アレルギー検査の目的は医者の売り上げでは?

血液検査で血液中のIgEの値を測定するアレルギー検査という検査があります。
テレビでアレルギーの原因を特定しましたという具合に取り上げるので、症状もないのに検査することが当たり前だと誤解されていることもよくあります。

アレルギー検査してわかることは血液中にアレルギーを起こすかもしれない免疫が存在するということです。IgEの値が高ければ必ずアレルギーを起こすわけではありませんし、逆に値が低ければアレルギーがないと言い切れるわけでもありません。
更にダニ・ホコリやスギ・ヒノキにアレルギーがあることがわかったところで避けることができないのであればどれだけの意味があるのでしょうか?
本来であればそのことまで考えて検査をするはずですが、結果だけ伝えて解釈の仕方・対処法を伝えない医者が多いようです。

検査で何かわかったら対策があるのですか?と質問してみましょう。
対策がないのにただ検査をするのは、探求心を満たすという意味以外は、医者の売り上げを上げる意味しかありません。
検査でわかったことで何か変わるのであれば意味があります。
例えばエビ・カニなどを食べると蕁麻疹が出る気がするが、本当だろうか?とか、リンゴや桃などを食べると症状があるため口腔アレルギー症候群が疑われるが、他の食べ物は大丈夫だろうか?という場合には結果により食べるのを避けることができるので意味があります。

対策がないのであれば知らぬが仏という諺通り、検査しないのが一番だと私は思います。

患者さんとしてアレルギーの検査を提案された場合、対策があるかどうかをまず聞いた上で検査するかどうかを考えましょう。

アレルギー検査をしているお医者さんがこれを見られた場合、アレルギー検査する意味を考えてみてださい。
対策のない検査するより、アレルギーが治る糖質回避を勧める方が誠実だと思います。

御飯を毎日食べても飽きない理由

人間には同じことを繰り返すと物事に飽きる仕組みが備わっています。飽きる仕組みの目的は様々な経験をすることです。食べ物において飽きるのは多品種食べることで本能的にリスク分散をはかるのだと思います。栄養補給だけでなく、毒物を食べてしまうリスクを分散するのです。しかし御飯は毎日3食食べても飽きないのは何故でしょうか?不思議といえば不思議です。飽きるほどの強い味がないからと説明する人もいますが理由は違います。
糖質依存状態に陥ることで更なる御飯を求めるようになるのです。飽きる仕組みよりも依存の快楽の刺激の方が強いため飽きることが出来ないのです。
そのためご飯は飽きるどころか毎日食べるように文字通り病みつきになるのです。
依存の証拠は禁断症状を見つけることで簡単に証明できます。禁断症状とは強い空腹感です。お腹がすいた状態で我慢しているとピークを越えたように空腹感をあまり感じなくなります。これこそが禁断症状の証拠です。何故なら禁断症状でなければ、排尿を我慢しているときのように排尿しない限り排尿感がなくならないのと同じように、何かを食べないと空腹感がやわらぐことの説明がつきません。むしろ糖質を少し食べると余計お腹がすくという不思議な現象まで起こるほどです。これも糖質依存の一症状のようです。

依存の仕組みを知った上で、肥満やアレルギーなどの御飯に対する依存症(糖質の食べ過ぎによる様々な病気は糖質依存症だと私は考えています。)があるのであれば御飯を避けるのが一番です。

理にかなった離乳食スプーン

赤ちゃんに離乳食をあげるスプーンはいくつか種類がありますが、このスプーンが非常に理にかなっています。
何故ならスプーンに食べ物が半分しか乗らない構造で、離乳食を赤ちゃんの口の中に置きにいくようなイメージで食べさせてあげることができるからです。

離乳食セットとして飲み口のついたものが以下のセットです。

セットでなくても、スプーンだけでもあると便利です。
ちょっとした違いですが、普通のスプーンと比べるとかなり便利です。

意外な依存症産業(タバコ、ギャンブル以外)

