績が良いと医者になろうとするのが昨今の風潮のようです。偏差値が高い大学の学歴でも仕事にありつけるかどうかわからない世の中ですから、人間性に関わらず職にありつける資格・免許に人気が殺到するのは自然の流れのようです。

医者不足医者不足との報道が医者人気に拍車をかけます。ちなみに医者不足は地方と都市部では意味が異なります。地方の医者不足は命を救うための人手不足という本当の意味での医者不足ですが、都会の医者不足は経営のための医者不足です。そして診療科の医者偏在の影響もあって深刻化していきます。実は診療科によっては余り気味の診療科はあっても、余っていることを宣伝する医者はいないようです。

これまで歯医者さんは余り、医者は不足していた理由は歯医者さんは虫歯の治療が中心で矯正歯科と審美歯科が亜流としてある程度で1つの診療科に集中しているからです。大半が虫歯の治療のため、歯科大学を卒業した歯科医が一つの診療科に殺到しているような状況です。更に虫歯の予防が浸透したこととあり、子供達の虫歯率そのものが下がっているそうです。歯科医は増え、患者さんが減るので、歯科医が余ってしまうのです。結果として勤務医を含めた歯科医の平均年収が下がっているようです。看護師の平均年収を下回ったデータを拝見したことがあります。

医者が今のところ不足が言われているのは、診療科が細分化されているおかげです。医学部の卒業生が様々な診療科に分かれているため、競合しないのです。

今後は2つの理由から医者が余る時代が来ると予測しています。
病気が減ることと医者が必要なくなる話です。

厚生労働省は医学部の定員増により2040年には医者が余ることを認めましたが、この話は私の考えている医者が余ることとは別の問題です。

病気そのものが減る

医者が余る一つの原因はこのサイトで紹介している糖質回避が広まることで、病気そのものが失くなるおかげです。病気で悩む患者さんが減るので喜ぶべきことです。一部の利己的な医者は糖質回避により病気が失くなることで患者さんがいなくなることを恐れ、妨害するかも知れません。しかしインターネットによって糖質回避により病気が失くなる知恵が広まることを避けることは出来ないと思います。結果として各種アレルギーは激減し、2型糖尿病や高血圧、心筋梗塞や脳梗塞なども減るので、医者が今程いらなくなってしまいます。
参考:糖質回避は医者回避

人工知能による診断・治療

原因のもう一つは、テクノロジーの進化です。人工知能が発達することにより、正確な診断を下すことの出来るシステムが近い将来出来ると思います。既に弁護士の世界では、かつては弁護士行っていた過去の判例検索を人工知能が行うようになりつつあるそうです。過去の病気と照らし合わせ、病気の診断を下すのは過去の判例検索と似たシステムとなるため、近い将来実現すると思います。そのうえその人工知能をスマホに結びつけることで、患者さんの利便性を格段に向上させ病院に行く手間を極力省いてしまいます。身体の不調があればスマホに症状を入力し、簡易診断を仰ぐことも近い将来実現するでしょう。病院は簡易診断の中から、検査をすることで診断を確定するだけの場所になるのかも知れません。医者は自分の頭を使う必要がなくなるため、もしかしたら生身の医者は飾りのような存在になってしまうかも知れません。

少なくとも人工知能が医者の診断の補助をする時代はすぐにやってくると思います。24時間365日休みなく文句を言わずに働き、人間的なミスも犯さず、最新の医学的な知見を取り込み、感情的になることもない人工知能に勝てる人間はいません。そのような存在がサポートしてくれるようになれば、診断に要する時間を大幅に短縮することが出来ます。そして人工知能は一つ作ってしまえば、簡単に複製することが出来ます。生身の医者を1人養成するのに何年、場合によっては二十年・三十年もの時間がかかるのと対照的です。それこそクラウドにして各部署からアクセスする仕組みにしてしまえば複製することすら必要なくなります。

人工知能が直接診断を下す世の中は少し先の未来かも知れませんが、人工知能が医者を補助する時代はすぐそこだと思います。少なくとも私が生きている間には実現するでしょう。

