糖質回避でニキビ改善

糖質回避をしてニキビが改善する患者さんがおられます。

本でも読みましたし、患者かんからも直接お伺いしたこともありました。

ふと気付くと私の胸に出来ていたニキビが出来なくなっています。写真を撮っておけば良かったのですが、気にしていなかったので写真は撮っていませんでした。

少なくともニキビは糖質回避で治りそうです。まさか自分で実感するとは思いませんでした。

ある皮膚科の先生とお話すると、尋常性乾癬の方が痩せたら治った方を経験されたそうです。本に書いてある通りです。

糖化産物原罪説は間違いないかも知れません。

少なくとも原因不明の病気は糖質回避を試してみても良いかもしれません。

太る原因 糖質?カロリー?

太る原因を考えてみます。
糖質でしょうか?カロリーでしょうか?どちらも理屈の上では間違ってはいないはずなのに、糖質回避の方が痩せやすいのはなぜでしょうか?理由は簡単です

太る原因は糖質だからです。

糖質で太る原因は二つあります。
炭水化物は優先的に脂肪になることと、糖質依存です。

炭水化物は優先的に脂肪になる?

炭水化物が消化されブドウ糖として吸収されます。
このブドウ糖が実はエネルギー効率が悪いそうです。
しかも高濃度になる高血糖の状態になると身体にトラブルを起こす毒になるのです。
エネルギー効率が悪くて、毒にもなるブドウ糖。
大量にあればできるだけ速やかに使うのが合理的なはずです。
余るようなら脂肪として蓄えるのです。

身体にとって炭水化物・タンパク質・脂質は同等ではなく、炭水化物は効率が悪い上に害があるので、優先的に使うのが合理的です。余ればそのままでは高血糖で害になるので、飢餓に備えて脂肪として蓄えるのです。
たんぱく質を取りすぎても、脂肪に変換して蓄えるのは効率が悪すぎるので簡単には太れません。すべての動物は食べ物を探すことに困っていたので、効率の悪いエネルギーの保存方法だと淘汰され子孫が残せません。
現時点で種として存続できるのは効率を最善にしたからこそ生き残れたと思います。
調べたわけではありませんが、進化の歴史を考えれば、たんぱく質を食べて脂肪として蓄えることはしないと思います。

糖質依存の考え方。

もう一つの問題は糖質依存の考え方です。
詳しくは糖質依存という新しい概念をご覧ください。

糖質に騙されてしまって食べ過ぎてしまうことで、太ってしまうということです。
食べ物全体を多く食べてしまった結果が肥満だと考えがちですが、糖質を食べ過ぎてしまった結果が肥満です。
糖質がどのように人を騙すかは自分が自分を騙す、依存のメカニズムをご覧ください。

糖質に騙されている証拠は禁断症状があることです。
禁断症状とは強い空腹感です。強い空腹感を我慢しているとピークを越えた状態になることを経験されたことがあると思いますが、ピークを越えたのが禁断症状を脱出した状態です。

少し食べると余計食べたくなるのも依存の証拠です。
依存でなければ、少し食べれば少し満腹感が得られるはずです。
現実には少し食べれば余計おなかがすきます。

糖質依存の影響で本来は10で満腹になるはずが、12・13と余分に食べることができるのです。2・3割分脳が騙されるのです。
糖質をやめて食べる量が減ることが多いのですが、胃が小さくなったと表現されます。
糖質の騙しがなくなって本来の大きさに戻っただけのことです。

優先的に糖質が使われ余ると脂肪になる。
糖質依存で糖質を食べ過ぎてしまう
この2点が糖質が太る原因です。

カロリー制限説

カロリー制限とは摂取カロリーを計算し、食べる総量を抑えることで痩せようというものです。
身体に入ってくるエネルギーと出ていくエネルギーで、出ていく方が多ければ痩せる。入ってくる方が多ければ太るという考え方です。
一見理屈は間違っていないように思います。
食べる量が多ければ太るし食べる量が少なければ痩せる。
当たり前といえば当たり前の理屈です。

しかし問題点があります。
本当にタンパク質・脂質・炭水化物がいわれている通りのカロリーとして体内で使われているかどうかです。
どうも怪しそうです。(参考文献:夏井睦氏炭水化物が人類を滅ぼす
カロリー説では炭水化物もタンパク質も脂質も同等に扱われ、特に脂質はカロリーが高いので避けるように推奨されています。

実はカロリー計算が正しいかどうかわからない

実はカロリー計算通りに食べ物が体の中でエネルギーとして使われているかどうかわかりません。本当に燃やした時に出るエネルギーから想像しているだけだそうです。(参考文献:夏井睦氏炭水化物が人類を滅ぼす

