形を変えた不謹慎狩り 法律違反の報道

不謹慎狩りとは震災時に書き込みに対して、不謹慎だとして非難することを表すものです。震災という非常時だから慎んで然るべきという風潮をかさにきて、他人を攻撃することが目的です。詳細は不謹慎狩りをする心理をご覧ください。

今日テレビで偶然見かけたのは、河川敷を違法に使う人達を取り上げた報道です。違法ですよと声をかけ、その反応を取り上げていました。

不謹慎狩りと目的が似ているように思います。やめさせることが目的であれば、行政と連携してやめさせる方法を探すべきです。報道ではそのような行動はとらず、法律違反をかさにきて咎めることが目的のように拝見しました。構図は不謹慎狩りと変わらないと私は思います。法律に違反している訳ですから褒められるものではありません。それなら法律違反が放置されているのは何故かという取材が本来の姿だと思いました。構ってもらうことが目的の不謹慎狩りと、視聴率が目的の報道とでは変わりがないように思います。

形を変えた不謹慎狩り、物事を見る角度を変えてみると結構多いのかもしれません。

Amazon欲しい物に高額商品で騒ぐのは不謹慎狩りでは?

熊本の被災中学がAmazonの欲しい物リストに高額商品をのせて批判が出ているそうです。

私は形を変えた不謹慎狩りだと思います。

支援しようとしている人達からすれば、高額商品が必要なのかという疑問はあるとは思います。疑問があれば高額商品は支援しなければ良いはずです。ただそれだけのことです。わざわざテレビで報道するのは、テレビが不謹慎狩りをしているように私は思います。

確かに支援しようとする人の善意に便乗している側面もあるかもしれません。しかし高額商品であっても、支援する人が納得して支援するのであれば、第三者がとやかくいうことではありません。そして欲しい物に高額商品が掲載されていることに納得出来なければ、支援しなければ良いだけです。それだけのことです。不謹慎だとして槍玉にあげるのは、騒ぐことが目的の正に不謹慎狩りではないでしょうか?支援者が支援する物品を選ぶことが出来ることは報道していませんでした。このような物を欲しい物リストにのせてどう思うかと、暗に非難する作りでした。不謹慎狩りを非難した同じテレビ局が、欲しい物リストに高額商品を掲載していたことを報道するのは不思議だと思います。

恐らく欲しい物リストにのせた人は、次々支援が届くので軽い気持ちでのせたのだと思います。ビデオカメラや生徒数を超える文房具などをのせていたそうです。その目的が私的流用なのか、被災と関係があるのは私にはわかりません。ただ支援者が支援する物を選ぶ余地があるので、支援してもらえるとラッキーくらいの軽い気持ちでのせたのではないかと思います。もしかしたらあると便利くらいの軽い気持ちだったかもしれません。テレビで報道される程問題になるとは想像すらしなかったと思います。

欲しい物リストに疑問があっても、目的によって反応が異なります。支援が目的であれば本当に欲しい物がわかりにくくなるから緊急の必要物品以外は取り下げるように被災者に伝えるはずです。騒ぐ必要などありません。目的が非難することだと、被災者に伝えず騒ぎ立てます。見て見てこんな物が欲しいって書き込んでいる!と騒ぎ立てるのです。正に不謹慎狩りです。

高額商品を支援した人が、高額商品が正しく使われていないと非難するのであれば当然だと思います。しかし支援もしていない第三者が非難するのは不謹慎狩りとの区別が私にはつきません。

現実に600万円相当の支援が集まったようですが、支援した人が納得していれば他人がとやかく言う筋合いではないと私は思います。

自分が困らない問題に口出しするのは課題の分離が出来ていない証拠です。非難する気持ちのある人は課題の分離が出来ていない証拠なので、気をつける方が良いと私は思います。

テレビ報道も、不謹慎狩りがおかしいと報道することもあれば、自らが不謹慎狩りをするようなこともあるようです。目的が視聴率なので論理の一貫性が保てないようです。

Amazonも震災支援では欲しい物リストを2段階にすることを検討しても良いのかもしれません。できるだけ早く欲しい物には優先順位をつけることで、被災者が不謹慎と言われることを避けることが出来るかもしれません。もしくは支援してもらった場合には、実際に使っているレビューを義務付けるのも一つの選択肢かもしれません。

