説明が上手な人 〜情報を加工出来る人〜

説明が上手な人の特徴に情報を適切な状態に加工出来るということがあります。

情報を加工するとは、必要な部分だけを取り出し、相手がわかるように整理するということです。情報を相手の扱える形に圧縮すると言い換えても良いかもしれません。

例えば年齢と身長と体重の数値が1000人分あっても、1000人分のデータが存在するだけです。情報の加工とは、最も簡単なことは平均を出してみることなどわかることを取り出すことです。平均はいくつですと伝えるとある程度大雑把なイメージがつきます。更に求められるのは相手が欲しい情報に加工・圧縮して取り出すということです。まず相手が何を求めているのかを知り、情報を加工して伝えることが出来ると説明が上手だと考えられます。相手の知りたい情報をわかるように整理して伝えるということです。

相手の求めてもいない情報を伝えても意味がありませんし、情報の加工の仕方が不適切であればこれもまた意味がありません。相手が理解出来ない形で情報を伝えても意味が無いのです。

見て覚えろという人はケチか説明が下手なだけ

見て覚えろという人がいます。お互いに無駄な時間を省くために、教えてあげれば良いと私は思いますがそうはいかないようです。

その心理を考えてみます。

ただ単にケチなのか、説明が下手なのかのどちらかではないかと思います。

ケチとは自分自身が苦労して身につけたことを簡単に教えるのはもったいないと考えることに由来します。もったいないと考えるから、ケチな心理で教えたくないのです。目的は自分が苦労したことを理解してもらうことです。

説明が下手とは、うまく説明出来ないことを隠すために見て覚えろというのです。目的は説明出来ないことを誤魔化すことです。

病気の説明はネットで各自で見てもらう時代

現在は医師は問診を行い、病気を診断し、病気の説明を行い治療しています。

診断をつけるまでは同じプロセスであっても、病気の説明はネットで見てもらう時代が来るのではないかと思います。何故なら診察時間には限りがあるからです。病気を診断した理由を論理的に説明し、病名を告げるのです。病気の説明と治療方針をネットで各自確認してもらい、選択した治療法を医師に伝え治療していく時代がやってくるでしょう。既に自分のホームページに病気の説明と治療法を掲載している医師は診察中に簡単な説明を行い、詳しくはホームページをご覧くださいと伝えていることでしょう。このことが進むと病気の説明は医師の仕事では無くなる可能性があります。むしろ生身の人間が行うよりも待ち時間が短くなる分お得ですし、ネットで説明してもらう方が、深く理解出来る可能性があります。Q&Aも合わせて掲載することで、抱いている疑問も解決されると思います。

少なくとも説明の下手な医師に説明を受けるよりは、ネットでの説明の方がわかりやすいのではないかと思います。

現時点ではホームページでの説明は各医師が独自の判断で行っているだけです。近い将来病気の治療法がしっかりと確立され、医師による治療のばらつきが無くなることで、ネットで説明を受ける時代になるでしょう。実際には病気の治療法の確立が難しいかもしれませんが、もう少ししたら広まりはじめると私は考えています。

私は医者が余る時代を予測しています。人工知能が診断と治療を行うようになることで余ることを考えていますが、その前にまず説明分野はネットを活用することになるのかもしれません。

利益を目的にすると判断を誤る

経営不振に悩む企業が見受けられます。
私は利益を目的にしているから、判断を誤るのではないかと思います。企業が利益を求めるのはいわば常識ですが、最近では利益を目的としない企業が出始めました。利益ではなく理念を目的としています。それらの企業でも利益は得ていますが、利益は目的ではなく手段として得ています。会社を維持するための運転資金として利益を考えているのです。

利益は企業の為ならず

という諺を新たに考えました。利益を求めると企業のためにならないという考え方です。

経営不振に陥っている企業がはまっているのが、利益を追い求めているからではないかと思います。企業の利益と顧客の利益は相反します。企業の利益を求めると顧客は不利益となります。そのさじ加減が難しく、高くても売れると思うと利益のために高く売り、売れないとわかれば利益を削って安く売ります。つまり(自分達の利益のために)高くても売れる価格で売ろうとするのです。利益を最大化する売り方を模索し、顧客のニーズとズレることで経営不振に悩むのです。

