見返りを期待するから腹が立つ

人は行動する時にどうしても見返りを期待してしまいがちです。何かをしてあげたから何らかのお返しをしてくれるはずだと考えてしまうのです。見返りを求めて行動するから、見返りが無いと腹が立つのです。相手も悪気があってお返しをしない訳では無く、何とも思っていないのかもしれません。もしかしたらやってもらって当たり前で感謝したくない人なのかもしれません。

何かをしてあげたとしても見返りを求めないことです。そして人にしてあげたことは忘れることです。覚えているから恩を仇で返されたとして余計腹が立つのです。

見返りが無くても行動出来るかどうか

そもそも行動する際に見返りが無くても行動出来るかどうかを基準に考えることを提案します。何らかのメリットや見返りなどが無くても行動出来る範囲で行動することがお勧めです。それなら腹も立ちませんし、無理もしないからです。見返りを求めて行動すると、どうしても見返りが欲しくて無理をして行動してしまうからです。言わば勝手に無理をして行動したにも関わらず、見返りが無いことが無理をした分余計腹が立つのです。

無理をして見返りを求めるのではなく、無理をせず見返りが無くても出来る範囲で行動するようにしましょう。

都知事の言い訳 封じるには

私は東京都民ではありませんから完全な部外者です。ただテレビやネットで言い訳が流されているので言い訳人間だなと思いながら見ています。以前もコメントしてしまいましたが、改めてコメントしてみます。

理由を聞いてもそれらしく聞こえる言い訳を考えてくるだけです。その言い訳を考えるために調査する時間が必要なのです。

私的な領収書が紛れ込んだと言い訳していますが、個人事業主がそのようなことをすれば脱税だとされます。だから一般人には私的な領収書が紛れてしまうことは通常考えられません。

例え話

スーパーで品物を持ったまま、他のことに気を取られてつい店を出てしまいました。そう言えば会計を忘れていました。指摘を受け確認しましたら確かにお金を払っていませんでしたので、お金は払います。お金を払ったので問題ないです。

これで済むなら世の中から万引きという犯罪は無いことになりますね。

今回の話に置き換えてみてください。

質問の仕方

私なら過去の言い訳について取り合ったりしません。切り崩しても他の言い訳を探すだけだからです。私なら他の逃げ道を塞ぎます。

私的な領収書が紛れていたそうですが、時間をかけて調査された結果、他にありませんでしたか?

無いとの返事なら、他に見つかれば隠蔽だと認めるという事ですね。という事は他にも不適切なものが発覚すれば、辞任は当然ですよね?

不適切だった領収書が紛れていたことが、他にも有るなら自ら公表しましょう。他にも有るが公表しないなら公表しない理由では無く、出さない目的を教えてください。

調査していないと言えば、それだけ自信があるという事ですね。それなら見つかれば隠蔽と認めるという事でしょう。

膨大な数なので見切れないと言われれば、多過ぎて適切に処理出来ないということですか?

突然起こり出せば、怒る目的は何ですか?何を隠すために怒っているのですか?と質問すると良いと思います。

とここまで今日の記者会見前に下書きしていました。記者会見で第三者に精査してもらうとネット上に掲載されたのできちんと対応するのかもしれないと思い掲載しないことにしました。しかし記者会見の録画を第三者に精査してもらうを繰り返すばかりでした。言い訳人間の典型のような答弁なので、やはり掲載することにしました。

第三者とは?

私があの記者会見の記者なら、第三者というからには利害関係の無い人間ですよね?と質問します。

現実的には知事が選び、知事が報酬を支払うそうです。それは第三者とは言わないように思います。

言い訳を考える時間稼ぎをするようです。

私なら第三者に精査を依頼する目的は何ですか?と質問します。人は必ず目的を持って行動するという目的論に基づいて質問するのです。理由だと様々な言い訳を探すことが出来ますが、目的は相当頭の回転が良くないと偽ることが困難です。目的は身の潔白を証明するためですか?それとも都合のいい言い訳を考える時間稼ぎですか?と質問します。

身の潔白の証明が目的であれば、それこそ第三者が用意した人物による精査が一番ですね。そのようにしませんか?出来ないならやましいことがあると認めるということですね?