高額商品を欲しい物リストに掲載したことよりも、支援された高額商品が被災者に役立っているのか実際の活用法の方が興味あります。実際には被災者に活用されないのであれば、今ならAmazonに返品という選択肢もあるのではないかとも思います。

数十年前には考えられないような技術(被災者からのAmazonの欲しい物リスト、情報を広めるSNSなど)が新しく出ているので、みんな手探りで使い方を探しているように思います。新しく問題が見つかっても、非難するのではなく、みんなが幸せになるより良い活用法を探すべきだと私は思います。まだ理想的な活用法を誰も知らないのですから、みんなの知恵を持ち寄って理想的な使い方に近づけていくしかないのです。そんな視点から物事を見ると、モラルなどの問題のある行動であったとしても怒るのではなく、よくそんな活用法に気付いたねと感心出来るようになるのではないでしょうか?そして次の仕組みを作る参考にすれば良いのです。

三菱自動車の燃費不正に思う。性善説は言い訳

三菱自動車の燃費の燃費の不正が発覚しました。
内部告発ではなく、納入先からの指摘でした。

燃費の計測の仕組みが、メーカーから提出されたデータをそのまま使うそうです。性善説の観点で制度設計したのはただの怠慢だと私は思います。ズルをして発覚したとしてもペナルティーが小さければ、ズルをする人はいるでしょう。何しろ少し賢いお猿さんですら嘘をつくのですから、バレないと考えれば人間が嘘をつくのは当たり前です。もしバレてもペナルティーがズルをしたことで得られるメリットよりも小さければやるのが人間です。

日頃は嘘をつかなくても、バレないという隙があれば嘘をついてしまうのが人間です。誰にでもその可能性があるので、性善説での制度設計だから仕方ないというのは怠慢を隠すための言い訳に過ぎません。その隙をなくすように制度設計をするべきです。もしくはバレたら全てを失うもしくは負債を背負う程のペナルティーを用意するべきだと思います。制度設計する人がズルをする隙を残してしまっているのです。

少なくとも抜き打ちで極一部でも実際に検査をすること。不正が見つかった場合には、言い訳を許さず全ての許可を取り直すようなペナルティーを準備するべきだと私は思います。

私が政治家であれば、今自主申告すればペナルティーは無しか最小限で、ある期限をこえると上記のようなペナルティーを課します。ちょうど刑法の自主と同じように扱うのです。知恵のある経営者なら自主申告すると思います。性善説ではなく、人間の本来に沿った制度設計して欲しいですね。

英語を話す目的を考える

英語は日本では義務教育でみんなが習ったことになっています。
しかし英語教育の視点が、日本語に置き換えて理解することを目的としているため、中学を卒業してもほとんどの人が話すことが出来るようにはなりません。
英語教育の制度設計をした時点で英語の論文を読んで、西洋の知恵を取り入れることを目的としていたからかもしれません。もしくは日本の英語教師の都合で採点しやすいように、日本語に翻訳するテストを行う結果かもしれません。つまり教師が楽をする目的で日本語に翻訳するテストをしているのかもしれません。

英語を話す目的

英語は言葉ですから人間同士が意思やの伝達をすることが目的です。言葉を発するのは基本的には相手に理解してもらうことが目的てす。あえて相手にわからないかもしれない言葉を選ぶのは暗号の要素を含んでいるのかもしれません。

ある大学で学長が式辞を英語で伝えたそうです。

私は英語で式辞を伝えた学長の目的が気になります。今からの世の中、英語が大切ですと伝えたいのかもしれません。もしかしたら学長が英語を話せることを自慢したいのかもしれません。もしかしたら英語を話せない人間は大学にいらないと考えているのかもしれません。

いずれにしても英語で式辞を伝えたということは、理解出来ない人の問題だと考えているのではないでしょうか?相手に理解してもらうのは説明する側の責任です。このことを説明する側が理解出来ていないのであれば、残念ながら大学としての将来は暗いかもしれません。これから英語の理解が大切だからそのことに気付いてもらう目的で英語の式辞であれば一理はあるとは思いますが。私の想像をこえるような目的で英語による式辞であれば、素晴らしい大学ですね。

