スポーツをするから糖質を食べるという言い訳

患者さんと話をしているとスポーツをするから糖質を食べるという人が何人かおられます。明らかに糖質による害が出ているにもかかわらず、糖質を摂らなければいけないと思い込んでおられます。スポーツをするためには炭水化物を多く食べなければいけないと考えておられるのです。そして糖質依存のため冷静な判断力を失っておられるのかもしれません。

身体を作るために炭水化物・糖質を多く食べることを考えてみます。糖質はブドウ糖として吸収されます。効率の悪いエネルギーなので出来るだけ早く使おうとして空焚きをして体温を上昇させるようです。余ったブドウ糖は筋肉や肝臓にグリコーゲンとして蓄えます。それでも使い切れないブドウ糖は仕方がないので脂肪に変換して蓄えます。

糖質を多く食べたところで筋肉になるわけではありません。脂肪になるのでむしろ身体に重りをつけるようなものです。身体が重くなって有利なのは相撲や柔道・ラグビーなど体重そのものが武器になる限られたスポーツです。その他のスポーツでは積極的に糖質を多く食べることは重りを身につける行為でもったいないように思います。霜降り牛肉を思い浮かべてみて下さい。糖質を多く食べることで筋肉内に脂肪がついた状態(霜降り肉)の方が、筋肉だけより動きが良くなる理由はないはずです。人間の筋肉が霜降り状態になるかどうかは知りませんが、糖質を多く食べると身体に脂肪がつくのは間違いないでしょう。脂肪がつかない程動いているから問題ないという考え方ももったいない考え方です。何故なら糖質は効率が悪いからです。大量に食べても大した栄養にはならず、空焚きしているようなものだからです。そして糖質の害として病気を引き起こしているのであれば、少なくとも害が出ない程度まで減らす方がお得だと思います。

身体のエネルギー源としてのブドウ糖は最も効率の悪い栄養だと思います。脳がブドウ糖を積極的に使うので効率が良いと錯覚されているだけです。脳がブドウ糖を積極的に使うのは、誤作動を予防するためです。アミノ酸や脂肪酸は脳の活動に誤作動を起こすため、誤作動を起こすことのない単純なブドウ糖を栄養とするようです。

ちなみに糖質からブドウ糖をとらなくても、ブドウ糖が不足した時点でアミノ酸からブドウ糖を作ることが出来るので通常は低血糖にはなりません。

それでもスポーツをするためには炭水化物・糖質を多く食べる方が良いと考えるのは、一種の宗教・糖質信奉者のようなものかもしれません。そうなると信じる者は救われる…。私の口を出すことではなくなります。

 

糖質の害を人々がなかなか認識出来ない理由

糖質の害は明らかで議論の余地はありません。議論の余地はないのですが、糖質の害がなかなか浸透しないのは多くの人が糖質依存に陥っているからです。言わば糖質依存が当たり前の依存社会で、糖質依存の状態がベースとなっているからです。糖質を減らすことや糖質を摂らないことが理解出来ないのです。

糖質依存の見分け方

糖質依存かどうかを見分ける簡単な方法があります。お腹が空いて我慢出来るか出来ないかです。我慢で蹴ればそれ程強い糖質依存ではないかもしれません。我慢出来なければ糖質依存で間違いないでしょう。

空腹が我慢出来ても、ピークをこえて空腹が治るようならやはり糖質依存です。

何故なら空腹感が糖質依存の禁断症状だからです。禁断症状でないのなら、ピークをこえるような感覚には決してなりません。尿意や便意は排尿・排便しなければ、おさまらないのは禁断症状ではないからです。禁断症状ではないと仮定すれば、空腹感は食べるまでおさまってはいけないのです。ピークをこえて空腹がやわらぐ時点で禁断症状確定です。禁断症状があるのですから糖質依存に間違いないでしょう。更に詳しく糖質依存の診断基準と照らし合わせるのであればこちらをご参照ください。

多くの人が糖質依存

糖質依存の状態から糖質の害を認識することは非常に困難です。アルコール依存症の患者さんに対してアルコールの害をいくら説明しても理解してもらえないことに似ています。またはニコチン依存症の患者さんにタバコの害をいくら説明してもなかなか理解してもらえないことにも似ています。もともとは命の危険を冒してでも手に入れたいという依存の心理に陥っているので、受け入れがたいのです。