利益を目的としない企業は、原価に適正な利益を加えた価格で売ります。元々利益を目的としていないので、利益を目的とする企業よりも安く売ることが出来ます。利益を求めていないことを顧客に理解してもらえると、好循環を生み急速に事業が拡大していきます。急拡大している理由は、利益を求めていないからです。適正な利益のつもりで売り出しても、予想外に利益が出れば、次の適正な利益を少なくするように調整するのです。

利益を追い求めている企業はそろそろ別の目的を探すべきではないかと思います。

頭の回転数は言葉の選び方でわかる

頭の回転数は言葉の選び方でわかります。
ここでの頭の回転数とは、学校の成績や偏差値などを表すものではありません。学校の成績や偏差値は暗記力と試験というクイズを解く能力がはかられているだけです。成績や偏差値はこれから大した意味を持たなくなります。何故なら記憶力はコンピュータに負けますし、クイズを解く能力は答えのある問題を解くことに優れているだけだからです。

これからの時代を生き抜くためには、用意された答えのない問題を見つけ出し、なおかつその時点での最適解を見つけることの出来る人が求められます。

頭の回転数とはどれだけ思いを巡らせることが出来るかを表します。日頃思いを巡らせるトレーニングをしているか、余り思いを巡らせることがないかというだけです。頭の回転数とは持って生まれた頭の能力というよりは頭の使い方という意味合いです。様々な可能性に思いを巡らせた上で最適な言葉を選ぶことが出来る人が頭の回転数が高いと思います。逆に失言してしまう人は、相手の受け取り方まで思いを巡らせることが出来ないため誤解を招く表現をしてしまいます。

周りにいる言葉の選び方の上手な人は頭の回転数が高いのかもしれません。そして頭の回転数を上げることは、自分でも簡単にトレーニングすることが出来ます。それは物事を一言・二言でまとめるという作業をしてみることです。例えば人との会話で、報告なのか相談なのか質問なのかなど一言に出来るかどうかです。更に何に対しての会話かを考えてみることです。「一言で言うと○○についての質問ですか?」などと一言・二言でまとめてみるのが頭の回転数を高めるトレーニングとなると同時に、説明も上手になると思います。良かったらお試しください。

デレビで見かけるお笑い芸人さんで、一発屋で終わるか司会を務めるようになるかは頭の回転数の違いのようです。即興で言葉を選ぶことが出来る人は司会をするようになります。考えに考えてネタを作ることは出来ても即座に言葉を選ぶことが出来ない人は残念ながら、売れ続けることは難しいようです。(お笑いに関してはお笑いの心理学をご参照ください)言葉の選び方という視点で、人の言動を観察してみると、自分の言葉の選び方も上達するかもしれません。良かったらお試しください。

「砂糖をやめればアトピーが治る」とは限らない

砂糖をやめればアトピーが治るという本が出ているそうです。昨夜テレビでもそのことを放送していましたので見られた方もおられるかもしれません。砂糖をやめればアトピー性皮膚炎が治るという主張は半分は正しく半分は正しくありません。半分しか正しくないのは、原因が砂糖だけではないからです。

正しくは砂糖をやめればアトピー性皮膚炎が治るかもしれないということです。もしかしたら治る人もいますが、必ず治るとは限りません。何故なら砂糖だけが原因ではなく、糖質が原因だからです。更に付け加えると血糖値が上昇することが犯人のようです。

砂糖をやめるだけでアトピー性皮膚炎が治るのは、砂糖に対する依存・糖分依存によって生じているアトピー性皮膚炎だと思います。砂糖はアトピー性皮膚炎の原因の一部のため、砂糖をやめるだけでは治りません。アトピー性皮膚炎の原因は糖質依存に伴う糖質の摂り過ぎです。糖質回避を行い、糖質の摂取量(恐らく本質は血糖値)を一定の範囲内に抑える必要があります。砂糖を控えてもお米を山盛り食べればアトピー性皮膚炎は悪化します。

