安売り買いの銭失い

安物買いの銭失いの諺(ことわざ)をヒントに新しい諺を考えました。安物は質が悪いため結局高くつくという意味の諺ですが、最近では企業努力と技術革新により安物だから使い物にならないと一概に言えなくなりました。100円ショップの品物は100円とは思えない商品も多数あります。現代では安物買いの銭失いは必ずしも当てはまらないのではないかと考えました。

そこで考えた新しい諺が安売り買いの銭失いです。安い物ではなく安売りだからと買っているとお金が減ってしまうという諺です。

物を買う際に、必要だから買う人と安いから買う人には違いがあります。

必要だから買う人はお金が貯まる傾向があります。安いから買う人はお金が貯まらない傾向があります。

必要だから買うというのはあれこれ必要だと考えてしまうとお金を使ってしまいそうですが、使い方を考えてから買うので無駄がありません。安いから買う人は買ってから使い方を考える傾向があります。流石にいくら安くても全く興味がない物は買わないとは思いますが、少し良いなと思う物が安いとつい買ってしまうのです。いくら安くても大して必要ない物まで買っているといくらお金があっても足りません。

自分にとって必要な物を自分にとって適正な値段で買うことがお金が貯まるコツだと思います。必要な物だと思っても、物を使うことが目的ではなく、ただ単に所有したいだけであれば一度良く考えてみるべきです。お金に余裕があるのであれば、所有することが目的でも良いかもしれませんが、お金を貯めようと考えているのであれば所有することが目的の物は買わないのが一番です。ただ安いからといって買ってしまうと後で後悔することになってしまいます。

買い物の一つのコツは、その物を買うことで何が変わるのかを考えることです。明らかに便利になるとか、時間を短縮することが出来るなどのメリットと買うお金として値段が適切かを考えると良いと思います。

安売りと言っても、そもそも元の値段設定が高過ぎたたけのことかもしれません。安売りした値段が本来の適正価格で、元の価格がボッタクリだっただけかもしれません。

安売りだから買うという発想は損してしまうので、安売り買いの銭失いと考え、気をつけるようにしましょう。

他人を馬鹿にする人のみかた

他人を馬鹿にする人がいます。
何故でしょうか?
人の行動には必ず目的があります(目的論)。他人を馬鹿にする目的は何でしょうか?目的がわかれば行動が理解出来るかもしれません。
他人を馬鹿にする目的は、自分が他人を馬鹿に出来る程優れていると印象づけることです。本当に優れていればわざわざ人を貶めなくても、周囲の人達が評価してくれるはずです。自分が期待している程には評価されていないため、自分から評価されるように仕向ける目的で人を馬鹿にするのです。そもそも人より優れている人は他人を馬鹿にするという概念そのものがありません。何故ならそんなことをしなくても認められるからです。

他人を馬鹿に出来るのは自分のことは棚上げに出来るからです。客観的に自分のことが把握出来ないがために、自分のことは差し置いて他人を馬鹿に出来るのです。人は誰でも劣っている点も優れている点もあります。誰しも完璧ではないのですから、人より劣っていることは誰にでもあるのです。それをわざわざ指摘して劣っていると馬鹿にする意味はありません。

他人を馬鹿にする人の見方

他人を馬鹿にすること自体が実は人より劣っていることを知らしめています。他人より優れていればわざわざ人を馬鹿にしないからです。本人はそのことに気付いていませんので、可哀想でもあります。『他人を馬鹿にする人の見方』は、可哀想な人として見てあげると良いと思います。恐らく誰も他人を馬鹿にする行為自体が、恥ずかしい行為だということを教えてあげなかったのだと思います。その意味でも可哀想な人でもあります。可哀想な人ではありますが、歪んだ心理なので出来れば距離を置く方が楽だと思います。他人を馬鹿にする人が近くにいれば少し離れるようにしましょう。

