赤ちゃんにはオムツという常識を疑う

赤ちゃんにはオムツというのが常識です。
根本にあるのは赤ちゃんに尿意や便意がわかるはずがないという思い込みです。
赤ちゃんには必ずオムツが必要なのでしょうか?
ネットで検索してみると6か月でオムツを外すなどという極端な書き込みもあるようです。
現実にオムツを外すかどうかは別として、オムツはトイレに間に合わなかったときのお守り替わりとして、基本的にはトイレで排尿・排便することを目指してみることを提案したいと思います。

実は赤ちゃんは物事の因果関係を考えながら行動を学習しています。
うまくいけば覚えていき、うまくいかなければうまくいく方法を探しています。
周囲の人達に笑いかけて笑顔がかえってくれば、よく笑う子になりますし、周囲の人達に笑いかけても笑顔がかえってこなければ笑わない子になります。

そしてオムツの中で排尿や排便することが当たり前だと思って育つから、2歳前後でトイレトレーニングが困るのです。2歳の子供にとってはオムツの中で排尿・排便が楽なのに、わざわざトイレに行かなければいけない理由がわからないのです。

早い段階から赤ちゃんをオマルに座らせて排尿や排便を繰り返していると、オムツの中で排便してしまうと不快感を感じるため泣き出します。オマルで排便するのが当たり前になると、オムツで排便してしまうと便が皮膚に付着する感覚が不快に感じるのです。だから泣きます。オムツへの排便は嫌だから、できるだけオマルに連れて行ってもらえるように赤ちゃんがよりしっかり教えてくれるようになります。赤ちゃんはそれくらい因果関係がわかっています。

生後0か月から使えるオマルはこちらです。

現実問題としては首が座るまでにオマルで抱っこしたまま排尿・排便させるのは難しいように思います。
首が座ってからオマルに座らせて排尿・排便させるのが現実的だと思います。

いつオマルに連れていくかですが、赤ちゃんをよく見ていると排便のサインがあります。まず排便のサインを見逃さず、オマルに座らせるようにするとオマルで排便する方が楽だと赤ちゃんも理解していきます。そうすると気づいてもらえるように排便のサインをしっかり出すようになります。ボディーランゲージのようなものです。その赤ちゃんの発するボディーランゲージを受け取り、オマルに座らせるようにトレーニングすることです。最初は何となくだったボディーランゲージも、繰り返しているうちに赤ちゃんのボディーランゲージはよりはっきりと表現するようになっていきます。その因果関係を大人がしっかり受け止めることが大切です。

これまでの常識よりもはるかに早い段階でトイレトレーニングするメリットは、首が座ればトイレトレーニングに掲載しました。良かったらご覧ください。
オマルでトイレをしてくれることで節約できたオムツ代をランチにあてると、赤ちゃんからご褒美をもらうみたいで楽しめると思いますよ。

赤ちゃんはオムツという常識を疑ってみてください。

虫歯激減、歯科医が余る?

小学生の虫歯が激減しているそうです。

虫歯が激減している理由は子供達に歯磨きする習慣が身についたことと、フッ素樹脂を塗布することに起因するそうです。
歯科医は同じペースで量産されているので近い将来余る可能性があります。

それは将来二つの理由から医師が余ると予測していることに似ています。糖質回避による予防医学により病気そのものがなくなります。もう一つは人工知能の発達により必ずしも全ての医者が生身の人間である必要性が薄れるからです。

これから歯科医は淘汰の時代になるでしょう。腕が良くて対応が良いのは当たり前、更に何かがないと成功することは難しい時代になると思います。

多くの歯科医の行く末はその先の医者の余る時代を暗示しているように私は思います。

歯科医は激減しても最終的には一部は生き残ると思います。何故なら歯科医の手技は機械化することは難しく、費用対効果の観点から機械化しても採算が取れないからです。よって歯科医の手技は残ると思います。

