高額所得者が経済的に困窮し破産する理由

誰もが羨む高額所得者がその後経済的に困窮し破産してしまうこともあるようです。その理由を考えてみます。

この記事を書くきっかけは、偶然ネットニュースでアメリカのある有名俳優さんが経済的に困窮している記事をみかけたことでした。一時は資産125億ともいわれ、出演のギャラは1話につき180万ドル(約1億8000万円)だったそうです。一般庶民からすれば夢のような資産・収入ですが、現在仕事はなく両親の家に住んでいるそうです。

この俳優さんに限らず、高額所得者が経済的に困窮し破産することがあるのは何故でしょうか?。それは同じ状態が永遠に続くと錯覚することと、お金を使うことに依存してしまうことが原因です。

永遠に続く錯覚

多くの人は経済状態が今より悪くなることはなかなか想像出来ません。今と同じか、むしろ今より良くなると思いこんでしまいます。

特に俳優さんなどの人気商売だと一気に売れるので、この錯覚に陥りやすいようです。右肩上がりにずっと売れ続けると思い込んでしまうのです。

芸人さんで一気に売れてしまった人も同じような心理に陥ります。頭では一発屋で終わるかもしれないと思っていても、一昨日より昨日、昨日より今日の方が人気が出ていると永遠に続くと錯覚してしまうのです。

宝くじに当たった人も稀にこの錯覚に陥ると、その後経済的に困窮してしまうことがあるようです。冷静に考えれば宝くじに2度当たることは無いのですが、同じことが起こると錯覚してしまうのです。

永遠に続くと錯覚してしまうと、お金を使っても減らないと錯覚してしまいます。ここに落とし穴が潜んでいるのです。

お金を使うことに依存

突然大金を手にすると舞い上がってしまってお金を使うことに依存してしまう人がいます。買い物に依存したり、高い飲食や宿泊にお金を使うようになってしまいます。お金を使う依存は自分で歯止めをかけることが出来なくなるのです。

衝動買いの心理」により、衝動的にお金を使ってしまいます。お金を使うこと自体に満足するのです。お金を使うことに対する依存が厄介なのは、同じことをしても満足出来なくなることです。お金を使う刺激に慣れてしまうのでお金の使い方がエスカレートしてしまいます。初めての高い買い物や飲食を経験すると満足するものの、物事に飽きてしまう心理により同じ物や飲食では満足出来なくなってしまいます。初めての時にはワクワクしても、同じ経験ではワクワクしなくなるのです。ワクワクするためにより高い買い物や飲食を求めるようになるのです。

お金を使うことに依存してしまうと、お金を使うことが止まらなくなります。借金してまでお金を使うようになると末期症状です。お金がいつまでも入ってくる錯覚に陥っていると借金しても支払えると思い込んでしまうのです。収入が確実に増えるのであれば借金しても問題ないかもしれませんが、借金の時点で収入のピークだと経済的に困窮してしまうのです。

高額所得者が経済的に困窮してしまう理由は、お金を使うことに舞い上がり、いつまでも続くと錯覚することによって起こります。

高額所得者でなくても、お金を使うことに舞い上がってしまえば、実は誰にでも起こり得ることです。注意しましょう。

論理的思考の得手不得手の指標

論理的思考の得手不得手はある程度遺伝による影響を受けるそうです。
その論理的思考の得手不得手を見極める簡単な指標があるので考えてみたいと思います。

論理的思考の得手不得手の指標の一つはタバコを吸うか吸わないかです。タバコは百害あって一利なしの嗜好品です。吸う人自身の健康被害はもちろんですが、副流煙として吐き出される煙は迷惑以外の何物でもありません。

タバコをやめるやめないが論理的思考の得手不得手の一つの指標です。やめられないからと言って必ずしも論理的思考が出来ないという訳ではありません。タバコがやめられないのはニコチン依存という病気だからです。

少なくともタバコをやめることが出来た人は論理的思考が得意な人だと思います。ニコチンに対する依存度が低く、やめることが出来ただけかもしれません。タバコのことをよく知らないうちに興味本位で吸い始めやめられないのは良く聞く話です。タバコを吸うか吸わないかを論理的に深く考える前に吸い始めてしまった人達です。改めて論理的に思考し、タバコはやめる方が得だと考えてやめることが出来たのです。