アトピー性皮膚炎の治し方振り返り法をご覧ください。ちなみに小児のアトピー性皮膚炎は食べる順番を気をつけるだけで治るかもしれません。良かったらご覧ください。

上手な説明の仕方 曖昧な言葉を明確にする

言葉には曖昧な部分があります。その曖昧な部分を文脈や話の流れから的確に判断することで意味を理解します。

例えば私は週末は御飯を食べないんです。と言う言い方には2つの解釈が成り立ちます。週末は断食するという意味と、週末はお米を食べないという意味です。御飯には主食である「お米」という意味と、「食事」という意味です。2つの意味がありますが、話の流れから「お米」という意味なのか「食事」という意味なのか無意識に考えながら聞いています。

説明が上手な人は最初からこの2つを明確に区別して伝えます。どちらの意味か相手に考えさせながら会話することは無駄だと知っているからです。理解するのに一瞬とはいえ余分な労力を要する上に、誤解される余地のある表現だからです。文脈からは「お米」を食べないという意味で話をしていても、聞き手にその意味を読み取る能力が足らなければ、週末は「食事」を食べないと聞いてしまう可能性があるのです。

説明が上手な人は曖昧な言葉、つまり2つ以上の意味を持つ言葉を、明確に区別する言葉に置き換えて説明します。解釈を間違う余地を無くすのです。今回で例えでは「御飯」を「お米」と「食事」に区別して説明するのです。

明確に区別して説明するためには、2つ以上の意味を持つ言葉を明確に区別して説明する必要があります。聞き手にどのように伝わるのかを考える想像力が必要ですし、2つ以上の意味を持つ言葉を別の言葉に置き換える知恵が必要です。説明が上手な人はこのことを無意識のうちに行うことが出来るのです。説明が下手な人は、想像力に乏しく説明したつもりになっていますが、曖昧な言葉を明確にすることなく使うためわかりにくくなります。曖昧な言葉を区別するため、聞き手が頭を使いながら聞く必要があるため、負担が大きくわかりにくい説明となります。

話し手が言葉を明確にするという知恵を使うことで、聞き手の負担を減らすことが出来るのです。そのことを理解している人は説明が上手ですし、短時間で正確な情報を相手に伝えることが出来ます。

失言から日頃考えていることがわかる

失言して話題になる人がいます。失言については以前人が失言する理由と対策に書きましたが、失言したという自覚がない人が大半です。何故なら自分の真意は違うから失言ではないと思っています。

今回もある校長が問題発言をし、結局辞めることになりました。最近では国会議員が巫女さんを蔑むような発言をして話題になっています。

失言をする人は何度も繰り返します。何故なら人がどのように言葉を受け取るか考えていないからです。どのように受け取られるのか想像力が足らないために、誤解を招く表現をしてしまうのです。そして誤解なら良いのですが、人に対する日頃からの見方が言葉に表れています。

例えば話題の校長であれば女性軽視、話題の国会議員であれば職業による貴賎の意識が根底にあることからあのような発言に至ったと類推出来ます。自分と対等だと考えていれば、あのような物言いにはならないと私は思います。校長も国会議員もただの一つの職業です。偉いかどうか、つまり尊敬に値するかどうかは周りが判断することで自分からアピールするものではありません。多くの場合、偉そうに振る舞う人で尊敬に値する人はいません。何故なら本当に尊敬に値する人であれば、偉そうに振る舞う必要がないからです。ちなみに偉そうに振る舞う人はコンプレックスの現れです。自信や実力が無いことを隠し偉いと思ってもらうために、必死で偉そうに振る舞うのです。

人の立ち居振る舞いは日頃の考え方があらわれるものです。謝罪会見などは前もって準備して取り繕うことは出来ても、質問の返答など即興で答えると日頃の考え方が滲み出てしまいます。

失言から考え方を類推してその人の本質を見抜くようにするのも面白いかもしれません。

ベストを引き出す最善の方法は競争

ベストを引き出すための最善の方法は競争することです。スポーツやイベントなどで競うのは一番を決めることが目的ではありません。みんなが手っ取り早くベストを尽くす方法が、人と競うことだからです。

競争が無ければ、何でも一番です。適当にやっていても一生懸命やっていても一番です。二番がないのでそれが凄いのか凄くないのか評価出来ません。比べることが出来ないからです。

