嘘つき人間の心理

世の中には嘘が平気な人がいます。私は嘘をつくことで金銭的な得をすれば全て詐欺罪を適応すれば良いと考えています。多かれ少なかれ嘘は誰でもつきます。これまで嘘をついたことが無いという人はいないと思います。もし嘘をついたことが無いという人がいればそのことこそが嘘です。ここでいう誰でもつく嘘とは本音と建て前の建て前や、大袈裟に表現することなどを含みます。詳しくは嘘の是非 嘘の善し悪しをご覧ください。

しかしすぐにわかるような明らかな嘘はつかないのが通常です。何故なら嘘は後でわかると恥をかくだけでなく信用を失う分損だからです。嘘つきは泥棒の始まりという諺もあるように、嘘をつくことは良くないことだと教えられて育つのが普通です。

世の中には嘘が平気な人がいます。人は堂々としている人を信じる傾向があります。余りに堂々と嘘をつくと案外見破れないものです。そして嘘が平気な嘘つき人間は意外に多いのかもしれません。テレビに出て話題になった人だけでも、作曲出来ない自称耳の聞こえない作曲家、割烹着で悦に入った記者会見をした自称科学者、最近話題の学歴詐称が明らかとなった自称経営コンサルタントであるタレント、号泣議員など多数あります。

嘘つき人間の心理

有名になったから大問題になっただけで、嘘つき人間は意外に多いのかもしれません。その心理を考えてみます。嘘つき人間は嘘をつくことて損をすることなく得をして生きています。癖のようなもので、嘘に罪悪感がありません。息を吸うのと同じくらい自然に嘘が口をついて出てきます。そしてこれまで嘘をつくことで問い詰められたことがほとんどありません。もし嘘が発覚して嘘が通じなくなると、職場を変わったり引っ越したりして所属するコミュニティを変えることでまた嘘を繰り返します。

嘘つき人間は、本当の自分と理想の自分とのギャップに劣等感を感じることが原因です。普通の人は理想の自分に少しでも近づくために努力します。努力しても理想の自分に近づくことが難しければ、そのことを受け入れます。嘘つき人間は本当の自分を受け入れることが出来ないのです。理想の自分を装うために嘘をつきます。その嘘により得をすることがあれば更に嘘を重ねていきます。

嘘つき人間は言い訳人間でもあります。自分にも言い訳をして嘘をつくのではないでしょうか?

嘘に翻弄されないための対策

相手のことを無条件に信頼するのではなく、些細なことでも確認し信用するために裏付けをとることをお勧めします。何故なら人は誰でも嘘をつく可能性があるからです。後で困ることが無いように確認してみましょう。確認しようとすると、疑うことを非難する人がいますが、やましい心のある人が非難するだけです。やましい心のない人は確認されても何も問題ありませんので非難することはありません。

遊ぶと遊ばされるの違い

遊ぶと遊ばされるには違いがあります。
人は遊んでいるつもりで遊ばされれています。

遊ぶ

遊ぶとは自分の意思で行動を考えて楽しむことです。遊び本来の目的である頭の使い方、考え方を学び、他人と意思の疎通をはかり関係を築くことが出来ます。工夫次第で無限の遊び方を作り出せますが、遊びを自分で考える必要があります。慣れると簡単なのですが、遊びを自分で考えたことが無いと困ります。実際には0歳の赤ちゃんでも遊びを考えるので、正確な表現ではありません。遊びを考えることは誰でも小さい頃にらやっていたのですが、遊ばされていると遊びを考えることが出来なくなるようです。

人間には物事に飽きる仕組みが備わっているので、自分で考えて遊んでいると飽きてしまいます。飽きてくると自分で楽しめるように、遊び方を工夫して飽きることを避けることが出来ます。工夫しつくすと全く別の遊びを考えるようになります。

遊ぶことで様々なことを学ぶことが出来ます。何を使って遊ぶのか、ルールを考え、何に喜びを見いだすことが出来るか無から考えるのです。正に「0から思考」のトレーニングになるのです。しかも楽しめるように考えるので、遊びを考えるところから楽しむことが出来、大きな満足感が得られます。

