平和の押し売り?

当たり前すぎて平和の有り難みを意識出来ない人もいるとは思いますが、平和に対する押し売りが散見されて私は悲しく思います。私が平和の押し売りのように感じてしまうのが8月6日が小学校の登校日ではなくなったことを報道する姿勢です。

平和は平和ではないことを知らなければ実感出来ません。だからこそ平和学習は大切だと思います。しかし8月6日が登校日では無くなったからといって平和の意味が変わる訳ではありません。逆に8月6日を登校日では無くしたことを問題にするのは不謹慎狩りの心理なのではないかと危惧します。8月6日を登校日から外すのは不謹慎だという考え方が根底にあるように私は思います。登校日が変わったからと言って8月6日の意味が変わる訳ではありません。実際に報道されている方も悪意があって8月6日の登校日が変わることをわざわざ報道される訳ではないと思います。

登校日は教師と児童とその保護者の問題です。問題と関係無い部外者がどのように思おうと、口出しするのは越権行為です。争いの元は他人の問題に口出しすることから始まります。平和の話をしながら他人の問題に口出しをするのは、争いの種を蒔いてしまっているように思います。

少なくとも自分が困らない問題で他人を非難や口撃することはやめましょう。それが平和の第一歩です。

教師や児童・その保護者からやはり8月6日は登校日に戻して欲しいという要望があれば、改めて検討すれば良いのではないでしょうか?8月6日を登校日から外すことに、もし憤りを感じてしまうのであれば不謹慎狩りの心理に陥ってしまっているのかもしれません。平和のために心を鎮めるようにしましょう。

平和は争う心を捨て去ることから生まれます。自分が正しいから自分に従えという考え方は平和を振りかざした押し売りに思えます。

平和はまず自分が争う心を捨て去ることが第一歩です。何故相手が憤るのか理解することが第二歩です。お互い歩み寄ることの出来る解決策を見つけるのが第三歩です。

8月6日の登校日にこだわるよりも、どうすれば子供達に平和の有り難みを理解してもらえるかを報道して欲しいですね。

明日は72回目の広島の原爆の日です。長崎の原爆の日8月9日と共に理不尽な暴力で死ぬことのない平和の有り難みを思い起こすようにしたいですね。

平和のために自分に何が出来るかを考えたいですね。

大雨特別警報が出る前に備える

特別警報は2013年8月30日より運用開始された、重大な災害が起こる確率の高い場合に気象庁より発表される情報です。以前から運用されていた警報の中から、特に危険なものを選び出し、情報の質を高めたものです。狼少年の寓話のように警報発令に慣れてしまった人達に、本当に狼が来るぞ!という情報つまり本当に被害が出ることを特別警報として伝えることを目的とします。

特別警報は甚大な被害が予想される場合に発表されるため、身を守る対処が必要です。しかしあらかじめ備えていなければどうして良いかわからなくなってしまいます。何故なら前もって考えていなければ、多くの人は咄嗟の判断が出来ないからです。

特別警報は地震や噴火などがありますが、地震は現代の科学ではあらかじめ予測することは難しく、噴火は火山の近くに限られます。しかし大雨の際に発表される大雨特別警報は何処ででも起こり得る可能性があると思います。そこで大雨の特別警報が発表された場合、どのように行動するか家族で話し合っておくことを提案したいと思います。何故なら夜中に発表される場合もあり得ますし、家族が一緒にいる時に発表されるとは限らないからです。情報が限られる中で、咄嗟に判断することは非常に困難だからです。

特別警報が発表されていない平常時であれば、どこに避難するかゆっくり判断することが出来ます。避難所に避難するしかないのか、それとも兄弟や親戚の家の方が安全なのか考えておく余地があるからです。自分の住んでいる所が大雨の際に危険か安全かを特別警報の出ていない平常時に考えておくことです。例えば低地であれば浸水の危険性、崖下であれば崖崩れの危険性があります。尋常ではない量の雨による危険性がないかをあらかじめ考えるのです。少しでも危険性があると思えば、特別警報が発表された際の行動の仕方を考えておくことをお勧めします。鉄筋コンクリートのマンションに住んでいれば、流される危険性は低く、避難する方が危険を伴います。避難のことを余り考えなくて良い分、保存食の準備などを備える方が良いかもしれません。