第三者による精査の結果で進退は?という主旨の質問にも精査の結果待ちですとしか答えませんでした。問題があれば辞めますよね?と改めて質問するべきでした。そこで問題があれば辞めますとはっきり言わなければ、問題を指摘しない第三者を選ぶことを意味するということですね?と私なら畳み掛けます。

あと答弁からは辞めないことが前提です。本来であれば精査の結果次第で問題があれば辞めますとしか言えないはずです。精査の目的が問題の有無の追求であれば。そのように返答出来なかったのは精査の目的が問題の有無の追求ではないことが、類推出来ます。

あの記者会見では突っ込みどころ満載でしたが、目的が時間稼ぎのようですから目的は達成されたのでしょう。

余りに典型的な言い訳人間ぶりについ掲載してしまいました。まだまだ色々と出てきそうですね。都民ではない私には関係ないので考えるのはやめますが、テレビでこれらのことが流れ続けるのは何とかして欲しいですね。都知事を選んでしまった東京以外の人には関係無いと思うんですが、野次馬の心理で視聴率が取れるから放送するんでしょうね。

言い訳人間のようですから、封じるのは難しいのかもしれません。封じることが出来るとすれば行動の目的を質問するしかないと思います。

常識が通じない人

常識が通じない人はどこにでもいるものです。幸いどこかの組織の中にいれば、その組織に所属する前にある程度選別されることが多いため、常識がある程度共有出来るのが一般的です。

例えば高校において進学校であれば、大学への進学が半ば常識となります。進学校でなければ必ずしも大学への進学が常識とは言えず、卒業後は就職する方が常識かもしれません。これはある程度高校入学時に選別されるからです。入学者も義務教育ではないため、目的を持って進学をするのでそれぞれの考え方が揃うのです。

中にはその選別をすり抜けて常識が通じない人が組織に入り込んでしまうと、混乱を生じます。その常識の通じない人の心理を考えてみます。

常識が通じないとは常識の概念が欠落している

そもそも常識とは誰でも当たり前だと考えるみんなの共通認識です。2つの意味があります。1つは常識に外れた無駄なことを考えないため、もう1つはみんなが快適に生活するためです。このみんなが快適に生活するために常識が存在することを知らずにいるのです。

例えばマナーを守るのが一般的な社会人としての常識ですか、そのマナーを知らないのです。例えば飲食店では過度に騒がないなどです。他の人が不快に思うことをしないのが常識なのですが、そのことを知らないのです。

相手を思い遣る概念そのものが欠落している場合もあるため、常識の通じない人とは会話が成立しない場合もあり得ます。概念そのものを短時間でしかも言葉だけで理解してもらうことは非常に困難だからです。こちらが常識で当たり前だと思っていることが、まさか相手が概念すら持ち合わせていないとは想像がつかないので会話が成立しないのです。

常識が通じない人の対処法

常識が通じない人の対処法は関わらないことが一番です。人は通常常識的に相手の反応を予想して行動しますが、常識が通じない人は行動が予想出来ないため危険です。不快な思いをする可能性が高いため関わらないことが一番です。

どうしても関わる必要がある場合には、常識を1から10まで相手の欠落している概念まで噛み砕いて説明する覚悟が必要です。その労力に見合うのであれば関わると良いですし、労力に見合わないと思えば早目に逃げ出す方が常識なのかもしれません。

相手も悪気がある訳ではありません。中には自分の都合の良いように常識が通じない人を装っている人もいるかもしれませんが非常に稀です。常識が通じない人は知らないだけなのです。人によってはアスペルガー症候群などの病気が原因で、相手の立場などを配慮出来ないだけかもしれません。

人によっては簡単に常識を理解してもらえるかもしれません。臨機応変に対応してみてください。

頑固で常識が通じない人は上記の対応が一番だと私は思います。

予備知識が無いと物事は理解出来ない

物事を理解するためには予備知識が不可欠です。その予備知識が無いまま物事を理解しようとしても無理があります。学校の勉強が苦手で授業がわからなくなるのもこの、理解するための予備知識の不足が原因です。

説明の上手な人は理解してもらうために必要な予備知識を含めて説明していきます。当然のことながら相手のレベルに応じて予備知識の説明は詳しく話したり簡略化したりして対応します。相手のレベルに合わせ予備知識を追加することが苦手な人が、説明が下手とみなされるのです。

例えば月食という天体現象を説明する場面を考えてみてください。予備知識として自分達が住んでいるのが地球だという予備知識が無ければ理解は非常に困難です。何故なら地球の影が月に映し出されるのが月食だからです。太陽と地球と月の位置関係から説明しなければ、正確に理解してもらうことは困難です。