遊ばされる

遊ばされるとは人に遊び方を決めてもらい、その遊び方に従って遊ぶことです。他人に遊び方を決めてもらうことを遊ばされると表現しています。他人に遊び方を決めてもらうので自分で考える必要がないので楽です。そしてお金を出してでも遊んでもらえるように、楽しんでもらえる仕組みを作り上げています。決められた遊び方しか許されないので自分で工夫することが出来ず、遊び方に変化がありません。そのため飽きないように(お金を出し続けてもあえるように)前もって飽きない仕組みを考えてあるのです。

遊ばされる具体例は、ゲームであったり、テーマパークであったりします。確かに楽しい仕組みが散りばめられているので、楽しませてもらうことが出来ます。これらの楽しませる目的がお金なので、遊ぶことで得られるものはありません。楽しかったという思い出だけです。お金を払うことで楽しい時間を買う感覚です。もしくは暇な時間をお金を払うことで楽しく埋めてもらう感覚かもしれません。

確かに遊ばされるのも楽しくはありますが、一度立ち止まってその意味を考えてみると良いかもしれません。

遊ぶと遊ばされるの違い

遊ぶとは自分で考えて行動することで、遊ばされるとは人が考えて行動させてもらうことです。つまり考えている人が違います。どちらが楽しいかは人それぞれです。

丁度「制限」と「回避」という言葉の違いに似ています。人に決めてもらう「制限」と自分で決める「回避」です。糖質は制限されらものではなく、自分の意思で回避する糖質回避という考え方が適していると思います。これもどちらを選ぶのか人それぞれです。

私は自分で考えて行動する方が楽しく感じますが、いかがでしょうか?

人は過去に執着する傾向がある

人は過去に執着する傾向があります。変化を嫌うのです。新しいことをしようとすると必ずと言っていい程反対する人がいるのです。過去と同じことをしているといつも同じ結果が得られるはずという錯覚が元になっています。状況は絶えず変わりますし、現状が最善であるとは限りません。むしろ人間の考えたことですから、不完全な可能性が高いと考える方が妥当です。

人類の歴史から考えると過去に執着することは一定の意味がありました。人は食べるものすら決まっていません。全て自由な反面、知恵がなければ何を食べて良いかわからない不思議な生き物です。過去に食べて大丈夫だった物は、次に食べても大丈夫だろうという意味で過去にすがる面がありました。過去に食べてお腹を壊したら、次に食べてはいけない知恵として過去を活用するのです。つまり過去を知恵として使う必要はあるのですが、過去に執着して新しいことを拒絶するのは得策ではありません。何故なら過去には戻れないからです。そして周囲の環境は絶えず変化をしているのですから、その変化に対応するために必ず変わらなければならない時が来るからです。

人間関係でも過去に執着する考え方があります。あの人はこうしたから許せない。この人はあんなことをしたから信用してはいけない。確かに過去にしてしまったことは消せませんが、今後どのように生きるかが大切なことです。過去の人の行動の原因を考えても意味がありません。何故なら人の行動はその時その時のちょっとした気の持ちように左右されてしまうからです。人間関係においては目的論によって考えると過去に執着することなく、建設的な考え方をすることができます。

過去の上手な使い方は知恵として活用するだけです。これからの行動を制限する言い訳にしてはいけません。

反省する人と反省しない人の違い

反省とは過去を振り返り未来にいかすことです。

反省する人

反省する人は過去にうまくいかなかったことを受け止め、次にうまくいくように自分に何が出来る(出来た)か考えます。

反省する人は改善策を考えるため、次に同じことがあればうまくいく可能性が高まります。こうして反省する人は成功を勝ち取ります。

反省する人は自分の非を認める強さを持ち、成功する可能性が高く、信頼に値します。

反省しない人

反省しない人は自分に非があるということに気づくことが出来ません。反省しないのではなく、自分は悪くない(と思い込んでいる)から反省出来ないのです。自分に落ち度があってもそのことを受け入れることが出来ないので、誰か他の人のせいにします。反省しない人は言い訳人間であることが大半です。反省しない人の中には過ぎてしまった過去に興味がないため、反省出来ない人もいますが、稀です。

反省しない人は自分の非を認めることが出来ませんのね、改善が期待出来ません。反省しない人は言い訳人間同様距離を置くのが一番です。どうしても距離が置けないのであれば、改善を期待しないのことです。そういう人だと受け入れるしかないと私は思います。

