タバコの意味 喫煙の問題点

タバコの意味を考えてみました。

かつてはお酒と並んで合法的に税金を集めてくれる優秀な収税システムでした。

しかし健康被害が明らかになるにつれて、優秀な収税システムの側面よりも、医療費の無駄遣いの側面の方が大きくなってしまいました。タバコによる税収は年間1兆円、一説によるとタバコによる医療費は3兆円と明らかに損です。金銭的観点だけから考えれば速やかにタバコは禁止する方が合理的です。とはいえ禁止したとしてもアメリカの禁酒法時代のように治安の悪化と闇取引が増えるだけなので、現実的ではありません。

現実的な解決策はタバコを吸うことで余分にかかる医療費を喫煙者に負担してもらうことです。

タバコを吸うことで医療費が余分にかかるのですがわその分の負担を非喫煙者にも負わせるのは不公平です。

タバコによる医療費の分だけ負担を増やすことは増税でも何でもありません。医療費のタダ乗りを正すだけのことです。いつになったら喫煙者の医療費のタダ乗りを正すのでしょうか?

誰も反対出来ないと思うのですが、何故タダ乗りを許しているのか不思議ですね。

非喫煙者の方が多いのですから、多数決でもタダ乗りを容認するとは思えません。

ちなみにタバコの値上げにより喫煙者が減ることで、タバコ農家さんに対する補償も検討の余地はあると思います。

もし反対する議員さんがいれば、分別のつかない喫煙者か献金や票という自分の私欲を目的とした反対です。

ジェネリック(後発)医薬品の問題点

ジェネリック医薬品の問題点を考えてみます。

医薬品には自社開発の先発医薬品と特許切れを取り扱う後発医薬品とがあります。
成分は同じもので値段が違う・・・。先発品は特許が切れたにも関わらず高い。
同じ成分で開発費用が回収されているにも関わらず、同じ値段ではない・・・。
皆保険のない国の制度をそのままスライドさせているだけのように思います。

ジェネリック医薬品は厚生労働省が金額を決め、それを踏まえたうえで先発医薬品は自社で金額の制約なしで完全に届出制にすれば良いと思います。
後発医薬品よりも安い戦略的な値段付けをするのも一つですし、ジェネリックと同等の値段にするのも、高い値段設定も自由とするのです。
(既にそうなっているのであればすいません。私の『勉強』不足です)

ジェネリック医薬品が安いからと行政までジェネリック医薬品の活用を推進しています。厚生労働省が値段設定しておきながらその仲間である行政が安いからといってジェネリック医薬品を推進するのは、私の目には奇異にうつります。

皆保険が未整備な他国は参考にならないので、独自の先進的な考え方をすると・・・
ジェネリック医薬品の薬価収載を希望するメーカーは協力費(薬価収載費という名目にでもするか?)をオークション形式で提示する。
オークション上位5社(3社なのか10社なのかは検討)が薬価収載される。
協力費は薬価収載費として厚生労働省が活用する。(開発した先発医薬品メーカーに半分支払っても良いかもしれません。)
特許の切れた薬剤を国民の利益となるように、国民の健康のために活用することを目的とする
現状では後発医薬品メーカーだけが得をするシステムには問題があるように思います。
協力費を使って、薬効成分が基準を満たしているかどうか検査する仕組みを作り上げる。
※恐らく自由競争を阻害するという反対意見が出ると思いますが、医薬品として国費を使っている以上過当競争を避けるため制約はやむをえないと考えます。
更に付け加えるとすれば自由競争とするなら、値段も自由に競争するべきです。完全自由化の案(薬価は自社で決めるなど)も改めて考えてみます。

かつてテレビが広まり、焦った新聞が行ったこと

庶民の情報収集手段が新聞だった時代、ラジオはあったもののそれほどの脅威とはなりませんでした。ラジオでは音楽を伝えることは出来ましたが、声の情報伝達は情報量も多いはなく新聞とは競合しなかったようです。

