糖質は万病の元

新しい諺(ことわざ)を考えてみました。
嘘つきは泥棒の始まり
の文言を変えてみました。

糖質の摂り過ぎは病気の始まり

糖質の食べ過ぎが様々な病気の始まりであり、糖質が様々な病気を引き起こすことをあらわそうと考えました。
しかししっくりきません。

ふと考えたのが諺かどうかわかりませんが、風邪は万病の元を変えることにしました。

糖質は万病の元

糖質の摂り過ぎが多くの病気を引き起こすことを表す諺として広まると良いなと思います。

現在糖質を控えること(糖質回避)で改善や治癒した病気は、2型糖尿病、各種アレルギー(アトピー性皮膚炎、花粉症、蕁麻疹、気管支喘息など)をはじめ、自己免疫性疾患(円形脱毛症、尋常性白斑)、慢性感染症(尋常性ざ瘡:ニキビ、尋常性疣贅:イボ)などです。

各種病気の改善率はこちらをご参照ください。

恐らく糖質は免疫機能が関わる疾患の多くに関わっています。そして糖質依存として糖質自体の食べ過ぎによる2型糖尿病や、糖質を食べる際に陥った塩分依存による高血圧なども改善が期待できます。まだ実績はなくても、多くのアレルギーや自己免疫性疾患は糖質回避で改善すると私は考えています。逆にこれだけ糖質回避で改善している疾患があることから、他の疾患が治らない可能性は低いと考えています。実績が積み上がることが期待されます。

そしていつものパンがあなたを殺すの著者によると、アルツハイマーやうつ病や不眠症、ADHDなどの原因が小麦のグルテンだと指摘し、事実グルテンフリーにすることで症状が改善しているそうです。私は欧米人はパンを主食としているので偶然グルテンが容疑者として検出されただけで、真犯人は糖質だと考えています。複雑な副反応でグルテンが陽性に検出されたのだと思います。わざわざ検査しなくても糖質を控えることで症状は改善すると考えています。

まだ糖質の摂り過ぎが原因だと考えられてすらいない様々な病気も、次第に真相が明らかにされていくことでしょう。

20年も経てば糖質が万病の元というのは当たり前の常識と化すので、わざわざ諺として言われなくなると私は予想しています。

安売り買いの銭失い

安物買いの銭失いの諺(ことわざ)をヒントに新しい諺を考えました。安物は質が悪いため結局高くつくという意味の諺ですが、最近では企業努力と技術革新により安物だから使い物にならないと一概に言えなくなりました。100円ショップの品物は100円とは思えない商品も多数あります。現代では安物買いの銭失いは必ずしも当てはまらないのではないかと考えました。

そこで考えた新しい諺が安売り買いの銭失いです。安い物ではなく安売りだからと買っているとお金が減ってしまうという諺です。

物を買う際に、必要だから買う人と安いから買う人には違いがあります。

必要だから買う人はお金が貯まる傾向があります。安いから買う人はお金が貯まらない傾向があります。

必要だから買うというのはあれこれ必要だと考えてしまうとお金を使ってしまいそうですが、使い方を考えてから買うので無駄がありません。安いから買う人は買ってから使い方を考える傾向があります。流石にいくら安くても全く興味がない物は買わないとは思いますが、少し良いなと思う物が安いとつい買ってしまうのです。いくら安くても大して必要ない物まで買っているといくらお金があっても足りません。

自分にとって必要な物を自分にとって適正な値段で買うことがお金が貯まるコツだと思います。必要な物だと思っても、物を使うことが目的ではなく、ただ単に所有したいだけであれば一度良く考えてみるべきです。お金に余裕があるのであれば、所有することが目的でも良いかもしれませんが、お金を貯めようと考えているのであれば所有することが目的の物は買わないのが一番です。ただ安いからといって買ってしまうと後で後悔することになってしまいます。

買い物の一つのコツは、その物を買うことで何が変わるのかを考えることです。明らかに便利になるとか、時間を短縮することが出来るなどのメリットと買うお金として値段が適切かを考えると良いと思います。

安売りと言っても、そもそも元の値段設定が高過ぎたたけのことかもしれません。安売りした値段が本来の適正価格で、元の価格がボッタクリだっただけかもしれません。

安売りだから買うという発想は損してしまうので、安売り買いの銭失いと考え、気をつけるようにしましょう。

選挙権が18歳なら18歳で成人?