様々なものに依存症が存在します。
わかりやすいのはタバコです。
タバコを吸ったことのない大人や子供が常識的に考えれば、煙をお金を出してまで吸うなんて理解しがたい行動です。どうしてもやめられないのはタバコの煙の中のニコチンに対する依存が原因です。ニコチンが身体の中に入ると脳内のニコチンレセプターにニコチンが働き、ドーパミンが放出されます。このドーパミンに対する快楽が依存を誘発します。つまりタバコ産業は典型的な依存症産業といえると思います。
他にもわかりやすいのがパチンコや競艇や競輪などのギャンブルです。適度に娯楽として楽しむ程度であれば人生を豊かにしてくれるのかもしれませんが、過度にのめり込んでしまうと自分では歯止めがかからず、借金をしてまでお金を使ってしまう人も大勢います。生活に支障を来す程のめり込んでしまうとギャンブル依存とされます。そしてギャンブル依存の方々が多額のお金を消費することで業界を支えています。

他にもわかりやすいのはお酒です。お酒も適度に楽しむ範囲では手軽な娯楽ですが、自分でコントロール出来ないほど飲んでしまうと立派な依存症です。

お酒もある種依存性があり、仕事もせずに昼間から飲んでしまう程でなくても、お酒を飲むために夜が待ち遠しい程度なら多くの人に当てはまるようです。

ここまでは皆さんの予想通りだと思いますが、意外な依存症産業があります。少なくとも私は依存症にはまっていました。

意外な依存症産業とは、糖質依存糖分依存です。糖質依存は血糖値が下がると強烈にお腹がすくという禁断症状が特徴です。糖質を少しだけ食べると余計お腹がすくという不思議な現象も起こります。糖分依存とは甘いものに対する依存で、甘みという快楽に対する依存です。糖質依存と糖分依存と両方に依存していることもあります。甘みを求めるかどうかで区別がつきます。

糖質依存と糖分依存による依存症産業とは、多岐に渡ります。糖質依存症産業は主食を扱う業種全てです。具体的には牛丼やハンバーガーなどの多くのファーストフード、定食屋をはじめとした多くの外食産業が糖質依存症産業です。糖分依存とは甘みを扱う業種全てを表します。具体的にはドーナツ屋さんやケーキ屋さんなどのデザートやお菓子などの甘みを伴う業種全てが糖分依存症産業に含まれます。

糖質依存症産業・糖分依存症産業の中で私が考える最も繁栄している業種はコンビニだと思います。ご飯がメインのお弁当が主力商品ですし、甘みであるデザートも品揃え豊富です。いずれも賞味期限が短いために頻回にコンビニを訪れることにつながるため、コンビニの業績に多大な貢献をしています。さらに依存度を高めるために、最近では甘み依存を誘発するドーナツの販売に力を入れています。

他の娯楽が増えたことでギャンブル依存から抜け出す人が増えたことと同じように、もしかしたら新たな価値観が生まれることにより、糖質依存や糖分依存から抜け出す人が増えるかもしれません。もし糖質依存や糖分依存に日本人の多くが気付いて抜け出すことが出来れば、コンビニの業績は一気に悪化してしまうかもしれません。現時点ではそのような事態になる可能性は限りなくゼロに近いとは思いますが。

他にも依存症産業はあると思いますので良かったら探してみてください。

死を覚悟した際に走馬灯のように過去のことが巡る理由

死を覚悟すると過去の記憶が走馬灯のように巡ると言われています。
その理由を考えてみます。

死を覚悟するほどの経験をして生き残った方が言われる話です。
亡くなった方は証言できませんので、生き残ることができた方が言われることです。
その理由を考えてみます。