2人以上出産発言校長、勘違いを露呈も自覚無し

公務員を見張る仕組みの導入を切に願う私ですが、やはり未来を担う子供たちへの影響を考えると教師を見張る仕組みをまず作るべきだと思います。何故なら学校において怪我人や死人が出ているからです。死人とはイジメなどが原因の自殺、怪我人とは体罰や稚拙な監督の元での事故です。全ての責任を負うべきと主張する訳ではありません。ただ仲間である教育委員会ではなく、第三者が言動を見張る必要があるのでは無いかと考えます。これらのことは深くコメントしませんが、隠蔽しようとすることに問題の根があります。起こってしまったことは仕方ありません。再発防止にこそ意味があるのですが、そのことを理解していないのであちこちで同じことの繰り返しです。

今回の問題は以前にも書いた校長の思い違いが根本原因ですが、誰もその思い違いを指摘し本人に理解させることが出来ないことが問題です。教育委員会に呼ばれ、走れメロスのメロスの心境で行ってきたと語っていました。メロスは自分の非を自覚していますが、校長は自覚していないので的はずれです。心境を語るなら無実の罪で事情聴取を受けるという意味で、冤罪の被害者の心境と言うべきでしたが、良く理解されていないようです。

全てを通して聞けばわかってもらえると豪語されていますが、結局大切なことは出産と言い訳していました。その上で自分の子供が何人いるかは明らかにしませんでした。もし1人しか子供がいなければ「女性として最も大切なことを果たしていないという奥様の心境をお察しします」と記者がコメントし、その反応をカメラにおさめると良かったかもしれませんね。もし独身で子供がいなければ…。

教育委員会がたしなめることが出来なければ、仕組み自体に問題があることを露呈してしまうことになります。

校長が国語の教師であることも驚きでしたし、記者会見に「他の教師も勉強になるから来い」と発言していたのにも驚きました。国語の教師であれば言葉の使い方を子供たちに教える立場です。ということは言葉の持つ意味合いを教えるにも関わらず、自分の言葉がどのように人に理解される可能性があるのかわからないのです。

気持ち良く授業風の記者会見をされていましたが、勘違いがはっきりと浮き彫りになっていました。私はどの程度の勘違いぶりか確認する目的で見ていましたが、見ていて痛々しくなる程勘違いされていました。子供たちは純真無垢だから教師に反論したりしませんから授業が成り立つのでしょう。その純真無垢な子供たちに偏った考え方を一方的に伝えることにこそ問題があります。

どんな勘違いをされているのか確認してみて下さい。確か同じ大阪だったと思いますが、社会人から校長を登用してトラブルがありました。社会人から校長になった人だけでなく、教師から校長になっている人にも問題があるのかもしれません。

客観と主観の違いがわからない人が校長をすることに問題があると思います。誰か客観と主観の違いを教えてあげて欲しいのですが、違いを知らないという自覚がなければ聞く耳を持たないでしょう。

「裸の王様」の寓話が頭に浮かぶのは私だけでしょうか?

野次馬の心理 人が芸能ニュースを見てしまう理由

野次馬の心理を考えてみました。野次馬とは自分に関係ないことに興味本意で騒ぎ立て、見物することです。その心理は本来他人の失敗により、食料や配偶者の確保において相対的に有利になるため、興味が湧くのです。人類の進化の歴史において、他人は仲間であると同時に食料や配偶者を奪い合うライバルだったのです。そのライバルの失敗がどの程度の失敗で、どれだけ得をするのか見極めるために興味が湧くのです。「他人の不幸は蜜の味」は同じような心理状態です。他人の失敗により、相対的に有利になった自分を確認することを目的として他人の失敗に興味が湧くのです。しかし人間は文明を発展させ、倫理観を身につけました。明らさまに他人の失敗を喜ぶことは恥ずかしいことだとされています。だから明らさまに他人の失敗を喜ぶことはありませんが、他人の失敗に興味を持ってしまうのはかつての名残りです。

