薬の副作用恐怖症

薬の副作用恐怖症とは、薬の副作用を過度に恐れることをさしたものです。もしかしたら不安神経症の一つの症状なのかもしれません。

薬とは病気を治す、あるいは症状を軽減する目的で使うものです。副作用ももちろんありますが、得られる効果と副作用のバランスにより使用するか使用しないかを判断します。その役目は長い間医者が担っていました。患者さんと医者のもつ情報のアンバランスさを解消するために、インフォームドコンセントという概念が提唱されました。多くの医者は得られる効果と副作用の程度、起こる頻度のバランスを考えて治療法を考えます。

一部の患者さんは、薬を使うことにより生じる副作用を過度に恐れることにより薬を使うことが怖くて仕方ない状態に陥ります。何故なら薬を使わなければ副作用は絶対に起こらないからです。医者は頻度・確率を考えて治療法を選びますが、過度に恐れる方は頻度や確率が抜け落ちて、あたかも必ず副作用が起こると錯覚してしまうようです。

ほぼ確実に得られる薬の効果と、副作用のバランスを見極めることがお得だと私は思います。ただ薬を過度に怖く感じること自体が不安神経症という病気の一つの症状かもしれません。薬を過度に怖く感じることから抜け出す良い手立てがないのが現状です。

私が薬が怖くて仕方ない人へアドバイスするのは、万が一起こった場合の副作用の深刻さとその頻度をお伝えすることです。万が一起こる副作用が後遺症などの不可逆的な結果を招くのであれば、慎重にならざるを得ません。しかし万が一起こるとしても薬をやめることで改善する副作用であれば、過度に恐れる必要はないことを提案しています。

それでも怖くて仕方ない方を説得するのは難しいので、ゆっくり考えてもらうようにしています。何故ならこれこそがインフォームドコンセントの本質だからです。そして薬を使わないことで困るのはあくまでも患者さんだからです。いくら症状があっても患者さん自身が薬を使いたくないにもかかわらず、薬を使うように説得するのは越権行為だと私は思うからです。薬を使うか使わないかはあくまでも患者さんの問題です。

医者に出来るのは、薬を使うことで得られる効果と、考えられる副作用の頻度と程度を説明して理解してもらうことだけだと私は思います。

丁度宗教の改宗に似ています。薬を使いたくないと恐れているのがある宗教を信じている状態で、薬を使うというのが別の宗教を新たに信じることに似ているように思います。これまで信じていたことを捨てて、新しい考え方を取り入れるには頭を整理する時間が必要だと思います。

ただ薬に関しては、得られる効果と副作用のバランスが問題です。物事を論理的に考えることで解決すると私は思います。

ちなみに私は、薬を使うことに心理的に抵抗のある患者さんには、「得られる効果と副作用のバランスから、薬を使う方がお得だと思いますよ」とお伝しています。良かったら参考にしてみてください。

借金なのにお金が増えたと錯覚する心理

お金を借りた際に、お金が増えたと錯覚してしまう人がいます。
あたかもお金を借りる際の面倒な手続きを労働と錯覚し、その対価にお金が支払われたように誤解するのです。目先のお金に惑わされて、金利という余分なお金を払わされることがわかりにくくなるのです。

物事を論理的に考えることが出来れば、借金をすることで金利分使えるお金が減ることは容易に想像することが出来ます。しかし心理学では将来もらえるお金よりも目先のお金の方が価値があると錯覚してしまうことがいわれています。心理的に目減りしてしまう錯覚があるので、借金することで得をした錯覚に陥ります。現実には金利の分明らかに損をするにもかかわらず、目先のお金に惑わされるのです。

借金することでお金が増えたと錯覚する不思議な心理を理解しておくと、借金を重ねる人の心の闇が理解出来るかもしれません。そして自分自身が借金してしまう危険性を少しでも下げることが出来ると思います。

借金することでお金が増えたと一度錯覚してしまうと、お金が借りられなくなるまで借金を重ねてしまいます。悲惨な結末が待ち構えるので、借金は借金でお金が増えた訳ではないことを理解しておきましょう。当たり前のことですが、借金を重ねる時には本当にわからなくなってしまいます。

ちなみにこの心理をうまく利用するのが、金利0円の様々なキャンペーンです。金利がかからないからお得ですとうたうキャンペーンは、実は借金することでお金が増えたと錯覚させることに目的があると私は思います。仕組みを知った上で上手に使いましょう。

