化学調味料は化学合成ではない事実

化学調味料と呼ばれる旨み調味料があります。人間がうま味と感じるグルタミン酸を精製したものです。

某有名グルメ漫画で悪物扱いされたため、化学調味料と聞くと抵抗のある方もおられると思います。私もそうでした。毛嫌いしていた訳ではありませんが、某漫画の影響もあり少し抵抗がありました。

化学調味料は発酵食品

化学調味料は今ではトウモロコシを原料として発酵させて生産されています。化学調味料とは言われますが、化学合成されているわけではないのです、醤油や味噌と同じ発酵食品なのです。

もしかしたら某有名グルメ漫画の影響で化学調味料を毛嫌いされている方も、ただの発酵食品と知ると抵抗感も無くなるのではないかと思います。

私は初めて知った時に驚きました。化学調味料と呼ばれるくらいですから、化学合成されているもんだと漠然と考えていました。

私が化学調味料メーカーの社外取締役なら、コマーシャルで製造工程を紹介し、発酵食品であることをもっと知ってもらいます。化学合成されていると誤解されたままでは損だからです。

ちなみにメーカーは化学調味料とは呼ばず、うま味調味料と自称されています。

某うま味調味料メーカーのサイトはこちらです。

不安の扱い方 不安だから出来ないは嘘?

アドラーの心理学から学んだことです。

よく不安だから出来ないと聞きます。アドラーの心理学での解釈は違います。

やらない決断をして、やらない動機付けの目的のために不安を作り出すんだそうです。

つまり不安を口にする人は、やらないことを先に決め、やらなくて済むように不安要素を探してきただけです。

正確な表現はこうです。

やらない。何故なら不安要素を見つけることが出来たから。

先にやらないことを決めているのですから、不安を口にする人と勧める人との議論は噛み合いません。

あたかも論理的に考えた結果のように話すので、相手は混乱してしまいます。

あくまでも不安はその人が目的を持って(無意識かもしれませんが)生み出す感情の一種です。

不安を口にする人が解決するべき問題です。他人が口出しをしても、余程のことがない限り永久に解決出来ません。

太るのは糖質を食べ過ぎるから

人が太る理由を皆さん知っていますか?

通常動物は太りません。何故なら太るとエサが取れなくなるか、エサになるからです。つまり食べ過ぎない仕組みがあります。

当然人間にも太らない仕組み(一定の状態を保つ性質・恒常性)が備わっているはずです。では何故太るのでしょう?

糖質を食べ過ぎるからです。

太る理由は糖質を食べ過ぎるからです。糖質に騙されて食べ過ぎるのです。(糖質依存ともいえます。)

太る理由が糖質に騙されて食べ過ぎているので、糖質をやめれば痩せていきます。ただそれだけのことです。糖質を食べながら痩せようとするのは、アクセルを踏みながらブレーキを踏んで車が止まらないと悩んでいるようなものです。血糖値を上げない工夫と同じです

振り込め詐欺(電話による詐欺)の簡単な対策

振り込め詐欺や電話による詐欺の簡単な対策を考えてみました。

詐欺師の狙いは家族と勘違いさせてお金を引き出すことです。

家族と勘違いしなければ詐欺にあいません。

勘違いしないためには、家族で合言葉を決めるのです。

家族を名乗る電話があれば『合言葉は?』

と聞くのです。詐欺師は無駄なことはしないはずなのですぐに電話を切ると思います。切らなければ合言葉を確認すれば良いだけです。

合言葉は家族ならではの内容が笑いも誘えて、話のタネになっていいかもしれませんね。例えば子供の頃の呼び名や愛称を答えさせるとかですね。

詐欺防止に合言葉!

簡単な対策だと思いますがいかがでしょうか?

騙す人と騙される人 どっちが悪い?