最も論理的思考の得意な人はタバコを吸ってみるかどうか、吸う前に考えます。病気になるとわかっていても、なかなかやめられない人達のことを知った上でタバコを吸うかどうか論理的に考えるのです。一時の快楽のために一生吸い続ける罠にかかるのはもったいないと考えるのです。

一概にはいえませんが、論理的思考が得意かどうかの一つの指標になりそうです。タバコを吸っている人に理屈で納得してもらうのは難しいかもしれないことを知っておくと良いと思います。

少なくとも理屈で何が何でも行動を変えるという強い意思はないのかもしれません。

グレる(非行に走る)子供の心理

グレる(非行に走る)子供の心理を考えてみたいと思います。あくまでも私がスーパー心理学として考えたことなので、本当に当てはまるかどうかはグレる子供を見て判断してみてください。今でも世間一般でグレるという言葉を使うのかわかりませんが、グレるとは人とは違う悪い行動をすることです。

人の行動には必ず目的があります(目的論)。目的を自覚出来ていない場合もありますが、必ず目的があるのです。子供がグレるのも目的があります。優秀な子供がグレることは通常ありません。何故なら優秀な子供にはグレる目的がないからです。優秀であればわざわざグレなくても賞賛されるからです。人は誰でも周囲の人から認められたい、受け入れて欲しいという欲求を持っています。優秀な子供は周囲から認められるので、その欲求が満たされているのです。グレる子供は称賛されることは難しいため、認められるための別の手段を考えるのです。つまりグレる子供の目的は相手にして欲しいのです。相手にして欲しい自分を認めて欲しいのです。グレる子供に寂しい思いをしている子供が多いのはそのためです。勉強やスポーツで称賛を得ることが難しいことを悟った子供が、認めてもらうためにグレるのです。無視される、相手にされないよりは怒られる方が認められる欲求が満たされるのです。しかしその結果得られるものは当然称賛ではありません。負の称賛とでも言うべき非難の意味を持つ感情で認められるのですが、グレる子供にとっては無関心よりましなのです。存在を認められているからです。通常の人の視点ではこのことが理解出来ないので、何故グレるのか理解出来ずどう対処して良いか分からないのです。褒められることが出来ないから非難されることをするという、普通の大人には理解出来ないため、混乱してしまうのです。

グレる子供本人も言葉に出来る程深く考えて行動している訳ではないでしょう。相手にして欲しいからグレるとは口に出来ないでしょう。

グレる子供によっては周囲が自分のことを理解してくれないことを理由に上げることがありますが、言い訳に過ぎません。相手にして欲しいことを口に出せないので、探し出した言い訳に過ぎないのです。

一部では非常識なグレる行動を称賛するような仲間を見つけ、その称賛を得るために行動がエスカレートする場合もあります。寂しい者同士が慰め合うような心境なのでしょう。

周囲の無関心が嫌なのでグレる行動を取るのです。例え怒られるとしても相手にして欲しいのです。そのため怒るのは逆効果です。何故なら怒られるのは相手をしてもらっているからです。褒められるという本来望む形での相手ではありませんが、次善の策として怒られる方が無関心よりましなのです。つまり怒られると成功体験として記憶され、相手にして欲しい度に繰り返してしまうのです。

対策は怒るのではなく、どのように相手にして欲しいのか本人に聞くことです。同じことを繰り返したら、相手にしないことを伝えることです。グレる行動をするとグレた子供が困ることを考えて防ぐことです。

広島に所縁のない人達がカープファンになる理由

プロ野球にはいくつものチームがあります。多くの人は地元など何らかの所縁のあるプロ野球チームを応援します。しかし広島カープは広島との所縁のない人達が応援しています。その理由を考えてみます。

一言で言えばカープの選手の銭金ではない心意気に共感するのだと思います。札束で選手を買い漁る球団がある一方、銭金ではなくカープでプレー出来ることに誇りを持って帰ってくる選手に共感するのだと思います。世の中お金だけが全てではないということをカープの選手が、身をもって証明してくれるのでファンになるのだと私は思います。

その集大成がリーグ優勝です。とにかくお金をかけて選手を集める球団と対照的に、お金のことは二の次で集まる心意気に惚れるのだと思います。

お金を尺度にして物事を考えることしか出来ない人には到底理解出来ない魅力を秘めているのがカープという球団です。世の中お金だけが全てではないことを証明してくれたので、涙を流して我がことのように喜ぶのです。

お金は大切です。しかしそれだけではないとも思っています。しかしお金の威力と魅力を前にすると多くの人が屈してしまうのです。お金の対極にあるものの象徴、アンチテーゼがカープという球団なのではないでしょうか?