建前としての言い訳ではなく、その学長が何を目的として英語で式辞を言われたのか興味があります。

企業内での英語について

幾つかの企業で公用語を英語としているそうですが、部外者からみるとその目的は判然としません。

海外と商談をする目的で英語というのであれば、社内全て英語にする必要はないはずです。英語の方が結論から話すので話が早いからというのも言い訳です。日本語の話し方の工夫で対応出来る話です。日本語でもまず目的・結論を告げてから、その理由を説明する話し方を導入すれば良いだけです。

もしかしたら英語を公用語として使うことで、内外にむけて先進的な企業だと印象っけることが目的なのかもしれません。つまり見せかけだけでも英語を公用語として使うようにしているなけなのかもしれません。

英語が出来ない人を切り落とす踏み絵として、英語を活用しているのかもしれません。

いずれにしても目的が明確でなければ、英語にしても混乱するだけです。建前ではなく、本音で英語を使う目的を伝えることをお勧めします。

日本人を相手にしている企業が英語を公用語とする目的が、理想とズレていないのとを祈るばかりです。

失言から日頃考えていることがわかる

失言して話題になる人がいます。失言については以前人が失言する理由と対策に書きましたが、失言したという自覚がない人が大半です。何故なら自分の真意は違うから失言ではないと思っています。

今回もある校長が問題発言をし、結局辞めることになりました。最近では国会議員が巫女さんを蔑むような発言をして話題になっています。

失言をする人は何度も繰り返します。何故なら人がどのように言葉を受け取るか考えていないからです。どのように受け取られるのか想像力が足らないために、誤解を招く表現をしてしまうのです。そして誤解なら良いのですが、人に対する日頃からの見方が言葉に表れています。

例えば話題の校長であれば女性軽視、話題の国会議員であれば職業による貴賎の意識が根底にあることからあのような発言に至ったと類推出来ます。自分と対等だと考えていれば、あのような物言いにはならないと私は思います。校長も国会議員もただの一つの職業です。偉いかどうか、つまり尊敬に値するかどうかは周りが判断することで自分からアピールするものではありません。多くの場合、偉そうに振る舞う人で尊敬に値する人はいません。何故なら本当に尊敬に値する人であれば、偉そうに振る舞う必要がないからです。ちなみに偉そうに振る舞う人はコンプレックスの現れです。自信や実力が無いことを隠し偉いと思ってもらうために、必死で偉そうに振る舞うのです。

人の立ち居振る舞いは日頃の考え方があらわれるものです。謝罪会見などは前もって準備して取り繕うことは出来ても、質問の返答など即興で答えると日頃の考え方が滲み出てしまいます。

失言から考え方を類推してその人の本質を見抜くようにするのも面白いかもしれません。

余りにも堂々と嘘をつかれると信じてしまう心理

余りにも堂々と嘘をつかれると信じてしまう心理が働きます。何故なら人は自信を持っている人を信じる傾向があるのです。そして人は確認すれば簡単に嘘だとわかることを言言いません。すぐにバレるから言っても意味が無いと思うのです。だから他人もわざわざそんな無駄な嘘をつくわけがないと思い込んでいます。そこに心理の落とし穴があいています。

嘘つき人間は全く逆の発想から嘘に辿り着きます。小さな嘘から始まり、得をすることで味をしめるのです。小さな嘘を隠すために大きな嘘に発展していきます。余り嘘が多いので、自分でもどこまで本当でどこから嘘かわからなくなってしまいます。だからその場がしのげれば良いのです。というよりもその場その場をしのいでいくしかないのです。そして嘘つき人間は経験的に堂々としていると怪しまれにくいことを知っています。嘘つき人間に嘘をつく迷いはありません。これまで幾度と無く繰り返しているので、躊躇する必要がないのです。

嘘つき人間は通常の人とはかけ離れた心理なので、理解出来ないのです。

普通の人は嘘をつきません。また確認すればわかる嘘をついても意味が無いので、そんな嘘をつく発想自体が無いのです。その隙をついてバレないように振る舞うのです。すぐにわかる嘘をつくという、そんな馬鹿なことをするはずがないという思い込みの上に成り立つ不思議な状態です。

