主食を食べない血糖値推移 ~血糖値持続測定~

日頃私は糖質を食べない食生活を送っています。
当初の目的はダイエットでしたが、たまに糖質を食べると睡眠の質が悪くなるためダイエット成功後も引き続き糖質を食べない食生活をしています。
血糖値持続測定を行うことで、糖質を食べると睡眠の質が悪くなる理由が発覚しました。私の場合糖質を食べた反動で睡眠時低血糖を生じていたのです(参考:私の不眠の原因は低血糖!不眠の原因は再び低血糖)。食事と低血糖の関係から、私の場合糖質を食べて一気に血糖値が上がったにも関わらず、その後糖質を食べない夜中に低血糖を引き起こしているようです。昼間や夕方に糖質を食べるなら夜も食べなければ夜中に低血糖を引き起こす可能性が高まるようです。このことに気を付けながら糖質を食べるようにしています。
今は自分の身体で血糖値の変化を調べる実験しているため糖質を食べています。

逆に糖質を食べない血糖値をあげておきます。

主食を食べない血糖値の推移

面白くないくらい真っ平らです。
日頃から朝食は摂りませんが、昼夜は食べています。主食であるお米やパン、麺類は食べず、おかずだけ食べています。

この日の実験は夜食後3時間してからアイスクリーム二個を食べましたが多少上昇する程度で目に見えて血糖値が上昇することはありませんでした。

主食を食べなければ血糖値は上昇しないことがはっきりとわかりました。
アイスクリームを2個食べれば多少上昇する程度です。この程度であれば反動で低血糖を引き起こすこともありませんでした。

血糖値においては主食が大敵のようです。
お米、パン、麺類でどのように血糖値の違いが出るかも調べてみたいと思います。
これまでわかっているのは、同じランチメニューでお米とパンでの血糖値の違いです。お米の方が上昇しました。重さがそろっていないのでいずれはお米とパンの重さそ揃えて実験してみたいと思います。

食欲とは戦わない。戦っても勝てない

私は様々な病気を避けるために糖質回避という考え方を提案しています。糖質を出来れば避けるという回避を提案するのであって、人の食べ物を制限したりはしていません。しかし人から制限された気になってしまい、困っておられる方がおられます。特に食べ方に苦労されているのは、食欲と戦い我慢している方です。食欲と戦っても勝てはしません。何故なら人類は進化の歴史において、食欲に打ち勝つことで生き延びてきたのです。私は食欲と戦わないことを提案しています。

食欲とは戦わない

食欲とは戦わず、お腹が空けば食べるのです。
ただし糖質回避を行い食べるものを選ぶことを提案します。
糖質を避けると食べる量を我慢しなければいけないと錯覚を起こしてしまう方がおられるため、お腹が空けば食べ物を選んで好きなだけ食べればよいことを提案しています。

ダイエットにおいても食欲とは戦わないことです。そもそも人間には太らない仕組みを備えたはずです。その人間が太ってしまうのは糖質を食べすぎ、糖質依存に陥り糖質に対する自己抑制がきかなくなるためです。糖質依存から抜け出せば太らない仕組みが働くため、痩せるのは当然のことです。一般的なダイエットとは食べ物の量を我慢することです。しかし太る仕組みは糖質の食べ過ぎと分かった今では、糖質を避けてしまえばお腹いっぱい食べても痩せることができます。何故なら糖質依存から抜け出すことができるからです。糖質依存から抜け出せば胃が小さくなった感覚、少量の食べ物でお腹がいっぱいになる感覚を感じます。物理的に胃が小さくなる訳ではなく、糖質依存により脳が騙されているのです。満腹に対する設定値が狂わされているため、胃袋の物理的な大きさ限界まで食べて満腹を感じるのです。本来の満腹は胃袋の物理的限界の8割程度で感じるようです。腹八分というのは本来満腹を感じるべき病気になりにくい食事量を経験的に知っていたのかもしれません。

糖質による病気を避けるためでも、ダイエットのためでもお腹が空いてしまえば食べることです。小腹が空いた際には卵、チーズ、ソーセージ、枝豆、ナッツ等をお腹いっぱいになるまで食べることをお勧めします。間違って糖質を食べてしまうと、少し食べただけで余計お腹が空いてしまうことがあるため注意が必要です。