元々理屈が正しいかどうかはわからないのです。食べる総量が多ければ太る、少なければ痩せるのは間違いありませんが、脂肪が太りやすく炭水化物とタンパク質が同等というのはわからないのです。

間違っているかどうかもわかりませんが、私は脂肪分を好んで食べていますが痩せていきます。それが答えではないかと思います。

人間が糖質依存を起こさず、機械のように決めたことをきちんと守ることができればカロリー制限説でも痩せることができるのかもしれません。
しかし人間が自分で考えて、自分の好みで食べるものを選ぶことができる現状では糖質回避でのダイエットが合理的だと思います。

たんぱく質を食べても簡単には太れない

タンパク質は消化されるとアミノ酸になり、体に吸収されます。
太るのは脂肪が増えることです。たんぱく質を食べることで脂肪が増えるためには、アミノ酸として吸収され、一度ブドウ糖に作り変えられてから脂肪を作り出すというかなりの回り道をする必要があります。たんぱく質の食べ過ぎでアミノ酸が余ったら、たんぱく質に合成して筋肉として蓄える方が合理的だと思います。

ブドウ糖が足らないときに仕方なくアミノ酸からブドウ糖を作り出す仕組みなので、ブドウ糖が余ったら作る脂肪にはわざわざしないと思います。蓄える際、たんぱく質に合成するエネルギーと一旦ブドウ糖にしてから脂肪に作り変えるエネルギーを考えると、エネルギーロスが多過ぎてわざわざ脂肪にはしないと思います。理論上はたんぱく質を脂肪にして蓄えることは可能ではあります。

進化の過程において無駄なことをすると生き残る確率は下がります。
これだけのエネルギーの無駄をしてまで脂肪として蓄えるメリットがありませんので、たんぱく質を食べることで太るのはかなり無理があると思います。

たんぱく質をたくさん食べたとしてもエネルギーロスが多いのでわざわざ脂肪として蓄える可能性は低そうです。
その上糖質依存での食べ過ぎの要素がなければ、身体の恒常性を保つ働きがあるため、そもそも蓄えるほど食べ過ぎることができる可能性は低そうです。

わざわざ実験してみる価値があるかどうかはわかりませんが、やるとすれば動物実験で、タンパク質を過剰に食べさせることで太るか試してみるのも一つかもしれません。

健康被害のあるものには課税されている

タバコやお酒は健康被害がわかっても禁止されてはいませんが、課税することである程度過剰摂取を抑制しています。(実際にアメリカではお酒を禁止する法律、禁酒法が制定され混乱の時代だったようです)
本来はタバコやお酒による健康被害による医療費の負担は、受益者負担の原則からタバコやお酒を嗜む人が負担するべきだと思います。脳が騙されて依存状態になっているとはいえ、嗜むと決めたのは自分自身だからです。嗜む嗜まないの選択の結果、嗜む人だけが健康被害になるのだから、それ嗜まない人に金銭的な負担を強いるのは平等の原則に反するという考え方です。

一説によりますとタバコの健康被害は年間3兆円、税収は年間1兆円。元々は税収を得るためにタバコを認めたのに、割にあいません。2兆円も余分にかかっています。
本来この2兆円分は喫煙者が負担するのが、公平だと思います。タバコを吸わない人にタバコの吸った人の医療費を負担してもらうのはおかしな話です。

糖質も依存性があり健康被害が明らか(肥満、2型糖尿病、生活習慣病)なので将来的には課税するべきではないでしょうか?一部では砂糖への課税が検討されましたが、砂糖が問題なのではなく糖質が問題だという本質の捉え間違いからきたことです。糖質に課税する方が合理的だと思います。(食べ物による健康被害、現代の脚気?はこちら)
ただし現状では嗜む嗜まないの選択肢が存在しなかった(糖質の害の『知識』がなかった)ので、糖質の影響が知れ渡り、嗜む嗜まないの選択が出来るようになるまでの時間を要するとは思います。

考え方としては糖尿病や高血圧が糖質の摂り過ぎによるものですから、糖質による健康被害として糖質摂取者に医療費の負担をお願いするのです。現実問題の解決策としては糖質による疾患の医療費分に相当する課税が妥当ではないかと思います。
安いから糖質でお腹を膨らませている一因があり、その結果として医療費の負担をしているのです。糖質を相応の値段にし、医療費を減らしてみんなが健康になるのは理想的な世の中だと思います。