これらのことからわかることは、念のため話の真偽を確認するという癖をみんながつけると良いのかもしれません。そんな癖が広まれば、詐欺事件も減ることでしょう。

嘘つき人間の心理

世の中には嘘が平気な人がいます。私は嘘をつくことで金銭的な得をすれば全て詐欺罪を適応すれば良いと考えています。多かれ少なかれ嘘は誰でもつきます。これまで嘘をついたことが無いという人はいないと思います。もし嘘をついたことが無いという人がいればそのことこそが嘘です。ここでいう誰でもつく嘘とは本音と建て前の建て前や、大袈裟に表現することなどを含みます。詳しくは嘘の是非 嘘の善し悪しをご覧ください。

しかしすぐにわかるような明らかな嘘はつかないのが通常です。何故なら嘘は後でわかると恥をかくだけでなく信用を失う分損だからです。嘘つきは泥棒の始まりという諺もあるように、嘘をつくことは良くないことだと教えられて育つのが普通です。

世の中には嘘が平気な人がいます。人は堂々としている人を信じる傾向があります。余りに堂々と嘘をつくと案外見破れないものです。そして嘘が平気な嘘つき人間は意外に多いのかもしれません。テレビに出て話題になった人だけでも、作曲出来ない自称耳の聞こえない作曲家、割烹着で悦に入った記者会見をした自称科学者、最近話題の学歴詐称が明らかとなった自称経営コンサルタントであるタレント、号泣議員など多数あります。

嘘つき人間の心理

有名になったから大問題になっただけで、嘘つき人間は意外に多いのかもしれません。その心理を考えてみます。嘘つき人間は嘘をつくことて損をすることなく得をして生きています。癖のようなもので、嘘に罪悪感がありません。息を吸うのと同じくらい自然に嘘が口をついて出てきます。そしてこれまで嘘をつくことで問い詰められたことがほとんどありません。もし嘘が発覚して嘘が通じなくなると、職場を変わったり引っ越したりして所属するコミュニティを変えることでまた嘘を繰り返します。

嘘つき人間は、本当の自分と理想の自分とのギャップに劣等感を感じることが原因です。普通の人は理想の自分に少しでも近づくために努力します。努力しても理想の自分に近づくことが難しければ、そのことを受け入れます。嘘つき人間は本当の自分を受け入れることが出来ないのです。理想の自分を装うために嘘をつきます。その嘘により得をすることがあれば更に嘘を重ねていきます。

嘘つき人間は言い訳人間でもあります。自分にも言い訳をして嘘をつくのではないでしょうか?

嘘に翻弄されないための対策

相手のことを無条件に信頼するのではなく、些細なことでも確認し信用するために裏付けをとることをお勧めします。何故なら人は誰でも嘘をつく可能性があるからです。後で困ることが無いように確認してみましょう。確認しようとすると、疑うことを非難する人がいますが、やましい心のある人が非難するだけです。やましい心のない人は確認されても何も問題ありませんので非難することはありません。

2人以上出産発言校長、勘違いを露呈も自覚無し

公務員を見張る仕組みの導入を切に願う私ですが、やはり未来を担う子供たちへの影響を考えると教師を見張る仕組みをまず作るべきだと思います。何故なら学校において怪我人や死人が出ているからです。死人とはイジメなどが原因の自殺、怪我人とは体罰や稚拙な監督の元での事故です。全ての責任を負うべきと主張する訳ではありません。ただ仲間である教育委員会ではなく、第三者が言動を見張る必要があるのでは無いかと考えます。これらのことは深くコメントしませんが、隠蔽しようとすることに問題の根があります。起こってしまったことは仕方ありません。再発防止にこそ意味があるのですが、そのことを理解していないのであちこちで同じことの繰り返しです。