資本主義は良くも悪くもお金を中心に物事が動きます。資本主義の世の中ですからお金をかけて球団を強くするのは自然な流れです。上手な選手に高いお金を投資をし、球団を勝ちに導くのは資本主義では悪いことではありません。しかしお金が全てという考え方に何か釈然としないモヤモヤした気にさせる部分があるのも確かです。そのモヤモヤをスッキリさせてくれるのが、お金ではなく思いで動くカープの選手達です。

お金をかけて勝つのは当たり前です。お金をかけられないのに勝つところにカープに魅力を感じるのだと思います。日本人特有の判官贔屓も根底にはあるのかもしれません。

広島に所縁のないカープファンの人に直接聞いた訳ではありませんが、少なくとも私はこのように想像しています。

言い換える能力

これからの時代に求められる能力は、言い換える能力だと私は思います。言い換えるとは言葉を変えて説明することです。知っている言葉を並べるだけでは上手く伝わりません。

言い換えるためには、相手が理解出来る言葉を選ぶことが必要となります。相手が理解出来ない言葉に言い換えても、相手を混乱させるだけで『意味』がありません。相手の理解を促す言葉に言い換えなければいけないのです。

上手く言い換えることが出来ない人の中には、怒り出す人もいます。上手く説明出来ないことを隠す目的で、怒り出すのです。

相手に理解してもらえる言葉に言い換えることの出来る人は、説明が上手です。相手に合わせて言い換えることが出来るので、人に説明する職業で重宝されると思います。相手の質問に対して的確に答える仕事は当分の間機械に置き換わることはないと私は思います。

簡単な受け答えは今にでも機械に置き換わりそうです。言い換える能力を磨くことをお勧めします。言い換える能力のトレーニングには、子供の考え方のトレーニングのやり方が役立つかもしれません。その場合、子供ではなく自分の頭の中を整理するのです。様々なことを思い出し、キーワードを見つけてインデックス化していくのです。そうすることで頭の中の言葉が整理され、言い換えることが出来るようになると思います。もし良かったらお試しください。

子供の考え方のトレーニング法

子供の考え方のトレーニング法はまだ確立されてはいません。今のところ学校で勉強という形で考え方のトレーニングらしきものはされてはいますが、科学技術の進歩により多少の違いはあっても、明治時代から本質は変わってはいないようです。

今回子供の考え方のトレーニング法の一例を提案してみたいと思います。

今の学校での勉強は暗記とその活用が主眼です。残念ながらこれから暗記力・検索能力には大した意味がなくなります。何故ならコンピュータやタブレット、スマートフォンが代わりに記憶してくれるからです。メモという意味もありますし、そもそも既にメディアに記憶され整理されているのです。わざわざ覚える必要などありません。

覚える『意味』があるとすれば、自分の頭で考える時だけです。思考する元は頭の中に入れる必要があります。思考し新しい考えを生み出さないのであれば記憶すれ必要などありません。記憶という作業は機械に任せれば良いのです。いつでも瞬時に頭の中から適切な情報を引き出す検索能力が『意味』を持っていたのは、人間の頭脳しか検索する手段がなかったからです。他に選択肢がなかったよで仕方なく人間の頭脳に頼っていただけのことです。

わざわざ人間の頭に記憶する『意味』があるのは、思考のためと書きました。思考するためには頭の中に入れ込み、考えるために瞬時に頭の中から検索しなければなりません。細かい数字などは機械に頼れば良いのですが、本質を理解するための記憶・知識を身につけ、活用出来るかが問われる時代になっています。現在進行形で物凄い勢いで変わりつつありますが、不思議とそのことに気付いている人は少ないようです。