依存状態から依存対象に対して冷静な判断は出来ません。つまり糖質依存の状態で糖質のことについて冷静な判断は出来ないのです。だから糖質の害がなかなか浸透しないのです。

アルコールやタバコの害は健康被害があるかもしれないのでやめておきましょうです。起こるか起こらないかは現時点ではわからないので余計やめにくいのが現状です。しかし糖質の害は糖質を食べ過ぎた結果、害が生じています。つまり因果関係が成り立つのです。ここで注意が必要なのは糖質依存で糖質を食べても無症状の人もいることです。糖質依存なら必ず何らかの害がある訳ではありません。害がある人は必ずと言っていい程食べ過ぎているのです。

このサイトで紹介している糖質の害は糖質を控える(糖質回避)だけで簡単に認識出来るものから数カ月控えることで認識出来るようになるものまで様々です。糖質依存から抜け出すことで初めて糖質の害を認識出来るようになります。

肥満や各種アレルギー、自己免疫性疾患の方は糖質回避をお試しください。これまで良くならなかったのが嘘のように実感出来るかもしれません。

開業医、病気を治すが仕事?治さぬが仕事?

本来の医者の仕事は病気や怪我を治すことのはずです。しかし一部の開業医は、病気を治さず、出来るだけ長く通院してもらうことが仕事と勘違いしている話です。患者さんとしてはどの開業医が治すつもりで、どの開業医が治すつもりがないのかわからないため、治すのが仕事の勤務医にみてもらいたくて大きな病院に殺到するのです。
一部の医者が治さぬが仕事だと勘違いしてしまう理由を見ていきます。
一言で言えば治さない方が儲かる仕組みなのです。
以前書いた病気が治らないのは、治さないのかもしれませんを違う角度から書いてみます。

皆保険制度の落とし穴

今の日本の医療制度は国民皆保険によって成り立っています。国民皆保険のおかげで国民誰もが医療制度を簡単に利用することが出来るので、素晴らしい制度だと思います。

しかし残念ながらこの医療制度にも重大な欠陥があります。

何故なら成果報酬ではなく、出来高制だからです。治すことでお金をもらえる訳ではなく、結果の如何に関わらず処方や検査や処置をすればお金になります。そして病気を治してしまえばその成果は評価されず、通院の必要が無くなるので将来に渡ってお金にはならなくなります。逆に治らなくても薬を処方することでお金になりますし、副作用が出れば更に検査や処置で余分にお金になるのです。

今の医療制度は病気を治さない方が医者が儲かり、病気を治す誠実な医師は経営に苦労するのが現状です。糖質の害をキチンと伝え、病気を治す医者にこそ報酬が与えられるべきですが、現実にはそのような仕組みにはなっていません。病気を治してしまう方が医療費も削減出来るので国民の利益になりますが、そのような仕組みを作るのは非常に困難な状況です。自分の収入が減ってでも患者さんの病気を治す気概のある医師だけが、糖質の害を伝える状況がしばらく続くと思います。

病気を治す医師と治さぬ医者の見分け方

一つの簡単な見分け方は患者さんを怒るかどうかです。怒る医者は治すことが目的ではない可能性があります。病気を治すことが目的であれば、怒る必要などないからです。一緒に病気が治る解決法を探せば良いだけで、怒るのは何かしらの医者の思い上がり・勘違いが原因です。

病気を治さぬ医者は、口にこそ出しませんがお金が目的です。意図的に治さないのか無意識のうちに治らないように治療法を選択しているのかはわかりません。本人に聞いても治す気がないと正直には答えないでしょう。他に怒る目的があるとすれば威張りたいのでしょう。だからこそ病気を治さない医者は患者さんを(自分のお金か自分のプライドのために)怒ります。何故なら目的が病気を治すことではないから、病気で困って来院されたことを怒るという暴挙に出ることが出来るのです。医者の稼ぎのために怒られる上に、治す気が無いのですから困った話です。

参考

もし良かったら

をご参照ください。

よだれの多い赤ちゃん、お腹が空いているだけ?