実際には医師会は必死で邪魔するでしょうし、製薬会社も含めて様々な思惑が絡み合うので一気に医者が余ることは無いとは思います。まずは診療科毎の医者の過不足が問題となると思います。そうなると需要と供給の兼ね合いで、余る診療科の給料は下がり、足らない診療科の給料が上がることが考えられます。仕事内容が異なるのに同じ給料体系である今の勤務医の仕組みそのものの方がおかしいのです。これまで診療科によらず横並びだった医者の給料が、需要と供給によって決まる競争が起こるかも知れません。または余る診療科の求人がないため、足らない診療科を選ばざるおえない医者が出てくるかも知れません。ようやく本当の意味での資本主義の仕組みが医者の世界に導入されることになるのかも知れません。

成績が良いから医者、将来就職先に困らないから医者になるという人は、将来の医者の置かれる立場を改めて良く考える時かも知れません。

これから医者になる人が考えるべきことを考えてみました。良かったらご参照ください。

近い将来医者が余る3つ目の理由を新たに考えました。医者が余ると給料は下がる?を合わせて掲載しました。良かったらご参照ください。

医者が余った後の待遇の変化を追加しました。

 

糖質回避による病気の改善率更新しました

糖質回避による病気の改善率を更新しました。

アトピー性皮膚炎、ニキビは改善率が9割なのでほぼ間違いありません。慢性蕁麻疹に関しては6割前後のため4割の方に効果のない理由がわからない状態です。

ダイエット目的で糖質回避をされている方は、ほとんどの方に効果が認められます。糖質回避の程度によって体重減少の早さが違うようです。

糖質回避で病気が失くなるのは間違いなさそうです。

今のところゆっくりと糖質回避が広まっていますが、誰も考えつかなかった、一気に糖質回避を広める画期的な方法を見つけましたので、もう少ししたら糖質回避が当たり前になると思います。

肥満や病気がこれだけ改善するのですから、遅かれ早かれ糖質回避が当たり前の世の中が来ます。どうせなら早く受け入れる方がお得だと私は思います。

良かったら糖質回避教の考え方をご覧下さい。

赤ちゃんは究極のおもてなしの教材

赤ちゃんは究極のおもてなしの教材だと思います。

赤ちゃんに言葉は通じません。赤ちゃんを泣かさないためには究極のおもてなしが必要です。赤ちゃんのことを思い遣る心が求められます。

赤ちゃんは不満があれば泣きます。赤ちゃんは不快に思えば泣いてしまいます。赤ちゃんは気に入らなければ泣いてしまいます。言い訳なんて聞いてくれません。こちらの都合なんて気にもしてくれません。周囲の状況なんて御構い無しです。

泣く子と地頭には勝てぬ

という故事成語があるように、泣く子に道理は通じません。

赤ちゃんを中心にして物事を考える必要があります。赤ちゃんが泣いていれば何らかの不満・不快があることはわかります。わかることはそれだけです。後は大人が何が不満なのか、何が不快なのか思い遣るしかありません。お腹がすいたのか、オムツが不快なのか、眠りたいのか抱っこして欲しいのか、寂しいのか、暑いのか寒いのか想像するしかありません。この想像の枠をこえた赤ちゃんの不満・不快のメッセージは受け取ることが出来ないのです。例えば喉が渇いたので水が飲みたいのか、同じ体勢で体がしんどくなったのかは、想像できなければ対処出来ません。

様々な知恵と想像力を働かせて、赤ちゃんが泣いている理由を探します。文句を言ってくれれば対策がとれるのですが、赤ちゃんはただ泣くだけです。泣き方と泣いた状況や置かれた状態から泣いた理由を探すしかありません。

対策を施し、泣き止めば対策は成功です。泣き続ければ対策は失敗です。大泣きになれば大失敗です。もしかしたら赤ちゃんの望んでいることから遠ざかったヒントかも知れませんし、赤ちゃんにとっての地雷だったのかも知れません。