塩辛い物を食べさせると薄味を食べなくなる理由

子供や赤ちゃんに塩辛い物を食べさせると薄味の物を食べなくなるため濃い味付けを食べさせてはいけないと言われることがあります。迷信なのか医学的に正しいのか考えてみます。一言でいえば医学的に正しいと私は考えます。その根拠を書いていきます。

塩分依存

以前から提唱している糖質依存に続き塩分依存という概念を提唱しています。濃い味付けに慣れてしまうとは、塩辛いものに耐えられるだけでなく、塩分に必要以上に快楽を感じてしまい塩分依存に陥るのです。糖質依存では糖質に対する自己抑制が出来ない状態です。食欲に対する設定値が変わってしまうため、強い空腹感という禁断症状に悩まされます。塩分依存とは塩分に対する自己抑制が出来ない状態です。必要以上に塩気を求めてしまうのです。言い換えると味覚が変わってしまうのです。塩味の設定値が変わってしまうようなイメージです。

塩分依存に陥ると、普通の味付けの塩味が足らないように感じてしまいます。既に味付けがされているにも関わらず、更に塩や醤油をかけて食べるようになります。

子供や赤ちゃんの場合には通常の味付けを受け入れなくなります。

対策

糖質依存の対策と同じです。糖質を少しだけ食べると余計糖質を食べたくなってしまいます。糖質依存から抜け出すためには、食べるか食べないかはっきりすることです。中途半端に食べると余計食べたくなるため、逆効果です。

塩分依存の対策は塩気のない食べ物で慣れることです。恐らく出汁の旨味で味付けすることが正解だと思います。塩分依存から抜け出すことが出来れば、再び塩分を摂っても差し支えありません。

塩分依存に陥ることを避けるためには、塩辛い食べ物を連続して食べ続けないことです。

薄味を全く受け付けなければ、塩辛い味付けから少しずつ塩味を薄くして慣れていくしかありません。

経営のために治療をしたい医者

医者同士では半ば常識ですが、世間一般では余り知られていないのが経営のために治療したい医者がいるということです。保険診療では平均の入院期間が長いと入院単価が下がり、平均入院期間が短いと入院単価が上がる仕組みになっています。そのため患者さんの希望に関わらずとにかく早く退院するようにしています。患者さんのために退院を促す訳ではなく、経営のために退院してもらいたいのです。確かに入院していると患者さんは楽なので、その状態に依存させないために早く退院を促す側面はあるとは思いますが、退院を迫る大半は口にはしないものの患者さんのためではなく経営が理由でしょう。逆に医学的には外来で可能な治療を念のためとして、わざわざ一泊入院にするのは経営のための治療の最たるものでしょう。開業医は治療が経営に直結しているので理解しやすいのですが、勤務医も経営のための治療をすることがあります。その目的は売り上げを上げることです。何故なら勤務先の病院から売り上げを求められるのです。国公立の病院でさえ医者に売り上げを上げることが求められているのです。

命に関わる悪性疾患で医者が治療を勧めるのは当然ですが、悪性疾患ではないにも関わらず治療を勧める医者には注意が必要です。治療の目的が患者さんの健康のためではなく、経営のためであるかもしれないのです。実際知人から相談されたことがあります。良性疾患にも関わらず医者から手術するように強く迫られたものの、手術をしたくないと考えていると。事情を聞くと確かに良性疾患でも最悪の事態に陥り感染症を引き起こすと命に関わる可能性はある状態でした。しかし緊急性は全くありません。現在感染もありません。にも関わらず二週間後に手術をします。同意してくださいという説明だったそうです。大袈裟に言えば感染する可能性があり、場合によっては死ぬこともありますから今は症状はないけど盲腸の手術を予防的にしましょうということに近い発想です(盲腸の手術とは正確には虫垂切除のことです)。確率の問題で、相談を受けた知人の場合、正確には予防的虫垂切除よりは感染症に至る可能性が高いとは思いましたが、必ずしも手術が必要とは思えません。少なくとも2週間後に手術を急いでするべき理由は患者さん側にはなかったはずです。では何故か?医者が手術したいのです。その目的は医者は手術がしたいのでしょう。病院は治療費を得たいのでしょう。医者と病院の経営者の利害は一致しているので誰も異を唱える人はいないのでしょう。そんな理由で手術を勧められている患者さんはたまったものではありません。結局その知人は手術を断り1年が経ちますが元気です。