病気が怖い理由

人が物事を恐れるには訳があります。一言で言えばわからないことを恐れるのです。人は理解・予測出来ないことを恐れるのです。

人が事故を恐れるのはいつ起こるかわからないからです。事故が起こることが事前に予測出来るのであれば、事故を恐れることはありません。当然予測出来るのであれば対策をとると思います。結果として予測出来る事故は起こらないことになります。つまり予測出来る事故は未然に防ぐので、予測不能なものだけが事故として顕在化するのです。故意に起こさない限り、事故をあらかじめ予測出来ないことが人を恐れさせるのです。

人が事故を恐れるもう一つの理由はどれだけの被害があるかわからないからです。昨日まで元気だった人が、突然命を落としてしまうことまであるので怖いのです。事故も擦り傷程度にしかならないとあらかじめわかっていれば怖くはないのです。

病気も同じです。いつ病気になるのか、病気が命に関わるのかどうかわからないから怖いのです。病気が予測出来れば恐れる必要はありません。ましてや意図的に避けることが出来れば、そもそも病気にならなくて済むのです。予測出来ないから怖いと言われるかもしれませんが、いくつかの病気は恐れる必要はなくなひました。例えば2型糖尿病です。2型糖尿病は糖質を食べ続けることで上がった血糖値が下がらなくなる病気です。そもそも糖質を食べなければ、血糖値は上がりませんから2型糖尿病にはなれません。逆に血糖値が上がっているのに同じように糖質を食べ続けていれば、更に血糖値が上がるのは予測出来る自然な成り行きです。アトピー性皮膚炎やニキビも糖質を食べるとすぐに悪化します。同じ調子で糖質を食べ続ければ、薬で一時改善しても再燃するのは当たり前のことなのです。逆に糖質を控えることで再燃を避けることが出来るので、恐れる必要はありません。糖質を食べて悪化するのも、水が高い所から低い所へ流れるがごとく自然な流れです。

いつこの事実を受け入れるかです。

糖質が原因の病気は多々あります。因果関係が明らかなものから糖質を控えることをお勧めします。糖質を控えることで改善する病気を恐れる必要はありません。何故なら理解出来るからです。

人々は少し前まで自然の仕組みを全く知りませんでした。物が腐る仕組みすらわからなかったのです。もう少し前までは星々が地球の周りをグルグル回っていると思っていたのです。皆既日食が起きた時にはこの世の終わりだとさぞ怖かったことでしょう。仕組みが理解出来れば怖くなくなるのです。少なくとも糖質が原因の病気は恐れる必要はなくなります。そんな時代がすぐそこまでやってきています。早く広まるといいですね。

万引き防止 テレビの報道の仕方

万引き防止について考えてみます。
万引きの現行犯逮捕のドキュメント番組を見ていると視聴者に誤解を与えると思います。もしかしたらドキュメント番組の制作者も誤解しているのかもしれません。何故なら万引きは商品を占有した時点で成立します。つまり商品をポケットに隠した時点で成立するのです。しかし捕まえる際にレジで支払いをするつもりだったと言い訳をされると面倒なので言い訳出来ない状況、お店を出るまで待っているに過ぎません。万引き犯は犯罪者に過ぎませんが、あくまでもお客さんという立場を尊重し店を出るまで待っているだけです。

万引きのドキュメント番組を見ているとお店を出なければ犯罪が成立していない印象を受けてしまいます。万引き犯への警告を込めて商品を隠した時点で万引きが成立することをテレビで報道するべきでしょう。捕まえる基準をお店を出た時点とするのは各店舗がトラブルを避けるための判断に過ぎないことを伝えるだけで、万引きの抑止効果が多少は期待出来ると思います。

私が調べた情報によると、かなり古い判例ですが商品を隠した時点でお店を出ていなくても立件された実例があるようです。

例えばドキュメント番組で商品を隠した時点で、犯罪成立と宣言してテロップで万引きは商品を隠した時点で成立しますと流すことです。お店を出るまでは捕まらないとタカをくくっている万引きする人を動揺させる効果が期待出来るのではないかと思います。

何故このような報道の仕方をしないのか不思議です。犯罪抑止につながるので、万引きされるお店はもちろん、万引きする人も減るので、みんなの役にも立つと思うので是非このような報道をして欲しいものです。

私がテレビ局の社外取締役ならすぐにでもこのような視点でのドキュメント番組の制作を進言します。

人気チケットはオークション販売しては?