しかしテレビは違います。映像というそれまでにない脅威の情報伝達力に新聞各社は焦りました。

テレビにとって代わられ、当時は新聞の未来が真っ暗だと思われていましたが、あることに気付いて共存の道が見つかりました。それはテレビの番組欄を新聞に掲載したのです。

当時はテレビをつけてみないと何を放送しているかわからなかったので、テレビを見るために新聞で確認するこというスタイルが当たり前になりました。こうしてテレビが出現しても新聞は共存することが出来ました。

今では新聞だけでなく、テレビもインターネットによりビジネスモデルが崩壊しかけています。テレビの番組欄のような共存の知恵がなければ、新聞・テレビの市場は今後縮小されていくことでしょう。

私が社外取締役なら、インターネットのホームページ紹介の番組を立ち上げます。インターネットは無視できない規模・将来性ですから、ホームページ紹介の番組と共に今後スポンサーになってもらうことを考えて深夜枠でも放送するようにします。ホームページの紹介は検索に使うキーワードが伝われば良いので、15秒・場合によっては10秒でも伝わるので、30秒単位のコマーシャルを10秒単位に変更してホームページのコマーシャル枠を作ります。

とはいえこれからやっても既に間に合わないかも知れません。

学校の授業はいつまでするの?

ふと思いついたことがあります。
素朴な疑問です。

なぜ学校では未だライブで授業をしているんでしょうか?

そしていつまで生身の人間の授業をするのでしょうか?100年後に今のスタイルで授業しているとは思えません。それならばいつまで今のスタイルで授業を行うのでしょうか?すんなことを考えてみました。

先生が授業をする意味

生身の人間ですから教え方が上手な先生、下手な先生など様々です。

説明の上手な先生のビデオを流す方がよほど有意義だと私は思うんですが、生身の人間が説明しなければならない理由が何かあるんでしょうか?
確かに生身の人間が授業をするなら、その場の理解度を読み取り、説明の仕方を変えるということができます。生徒の反応で授業を変えることのできる先生は、恐らく生身の人間の方が子供達の理解度が高いと思います。しかし先生の授業スキルによっては、生徒の反応に関わらず同じような授業をしていることも多いのではないでしょうか?

子供達の反応によって授業内容を変えることのできる先生は、何年経っても残すべきかも知れません。子供達の反応によって授業内容を変更しないのであればビデオと変わらないのかも知れません。

試験導入してみる

これだけ技術が進歩したのですから、まずはお試しで良いので、録画を活用した授業を導入するべきだと私は思います。
小学生ならどの授業でもインターネットを活用し家でも見放題とか。
30分に授業を集約して、残りを個別『質問』時間とすると有意義だと私は思います。

導入しない理由

何故しないのでしょうか?
先生の仕事を奪い、失業が増えることを恐れているからかも知れません。それともただ単に新しいことを取り入れたくないだけで、反対しているのかも知れません。

先生方の仕事を奪うわけではなく、先生達の余裕を生み出すための工夫だと認識してもらえれば前に向いて進めると私は思います。

教育の目的

教育の目的は子供達の学力向上です。知識を身につけさせることで考える癖をつけ、人に騙されない知恵をつけることです。最終的には教育で得た知識と知恵を使って国を維持し、繁栄させることです。

雇用確保はおまけでしかありません。これまで生身の人間が直接教える以外に選択肢が無かったので当たり前に教えてきただけです。
もし子供達への最適な教育方法がタブレットによる自学自習だと判明しても、先生達の雇用確保のために今の授業スタイルを維持するのはおかしな話です。最適な方法ではなく、先生達の雇用確保のために次善の策として授業スタイルを維持し、子供達が犠牲になるのはおかしな話です(実際には最適な教育方法は子供達によっても違いますし、もし判明するとしても何十年も先になると思います)

家でもスマホやタブレットで上手な先生の授業を見ることができれば、塾の必要性もかなり薄らぐと思います。
直接指示されないと勉強出来ないお子さんは、引き続き塾に通うことになりますが、自分でわからない授業を探すことの出来るお子さんには塾が必要なくなります。

学校だけでなく、塾業界も含めた教育革命とも言える大変革になると思います。

学校で見せる動画もYouTubeで掲載し、家でも見ることが出来る体制を整え、広告収入は出演した先生に支払われる仕組みも面白いですね。

行政に必要なのは競争では?