ひたすら赤ちゃんの立場を慮って泣き止むまで対策を探すしかないのです。

大人や言葉の通じる子供と違って言い訳や嘘・誤魔化しは全く通じません。ただ赤ちゃんの不満・不快を取り除くようにもてなすしかないのです。

泣かさない子育てが出来れば赤ちゃんのおもてなしも自然に出来るようになるのかも知れません。

赤ちゃんが成長しいつしか言葉が通じるようになると、言葉での誤魔化しや言葉での支配により子供をおもてなしの教材とは考えなくなってしまいます。

赤ちゃんはもちろん、言葉の通じる子供達もおもてなしの教材なのです。子供に不満・不快な感情を芽生えさせることなく、常識を身につけさせてあげることが泣かさない子育ての目指すところです。

魔法の言葉 心配してくれてありがとう

私は言葉の魔法の力を信じています。
その一つに

心配してくれてありがとう

があります。同義語は余計なお世話です。余計なお世話ですと言いかえせばその場はもしかしたらスッキリするかも知れませんが、角が立ちます。

言われた側にとっては余計なお世話以外の何物でもありませんが、言う側はせっかく心配してあげたのにと考えます。だからこそ、それを逆手にとって心配してくれてありがとうと伝えるのです。ありがとうと言われて怒る訳にもいきませんし、心配しているつもりなので皮肉だと言う意味は理解できません。理解出来ないからこそ皮肉の意味を込めても、皮肉を込めなくても角は立ちません。

ありがとうと言われている訳ですから、心配してないとも言えませんし、心配を口実にそれ以上口にすることも避けることが出来ます。

不快に思ったり余計なお世話だなと感じることを言われたら、『余計なお世話です』と言う言葉を飲み込んで『心配してくれてありがとう』と伝えるとそれ以上お互い嫌な思いをすることなく会話を打ち切ることが出来ます。

魔法の言葉、心配してくれてありがとう。

余計な一言を言う人にも有効ですが、興味本位で根掘り葉掘り聞く人にも最適な一言です。

質問に対して的外れな回答をする人の心理

今日はスーパー心理学を考えてみたいと思います。質問に対して的外れな回答する人の心理を考えてみたいと思います。

本人は真剣に答えているつもりですが、論点がずれてしまっているので質問した人は混乱してしまいます。

的外れなことを言っている心理には2通りあります。一つはわざと論点をずらして答える心理です。一つは論点が理解出来ないのです。

わざと論点をずらす心理

わざと論点をずらして答えるのは、都合の悪いことを隠すことが目的です。意図的に論点ずらして答えていますので、質問を繰り返してもこちらの聞きたいことは答えてくれません。何故なら質問の答えを隠したいからです。
対策は隠したい心理を察して諦めるか、どうしても答えさせたいなら2択の質問にして追い詰めるしかないと思います。隠すことが目的で的外れなことを言うので、2択の答え以外を認めない質問をして追い詰めるしかありません。

本人は都合の悪いことを隠したいのですから、的外れな答えで相手が諦めるのを待っているのです。

ただし何か不正なことをしているのでなければ、相手をしないのが得策かも知れません。恐らく心理状態は言い訳人間と同じなので自分の責任を認められないので的外れな答えをしている可能性があるからです。

相手をしなくてすむ方法を探すことに頭を使いましょう。

論点が理解出来ない

そもそも質問の意図や目的が理解出来ないのかも知れません。本人に悪気はないのです。そして的外れな答えでも、本人は真剣に質問に答えているつもりなのです。理解力の問題であれば、相手が理解出来るように説明し、相手が答えられるように質問を調整するしかありません。

隠すつもりは無いので答えてはくれるのですが、答えが的外れとなってしまうので一言で答えられる質問にするのが得策です。質問を工夫することに頭を使いましょう。

糖質回避だけで痩せるなんて嘘!

糖質回避だけで痩せるなんて嘘!と思われる方も多いようです。糖質を避けると痩せる話をしても、言葉にはされないものの怪訝そうな表情からは

嘘でしょ!?

