最低賃金が時給1500円になるとおこること

最低賃金を上げることを目指して行動している人達がいるようです。

企業に対して賃上げ要求をするのならわかりますが、最低賃金を上げることを要求するのが私には理解出来ません。何故なら時給1500円分働いていると考えているのであれば、雇用者に要求すべきことです。雇用者に要求しないのは、要求しても認められないことがわかっているからでしょう。ただ最低賃金を時給1500円にして欲しいと主張することは自由です。自由ではありますが、まるでお金の仕組みを知らない子供がお小遣いを上げてくれと駄々をこねているようです。他の子はお小遣い1500円もらっているから僕も1500円にしてと主張しているようです(外国の例をあげて日本での時給1500円を主張)。しかもお小遣いを出す親ではなく学校に最低お小遣いを上げるように主張しているように受け取れます。(現実には学校で最低お小遣いなどという決まりはないのでただの例え話ですが…)

要求通り最低賃金が時給1500円になるとおこることを考えてみます。最低賃金を上げても売り上げが上がる訳ではありません。アルバイトの給料を払うために値上げは出来ませんから、同じ売り上げを維持するためには労働生産性を1.5倍に引き上げる必要があります。つまり働く能力・能率を引き上げる必要があります。具体的には機械化が一気に進むでしょう。

例えばファーストフードでは注文はタッチパネルになり支払いまで自動清算になるのではないかと思います。商品の製造も自動化する機械化が進むでしょう。現実に競争の激しい回転寿司ではタッチパネルが当たり前でシャリを作るロボットも当たり前になっています。タッチパネルを導入出来ない回転寿司は淘汰されつつあります。居酒屋でもタッチパネルが導入されつつあります。注文を受けることに人手を費やすのは非常に効率が悪いからです。お客さんが商品を選ぶ間お客さんの前でただ立って選ぶのを待つのは時間の無駄です。しかも店員が端末のボタンを押すだけであれば、お客さんにタッチパネルとして押してもらうだけのことです。まだタッチパネルが導入されていない業種は、経営陣がその意味を理解していないのか、まだそこまでしなくても良いだけの経営に余裕があるのです。

最低賃金が時給1500円になった時点でタッチパネル化が一気に進みます。今は3人でしている仕事を2人か場合によっては1人でこなさなければなりません。そして時給1500円支払う価値のある気の利く人だけが残ることが出来るでしょう。ファミリーレストランでも同じことが起こります。まだ店員が端末を操作して注文を受けていますが、タッチパネルが導入されるのは時間の問題です。効率化すればタッチパネルで注文し料理が出来た時点で席に案内される時代が来るかもしれません。

時給1500円になることで無駄が省かれて効率化されるので、消費者にとっては便利になるので良いことです。一方アルバイトする人にとっては自らの首を絞めるような要求のように思います。

ちなみに外国で時給1500円で成り立つのは、そもそも物価が高い国か、チップの廃止の代わりに高い時給にしているからです。物価に対して妥当だから成り立つのです。物価が変動し、経営陣が時給1500円が高いと考えれば、タッチパネルなど機械化されていくでしょう。その過渡期だから成り立っているだけのことです。

将来医者が余るなら薬剤師は?

将来医者が余ることは既定路線です。

それぞれ人工知能、糖質回避による予防医学の発達、インターネット、医学部の定員が多過ぎることなどが原因で医者が余る時代がやってきます。いつ余るかの時間の問題であって、どのように考えても今のように不足したままということはなさそうです。

では薬剤師はどうでしょうか?一言で言えば医者よりも余るでしょう。今の薬剤師さんのお仕事は人工知能も必要がありません。インフラの整備で現在の技術で安全に機械が代替出来るのではないかと思います。法律の問題だけです。

処方箋からお薬を出すのですが、副作用の確認と飲み合わせの確認が主な仕事です。オンラインで全ての処方内容を一元管理すれば飲み合わせの確認の必要はほとんどありません。ほとんどというのは保険診療以外の自由診療の分はカバー出来ないからです。

今でも法律が許さないので、宅配が実現しないだけです。処方箋をあらかじめファックスしておいて、処方薬を自宅に届けてもらって処方箋と交換する仕組みを法律が認めればすぐにでも薬剤師は余ってしまうでしょう。