糖質を食べることで生じる健康被害の分を糖質を食べる人が負担するという合理的な考え方です。

タバコによる健康被害の医療費分をタバコ代に2兆円分上乗せする方が先だとは思います。

ある人は100年かかると言っていました。
私は30年で実現できれば良いなと考えています。

衝動買いのメカニズムとその対策

ついつい勢いで買ってしまう衝動買いですが、そのメカニズムを考えてみます。

生残りのための仕組み

衝動買いのメカニズムは、元々は生き残りのための仕組みでした。
欲しいものを実際よりも魅力的に感じる錯覚させる仕組みが原因のようです。

大昔の人類を思い浮かべてみてください。
川の向こう岸に美味しそうな果物を見つけました。
溺れるかもしれないので泳いで渡るか躊躇しています。
脳は無理してでも食べた方が生き残りに有利なため、自分自身を騙します。
美味しそうな果物を見た目以上に大きく魅力的に感じる魔法をかけるのです。
(一種の錯覚、勘違い。自己暗示のようなものだと思ってください)
大きな果物で食べないといけない・食べるしかないと思うようになってしまうのです。
そこで川に飛び込んで果物を食べることに成功します。
川に飛び込まない人類の子孫は食糧不足により死に絶えました。
私たちはこのようにして、川の向こうの果物を食べることの出来た人類の子孫なのです。食糧難の時代には役立ったこの仕組みが、物が簡単に手に入る今の私たちを苦しめます。

衝動買いのメカニズム

同じことが衝動買いでも起こります。
一目見て欲しくなります。頭の中で魅力が駆け巡ります。
どんどん魅力が増大するドーパミンの魔法がかかります
冷静な判断は無理です。
何しろ昔は溺れるかもしれない程の命がけでも、川を渡るほどの魔法なのですから。
財布の中身が減るということはあるものの、命を危険にさらすことなくほしいものを手に入れるのです。
結果として何故買ったかわからないものが家にいくつもある状態に陥るのです。
ちなみに様々な依存では、この魔法の繰り返しが起こってしまうのです。
一度欲求が膨らんで手に入れたものや経験は、忘れられません。
そして一度経験したことは慣れてしまうので、同じ喜び・ドーパミンを得るために欲求がエスカレートしてしまうのです。

衝動買いの対策

欲しいものを魅力的に見せつけるドーパミンの魔法がかかるのは約10分です。
10分間我慢して乗り切ると、魔法が解けます。
ただし10分間ほしいものを眺めて考え続けていると、脳に魔法をかけるドーパミンが減りはしますが、出続けるのでお勧めしません。
考えてはいけないと打ち消そうとすることが、脳にとって一番ストレスになるそうです
10分間他のことを考えるか、他の売り場に行くことをお勧めします。
それでもほしければ衝動買いではないのかもしれません。
別の対処法は、買ったものの具体的な使用法を想像してみることです。冷静に値段に見合った価値があるか検討してみるのです。
実は買い物がしたいだけで、物がほしいわけではないかもしれないのです。

参考文献:
脳内麻薬 快楽物質ドーパミンの正体
スタンフォードの自分を変える教室

炭水化物・糖質を食べる理由は何ですか?

これまでの常識や先入観を全て忘れて冷静に考えてみて下さい。

炭水化物を食べる理由は何ですか?

私が炭水化物を普通に食べていた頃、食べていた理由を考えてみました。

  • 子供の頃から当たり前に食べていたから
  • 食事といえば炭水化物が基本だから
  • 好きだから
  • 美味しいから
  • 安いから
  • 主食とされているから
  • 腹持ちがいいと思っていたから
  • おかずだけではお腹がいっぱいにならない気がするから
    • 食事した気がしないから
  • 手軽に食べることが出来るから
    • パンやおにぎりなど

考えてみるとこんなところです。簡単に言えば子供の頃からの刷り込みです。

他の選択肢を知らなかったことも当たり前に炭水化物を食べていた理由です。

炭水化物を食べる意味

炭水化物を食べることで少なくとも肥満という実害があることを知らなかったのも、平気で食べていた理由です。

栄養学は始まった時点で、みんな当たり前に炭水化物を食べているから、本当に身体に必要かどうかは検討せず、炭水化物を食べるものと定義したようです。

炭水化物は消化さらブドウ糖とし吸収されるだけです。アミノ酸からもブドウ糖は作り出すことができるので食べ物として無理に食べる必要はありません。

何故炭水化物を食べるのか、一度じっくり考えてみてもよいかもしれませんね。

他に食べるものが無かった時代とは異なり、飽食の今となっては栄養という意味はあまりないようです。

肥満、生活習慣病という炭水化物の食べ過ぎで起こる病気のリスクを知った上でも、ただ美味しいという楽しさの追求を続けるのかどうか。

リスクを知った上で炭水化物を食べられるのは全く問題がありません。タバコの害を知った上でもタバコを吸われる方と同じです。将来困る本人だけの問題だからです(誰の問題論)。ただ危険性を知らずに食べ続けるのは勿体無いと思います。