このことは人の記憶のメカニズムに起因します。
通常の頭の使い方では、過去の記憶のアクセスを制限する仕組みが備わっています。何故なら全ての記憶・情報にアクセス出来てしまうと、情報量が多すぎて処理しきれないからです。つまりお目当ての記憶が探せないことを避けるため、記憶へのアクセスが制限されているのです。いわば脳のリミッターがあるような状態です。もしかしたら全ての情報にアクセスすることができると脳がオーバーワークになるため、それを避けるためのリミッターでもあるのかもしれません。記憶へのアクセスの制限がわかる一例が、テストの際に覚えているのに思い出せないというもどかしい経験です。ちなみにテストで思い出せないのは情報が整理されていないため一度にいくつもの記憶が一度に出てこようとして干渉してしまい、テストで出題されたキーワードでは記憶が取り出せないのです。対策は似たような記憶を整理して記憶することです。

話が少しそれましたが、要点は通常の頭の使い方では全ての記憶にはアクセスできないようになっています。
死に直面した瞬間、生き残る術を必死で探すようにできているようです。
少しでも生き残る可能性を探すのです。
脳のリミッターが解除されるので、すべての記憶に一気にアクセスすることができます。死んでしまっては元も子もありませんので、脳のオーバーワークを避けるために制限している余裕はないのです。
死に直面した状況で、生き残るために役立つ情報を探すため、脳内に残っているすべての記憶に一気にアクセスするのです。これまでの経験の中からこの状況で少しでも生き残る可能性の高まる方法を探すのです。

幸いにして生き残ることができた場合、これまでにない経験の記憶へのアクセスを思い出す際に、走馬灯のように様々な記憶が沸き起こったように感じるのではないかと思います。
実は一気に情報にアクセスしてしまうのですが、脳が処理しきれないので少しずつ思い出したと錯覚してしまうのだと思います。

死を覚悟した瞬間時間が伸びた感覚になるのも、これまでにない脳の処理が原因だと思います。大量の情報を一気に処理するから、ゆっくりに感じるのだと思います。
落下実験で処理能力は変わらないという実験をみたことがありますが、下にネットが張ってある安全な実験のため、死ぬ!と思わなかったことが実験結果に影響があったのだと私は思います。

診察時間の長い医師と短い医師の違い

総合病院の医師も開業医の医師にも診察時間の長い医師と短い医師の2種類がいます。
今回はその違いを書いてみます。

一般的には診察時間が長い医師が信頼され、短い医師は待ち時間だけ長くて診察時間は短いとして非難される傾向にあります。しかし診察時間が長い理由によっては信頼できませんし、診察時間が短い理由によっては短い方が良いと考える患者さんもおられることでしょう。

診察時間が長い理由は説明が丁寧なのかもしれませんが、他にも診察時間が長くなる理由いくつかあります。
診察時間は診断する時間と説明する時間にわかれます。
診断する時間がかかるのは判断する基準がよくわかっていないまま診察しているからかもしれません。確かに滅多にない病気かもしれない場合など判断に迷う場合はありますが、多くの患者さんの診断で迷っている先生がいるのも事実です。恐らく医師自身に診断に関する基準が理解できていないのではないかと思います。その場合診断する時間がかかるのは医師が迷っている時間です。
説明する時間が長くなるのは説明が的確ではないため説明を聞いても患者さんの疑問が解消されず、説明する端から新たな質問が沸き起こり延々と疑問が解消されないため診察時間が長くなってしまうのです。あらかじめよくある質問を簡潔に説明するという配慮もしないことが多いため、診察時間が長くなってしまいます。
延々不安を聞いて解消してあげようとされる医師もおられますが、実は不安というのは何らかの目的をもって生み出すものです。治療をしたくないや医師と話をするという目的のために無意識のうちに不安を生み出しているのです。(参考:アルフレッドアドラー 人生に革命が起きる100の言葉)。不安をどのように扱うかは患者さんの問題なので、医師がその不安を背負って対応することで診察時間が長くなるのはお互いのためにならないと思います。