近くの川が氾濫した場合どのように行動するべきかも、念のため平常時に考えておく方が、咄嗟の際には役立つと思います。

今回は島根県で出た直後に福岡県と立て続けに大雨特別警報が出ています。特別警報が出るのは日頃の雨の振り方とは全く異なるようです。何処で起こってもおかしくはありません。亡くなられた方には心よりご冥福をお祈りいたします。

特別警報のおかげで助かる命があると思います。今回の被害からわかるように、特別警報が発令された場合、想像をこえるようなことが起こる可能性があります。発表されてから慌てないように、あらかじめ特別警報が出た場合の行動の仕方を家族で話し合ってみましょう。

不謹慎狩り 次はディズニーランド

奥様を亡くされた歌舞伎俳優さんがブログを何度も更新されたことを非難する書き込みがあったそうですが、今回はディズニーランドに行ったことを非難する書き込みがあったそうです。

不謹慎狩りをする人の心理に描きましたが、非難する書き込みにより結局構ってほしいのです。

ディズニーランドに行かれたことを書き込んだのは、それを見た人達が前向きに生きていることを感じ取ってもらうことを目的としているはずです。自分自身が前向きに生きなければいけないという決意の表れなのかもしれません。歌舞伎俳優さんがディズニーランドに行かれたことを書いた目的がいずれにしても、他人がとやかくいう問題ではありません。家族でどのように受け止めどのように生きられるのか、家族の問題です。心配してくださる人達がおられるので、その人たちに向けた情報発信をしているにすぎません。

自分が困らない問題に対して求められてもいないのに意見を言ったり口出しをするからトラブルに発展するのです。自分の困らない問題には口出し、少なくとも攻撃をしない。こんな基本的なルールをみんながわきまえるだけで争いの少ない国になると私は思います(問題論)。

こんな理不尽な言いがかりに心揺れたときには魔法の言葉で乗り切りましょう。

気にして下さってありがとうございます

自衛隊ならぬ自民隊?

以前から失言について書いていますが、今回は防衛大臣の発言が問題になっています。
都議選の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」という趣旨の発言をされたそうです。

恐らく防衛大臣ご自身は何を言っても良いのか悪いのかわからず発言されているようです。その証拠に時間をおいて取材されても、何が問題だったか記者の方に教えてもらって初めて理解されたことです。これまでも発言が軽く問題になっていましたが、今回は自分が自衛官のトップだから自民党に投票してくださいという発言にはってしまっています。自民党の防衛隊という印象を与えてしまいました。取材陣も『自衛隊ならぬ自民党の防衛隊、自民隊ですか?』と質問すればよいのではないかと思います。

更に政権は憲法改正を視野にいれています。
状況によっては自民軍にしようとしているのかと疑われてしまいます。

日本ではさすがに起こりえないと信じたいのですが、ある一党独裁国家では現実に軍隊の銃が国民に向けられ現実に死者も出たようです。某国では現実に国軍ではなく党軍なのです。

私自身は支持政党はないため自民党に対しても中立ですが、憲法改正を目指している割に防衛大臣の思慮が浅く、発言に配慮が足らないことを残念に思います。

取材陣も『防衛大臣の発言は自民隊のように聞こえますが、憲法改正で自民軍を目指されるのですか?違うのであれば、わかるようにご説明ください』と質問すると真意を引き出せるのではないかと思います。

私としては自民隊という認識をしている訳ではなく、ただ思慮が足らなかっただけの失言であってほしいと思っています。

問題発言の議員さんも元自民党でしたし、組織票による民主主義の限界が近づいているのかもしれません。

暴行女性国会議員の活用法の一案

話題になっている暴行女性国会議員ですがワイドショーを賑わせています。
酷い酷いという論調はワイドショーが煽ってくれるので、私は視点を変えて暴行女性国会議員が社会の役に立つ活用法を考えてみたいと思います。

暴行女性国会議員の心理については以前『女性国会議員が秘書に暴行・暴言に思う』に書きましたので読んでみてください。一言でいえば女王様だと錯覚して問題になるという自覚がなかったのでしょう。