選挙権が18歳から認められることになるようです。お酒・タバコは20歳のままのようですが、一番の良識が求められる選挙権が18歳なら近い将来18歳を成人として認める時期が来るのかも知れません。

そうなると移行期には18歳、19歳、20歳の3学年同時に成人式となることも予想されます。もしかしたら混乱を避けるために移行期間として20歳と19歳が成人式、翌年は19歳と18歳が成人式という事態になるのかも知れません。

それとも選挙権は18歳からだけど、20歳までは未成年という不思議な状態で落ち着くのでしょうか?結婚も18歳から出来ることを考えると、20歳が成人という考え方に無理があると思います。

本人の自己責任と考えるとお酒やタバコも18歳から認められても良いのではないかと思います。私個人はどちらも嗜まないので、全て禁止されても構いませんが、むしろ年齢によって法律で禁止しなくても良いのではないかとさえ思います。

人類は手探りで解決策を探している

人々は多くのことを知っていると考えています。人類は物事のほとんどを知り尽くしていると誤解している人すらいます。
しかし人類は多くのことが未だ手探り状態です。

例えば人が集まると争いが起こりますが、世界を見回してみると争いを起こらないようにする手立てはまだ見つかっていません。過去に学んで手探り状態で争いを避ける方法を模索しています。もしかしたら人間が欲を持つ限り争いは無くならないのかも知れませんし、争う必要の無くなる方法を探し当てることが出来るかも知れません。少なくとも現時点で分かっていることは、争いを避ける方法は未だ手探り状態だということです。

政治体制に関しても手探り状態です。過去の歴史を紐解くと、独裁政治や社会主義、民主主義など様々な体制がありますが政治体制も手探り状態です。政治体制が破綻すれば革命となひます。中でも民主主義が手探りで辿り着いた最善の政治体制でこれ以上改善しようがないと考えている人もいるかも知れませんが、多くの問題を含んでいます。最適な答えが見つからないため、仕方なく次善の策として多数決で決めているだけのことです。いわば手探りで辿り着いた政治体制と言えるのかも知れません。これも人間、特に政治家や役人に私利私欲があるうちは民主主義が最善の方法なのかも知れません。実現するかどうかは別にして理想の政治体制は、私利私欲のない人間による独裁政治だと思います。もしかしたら私利私欲のない政治家が現れるまでの手探りなのかも知れません。

手探り状態の例え話は他にも、人類にとって食べ物は何が最適なのかはまだ答えは出ていません。主食としての糖質を中心にバランスよくと言われてはいますが、これだけの糖質の害が明らかになっていることを考慮するとどうやら主食という概念そのものに問題がありそうです。これから手探りで最適な食べ物や最適な食べ方がわかってくるのではないかと思います。少なくとも現時点で糖質を毎食ガッツリ食べるのはやめておく方が無難なようです。

人類が手探り状態から解放されるのは、新たな知見が発見され物事が理論的に調整出来るようになった場合です。例えば重力の概念を発見したことで、様々な物事が理論的に解決しましたし、目に見えない空気という概念の発見が様々なことの理解に役立ちました。それまでは全て手探りだったのです。

人類は進化の歴史において手探りで、様々なことを学んできました。時には間違ってしまうと命を落とすという文字通り命を懸けて、より良いものを探してきました。現在もまだ様々な分野において手探りの状態に置かれているのです。ただ人々は現時点で分かっていることだけを見ているので、手探り状態であることを余り理解していないだけのことです。

日本の人や物が世界で信頼される理由

日本の人や物が世界で信頼されています。かつて日本製は信頼出来ない物の代名詞だった時代もあったようですが、今では世界トップクラスの信頼を表すブランドになっています。日本で売れたということが、日本の市場に受け入れられたというブランドにすらなりつつある程の信頼感があるようです。今回ふと思いついた日本の人と物が世界で信頼されている理由を考えてみました。

当然日本人全てが信頼出来る良い人な訳ではありませんが、成功している日本人の多くが共通した考え方をしていると思います。相手のことを思い遣ることが出来るということです。