日本は資本主義の国です。様々な物事をお金に変換して取り引きを行います。資本主義は競争により発展してきました。
クライマックスシリーズや日本シリーズ・プロ野球をはじめコンサート・イベントの人気チケットなどは興行主によるオークション販売が適切だと私は思います。定価という頭打ちの金額設定の方が一見良心的に思えますが、本来の資本主義の原理からすれば需要と供給の兼ね合いにより金額が決まるはずです。様々な要因により需要と供給のバランスから乖離した金額設定されることにより、購入希望者が殺到して混乱してしまいます。

お金を持っている人が有利でずるいという人もいるかもしれませんが、多くの事柄は需要と供給のバランスから金額が設定されています。どんな金額になっても良いからどうしても欲しい人がいるからダフ屋という商売が成り立つのです。ダフ屋対策にもオークションは有効です。

全てオークションにすると管理が大変だと思いますので、一部の席を興行主がオークションで募集すると私は良いと思います。経済の流れに沿った仕組みだと思います。

オークションの売り上げの一部を優秀選手にプレゼントするのも面白い企画だと思います。

私自身はお金を出してまで見ようとは思いませんので関係ない話ですが、ファンにとってはお金で済むなら何万円でも出したい人も多いことでしょう。

新しい仕組みが出来ると面白いですね。

ダラダラ・ゆっくりと行動する店員の心理

ダラダラ・ゆっくりと行動する店員に腹の立つこともよくあります。満席でお客さんが待っているにも関わらず、ダラダラ・ゆっくりと行動する店員さんの心理はお客側からすると理解しがたいものです。店員さんは一生懸命やっているつもりなのです。ダラダラしてちるつもりも、ゆっくりと行動しているつもりもありません。自覚出来ないのですから改善のしようがありません。

ダラダラ・ゆっくりと行動する店員の目的

人の行動には必ず目的があります。ダラダラ・ゆっくりと行動する店員さんの目的は、新規のお客さんを入れないことです。お客さんが席についてしまうと注文や配膳で忙しくなってしまいます。ダラダラ・ゆっくりと行動し、お客さんを席に着けなければこれ以上忙しくなることはありません。お客さんが席に着けなければ、呼ばれることもないのですから出来るだけ席に着いて欲しくないのです。そのため周囲の人からまるとダラダラ・ゆっくりと行動しているように見えるのです。そして仕事をしている振りをしながら時間が過ぎるのを待っているのです。

ダラダラ・ゆっくりと行動しているのが経営者や管理者なら、お店は潰れるでしょう。正社員でも無意識のうちにダラダラ・ゆっくりと行動してしまうのであれば、客商売に適正がないのです。

通常は経営者や管理者がダラダラ・ゆっくりと行動する店員を指導し、素早く動くことができるように導きます。素早く動く方が何事もスムーズに進むため、待ち時間も少なく回転率も高まります。経営者と店員の利害が相反するのです。そのため経営者がしっかりと見張っていなければ店員はダラダラ・ゆっくりと行動するものなのです。誰からも注意されなければ、素早く動くより楽だからでしょう。素早く動くことが好きな店員は、経営者が支持しなくても自然とこなしていくことができるのです。自然と素早く動くことができる人が、ダラダラ・ゆっくりと行動する店員に支持できる体制にするだけで全く違うお店になるでしょう。

ダラダラ・ゆっくりと行動する店員の対策

仕事をしたくない店員が野放しのお店は出来れば避けたいものです。しかし立地や値段などの兼ね合いで通いたいのであれば、経営者に伝えてあげましょう。お客の側からみてダラダラ・ゆっくりと行動しているので、仕事をしたくないように見える行いがありますよと。お客さんの待ち時間を減らす仕事をして頂けるようご指導下さいと。

経営者公認でダラダラ・ゆっくりと行動しているのであれば、諦めて他のお店を探しましょう。

人に対して腹が立つ理由

人に対して腹が立つ理由を考えてみます。

腹が立つ理由は色々考えられますが、一つは期待を裏切られるからです。期待していなければ腹が立つことはないでしょう。赤ちゃんが後片付けをしないからといって腹を立てても仕方のないことです。相手が後片付け出来るはずだと期待しているから腹が立つのです。後片付けのやり方がわからない人に対して、勝手に期待して腹を立てても、お互い嫌な思いをするだけ損です。