赤ちゃんを見ているとよだれの多い赤ちゃんもいるようです。体質なのかと思っていましたが、もしかしたら違うのかもしれません。
お腹が空いてよだれが流れているのです。そのことに気付いてもらえないのでずっとよだれが流れているのではないかと思います。
親の食事に関する常識で1日3食を基本に赤ちゃんの食事も考えがちです。
赤ちゃんはお腹が空いてしまえば何度でも食べさせてあげるのが正解ではないかと思います。赤ちゃんは空腹感を感じることが出来るので、空腹感を感じれば食べさせてあげれば良いのではないかと思います。

この仮説が正しければ、よだれの多い赤ちゃんは食べ物やおっぱいが足らずよだれをたらしているのです。よだれを流れていれば積極的に食事を食べさせてあげることで、よだれが減るようであれば仮説が正しいことが証明されます。
良かったらお試しください。

医師や看護師には厳しさが必要な時がある?

ある人と話をしている際に医師や看護師には時として厳しさが必要な時があるかと聞かれました。
私は厳しさは必要無いのではないかと答えました。
そのような会話になったのは看護学校の入学の際の面接を想定してのことです。患者さんの命を守るために時として厳しくしなければならないことがあるのではないかということを想定しての会話でした。
私は相手を思いやる気持ちで接することは厳しさではなく、優しさだと思います。

例えばアルコールによる肝障害で入院している患者さんが隠れてお酒を飲んでいたとします。お酒のことを激しく問い詰めるということはありえることです。お酒を飲むと相手が傷つくことを伝え、お酒を取り上げることは厳しさではなく優しさです。ただしそこに怒りという感情を込めてはいけまさん。この感情が加わるからおかしなことになるのです。
お酒を飲むことで更に健康を害して困るのは患者さんです。他人の問題に踏み込む必要はありません。規則で病院内でお酒を飲むと強制退院になるなら、そのことを伝えるだけで十分です。怒る必要などありません。もし怒るとすれば、自分の管理責任を問われることを恐れてのことではないでしょうか?
医師や看護師に厳しさはいりません。相手を思いやる優しい気持ちで接するだけで良いと思います。ただし課題の分離を行い、相手の問題に踏み込む必要がないことを知った上で行動することです。

医師や看護師もこのことを知らない人が多いのではないかと思います。自分の立場を勘違いして患者さんを怒る医者はこのような考え方は知らないことでしょう。全ての看護師さんではありませんが、良く患者さんを怒る看護師さんを見るにつけ看護師ならぬ管理師だと思ったものです。この話は改めて書きたいと思います。

霜降り牛肉の牛は糖質依存の産物では?

霜降りの牛肉は柔らかいため日本人に好まれています。

霜降り牛肉は赤身である筋肉の中にサシとして脂肪が入り込んでいる状態です。冷静に考えれば脂肪が異常な状態で筋肉の中に入り込んでいるようです。元々牛は進化の過程で脂肪がつく程食べ物を食べることがなかったのではないかと思います。人間は皮下脂肪として蓄えますが、牛は豚のように皮下脂肪を蓄えることが出来ないのではないかと思います。そのため取りすぎた栄養は筋肉の間に蓄えるのではないかと思います。

本来なら動物には食べ過ぎて太らない仕組みが備わっているはずです。何故なら食べ過ぎて太ると他の肉食動物に食べられていますからです。にも関わらず霜降り牛肉は余分に脂肪を蓄えています。

その理由を考えてみました。一言で言えば牛の糖質依存です。牧草を食べて育つ牛は霜降り牛肉になることはないでしょう。何故なら牧草では糖質の量が少なく依存出来ないからです。糖質であるトウモロコシなどを大量に食べさせられることで糖質依存に陥り、過剰摂取をするため取りすぎた糖質を脂肪として蓄えるようです。

畜産農家の方は牛の糖質依存の知識はなくても、経験的に糖質を食べさせると霜降り牛肉になることを知っているのかもしれません。一部の畜産農家では牛にビールを飲ませるようですが、もしかしたらアルコール依存に陥らせることで過剰摂取を促すのかもしれません。霜降り牛肉を作る畜産農家の方に糖質依存の考え方が伝わればより効率的に霜降り牛肉を作り出すことが出来るようになるかもしれません。

人間が肉を食べるだけなら糖質依存にはなりません。人間が糖質依存から抜け出す代わりに牛に糖質依存になってもらい、その肉を食べるという考え方もあるのかもしれません。

機械は既に人間を超えている

機械は既に人間をこえています。思考という意味ではまだまだ人間の方が優れているので、人工知能の発達をもう少し待つ必要があります。

しかし工場のロボットを見てもわかりますが、決まった動きという点では機械の方が人間よりも優れています。そして何年もの時間がかかる人間の熟練とは異なり、一度作ればすぐに全く同じ動きをすることが出来るようになります。職人と同じ動きを教えるのはまだ困難なため、職人技は機械に変わることは今のところありません。これは機械への支持の仕方が難しいため、費用対効果の問題で機械化されていないだけだと私は思います。