芸能ニュースで芸能人の離婚や不倫のニュースに興味が湧くのは、本来なら無駄な心理です。何故なら芸能人とはかけ離れているため、芸能人の離婚や不倫が自分の生活に変化をもたらす可能性はないからです。にもかかわらず放送されるのは、視聴者の野次馬の心理を利用し視聴率を稼ぐことが目的です。テレビ局の目的と視聴者の心理が合致することで、意味をなさない芸能ニュースがテレビで垂れ流されることになるのです。結婚や出産などおめでたいニュースは心温まる一面がありますが、離婚や不倫などの失敗のニュースは野次馬と同じで知ったところで何も得るものがありません。元々興味を湧く理由であった人の失敗が自分の利益になることもありません。失敗例として何に注意をすると失敗しにくくなるのかという視点で、反面教師として受け取るなら意味がありますが、そのような視点の芸能ニュースは見たことがありません。テレビ自体が野次馬としての興味本位で放送する芸能ニュースばかりです。

芸能ニュースを見る際に、そのニュースを見ることで何が変わるのかを考えることです。会って話をする人ではありません。テレビの中の別世界の話です。少なくとも自分の生活は変わらないはずです。それならば時間をかけてまで見る価値は本来は無いのです。興味が湧くのは、他人の失敗が自分の生活を変えると錯覚するからです。芸能人が失敗しても生活は変わらないので、興味が湧くこと自体が錯覚なのです。

ある校長の発言 女性の最も大切なことは二人産むこと

ある公立中学校の校長が「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと」という発言をし問題となっています。

校長本人は問題だと指摘されていること自体が理解出来ないと思います。何故ならこの発言の仕方でどのように受け取ることが出来る可能性があるのかが理解出来ないからです。その問題点を考えてみます。

問題点を校長は理解出来ない

人が失言する理由と対策に書きましたが、失言する人は人が言葉をどのように受け取る可能性があるのか想像力に乏しい人が多いのです。そして真意を理解出来ない人の問題であって、自分は悪くないと考えています。その証拠に一時ホームページに発言内容が掲載されていました。読んでもらえば真意はわかるはずだと思い込んでいた証拠だと私は思います。

インタビューされても話がかみ合わないのは、何が問題になっているのか理解出来ていないからです。そしてインタビューする人にとっては、校長は何が問題かわかっていて当たり前だと思い込んでいるのです。

校長の価値観がみんなの共通認識だと思い込んでいるので、違う考え方があることを想像出来ないのです。そのことを解説してみます。

校長の視点

このままでは人口が減ってしまう。そのためには男性は産めないから、女性が多く産むしかない。国が存続するためには女性が多く産むしか選択肢がない。人口を減らさないためには夫婦2人に対して、次の世代である子供たちを2人以上産むのは最も大切なことであり当たり前である。

校長の視点の問題点

  1. 言い方が女性の最大の価値を産むことだと錯覚させる
  2. 人口が減ることが悪いことだと決めつけている
  3. 人口を増やす方法が女性が産むことだけに限定している

一番問題と考えられるのは、共通認識とは言えない「子供を産むことが一番大切」という価値観を中学生に一方的に伝えたことです。一つの考え方として伝えることはあっても良いと思います。しかしこの価値観がみんなの共通認識の如く主張することに無理があります。校長は自分の中では当たり前でみんながこのように考えていると錯覚しているのです。だからこそ堂々とホームページにも記載したのです。

1.「女性にとって最も大切なことは2人以上子供を産むこと」という言葉は言外に産んで当たり前という意味が込められています。女性が産むこと以外の生き方を認めない考え方に基づいています。

恐らく校長の頭の中には女性が子供を産まないという選択肢が無いのか、産まないことが許せないのだと思います。そのことが言葉に表れていることをメディアも指摘したいのですが、言葉の問題でうまく伝えられず齟齬を生じ問題がわかりにくくなっているようです。

2.人口が減ることが悪いことだと決めつけています。人口が少なくなっても快適な生活を出来る知恵を探すという選択肢もあるはずです。人口が減る方が良いか増える方が良いかは議論の余地があります。人口が減る方が、ゆったりと生活出来るためより人間的な生活が出来るかも知れません。これも人口が減っては絶対に困るという価値観を元にしています。そう思い込んでいるので、みんなの共通認識だと錯覚しています。人口が減ると困るのは労働力ですが、機械が進歩すると人が少なくても今と同じ生活が維持出来るかも知れないのです。むしろゴミなどは減るため環境には良いかも知れません。そういう視点からも物事を考える余地があります。