診察時間が短い理由は、診断時間が短く迷いがないのかもしれません。説明に関しては、要点をまとめて簡潔に伝えることができるからかもしれませんが、患者さんの質問を受け付けないから診察が早いのかもしれません。
診断時間が短いのはいい加減で速いのか、経験により診断が早いのかはわかりません。
しかし診察時間の短い医師の話がわかりやすいかわかりにくいかで、どちらのタイプかわけることができます。短い時間で患者さんからよくある質問の内容を織り込んで説明していくため、患者さんにとってはわかりやすく感じます。短い時間で切り上げようとする医師は患者さんがわからないことでもお構いなしで説明を続けます。その場合説明をして一方的に説明をして診察を打ち切るような説明をします。

診察時間が長くても短くても医師の説明がよくわからない場合は別の病院を受診してみるのが良いのかもしれません。

常識が正しいとは限らない

誰もが当たり前だと思うこと、それが常識です。
当たり前なのですから、通常誰も真偽を疑うことはありません。
そして常識以外のことを考えなくなります。常識が正しいのが当たり前で常識以外に正しい訳がないと思うのです。
しかし常識が正しいとは限らないのです。常識が覆ることは良くあるのです。
まだ知らない方もおられるかもしれませんが、例えば傷口の消毒が当たり前でしたが、傷口の消毒はしない方が明らかに治りが早いです。
糖質の害がこれだけ明らかになってくれば、糖質を主食として食べるという常識も間違っているのではないかと思います。少なくとも糖質の食べ過ぎの症状が出た方は、糖質を主食として食べるという常識が間違っているようです。
赤ちゃんには紙オムツが常識ですが、オマルですることを促すと赤ちゃんもオマルで排尿・排便が出来るようです。つまり赤ちゃんにはオムツという常識が間違っているようです。必ずオムツにしなければならない訳ではなさそうです。

日本人の常識であるお米を食べるということが間違っているのであれば、他にも常識の方が間違っていることがあるのかもしれません。まずはどれだけ当たり前のことでも真偽を疑ってみることです。その結果どんな常識革命が待ち構えているか楽しみですね。戦争が無くなるような常識革命が起こるといいですね。

言い訳人間の見分け方

言い訳人間とはいつも言い訳する人の心理で書きましたが、何事も言い訳することで逃げ出そうとする人のことです。
言い訳をする人は自分の責任から逃れることが目的であるため、次に生かすということはありません。如何に責任逃れをするかしか考えられないので、残念ながら成長することもありません。
自分の責任だと認める概念がないので、いくら言っても時間の無駄です。

できることはできるだけ早く言い訳人間を見分けて、できれば相手にしないことです。
見分け方は簡単です。
問題を指摘し、どうするかを聞いてみることです。
言い訳人間はそれらしい理由を探します。つまり言い訳から始めるのです。
今後どうするか改善策を考えることはありません。何故なら自分の非を認めなければ改善策を考えることができないからです。
言い訳人間でなければ、すぐに改善策を探します。
原因を探ったところでタイムマシンで過去に戻ることができるわけではありませんから、原因そのものに意味はありません。

言い訳人間は自分の責任から逃れることが目的で言い訳をします。改善策まで考える余裕はないと思います。
言い訳人間でなければ、改善することが目的です。自分の責任から逃れる必要がないので、改善策を探すことに専念できるのです。

自分から理由を説明するのは言い訳人間の証拠です。
求められてもいない理由を自分から説明しようとする目的は言い訳だからです。
言い訳を避けるためには、何故問題が起こったのか相手から聞かれた時点で初めて理由を説明するのが良いと思います。

飾り消費は見栄消費と贅沢消費

先日実消費と飾り消費について書きました。
消費には飾りを削ぎ落とした最低限の消費である実消費と様々な付加価値のついた飾り消費に分けることができるという考え方です。
様々な飾りがつくことで楽しく感じたり魅力を感じたりするようになっており、その満足感に対してそれなりの対価を払うようになっています。