インターネットが活用されれば更に加速されるでしょう。将来は恐らく診断すら人工知能が行うことが出来る時代がやってきます。医者の処方した処方箋に従って薬を選ぶ薬剤師の仕事を機械に置き換えるのは医者よりは容易に思います。いつまで生身の人間を求めるのかですが、生身の医者が余るよりも早く薬剤師が余る時代がやってくるでしょう。雇用を守るために必死で薬剤師会は抵抗すると思いますが、多数決で決める民主主義の仕組みからは薬剤師以外の仕事の人が大多数なので結果は明らかでしょう。

機械が薬剤師の代わりをしはじめても、もちろん生身の薬剤師さんを希望される患者さんも大勢おられると思います。しかし時代の流れからするといずれは機械に置き換わると私は思います。

資格があればいつまでも安心して働ける時代はもうすぐ終わります。薬剤師の資格を取れば安心して働けるのはいつまで続くかはわかりません。法律が宅配を認めてしまえばたった数年で余るようになると思います。(すぐに法律が変わることはないとは思いますが、薬剤師免許を取れば一生安泰だとは思わない方が私は良いと思います。)

現在医者が足らないと言われるのは、診療科が細分化されているからです。歯科は細分化されていないので既に余っています。薬剤師も医者の診療科のように細分化されていないことを考えると、余る時代はみんなが思っているよりも早くやってくるのかもしれません。

20年後・30年後に仕事がどのように変わっているかはわかりません。想像力と創造力を働かせて、考えるしかないと私は思います。

みんな余り気づいていませんが、実は凄い時代に生きていますね。

医者が余ると給料は下がる?

一言でタイトルの答えを書くと給料の上がる医者と下がる医者がいます。その理由を書いていきます。

近い将来医者が余ることは間違いありません。その理由は

これらが言われています。

厚生労働省も認めたので、これから医者が余ることは紛れもない事実です。問題は医者が余ることでどのようなことが起こるかです。

国家資格にも関わらず、一足先に過剰になっている業界に歯科医師と弁護士があります。いずれも過剰となったために、需要と供給のバランスから勤務歯科医師や勤務弁護士は安い給料で働くことを余儀なくされています。どうしても経験を積む必要があるため、安い給料でも働かざるをえないのです。一説によると勤務歯科医師は夜勤をする看護師さんの給料よりも少ないというデータも存在するようです。弁護士ではせっかく国家試験に合格しても登録料が払えない人もいるという話も聞こえてきます。

国家試験に合格すれば安泰な時代は終わりつつあるようです。その話が医師免許にも拡大するだけのことです。

現実にどのようなことが予測出来るかというと、勤務医では横並びの給料が診療科によって変わるということです。市場原理が導入されることが予想されます。小児科・産婦人科など今のところなり手の少ない診療科の給料が上がり、希望者の多い診療科の給料は下がることが考えられます。

そもそも医者の偏在の理由の一つが同じ給料が前提で、診療科の忙しさ・責任の重さが給料に反映されないことです。忙しくても暇でも給料が同じであれば、暇な診療科を選ぶ医者が多いのも仕方のないことだと思います。考え方は共産主義に似ているのではないかと思います。歴史を見ても共産主義は人間の本質には合わず多くが破綻しています。むしろ診療科毎に給料が異なることが資本主義の世の中にあってあると私は思います。実は都会と田舎では田舎の方が給料が高い傾向にはあるのですが、是正されず田舎の医者が減るのはそれでもまだ給料が安いと考える医者が多いのだと思います。

医者が余る時代になると安い給料でも働かざるを得ない状況に陥ります。ましてや簡単に開業など成り立たないようになります。今の歯科医師の開業状況を見ても苦戦ぶりがよくわかります。腕が良くて、人当たりが良くて当たり前、更に何かがなければ経営が難しいのが現状です。歯科医師の場合、経営手腕が問われる状況になっています。どれだけ理不尽な物言いをしても経営が成り立つ医者とは対照的です。この状況が近い将来開業の歯科医のように変わるでしょう。

安い給料で働く医者が出てくれば、逆に高い給料を支払うことも出来ます。医者が不足している診療科は、給料を上げることで人材を確保しようとします。市場原理が働くのです。資本主義では当たり前の市場原理がこれまで働かず、横並びの給料だったことが問題なのです。