3.人口を増やす方法は女性が産むだけとは限りません。海外から移民を受け入れる選択肢もあります。議論の余地がある話を当たり前のように女性が産むしか無いと言い切ったところに問題があります。校長は海外からの移民の選択肢などあり得ないと思い込んでいるのではないでしょうか?だからこそ当たり前に考えて産むしかないと思い込んでいるのだと思います。

本来なら子供たちが考えること

私は人口は減る方が良いとか移民を受け入れるべきだと言いたい訳ではありません。それらの選択肢を含めて日本の未来を創り出すのが今の子供たちです。その考える余地を奪うような一方的な考え方を中学生に伝えたことが問題の根本だと思います。校長は自分の考え方が正しいし他にはあり得ないと思い込んでいたのでホームページに堂々と掲載したのではないでしょうか?掲載ことで大問題に発展してしまいました。誰かがこれらの視点が抜け落ちていたことを伝えることが出来れば、事はここまで大きくはなりませんでした。

子供たちに考えるきっかけを与えたいのであれば、事実を伝えるだけで良いのです。「このままでは人口が減ります。世の中の女性達が子供を産まなくなっています。それで良いのか悪いのか君達が考えてみて下さい。その理由と対策を考えて、日本の未来を切り開いて下さい」と。

やはり以前別人の万引きで自殺について別人の万引きで自殺 否定しなかった理由で書きましたが、教師を見張る仕組みが必要です。本来なら公務員を見張る仕組みが必要ですが、子供たちへの影響を考えるとまず教師を見張る仕組みを作るべきです。教師は学校では強大な力を持つ権力者です。その権力者の言動に問題がないか見張る仕組みが必要だと私は思います。

将来営業マンがいなくなる合理的な理由

将来営業マンがいなくなる合理的な理由があります。何故なら消費者が賢くなって営業マンの人件費が捻出出来なくなるからです。
例え良い商品があったとして営業マンから勧められたとしても、説明は聞くものの購入はインターネットで買うからです。今でも営業マンの人件費分高い商品をわざわざ買ってくれる人は少ないのではないでしょうか?
まだインターネットでは売っておらず、営業マンから商品を購入するしかない商品は成り立つかも知れません。しかし法律での規制でもない限り何でもかんでもインターネットで取り引きされる時代です。ということはわざわざ営業マンから買うというスタイルが今のまま残ると考える方が不思議です。
事実家電製品では家電量販店で実物を確認しインターネットでの購入する人がいます。今は営業マンの仕事があってもいずれ無くなると考える方が妥当だと思います。

営業マンがいなくなるもう一つの理由が営業マンに課せられたノルマです。そのノルマを達成するために営業マンが説得マンに成り替わるのです。この説得マンが営業マンのイメージを悪化させます。一時の営業成績のために説得して商品を売り付けるのです。根負けするか「衝動買いの心理」によりつい買ってしまうのです。言葉巧みに買うように誘導されてしまうので、営業マンを避け自分の好きなように買うことの出来るインターネットでの購入を選択します。「衝動買いの心理」に惑わされることなく自分の意思で買う上に安いのですから、営業マンからわざわざ買う理屈はありません。

そして今起こっていることで凄いのは、営業マンが小売店を回って販売してもらっていたある商品を直接インターネット販売し始めたことです。しかも小売店への卸価格でインターネットで直販するので小売店では商売が成り立たなくなっています。インターネットでの購入に抵抗がある人や、インターネットの方が安いことを知らない人も一定数残っているため商売がかろうじて成り立っています。しかしインターネットの方が便利で安いことに気付いた人から、小売店からインターネットでの購入に流れてしまいます。言わば小売店はお客さんを捕まえてもらう撒き餌で、インターネットで釣り上げるようなものです。小売店と営業マンの役割は終えつつある証拠です。

