人の食事の意味は大きくわけて二つあります。ただの栄養補給かそれとも快楽の追求です。食事の場の雰囲気や誰と食べるのかということも、楽しみという快楽のうちの一つです。
今回は食事の中でも食べ物の選択に関してです。食べ物の選択も栄養補給と快楽の追求の観点があります。
栄養補給
人間は必ず栄養補給をしなければ生きてはいけません。生きていく上で必要なエネルギーと身体を維持するための身体の構成成分であるタンパク質です。身体の中で合成できないアミノ酸と脂肪酸は食べ物から得る必要があります。少なくともタンパク質は必ず食べる必要があります。
栄養補給の観点からすれば、糖質・炭水化物は無理に食べる必要はありません。何故なら糖質・炭水化物が消化・吸収され体内に入るブドウ糖はタンパク質から作り出せるからです。つまり必須炭水化物は無いのです。(参考:糖質を食べている理由)
美味の追求
美味しいものを求めるのは快楽の追求です。人は必ず食べないと生きてはいけません。そこで同じ食べるのですから、どうせなら美味しいものを食べようという考え方です。美食という程ではなくても、どうせなら美味しいものを求めるというのは誰でも無意識に行っている選択の一つです。
無理に食べる必要の無い糖質を食べる意味は、経済的に安価という点を除けば美味の追求以外には無いのかも知れません。
無意識のうちに行った美味しいものの選択が積み重なることで、依存を生じます。その一つが糖質依存です。人によっては美味しいものに対する依存や高い料理に対する依存もあるのかも知れません。それぞれ美味しいものに対して喜びを感じたり、高い料理に対して喜びを感じることで依存に陥ってしまいます。誰でも美味しい料理を食べることは喜びを感じますが、無理をしたり過度に求めるようになると依存の可能性があります。
美味の追求による病
かつてビタミン不足が引き起こす脚気という病は、玄米を食べていた日本人が白米という美味を追求した結果生じました。知識が無かったからやむを得ないとはいえ、美味を追求するため病気を引き起こしていたのは悲しい歴史です。
いま現代の脚気ともいえることが現在進行形で起こっているとしたらどうでしょうか?
2型糖尿病や肥満、高血圧やアレルギーなど多くの病気が糖質の食べ過ぎが原因のようです。少なくとも2型糖尿病と肥満は糖質の摂り過ぎが原因であることは間違いありません(2型糖尿病が薬無しで治りました)。
食べ物の選択の際に気をつけること
食べ物の選択の際には二つの基準があります。ただの栄養補給なのか美味という快楽の追求なのかです。
知らない間の快楽の追求によって病気を引き起こしているとすれば人類にとって不幸なことです。正に現代の脚気のようなものです。
食べ物を選ぶ際、立ち止まって栄養補給?美味の追求?と良く考ええてみる時期が来たようです。栄養補給のつもりで、知らない間に美味の追求をしているかも知れません。そしていつの間にか依存に陥っているのかも知れないのです。
今日の食べ物から栄養補給?美味の追求?と考えてみましょう。病気になってでも美味が大切?と。
美味の追求はたまのご褒美で良いのではないでしょうか?