既に麻酔科医はアルバイトという形で非常に高い給料を得ています。他の診療科でも需要と供給のバランスから、給料が上下するようになるでしょう。

医師免許があれば無条件で高い給料という時代はもうすぐ終わりを告げるでしょう。遅くとも20年、早ければ10年で診療科による給料の格差は始まるでしょう。経営が成り立たなくなる病院も出てくるので、医者を取り巻く環境は激変するのではないかと思います。人々に予防医学である糖質回避が広まり、患者さんが減り医者が増える時代がやってきます。冷静に給料がどうなるか考えてみてください。自然に考えれば全体的には下がり、一部不足している診療科の給料は上がると私は思います。

具体的な年収の予測は今の医者の平均年収と看護師の平均年収の中間程度に落ち着くのではないかと思います。理由は医者は診療科ごとに診察内容が異なるため、今の歯科医師のような過剰具合にはならないと思うからです。もし私の予測をこえて医者の余り方が急速に過剰になれば、歯科医師のように看護師さんと同程度の給料になる可能性も考えられます。特に一度常勤で雇用すると待遇を変えることは困難なため、新しく雇用する若手の医者の待遇だけが急速に悪化するようになるかもしれません。次の段階として病院の経営が悪化した時点で医者の給料が下がり始めると思います。

予防医学が進みすぎて、医者が全くいらない世の中になることはさすがに私が生きている間には実現しないとは思いますが…。

生き残ることが出来るのは変化出来る人だけ

既に気付いている人も全く気付いていない人もいますが、実は激動の時代です。物凄い勢いで世の中が変わりつつあります。一つの原因は技術革新です。インターネットが様々な事柄を変えてしまいました。そして変えつつあります。将来営業マンがいなくなるのは既に書いた通りです。わざわざ営業マンから割高な商品を買わないからです。営業マンがいなくなるのは早いか遅いかの違いです。製薬会社でも動きの早い企業は既に営業マンの人数を減らしはじめました。

これからの時代生き残ることが出来るのは変化出来る人だけです。何故なら環境が変化するので、変化に合わせて自らが変わるしか無いのです。人は自分に都合の悪い情報を信じようとしない傾向がありますので、変化しなくて良いのではないかと考えがちです。しかし環境が変化することは間違いありません。環境が変化するのに変わらなくて良い理由はないはずです。

生物の進化の歴史においても変化に適応出来た生物のみが子孫を残し、生き残ることが出来ました。同じようなことが人間社会においても繰り広げられるのです。というよりも既に繰り広げられています。消費者に求められる商品は売れますが、消費者に受け入れられない商品は淘汰されました。商品だけでなく仕事も技術革新により淘汰されたものがいくつもあります。例えば新聞や雑誌の活字を選ぶ写植という仕事は完全にワープロやコンピュータに奪われました。路線バスの車掌さんもワンマンカーになったため必要なくなりました。踏切の遮断機の上げ下ろしをする係員も自動の遮断機にとって代わられました。このようにいつの間にか仕事が失われているのです。

資本主義による競争が人類に適しているのは、自然界の自然淘汰の仕組みに似ているからです。生存競争に生き残った人類の進化の歴史を踏襲するものだから適しているのです。

環境の変化は当たり前です。その当たり前に対応するために自らが変化出来る人だけです。そして間違った変化をしてしまうと一番に淘汰されます。適切な変化を出来るように未来を見据えて物事を考えるようにしましょう。

 

近い将来医者が余る3つ目の理由

ある程度成績が良いと医学部に進学するという風潮があるようです。何故なら医学部に進学した時点でその多くが医者になれるからです。そして一度医者になれば生涯安泰だと考えられています。だからこそ親は安心な資格として医師免許をとるように促します。

丁度30年程前に歯科医が人気だったことが思い出されます。医学部程は難しく無く、当時は収入も多かったからです。今では歯科医が増えてしまった上に、虫歯の数自体が減っているので経営は大変です。需要と供給のバランスで勤務している歯科医の待遇は悪くなる一方のようです。資格があっても待遇が悪くなっているのは弁護士や公認会計士も同じようです。弁護士や公認会計士もやはりコンピュータに仕事が奪われつつあります。

資格があるから安心というのは過去の幻想のようです。

前回近い将来医者が余る2つの理由と題して記事を書きました。1つは糖質回避により病気そのものが減ること。2つ目は人工知能により医者が生身の人間である必要がなくなるということです。そしてふと3つ目の理由を見つけました。今回はそのことに関して書こうと思います。3つ目の理由に関しては現在進行形で既に始まっています。インターネットの情報により受診する必要が減ることです。