他人を馬鹿にする人の味方

家族や大切な人などの事情で『他人を馬鹿にする人の味方』になりたいのであれば、他人を馬鹿にする行為は恥ずかしいことだと教えてあげるべきです。他人を馬鹿にすることで実は人より劣っていると認めていることを誤魔化そうと虚勢を張っていると受け取られることを教えてあげるべきです。ただし人の考え方を変えるのは一筋縄ではいかないのでそれなりの覚悟が必要です。その覚悟をしてでも変えてあげたいと思う程大切な人であれば頑張って教えてあげてみて下さい。

 

医者なら誰でもわかる病院受診のタイミングの提案

医者なら誰でもわかる病院受診のタイミングの提案です。

医者なら誰でもわかるというのは、病気の原因や経過などを知っているからです。しかし医者にとっては当たり前過ぎて、患者さんも当たり前だと思い込んでいます。病状が悪化してから受診して怒る医者がいるのはこのせいです。医者にとって当たり前の経過だから、もっと早いタイミングで受診出来ただろうと思ってしまうのです。

医者によってはとにかく早く来いということを言う人もいますが、それは自分の立場しか考えていないだけのことです。病院を受診しなくても治る状態でも受診した方が良いと言うのと同じで、患者さんの立場を考えていない考え方だと思います。

具体的に受診のタイミングをどのように考えるのが良いでしょうか?

病気は自覚症状があって受診する場合と、検診などで指摘され自覚症状がない状態で受診することがあります。今回の受診のタイミングは自覚症状に関してです。

昨日より今日病気が悪化していれば明日はもっと悪化する

受診のタイミングの判断基準は、一言で表せば自覚症状が改善しているか悪化しているかです。悪化していれば翌日も悪化する可能性が高く、改善していれば翌日も改善する可能性が高いです。このことを多くの医者が知っています。だから医者は病院を受診するタイミングは患者さんも自然にわかると思っているのです。患者さんにとっては出来れば行きたいない場所が病院です。お金がかかるだけではなく、医者から何を言われるか不安ですから出来れば受診したくないのです。だから病院に行くのは出来るだけ後回しにしてしまいます。今日は悪くなったけどもしかしたら明日は改善するかも知れません。そのように期待して先延ばししてしまいます。

受診のタイミングは、昨日よりも今日悪化していれば明日はもっと悪化します。明後日は更に悪化します。悪化の仕方は一直線ではなく、加速度的に悪化するので患者さんとしても慌ててしまいます。加速度的に悪化するのは細菌感染やウイルス感染が原因の場合です。細菌やウイルスが加速度的に増殖することが原因で症状が悪化してしまうのです。加速度的に悪化するとは昨日より今日2倍悪くなったとすると明日は4倍悪化し、明後日は9倍悪化してしまうのです。直線的に悪化するのであれば昨日より今日2倍でも明日は3倍、明後日でも4倍悪化するだけです。加速度的に悪化する可能性があることを理解しておくことをお勧めします(実際には細菌やウイルス感染であっても免疫が加速度的な増殖を抑えてくれるので直線的に悪化することもあります)

いずれにしても昨日より今日悪化していれば、普通は明日はもっと悪化するはずだということです。明日症状が変わらなければ悪化が止まったと判断して様子をみても良いかも知れませんが、悪化していれば速やかに受診する方が良いと思います。何故なら明後日は更に悪化するはずだからです。

受診出来る日に前日より悪化しては受診を検討する

仕事や学校の都合で受診出来る日が決まっていれば、ギリギリまで我慢せず受診出来るタイミングに合わせて早めに判断するとお得です。ギリギリまで我慢して受診すると、どうしても治るまでに時間がかかります。我慢した結果によっては救急病院を受診することになってしまうかもしれません。具体的には受診出来るタイミングが明日か5日後であれば、明日の時点で受診するかどうか判断するのです。明日症状が悪化していれば受診する方がお得です。明日悪化していれば5日後には更にもっと悪化している可能性が高いからです。悪化しているのに受診せず、5日後まで我慢出来ない程悪化しないあるいは改善する方に賭けるのは危険なギャンブルだと私は思います。明日受診しないということは、5日後まで受診しなくてもすむ方に一か八かの勝負に賭けるのと同じです。仮に明日と明後日受診出来るとすれば明日悪化していても、明後日受診出来るので、明日余程悪化していなければもう1日様子をみても良いかも知れません。