主食として当たり前に毎日食べるよりも、本来の炭水化物の役割・たまに見つけたご褒美として食べるラッキー食材の地位に戻してあげるのが良いのかもしれません。

決して炭水化物はやめなきゃダメなどと人に強要することなく、こんな考え方があることを教えてあげてください。

脳内麻薬 快楽物質ドーパミンの正体

人間は快楽物質であるドーパミンに支配されているという話です。
様々なものが魅力的に見えるのもドーパミンのおかげですし、衝動買いしてしまうのもドーパミンのおかげでもあります。

毎日が楽しく感じることができるのはドーパミンのおかげなのです。
ドーパミンの性質を知り、上手な付き合い方を探すことで快適な生活を送ることができるようになります。

この本のおかげで、私が糖質依存の概念に気付くことができました。
もしかして当たり前に食べている糖質が、糖質依存の診断基準に当てはまることを確認させてくださった本です。

人間の欲望がドーパミンによって生み出されることがよくわかる一冊です。

 

糖質回避の危険性に対する不安

糖質回避をした場合の危険性の不安の指摘がありました。確かに実際に寿命がどうなるのかはわかりません。

私の考えでは、身体の細胞やたんぱく質に障害を与える糖質を控えるわけですから、寿命は伸びると考えています。

全く新しい理屈は前例がないから過去のデータとの比較は意味がありません。

例えば今となっては当たり前のiPhoneの発売の際に、どれだけ売れるのかデータを出せと議論したとしても無意味だったことでしょう。幸いその判断をする経営者が言い始めたiPhoneですから、そんな不毛な議論は無かったはずです。何が示したいかというと、革新的な話は前例との比較は無意味だということです。

不安の内容は糖質を控えることでたんぱく質の摂取量が増え、腎臓の負担が増えるのが心配というものでした。確かに理論上はあり得るかもしれません。私からすれば、受け入れないそれらしい理由を探してきただけのように感じます。腎臓のたんぱく質の処理量が、現在全員がギリギリの状態で透析一歩手前ということなら成り立つ話です。一つの腎臓でも大丈夫なように、通常腎臓は十分な余力を備えていますから心配のし過ぎのようです。

別の例え話を考えてみます。命に関わる程ではありませんが体調を崩す部屋にいることがわかりました。(糖質を食べることで2型糖尿病、肥満を起こしていることを表しています)部屋にいることが体調を崩すのですから、外に出ることを提案しています(糖質回避の提案だと思ってください)。不安がる人は外の安全性が確実ではない。歩道を歩いても車に後ろから跳ねられるかもしれないから、外に出るのは不安と主張しています。(たんぱく質の取りすぎで腎臓に障害が出るかもしれないから糖質回避はしない)

2型糖尿病、肥満という明らかな糖質の害を前にして、起こるかどうかもわからない腎臓の障害を不安がる。(私は腎臓には余力が十分あるなで起こらないと思います)

もっとシンプルに極論すれば火事の部屋から、外に出ると車に跳ねられると心配して、明らかに危険な火事の部屋にとどまっているように思います。

ちなみにアドラーの心理学によると不安というのは、やらない言い訳をするために利用するものだそうですよ。

ラーメンで糖質回避の未来予想

大阪のあるうどん屋さんには肉うどんのうどん抜き、肉すいというメニューがあるそうです。

ラーメンで糖質回避をする場合の未来予想を考えてみました。

肉すいのように単純にラーメンの麺抜きでトッピングだけというのも一つの選択肢だと思います。

もう一つの選択肢はラーメンの麺の代わりに賽の目に切った固めの豆腐を浮かべ、レンゲで食べるスタイルです。麺も豆腐も選ぶことが出来るようにすれば、従来のお客さんに加えて糖質回避教の信者も取り込めるので商売が成り立つと思います。何より私が作って欲しいです。ラーメンの麺抜きかラーメンの麺抜きお豆腐入り。

自分を騙す?依存のメカニズム

一時期の私は糖質に対する依存の診断基準を完全に満たしていました。
自分が太っていたのは依存なんだと知ると非常に衝撃を受けました。
昨年11月に本を読んでいて気づきました。