性善説と性悪説なんて意味がないに引き続き、善悪について考えてみたいと思います。

世の中には人を騙しても平気な人がいます。騙すことを商売にしている詐欺師の方々だけでなく、日常生活において自分が有利になるためにちょっとした嘘で人を騙す人がいます。

人に嘘をついて不快な思いをさせることは好ましいことではありませんし、当然人を騙して利益を得ることは犯罪ですからやってはいけません。今の世の中では犯罪を犯すと捕まることを抑止力として、犯罪を防止しようとしています。逆にそのことが誤ったメッセージとして受け取っている人達がいます。捕まらなければ犯罪を犯しても良いと考える人達です。嘘をついてもバレなければ嘘にならないと考える人種もいるようです。

嘘つきや犯罪者を擁護するわけではありませんが、自然界を通して騙すと騙されるを考えてみたいと思います。

自然界では騙すと騙されるの勝負は騙したものが圧倒的に勝ちです。騙された生き物は騙したことを責めたくても、騙した生き物に食べられて既にお腹の中です。自然界では騙されないように気をつけるものであって、騙しては駄目という価値観はどうやら人間界だけのようです。

だからといって騙された人が悪いと主張するつもりはありません。ただ自然界において騙されることは即死を意味しますから騙されないように必死です。騙されて不快な思いをしたかもしれませんが、自然界の動物のように命までとられなくてよかったと考えることもできます。
そして自然界の動物から学ぶことは、如何に騙されないように気を付けるかということです。

実はある種のお猿さんは嘘をつくそうです。
(参考文献:現実を生きるサル 空想を語るヒト―人間と動物をへだてる、たった2つの違い
エサを見つけた際、敵が来た鳴き声を上げて仲間が逃げ出した間に自分一匹だけエサを食べるそうです。つまりエサを独り占めするために敵が来たと嘘をつくそうです。仲間がかえってきて、一匹だけでエサを食べていることを責められるかというと責められないそうです。
いわば一番知恵があるのが嘘つき猿なのかもしれません。
どうやら嘘を見抜けるのは知恵のある人間だけのようです。
人が嘘をついてしまうのはまだお猿さんの名残なのかもしれません。

騙された後で騙した人を責めてもお互いが嫌な思いをするだけです。
(騙した人は覚悟の上かもしれませんが)
騙されてお金を奪われてしまうと、そのお金の多くが返ってきません。自然界で騙されて一度奪われた命が二度とかえってこないように。
騙す人がいる以上騙す人がいなくなるまでの間は、人間界で生きていくには騙されない知恵を身に着けるしかないのではないかと思います。

騙されないためには本当かどうか確認することです。
例えば糖質回避でダイエットできるとこのサイトでは書いていますが、本当かどうかはご自分で確かめてみることです。
インターネットの発達のおかげもあって、様々な情報が飛び交っています。
その情報の真偽(正しいか嘘か)を確認することが大切です。
この呉からの風が真偽を確かめる一助になることができれば幸いです。

無意識の情報処理の活用法

人は無意識のうちに情報処理をしていることをご存知ですか?

考え事をしたり難しい問題を解いていてもなかなか解決策が見つからないことはよくあります。他のことをしている際に思いがけず解決策に思い当たることがあります。このことを経験されたことがある方には、無意識のうちの情報処理を理解しやすいと思います。

人は意識して考えているときはもちろん解決策を探していますが、実は意識していない時にも無意識のうちに解決策を探すのです。

この無意識の情報処理の有効な活用法は、なかなか解けない難しい問題に直面したら、ひとまず他の問題に取り掛かることです。無意識のうちに情報処理することで、時間の経過とともに問題に対する認識が変わってきます。受験勉強でも同じことです。