受診出来るタイミングで悪化傾向にあるのか症状が変わらなければ、早めに受診しておく方が結果的には病気が軽くて済むので良いと思います。

受診のタイミングを考える一助になればと思います。

甘味と辛味の共通点

甘味と辛味の共通点を考えてみます。わかりやすい共通点はどちらも物を食べた際に感じる味覚です。味覚の中でも苦味や旨味とは異なる共通点があります。

甘味と辛味の共通点とは依存性です。依存性と言っても薬物依存のような病的で危険な依存性とは異なります。わかりやすい言葉で言えば『病み付き』になってしまうということです。

甘い食べ物、辛い食べ物に対して依存してしまうことでどうしても食べたくなってしまうということです。病気としての依存は診断基準がありますが、ここでの依存性とは嗜好の範疇ながら人々の行動に影響を与えるという意味合いです。

ただつい食べてしまうというようにやめられなくなって、『病み付き』になってしまうのです。

甘味依存には甘い食べ物に対して依存するという狭義の甘味依存と、食べているとほのかに甘味を感じる糖質に対する依存である糖質依存も含める広義の甘味依存があります(糖質依存の中に甘味依存があるのか、甘味依存に糖質依存が含まれるのかは、まだ私にはわかりません)。糖質依存に関しては、明らかに病的な状態である肥満や2型糖尿病などの糖質依存症を伴うこともあります。甘味依存に糖質依存症のような甘味依存症が存在するかどうかはまだわかりません。糖質依存と甘味依存が合併している場合も考えられますので、そう考えると糖質依存の亜型が甘味依存と考えることが出来るのかも知れません。

辛味依存には2種類あります。辛味の種類による分類で、塩分依存唐辛子依存をはじめとする香辛料依存です。塩分は人が生きていく上で必要な物ですから適度に食べると美味しく感じるように人間の身体が進化しています。美味しく感じるという快楽刺激に対して依存してしまうと塩分依存となり、その結果として高血圧になってしまった場合は塩分依存症なのだと思います(全ての高血圧が塩分の摂り過ぎかどうかはわかりませんが、もしかしたら人によっては塩としてわざわざ塩分をとらなくても肉や魚本来の塩気だけで十分な人もいるのかも知れません)。唐辛子をはじめとする香辛料は必ずしも人間の身体に必要なものではありませんから本来塩気のように美味しいという感覚を与えることはありません。むしろ香辛料を食べると脳に強い不快な刺激を与えます。この不快な刺激を打ち消すために脳内麻薬が分泌されるのですが、この脳内麻薬の虜になってしまうのです。幸い香辛料の依存はあっても、高血圧の塩分依存症に相当する香辛料の依存症はなさそうです。

甘味依存や辛味依存の概念を持つことで、お店で美味しいと感じる理由を考えてみると良いと思います。

お店で美味しいと思う多くは、砂糖と塩気で味付けされています。焼き鳥やウナギのタレは砂糖と醤油で味付けされていますし、美味しいと感じる焼肉のタレも砂糖と醤油が中心となって味付けされています。これらが美味しいことを否定したい訳ではありませんが、甘味依存や辛味依存の観点からみると食べ過ぎを助長する少しズルい味付けのようにも思います。

依存によって食べ過ぎていないか、立ち止まって少し考えても良いのかも知れません。

ちなみに糖質依存や甘味依存、辛味依存に陥っているとそれらをやめることが想像できないかもしれません。

選挙権が18歳なら18歳で成人?