複雑な物事は特に予備知識が足らなければ決して理解することは出来ません。新しい情報に触れた場合、すぐに理解出来なければ、理解するために必要な予備知識が何かを見極めることが大切です。

学校での勉強の目的は、理解するために不足している予備知識を見極めるトレーニングをしていると解釈するとわかりやすいと思います。だから小手先の答えの導き方を教えてもらったところで、一向に学力が向上しないのです。

一般に頭が良いと言われる人は、自分で不足している予備知識を見極め、その予備知識を吸収出来るようです。人の手助けを受けずに出来るため、頭が良いと言われるのです。

自分で不足している予備知識を見極めるトレーニングをしてみましょう。きっと違う世界が見えるようになりますよ。

ちなみにディープラーニングは不足している予備知識を自分で探し出す新しいコンピュータの学習法です。正にコンピュータが人間をこえようとしています。少なくともすぐに機械に負けてしまわないために、ディープラーニングと同じことが出来るようになりましょう。

感謝したくない人の考え方とその心理

世の中には感謝したくない人がいるようです。

通常人は他人から何か自分のためになることをしてもらうと、相手に感謝をします。しかし中には感謝出来ない人もいるようです。わざわざ相手のためになると思って余分な時間をかけて何かをしてあげても、お礼の一言すら無いので相手のことが理解出来ず混乱してしまいます。場合によっては腹が立ってしまうこともあるでしょう。感謝したくない人の考え方と心理を考えてみます。

感謝したくない人と書きますが、実際には感謝出来ないのです。感謝したくない人は人から何かをしてもらったという自覚が無いのです。だからこそ何々をしてあげたでしょと言ったところでお礼は無いのです。

その人なりに感謝しなくて済むような話し方をします。具体的には人に物を頼んだりはしないのです。ただ聞こえるように困ったと言うのです。話している相手が手を差し伸べるのを待っているのです。相手が言い出したことだからお礼は要らないと勝手な都合で考えているのです。そもそもこういうタイプの人が困ったというのは、手を差し伸べてもらうことが目的です。プライドが許さないのかお礼を言わなければいけないことが嫌なのかはわかりませんが、自分から助けてと頼むのは嫌だけど、でも助けて欲しいのです。

一度でも助けてもらうことを目当てに困ったと口走り手助けしてしまうと、成功体験として何度でも繰り返します。困った状態を聞いても何もしてあげない自分が悪いような錯覚に陥ってしまうようです。そして相手はそのような心理につけ込むことに慣れているのです。

ここでしてあげたと覚えていると、何かをされてしまった場合に恩を仇で返されたと感じてしまいます。そもそも相手は恩だとは思ってはいませんからそのように感じても無駄なことです。何かをしてあげたとしても忘れましょう。そして次からは困ったと聞いても、大変ねぇと相槌だけ打って相手にしないようにしましょう。わざわざ手を貸して嫌な思いをする必要はありません。何故なら困っているのは自分の問題ではないからです。相手は善意につけ込んで都合良く思い通りに動かそうとしているだけです。そしてお礼すら無いの?と指摘されても別に自分から頼んだ訳ではないと言い訳まで準備しているのです。言い訳を準備というよりは本当に自分から頼んだ訳ではないからお礼など言う必要は無いと本気で思い込んでいるのです。指摘すると「お礼が言って欲しいの?なら言ってあげるわ。ありがとう」と言うような逆ギレする輩までいますので注意が必要です。

このような思考回路の人とは世間一般の常識的なやり取りは出来ません。お互い嫌な思いしないために頼まれてもいないことには関わらないことが一番です。

食べ物は楽しむ時代から選ぶ時代へ

人類の進化の歴史において長い間食べ物は探し回るものでした。約1万年前に農耕が始まり、自分達で意図的に栽培という手段により増やすことが出来るようになりました。農耕により、狩猟採集生活から開放されました。その後の文明の発達により食べ物が豊富になりました。そのおかげで文明国では飢えて死ぬことはほとんどなくなりました。それどころか文明国では、まだ食べることの出来る食料を捨てることもあります。生活が豊かになった証拠です。ある歌にありますが、かつては王様や貴族にしか楽しむことの出来なかったアイスクリームが、今ではコンビニに行けば100円前後で誰でも楽しむことが出来ます。