と口に出される以上に顔が物語っておられることがあります。

私の体重が16Kg減ったことが何よりの証明なのですが、以前の私の太り具合を御存知無い方には説得力の無い話です。

嘘だと思われたなら御自分で嘘だと証明して見せて頂くことを提案します。嘘だと思うから、糖質回避をしないというのは言い訳人間の論理です。糖質を食べたいことが先にあって、糖質を食べるために嘘だと決めつけるだけのことです。

御自分が言い訳人間では無いと思われるなら、一度御自分で嘘か本当か試されることをお勧めします。

太る理由が糖質の摂り過ぎなのですから、健康な方が糖質を食べなければ痩せない理由は無いと思います。もし糖質を食べなくても痩せられなければ何らかの基礎疾患が隠れているかも知れませんので内分泌内科の受診をお勧めします。

糖質を避けるだけで痩せるかどうか、嘘だと思われるなら嘘だと証明してみてください。

この理屈は様々な糖質が原因の病気にも当てはまります。嘘だと思われる方なら実際に試してみて間違っていると教えて頂けると幸いです。

周囲の人を振り回す人の心理

周囲の人を振り回す人というのはどこにでもいるものです。

振り回す人が職場の人であったり、恋人や配偶者などのパートナーであったり、子供であったりします。
本人には振り回しているつもりは全くありません。
ただ困っていたり心配しているだけです。
困っていることや心配していることの解決を周囲に求めるのです。
直接助けを求める場合もありますし、困っていることを切々と訴えて暗に解決して欲しいと主張するのです。
自分で解決する人は周囲の人を振り回したりはしません。自分で解決するのでわざわざ困っていることを人に言ったりもしません。
よほど暇であれば世間話として話すことはあっても、わざわざ自分の困っていることを周囲に話す目的がないのです(目的論
周囲の人を振り回す人は困っていることをアピールします。もしかしたら周囲の人のせいにして自分は悪く無いと思い込んでいる言い訳人間なのかも知れません。または周囲の人を振り回す自覚は無くても、無能ぶりをアピールすることで、手を差し伸べてもらうことを期待しているのです。

人を振り回す理由

そして周囲の人を振り回す人の特徴は、これまで困っていれば誰かが助けてくれた成功体験があるのです。それに味をしめて困っていれば、誰かが助けてくれるはずという心理が働いています。しかも困ってはいるけど助けてくれとは言わない、ズルい心理の持ち主でもあります。

偶然周囲の人を振り回してしまうことはあるかも知れませんが、その人が他人を振り回すことを再び見かければ、余り関わら無い方が良いと思います。

困っていることをアピールしてきても、大変ねぇと感想を述べるにとどめるのです。間違っても頼まれてもいないのに救いの手を差し伸べてはいけません。何故なら手を差し伸べられることに味をしめ、何度でも周囲の人を振り回すようになるからです。

頼まれてから手を差し伸べるかどうか考えると良いと思います。そして手を差し伸べるとしても、お金ではなくても何かしらの対価を求めるようにすると、振り回せない人(思い通り動かせない人)として認識されるので、次から困っていることを伝えてこなくなります。

子供に対しても同じなんです。子供の場合は子供が泣き叫ぶことで親を思い通り振り回そうとすることがあります(恋人や配偶者などのパートナーも泣き叫ぶことで相手を振り回すことがあります)。結果として子供の思い通りに親が行動すると、子供の成功体験として学習してしまいます。泣き叫ぶことで親を振り回すことが出来ると認識してしまうのです。嫌な思いをする→泣き叫ぶ→親が言うことをきくという図式を成功体験として学ぶのです。泣き叫んでも子供の思い通りの行動をしないことが大切です。そうすれば次から親を振り回す目的で子供が泣くことを避けることが出来ます。

自己免疫性疾患とアレルギーの関係(仮説)

現時点では自己免疫性疾患とアレルギーは別の疾患として認識されています。自分の身体の細胞や組織に対する免疫異常は自己免疫性疾患、花粉や食べ物など外的要素に対する免疫異常はアレルギーとして認識されています。

色々考えているとアレルギーも自己免疫性疾患の一種で、アレルギーそのものの解釈を間違えているのではないかと思うようになりました。原因不明ながら自分の細胞に対して免疫細胞が反応してしまうのが自己免疫性疾患ですが、アレルギーも実は自分の細胞に対して免疫細胞が反応していることを観察しているのではないかと思います。
例えばアトピー性皮膚炎では皮膚の細胞、蕁麻疹であれば白血球の一つである肥満細胞、花粉症であれば目や鼻の粘膜細胞に対する免疫異常ではないかと考えています。他にも食物アレルギーは腸粘膜細胞、気管支喘息は気管支の細胞に対する自己免疫を生じていると考えると物事が単純に理解出来ます。あくまでも仮説ですが、この機序で自己免疫性疾患が生じているとすれば、糖質を控えることで自己免疫性疾患も各種アレルギーのように改善が期待できます。