選挙権が18歳から認められることになるようです。お酒・タバコは20歳のままのようですが、一番の良識が求められる選挙権が18歳なら近い将来18歳を成人として認める時期が来るのかも知れません。

そうなると移行期には18歳、19歳、20歳の3学年同時に成人式となることも予想されます。もしかしたら混乱を避けるために移行期間として20歳と19歳が成人式、翌年は19歳と18歳が成人式という事態になるのかも知れません。

それとも選挙権は18歳からだけど、20歳までは未成年という不思議な状態で落ち着くのでしょうか?結婚も18歳から出来ることを考えると、20歳が成人という考え方に無理があると思います。

本人の自己責任と考えるとお酒やタバコも18歳から認められても良いのではないかと思います。私個人はどちらも嗜まないので、全て禁止されても構いませんが、むしろ年齢によって法律で禁止しなくても良いのではないかとさえ思います。

人類は手探りで解決策を探している

人々は多くのことを知っていると考えています。人類は物事のほとんどを知り尽くしていると誤解している人すらいます。
しかし人類は多くのことが未だ手探り状態です。

例えば人が集まると争いが起こりますが、世界を見回してみると争いを起こらないようにする手立てはまだ見つかっていません。過去に学んで手探り状態で争いを避ける方法を模索しています。もしかしたら人間が欲を持つ限り争いは無くならないのかも知れませんし、争う必要の無くなる方法を探し当てることが出来るかも知れません。少なくとも現時点で分かっていることは、争いを避ける方法は未だ手探り状態だということです。

政治体制に関しても手探り状態です。過去の歴史を紐解くと、独裁政治や社会主義、民主主義など様々な体制がありますが政治体制も手探り状態です。政治体制が破綻すれば革命となひます。中でも民主主義が手探りで辿り着いた最善の政治体制でこれ以上改善しようがないと考えている人もいるかも知れませんが、多くの問題を含んでいます。最適な答えが見つからないため、仕方なく次善の策として多数決で決めているだけのことです。いわば手探りで辿り着いた政治体制と言えるのかも知れません。これも人間、特に政治家や役人に私利私欲があるうちは民主主義が最善の方法なのかも知れません。実現するかどうかは別にして理想の政治体制は、私利私欲のない人間による独裁政治だと思います。もしかしたら私利私欲のない政治家が現れるまでの手探りなのかも知れません。

手探り状態の例え話は他にも、人類にとって食べ物は何が最適なのかはまだ答えは出ていません。主食としての糖質を中心にバランスよくと言われてはいますが、これだけの糖質の害が明らかになっていることを考慮するとどうやら主食という概念そのものに問題がありそうです。これから手探りで最適な食べ物や最適な食べ方がわかってくるのではないかと思います。少なくとも現時点で糖質を毎食ガッツリ食べるのはやめておく方が無難なようです。

人類が手探り状態から解放されるのは、新たな知見が発見され物事が理論的に調整出来るようになった場合です。例えば重力の概念を発見したことで、様々な物事が理論的に解決しましたし、目に見えない空気という概念の発見が様々なことの理解に役立ちました。それまでは全て手探りだったのです。

人類は進化の歴史において手探りで、様々なことを学んできました。時には間違ってしまうと命を落とすという文字通り命を懸けて、より良いものを探してきました。現在もまだ様々な分野において手探りの状態に置かれているのです。ただ人々は現時点で分かっていることだけを見ているので、手探り状態であることを余り理解していないだけのことです。

日本の人や物が世界で信頼される理由

日本の人や物が世界で信頼されています。かつて日本製は信頼出来ない物の代名詞だった時代もあったようですが、今では世界トップクラスの信頼を表すブランドになっています。日本で売れたということが、日本の市場に受け入れられたというブランドにすらなりつつある程の信頼感があるようです。今回ふと思いついた日本の人と物が世界で信頼されている理由を考えてみました。

当然日本人全てが信頼出来る良い人な訳ではありませんが、成功している日本人の多くが共通した考え方をしていると思います。相手のことを思い遣ることが出来るということです。

日本の人や物が世界で信頼されるのは、買った後のことも考えて物を売るからだと思います。日本人は人と長年に渡りより良い関係を築くことを目的として商売をしています。日本は歴史的にみると政治体制が長年安定し、人々が同じ場所で生活することが多かったのです。多くは農家で農業に従事していましたので、引っ越すことが出来なかったのです。商売人もわざわざ引っ越す必要が無かったので長年同じ場所で商売するのが基本でした。粗悪品を騙して売ったとしても長くは続けられません。長く商売するつもりなら、相手のためにもなる商売をするのです。買った後で相手が後悔すると信用を失い、例え利益が出たとしても良しとしないのです。そのため買ってもらった後でわかった不具合も、後悔させないために出来るだけの対応をするのです。あらかじめ不具合を生じないようにするのはもちろん、不具合がわかれば改善策を考えます。相手が困ることを避けるためです。未知の不具合にも備えるために、どうしても価格が高くなってしまいます。高い価格は信用代のようなものです。