生活が豊かになった反面、問題も起こりました。糖質による害です。その害に気付かないまま多くの人々が糖質依存に陥っているため、糖質依存症とでも言うべき病気が沢山わかってきました。糖質による病気は肥満2型糖尿病や各種アレルギー、自己免疫性疾患、ニキビなど様々です。

どうせ食べるなら美味しいものを食べたいという人間の欲求が、資本主義の元で発展してきました。そのおかげで今日美味しくて豊かな食生活を楽しむことが出来ます。しかしこの食を楽しむことで知らない間に多くの人々が病気に陥っているようです。当時の知識不足から死者まで出してしまった脚気のように、現代の脚気とでも言うべき知識不足から病気を引き起こしてしまっているようです。

少なくとも食は毎日楽しむものではなさそうです。娯楽という位置付けで時に楽しむことに異存はありませんが、毎日楽しむと何らかの病気を引き起こしてしまう可能性が高まります。特に食と関連のある病気を既に発症しているのであれば、食生活により病気の発症を抑えることをお勧めします。例えば2型糖尿病の方であれば、その原因である糖質を控えることで解決します。食べる物をタンパク質と脂質を中心に選ぶことで病気が良くなります。

美味しい物を食べるという快楽の追求は手痛いシッペ返しをくらいます。楽しみはたまにあるから良いのであって、楽しんでばかりいると本当に病気になってしまうようです。知らないうちに糖質依存や糖分依存などの依存に陥ると自分の意思ではやめられなくなってしまいます。

食は楽しむ時代から選ぶ時代に変わるようです。というよりも食を選ぶ方が病気が治るのでお得だと考える時代がもうすぐやってきます。

恩を仇で返されたという間違い

恩を仇で返されるという考え方があります。私は根本が間違っていると思います。そもそも恩を仇で返されるとは、相手のためになること(恩)をしてあげたにも関わらず、こちらの害になる行動(仇)をとられた場合に使う言葉です。

ここには考え方の間違いがあります。受けた恩は忘れず、与えた恩は忘れるべきです。恩は受けるものであって与えるものではありません。恩を与えたと思っているから腹が立つのです。そもそも恩とは受けた側が感じるものであって、行動した側が感じるものではありません。与えた恩を忘れずに覚えておく時点で、見返りを目的とした浅ましい行動でしかありません。

相手のためになればそれでよいのです。見返りを求めるために行動しているから恩を仇で返されたと感じるのです。恩を仇で返されたと言っている人は見返りを求めて行動していた表れでしかありません。実際には見返りを求めて行動した訳ではないにしても、相手の思いがけない行動に驚いて、何か悪いことをしたか振り返ると恩を感じてくれても良いはずなのにと考えるのでしょう。そこで恩を仇で返されたと言ってしまうのだと思います。ただ見返りを求めて行動したので無ければ、あえて恩を仇で返されたとは言わない方が良いと私は思います。

世の中には色々な人がいるものです。人間関係や状況は刻一刻と変わります。人からしてもらった人として恩は忘れてはいけませんが、人にしてあげたことはすぐに忘れる方がお得です。何故なら相手が恩を感じるのか恩を感じないかは相手の問題だからです。相手が恩を感じているはずだと勝手に期待しても、何も感じていなければ意味がないからです。もし万が一にでも恩を感じてくれていれば、幸運くらいに考える方が良いと思います。

自分が覚えていなくても相手が覚えてくれていれば良いではありませんか?人のためにしてあげたことは早く忘れましょう。そうすれば少なくとも恩を仇で返されることは無くなります。何故なら相手にしてあげたことを忘れているから恩と仇という捉え方が無いからです。

ニキビは青春のシンボルというのは時代遅れ

ニキビ(尋常性ざ瘡)はかつて青春のシンボルと言われていた時代がありました。しかし21世紀では青春のシンボルでもなんでもありません。何故なら糖質回避により簡単に避けることが出来るからです。かと言って糖質をゼロにしなければいけない訳ではありません。

糖質を一食でも食べ過ぎるとニキビが新しく出来てしまいます。その際糖質の許容量をオーバーしてしまったのです。ニキビが新しく出来た時点で食べ過ぎと理解するのです。各個人で異なる、糖質を食べてもニキビを生じない糖質の許容量を見極めることです。