今回の問題は以前にも書いた校長の思い違いが根本原因ですが、誰もその思い違いを指摘し本人に理解させることが出来ないことが問題です。教育委員会に呼ばれ、走れメロスのメロスの心境で行ってきたと語っていました。メロスは自分の非を自覚していますが、校長は自覚していないので的はずれです。心境を語るなら無実の罪で事情聴取を受けるという意味で、冤罪の被害者の心境と言うべきでしたが、良く理解されていないようです。

全てを通して聞けばわかってもらえると豪語されていますが、結局大切なことは出産と言い訳していました。その上で自分の子供が何人いるかは明らかにしませんでした。もし1人しか子供がいなければ「女性として最も大切なことを果たしていないという奥様の心境をお察しします」と記者がコメントし、その反応をカメラにおさめると良かったかもしれませんね。もし独身で子供がいなければ…。

教育委員会がたしなめることが出来なければ、仕組み自体に問題があることを露呈してしまうことになります。

校長が国語の教師であることも驚きでしたし、記者会見に「他の教師も勉強になるから来い」と発言していたのにも驚きました。国語の教師であれば言葉の使い方を子供たちに教える立場です。ということは言葉の持つ意味合いを教えるにも関わらず、自分の言葉がどのように人に理解される可能性があるのかわからないのです。

気持ち良く授業風の記者会見をされていましたが、勘違いがはっきりと浮き彫りになっていました。私はどの程度の勘違いぶりか確認する目的で見ていましたが、見ていて痛々しくなる程勘違いされていました。子供たちは純真無垢だから教師に反論したりしませんから授業が成り立つのでしょう。その純真無垢な子供たちに偏った考え方を一方的に伝えることにこそ問題があります。

どんな勘違いをされているのか確認してみて下さい。確か同じ大阪だったと思いますが、社会人から校長を登用してトラブルがありました。社会人から校長になった人だけでなく、教師から校長になっている人にも問題があるのかもしれません。

客観と主観の違いがわからない人が校長をすることに問題があると思います。誰か客観と主観の違いを教えてあげて欲しいのですが、違いを知らないという自覚がなければ聞く耳を持たないでしょう。

「裸の王様」の寓話が頭に浮かぶのは私だけでしょうか?

ある校長の発言 女性の最も大切なことは二人産むこと

ある公立中学校の校長が「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと」という発言をし問題となっています。

校長本人は問題だと指摘されていること自体が理解出来ないと思います。何故ならこの発言の仕方でどのように受け取ることが出来る可能性があるのかが理解出来ないからです。その問題点を考えてみます。

問題点を校長は理解出来ない

人が失言する理由と対策に書きましたが、失言する人は人が言葉をどのように受け取る可能性があるのか想像力に乏しい人が多いのです。そして真意を理解出来ない人の問題であって、自分は悪くないと考えています。その証拠に一時ホームページに発言内容が掲載されていました。読んでもらえば真意はわかるはずだと思い込んでいた証拠だと私は思います。

インタビューされても話がかみ合わないのは、何が問題になっているのか理解出来ていないからです。そしてインタビューする人にとっては、校長は何が問題かわかっていて当たり前だと思い込んでいるのです。

校長の価値観がみんなの共通認識だと思い込んでいるので、違う考え方があることを想像出来ないのです。そのことを解説してみます。

校長の視点

このままでは人口が減ってしまう。そのためには男性は産めないから、女性が多く産むしかない。国が存続するためには女性が多く産むしか選択肢がない。人口を減らさないためには夫婦2人に対して、次の世代である子供たちを2人以上産むのは最も大切なことであり当たり前である。

校長の視点の問題点

  1. 言い方が女性の最大の価値を産むことだと錯覚させる
  2. 人口が減ることが悪いことだと決めつけている
  3. 人口を増やす方法が女性が産むことだけに限定している

一番問題と考えられるのは、共通認識とは言えない「子供を産むことが一番大切」という価値観を中学生に一方的に伝えたことです。一つの考え方として伝えることはあっても良いと思います。しかしこの価値観がみんなの共通認識の如く主張することに無理があります。校長は自分の中では当たり前でみんながこのように考えていると錯覚しているのです。だからこそ堂々とホームページにも記載したのです。

1.「女性にとって最も大切なことは2人以上子供を産むこと」という言葉は言外に産んで当たり前という意味が込められています。女性が産むこと以外の生き方を認めない考え方に基づいています。