一方国の体制が何度も変わり、隣人が何度も変わるのが前提の国々では日本人のような発想は理解できません。騙された方が知恵が足らない分、間抜けだと思われるのです。お金と物を交換した時点で終わりです。不具合が後で分かっても、買う時点で見抜けなかった買い手の落ち度だと考えるようです。苦情を言ったとしても納得してお金を支払ったのだから、筋違いだとされるようです。連絡先のわからない露天や行商人、訪問販売での一度きりの商売のような関係性です。

わかりやすく言えば、日本人は後々のことを考えて落ち度なく万全な商品を売るのに対して、他国は安くする分お金を受け取った時点で終わり、売った切りです。何度も購入する商品であれば、次から購入しなければ良いのですが、船や列車など長年使うものはこの違いを良く理解しておくべきです。そして理解されているからこそ日本の人や物が世界で信頼されているのだと思います。

日本人にとっては当たり前の相手の信頼を得ることを、無駄だと考える人々がいることを知っておくと商品の売り方が変わると思います。信頼に対する考え方の違いが理解されないと製品の価格だけで判断されてしまうことになります。

全ての元になるのが、日本人は「和」を大切に考えているからだと思います。周りの人達と仲良くすることを島国の中で長年かけて培った日本人にとって何より大切なのは、お互いより良い関係を築くことです。だから日本語は相手の顔色によって語尾を変えることが出来るのです。日本語の仕組みは諍いを避ける目的に、語尾によって簡単に意味を反対に出来るのです。外国人から日本語が曖昧だと言われるのは、日本語の言葉をそのまま翻訳するからです。日本語の言い回しを翻訳するから曖昧に聞こえるだけで、日本人同士ははっきりと意思の疎通がはかれています。翻訳の齟齬により曖昧な印象をなだけです。

私は日本の人や物が世界で信頼されているのは、「和」を輸出しているからではないかと思います。

アトピー性皮膚炎が治らない理由

以前記載したようにアトピー性皮膚炎は治ります。しかし世間一般では治らないと考えられています。

今回は治らない理由を考えてみます。

アトピー性皮膚炎が治らない理由

まず結論を書くと、糖質を食べ過ぎているからです。糖質を食べ過ぎた結果アトピー性皮膚炎を発症しているので、糖質を食べ過ぎている限りせっかく治療しても湧き上がるだけのことです。

世間一般ではアトピー性皮膚炎は治らないと考えられています。医者の中にはアトピー性皮膚炎は薬を使えば治ると考えている人もいますが、それは治る訳ではありません。薬で抑えているだけです。患者さんの求めている「治る」を勘違いしています(参考:患者さんの治ると医師の治るのすれ違い)。患者さんの求める病気が治るとは治療が必要なくなる状態のことです。2度と症状が出なくてはじめて治ると感じるのです。

アトピー性皮膚炎の治療法はステロイド剤を塗ることだと誤解していることが治らない原因です。糖質を控えるだけで症状が改善することを知らないのです。

糖質という原因を食べ過ぎながら、治療しても治らないというのは、あたかも糖質を食べるというアクセルを全開に踏みながら、治療であるブレーキを工夫しても車が止まらないと困っているようなものです。アクセルを緩めれば自然と止まるのにそのことを知らないのです。

糖質を食べ過ぎた結果として何らかの免疫異常を来し、皮膚に対する自己免疫が働き、皮膚に炎症が起きているだけのことです(仮説)。炎症が起きた状態の皮膚に対して容易に触れるダニ・ホコリ・汗に感作しただけのことです。原因は糖質の食べ過ぎ、悪化因子がダニ・ホコリ・汗などです。そのため悪化因子を取り除いても他の物質に感作されれば再び症状を起こしてしまいます。