アトピー性皮膚炎は皮膚のダニ・ホコリに対するアレルギーと言われていますが、本当でしょうか?確かに血液検査をすれば皮膚炎の症状に応じて、ダニ・ホコリの数値は高く結果が出ます。そのことをもって原因とされています。ダニ・ホコリが原因であればダニ・ホコリの環境が変わらなければ症状は変わらないはずです。しかし現実は糖質を控えるだけで症状は改善します。ダニ・ホコリの環境は特に変わらず、症状が改善するのであれば原因ではない可能性が高いと思います。

血液検査は皮膚炎が悪化し、皮膚に付着したダニ・ホコリをさらに掻き壊すことで感作が成立してしまった結果を観察しているようです。恐らく汗も同じ機序で感作が成立しているのだと思います。本来であれば皮膚の上皮細胞によるバリア機能により、ダニ・ホコリが皮膚に付着しても感作は成立しないはずですが、自己免疫による皮膚炎がバリア機能を破綻させ感作を成立させてしまいます。ダニ・ホコリが付着した皮膚を掻き毟ることで感作を増強し、免疫反応も引き起こすため皮膚炎は悪化します。ダニ・ホコリは2次的なもので皮膚細胞に対する自己免疫性疾患と考えると辻褄があいます。感作が成立した程度を血液検査で確認していただけなのです。そのため皮膚炎の程度とダニ・ホコリの数値が相関するのは当たり前のことです。

ダニ・ホコリ、汗は感作が成立しているため悪化因子ではありますが、アトピー性皮膚炎の原因ではありません。原因であれば糖質を控えるだけではアトピー性皮膚炎は改善しないはずだからです。

原因と結果の取り違えは、2型糖尿病において血糖値が高いことが原因だと考えられていたことに似ています。血糖値が高いことが問題なので血糖値を下げる治療法が模索されました。そもそも糖質を取り過ぎたことが原因なのですから、取り過ぎの結果でしかない血糖値だけを下げたところで根本的な解決には至りませんでした。

他のアレルギーとされている疾患も、実は自己免疫性疾患の一症状で偶然感作された悪化因子を原因だと取り違えていると考えると辻褄があいます。食物アレルギーも腸粘膜に対する自己免疫によって未消化のペプチドやタンパク質を吸収し感作されてしまうから食物アレルギーを生じると考えると辻褄があいます。それぞれのアレルギーも同じような機序で感作されていると考えると、辻褄があいます。

糖質を食べることにより血糖値が上昇することで各種疾患を生じるようです。血糖値の元となるブドウ糖は分子構造が単純すぎるので免疫機能に影響を与えることは難しいと思います。そこでブドウ糖がタンパク質と結合することで生じる糖化産物が免疫機能に働きかけるのだという仮説を立てました。免疫機能を亢進させれば自己免疫性疾患(アレルギーも含む)、抑制すればニキビやイボなどの慢性感染症や腫瘍性病変を生じると考えます。どのように免疫機能に影響を与えるのかはわかりませんが、糖質を控えることで多数の方の病気が改善していることを受け止めるとこう考えるしか私には理解出来ません。全く見当外れの仮説かも知れませんが、原因不明の疾患であれば糖質を控えてみる価値はあると思います。特にアレルギーを含む自己免疫性疾患など、何らかの免疫機能の関わる疾患であれば効果は期待できると思いますので、糖質回避教も一度考えてみて頂いてはいかがでしょうか?

