熊本の被災中学がAmazonの欲しい物リストに高額商品をのせて批判が出ているそうです。
私は形を変えた不謹慎狩りだと思います。
支援しようとしている人達からすれば、高額商品が必要なのかという疑問はあるとは思います。疑問があれば高額商品は支援しなければ良いはずです。ただそれだけのことです。わざわざテレビで報道するのは、テレビが不謹慎狩りをしているように私は思います。
確かに支援しようとする人の善意に便乗している側面もあるかもしれません。しかし高額商品であっても、支援する人が納得して支援するのであれば、第三者がとやかくいうことではありません。そして欲しい物に高額商品が掲載されていることに納得出来なければ、支援しなければ良いだけです。それだけのことです。不謹慎だとして槍玉にあげるのは、騒ぐことが目的の正に不謹慎狩りではないでしょうか?支援者が支援する物品を選ぶことが出来ることは報道していませんでした。このような物を欲しい物リストにのせてどう思うかと、暗に非難する作りでした。不謹慎狩りを非難した同じテレビ局が、欲しい物リストに高額商品を掲載していたことを報道するのは不思議だと思います。
恐らく欲しい物リストにのせた人は、次々支援が届くので軽い気持ちでのせたのだと思います。ビデオカメラや生徒数を超える文房具などをのせていたそうです。その目的が私的流用なのか、被災と関係があるのは私にはわかりません。ただ支援者が支援する物を選ぶ余地があるので、支援してもらえるとラッキーくらいの軽い気持ちでのせたのではないかと思います。もしかしたらあると便利くらいの軽い気持ちだったかもしれません。テレビで報道される程問題になるとは想像すらしなかったと思います。
欲しい物リストに疑問があっても、目的によって反応が異なります。支援が目的であれば本当に欲しい物がわかりにくくなるから緊急の必要物品以外は取り下げるように被災者に伝えるはずです。騒ぐ必要などありません。目的が非難することだと、被災者に伝えず騒ぎ立てます。見て見てこんな物が欲しいって書き込んでいる!と騒ぎ立てるのです。正に不謹慎狩りです。
高額商品を支援した人が、高額商品が正しく使われていないと非難するのであれば当然だと思います。しかし支援もしていない第三者が非難するのは不謹慎狩りとの区別が私にはつきません。
現実に600万円相当の支援が集まったようですが、支援した人が納得していれば他人がとやかく言う筋合いではないと私は思います。
自分が困らない問題に口出しするのは課題の分離が出来ていない証拠です。非難する気持ちのある人は課題の分離が出来ていない証拠なので、気をつける方が良いと私は思います。
テレビ報道も、不謹慎狩りがおかしいと報道することもあれば、自らが不謹慎狩りをするようなこともあるようです。目的が視聴率なので論理の一貫性が保てないようです。
Amazonも震災支援では欲しい物リストを2段階にすることを検討しても良いのかもしれません。できるだけ早く欲しい物には優先順位をつけることで、被災者が不謹慎と言われることを避けることが出来るかもしれません。もしくは支援してもらった場合には、実際に使っているレビューを義務付けるのも一つの選択肢かもしれません。
高額商品を欲しい物リストに掲載したことよりも、支援された高額商品が被災者に役立っているのか実際の活用法の方が興味あります。実際には被災者に活用されないのであれば、今ならAmazonに返品という選択肢もあるのではないかとも思います。
数十年前には考えられないような技術(被災者からのAmazonの欲しい物リスト、情報を広めるSNSなど)が新しく出ているので、みんな手探りで使い方を探しているように思います。新しく問題が見つかっても、非難するのではなく、みんなが幸せになるより良い活用法を探すべきだと私は思います。まだ理想的な活用法を誰も知らないのですから、みんなの知恵を持ち寄って理想的な使い方に近づけていくしかないのです。そんな視点から物事を見ると、モラルなどの問題のある行動であったとしても怒るのではなく、よくそんな活用法に気付いたねと感心出来るようになるのではないでしょうか?そして次の仕組みを作る参考にすれば良いのです。