相手が大人でも腹が立つのは何らかの期待をしているからです。相手に期待していなければ腹が立つことはないでしょう。

適切な期待をしているか、勝手な期待をしているかは時と場合によるでしょう。もしかしたら勝手に期待して、勝手に腹を立てているだけかもしれません。例えば恋人に対して腹が立つのは、自分のことを好きなら当然このように行動してくれるはずだと期待するからかもしれません。その期待は人によって異なりますが、勝手に期待して勝手に腹を立てているだけかもしれません。独り善がりで腹を立てているだけかもしれないのです。

人に対して腹が立つ場合、適切な期待か過度の期待ではないかを客観的に振り返ってみても良いのかもしれません。出来れば腹が立つ場合には人にも過度の期待ではないかを聞いてみると良いのかもしれません。

人に対して腹が立つのは期待しているから。勝手に期待して腹を立てていないか考えてみましょう。

回転寿司が回転寿司ではなくなる日

回転寿司はお皿にのせたお寿司を回転レーンに流して、好きなお寿司をお客さんがとって食べるというビジネスモデルです。元々は回転寿司のチェーン店でしたが、最近では回転しないお寿司屋さんが出てきました。無駄なことは削ぎ落とされていますが、回転レーンが無駄だったことに気付いたチェーン店が出てきたようです。
以前は高い食べ物の代名詞の一つだったお寿司を、注文の前に作るという工夫により誰でも食べることの出来る食べ物に変えた仕組みでした。

注文される前に作るという仕組みが、値段を下げることに役立ちましたが、回転していないお寿司を注文するスタイルが広まりました。そうなってくると回転レーンで干からびたお寿司を食べてくれるお客さんは次第に減ってしまいます。最初から回転レーンを見ないお客さんも多くなります。

回転寿司が生まれた当時は注文する前にお寿司が出来ているのは画期的でした。これ以上ないファーストフードです。安くて早くて美味いのですから、これまで時価で得体の知れない食べ物だったお寿司のイメージを一新しました。多くの回らないお寿司屋さんを閉店に追い込みました。回らないお寿司屋さんの味がいくら良くても、回転寿司の早くて安いお寿司と勝負にはならなかったのです。

回転寿司は非常に競争の激しい業種です。競争が激しいだけに無駄なことをしていては淘汰されてしまいます。今回は回転レーンが無駄だと気付いたのです。恐らく多くの飲食店でこの形に行き着くでしょう。タッチパネルで注文して機械に配膳してもらうか、自分で取りにいくセルフ式かです。

一回の注文で終了し追加注文がなければ、自分で席まで運ぶのが合理的です。牛丼屋さんなどはタッチパネルで注文しお金を支払い、品物を持って自分で席に運ぶのが無駄のないスタイルでしょう。

お寿司のように次々追加注文する場合には、機械に配膳してもらう方が合理的です。ファミリーレストランもいずれは機械によって配膳されるお店が出てくるでしょう。少なくともファミリーレストランでもタッチパネルで注文するようになるでしょう。

無駄を省くことが合理的です。何故なら無駄とは本来なら不要なものだからです。無駄に気付かなかっただけか、技術的に改善策が見出せなかったため無駄ではあっても仕方なかったのです。

少し前までは無駄を省くことが、有利に商売を進める知恵でした。無駄を省くと有利だったのです。これからは違います。無駄を省くのは当たり前で、如何に素早く無駄を省くことが出来るかが問われます。

回転寿司が回転寿司ではなくなる日

回転寿司から回転レーンが無くなると、何寿司と呼ぶようになるのか楽しみです。最初に呼び方を考える寿司チェーンが、飲食店の未来を切り開くかもしれませんね。

生き残るか淘汰されるかは比較によります。回らないお寿司屋さんと比較すると回転寿司は圧勝でした。回転レーンのある回転寿司と回転レーンを無くしたお寿司屋さんがあれば、廃棄ロスの生じる回転レーンは無駄でしかありません。廃棄ロスの分割高な物を食べることになるのです。金額は変わらなくても質の劣るものを食べることになるのです。

無駄の排除

競合が無ければすぐに淘汰されることはないかもしれません。しかし無駄のない他のチェーンにいくことでがっかりしてしまいます。比較することで違いが浮き彫りになるのです。

今は回転寿司チェーン毎に無駄な物が散在しています。削り落としているところもあれば、無駄が残っているところもあります。どのチェーンが何を削り落としているか観察してみてください。全ての無駄を一番に無くしたチェーンが勝者です。