 

科学は因果関係の積み重ね

科学は因果関係の積み重ねの上に成り立っています。偶然なのか必然なのかを見極めることで、必然性を見つけ出し、条件を整えて自由に再現することで科学も人々の生活も発展してきました。
科学は世の中の解釈を広げ、生活を豊かにしてくれました。科学が因果関係を明らかにしてくれた賜物です。例えば水が熱すると沸騰し、冷やすと氷になる。いつも同じ温度で沸騰や氷になることから、100℃と0℃を決めました。その後不純物があると沸点が上がり、凝固点は下がることがわかりました。氷に塩を加えることで凝固点が下がることを利用しアイスクリームが生まれました。

科学という程厳密なものではなくても、人は日常生活で因果関係を利用しています。一説によると4歳児でも遊びながら因果関係を探すそうです。何故なら因果関係を見つけ出せば、思い通りに現象を再現できるからです。

お湯を沸かす際に蓋をするのと蓋をしないのとで、蓋をする方が早く沸騰することは何度か試すといつもどちらが早く沸騰するかわかります。蓋をする方が早く沸騰します。蓋と沸騰までの時間の因果関係を見つけ、生活に活用しています。

科学はその因果関係から何故そのようになるのか理屈を導き出します。蓋をすると沸騰するまでに水が蒸発することで熱が使われることを防ぎ、余分な熱を使わないため早く沸騰します。余分な蒸発を防いでいることは沸騰するまでに蓋に水滴がつくことでわかります。

因果関係が分からなければ、試してみることです。仮説を立てて因果関係があれば仮説通り再現されますし、因果関係が無ければ仮説とは違った結果が出ます。

信じられないような話でも、公序良俗に反することや危険が無いのであれば自分で試してみれば良いのです。因果関係の有無を自分で確認してみましょう。因果関係が明らかになればどんなに信じられないような話でも、信じるしかありません。呉からの風をいつも読んで下さっている方には何のことかわかっていただけると思います。

まずは因果関係の有無を見極めましょう。既に解明されている因果関係かも知れませんし、まだ解明されていなければいずれ科学が解明してくれると思います。

無から有を生み出す能力

今から求められる人材は無から有を生み出すことの出来る人だと思います。
元々有るものを工夫するのは多くの人が出来るでしょう。そして10年もしないうちに機械がちょっとした工夫はしてしまう世の中になってしまうでしょう。
30年もすると人工知能が人類の知恵をこえてしまうそうです(特異点:シンギュラリティ)。すなわち無から有を機械が生み出してしまう世の中が来ることになることを意味します。

いずれは機械にとってかわられるとしても、少なくともこれからは無から有を生み出す能力が求められます。
何もないところから仕事を作り出すのです。1人の天才がiPhoneやiPadを作り出したように。

無から有を生み出すことは多くの人には難しいと感じてしまうことでしょう。何故なら学生時代必ず答えの準備された問題から、答えを探し出すトレーニングを繰り返されるため、今有るものの中から答えを探すように頭の使い方が出来上がっているのです。(常識の話)

しかし子供の頃は違っていました。何でもないものから何かしら意味を見出して遊ぶことで、無から有を生み出すトレーニングをしていたのです。具体的にはただの石ころに意味を見出して遊んだり、ただの鬼ごっこに捕まえる側と捕まえられる側とに分けて警察と泥棒の意味を見出して遊んだりしていました。

小さい子供は何もない広場でも石ころや落ち葉を見つけて何かしらの自分なりの意味を見出して遊ぶことで、無から有を生み出すトレーニングをしていたのです。そこに携帯ゲームやスマホなどの遊び方を人に決められた遊びに慣れてしまうと、無から有を生み出す能力を失ってしまうようです。携帯ゲームや無料ゲームは飽きない仕組みを作り出すので、子供達が本来の遊びの目的から遠ざけてしまう厄介な存在です。

無から有を生み出す能力はゲームや受験勉強で削ぎ落とされてしまうようです。

無から有を生み出す能力について改めて意識してみることから始めてみると良いと私は思います。例えば何か新しいイベントを考えてみてはいかがでしょうか?家族や親しい友人とのイベントです。自分自身が楽しくなければ意味がありません。そして新しい家族や親しい友人も楽しめなくては、迷惑なだけのイベントです。参加する人が楽しむことが出来るなら、外でバーベキューでも家でタコ焼きパーティーでも、何でも良いのです。これまでやったことのないイベントを企画してみるだけでも、無から有を生み出す能力のトレーニングになります。無理のない簡単なことから楽しみながらトレーニングしてみましょう。