糖質を避けるという知恵

表現の仕方を変えると、アトピー性皮膚炎が治らないのは糖質を避けるという知恵を知らないからです。

それ以上でもそれ以下でもありません。アトピー性皮膚炎を治したいと思われたらまず糖質を減らす食事療法を試してみてください。どの程度減らせば良いのかは個人差があるので一概には言えません。一つの目安として振り返り法がお勧めです。検査で糖質を控えると治るかどうかわかりませんか?という質問を受けますが、ありません。糖質回避を行って改善するかどうか回避試験をしてみるしか今のところ確かめる方法はありません。

糖質回避によるアトピー性皮膚炎の改善率は95%をこえていますので、お試しください。

もう一つのアトピー性皮膚炎の治らない理由

アトピー性皮膚炎が治らないブラックな理由を一つ記載します。アトピー性皮膚炎は治るのに医者から治る話が教えてもらえない理由についてです。恐らく糖質が原因だと知らないのだとは思いますが、知っていても患者さんに教えようとしないかも知れないのです。その理由がブラックなのです。

一言で表すと治らないのではなく、医者の都合でアトピー性皮膚炎を治さないのかも知れないというブラックな話です。

糖質回避でアトピー性皮膚炎が治ることを患者さんに伝えると次々患者さんが治るため患者さんが減ってしまいます。倒産を恐れて教えてくれないかも知れないのです。または糖質を控えるだけで薬が要らなくなるため、医者の存在意義が無くなるため教えてくれない可能性があるのです。恐らくほとんどの医者はまだ糖質回避で治るという知恵を知らないだけだと思いますが・・・

強い空腹感を感じるのは糖質依存の禁断症状

空腹感は誰もが感じる生理的な感覚です。
しかし強い空腹感は糖質依存の禁断症状です。
以前は仮説として強い空腹感は糖質依存の禁断症状かもしれないとして書きましたが、他の感覚と比較することで間違いないと確信しました。

尿意と比較してみる

他の感覚との比較とは排尿したいという感覚、尿意と比較するとよくわかります。
尿意は排尿しない限り次第に強まっていきます。
どうしても我慢しなければいけない環境に長くさらされると、多少は弱まることはありますが排尿しなくてすむようになることは通常はありません。
これが禁断症状ではない生理的欲求です。
空腹感が禁断症状ではないと仮定すると、尿意と同じように食べない限りは空腹感がやわらぐことはないはずです。しかし実際には空腹感を我慢していると突然ピークをこえるように感じ、強い空腹感を感じていたとき程は食べられなくなります。これこそが糖質依存の禁断症状である証拠です。

強い空腹感が生理的なものだと仮定すると

それでも強い空腹感が糖質依存の禁断症状ではなく生理的なものだと仮定すると、矛盾するおかしな点がいくつか存在します。

  • 糖質を避けている(糖質回避)と強い空腹感を感じにくくなること(空腹に慣れるような印象です)
  • 人類が農耕を始める前の狩猟採集を行っていた時代にも強い空腹感を感じていたとすれば、狩猟採集活動に支障を来したと思います。つまり強い空腹感を生理的に感じていれば、狩猟採集がうまく出来ず子孫を残すことが出来なかったはずです。

これらの事からも強い空腹感は糖質依存の禁断症状だと思います。

強い空腹感が糖質依存の禁断症状からわかること

強い空腹感が糖質依存の禁断症状だということがわかることで利点があります。
禁断症状がなくなることを目安に糖質回避を行うことが出来ることです。
強い空腹感を感じればまだ糖質依存状態ですし、強い空腹感をあまり感じなくなれば糖質依存状態から抜け出したことがわかります。

糖質制限をされている人達が糖質制限をしばらくしていると、あまり空腹感を感じなくなったとおっしゃるのは、糖質依存から抜けだし禁断症状を感じなくなったことに起因します。
ちなみに糖質制限をしていると胃が小さくなったと感じるのも糖質依存のせいで自己抑制が利かない状態を表しています。