今回は飾り消費を更に二つに分けてみます。
見栄消費と贅沢消費です。この二つは重なる部分もあり、見栄消費でもあり贅沢消費でもあるということもあります。
見栄消費とは人に見られることを前提とする自慢の意味を含む消費のことです。
本人が意識しているか無意識しているかは別として人に見られるところでの消費は、見栄消費の一面があります。人に見られるから高いものを選んでしまうというのは見栄消費の典型的なものです。
腕時計やネックレスなどの身に着ける装飾品は見栄消費の一面があります。
年収1000万の人が、自分は年収が高いのだから高級車に乗らないといけないあるいは恥ずかしいと考えるのも典型的な見栄消費です。
贅沢消費とは人に見られることを前提としない、自己満足の消費のことです。
人に見られない自宅のソファーなどに高級なものを買うのは自己満足ですから贅沢消費です。しかし人を招いてソファーを人に見せることが前提であれば、それは見栄消費でもあります。

自己満足である贅沢消費は自分自身で満足感を得るという意味がありますが、見栄消費は人に見られることを前提としており、人がどう思うかを勝手に先読みして消費するのであまり意味がないように思います。
人に見られるものに高いものを使う深層心理には見栄消費の一面があるのではないでしょうか?

よほどお金に余裕のある方は見栄消費も贅沢消費をしても問題ないと思いますが、普通の人が見栄消費や贅沢消費をしていると気が付いたときにはお金がないということになりかねません。自分の消費が実消費なのか見栄消費なのか贅沢消費なのかよく考えてみましょう。

実消費と飾り消費

消費、つまりお金を使うことには二つあります。
実消費と飾り消費です。
実消費とは必要最低限の消費を表します。
食事では身体を維持することを目的とした食事のことです。
美味しいとか楽しいということはそぎ落とした、栄養補給としての食事です。
他にも衣食住という言葉がありますが、衣料に関しても人に不快感を与えない程度の最低限の衣服を身にまとうことを表します。住まいに関しても広い狭いに関わらず、雨露がしのげることを表します。

実消費に快適性や楽しみという飾りを施すことで、より魅力的に見える商品になるのです。
飾りをそぎ落としたものが実消費です。

飾り消費には、明確なメリットを生み出すことを含みます。
例えば時間が短縮できる・便利になるなどの明確なメリットを生み出す場合です。
時間短縮は飾りでもありますが、限られた時間を有効に使うという意味では実消費でもあります。飾りの中には実消費と曖昧な部分もあるのです。
例えば東京大阪間を移動することを想像してみてください。
移動するというだけであれば、鈍行列車、自家用車、新幹線、高速バス、飛行機などが考えられます。
移動という観点だけで見れば実消費は鈍行列車や一般道を走っての自家用車での移動を表します。実際には自分の時間価値を考えると、移動時間が長くなることは移動費よりも時間の損失が大きくなるため、現実的な実消費は新幹線、高速バス、飛行機での移動と言い換えることができます。これらの中で飾り消費を表すと、新幹線でいえばグリーン車、高速バスや飛行機での特別席も飾り消費です。移動時間は変わらないにも関わらず、座席の快適性という飾りをお金を払って手に入れるのです。
時間短縮という明確な違いがあれば、それは飾りか実かは人によって違うということがいえます。学生のように時間はたくさんある人にとっては、時間を短縮できることには実消費としての価値が乏しいのです。逆に1分1秒を争うような時間の使い方をしている人にとっては、時間を短縮できることはどんなことをしても手に入れたい実消費といえます。これは人によって時間密度が異なることに起因すると思います。

別の例えを考えてみます。
サービス業を考えてみます。
至れり尽くせりの接客をするのが当たり前の業態として標準となっていると、それが実消費です。しかしある企業が工夫を凝らして飾りをそぎ落とすと実だけが残るため実消費となります。接客することが飾りであることがわかるようになるのです。
そもそも外食自体が飾りではありますが、その議論は別として、外食するとしたらと考えてください。