医者の世界では極端に難しい心臓手術やカテーテル手術などは機械化するメリットが大きく、生身の医者にとってかわることでしょう。

実は歯科医よりも医者の方が激減する可能性があると私は考えています。

大人が正しいという常識の間違い 子供が正しい

子育ての常識革命を考えています。
一つの常識である大人が正しく子供が間違っていること。
その元となるのは子供だから正しいことはわかるはずがないということです。
大人の方が長い期間生きているので正しいに決まっていると考えているのです。
それが間違っているとしたらどうでしょうか?
何を言っているのかわからないかもしれませんが、子供の主張にも一分の理があるということです。子供はまだ子供ですからそのことを相手にわかるように主張できないのです。そして大人は自分が正しいに決まっていると思い込んでいます。自分が間違っているなんていう発想は全くありませんから、子供の主張に耳を傾けることが出来ないのです。
だからこそ頭ごなしに怒ってしまうのです。

子供の主張に耳を傾けるコツは子供こそが正しいと考えることです。子供が正しくて大人が間違っているという発想になることです。
子供が望ましくないことをすれば、怒るのではなく子供が何かを知らないのだから何を知らないのかを考えるのです。何が子供を望ましくない行動に駆り立てるのかを考えるのです。
子供が正しいと考えるのは客観的に子供の主張を受け取ることです。

子供が人前で泣き叫ぶ場面を想像してみてください。子供が泣き叫ぶことが正解だと考えてみてください。子供が泣き叫ぶのは何らかの目的を達成しようとしているのです。そして自信を持って子供が泣き叫ぶのであれば、これまで泣き叫ぶことで目的を達成した成功体験が必ずあるはずです。つまり泣き叫ぶように育てたのです。そういう意味で子供が正解なのです。
泣いて欲しくなければ、子供が泣き叫ぶ目的を取り除けば良いのです。泣き叫ぶ目的とは何らかの子供の欲求を達成することです。何かを買って欲しいとか何かをしたいとか、注射をしたくないなどの欲求です。大人が躊躇するのを子供は見逃しません。大人が動揺するとあと一息だと子供は確信して余計泣き叫びます。

子供が何度言っても片づけをしない場面を想像してみてください。
片づけをしないことが正解だということは理解できないかもしれません。
しかし子供の立場に立てばわかりやすい話です。子供は何故片付けなければいけないかわからないのです。怒られるから片付けなければならないということはわかっても、片付ける目的自体がわからないため怒られるまで片付けないのです。出来ることなら怒られても片づけたくはないのです。ただそれだけのことです。大人でも意味や目的のわからない作業を言いつけられたら、何でしなければならないの?と疑問を持ったまま行動できない人は多いと思います。大人は仕事と言われれば意味がわからなくても行動できる人もいますが、大人でも逃げ出してしまう人もいるでしょう。意味のわからないまま行動を強いられるのは誰にとってもつらいものです。意味がわからないまま行動のできる子供は言われた通り片づけができるのだと思います。意味がわからないままでは行動できない子供もいることを理解できれば、どうすれば片づけをする子供に育てることができるかわかると思います。片づけの意味がわからない子供は散らかっているものを一つの箱に放り込んでしまうとよいと思います。そうすれば探すことが大変だとわかるため、整理整頓すると次に使う際に探しやすいことがわかります。
片づけの目的がわかっていても片づけできないのであれば、具体的な片づけの仕方がわからない可能性も考えられます。大人にとっては整理整頓することが片付けることだと常識としてわかっていますが、誰かに教えてもらったはずです。その誰かに教えてもらったことは自然にわかることだと誤解していると、子供に説明することなく子供は理解していると勘違いしてしまうのです。片づけの仕方をしらないのに、片付けという号令だけかけられても子供にとってはどうしていいかわからないので困ってしまうのです。片付けという概念がわかっていても、片付け方が子供にはわからないのです。そして当然片付け方がわかっている思っている大人と片付け方がわからない子供の間に認識のずれがあるのです。子供にとってはあまりに当たり前に片付けするように言われるので、片付けができることが当然だと子供自身も考えさせられてしまうため片付け方を聞くことができないのです。そもそも子供にとって片付け方を聞くという概念そのものがないので、子供にはどうしようもないのです。大人から片付け方を教えてあげてみてください。

子供のやることが正解。
大人が間違っている。
この視点を少し考えてみてください。
子供の行動を客観的にみることを目的としています。
もし子供が自分自身の行動を客観的にみることができて、大人に指摘できればよいのですが、大人ですら自分自身のことを客観的にみることができない人が多いのですから子供に行動を客観的に把握することを求めるのは酷なことだと思います。
やはり大人が子供の行動を理解してあげるしかないと思います。