日本の人や物が世界で信頼されるのは、買った後のことも考えて物を売るからだと思います。日本人は人と長年に渡りより良い関係を築くことを目的として商売をしています。日本は歴史的にみると政治体制が長年安定し、人々が同じ場所で生活することが多かったのです。多くは農家で農業に従事していましたので、引っ越すことが出来なかったのです。商売人もわざわざ引っ越す必要が無かったので長年同じ場所で商売するのが基本でした。粗悪品を騙して売ったとしても長くは続けられません。長く商売するつもりなら、相手のためにもなる商売をするのです。買った後で相手が後悔すると信用を失い、例え利益が出たとしても良しとしないのです。そのため買ってもらった後でわかった不具合も、後悔させないために出来るだけの対応をするのです。あらかじめ不具合を生じないようにするのはもちろん、不具合がわかれば改善策を考えます。相手が困ることを避けるためです。未知の不具合にも備えるために、どうしても価格が高くなってしまいます。高い価格は信用代のようなものです。

一方国の体制が何度も変わり、隣人が何度も変わるのが前提の国々では日本人のような発想は理解できません。騙された方が知恵が足らない分、間抜けだと思われるのです。お金と物を交換した時点で終わりです。不具合が後で分かっても、買う時点で見抜けなかった買い手の落ち度だと考えるようです。苦情を言ったとしても納得してお金を支払ったのだから、筋違いだとされるようです。連絡先のわからない露天や行商人、訪問販売での一度きりの商売のような関係性です。

わかりやすく言えば、日本人は後々のことを考えて落ち度なく万全な商品を売るのに対して、他国は安くする分お金を受け取った時点で終わり、売った切りです。何度も購入する商品であれば、次から購入しなければ良いのですが、船や列車など長年使うものはこの違いを良く理解しておくべきです。そして理解されているからこそ日本の人や物が世界で信頼されているのだと思います。

日本人にとっては当たり前の相手の信頼を得ることを、無駄だと考える人々がいることを知っておくと商品の売り方が変わると思います。信頼に対する考え方の違いが理解されないと製品の価格だけで判断されてしまうことになります。

全ての元になるのが、日本人は「和」を大切に考えているからだと思います。周りの人達と仲良くすることを島国の中で長年かけて培った日本人にとって何より大切なのは、お互いより良い関係を築くことです。だから日本語は相手の顔色によって語尾を変えることが出来るのです。日本語の仕組みは諍いを避ける目的に、語尾によって簡単に意味を反対に出来るのです。外国人から日本語が曖昧だと言われるのは、日本語の言葉をそのまま翻訳するからです。日本語の言い回しを翻訳するから曖昧に聞こえるだけで、日本人同士ははっきりと意思の疎通がはかれています。翻訳の齟齬により曖昧な印象をなだけです。

私は日本の人や物が世界で信頼されているのは、「和」を輸出しているからではないかと思います。

自分に都合の悪いことは拒絶する


人は自分に都合の悪いことは理解しようとしません。自分に都合の悪いことは受け入れることが出来ず、最初から拒絶してしまいます。

例えば糖質の害を伝えても、糖質を食べたくて仕方ない人にとっては糖質の害を受け入れることが出来ず、拒絶してしまいます。糖質が原因ですとお伝えしても、ストレスがあったからとか体調が悪かったからとか他の理由を見つけようとされる方がおられます。

自分に都合の悪い情報を拒絶してしまうのです。病気を治したいと思っていても拒絶してしまう人がいるくらいですから、特に目的がない状態で都合の悪いことは拒絶しても当たり前なのかも知れません。

拒絶する目的は都合の悪いことを受け入れないためです。都合の悪いことでも、もしかしたら正しいといけないので、検討しなくて済むように最初から拒絶してしまうのです。

医者の中にも糖質の害を受け入れることができず、検討しなくて済むように拒絶する医者もいます。糖質の害を受け入れると、これまで行っていた治療を全て否定されてしまいかねない理屈なので、受け入れたくない心理が働くようです。これまでの治療法が間違っている訳がない(と思い込んでいる)ので拒絶してしまいます。

自分に都合の悪いことでも拒絶せず、もしかしたら正しいかもしれないと考えて何事も受け入れるつもりで、かと言って情報を鵜呑みにせず、これまでの知識と照らし合わせながら情報を身につけていきましょう