今私が注目しているのは、記録と検索についてです。かつて優れた記録を検索出来るシステムは人間の頭脳しかありませんでした。だからこそ瞬時に判断が求められる医師と弁護士は、大量に記憶した中から適するものを探すという作業を人間の頭脳に求めたのです。他に優れた検索システムがなかったから人間の頭脳を活用するしか仕方無かったのです。今ではデータの記録とその検索はコンピュータの方がはるかに得意です。この点では蓄えられるデータ量とその検索という意味で人間の頭脳は既にコンピュータに負けているでしょう。コンピュータに勝てるような優れた頭脳の持ち主ももしかしたらいるかもしれませんが、多くの人達の頭脳をこえてしまっているでしょう。このことに気付いていない人達が多いのではないでしょうか?記憶と検索能力では機械には勝てませんし、勝つ必要はありません。最低限の知識を手に入れ、検索システムを上手に使うことが出来れば記憶力が優れている必要が無くなりつつあるのです。

学校や塾で暗記力を伸ばすような勉強をお金をかけてしていますが、どれほどの意味があるのか一度良く考えても良いのではないでしょうか?時代は変わりつつあります。既にコンピュータが人間をこえつつあるのですから。

生き残ることが出来るのは変化出来る人だけ

既に気付いている人も全く気付いていない人もいますが、実は激動の時代です。物凄い勢いで世の中が変わりつつあります。一つの原因は技術革新です。インターネットが様々な事柄を変えてしまいました。そして変えつつあります。将来営業マンがいなくなるのは既に書いた通りです。わざわざ営業マンから割高な商品を買わないからです。営業マンがいなくなるのは早いか遅いかの違いです。製薬会社でも動きの早い企業は既に営業マンの人数を減らしはじめました。

これからの時代生き残ることが出来るのは変化出来る人だけです。何故なら環境が変化するので、変化に合わせて自らが変わるしか無いのです。人は自分に都合の悪い情報を信じようとしない傾向がありますので、変化しなくて良いのではないかと考えがちです。しかし環境が変化することは間違いありません。環境が変化するのに変わらなくて良い理由はないはずです。

生物の進化の歴史においても変化に適応出来た生物のみが子孫を残し、生き残ることが出来ました。同じようなことが人間社会においても繰り広げられるのです。というよりも既に繰り広げられています。消費者に求められる商品は売れますが、消費者に受け入れられない商品は淘汰されました。商品だけでなく仕事も技術革新により淘汰されたものがいくつもあります。例えば新聞や雑誌の活字を選ぶ写植という仕事は完全にワープロやコンピュータに奪われました。路線バスの車掌さんもワンマンカーになったため必要なくなりました。踏切の遮断機の上げ下ろしをする係員も自動の遮断機にとって代わられました。このようにいつの間にか仕事が失われているのです。

資本主義による競争が人類に適しているのは、自然界の自然淘汰の仕組みに似ているからです。生存競争に生き残った人類の進化の歴史を踏襲するものだから適しているのです。

環境の変化は当たり前です。その当たり前に対応するために自らが変化出来る人だけです。そして間違った変化をしてしまうと一番に淘汰されます。適切な変化を出来るように未来を見据えて物事を考えるようにしましょう。

 

様々なダイエットで失敗する理由

私も含め多くの方がダイエットの失敗を経験されたことがあるも思います。多くの人が様々なダイエットで失敗するにはきちんとした理由があります。単純な理屈なのですが「ダイエット 失敗 理由」で検索してみても、正確に説明しているページは見当たりませんでしたので、改めて書いてみます。

ダイエットで失敗するのは糖質を食べながら、ダイエットするからです。人間の本能にそぐわない方法だからです。そもそも太る原因糖質依存、つまり糖質の過剰摂取な訳ですから、糖質を食べながらダイエットするのはアクセルを踏みながらブレーキを踏んでいるようなものです。アクセルが糖質を食べるこも、ブレーキがダイエットです。下り坂で止まらないと思っていたら自分でアクセルを踏んでいたらということです。まずはアクセルを緩めること、つまり糖質を控えるダイエットのみ正解です。他のダイエットは糖質依存から抜け出さない限りいつかはリバウンドしてしまうのです。