治療費が直接自分の収入に結びつかない勤務医ですら上記の状態です。ましてや治療費が自分の収入に直結する開業医では、更に露骨な経営のための治療を行うことになります。通院の継続を強要したり、患者さんのためではなく経営のために不必要な薬の継続を強要したりします。患者さんのために薬を出していると言い訳をするために、製薬メーカーがスポンサーで仕上げた論文を根拠にして処方していることもあるようです。経営のために治療しているかどうかの一つの見分け方は、患者さんを怒るかどうかです。怒る目的は医者が自分の思い通りにならないと儲からないからです。患者さんのためを思って怒るというのは、論理のすり替えに過ぎません。頼んでもいないのに患者さんのことを考えていると言い訳して、病気で困って受診している患者さんを怒るのは儲けの為だと考えると理解しやすいと思います。

別の開業医に一般的には治らないことが常識の病気を治していると伝えると、真顔で「儲からないから困るじゃない?」と言われました?正直この人は何のために医者をしているんだろうと考えました。

2型糖尿病ですら治る時代です。アトピー性皮膚炎ニキビや花粉症は当たり前に治ります。しばらく病院に通っても病気が治らない場合、医者が治せないのではなく経営のために治さないのかもしれません。治らなくて困っていれば別の医者を受診してみることをお勧めします。経営のために治療をしたい医者ではなく、病気を治したい医者を探しましょう。

いじめで中3女子自殺に思う

いじめにより中3の女子生徒さんが自殺されたそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

1年半前の出来事ですが、今週になり自殺と認定されたことで話題になっています。
その経緯に問題があると考え、書いてみることにします。

いじめについて

動物同士でもいじめがある(参照:動物がイジメをする理由)ため、動物の一種でもある人間にいじめがあることは仕方のないことです。いじめがあってはいけないという考え方をしているために、いじめがあると隠すようになってしまうのです(参照:いじめを学校が隠蔽する理由)。
動物でもいじめをするのですから、動物よりも知能の高い人間がいじめをしてしまうことがあるのは仕方のないことです。かといっていじめを容認するわけではありません。視点の問題です。いじめをあってはいけないものではなく、あることが当たり前のものと考えることが大切だといいたいのです。
あってはいけないものだから隠すから、あることが当たり前だから対策を考えると視点を変えるのです。いじめがあることが当たり前なので、いじめを見つけて解決することに主眼をおくのです。あってはいけないものであれば、あれば隠そうとしてしまうのです。いじめがあることが当たり前であれば、見つけて解決したことを褒めるのです。そのように視点を変えることでイジメを減らすことができると私は考えます。

今回の問題点

死後1年半経過してから教育委員会は自殺と認めたそうです。
問題点としては新たな事実が出たことではなく、対応に不備があるため家族が文部科学省に問題定義したことで教育委員会が指導を受けた結果速やかに判断が変わったのです。同じ情報により指導され判断が変わったということは、つまり隠蔽していた証拠ということです。
第三者委員会の調査でもいじめはなかったという結果にも関わらず、文部科学省の指導だけで判断が変わってしまうことにも問題があります。
つまり第三者委員会が第三者ではなかった証拠のようです。

いじめはないことにするけど調査していますというのが第三者委員会だったようです。いじめを隠すという結論を決めてから行動していたように見受けられます。

私なら教育委員会に判断が変わった目的を聞きます。これまで1年半にわたりいじめがなかったことになっていたにも関わらず、突然いじめが出現した理由です。その後いじめがなかったことにしていた目的、いじめと認めた目的を聞きます。

いじめの対策

いじめがあることを前提に対策を考えることが必要だと思います。医療分野では人的ミスがあることを前提にミスを失くす仕組みを構築しています。ミスがあってはいけないではミスを隠してしまいます。隠していてはミスは失くせません。ミスがあることを前提に、ミスを繰り返さないために工夫するのです。ヒヤリハットという仕組みです。ヒヤリとした瞬間やハットした瞬間などミスに至らなくてもミスに至る可能性があることに気付けば情報を共有し、再発防止策を事前に対策するのです。ヒヤリハットの仕組みの秀逸なところは、ミスをした人が責められる・責任を取らされることを目的とせず、取り返しのつかないより大きなミスを防ぐことを目的としていることです。