強い空腹感から抜け出すと、食に対するこだわりが減ります。
食に対するこだわりが全く無くなる訳ではありませんが、わざわざ行列に並んでまで食事をしようという感覚は薄れますし、高いお金を払ってまでとにかく美味しい物を食べようという感覚も減ります。糖質依存の状態の方から見ると人生の楽しみが減るような印象を感じられるようですが、むしろ時間とお金に余裕ができるので豊かな生活を送ることが出来るようになります。
このことはニコチン依存の方がタバコをやめることが想像できないことに似ています。
糖質依存から抜け出すことで初めてわかる感覚が味わえます。

良かったら強い空腹感を感じなくなるまで糖質を控えてみて下さい。
個人差があるようですが、私は2週間で強い空腹感がなくなりました。つまり2週間糖質を回避することで糖質依存から抜け出すことができました。人によっては3週間で抜け出せた場合もありますし、早い方は3日で依存から抜け出すことができたそうです。
良かったらお試しください。

アトピー性皮膚炎を治す食事療法(振り返り法)

アトピー性皮膚炎を治すことが出来るのは以前お伝えした通りです。

アトピー性皮膚炎の食事療法(糖質回避法)を実践し、症状が良くなるまで減らしてしまえば理論的には完治します。しかしどの程度糖質を減らすと良いのか判断に困る場合があります。
そこで提案するのが振り返り法です。

アトピー性皮膚炎において、糖質を食べ過ぎてから症状が悪化するまでの期間が短いことを利用します。アトピー性皮膚炎では糖質を食べ過ぎると数時間のうちに痒くなって、それ以上食べ過ぎると翌日には赤みがでるようです。
そこで痒くなったり赤くなったりした時点で食べたものを『振り返る』のです。

アトピー性皮膚炎の食事療法:振り返り法

具体的な方法を提案します。
判断がしやすくなりますので、ステロイドで炎症を抑えた後で振り返り法を試すことがお勧めです。何故なら炎症がある間に糖質を控えても、以前の炎症の影響か今回食べたものの影響か判断しにくいためです。

まず出来る範囲で構いませんので糖質を控えてみていただきます。
痒みや赤みなど症状が出なければ糖質の食べた量は許容範囲内です。そのままの量で様子をみましょう。
痒みや赤みが出れば糖質を食べ過ぎのサインです。
痒みが出た場合は直前の食事が原因の可能性が高く、赤みが出た場合には1日の間に食べた食事が原因の可能性が高いと考えられます。
ここで食べたものや食べた量を『振り返る』のです。

いつもより食べた量が多ければ、それが食べ過ぎのサインだと考えます。つまり許容量を超えてしまった証拠です。
この量を覚えておいて、次から食べ過ぎないように気をつけるのです。
もし食べ過ぎに思い当たらなければ、気にしないようにしましょう。
何度も繰り返しているうちに許容量が分かるようになってきます。

振り返り法の目的は自分の許容量を把握すること

振り返り法の目的は、最終的に自分自身の食べても大丈夫な糖質の許容量を把握することです。許容量を把握していれば、食べ過ぎて症状を悪化させないように気をつけることができます。場合によっては痒くなるとか赤くなると予測することが出来るようになります。予測出来れば痒みに対しては前もって内服することができますし、赤みが出る場所が決まっていれば前もって外用することで症状を出ないように抑えることができます。

これまでは原因がよくわからない疾患であったアトピー性皮膚炎が、糖質を食べ過ぎれば出る疾患で、糖質を控えると症状が出ない自己調節出来る疾患になります。

20世紀のアトピー性皮膚炎の治療はステロイドで抑えることしか出来ませんでした。薬を塗らなければ再発するのが当たり前でした。原因が糖質の取り過ぎなのですから、次々症状がわき上がるのは仕方のないことでした。あたかも糖質というアクセルを踏みながら、治療というブレーキを工夫してみても車が止まらないと言っているようなものです。当時は何も分からず手探りだったので仕方がありませんが、糖質の知識を得た今となっては残念な治療法です。
21世紀のアトピー性皮膚炎の治療は糖質回避で根治することが出来るようになりました。
良かったらお試し下さい。