行政改革・行政改革と叫ばれていますが、なかなか上手くいかないようです。政治家は様々な案を競って考えていますが、なかなか実現しません。政治家が良い案を考えても、行政が様々な言い訳で実現しないことも多いようです。

一番の行政の問題は競争が無いことではないでしょうか?

経済も政治体制も破綻した国々を見ると、競争が無かったことが破滅へ向かわせたことがわかります。

働いても働かなくても同じ報酬であれば、働かないのが人間です。さぼっている訳でも手を抜いている訳でもありません。競争が無ければ比較対象が無いので改善する意味がわからないだけです。そもそも競争がなければ自分たちが殿様商売をしていることにすら気づけません。決まりを自分たちで作って、その決まりに従わなければ拒絶するという殿様商売を繰り返しています。用紙が違います、別の課の問題ですなど拒絶する理由を幾つも用意しているようです。
他に選択肢のない市民・国民は従うしかないのが現状です。別の選択肢が用意されれば便利な方が選ばれるのは当然です。

具体的にどの様に導入するのが良いのか現時点ではわかりませんが、今思いつくのは行政組織を二つに分けるのか、隣と比べるのかです。この競争の仕方から競って発案してもらうのです。行政側から発案してもらい、合理的なものを政治家が選ぶのです。

これまでの横並び主義・前例主義から突然競争主義に転換し行政側、公務員の方々に競ってもらうのです。

一部の小学校では競争が良くないこととして、運動会でも順位をつけないことが流行ったそうですが、もしかしたら行政や公務員の方々が、競争させられることがないように小学校から競争を無くすように仕向けていたのではないか?と邪推してしまうのですが考え過ぎでしょうか?

行政に必要なのは競争

競争が始まればサービスは向上し価格も下がります。こんなにいいことずくめなのに何故競争を避けるのでしょうか?当事者達は競争が無い方が楽だからです。競争がなければ自称最善で何も困りません。他と比べないのですから絶対最善などする必要がないのです(自称最善と絶対最善)。最善を尽くしているといえばそれで済んでしまうのが競争がない世の中です。

行政同士の競争中?

実は今行政同士で競争が起こっているのです。競争原理が働きサービス合戦が過熱し、奪い合いが起こっています。ふるさと納税制度です。各行政機関でお礼を工夫することで税金の奪い合いをしています。ふるさと納税制度を利用せず、真面目に納税するのが損をするかのような不思議な制度です。しかし別の視点から考えると、行政に競争原理を導入するとどれだけサービスが向上するかの社会実験と捉えることが出来ます。知恵とサービスで税金を奪い合うと考えれば面白い取り組みです。

これだけふるさと納税制度が広まっていることから考えると、行政に競争原理を取り入れることは正解だとわかります。(ふるさと納税に更に競争原理を取り入れる方法はリンク先をご参照下さい)

ふるさと納税制度からも行政においても競争が正解なのは誰の目にも明らかです。何故他の行政の対応には競争原理を取り入れないのでしょうか?

この考え方が政治家の皆さんの目にとまり、出来るだけ早く行政に競争原理が導入されることを祈っています。

フリクションボールの改善点

勝手に対策を考えてみるカテゴリー『私が社外取締役なら』ですが、今回は画期的なボールペンです。

擦ると消える不思議なボールペン、フリクションボールですが公的な書類にフリクションボールで記入する事例があるようです。
フリクションボールで書いて、困るのが書いた人なら自己責任ですが、一度受け取ってしまった後で消えてしまうと困るのは受け取って側です。
そこで勝手に対策を考えてみました。
受け取りの際に簡単にわかるようにすると良いと思います。
フリクションボールのインクに紫外線に反応する蛍光塗料を混ぜるのです。
役所での提出や契約書など文字が消えると困る場合には、紫外線を当てて確認すると良いと思いますがいかがでしょうか?