実際に子供が何をしても良いと言っているわけではありません。子供の行動にはこれまで培った理由があることを理解してほしいのです。
子供が嘘をついて困るというのも、子供が嘘をつくと得をしていたから嘘をついてしまうのです。嘘をつくと最終的に損をすることを誰も教えてくれないから嘘をつくだけのことです。

赤ちゃんにはわかるはずがないという思い込み

赤ちゃんにはわかるはずがないという思い込みがあります。
恐らく赤ちゃんには何もわからないとされているのが常識と言っても過言ではないと思います。
もし常識の方が間違っていて、赤ちゃんはあらゆることをわかっているとしたらどうでしょう?
ただ話せないだけでわかる訳がないと考えるのは大きな間違いだと思います。

赤ちゃんが物事をわかるはずがないと考えてしまう理由は、話ができないことが一つ。もう一つは自分たちが子供の頃のことを覚えていないからわかるわけがないと考えてしまうのです。

赤ちゃんはただ話せないだけで様々な物事をわかっているとしたらいかがでしょうか?赤ちゃんは考えてはいるけれども表現方法がないため、泣くことで周囲を思い通り動かすのです。
不快であったら泣いて、不快が改善されたら泣き止む。
寂しいなどの感情でも泣いて、寂しさが癒されると泣き止むのです。

赤ちゃんとはいえ、因果関係を理解します。
例えば爪が伸びていて手を動かした際に顔や頭を引っかいていても、そのうち自然と引っかかなくなります。
何故なら手を動かして引っかくと痛いということの因果関係を理解するからです。
因果関係を理解するまでの期間は赤ちゃんによってことなるかもしれませんが、引っかくことと痛みを理解した時点で自ら引っかくことはなくなります。ただし湿疹などの痒みがある場合は、痒みが収まるまでは掻き毟ってしまいます。痒みがない場合には引っかくことと痛みの因果関係により引っかかなくなります。

赤ちゃんが回りの人に笑いかけて、周りの人が笑ってくれると繰り返し笑うようになります。
笑いかけても周りの人が笑ってくれないと反応がないので笑わなくなります。

ちなみに赤ちゃんには写真や置物、人間と動物、イラストなどの区別がつかないので、それらの反応のないものにも笑いかけます。動かないことや反応がないことから、動かない物という概念を理解していきます。
生後2か月から4か月にはものに対して必死で笑いかけてアピールしますが、物と人の違いを理解することで物には愛想を振りまくことがなくなります。

赤ちゃんは物事を因果関係を考えながら理解していきます。
笑いかければ笑ってくれる。そのことがわかれば次も笑うようになります。
笑いかけても笑ってくれない。そのことがわかれば次は笑わなくなります。因果関係がないから無駄だと理解するのです。
最初のうちは物にも笑いかけますが次第に笑いかけなくなります。
笑いかけても反応しない人には、物と同じように笑ってくれないと理解して笑いかけなくなってしまいます。もしかしたら笑いかけても笑わない人は赤ちゃんにとっては物として理解しているのかもしれません。

赤ちゃんはまだ話せなくても親が話している言葉は理解している可能性がありますので、しっかり話しかけてあげましょう。生後3か月や4か月でも返事をする(ように見える)赤ちゃんもいるようですよ。

これからの子供たちに求められる能力

時代がどんどん変わっています。
今ある職業のいくつかは近い将来なくなる可能性があります。
ゼロにはならなくても仕事の数が減る職業も多々あります。
営業マンはインターネットに仕事を奪われてしまうでしょう。現時点で説得マンである自称営業マンは自然淘汰されてしまうことでしょう。
弁護士でさえ人工知能(AI)に仕事を奪われつつあるのですから、頭を使う仕事が安泰というわけではありません。
既に公認会計士は余っているという話もありますし、これからは税理士も会計ソフトの発達により仕事が減ってしまうことでしょう。
現時点では医者不足が叫ばれていますが、医者も2つの意味で余る時代がくると私は考えます。少なくとも人の余る診療科や地域が出てくると思います。