ステーキを食べることを考えた際、通常は席に座って注文を聞いてもらってステーキが運ばれてきます。これが当たり前でした。少し前まではステーキを食べることに関してはこれが実消費だったのです。飾り消費とは神戸牛や松阪牛などの高級和牛を使ったステーキであったり、ホテルなどの付加価値を表していました。
そんな中でステーキを食べてもらうという実だけを残し、飾りを削ぎ落としたのが『いきなりステーキ』です。いきなりステーキではカウンターでお肉の種類と焼き加減を伝え、焼けたお肉をセルフサービスで自分で席に運び、立ち食いで食べるスタイルです。いきなりステーキが表れたことで、注文を取る、料理を運ぶ、座って食べるということが飾りであることが浮き彫りとなりました。

他の例では様々な分野で俺の株式会社が飾りを削ぎ落とした飲食店を生み出してくれました。
ホームページを拝見する限り、俺のイタリアン、俺のフレンチ、俺のやきとり、俺の割烹など多数の業態で繰り広げられています。
飾りを削ぎ落とすことで実際にイタリアンを食べてもらうのに必要なこと、フレンチを食べてもらうのに必要なことなどそのお店ごとで実だけを残し、飾りを取り除いていくとあの業態に落ち着いたようです。飾りを取り除くことで経費を節減し、食材の質を上げています。回転率をあげることで利益を確保しています。私は俺の株式会社は『利益は企業の為ならず』を実践されている企業ではないかと思います。何故なら、俺の株式会社はスタッフの給料も多く払っているとのことです。スタッフも一定の収入を確保した上でお客さんに美味しいものを数多く提供するという理想を実現するために、運営資金として利益を確保しているように思います(実際には利益を追い求めているのかもしれませんが、少なくともお客さんを喜ばせる方向にぶれがないので、躍進できているのだと思います。)
飾りを徹底的に排除することで、驚異的な値段設定を実現しているようです。
このことからイタリアンやフレンチであっても座って食べるということは飾りであることが証明されました。座って食べるということが贅沢だという価値観を提供してくれたのです。

いきなりステーキや俺の株式会社ができるまで、ステーキは座って食べるもの、イタリアンやフレンチも座ってゆっくり食べるものということが最低限の実消費でした。
飾りを削ぎ落とす業態が表れたことで、接客してもらうことは飾りだったのだと消費者を気づかせてくれたのです。
飾り消費がしたい人は今まで通りステーキハウスやホテルに行ってステーキを食べるでしょうが、ステーキを食べたいだけの人は飾りのないいきなりステーキを選ぶことになるでしょう。イタリアンやフレンチはゆっくり食べるという飾りも必要だと考える人はこれまで通りの業態のお店に行くことでしょう。
飾りはいらないという人は飾りのないお店を選ぶ傾向にあります。

お寿司もどんどん飾りがなくなっていきつつあります。
回転寿司という業態が一般化した現在、通常のお寿司屋さんは雰囲気や高級な食材を楽しむことができるという意味で飾り消費です。
お寿司を食べるということで考えると回転寿司が実消費ですが、回転寿司の中でも注文を店員さんが聞くというのは飾りかもしれません。決まった内容を受けるだけであれば、タッチパネルで充分です。回転寿司と銘打っていますが、すべてタッチパネルの注文で作る回転寿司屋さんも出てきました。

いきなりステーキや俺のフレンチなどの例でわかるように、人は飾りがなくなったことで初めて飾りだったと気づくことがあります。
いずれにしても飾りだと気付くことができるのは比較することで初めて気づくことができます。
消費する際にこれは実消費?飾り消費?と考えるようにしてみると良いかもしれません。
今飾り消費をする余裕があるのか?飾りの意味があるのか?を考えてみるとよいのかもしれません。
先日書いた『お金の貯まる人とお金の貯まらない人の違い』で書いた違い、持っているお金によって買うものが変わる人の場合お金が貯まらない傾向にありますが、買うものは飾り消費をしている傾向にあります。言い換えるとお金の貯まる人は実消費、お金の貯まらない人は飾り消費をしているのではないでしょうか?
飾り消費をなくしていくだけでお金の使い方が変わってきます。まずは飾り消費を意識することからはじめてみましょう。

次は飾り消費を見栄消費と贅沢消費に分けてみたいと思います。