他にも色々な案を考えてみました。フリクションボールは摩擦熱に反応して文字が消えるので、強い光を当てて確認することも考えました。ちょうどコピー機にその機能を備えると理にはかなっていますが、フリクションボールが消える程の熱を与えるコピー機をわざわざ用意するのは少し大変かも知れません。ドライヤーの熱を利用することも考えましたが、不確実です。

やはり蛍光塗料を混ぜるのが一番理にかなっていると思いますが、いかがでしょうか?フリクションボールのメーカーさん、良かったら社内で検討してみて下さい。

特許をとって売り込むことも考えましたが、特許が成り立つかどうかわかりませんし、特許が取れたとしても採用されるかわかりませんので、公表することにしました。

誤解・勘違いは誰のせい?

誤解・勘違いは誰にでもあることです。誤解・勘違いの原因は思い込みや言葉・表現の曖昧さによる認識の齟齬です。

誤解・勘違いは誰が悪く誰の責任なのでしょうか?

誤解・勘違いは改善を

私は誤解・勘違いは誰も悪くありません。ただし誤解・勘違いをさせた原因を作り出した人が配慮不足を反省して今後の対策を考えるべきだと思います。話し方や表現の仕方の曖昧さを無くす努力をするべきだと思います。相手は混乱しますし、自分も本来の意図とは異なる解釈をされては損だからです。

誤解・勘違いは笑うこと

誤解・勘違いで嫌な思いをすることもあるとは思いますが、悪気があるわけでも意図的にしたことで怒っても意味がないことです。配慮が足らないことを指摘することで今後同じことを無くす意味はあっても、怒ったところで解決には至りませんし、お互いが嫌な思いをして終わりです。

誤解・勘違いは笑うことであって怒ることではありません。笑って改善策を相談しましょう。

企業の場合

現在様々な表現があります。紛らわしい表現もあちこちで見かけます。

言葉の揺れにより、2通りの解釈が出来る表現もよくあります。表現している人は一つの解釈しか出来ないと完全に思い込んでいることが多いため、二つの解釈が出来ることを想定すらしていません。二つの解釈が出来ることを指摘しても、直そうとしない場合も良くあります。二つの解釈をする方が悪いと受け取れる対応です。

企業がこのような対応だと、お客様目線か企業目線かが良くわかります。誤解・勘違いはお互い損なので曖昧な表現は改める方が良いと思います。

勘違いしてもらった方が利益につながると、勘違いされかねないことでも違法でもない限り放置してしまうようです。

利益は企業の為ならずとは真逆の、利益追求企業そのものです。

まだ誤解・勘違いで利益を上げても意味が無いことに気付いていないのは残念なことです。

カップヌードルのトッピング

勝手に考える私が社外取締役ならです。

今回はかなり前から思っていた内容です。

カップヌードルに入っているフリーズドライのお肉。美味しいです。

トッピングとして別売りすれば売れるのではないかと思います。あのお肉もっと食べたいのです。

たまにしか食べない人には不向きですがいつも食べる人には、振りかけのように好きな量を振りかけて食べるようにすれば良いのにと思っています。

長年待ち望んでいますが、発売されないのはアイディアが無いのか、需要が無いのか、あの比率にこだわりがあるから変えたくないのかわかりません。

糖質回避の観点からもトッピングのお肉だけのフリーズドライの別売りがあると様々な用途に期待できます。

別の用途

例えばチャーハン。ご飯にフリーズドライのまま炒めれば余分な水分を吸ってパラパラチャーハンになりそうです。例えば卵焼きの具材、スープのクルトン代わり、あらゆる可能性が広がると思います。