インターネットが出てくる以前は、何か身体に不調があると病院を受診していました。少し気の回る人は家庭の医学などで調べて、必要があれば病院を受診していましたが大半の方はすぐに病院を受診していました。今では違います。困ったことがあればまずインターネットで検索します。間違った情報もありますが、大まかな知識を得ることが出来るようになっています。以前はその大まかな知識すら医者に聞くしか知ることが出来ませんでした。本による正確な知識を得ようと思えば、医学書を読むしか無かったからです。

今では医者だけでなく患者さん自ら情報発信する時代です。情報発信する視点は様々ですが、自分の病気を公表し治療法や経過が掲載されているものもあります。結局は健康食品の宣伝とか、広告収入目当てで大袈裟に書いてあるページも散見されるのはご愛嬌です。同じ病気で悩んでいる人の助けになることを目的とした患者さん自らの情報発信もあります。それらの情報はこれまでにない効果をもたらします。医者でも知らないような情報も含まれているのです。つまりこれまでは偶然知り合いに同じ病気の人がいなければ知りえなかったことをインターネットを通じて、知ることが出来るのです。

そもそも病気の治療を医者が独占していたのは、安全性を担保しながら医療を提供するには効率が良かったからです。膨大な病気に関する情報の中から病気を検索し、診断することが人間の頭脳を使うしか無かったのです。その状況が一変したのはインターネットとそよ検索システムです。人間の頭脳にしか出来なかった情報の中から必要な情報を取り出すことをいとも簡単に出来るようになったのです。今の所インターネットの情報は玉石混交で、正しい情報を取り出すにはそれなりの知識やテクニックを要します。しかし医者にかかる以外他に選択肢の無かった時代から考えると天と地ほどの差があります。自分で病気の情報を探す人が増えつつあるのです。このことが医者が余る世の中を加速していきます。

安全性が担保されながらもっと効率が良い方法があれば、そちらにシフトするのは当然の流れです。

現在起こりつつあることは、今の所診断をつけてもらうのは医者であっても、診断の根拠を自ら検証し治療法(治る方法)を探す時代になりつつあります。現在のところインターネットには体系立てて診断する仕組みが無いため、患者さん自身の診断は誤りが多いのですがインターネットで体系立てて診断する仕組みさえ出来てしまえば、診断のために受診しなくて済む時代が来るかも知れません。

しかも医者を受診すると病気を治る方法ではなく、治さない方法を教えられる可能性まであるのですから、本当のことを知った人から順に益々医者離れが加速するでしょう。例えば2型糖尿病アトピー性皮膚炎ニキビなどは糖質回避により簡単に治るにも関わらず治らない方法しか医者が知らないのですから厄介です。そして治ることを知っても自分の利益を守るために、患者さんに教えようとしない医者もいることでしょう。治る方法を教えてくれない医者は淘汰される時代がやって来るでしょう。

医療業界は激動の時代に突入します。この話を信じるか信じないかは貴方次第です。

これから医者になる人が考えるべきこと

これから医者になろうとしている人に伝えたいことがあります。それは医者が余る時代が来るということです。様々な情報を元に客観的に考えると一つの結論に行き着きます。医者が余るか余らないかではありません。いつになったら余る時代になるかという時間の問題なのです。詳しくは近い将来医者が余る2つの理由をご覧ください。

医者になって自分は偉いと勘違いしている人は論外ですが、医者になることで目的を達成し思考停止に陥っている人も大勢見受けられます。自分達だけが医師免許という病気を治す特権を持っていると錯覚しているのです。そういう人達は医師免許があっても近い将来淘汰されていきます。ましてや患者さんを怒るような医者は恥ずかしい勘違いをしているので淘汰も早いと思います。

医者が余ることを考えられないか、医者が余ることはわかっていても自分達の利権のために医者は足らないことにしている人達がいるようです。足らないと言っている方が待遇が良くなるため、医師会などは足らないと言っているのかもしれません。医者を増やし過ぎてしまうと後で困るのですが、そこまで想像出来ないようです。足らないことにしている人達に医学部を新設し役職を作り出そうとしている輩もいるようです。丁度数十年前に歯科医が直面した問題とよく似ています。歯科医が自分達の子供を入学させるために私立の歯大を作り、虫歯の予防医学が発達したことと合わさって歯科医が余る時代に突入しています。