恐らく校長の頭の中には女性が子供を産まないという選択肢が無いのか、産まないことが許せないのだと思います。そのことが言葉に表れていることをメディアも指摘したいのですが、言葉の問題でうまく伝えられず齟齬を生じ問題がわかりにくくなっているようです。

2.人口が減ることが悪いことだと決めつけています。人口が少なくなっても快適な生活を出来る知恵を探すという選択肢もあるはずです。人口が減る方が良いか増える方が良いかは議論の余地があります。人口が減る方が、ゆったりと生活出来るためより人間的な生活が出来るかも知れません。これも人口が減っては絶対に困るという価値観を元にしています。そう思い込んでいるので、みんなの共通認識だと錯覚しています。人口が減ると困るのは労働力ですが、機械が進歩すると人が少なくても今と同じ生活が維持出来るかも知れないのです。むしろゴミなどは減るため環境には良いかも知れません。そういう視点からも物事を考える余地があります。

3.人口を増やす方法は女性が産むだけとは限りません。海外から移民を受け入れる選択肢もあります。議論の余地がある話を当たり前のように女性が産むしか無いと言い切ったところに問題があります。校長は海外からの移民の選択肢などあり得ないと思い込んでいるのではないでしょうか?だからこそ当たり前に考えて産むしかないと思い込んでいるのだと思います。

本来なら子供たちが考えること

私は人口は減る方が良いとか移民を受け入れるべきだと言いたい訳ではありません。それらの選択肢を含めて日本の未来を創り出すのが今の子供たちです。その考える余地を奪うような一方的な考え方を中学生に伝えたことが問題の根本だと思います。校長は自分の考え方が正しいし他にはあり得ないと思い込んでいたのでホームページに堂々と掲載したのではないでしょうか?掲載ことで大問題に発展してしまいました。誰かがこれらの視点が抜け落ちていたことを伝えることが出来れば、事はここまで大きくはなりませんでした。

子供たちに考えるきっかけを与えたいのであれば、事実を伝えるだけで良いのです。「このままでは人口が減ります。世の中の女性達が子供を産まなくなっています。それで良いのか悪いのか君達が考えてみて下さい。その理由と対策を考えて、日本の未来を切り開いて下さい」と。

やはり以前別人の万引きで自殺について別人の万引きで自殺 否定しなかった理由で書きましたが、教師を見張る仕組みが必要です。本来なら公務員を見張る仕組みが必要ですが、子供たちへの影響を考えるとまず教師を見張る仕組みを作るべきです。教師は学校では強大な力を持つ権力者です。その権力者の言動に問題がないか見張る仕組みが必要だと私は思います。

別人の万引きで自殺 否定しなかったとされる理由

別人の万引きの濡れ衣で高校入試の推薦をしてもらえないことを悲観し中学3年生が自殺してしまったという悲しいことがありました。亡くなられた方の御冥福を心よりお祈りいたします。

タイトルにある亡くなられた生徒さんが否定しなかったとされる本当の理由は生徒さんにしかわかりません。わかりませんが、わかっていることからスーパー心理学で当時の心理を考えてみたいと思います。あくまでも推測であることをご了承ください。この文章の目的は同じようなことの再発防止です。教師を責めたい訳でもありませんし、責めたところで生徒さんが生き返る訳でもありません。再発防止をするために何が必要かを考えることです。

教師が嘘をついているか嘘をついていないかによって本質が全く異なります。自殺を病死と発表するという組織絡みの嘘が判明しているので、教師が自分自身を守るために嘘をついているかもしれないと考えるのは当然の流れです。生徒さんが亡くなられているので、本当のことは教師にしかわかりません。教師の嘘が無いものとして考えてみます。