思いつく回転寿司の無駄は

  • 回転レーン(注文品が回転レーンで届くのは論外)
  • 注文を聞く店員(タッチパネルで不要)
  • 配膳する店員(飲み物もセルフ・自動配膳で対応)
  • 下げ膳する店員(専用レーンに流し入れるだけで洗浄する)
  • 待ち時間(予約システムで改善)
  • 座席(ネットオーダーで持ち帰り対応。お店で食べることが無駄という考え方。待ち時間短縮に繋がる)
  • シャリ(糖質が不要だという糖質回避の考え方です。このことについては改めて書きます)

私の知る限り全てを突き詰め兼ね備えたチェーン店はないようです。これらの無駄を全て削ぎ落とした企業が他を圧倒すると思います。どの企業が一番乗りするのか楽しみです。回転寿司から新しい名前を生み出す企業に注目です。

リオ パラリンピック閉幕に思う

リオ パラリンピックが閉幕を迎えました。
幸い大きな問題なく閉幕を迎えることが出来たようです。

次の4年後は東京で開催される予定です。そこでふと思います。パラリンピックが先に開催するべきではないか?と。どうしてもパラリンピックはオリンピック程の盛り上がりに欠けます。

そこで東京ではオリンピックの前にパラリンピックを先に開催することを提案します。オリンピックのついでに開催するのではなく、オリンピックの開催に先立ち宣伝・盛り上げることを目的に先に開催すると良いと私は思います。障害のある人々はもちろん、全ての人達を大切にすることを世界にアピール出来ると私は思います。

障害のある人達が幕を開き、障害のない人達にバトンを渡し、一緒に幕を閉じるパラリンピック・オリンピックになると良いなと思います。

パラリンピックの閉幕を見て残念だったのは、閉幕式のショーです。ショーが必要かどうかの議論はさておい、ショーをするなら障害のある人達のショー、あるいは健常者とのショーが見たいと私は思います。スポーツとは別の、障害のある人達の晴れ舞台としてパラリンピックの閉幕ショーへよ出演という目標を生み出してはいかがでしょうか?

今生きている人間は、奇跡のような偶然の結果同じ瞬間に共に生きている仲間なのですから。争うなんてもったいない。如何にみんなが共に楽しく生きていくのか、知恵を持ち寄りたいですね。

私は東京ではパラリンピックから開催されることを祈っています。

変化することが当たり前な理由

世の中には変化を嫌がる人がいますが、残念ながら怠慢過ぎません。変化するのが当たり前だからです。何故なら変化する必要がない完璧ということになりますが、何事も完璧はありません。完璧でなければより良い方向に変化するしかないのです。変化したくないと抵抗したところで、対応しきれなければ生き残ることが出来ず淘汰されてしまうだけです。

仮にある時点では完璧だったとしても、様々な環境の変化により完璧ではなくなるのです。つまり環境が不変にならない限り、永遠に完璧などあり得ないのです。

何事においても変化するのは当たり前なのです。完璧なわけがないのですから。変化を怠れば淘汰されるだけですが、淘汰されふことを理解していない人が変化を拒むのです。変化しなくてもまだ生き残ることができると誤解しているのです。今までは変化しなくても生き残ることが出来たので、今からも生き残ることが出来ると錯覚しているに過ぎません。

変化しなくても生き残ることが出来たなら、人類は今でも石器を使っているでしょう。本当に変化しなくても生き残ることが出来るなら、未だに石器すら使えないかもしれません。

変化する必要があればするのではありません。変化する余地・隙があれば変化するのです。変化しないよりはましですが、変化する必要に迫られた時に変化するのでは遅いのです。余裕のあるうちにより良い方向にあらかじめ変化しておくのです。そのように備えておけば環境が悪化しても生き残ることが出来るのです。幸運にも環境が悪化しなければ、周囲の人よりも有利に立つことが出来るのですから変化しておく方がお得です。

現状に満足せず、完璧になるまで更に上を目指して変化し続ける方が私はお得だと思います。自称最善で満足せず、絶対最善を尽くすのです。

変化するのは当然です。変化するかしないかは問題ではありません。いつどのように変化するかが問題です。環境は絶えず変化しているのですから、自分達も変化するのです。この変化により生き残ることが出来たとしたら、後世の人達が変化を進化として受け止めてくれるのです。

進化に至る変化をしましょう。