医者もそうなるでしょう。糖質を避けるという予防医学で患者さんが激減し存在意義が薄れ、人工知能による診断・治療で医者はトドメを刺されることでしょう。かつてはインターネットや人工知能がありませんでしたから生身の人間が知識を蓄えて経験を元に診断・治療を行うしか無かっただけです。人工知能が診断・治療を行うことが出来るようになれば、必ずしも生身の人間である必要はないはずです。医師会などは反対するでしょうが、自分達の利権を守りたい利己的な考えに過ぎません。他に病気を治す選択肢が出来れば医師に頼る必要がなくなります。ましてや病気を予防出来るのであれば、ますます医者の出番はなくなります。

かろうじて生き残ることが出来る医者は、自らが考えることの出来る医者のみです。新しい病気や治療法を発見することは人工知能には今のところ難しいと思いますから、当面人工知能に置き換わることは無いと思います。逆にこれまで診断された病気と照らし合わせて診断し、治療法を選択するのは、人工知能の方が遥かに有利です。恐らくどんなに天才的な医者でも人工知能には太刀打ち出来ない時代がやって来るでしょう。何故なら人工知能は絶えず最新の情報に基づいて判断出来るからです。生身の人間のような思い込みによるミスなどのヒューマンエラーが起こり得ないからです。

人工知能に出来ない価値を提供できる能力がこれからの医者に求められますが、人工知能に勝てそうになければ別の選択肢を模索する方が賢いと私は思います。少なくとも医者になることが目的ではなく、スタートラインだと考えることの出来る人以外は医者になるのはやめておく方が良いと私は考えます。

これまで医者の待遇が良すぎたのかもしれません。身体の修理屋さんでしかない医者が高待遇だったのは人々の命に関わることだからです。そして膨大な知識を頭の中に蓄えて判断する必要があったから、その努力に対するご褒美の意味がありました。今では人間の頭という検索システムよりもはるかに優秀な検索システム・仕組みが出来つつあるので、高待遇にする必要がなくなりつつあるのです。身体の修理屋さんに過ぎない医者よりも、人間を生み出すことの出来る女性の方が遥かに偉いと私は思います。様々な産業を見ても生み出す人より修理屋さんの方が高待遇な業界はそうはないと思います。扱うのが人間の健康だという特殊性が生み出した歪みです。これらを考え合わせると、医者の待遇は30年くらいの時間をかけて適正な待遇に落ち着くのではないかと思います。

医者になれば一生安泰な時代は間も無く終わります。そのことを踏まえて、それでも医者を目指すのか、他の道を選択するのか良く考える方が良いと思います。何を目的に医者を目指すのかです。

近い将来銀行は淘汰されていく

銀行に対して恨みがある訳ではありませんが冷静に考えて、近い将来銀行は淘汰されていくと思います。特に地方銀行はかなり厳しい状況に追い込まれそうです。50歳代の銀行員は定年まで何とか持ちこたえられるかもしれませんが、40歳代はかなり厳しいと思います。このマイナス金利で急激に銀行員の未来が閉ざされつつあります。30歳代は間違いなく銀行の統廃合に直面すると思います。

将来に渡って安泰だと誤解されている医者のことを考えても2つの理由から悲観的です。医者は余るので、恐らく待遇は悪化します。丁度参考になるのが歯科医です。歯大を作り歯科医を量産したあと、予防が徹底されたため患者さんの争奪戦となっています。一説によると歯科の勤務医は看護師さんよりも年収が少ないというデータも拝見したことがあります。

話が脱線しましたが、今回予想するのは銀行です。

銀行は人や会社にお金を貸すことで金利により商売をしています。これまではお金を貸す側が主導権を握っていました。お金を貸しても大丈夫な人を選んで貸していました。お金を貸す相手を選ぶこと自体は、確かに仕方のないことでもありました。貸したお金が返ってこなければ意味がありません。貸したお金が返すことが出来るかどうかを見極める与信という作業にノウハウが蓄積され、ここが銀行員の腕の見せ所でした。

お金を借りることの出来る人は、銀行を選ぶ時代になりました。地元の銀行で借りるのが当たり前でしたが、金利が銀行によって異なるので金利の安い銀行を選ぶ時代になったのです。しかも金利が下がっている今は、借り換えると借り手も新たな貸し手とも得をする仕組みです。既に銀行からお金を借りているということはお金を貸す際の最も大切な与信をクリアしているのですから、借り換えてもらえればリスクも低く銀行にとってもお得です。