子供の頭のトレーニング法

頭のトレーニングの目的は物事を瞬時に思い起こすことです。思い出す癖をつけるのです。それを何となくトレーニングしているのが学校の勉強で、テストという形式で思い起こすようにしています。しかし残念ながら一方向からの出題なので頭の検索能力が高まりません。テストに出ることだけ答えることが出来るようになるだけです。

私は記憶のインデックス化を提案します。人間の記憶はキーワードで思い起こすようにできています。キーワードが複数ある言葉や事柄は思い出しやすく、キーワードが設定されていなければ思い出すきっかけを失ってしまうのです。後で取り出せない記憶はないのと同じです。記憶のインデックス化とは、キーワードをインデックスとして記憶の頭出しを出来るように、記憶を整理することです。

記憶の整理をすることで、思考する際に必要な情報を自分の頭の中で探しやすくなります。頭の中が整理されていれば考える際に足らない情報も浮かび上がるため、足らない情報を外部から探すことも出来るようになります。

具体的な子供の頭のトレーニング法は、キーワードを使って記憶を思い起こさせることです。例えば旅行に行った際に帰った後で、「◯◯の旅行、一番楽しかったのは?」という二つのキーワードで子供の頭の中を検索してもらうのです。頭の中の整理・インデックス化されていればすぐに答えが返ってきます。まだインデックス化されていなければ何も答えられず固まってしまうでしょう。そこで次のキーワードを与えてあげるのです。最初に◯◯に着いたよね?という具合に思い出すきっかけを探っていくのです。

時間が経つにつれ忘れるので、時間が経つ前に聞いてあげましょう。「昨日学校で何があった?」でも構いません。「驚いたこと」というキーワードで聞いても構いません。何でもいいのです。

問い掛けることで子供は必死で頭の中の記憶を探し回ります。そして自分の頭の中の記憶の探索を繰り返していると、記憶が整理されインデックス化されるのです。この整理された記憶が思考の際に役立ちます。整理されていない記憶は、テストにしか役立ちません。

子供の頭のトレーニングには頭の整理に役立つキーワードを投げかけることだと私は思います。良かったらお試しください。偏差値を上げる努力をするより余程『意味』があると私は思います。

暗記力・検索能力に大した意味がなくなる理由

少し前まで暗記力や検索能力はある程度頭の良さを示す大切な能力でした。出題範囲を決め、覚えているかどうか?その覚えている内容を短時間で取り出せるかどうか。そして頭の中から取り出した情報を使って考えることが出来るかどうか答えさせるのが入試問題です。

暗記力・検索能力がもてはやされた理由

かつて人間の頭脳しか効率的な検索方法がありませんでした。だから医学書やこれまでの治療例を覚えさせて頭の中を検索するように医者を育て、六法全書や判例を覚えさせて頭の中で検索するように弁護士を育てたのです。

人間の頭脳しか効率的な検索能力が無かったので、人間の頭脳を活用するのは仕方ありませんでした。だから暗記力と検索能力に長けた人間が重宝されていたのです。だから暗記力と検索能力が良い人間が頭が良いとされていたのです。

その人間の検索能力の良し悪しをはかる目安として入試問題が活用されていたのです。教科書で出題範囲を決めて暗記力を試し、応用問題で検索能力を試すのです。

暗記力や検索能力の意味が変わった理由

その暗記力や検索能力に大した意味が無くなりました。以前は他に方法が無かったので、人間の頭脳を活用するのは仕方ありませんでした。

暗記力・検索能力に全く意味が無くなった訳ではありませんが、細かいことを全て暗記する意味は無くなりました。何故ならコンピュータ、タブレット、スマートフォンが変わりに覚えてくれるからです。そしてその中に覚えていなくても、インターネットにアクセスすることで情報を得ることが出来るからです。これまでの頭に詰め込む暗記する時間が必要無くなりました。既に手の中にあるからです。しかも人間の頭脳よりはるかに効率的に莫大な情報の中から検索することが出来るのです。暗記という入力の時間が必要なくなり、欲しい情報を手軽に取り出すことが出来るのです。

適切な情報を取り出すことは情報機器の発達により、生身の人間の頭脳を活用する必要が無くなりました。むしろ人間の頭脳では間違いも起こり得ますし、暗記にかかる時間も情報を取り出すのも非効率的なため望ましくありません。