将来においてもインターネット販売が考えにくい高価な車やマンションなどは最後まで営業マンは残るかも知れません。しかし自動運転が当たり前で電気自動車の時代が来れば、そもそも車を買うという考え方が無くなるかも知れません。好きな時にスマホを操作すれば家まで車が迎えに来てくれて目的地に連れて行ってくれる、無人タクシーのような使い方が主流になる可能性すらあります。利用頻度が高いために購入するとしても、今の電気製品と変わらず自動運転の電気自動車をインターネットによって購入することが当たり前になる時代になるかも知れません。

このように考えると高価な車ですら営業マンがいらなくなるかも知れません。ということはどんな業種の営業マンもいらなくなる可能性があるのです。時代の流れが私が思ったよりも遅ければ、現在40代の営業マンは無事に定年を迎えることが出来るでしょう。私が考えているよりも遥かに早ければ、何歳であっても来月から来なくていいよと言われるかも知れないのです。

営業マンとして物を売る人も営業マンから物を買う人も営業マンの本質に気付き、少しでも物事を考えるようにしましょう。

近い将来医者が余る3つ目の理由

ある程度成績が良いと医学部に進学するという風潮があるようです。何故なら医学部に進学した時点でその多くが医者になれるからです。そして一度医者になれば生涯安泰だと考えられています。だからこそ親は安心な資格として医師免許をとるように促します。

丁度30年程前に歯科医が人気だったことが思い出されます。医学部程は難しく無く、当時は収入も多かったからです。今では歯科医が増えてしまった上に、虫歯の数自体が減っているので経営は大変です。需要と供給のバランスで勤務している歯科医の待遇は悪くなる一方のようです。資格があっても待遇が悪くなっているのは弁護士や公認会計士も同じようです。弁護士や公認会計士もやはりコンピュータに仕事が奪われつつあります。

資格があるから安心というのは過去の幻想のようです。

前回近い将来医者が余る2つの理由と題して記事を書きました。1つは糖質回避により病気そのものが減ること。2つ目は人工知能により医者が生身の人間である必要がなくなるということです。そしてふと3つ目の理由を見つけました。今回はそのことに関して書こうと思います。3つ目の理由に関しては現在進行形で既に始まっています。インターネットの情報により受診する必要が減ることです。

インターネットが出てくる以前は、何か身体に不調があると病院を受診していました。少し気の回る人は家庭の医学などで調べて、必要があれば病院を受診していましたが大半の方はすぐに病院を受診していました。今では違います。困ったことがあればまずインターネットで検索します。間違った情報もありますが、大まかな知識を得ることが出来るようになっています。以前はその大まかな知識すら医者に聞くしか知ることが出来ませんでした。本による正確な知識を得ようと思えば、医学書を読むしか無かったからです。

今では医者だけでなく患者さん自ら情報発信する時代です。情報発信する視点は様々ですが、自分の病気を公表し治療法や経過が掲載されているものもあります。結局は健康食品の宣伝とか、広告収入目当てで大袈裟に書いてあるページも散見されるのはご愛嬌です。同じ病気で悩んでいる人の助けになることを目的とした患者さん自らの情報発信もあります。それらの情報はこれまでにない効果をもたらします。医者でも知らないような情報も含まれているのです。つまりこれまでは偶然知り合いに同じ病気の人がいなければ知りえなかったことをインターネットを通じて、知ることが出来るのです。

そもそも病気の治療を医者が独占していたのは、安全性を担保しながら医療を提供するには効率が良かったからです。膨大な病気に関する情報の中から病気を検索し、診断することが人間の頭脳を使うしか無かったのです。その状況が一変したのはインターネットとそよ検索システムです。人間の頭脳にしか出来なかった情報の中から必要な情報を取り出すことをいとも簡単に出来るようになったのです。今の所インターネットの情報は玉石混交で、正しい情報を取り出すにはそれなりの知識やテクニックを要します。しかし医者にかかる以外他に選択肢の無かった時代から考えると天と地ほどの差があります。自分で病気の情報を探す人が増えつつあるのです。このことが医者が余る世の中を加速していきます。

安全性が担保されながらもっと効率が良い方法があれば、そちらにシフトするのは当然の流れです。

現在起こりつつあることは、今の所診断をつけてもらうのは医者であっても、診断の根拠を自ら検証し治療法(治る方法)を探す時代になりつつあります。現在のところインターネットには体系立てて診断する仕組みが無いため、患者さん自身の診断は誤りが多いのですがインターネットで体系立てて診断する仕組みさえ出来てしまえば、診断のために受診しなくて済む時代が来るかも知れません。