ニキビは青春のシンボルと言われたのは、中学生や高校生の青春時代に出ることが多いから言われたことでしょう。まさか糖質の食べ過ぎでニキビが出来るとは思いません。ちょうど成長期で御飯を食べる量が増えるため、中学生や高校生にニキビが増えるのでしょう。

ニキビは青春のシンボルと言われれば、仕方ないと諦めるしかないかもしれませんが、糖質回避という知恵一つで簡単に避けることが出来ます。

初めて話す、初めて聞き取るの違い

赤ちゃんが初めて言葉を話すと親としては大喜びします。

しかし赤ちゃんは親が聞き取るもっと前に、話をしているようです。だから初めて言葉を話したというのは大人の理屈です。正確には赤ちゃんが話している言葉を初めて理解出来たようです。いずれも嬉しいことに変わりはありませんが、赤ちゃんが大人が考えているよりもはるかに能力が高いようです。ただ大人は赤ちゃんの頃のことを忘れてしまっているので、理解出来ないのです。

赤ちゃんの発する意味をなさないと考えられている喃語は、赤ちゃんなりに大人の言葉を真似しようとしているのかもしれません。ただ声の発し方がわからないため大人が聞き取ることの出来る声が出せないだけのようです。赤ちゃんに話しかけると言葉として聞き取ることは出来ませんが、音程の変化は真似しようとしていることから考えつきました。

赤ちゃんは言葉と話すことの出来るようになるずっと前から、言葉を理解し、真似しようとしているようです。赤ちゃんは言葉を話すようになるまで言葉はわからないと考えられがちですが、大人が考えている以上に能力を秘めているようです。赤ちゃんのそんな無限の可能性を見出してみてあげて下さい。

義の心

義の心とは私利私欲にとらわれないことです。
少なくとも政治家には義の心が備わっているべきでしょう。
出来れば公務員の方にも義の心が備わっていて欲しいものです。

医者にも義の心が備わっているべきだと私は思います。

政治家や公務員における義の心

まずは政治家に求められる義の心とは私利私欲にとらわれることなく、国民の生活を一番に考えて行動することです。贅沢な暮らしをすることが目的で、手段として政治家をしているひとが見受けられます。そのような人には義の心が無いのでしょう。もしかしたらそのような政治家には、義という概念そのものが欠落しているのかもしれません。義の心を持ち合わせていない人を見分ける手段が今の所ないため、見極めるのが難しいのが現状です。
多くの公務員の方は義の心で働いておられると思いますが、一部の公務員の方が利権の確保や天下り先の確保が目的となってしまっているようです。これも義の心が無い人を見極めるのが難しいことが問題です。何故なら義の心の無い一部の公務員が集まってしまうと、義の心が無いことが常識となってしまうからです。そもそもそのような集団の中では義という概念が存在しないのかもしれません。利権や天下り先は私利私欲ではなくみんなのために確保すると信じているのだと思います。ただしみんなが国民ではなく、一部の公務員という限られた集団だということです。税金から給料の支払われる公務員誰は、誰からみても義の心を持ち合わせた人達であって欲しいですね。

医者における義の心

医者にも義の心が無い人がいます。何故なら自分の利益のために歪んだ診療をしている医者がいるようです。症状も無いのに不必要な薬を出し続ける医者がいるのです。特徴は患者さんのためを装って、患者さんを怒りながら薬を続けるようです。自分の利益が減るから怒っているに過ぎません。義の心を持ち合わせている医者であれば、自分の利益ではなく患者さんの利益につながることを自然とするはずです。病気を治してしまうと通ってもらえないから、治さないなどということは無くなると思います。

企業における義の心

本来利益を追求するために存在する企業は義の心は無縁のようです。企業が利益を目的にすると判断を誤ります。何故なら企業と顧客の利益が相反するからです。しかし企業においても義の心を発揮することは出来ます。利益の考え方を変えるのです。利益を目的とせず、手段とした時に義の心が発揮できます。

利益は企業の為ならず

利益は企業のためではなく、顧客のためにあるという考え方です。顧客により良いものものを提供するために、運転資金としての利益を得ることを考えるのです。良いものを提供するために存在するのですから、利益を取りすぎることもないはずです。企業の経営者に義の心があれば、利益は企業の為ならずの考え方を理解し実践出来ると思います。事実既に利益を目的にせずに顧客により良いものを提供することを目的に経営している企業がいくつかあります。当然のごとく大躍進しています。どの企業がこのような考え方で経営されているか考えてみて下さい。