暗記力・検索能力を人間に頼らなくなった実例

例えば病気の情報を得るのは以前であれば医者に聞くしかありませんでした。もしくは図書館にでも行って本を調べるしかなかったのです。どの本を調べると良いのか、そこから検索する必要があり莫大な時間を要したのです。今では手の中にあるスマートフォンに何文字か打ち込むだけで、ある程度の情報が手に入ります。わざわざ医者に行って聞く必要がなくなりつつあるのです。

弁護士の世界でも同じです。以前は法律に関する疑問を解決するには弁護士に相談するか自分で本を調べるしかありませんでした。今ではネット検索してみることで似たような情報を見つけることが出来るようになりました。今のところ全てが網羅されている訳ではありませんが、ある程度の情報を前もって得ることが出来ます。最低限の知識を得てから相談するので、相談するとしても短い時間で済んでしまいます。

弁護士の世界では過去の判例を探す必要がありますが、既に人工知能により検索するようになっています。この意味においても検索能力の意味が変わってきています。

今後の展望

暗記力と検索能力を買われて資格を与えられている医者や弁護士でさえ、上記のように機械化されつつあります。今後暗記力・検索能力を生かす仕事はほとんど無くなると思います。暗記力・検索能力が良ければ仕事が出来た時代は早晩過去のものになりそうです。

これからは抽象的な思考、あるいはより論理的な思考が求められる時代になると私は思います。

 

扶養控除の廃止で家族観が変わる

どうやら2017年に扶養控除(配偶者控除)が廃止されるようです。
扶養控除といえば、既に2012年から16歳未満の子供に対する扶養控除が廃止されています。子供手当が導入された代わりに扶養控除が廃止されたそうですが、子供手当がもらえない家庭では実質の増税でしかありません。将来の納税者である子供達にもかかわらず、親が身銭を切って育てることを促す仕組みのようです。将来より多く納税してもらうための投資と考えれば、子供達に国がお金を使う方が合理的だと私は思いますが国はそうは考えてはいないようです。

子供に対する扶養控除が廃止された時点で、納税後の可処分所得から子供を育てることを意味します。扶養控除が認められていたのは子供達の生きていく上での必要な費用の基礎控除のようなものだと思います。子供達は直接納税しない(将来は長年に渡り納税するのですが)ので子供達の生活費は必要経費とは認められないという考え方なのでしょう。子供達には選挙権も無いので、政治家達は遠慮なく子供達の扶養控除を無くしたのでしょう。

子育てはお金には代え難い喜びも有りますが、子供達の扶養控除を無くすことは経済的に親世代を追い詰めてしまいます。子供手当があるとはいえ、子供を育てない方向に向かわせてしまうでしょう。

次は配偶者控除が廃止されるようです。専業主婦家庭の負担が増えることになります。働いている主婦の方は経済的に恵まれるかもしれません。結婚して専業主婦になるつもりだった女性は結婚を躊躇うようになるでしょう。現在専業主婦の方は働く方向にに傾くかもしれません。

専業主婦の方の労働力を掘り起こすという目的であれば、配偶者控除を廃止するのは理にかなっているのかもしれません。

私が政治を行うのであれば結婚や子育てすると税制上お得な仕組みを作ります。何故なら子育てする子供たちは将来納税してくれる国の宝だからです。結婚は子供を生む元となる行動だからです。

糖質回避教の信者の証

半分冗談半分本気で糖質回避教という考え方を提唱しています。様々な目的により、糖質を避けることが出来れば避けるという回避という考え方です。ちなみに制限という言葉は、制限速度という言葉からわかるように他人からされることを意味します。様々な御利益が期待出来ますが、糖質回避教は信じる者だけが救われれば良いと考えています。教えとしては人に強要してはいけないし、強要する必要はないとしています。何故ならいずれはみんなが糖質の害に気付くからです。糖質の害に気付くのが早いか遅いかの問題であって、そもそも糖質を好きなだけ制限なく食べている方がおかしいのです。その証拠に多くの人が禁断症状まである立派な糖質依存に陥っています。糖質回避というのは糖質の本当の姿にいち早く気付いたというだけのことです。