しかも医者を受診すると病気を治る方法ではなく、治さない方法を教えられる可能性まであるのですから、本当のことを知った人から順に益々医者離れが加速するでしょう。例えば2型糖尿病アトピー性皮膚炎ニキビなどは糖質回避により簡単に治るにも関わらず治らない方法しか医者が知らないのですから厄介です。そして治ることを知っても自分の利益を守るために、患者さんに教えようとしない医者もいることでしょう。治る方法を教えてくれない医者は淘汰される時代がやって来るでしょう。

医療業界は激動の時代に突入します。この話を信じるか信じないかは貴方次第です。

肥満 自制心が足らないから知識が足らない認識へ

一般的に太っているのは自制心が足らないと思われています。しかし肥満糖質依存による糖質の過剰摂取が原因です。自制心が足らない訳ではありません。つまり糖質に対する知識が足らないだけなのです。

糖質制限(糖質回避)をすると痩せるのは、そもそも太った原因である糖質を避けるのですから当たり前といえば当たり前です。実際には糖質制限することで糖質依存から抜け出すことが出来るので、過剰摂取が無くなります。過剰摂取により食べ過ぎていた食事量が、身体に応じた適正な食事量に戻るため痩せるのです。食事量が減ることを胃が小さくなると表現する人もいます。

糖質をやめるのは無理だと思う人は、糖質依存ならではです。ニコチン依存の人がタバコをやめられないのと同じですし、アルコール依存の人がお酒に執着するのと変わりありません。

糖質を避けるだけでお腹いっぱい食べることが出来るので、ダイエットの際の食欲の我慢は過去の話です。糖質依存から抜け出すまで糖質を避けるだけで良いのです。一生糖質の我慢が続くという錯覚により糖質をやめにくく感じてしまいますが一時のことです。糖質依存から抜け出すまでの期間は人それぞれです。早ければ3日ですが、2・3週間の人もいれば1か月以上糖質依存から抜け出すのに時間がかかる人もいます。その期間は糖質を我慢するだけです。糖質以外はお腹いっぱい食べても良いので、食欲の我慢がありません。

糖質を回避して糖質依存から抜け出すことをしない他のダイエットは、アクセルを踏みながらブレーキを踏んでいるようなものです。太る原因である糖質を食べながら、他のダイエットで痩せようとしてもなかなか痩せられないのは当たり前です。リバウンドは痩せたことを身体が飢餓状態と錯覚するので食欲が増すことで起こります。糖質回避は元々お腹いっぱい食べているので、糖質を食べ始めない限りリバウンドすることがないのです。

自制心が足らない訳ではない

糖質依存により食べることが止まらなくなります。糖質を少し食べると余計お腹が空くという不思議な感覚がありますが、これも糖質依存の一症状です。糖質を少し食べると条件反射により、インスリンがいつものように大量に分泌され血糖値がかえって下がるため余計お腹が空くようです。自制心が足らない訳ではないのです。パブロフの犬のような条件反射が原因なのです。

糖質を食べる満足感が、次の満足感を求め続けて食べることが止まらなくなります。人類の進化の歴史の上で命を懸けて食べ物を取りにいくために身につけた依存の心理に陥っているのです。命の危険に打ち勝って食べ物を取りにいく程の心理ですから、自制心では抑えきれないのです。本来なら10分目で満腹と感じるはずが、物理的に胃に入らなくなる13分目程度まで食べることでお腹がはち切れそうになるのです。その依存の心理が無くなるから13分目も食べることは出来ず、本来満腹と感じる10分目しか食べるのとが出来ないので、無理無く痩せることが出来ます。

糖質を避けることで糖質依存から抜け出すことが出来れば、簡単に痩せることが出来る知識を実行するだけで良いのです。

自制心が足らない訳ではなく、糖質に対する正しい知識が足らないだけなのです。

糖質依存の考え方は間違いありません。糖質回避を受け入れるか受け入れないかではありません。いつ糖質回避を始めるかです。10年後には糖質の正しい知識が広まり、糖質依存の人が減ると私は思います。