このような中必要とされる人の特徴を考えてみると、人の立場に立って考えることの出来る人が求められています。相手の立場に立って説明するのが望ましいことは説明のページでお伝えしました。相手の立場に立って物事を考えることが出来るようになれば、相手の望むことを提案することが出来ます。営業マンであれば理想の営業マンのお仕事である相手の欲しい物を売ることが出来るのです。逆に相手の欲しい物がわからないからこそ、自分の会社の物を良い物だと説得して売りつける説得マンになってしまうのです。商品開発においても消費者の立場に立って欲しい物を考えるのではなく、高くて売れそうな物を考えだそうとしてしまいます。消費者の欲しい物や便利になるものを実現するのが本来の商品開発の仕事のはずです。
説得マン、商品開発いずれも本来の目的からずれていることに起因します。本来の目的とは相手の欲しい物を提供するということです。では何が目的かというと利益を目的にしているのでブレるのです。
相手の立場に立って考えるようにすると、自然と利益が目的ではなくなるはずです。

営業マンや商品開発について書きましたが、どんな職種においてもありとあらゆる場面や様々な状況で、今後は相手の立場に立って考えることの出来る人だけが生き残ることが出来る時代が来ると思います。

近い将来記憶力には大した意味は無くなりますので、暗記ゲームである受験勉強なんてしている場合ではありません。如何に相手の立場に立って物事を考えることが出来るかをトレーニングする方が良いと私は思います。

実は現在成功している人の多くは相手の立場に立って物事を考えることのできる人です。営業成績の良い営業マンは意識せず相手の立場に立って考えています。起業家に多いのですが、売れる商品企画ができるのも消費者の立場に立って考えることのできる人です。相手の立場に立って物事を考える究極の形を示したのがスティーブ・ジョブズ氏だったと思います。消費者が欲しいと考えることを突き詰めて考え、それを実現することができた天才でした。いわば究極の消費者が商品開発責任者だったのです。一切の妥協を許さず商品開発をしたのでこれまでにないものができたのです。

天才の域まで突き詰めて相手の立場に立って考えることができなくても、日常生活の中で相手の立場に立って物事を考えることは誰にでもできることです。そのトレーニングを繰り返すことで様々な状況に対応できるようになるのです。

様々な人の立場に立って考えることができるようになることが、これからの子供たちに求められる能力だと思います。

後悔しない子育て

後悔しない子育てを考えています。
万が一取り返しのつかないことになってしまっては後悔してもしきれないからです。
例えば信号を守っていても信号無視の車にはねられたり、左折車や右折車に巻き込まれてしまうことはあるものです。
だから横断歩道でも右左右を見て渡るように伝えるのです。後悔しない子育てでは一歩進んで、右左右、後ろを見て横断歩道を渡ることを提案します。
後ろとは車道の右折車や左折車の巻き込み確認です。

車が交通ルールを守ってくれていれば、信号を守って右左右をよく見ることで事故は避けることができます。
しかし車を運転しているのは人間です。急いでいたり見落としや思い込みなどで右折や左折の際に巻き込んでしまうことはあり得ます。いくら歩行者が信号を守っていたとしても信号無視の車だけではなく、歩行者が車の死角にいるだけで巻き込んでしまいます。
事故に巻き込まれた後で、いくら運転手を責め立てても取り返しはつきません。万が一死んでしまったら、後悔してもしきれません。運転手を責めることは多少の慰めにはなるのかもしれませんが、失われた命はかえってきません。

事故にあってしまうと命が失われてしまう可能性がある。全ての事故を避けることは不可能ですが、少しでも命を失う可能性を下げることはできると私は考えています。
横断歩道を渡る際には右左右に加えて後ろを確認することです。これは私も実践しています。はねられて怪我をさせられて痛い思いをしたくありませんし、後で保障してもらったところで治療に要する時間がもったいないから自分の身は自分で守っています。実は運転手さんを守ることにもつながるのです。運転手さんも事故を起こしたくて運転している人はいないと思います。偶然が重なって歩行者が死角に入ってしまうことで事故が起こるのですから、歩行者も後ろも気を付けるようにするのです。

私は歩道を歩く際にもできるだけ車道から離れた側を歩くことを推奨しています。
可能性は低いながら車が歩道に乗り上げる可能性があるからです。
歩道を歩いていれば基本的には安全ですが、より安全なのは歩道の中でも車道から少しでも離れた側を歩くことです。