言い方を変えると糖質をやめる方が様々な意味でお得だということを伝えています。私の言うことを信じた人が、信者の証として教えてくれたのが、炊飯器を捨てたことです。その方の彼女さんも一緒に炊飯器を捨ててしまったそうです。家でお米を食べない決意の表れです。もしくはもう家でお米を食べることがないので炊飯器は必要ないため邪魔になったのでしょう。間違いなく信者でしょう。

さすがに炊飯器を捨てる程の信者さんは極少数ですが、糖質を控えて痩せた人は数多くおられます。糖質回避によりアトピー性皮膚炎やニキビの治った患者さんも数多くおられます。2型糖尿病が治ってしまった信者さんもいます。

糖質回避教は糖質を教えとして禁止する訳ではありません。明確な目的をもって糖質を控えることを提案しているだけです。糖質は毒ではありません。ただ食べ過ぎると害があるだけで、食べ方に注意が必要です。このことを理解してもらうことが糖質回避教の教えです。

糖質回避教には多くの宗教のような利権やお布施はありません。信じた人だけが病気から解放されるという御利益にあずかれます。

糖質回避教という論理的宗教というのは冗談ではありますが、信じた人だけが救われるという意味で宗教と似ていると私は考えています。

入信するかどうかは別として、糖質は控える方がお得です。少なくとも糖質依存は抜け出すのがお勧めです。

「浪速のエリカ様」はただの構ってチャン?

あえて個人名は出しませんが「浪速のエリカ様」と言われている国会議員がいます。ある政党の比例代表でしたが、様々な問題により政党からは除名されました。政党の比例代表だったため辞職を追求されたものの「浪速のエリカ様」と異名をもらう対応で、居座り無所属議員として活動しています。

その「浪速のエリカ様」は突然芸能事務所社長にツイッターで噛み付いたようです。相手にしてもらえなかったようですが、今度は国会で話題にすると息巻いているようです。

人の行動には必ず目的があります(目的論)。本人が気付いて自覚しているか自覚していないかは別問題です。目的を御本人に聞いてみたいところですが、恐らく自覚していないと思われますので想像してみたいと思います。そして本人に聞いた訳ではありませんので、ただの私の空想です。そのことを踏まえて読み進めていただければと思います。

私は言い掛かりをつけているのは、自分の存在意義を周囲にアピールすることが目的だと思います。目的が存在意義のアピールであれば、騒がれれば内容は何でも構わないのです。いわば自分で火をつけて火事だと騒いでいるようなものです。騒ぐことが目的ですから、自分の起こしてしまった火事の内容そのものはどうでも良いのです。

言い換えると世間を相手に構ってチャン状態です。何もしないと世間から忘れられるので構ってもらえるようにネタを提供しているのです。

グレる子供の心理

褒めてもらいたくても褒めてもらえない、称賛を浴びたくても称賛してもらえないことに気付いた子供に似ています。構って欲しい子供は称賛は無理だと悟ると、悪いことをするようになるのです。構ってもらう目的で子供たちはグレるのです。子供は周囲の無関心よりも、怒られることを望むのです。悪いことをしてでも構ってもらいたい子供の心理と恐らく似ていると私は思います。ちなみに構ってもらうために悪いことをする子供を怒ると逆効果です。何故するのかを聞いても、構ってもらうためとは言えない(本人も自覚していないから)ので周囲の人達は理解出来ません。正解は悪いことをして責めるのではなく、構って欲しかったことを受け入れてあげることです。そして悪いこと自体は淡々と処理することです。悪いことをすると怒られるとはいえしっかりと構ってもらえるという成功体験にしてしまわないことです。そしてどのように構って欲しかったのかを聞いてみることです。

生暖かい目で見守る

「浪速のエリカ様」は目的が世間に相手にしてもらうことですから、メディアが騒ぐと思うツボ・逆効果です。成功体験として繰り返してしまいます。次に言い掛かりをつけられた人が、「グレる子供と同じで、構って欲しいんですね。そっとしておいてあげましょう」と大人の対応をすることです。次に誰か言い掛かりをつけられることがあればその人に教えてあげて下さい。

本家エリカ様は抜群のルックスと演技力があるので復活出来ましたが、「浪速のエリカ様」は…。賞味期限ならぬ話題期限(世間が話題にしてくれる期間)は長くて2年3ヶ月。本人なりに世間に相手にしてもらうために必死な心理を、生暖かい目で見守ってあげましょう。