行政改革行政改革と叫ばれていますが、競う相手がおらず比べることが出来ないことが一番の問題です。どれだけ対応が悪くても、行政のことは他で変わりが効かないので国民は我慢するしかありません。行政に一番必要なのは競争だと私は思います。

スポーツにおいて順番をつけることに異論もあるようですが、そもそも順番をつけるのは競うことでベストを尽くすことが目的です。順番は結果でしかありません。ベストを尽くした結果であれば、順番を気にする必要はありません。何故なら人には個人差があるからです。一番の人がいるためには二番や三番の人がいなければ一番にはなれないのです。ただ単にそういう個性なのです。努力すれば誰でも一番になれる訳ではありません。順番に意味があるのではなく、ベストを尽くすことに意味があるのです。他のことで一番を目指せば良いのです。たまたまその競争では一番になれなかったというだけです。

スポーツで勝つことが注目されるようになり、一部では商売に利用されることから、勝つことに意味があると錯覚してしまいました。勝つに越したことはありませんが、負けたら意味がない訳ではありません。

商売としてスポーツをしている人は勝つことが目的になっているのかもしれませんが、多くの人が競う目的を誤解している部分です。

組織でも競争が無ければ、改善は期待出来ません。競争が生まれると途端に改善をはじめます。例えば電力の自由化で突然割引競争になります。これは競争により最善を尽くさざるを得なくなることをあらわしています。このことからも行政にも競うことが必要だと私は思います。

スポーツをするから糖質を食べるという言い訳

患者さんと話をしているとスポーツをするから糖質を食べるという人が何人かおられます。明らかに糖質による害が出ているにもかかわらず、糖質を摂らなければいけないと思い込んでおられます。スポーツをするためには炭水化物を多く食べなければいけないと考えておられるのです。そして糖質依存のため冷静な判断力を失っておられるのかもしれません。

身体を作るために炭水化物・糖質を多く食べることを考えてみます。糖質はブドウ糖として吸収されます。効率の悪いエネルギーなので出来るだけ早く使おうとして空焚きをして体温を上昇させるようです。余ったブドウ糖は筋肉や肝臓にグリコーゲンとして蓄えます。それでも使い切れないブドウ糖は仕方がないので脂肪に変換して蓄えます。

糖質を多く食べたところで筋肉になるわけではありません。脂肪になるのでむしろ身体に重りをつけるようなものです。身体が重くなって有利なのは相撲や柔道・ラグビーなど体重そのものが武器になる限られたスポーツです。その他のスポーツでは積極的に糖質を多く食べることは重りを身につける行為でもったいないように思います。霜降り牛肉を思い浮かべてみて下さい。糖質を多く食べることで筋肉内に脂肪がついた状態(霜降り肉)の方が、筋肉だけより動きが良くなる理由はないはずです。人間の筋肉が霜降り状態になるかどうかは知りませんが、糖質を多く食べると身体に脂肪がつくのは間違いないでしょう。脂肪がつかない程動いているから問題ないという考え方ももったいない考え方です。何故なら糖質は効率が悪いからです。大量に食べても大した栄養にはならず、空焚きしているようなものだからです。そして糖質の害として病気を引き起こしているのであれば、少なくとも害が出ない程度まで減らす方がお得だと思います。

身体のエネルギー源としてのブドウ糖は最も効率の悪い栄養だと思います。脳がブドウ糖を積極的に使うので効率が良いと錯覚されているだけです。脳がブドウ糖を積極的に使うのは、誤作動を予防するためです。アミノ酸や脂肪酸は脳の活動に誤作動を起こすため、誤作動を起こすことのない単純なブドウ糖を栄養とするようです。

ちなみに糖質からブドウ糖をとらなくても、ブドウ糖が不足した時点でアミノ酸からブドウ糖を作ることが出来るので通常は低血糖にはなりません。

それでもスポーツをするためには炭水化物・糖質を多く食べる方が良いと考えるのは、一種の宗教・糖質信奉者のようなものかもしれません。そうなると信じる者は救われる…。私の口を出すことではなくなります。