いじめがあることを前提に、いじめを見つけだし対策したことを褒める仕組みを作るのです。多くの場合いじめをした本人にはいじめをした自覚などありません。いじめをしない、いじめを出来ない仕組みを作ることを目的にいじめの疑いがあることを情報として共有するのです。
いじめをした人を責める仕組みではなく、いじめをしないあるいは出来ない仕組みを作り上げるです。
学校の先生が自分の学校ではいじめはありませんと胸を張っていますが、いじめはあってはいけないので無いことになっています。つまりいじめは見つけませんということと区別がつかないのです。
学校の先生が自分の学校では10件のいじめ予備軍、2件のいじめ認定がありましたが生徒たちが転校することなく無事解決しました。2件のいじめは残念ですが、大事に至らず良かったです。今後はいじめ予備軍の間に発見できるように仕組みを更に工夫します。という報告が望ましいと私は思います。

私は通報システムを作るべきだと思います。いじめ予備軍でもいじめ、いずれでも本人が不快に感じた時点で学校とは別の組織に通報できる仕組みにするのです。別組織にする目的は隠蔽できないようにすることです。そしていじめの認定があればいじめられた人間が転校するのではなく、最悪の場合いじめをした生徒を転校する仕組みにするのです。そうすればいじめる側の生徒は転校したくない心理が働くため、自然といじめをやめる方向に仕向けることができると思います。

いじめはあってはいけないものから、いじめはあるから大事になる前に対処するものという認識を改めることこそが大切だと考えます。

最後にもしいじめられている立場の方がこのサイトを見られた場合を想定して、究極の解決策を書いておきます。いじめのある集団から逃げ出すことです。死ぬ思いをしてまで集団に所属し続ける必要はありません。逃げ出しましょう。そして逃げ出す手助けをしてくれる人をさがしましょう。
逃げ出しても追いかけてこられるかもしれないと不安になるかもしれませんが、追いかけてこられたらその時点で新たな逃げ方を考えましょう。

 

6月1日からのビール値上げに思う

今日6月1日から色々な物が値上げされる中、ビールも値上げされるそうです。アルコールを飲まない私としては全く影響はありませんが、ふと思ったことがあるので書いてみます。

その値上げの理由が釈然としません。販売数に応じた販売奨励費を原資に値引きを行う激安店があるため、値引きをしないように指導するそうです。誰の為の値上げか釈然としないのです。通常の酒屋さんのために値上げするように見えてしまいます。以前書いた組織票のために、今回は酒屋さんの投票を促す政策が実現したように思えてなりません。だかは組織票が政治を歪めると私が考えているのです。

もし不当廉価販売であれば公正取引委員会が取り締まるべきだと思います。仕入れ価格よりも安く販売しているのであれば不当廉価販売と言えるのではないかと思います。

値上げ云々よりも販売奨励費自体を廃止するか、税金をかけている共通項としてタバコのように値引き販売を禁止するのが公正な気がします。少なくともメーカーからの卸価格は全て同額にし、販売奨励費を廃止するべきではないでしょうか?販売奨励費がなくなると販売価格は企業の考え方次第だと思います。

21世紀にもなって物事が論理的に進まないのは情けないことだと私は思います。そろそろ政治を私利私欲から切り離し、合理的に進めて欲しいものですね。

不眠の原因は再び低血糖 ~血糖値持続測定~

夜中少し喉が渇いて目覚めました。
トイレにいき時計を見ると1:45てでした。眠くて血糖値を確認せずに水を飲んで寝ました。

朝起きてリブレ 血糖値持続測定器を確認して驚きました。以前の睡眠時の低血糖と比較して明らかに長時間低血糖でした。パソコンに接続して解析はしていませんが、グラフからは血糖値が50mg/dl前後にまで下がっているようにみえます。

確かに昨日は朝、昼に実験のためお米を沢山食べました。夕食に糖質を食べないまま寝たことが低血糖の原因かもしれません。通常なら空腹感で目覚めるのかもしれませんが、私は糖質依存状態ではないため空腹感を感じにくいのかもしれません。低血糖による発汗のため脱水を生じ喉が渇いて目覚めたようです。