私が社外取締役ならすぐ発売するんですけど、何か素人が思い付かない問題でもあるのかも知れません。

紙幣の無くなる日

様々な偽造防止の知恵が詰まっているとはいえ、言うなればタダの紙切れですが、千円札、二千円札、五千円札、一万円札として流通している紙幣の話です。

遠く無い将来、偽造や犯罪の立証が困難な現金でのやり取りを防止するため、紙幣はなくなると思います。無くなるべきだと思っています。

不正を行う人に都合の良いビットコインのような流れのつかめない擬似通貨ではなく、不正が行われた場合お金の流れを確認できるシステムの導入が行われるべきだと思います。

一万円以上のやり取りは証拠が残る仕組みを導入するのです。

少額の決済には1000円硬貨5000円硬貨を使用すると良いと思います。

お年玉やお小遣いなどの個人の現金のやり取りは少額の場合は硬貨を使用し、高額な場合は振り込みを利用するようになると思います。

不正なお金の流れを確認できるため、裏金という概念がなくなります。横領や脱税をする隙も無くせるのではないかと思います。

このアイディアが採用されないとすれば、政治家が一番困ることが証明されます。もし国会に提出され反対意見を言う勇気ある人がいれば、何らかの不正を考えているので見ものだと思います。

出てきそうな反対意見は、導入費用云々、個人商店は困る、プライバシーの問題云々などです。それらは反対することが目的であり、理由ではありません。反対するために見つけた理由でしかありません。

早く紙幣が無くなり不正の無い世の中になると良いと思います。

営業と偽った説得 〜営業マンならぬ説得マン〜

営業として売り込みながら、お客さんの説得をする営業マンがいます。
営業マンの理想とは真逆の発想の営業です。

理想の営業マン

理想の営業マンはお客さんの欲しいものを買ってもらうのが仕事です。お客さんの欲しいものを確認し、自社製品と欲しいものが異なれば深追いすることはありません。お互い時間の無駄だからです。

買ってもらえる可能性の低い無駄な説明を望み薄のお客さんにするよりも、自社製品を欲しがるお客さんを探すことの方が合理的です。

説得マン

説得マンとは自社製品をお客さんに欲しいと思ってもらえるように、営業と偽った説得を行う営業マンのことです。

説得マンは金額は先に言いません。話を打ち切られるのを阻止するためです。購入の際に最も大切な情報を後回しにするのです。説得が成功し、衝動買いの心理で買う気になって後に引けなくなるまで、デメリットは伝えません。

説得マンはやり手であればある程、衝動買いの心理を知り尽くしているので冷静に判断する注意が必要です。

私は欲しいものは自分で情報を探して購入するので、説得マンと話をするメリットは無いと思います。万が一良いものだとしても、飛び込みで説得に来る説得マンの給料分割高に買うメリットがあるとは思えません。説得マンが営業に来られたらパンフレットを置いて帰ってもらうことにしています。キチンとした商売をするつもりのましな説得マンはパンフレットを持っていますが、パンフレットもなく飛び込みをする説得マンがいることには驚きます。話にのせて購買意欲を刺激し、衝動買いの心理に誘い込むのが目的です。

説得マンの対策

目的を一言で説明してもらうことです。説得マンは話を打ち切られないように流れを作るのが得意です。撒き餌のような話に付き合うのはお互いの時間の無駄なので、目的を一言で説明してもらいます。検討の余地があれば話を続けても構いませんが、検討の余地が無ければ終了です。また一言で説明できなければ、説明が得意では無いのでそれ以上話をしても得るものは少ないでしょう。

説得されてまで購入して満足することはほとんど無いと思います。説得マンが営業マンに紛れ込んでいることを認識して、楽しく生活しましょう。

お仕事が営業マンの方は説得マンになっていないか一度客観的に考えてみましょう。