記録には万引きの記載があり、教師は万引きが事実だと思い込んでいたのでは無いかと思います。進路指導を廊下で行ったという事実からも、事実の確認を行うだけのつもりだったのではないでしょうか?教師が万引きが事実だと思い込んでいれば、心当たりが無いと生徒さんが言っても言い訳をしているとして聞く耳を持たなかったことが考えられます。生徒さんは真面目で優秀だったと報道されています。そもそも生徒さんに全く心当たりが無ければ返事に困ったことでしょう。記録にあると言われ、やっていないことの証明が出来ず途方に暮れてしまったのではないでしょうか?報道では万引きが間違いだと知った上で考えています。だから何で確認しなかった?と思ってしまいます。しかし当事者達は間違いがあることを知らなかったのです。
先生はともかく、生徒さんはどうしたら良いかわからなくなったのではないでしょうか?そして家庭で人の物を盗ることは絶対にしてはいけないと教えられて育っていれば、先生には信じてもらえなかったから親御さんにも信じてもらえなかったらどうしようと考え込んでしまって親御さんにも言い出せなかったのかもしれません。

たとえ話に置き換えてみます。
何か行動をしようとしたら前科があるから無理ですよと言われたとします。あくまでも例え話なので現実に前科があると出来ないことが思い浮かびませんが、そのように他人から指摘されたと考えてみてください。前科が無いことを証明するのは非常に困難です。少なくともネットには書いてあるから仕方ないと言われたらどのようにすれば良いのでしょうか?。もし同姓同名だと言ったとしても信じてもらえなかったら途方に暮れるのではないでしょうか?もしくは誤認逮捕がネットで記事になり、後日間違いだったと分かったとしてもその記事だけが残っていたとしたらどうでしょうか?記事が削除されていなければネット上では犯罪者のままではないでしょうか?
無実にも関わらずネットに情報があることを指摘され、就職など行動が制限されてしまうことを想像してみてください。
同姓同名であれば、年齢や住所など自分とは異なることから無実の証明は出来るかもしれませんが、誤認逮捕だったとしたら無実証明書など発行してくれる訳ではないのでネットの記事が消えなければ非常につらい立場になることが考えられます。

やってしまったことの証明は比較的簡単ですが、やっていない証明は非常に困難なのではないでしょうか?それを教師から求められ、記録があるからと聞く耳を持ってもらえなければ中学3年生がどうして良いかわからなくなっても仕方がなかったと思います。

現時点で万引きが間違っていることがわかって見ていますが、当時は間違っていることを教師自身も疑っていない状況を想像してみてください。

あくまでも想像ですが、ありえるやりとりを想定しみました。
教師は万引きをしたと思い込んでいて、万引きしたのに推薦なんて受けられる訳がないと思っています。ずうずうしいと思っています。あくまでも想像ですが、記録にあるのだからわざわざ確認する必要はないだろうと考え、面倒くさいとも思っているかもしれません。
生徒に確認するために聞くのですが、廊下で推薦出来ないことを伝えます。
当然生徒さんは何故ですか?と質問があります。
当然わかっていると思っていますから、『3年生の時じゃないよ。1年生の時に問題行動をしたでしょう?』と言う具合に具体的に『万引き』という言葉は使わなかった可能性が考えられます。教師は記録にあるので間違いないと思っていますので、わざわざ『万引き』という言葉を使わなかった可能性が考えられます。『問題行動』と言い換えたために、ガラスを割ってしまったとか思い当たったところがあったのかもしれません。それで曖昧な返事になったのではないでしょうか?

最終的には親に言うという話になったので、途中ではっきりと『万引き』という言葉が使われたと思いますが、最初に曖昧な返事をしている時点で嘘をついていると思い込んだ可能性が考えられます。後から『万引きなんてしていません』と一生懸命訴えたとしても、一度認めたと思い込んでいるため聞く耳を持たなかったのではないでしょうか?

以上教師の話が全て本当だったと仮定して心理を考えてみました。
教師の話に嘘があれば、全ての前提が崩れます。
自殺から発表までの3ヶ月かけて作った嘘のストーリーではないことを祈るばかりです。

死んでしまった命は元に戻りません。
二度と戻らない命を無駄にしないために唯一出来ることは再発防止です。
そのためには嘘偽りのない真実から解決策を探すことです。
生徒さんが亡くなってしまった後も嘘で辱めることがないことを祈っています。

前回も書いていますが、公務員を見張る仕組みを作るべきだと思います。
まずは子供達の命を守るために、教師を見張る仕組みから作ってはいかがでしょうか?