このことから考えられるのは下げているのか自然に下がるのかです。下げているのであれば昼間お米を食べた場合夜も食べると期待して血糖値を下げているのだと思います。昼間大量に糖質を食べるとそのまま持続的にインスリンを分泌してしまうのではないかと思います。
自然に下がるのだとすれば、睡眠状態では血糖値の監視モニターが休んでしまい血糖値を維持できないのかもしれません。脳が糖質を使う分を補充する仕組みが働かないため次第に血糖値が下がるものの、命に関わる低血糖センサーだけが働いて血糖値を再上昇するようにしているのかもしれません。

私の場合空腹感ではなく口渇感で目覚めました。例年この時期に酷い口渇感で目覚めることが何度かあるので、低血糖を繰り返しているのかもしれません。血糖値が再上昇しなければ命に関わる可能性が十分考えられます。私の場合は特に食べ方に気を付ける必要がありあそうです。夜寝る前に糖質を食べると睡眠の質が悪くなるため、出来れば昼間に食べようと考えていましたが、血糖値持続測定により糖質を食べるのが昼間であっても低血糖により不眠に至ることを明らかにしました。特に1回の食事で糖質の量が多いと夜間低血糖を生じるようです。以前夜間低血糖を生じたのは日中食べたお弁当により血糖値が231mg/dlに急上昇した夜中でした。今回は朝おにぎり2個の血糖値の血糖値持続測定を行い、昼間ガストのランチのご飯大盛での血糖値の推移を計測していました。夜糖質を摂ればよかったのかもしれませんが、主食を食べることなく寝てしまいました。恐らく夜に何か主食を食べていれば夜よく眠れたのではないかと思います。

このことでふと思ったのは、もしかしたら乳幼児突然死症候群の原因の一つが睡眠時に低血糖を発症してしまうことで死に至る可能性を考えました。大人である私は最低限の血糖値の監視があるため死に至る低血糖が起こる可能性はかなり低いと思いますが、その仕組みが未熟な乳幼児の場合、一回の授乳の量とタイミングにより低血糖を生じる可能性があるのではないかと考えました。乳幼児突然死症候群を発症した乳幼児の1回あたりの授乳量が多く授乳回数が少ないのであれば、この仮説が正しい可能性が十分あり得ると考えます。

上手な話し方 様々な意味を確定させる

上手な話し方とは手短に物事を相手に伝えることです。

当サイトでは様々な伝え方を提案していますが、今回は様々な意味を確定させて話すということを提案したいと思います。
内容は『上手な説明の仕方 曖昧な言葉を明確にする』と同じことです。

言葉には様々な意味が含まれています。前後に話された内容から瞬時に類推して様々な意味を確定させながら聞いているのです。二つの意味があって即座に理解できないことでも、話を聞いているうちに後でどちらの意味だったかわかることがあります。
逆に意味が確定しない曖昧なまま聞いていると、話の内容を理解する余裕がなくなることもよくあります。

会話の中にどちらでも受け取ることの出来る言葉が潜んでいると、理解するまでに無駄な時間を要します。その時間を省くことで手短かに情報を伝えることができるのです。

例えば『御飯』という言葉一つをとっても、『食事』という意味もあれば『お米』という意味もあります。
『御飯が原因です』と伝えた場合、『食事が原因です』という意味と、『お米が原因です』という意味の二つが考えられます。その二つの意味を持つのが『御飯』という言葉です。しかも人によって『御飯』という言葉で、『食事』という意味しか思いつかない人もいますし、『お米』という意味しか思いつかない人もいるのです。『御飯』という言葉を話し手が『食事』の意味で使っているのに、聞き手が『お米』という意味で聞いているとズレ漫才のように認識がずれてしまいます。会話が成立しなくなってしまいます。ズレ漫才は視聴者として客観的に見ることが出来るため容易に理解できますが、通常の会話は当事者なので主観的になってしまうためにズレていることを客観視できないのです。

この場合『御飯』という言葉を使うことには認識の齟齬を起こしてしまう隙が生まれます。『食事』と受け取るか『お米』として理解するか、受け取る人に任せてしまうという意味でギャンブルになってしまいます。私は認識を修正する時間が勿体無いので、最初から『食事』・『お米』と言い分けます。相手の解釈に任せないので、言葉が明確に伝わります。認識のズレを修正する時間の無駄が省けるので、短時間で情報を伝えることができます。