更には横断歩道で信号を待つ際には、すぐに渡れるように車道に面した場所で待つのではなく、少なくとも1・2メートルは下がって信号を待つことを推奨しています。
これには二つの意味があります。
一つは歩道を歩く際と同じように車が運転を誤って乗りあげる場合を考えると一番前にいると巻き込まれてしまうからです。
もう一つは後ろの人に不意に押されてしまうと道路に飛び出してしまうからです。不見識な子供がいたずらのつもりで背中を押すことは十分あり得ます。不意に押されれば体制を崩してしまい車道に飛び出してしまう可能性があります。押さないように学校で指導することも大切ですが、万が一不意に背中を押されても命を落とさないように横断歩道で道路に面した部分で信号待ちをしないように伝えるべきだとおもいます。確かに道路に面した部分で信号待ちをしていれば、1秒か2秒早く信号を渡ることはできるかもしれませんが、たったそれだけのために命がけで道路に面した部分で待つのは得策ではないと私は思います。

後悔しない子育てとは、あらゆる危険性を子供に伝え自分の身を守れる子供に育てるアドバイスをすることです。
危険に遭遇する可能性が低いから対策をしないのではなく、ちょっとした知恵で事故に巻き込まれる可能性を減らせるのであれば、できるだけ対策をすることが後悔しない子育てにつながります。

後悔しない子育てですが、今回は事故を避けることを書きました。後悔しないためには、他にも子供のことを考えていく必要があります。この子供のことを考えるのですが、子供の視点から考える必要があります。その子供の視点から考えることについても今後書いていきたいと思います。

笑顔の子育て 子供が何を学ぶかを考える

笑顔の子育てを提唱しています。

子供が何を学ぶかをあらかじめ考えることで対応を考えるのです。
親のとった行動により、子供が何を学習するかを考えるのです。

子供がスーパーでお菓子を買ってほしくて駄々をこねていることを想像してみてください。
泣き叫んでいる子供に、今日は買ってあげるけど次に泣いても買わないからねと言い聞かせました。子供は満面の笑みで分かったといいます。
次の日もまたお菓子を買ってほしくて泣き叫び始めました。
昨日約束したよね。と伝えても泣き叫ぶばかりです。
周りの人の目もあるし困り果ててしまいます。

このような場面で子供が何を学ぶかを考えてみます。
泣き叫んだ結果約束を破ってもお菓子を買ってもらえた場合、子供は約束を破っても泣き叫べばお菓子は買ってもらえると学習します。
人のいるところで泣き叫べば約束を破っても大丈夫だと学習するのです。
泣き叫んでもお菓子を買ってもらえなかった場合、子供は約束を破ると泣き叫んでもお菓子は買ってもらえないと学習します。
ですからまずどれだけ泣き叫んでもお菓子は買いませんと宣言します。
ただしすぐに泣き止めばお菓子は買わないけれど少しだけ何か良いことがありますと伝えるのです。例えば今回は買わないけれど次のときに買ってあげるなど、今度は親が約束を守れる範囲で提案をするのです。
先に泣き叫んでも買いませんと宣言して絶対に買わなければ、何かを買う目的で泣き叫ぶことは無駄だと学習します。逆に泣き叫ぶことで親が根負けしてしまえば、子供にとって親から怒られるのは乗り越えるべき障害でしかありません。親に怒られてでも泣き叫ぶという行為を頑張ったご褒美と学習しかねません。

結果として子供が何を学び取るかを考えると、自然ととるべき行動がわかってきます。
全く怒る必要なんてありませんし、ほとんどの場合は怒るという行為は逆効果です。ちょうど先日の怒ると褒める、北風と太陽の関係のように。
相手が何を学び取るかを考えた上で行動すれば、自然と笑顔の子育てになると思います。

子供がわかってくれれば、親も子も自然と笑顔があふれるのですから。

参考文献:アルフレッド・アドラー 人生に革命がおこる100の言葉より

怒ると褒める、北風と太陽の関係

子育てにおいて子供の間違った行動を修正するのに、怒る方法と褒める方法があります。

間違った行動をするとついつい怒ってしまいがちですが、子供は怒られるから行動をやめたとしても本質がわかっているわけではないのですぐに同じ行動をとってしまいます。北風と太陽の童話で旅人の服を脱がせようとする北風のようです。衣服を脱がせようとしても、北風は寒いからしっかり衣服を着込むので逆効果です。子供を怒るのも同じで逆効果です。