低金利に見合わないリスクであれば、借り換えを受けないだけのことです。つまりリスクの少ない借り手は低金利にドンドン乗り換えていきます。特に住宅ローンは借り換えリスクも低く、低金利での借り換えが可能です。返済期間がかなり長いので金利差が大きくなるからです。

現在は銀行員が行っている与信も、近い将来人工知能が活用されるに違いありません。嘘を見抜いたり必要な情報を集めるのは当面人間でないと無理かもしれませんが、必要な情報から融資可能かどうかの判断は人工知能の方が得意になるかもしれません。

これから銀行同士の競争が激化します。リスクの低い人達の住宅ローンを中心にした銀行が低金利で引き受けます。通常の銀行は金利以外の魅力を打ち出せなければ住宅ローンを扱うことはなくなります。

更に伏兵はインターネットです。住宅ローンは金利の安い銀行に集約されます。インターネット銀行が住宅ローンを扱うようになると思います。もしかしたら私が知らなだけで既に始まっているかもしれません。他にもインターネットに取って代わられる分野があります。企業への融資です。アイディア一つで、銀行のように細かいことを言われずインターネットを使って資金を集める方法が生まれました。クラウドファウンディングという手法です。アイディアをインターネット上に露出し、そのアイディアの製品を購入したい人が開発費を負担する代わりに安く手に入れる仕組みです。消費者にとっても作り手にとってもお得な仕組みです。クラウドファウンディングを利用するのは、元々銀行に融資してもらうような案件ではないことが多いとは思いますが、企業がお得だと思えば銀行を利用しなくなると思います。アイディア一つで市場調査も兼ねているので銀行の融資係よりはるかに合理的です。

かといって銀行という業種はなくならないとは思いますが、銀行の数が今ほど必要はなくなると思います。必然的に銀行の数が減ると思います。銀行員をリストラして現在と同じような待遇を維持するか、リストラせずに人数を保ったまま待遇を悪化させるかです。他の業種で起こっていることを考えれば恐らくリストラが起こるのではないかと思います。

銀行員の人達は今のうちに次の展開を考えておく方が良さそうです。今から銀行員になろうと考えている人は、銀行の仕事が競争にさらされていることを知っておく方が良いと思います。銀行は様々な制約を受けてはいますが、国から認可を受けた業務を独占しているので努力を怠っていました。そのツケを一気に払わされることになりそうです。例えば振り込み業務は長年15時で終わりです。ネット決済がこれだけ発達してもこのルールを改善しようとしませんでした(ようやく改善するようですが…)。何故なら銀行以外が振り込み出来ず、競争相手がいなかったからです。競争相手がいないので、改善しなくても困らなかったのです。銀行の独占業務に守られていましたが、これからは銀行同士の競争が激化するのですから大変だと思います。

目まぐるしい勢いで状況が変わる現代において、将来にわたって安泰な仕事はなさそうです。医者も銀行員も厳しい時代がやってきそうです。

今の赤ちゃんが働く頃にはどんな世の中になっているのか怖くもあり、楽しみでもあります。

糖質は万病の元

新しい諺(ことわざ)を考えてみました。
嘘つきは泥棒の始まり
の文言を変えてみました。

糖質の摂り過ぎは病気の始まり

糖質の食べ過ぎが様々な病気の始まりであり、糖質が様々な病気を引き起こすことをあらわそうと考えました。
しかししっくりきません。

ふと考えたのが諺かどうかわかりませんが、風邪は万病の元を変えることにしました。

糖質は万病の元

糖質の摂り過ぎが多くの病気を引き起こすことを表す諺として広まると良いなと思います。

現在糖質を控えること(糖質回避)で改善や治癒した病気は、2型糖尿病、各種アレルギー(アトピー性皮膚炎、花粉症、蕁麻疹、気管支喘息など)をはじめ、自己免疫性疾患(円形脱毛症、尋常性白斑)、慢性感染症(尋常性ざ瘡:ニキビ、尋常性疣贅:イボ)などです。

各種病気の改善率はこちらをご参照ください。

恐らく糖質は免疫機能が関わる疾患の多くに関わっています。そして糖質依存として糖質自体の食べ過ぎによる2型糖尿病や、糖質を食べる際に陥った塩分依存による高血圧なども改善が期待できます。まだ実績はなくても、多くのアレルギーや自己免疫性疾患は糖質回避で改善すると私は考えています。逆にこれだけ糖質回避で改善している疾患があることから、他の疾患が治らない可能性は低いと考えています。実績が積み上がることが期待されます。