ダイエットをしたいなら、まず糖質依存から抜け出すことです。糖質依存から抜け出せば、余りお腹も空かなくなります。そもそも強い空腹感は糖質依存の禁断症状なのですから、糖質依存から抜け出せば禁断症状が無くなるのは当然のことです。

様々なダイエットで失敗する理由を別の角度から考えてみます。これまでのダイエットは食べる量の我慢でした。意識していれば我慢も出来ますが、体重が減ってくると身体は飢餓状態と錯覚してしまいます。脳は飢えていると誤解するので、食欲を刺激して必死で食べさせようとします。意思の強い人は我慢し続けることが出来ますが多くの人は我慢の限界をこえてしまいます。これまでの我慢の反動でどうにでもなれ効果により大失敗してしまうのです。

糖質回避こそダイエットの真髄です。いくらブレーキを工夫しても、アクセルを緩めなければ止まりません。他のダイエットはブレーキでしかないのです。アクセルを踏んでいる限り、ブレーキを緩めると太るのは当然です。

議論の余地は無いと思います。御一考ください。

良い物を作れば売れるという勘違い

先日テレビを見ているとある企業のエンジニアの人が出ていました。納得の出来る良い物を作れば売れるはずだと言っていました。

良い物を作れば売れるという考え方には2つの勘違いがあります。1つは誰にとっての良い物かという視点、もう1つは良い物は売れた物だという考え方です。

エンジニア達が作っている物は残念ながら私には売れるとは思えませんでした。何故なら使う人がイメージ出来ない商品だったからです。良い物を作ればの良い物とは、作り手にとって良い物という意味のようです。テレビを見ている限り買い手にとって良い物という視点ではありませんでした。人々が求めているのが価格なら性能は二の次のはずですし、人々が求めている物が性能であればデザインはオマケでしか無いように思います。人々が求めている物が何かを探ることなく、自分達の技術で作ることの出来る物を探している印象でした。テレビに出ていたのは社長はデザインにこだわり、エンジニアは性能にこだわっていましたが、どんな人に使ってもらうのかという一番大切な視点は抜け落ちていました。実際には目新しさで海外では売れるのかもしれませんが、目新しさという曖昧な指標に賭けるのは勇気のある企業だと私は思いました。

使う人が極一部の人でも、ピンポイントで心をつかめば物は売れます。しかし誰が使ってくれるのか曖昧なまま商品を作れば、結局誰も使わないまま終わってしまいます。

間違いなく売れる物が良い物です。良い物が売れるとは限りません。作り手にとって良い物が、買い手にとって良い物とは限らないからです。多くの商品が作り手の都合によって作られています。技術の限界だからここまでしか小さく出来ないとか、それらの性能を全て搭載すると価格が高くなりすぎるなど作り手の都合で折り合いのつくところで妥協した商品が多いのが現状です。しかしこれまで妥協せず買い手の欲しい商品を突き詰めて作り込んだ人間がいました。スティーブジョブズ氏です。社長でありながら妥協を許してくれない最高の消費者だったのです。欲しい商品を突き詰めて、エンジニアが答えを出すまで許さなかったそうです。買い手にとっての良い物を突き詰めて作り込んだ結果爆発的に売れたのだと思います。

通常の企業が良い物を作る目的は利益です。良い物を作ると売れるからです。利益を目的として追い求めると、企業の利益と消費者の利益は相反します。相反することの調整で多くの企業の方針がブレるのです。しかし視点を少し変えるだけで売れる物を作ることが出来るようになります。それは「利益は企業の為ならず」という私の考えた諺を実践するのです。利益を追い求めるのではなく、企業が消費者の幸せを実現することを目的とし、利益はその運営資金という考え方です。絶えず消費者のためになるように企業が行動するのです。その中で運営資金としての適切な利益を得る方法を考えるのです。このように考えるとブレることがありません。

先に消費者の欲しい物をリサーチし、出来る物をお客さんの欲しい物に出来るだけ近づけるのです。技術の限界を集めて出来る物を売り出すのでは、当たり外れが大き過ぎます。その結果日本の家電は技術はあるのに(技術があるから?)苦戦することになりました。