間違った行動をしないように怒るのではなく、間違った行動をしなければ褒めるようにするのです。褒められれば子供も嬉しいので間違った行動をしなくなります。怒られるという嫌な思いをする代わりに、笑顔で教えてあげるのです。褒めることで自分から行動するように促すのです。正に旅人が自分から衣服を脱ぐように仕向けたジリジリと太陽が照り付けることに似ています。

そもそも子供が間違った行動をとるのは、子供が何かを知らないだけです。知らないことを教えてあげるのを、怒って教えるか褒めて教えるかの違いです。あなたならどちらが嬉しいですか?選べるとすれば怒られながら教えてもらうのと褒められながら教えてもらうのをどちらを選びますか?

どうせなら子供の知らないことを褒めながら教えてあげてはいかがでしょうか?

ちなみに心理学を極め、若い頃に怒ることをやめた有名な心理学者アドラーは怒ることはもちろん褒めることも否定しています。何故なら褒めてもらえないと行動しない人に育ち、褒めてくれない人を敵だとみなすようになってしまうからだそうです。(参考文献:アルフレッド・アドラー、人生に革命の起こる100の言葉)

私は褒め方・伝え方の程度の問題で、褒められることに依存する程でなければ褒めても良いのではないかと思います。少なくとも怒ることよりも何倍も効果は高いと思います。怒られてイヤイヤ行動するのではなく、褒められることで自分からすすんで行動するようになるのですから。

ちなみに怒るという感情で子供を思い通り動かそうとしていると、子供はそれを見て学習するので、泣くという感情で親を思い通り動かそうとします。感情の攻防戦です。お互いの目的を知ると怒ることも泣くことも効率が悪いことが良くわかります。

親は感情ではなく知恵を使って子供が間違った行動を取らないようにしてあげたいですね。

子育ての常識革命 子供用が必要?

子育ての常識革命として色々考えています。
私にとってはすでに結論がでている状態ですが、まだご存じない方も多いかと思い書くことにしました。

今回は子供用のものに対して考えてみます。

子供用の製品があれば子供用を使うべき
という常識が間違っているという常識革命です。

子供用の製品についてです。
大人と子供の違いは基本的にはサイズです。
子供用の製品としてサイズの小さいものがあるのは当然です。椅子や机、自転車などは子供用を使うべきでしょう。
しかし子供用ボディーソープとか子供用の虫よけ、子供用の日焼け止めなどが売られていますが、それほど大人と子供で皮膚が異なるのでしょうか?大人と子供の皮膚の違いは皮膚の厚みです。表皮・真皮・皮下組織という皮膚の構造は変わりません。表皮の表面は角質層という角化したいわば死んだ細胞がバリア機能として身体を守っています。角化した細胞が傷つけられなければ良いわけですから、大人の皮膚で問題なければ子供の皮膚でも問題があるとは思えません。

では何故ボディソープや虫よけ、日焼け止めには大人用と子供用があるのでしょうか?
二つに分ければより多く売れるからだと思います。

まず大人と同じものを使ってみて、肌が赤くなるなどの問題があればやめればよいと思います。
問題がなければわざわざ子供用を使う必要はないと思います。

一言でいえば企業による『自称』子供用の製品です。
基本的に刺激が少ないとして、大人用よりも濃度を薄くしたり成分を少なくしているので確かに問題となることはないでしょう。元々大人用でも問題がないのですから更に問題にはならないはずです。その分不必要に効果を落としてお金を払っているようなものだと思います。

ただしシャンプーなどで目に沁みないなどの実用的な理由がある製品は子供用が良いと思います。明らかな違いがなければ『自称』子供用の製品かもしれません。

資本主義の弊害ですが、大人用で良いですよと言っても儲かるわけではないから誰も指摘しないのです。行政も特に問題があるわけではないから取り締まる必要も要望もないのが現状です。子供用を買う人がいても、大人用で良いと知っている人が子供用を買う必要がないことをわざわざ言うことはありません。

親御さんの心理としては子供用が売っていれば子供用にしなければいけないような錯覚に陥ります。その錯覚を利用して売り上げを上げることが子供用がある理由だと思います。
現実に大人用を使ってみて問題があればその時点で子供用を購入されてはいかがでしょうか?