蓄えた知識により情報の解釈が異なる

新しい情報は全てを鵜呑みにしてはいけないことを書きました。

今回は蓄えた知識により情報の解釈が異なるという話です。何故なら人は蓄えた知識に照らし合わせながら、物事を解釈していくからです。

例えば地球という概念が無いと日食や月食の仕組みを理解することが困難ですが、地球が太陽の周りを周っていることを知っていると、簡単に日食や月食の仕組みを理解することが出来ます。地球と太陽と月の関係性とそれらの動き方を知ることで、偶然起こる現象として月食や日食が起こることが解釈出来るようになります。ちなみに古代において天才が月食や日食をあらかじめ予言していたようですが、現実に日食や月食が起こった際にはさぞ驚いたことでしょう。

別の例えを考えてみると、水分子の性質を知っていると雲や結露のことが解釈出来ますが、水分子という概念がなければ雲や結露の仕組みを理解するのは困難だと思います。

糖質依存の知識があると、糖質をやめた際に起こる反応が容易に解釈出来るようになります。例えば糖質を回避して糖質依存から抜け出すと胃が小さくなるように感じること糖質を少し食べると余計お腹が空くように感じること。そもそもお腹が空くのは糖質依存の禁断症状であることなどです。

知識が増えると解釈出来ることが増えます。出来る限り正しい知識を増やしましょう。

まだ検証は終わっていない仮説もありますが、このサイトの内容の多くは正しいと思います。

ご自身でこのサイトの内容が正しいかどうか検証しながら、取り込んでみて下さい。

新しい情報の取り込み方 鵜呑みにしない

新しい情報の取り込み方の提案です。新しい情報を全て鵜呑みにするということは危険です。何故なら情報には正しい情報と正しくない情報とがあります。中にはわざと嘘を織り交ぜ意図的に騙そうとする情報も潜んでいます。だから新しい情報を全て鵜呑みにするのは危険なのです。

かといって新しい情報を全て拒絶するのも得策ではありません。何故ならその新しい情報が、人生が変わるような画期的な情報かも知れないからです。

では新しい情報はどのように取り込むと良いのでしょうか?私の新しい情報の取り込み方は、これまで手に入れた情報と新しい情報が矛盾しないかどうかを考えます。矛盾があればどちらかが間違っています。新しい情報が間違ってかも知れませんし、これまでの情報が間違っているかも知れません。どちらの情報が正しいかわかるまで保留し、矛盾が解決するように更に情報をあつめます。

これまでの情報が正しくない場合には前提条件が根本から覆る可能性があるため、慎重な検討が必要です。

新しい情報が正しくない場合には、矛盾点を更に検討することで新しい情報は取り込む価値がないとして解決します。

過去に知りえたことと照らし合わせる方法は、騙されないためにも効果を発揮します。何故なら騙すためには何らかの嘘を準備しますが、その嘘を見破ることが出来るからです。

間違った情報と取り込んでしまわないためと、嘘を見破るために様々な情報を身につけておくべきだと思います。その情報の身につけ方のトレーニングが学校の勉強だと私は思います。何故なら学校の勉強は一般的に正しいとされている情報の取り込み方のトレーニングであり、自分で真偽の確認の必要がないからです。まず学校で学んだことをベースにして、物事の真偽を考えながら取り込んでいくのだと思います。

社会に出てみると真偽を考える必要なかった、つまり鵜呑みにしても問題にならない学校の勉強が、如何に楽なことか良くわかります。

新しい情報は鵜呑みにせず、これまでの情報の照らし合わせることで、その真偽を確かめるようにしましょう。そうすれば詐欺師だけでなく、モラルの低い会社に騙される可能性を極力抑えることが出来るようになります。

きっかけ一つで疑問が解決する場合

人は『知らねば損すらわからない』という私の考えたことわざのように、知らなければ損していることすら理解できません。

そして人は何でもわかっているつもりでいます。わからないことや知らないことは無意識のうちに無視するように過ごしているので、見聞きしても知らないことは理解出来ないのです。実は多くの人は知らないことはないという錯覚に陥っているのです。

ある人と話をしていてわかったことですが、10歳以上年の離れた人のことが理解出来ず混乱していました。最近の若い人のことが理解出来ないと悩んでいたのです。少し聞いてみると性格というよりはアスペルガー症候群の症状のようでした。本人に悪気があるわけではなく、思いつくまま振舞っているだけのようでした。その様子を見て理解出来ず混乱していたのです。ちなみにこの知人はアスペルガー症候群の存在は知っていましたが、知人にとってアスペルガー症候群はテレビや本の中の出来事で、まさかその人がアスペルガー症候群だとは思わなかったようです。エピソードを聞いただけですから確定診断できたわけではありませんが、アスペルガー症候群の症状や特性を教えてあげると様々な言動が当てはまるようです。