一定期間毎に次々別の問題に取り組むと並列して情報処理を行うことができるようです。

寝ている間にも無意識の情報処理が行われることがあるらしく、ケクレによるベンゼン環の発想など大発見が夢の中で発想を得た実例もあるようです。

仕事や勉強で行き詰まったら、気分を変えるためにも別の問題に取り掛かると捗る可能性があると思います。

人に任せるより自分がやったほうが早いと考える心理

比較的仕事のできる人が陥りがちな、人に任せるより自分でやったほうが早いと考えてしまう心理を考えてみます。

人に頼んでも自分の求めている結果がかえってこないので、人に任せず自分でやったほうが早いと考えてしまうのです。
このことに二つの問題がはらんでいます。
一つは人に頼んでも結局自分でやってしまうのであれば、頼まれた人も真剣にはやりません。最終的に頼まれた人が困らない仕組みなので、頼まれた人がどこか他人事で対応してしまうのです。
一つは人に頼んだ頼み方の問題です。頼みたいことを正確に伝えることができていないコミュニケーション能力の問題のため、求めている結果がかえってこないのです。頼みたい内容を、全く予備知識がない人に説明するつもりでたとえ話を使いながら説明することで求めているものに近づくと思います。

そして人に頼むより自分でやった方が早いと考えている人は、自分が優秀だからだと内心思っているのです。
頼み方に問題があるということが原因なので、『人に頼むより自分でやった方が早い』と周囲に言っているのは、物事の伝え方・仕事の頼み方が下手ですよと周りに言って回るようなものですから実は恥ずかしいことだと思います。しかしその本質(自分が優秀だと勘違いしていること。頼み方が下手であること)に気づいていないので2重の意味で私は恥ずかしいと思います。

確かに人に頼むより自分でやった方が早いと思うこともあると思いますが、どうしたら人に自分の思う通りにやってもらえるかを考えるとよいと思います。
人に頼むことを前提として、頼み方を工夫するということです。

わざとゆっくり仕事や行動する心理

わざとゆっくり仕事や行動する人の話を書きました。
今回は心理を考えてみます。
何故わざとゆっくり仕事をするかを考えてみます。
人の行動には必ず目的があります(目的論)。
わざとゆっくり仕事をすることにも目的があります。
その目的は楽をすることと、ゆっくり仕事をすることで見かねた誰かが手伝ってくれるのを待っているのです。
一度でも誰かに手伝ってもらった経験があれば、手伝ってもらうことを狙ってわざとゆっくり仕事をするのです。迷っているふりをしたり、困っているふりをするのです。その目的は二つ。一つは迷っていること・困っていることで仕事が進まないことをアピールし、仕事がゆっくりなことを仕方ないだと思ってもらうこと。
もう一つは助けてもらうことを暗に要求しているのです。

子供の宿題もそうです。一度親に手伝ってもらうと、ゆっくりしていると手伝ってもらえると無意識のうちに認識してしまうのです。わざとゆっくりして見かねた親に手伝ってもらうことが目的なのです。だからわざと親にアピールするようにゆっくりするのです。

心理学的に共通しているのは、結局誰が困るかということです。
誰かが手伝ったことがあるということは、仕事でも宿題でも誰か他の人が困ると考えているのです。さすがに意識はしていないと思いますが、無意識のうちに最終的に他の人が困るというようにどこか他人事のように感じているのです。
最後まで自分がやるしかないという自覚に乏しいため、ゆっくりするのです。困るのは手伝う人だと誤解しているのです。

対策

対策はどうすればよいでしょうか?
それは自分の問題だと理解させることです。
今後はどれだけ困っても直接助けない。
やり方やわからないことをアドバイスをすることはあっても、代わりには決してやらないし手助けもしない。
このことを理解させるだけで意識がガラッと変わります。
またできない言い訳をすることも多いですが、できない言い訳とはやらない理由を探してくるだけなので聞いても意味がありません。できるようになる言い訳をするように仕向けるのです。

どうしても時間に追われていると、代わりにやってしまいたくなりますが、そこはぐっと我慢しないと相手の思うツボです。
作業工程の目安時間を設定し、細かくチェックすると少し意識が変わります。

またゆっくり仕事しても早く仕事をしても評価が変わらないことも、ゆっくり仕事をするメリットと考える一因です。ゆっくり仕事をして目標時間に仕事が終わらないと、その時点でほかの人に仕事を割り振り、給料やボーナスが下がる、働く時間が減らされるなど金銭的損失となる仕組みを考えるのも一つの対策かもしれません。