そこで依存症について考えてみました。
自分自身が依存に陥ったことを振り返ってみると、ゲーム、パチンコやアルコール、外食や電気製品の買い物など様々です。
幸い日常生活に支障をきたすほどの病的な依存ではありませんでした。
学生時代は依存という概念自体知りませんでしたし、依存しているなどと思いもしませんでした。ただ楽しいから行動しているだけだと思っていました。今考えるといつからか、やらないといけないという強迫観念に追いまわされていたと思います。
その時は自分自身で気づくことはできませんでした。

働き出してからアルコールに対して依存しているか自分で疑ったことはありますが、仕事の合間に飲み始めるほどではなかったため違うだろうと楽観的に自己判断していました。今当時の自分のことを診断基準に照らし合わせるとアルコール依存だったことがわかります。幸い私は仕事に支障をきたすほどの病的な依存にまでは陥りませんでしたが、仕事に支障をきたすほどだと入院の適応なのかもしれません。
他のことははまっているだけで依存だとは思いもしませんでした。
ただ楽しんでいるだけだと思っていました。一度はまると一つことにのめり込むなとは思っていましたが、今振り返るとゲームもパチンコも買い物や外食も依存状態でした。

依存が引き起こされる理由

何故依存は起こるのでしょうか?
自分が陥ったので反省を込めて、最近得た『知恵』を使って振り返ってみました。
元々依存にいたるメカニズムでは、欲しいものを実際よりもより魅力的に感じる仕組みが原因のようです。
大昔の人類を思い浮かべてみてください。
川の向こう岸に美味しそうな果物を見つけました。
溺れるかもしれないので泳いで渡るか躊躇しています。
脳は無理してでも食べた方がお腹いっぱいになれるため、自分自身を騙します。
美味しそうな果物を見た目以上に大きく魅力的に感じる魔法をかけるのです。
(一種の錯覚、勘違い。自己暗示のようなものだと思ってください)
大きな果物で食べないといけない・食べるしかないと思うようになってしまうのです。
そこで川に飛び込んで果物を食べることに成功します。
私たちはこのようにして、川の向こうの果物を食べることの出来た人類の子孫なのです。

衝動買いのメカニズム

同じことが衝動買いでも起こります。
一目見て欲しくなります。
頭の中で魅力が駆け巡ります。
どんどん魅力が増大するドーパミンの魔法がかかります
冷静な判断は無理です。
何しろ昔は溺れるかもしれない程の命がけでも、川を渡るほどの魔法なのですから。
結果として何故買ったかわからないものが家にいくつもある状態に陥るのです。
依存ではこの魔法の繰り返しが起こってしまうのです。
一度欲求が膨らんで手に入れたものや経験は、忘れられません。
そして一度経験したことは慣れてしまうので、同じ喜び・ドーパミンを得るために欲求がエスカレートしてしまうのです。
ゲームではやればやるほど難しく設定されており、上手にクリアできると達成感を味わうことができます。その達成感を味わった後で更に難しいものに挑戦したい欲求にかられてしまいます。この達成感という御褒美を元に、更にゲームをやりたいという欲求を生み出し、脳がその欲求を快楽物質であるドーパミンが大量放出され欲求を肥大化させるます。この大量放出されたドーパミンの欲求に抗うことが出来る人などいないのではないかと思います。
ゲームにはまっていましたが、はまるという現象は今振り返れば依存だったのだと思います。
パチンコも同じです。
パチンコはお金を得ることもありますが、大半が失うことになります。冷静に考えれば誰にでもわかることですが、
今振り返ればわくわくするドーパミンを放出する仕掛けがあちこちに散りばめてあります。
冷静に考えればただの娯楽なのですが、やらないといけないと自分自身で思い込んでしまう強迫観念にかられるのも自分自身の脳が騙しているのだと思います。

依存の対策

対策としては依存のメカニズムと脳の働きと錯覚を理解し、やらないと気が済まないのは脳が騙されているからだと認識して、別のことをするように気をそらします。
スイッチを切り替えることができる方法をさがします
今ならゲームやパチンコをしても脳が騙されるだけであり、時間がつぶれる以外得るものがないので最初からしないのが一番だと理解しています。
気分転換という意味はあるとは思います。
一度はまってしまっているとすれば、10分我慢すれば欲求が減るらしいので10分をやり過ごすために、気を紛らわせる方法を探します。
依存の理屈の詳しい話は参考文献:スタンフォード自分を変える教室をご参照ください。