 

 

赤ちゃんは泣くのが仕事というのはただの言い訳?

赤ちゃんは泣くのが仕事だという考え方があります。
赤ちゃんの立場から考えてみます。赤ちゃんとしては泣く前に察してほしいのに改善されないので仕方なく泣くのです。赤ちゃんは泣きたくて泣いている訳ではありません。仕方なく泣いているのです。

赤ちゃんが泣くのは色々な原因が考えられます。
お腹が空いたのか、おむつを替えて欲しいのか、暑いのか寒いのか、喉が渇いたのか抱っこしてほしいのか、寂しいのかはわかりません。泣いた時点で想像するしかないのです。
いずれにしても赤ちゃんは泣いた時点で何らかの欲求を満たす目的で泣いているのです。

赤ちゃんを観察していると、泣く前に表情が変わります。
表情が変わった時点で抱っこするなり、上記泣く理由を考えて先回りして対応することで泣くことを避けることができます。全く泣かさないことは当然不可能ですが、泣くのが仕事だから泣かせておけば良いというのは、ただの言い訳ではないでしょうか?
いかに泣かさないかを考えることこそが、子育ての本質だと思います。
赤ちゃんでもそうですし、子供になっても同じです。いかに泣かさないかを考えることこそが、子育てです。
ここで注意してほしいのは、泣かないように甘やかすということをお勧めしているわけではありません。赤ちゃんや子供が泣くのは目的があるので、その泣く目的を達成しないようにうまく回避すると泣くことを繰り返さないようになります。逆に泣くことで目的を達成してしまうと、成功パターンとして繰り返してしまうのです。

できるだけ泣かさないことが理想ですが、赤ちゃんや子供が泣いてしまうことは仕方のないことです。泣いてしまった状況をできるだけ繰り返さないように工夫していくことが大切だと思います。

今回の子育ての常識革命は赤ちゃんが泣くのが当たり前という常識から、赤ちゃんは泣かないのが当たり前で、泣かせてしまったら負けという考え方の提案です。

赤ちゃんは泣くのが仕事だと思っていると、意識として泣くのが当たり前だと思ってしまいます。
赤ちゃんが泣くのは仕方がないという言い訳をしているようなものだと私は思います。

泣かさない方法を探すことから逃げ出すための言い訳

多くの大人は泣かさない方法を探すことから逃げ出すための言い訳をしているのではないでしょうか?赤ちゃんが泣くのは仕方がない。泣かさない方法が存在するわけがないから、最初から探すことをせず言い訳を見つけたのです。
『赤ちゃんは泣くのが仕事』という言い訳を。
言い訳は問題と向き合わず逃げ出すためにすることです。
そのため言い訳人間は行動を改めることができません。
行動を改めることができないから赤ちゃんは泣き続けるしかないのです。
結果として赤ちゃんは『泣くのが仕事にさせられてしまう』のです。

赤ちゃんは笑うのが仕事だと私は思います。
子供も笑うのが仕事だと私は思います。

赤ちゃんは言葉が話せないので、感情で大人を動かすことしかできません。
泣くという感情で大人を動かすことを覚えると、大人を思い通りに動かしたければ泣けばよいと学習して育ちます。言葉が話せるようになっても自分の思い通りにならないと泣き叫ぶのはそのせいです。泣くことで欲求を満たしていた赤ちゃんの頃の名残なのです。
赤ちゃんが泣きだす前に表情から読み取って泣かないようにしてあげると、欲求を満たすためには泣かない子供に育つと思います。

改めて書きますが、言葉が話せるようになっても泣き叫ぶことで自分の欲を満たそうとするお子さんも対策を考えれば泣かないようになります。
コツは子供の泣く目的を探し、泣いてもその目的を達成できないことを伝えてしまうことです。(目的論
泣いても目的は達成されないから無駄だよと伝えるのです。

赤ちゃんや子供が泣くのが常識を書き替えてみましょう。
実際に泣かさないように子育てするのは大変ですが、もし実現できれば全く違う世界が見えてくるかもしれませんね。