いずれにしてもわざとゆっくり仕事や行動をする人の対策は、お金にしろ時間にしろ作業にしろ、当事者が困る仕組みを考えることだと思います。

わざとゆっくり仕事や行動する人

わざとゆっくり仕事や行動をする人がいます。仕事が遅い人や宿題をなかなかやろうとしない子供が当てはまります。

実は今振り返ると私自身にも経験があります。
ただその時の心理としてはゆっくりしているつもりはありませんでした。
早く仕事しても次の仕事が待っているだけだから焦らずやろうと思っていたというものでした。早くする意味やメリット、実は早くやる方が時間が有効に使えてお得だということを理解出来ていなかったのです。
だから早くするという発想には至らず、自分では頑張っているつもりでも、実際には怒られない程度・迷惑がかからない程度の頑張りでしかなかったのではないかと思います。今だからこそ客観的に考えることが出来るので、当時どうすれば良かったか・どのように考えればよかったがわかります。

わざとゆっくり仕事や行動をしているようにみえる場合、本人にゆっくり仕事をしている自覚がないこともよくあります。自覚がないのですから早く仕事や行動をする意味・メリットを伝えることです。早くすることの意味・メリットがわかっている人からみると、意味・メリットは当たり前のことで早くやらない理由がわからないのです。早くやる意味・メリットがみんなの常識だと思い込んでいるため、わざわざ早くやる目的を伝えないこともよくあります。片や早くするのが当たり前、片や意味が分からない。そのギャップで周りがイライラしていまうのです。

また本人はゆっくりしているつもりはなくてもゆっくり見える場合、やるべきことが良くわかっていないことがあります。何をしたら良いのかわからないのでまごついているのです。

対策はやるべき手順を一覧にして次にすべきことを、わかるようにすることです。実はチェーン店なでおなじみの手順書・マニュアルは次にすることを迷わないように、手際よくするためにあります。
迷うことや・手順を思い出す時間が無駄だからです。
その無駄ま迷いがなくなるので慣れると行動が早くなります。

本人はわざとゆっくりしている自覚がないことを理解して、仕事や行動が早くなる方がお得なことを教えてあげて下さい。
そして手順に迷いがあるのであれば、一緒に迷いをなくす方法を考えてあげてみてください。

スポーツなどで順番を競う理由

行政改革大臣が口にして一時期話題になった『2位じゃダメなんですか?』ですが、発明・発見の分野では1位が総取りで2位には何の意味もないのです。発明・発見の分野では2位ではダメではありませんが、意味はないと思います。

ではスポーツやコンクールなどでは2位ではダメでしょうか?

結論は2位でも3位でも構いません。

一部の運動会では徒競走の順位をつけなくなったとも聞きますが、そもそもスポーツで順位をつけることにどんな意味があるのでしょうか?

それは手を抜かず全力を出し切るために順位をつけるのです。人と比べること競うことで競争心を刺激して、最善を尽くすために順位をつけるのです。

人には多かれ少なかれ競争心が備わっています。この競争心は、食べ物が満足になかった時代、食うか食われるかの生存競争に打ち勝ち生き残るために重要な役割を果たしていました。

その競争心を活用して最善を尽くすように仕向けるのが競うということの意味です。順位は良いに越したことはありませんが、順位だけが大切な訳ではありません。如何に最善を尽くすために努力したか、自分が納得できたかが重要なのです。

つまり全力を出し切るために競うのです。全力を出し切ることができさえすれば目的は達成されるのです。順位はおまけでしかないのです。

順位にお金が絡むようになると順位・勝ち負けが目的と勘違いしてしまう人が出てしまうのです。

この競う意味を知っている指導者達は、勝ち負けや順位に拘らず楽しもうと指導します。勝ち負けや順位に拘らる指導者は勝つために必死なのです。1番という順番にこそ意味がある発明・発見の感覚と勘違いしているのかもしれません。

競技の競う本当の意味・理由を、改めて考えてみるといいかもしれませんね。