知人にとって理解出来なかった人の行動が、アスペルガー症候群のキーワードで読み解くことが出来たのです。これまでわからなかったことでもちょっとしたきっかけで読み解くことが出来るようになる場合があります。そのようなときには夢にも思わなかったことが答えだから理解出来ないのかも知れません。

わからないことや理解出来ないことはもしかしたら、と様々な可能性を考えることが理解出来るようになる近道かもしれません。場合によっては当たり前の常識も、もしかしたらと考えてみると、糖質の害のような画期的な発見があるのかも知れません。

思い込みの罠の避け方

自分が正しいければ良いのでしょうか?
確かに自分が正しいと仮定すれば相手が間違っているので、良いのかもしれません。
しかし自分が正しいと信じて疑わないこと自体が実は間違ってしまっていても良いのでしょうか?

自分が正しいと考えていることは、実は思い込みかもしれないのです。
つまり自称正しい状態で他人から見たら正しいかどうかはわかりません。
しかし本人は正しいと信じて疑わないことがあります。

自分は正しいと思っていても勘違いしていることはよくあることです。
思い込んでいると自分が勘違いしているかもしれないという確認すらしないのです。
かつてベテランパイロットが思い込みにより燃料切れに気づかず飛行機が墜落したことがあります。
判断力に優れたパイロットでさえ、思い込みの罠にはまってしまって飛行機にとって致命的な燃料切れを避けることが出来なかったのです。
こういう思い込みによるミスを避けるためにパイロットは二人搭乗するのですが、経験年数の差があったため若い副操縦士はベテランパイロットに基本中の基本だけに燃料のことを進言できなかったことも事故の原因だったようです。

自分が正しければOK?というタイトルは、自分が正しければうまくいくはずだという思い込みを表しています。相手もきちんとするはずだからうまくいくはずだと、何の根拠もなく信じてしまうことが事故を招きます。

自分の勘違いだけではなく、相手の勘違いという二つの可能性があります。
自分が正しいと信じて疑わないし、相手も相手で正しいと信じて疑わない事態は大変危険です。
この二つの思い込みの罠に陥ってしまうと様々な事故に発展します。

例えば青信号を見て横断歩道を渡っているとします。
交通ルールの上では、信号通りに横断歩道を歩いている人が優先です。歩行者を守るように日本の交通ルールはできています。
しかしもし極度に疲れていて青信号を見間違えたとすればいかがでしょうか?
それとも横方向の信号が赤になったから、次は歩行者用が青になると思い込んで渡り始めたら他の方向にも信号があったとすれば、思い込みで歩行者用の信号が赤のまま渡り初めてしまうことはありえます。横の信号が赤になれば数秒後に歩行者の信号が赤になるはずという思い込みで渡り始めてしまうのです。
逆に車も信号が青になったと思い込んで走り始めてしまうこともありえます。
かなりまれだとは思いますが、歩行者も車もお互い信号を見間違う可能性だってわずかながらあるはずです。
ではそんな隙をなくすにはどうしたら良いのでしょうか?

思い込みの罠の避け方

一言で言えば確認することです。
思い込みで自分か相手が勘違いしている可能性があるのであれば、お互いが間違っていないことを確認するのです。

例えば横断歩道を渡る際に左右を確認するのは、自分が渡るから車は止まるということが成り立っているかどうかを確認するのです。車が近くにいなけば問題ありませんが、横断歩道を渡る際にすごいスピードで走ってくる車があっても自分が優先だからお構いなしに歩き始めるとはねられてしまうかもしれないのです。もしかしたら相手は気づかなかったかもしれません。
同じように横断歩道を歩いていても、左折車や右折車に巻き込まれてしまうかもしれないのです。自分は横断歩道を歩いているのだから正しいと考えるだけでなく、車が正しく運転されているかを確認するのです。左折車がいないか、右折車がいないか斜め後ろも確認し、車がいた場合にはひかれないように車の動きを見ておくのです。いくら自分の方が正しくても、死んでしまっては取り返しがつきません。

ちょっと確認するだけで思い込みの罠は避けることができます。
その少しのことが生死を分ける程の大きな違いとなることがあるのです。