そしていつものパンがあなたを殺すの著者によると、アルツハイマーやうつ病や不眠症、ADHDなどの原因が小麦のグルテンだと指摘し、事実グルテンフリーにすることで症状が改善しているそうです。私は欧米人はパンを主食としているので偶然グルテンが容疑者として検出されただけで、真犯人は糖質だと考えています。複雑な副反応でグルテンが陽性に検出されたのだと思います。わざわざ検査しなくても糖質を控えることで症状は改善すると考えています。

まだ糖質の摂り過ぎが原因だと考えられてすらいない様々な病気も、次第に真相が明らかにされていくことでしょう。

20年も経てば糖質が万病の元というのは当たり前の常識と化すので、わざわざ諺として言われなくなると私は予想しています。

近い将来医者が余る2つの理由

成績が良いと医者になろうとするのが昨今の風潮のようです。偏差値が高い大学の学歴でも仕事にありつけるかどうかわからない世の中ですから、人間性に関わらず職にありつける資格・免許に人気が殺到するのは自然の流れのようです。

医者不足医者不足との報道が医者人気に拍車をかけます。ちなみに医者不足は地方と都市部では意味が異なります。地方の医者不足は命を救うための人手不足という本当の意味での医者不足ですが、都会の医者不足は経営のための医者不足です。そして診療科の医者偏在の影響もあって深刻化していきます。実は診療科によっては余り気味の診療科はあっても、余っていることを宣伝する医者はいないようです。

これまで歯医者さんは余り、医者は不足していた理由は歯医者さんは虫歯の治療が中心で矯正歯科と審美歯科が亜流としてある程度で1つの診療科に集中しているからです。大半が虫歯の治療のため、歯科大学を卒業した歯科医が一つの診療科に殺到しているような状況です。更に虫歯の予防が浸透したこととあり、子供達の虫歯率そのものが下がっているそうです。歯科医は増え、患者さんが減るので、歯科医が余ってしまうのです。結果として勤務医を含めた歯科医の平均年収が下がっているようです。看護師の平均年収を下回ったデータを拝見したことがあります。

医者が今のところ不足が言われているのは、診療科が細分化されているおかげです。医学部の卒業生が様々な診療科に分かれているため、競合しないのです。

今後は2つの理由から医者が余る時代が来ると予測しています。
病気が減ることと医者が必要なくなる話です。

厚生労働省は医学部の定員増により2040年には医者が余ることを認めましたが、この話は私の考えている医者が余ることとは別の問題です。

病気そのものが減る

医者が余る一つの原因はこのサイトで紹介している糖質回避が広まることで、病気そのものが失くなるおかげです。病気で悩む患者さんが減るので喜ぶべきことです。一部の利己的な医者は糖質回避により病気が失くなることで患者さんがいなくなることを恐れ、妨害するかも知れません。しかしインターネットによって糖質回避により病気が失くなる知恵が広まることを避けることは出来ないと思います。結果として各種アレルギーは激減し、2型糖尿病や高血圧、心筋梗塞や脳梗塞なども減るので、医者が今程いらなくなってしまいます。
参考:糖質回避は医者回避

人工知能による診断・治療

原因のもう一つは、テクノロジーの進化です。人工知能が発達することにより、正確な診断を下すことの出来るシステムが近い将来出来ると思います。既に弁護士の世界では、かつては弁護士行っていた過去の判例検索を人工知能が行うようになりつつあるそうです。過去の病気と照らし合わせ、病気の診断を下すのは過去の判例検索と似たシステムとなるため、近い将来実現すると思います。そのうえその人工知能をスマホに結びつけることで、患者さんの利便性を格段に向上させ病院に行く手間を極力省いてしまいます。身体の不調があればスマホに症状を入力し、簡易診断を仰ぐことも近い将来実現するでしょう。病院は簡易診断の中から、検査をすることで診断を確定するだけの場所になるのかも知れません。医者は自分の頭を使う必要がなくなるため、もしかしたら生身の医者は飾りのような存在になってしまうかも知れません。