別の例え話では『お酒』があります。『お酒』には『日本酒』という意味と『アルコール』という大きく2つの意味があります。かつては『アルコール』といえば『日本酒』に決まっていたので、『お酒』といえば『アルコール』のことであり『日本酒』のことでもあったのです。その名残で『アルコール』の意味で『お酒』という場合があります。「お酒を飲んではいけませんよ」という場合には、『アルコール』全てを飲んではいけないという意味と、『日本酒』を飲んではいけないけどビールは大丈夫という2つの意味を含み曖昧になるのです。人は曖昧な表現は自分に都合良く解釈する傾向があります。伝える側にとってはどちらで伝わるか不確かなため、確認する必要が出てきます。確認という無駄を省くために、2つの意味をもつ曖昧な言葉は2つの意味を明確に区別して伝える方がお得です。2つの意味をもつ『お酒』という曖昧な言葉ではなく『アルコール』・『日本酒』と使い分けると情報が素早く伝わり、確認する必要がなくなるためお得です。

会話の認識のズレを失くし、情報を速やかに伝えるために多義語の意味を確定させながら会話することをお勧めします。

科学と宗教の違い

科学と宗教は信じるという意味では同じですが、その違いの本質は再現性だと思います。科学は理屈により再現することができます。だから人類は文明を発展させることが出来たのです。宗教はただ信じるだけで再現性がありません。様々な宗教において奇跡が描かれていますが、再現性がありません。つまり証明ができない同じことを繰り返すことが出来ないという点で、科学とは大きく異なります。

科学は信用で成り立ち、宗教は信頼で成り立っていると言い換えることができると思います。信用と信頼の違いで書きましたが、信用とは根拠を元に信じること、信頼とは裏付けなく信じることです。科学は予測通り再現することでその正しさを証明することができます。宗教は根拠となる教典がそもそも正しいかどうか曖昧です。そのため様々な宗教が存在することになるようです。

私は糖質回避教という論理的宗教という考え方を提案しています。この考え方が通常の宗教と異なるのは、再現性があることです。論理で裏付けされた考え方を論理的宗教と表現していています。

宗教ができた理由にも書きましたが、人類がお互い信頼して生活するために宗教は生まれました。ルールのない無秩序な世界において、価値観が異なる者同士では取引や生活が出来ないため、宗教により価値観を同一とするもの同士がともに生活するようになりました。そして宗教が異なると価値観が異なるため、関わらないことで争いを避けていたはずです。宗教が異なると常識が異なるのは当たり前のことです。いわば常識を揃えるために宗教が活用されたのです。
異教徒だから相手にしないわけにいかない時代になりました。そして宗教により常識を揃えることも困難な時代になりつつあります。その意味で常識を揃えることを宗教に頼っていた時代は終わりつつあるのかもしれません。

科学は再現性があることで、物事を予測することができることが特徴です。人類の歴史において物事の予測は天文学として発展しました。1年で四季が移り変わることに気付き、種まきなどに活用したのです。農耕をすることが出来るようになったのは、天文学を理解し1年で四季が移り変わる規則性を知ったのです。その積み重ねと試行錯誤の結果で人類は月まで行けるようになったのです。

私は糖質回避教以外の宗教を信じてはいませんが、人が宗教を信じることを否定はしません。何故なら信じる者は救われるからです。ただし根拠もなく示された治療は宗教と変わりありませんので否定します。残念なことに宗教のような治療をしている医者がいるのも確かです。

アイスクリーム2個の血糖値 ~血糖値持続測定~

血糖値持続測定器 リブレの実験です。
おにぎり1つの血糖値ではたった1つのおにぎりが私の血糖値を191mg/dlまで押し上げることがわかりました。
また糖質を食べると睡眠の質が悪くなる原因を突き止めることができました。夜中に低血糖を起こしていました。

今回もお試しです。
アイスクリーム2個を食べて血糖値がどうなるか試してみました。

21:07に食べてみました。

その後の血糖値の推移です。
50分で133mg/dlまで上昇しました。

100分で124mg/dlです。

120分で107mg/dlに下がりました。

150分で再上昇し119mg/dlに少し上昇しました。

3時間で98mg/dlに落ち着きました。

8時間半後の血糖値は89mg/dlでした。

夜間の低血糖を引き起こすこともありませんでした。

意外にもアイスクリームを二つ食べてもおにぎり一つの血糖値には遥かに及ばないことがわかりました。
お米は血糖値には大敵のようです。