少なくとも人工知能が医者の診断の補助をする時代はすぐにやってくると思います。24時間365日休みなく文句を言わずに働き、人間的なミスも犯さず、最新の医学的な知見を取り込み、感情的になることもない人工知能に勝てる人間はいません。そのような存在がサポートしてくれるようになれば、診断に要する時間を大幅に短縮することが出来ます。そして人工知能は一つ作ってしまえば、簡単に複製することが出来ます。生身の医者を1人養成するのに何年、場合によっては二十年・三十年もの時間がかかるのと対照的です。それこそクラウドにして各部署からアクセスする仕組みにしてしまえば複製することすら必要なくなります。

人工知能が直接診断を下す世の中は少し先の未来かも知れませんが、人工知能が医者を補助する時代はすぐそこだと思います。少なくとも私が生きている間には実現するでしょう。

実際には医師会は必死で邪魔するでしょうし、製薬会社も含めて様々な思惑が絡み合うので一気に医者が余ることは無いとは思います。まずは診療科毎の医者の過不足が問題となると思います。そうなると需要と供給の兼ね合いで、余る診療科の給料は下がり、足らない診療科の給料が上がることが考えられます。仕事内容が異なるのに同じ給料体系である今の勤務医の仕組みそのものの方がおかしいのです。これまで診療科によらず横並びだった医者の給料が、需要と供給によって決まる競争が起こるかも知れません。または余る診療科の求人がないため、足らない診療科を選ばざるおえない医者が出てくるかも知れません。ようやく本当の意味での資本主義の仕組みが医者の世界に導入されることになるのかも知れません。

成績が良いから医者、将来就職先に困らないから医者になるという人は、将来の医者の置かれる立場を改めて良く考える時かも知れません。

これから医者になる人が考えるべきことを考えてみました。良かったらご参照ください。

近い将来医者が余る3つ目の理由を新たに考えました。医者が余ると給料は下がる?を合わせて掲載しました。良かったらご参照ください。

医者が余った後の待遇の変化を追加しました。

 

無から有を生み出す能力

今から求められる人材は無から有を生み出すことの出来る人だと思います。
元々有るものを工夫するのは多くの人が出来るでしょう。そして10年もしないうちに機械がちょっとした工夫はしてしまう世の中になってしまうでしょう。
30年もすると人工知能が人類の知恵をこえてしまうそうです(特異点:シンギュラリティ)。すなわち無から有を機械が生み出してしまう世の中が来ることになることを意味します。

いずれは機械にとってかわられるとしても、少なくともこれからは無から有を生み出す能力が求められます。
何もないところから仕事を作り出すのです。1人の天才がiPhoneやiPadを作り出したように。

無から有を生み出すことは多くの人には難しいと感じてしまうことでしょう。何故なら学生時代必ず答えの準備された問題から、答えを探し出すトレーニングを繰り返されるため、今有るものの中から答えを探すように頭の使い方が出来上がっているのです。(常識の話)

しかし子供の頃は違っていました。何でもないものから何かしら意味を見出して遊ぶことで、無から有を生み出すトレーニングをしていたのです。具体的にはただの石ころに意味を見出して遊んだり、ただの鬼ごっこに捕まえる側と捕まえられる側とに分けて警察と泥棒の意味を見出して遊んだりしていました。

小さい子供は何もない広場でも石ころや落ち葉を見つけて何かしらの自分なりの意味を見出して遊ぶことで、無から有を生み出すトレーニングをしていたのです。そこに携帯ゲームやスマホなどの遊び方を人に決められた遊びに慣れてしまうと、無から有を生み出す能力を失ってしまうようです。携帯ゲームや無料ゲームは飽きない仕組みを作り出すので、子供達が本来の遊びの目的から遠ざけてしまう厄介な存在です。

無から有を生み出す能力はゲームや受験勉強で削ぎ落とされてしまうようです。

無から有を生み出す能力について改めて意識してみることから始めてみると良いと私は思います。例えば何か新しいイベントを考えてみてはいかがでしょうか?家族や親しい友人とのイベントです。自分自身が楽しくなければ意味がありません。そして新しい家族や親しい友人も楽しめなくては、迷惑なだけのイベントです。参加する人が楽しむことが出来るなら、外でバーベキューでも家でタコ焼きパーティーでも、何でも良いのです。これまでやったことのないイベントを企画してみるだけでも、無から有を生み出す能力のトレーニングになります。無理のない簡単なことから楽しみながらトレーニングしてみましょう。