暴行女性国会議員は自覚がなく人を傷つけるという点で、いじめっ子に共通する点があると思います。他にも共通点があります。暴行女性国会議員といじめっ子の共通点をまとめています。

いじめっ子との共通点

  • 人前では良い子を演じる
    暴行女性議員は支援者やテレビの前では良い人を演じていました。
    いじめっ子は先生の前では良い子を演じていることが多く発見が遅れる一因です。
  • 相手を傷つけている自覚がない
    暴行女性議員は何をやっても許される女王様だと錯覚している。自分を不快にさせた相手を攻撃することは許されると錯覚している。
    いじめっ子はただ自分は遊んでいるだけで、悪いことをしている自覚がない。
  • 人から隠れて行動する
    他人には見られないところで行動している時点で、人に見られてはいけないということは正しいことをしているとは思っていないのかもしれません。
    他人に見られて問題にされないように一対一の関係で行動している。
  • 行動がエスカレートする
    暴行女性議員も生まれつきあれだけの暴言を吐いた訳ではないはずです。議員になって周りの人達が先生先生と持ち上げることで、女王様と錯覚していったのでしょう。暴言を吐いても誰からも諫められることもないため、自分の行動は許されていると錯覚していった可能性が高いと思います。秘書がやめた時点でダメ出しをされているのですが、自分は悪くないので心理の中では必然的に秘書が悪いと思い込むことを重ねます。悪いからやめただけとして自分の正当性を錯覚し、根拠もない自信をつけていきます。結果として自己抑制できなくなるのです。
    いじめっ子も最初から酷いことをする訳ではありません。最初はちょっとしたことから始まり、相手の反応を見て面白いと思い繰り返すようになるようです。繰り返すうちに思いついたいじめを次々試してみるのです。反応を楽しんでいるので酷いことをすればするほどいじめられた子の反応が嫌がるので、自己抑制がきかなくなるのです。

暴行女性国会議員の活用法

この暴行女性国会議員が議員辞職をするかしないかわかりません。暴行罪は親告罪ではないため、誰か第三者が告発すれば逮捕される可能性はありますが、現実には元秘書が被害届を出さなければ警察は動かないでしょう。場合によっては辞職しなくても失職する可能性もあります。現時点ではどうなるかはわかりませんが、彼女が社会に役立つ彼女にしか出来ないことを考えてみます。

いじめ(一方的な暴行)を行った張本人としていじめた心理を公表してもらい、自らどんな仕組みがあればいじめをしなくて済んだかを考え、いじめ対策を考えるのです。いじめっ子の心理を語ってもらうことこそがみんなに役立つ知恵をもたらせてくれるのではないかと私は考えます。つまりいじめっ子の心理を離してもらうことで活用するのです。

いじめ対策大臣として自らがいじめっ子として振る舞った経験から、防止策を考えてもらうのです。いじめっ子がいじめ防止策を考えることこそが、社会貢献ではないかと思います。実際にいじめ対策大臣など創設しなくても、いじめの対策を自らの経験を生かして必死に対策をすることが出来れば、みんなが謝罪として受け入れてくれるのではないかと私は思います。あれだけの暴言を吐き暴行を加えたようですので、それ以外の言葉での謝罪は世間が受け入れることはないでしょう。

心を入れ替えていじめ対策の旗振り役をすることぐらいしか、禊ができない失態だと私は思います。

誰か彼女を活用できる知恵者が現れるといいですね。実現すればいじめ対策が大きく前進するように私は思います。

女性国会議員が秘書に暴行・暴言に思う

女性国会議員が秘書に暴行・暴言で問題になっています。
録音が公開されていますし、事務所も認めているので事実のようです。
私はこの国会議員の心理を読み解いてみたいと思います。

人に対して怒るのは幼稚だと私は思います。
怒ることで人を動かそうとすることを幼稚だと思うのです。
幼稚な人が国会議員で大丈夫なのかなと私は思います。

女性国会議員の心理を一言でいえば女王様だと勘違いしてしまったのです。
自分は何をしても許されると誤解しているのだと思います。自分は特別だと勘違いする魔法にかかっていたのかもしれません。裸の王様の寓話のように進言してくれる子供が現れなかったのでしょう。少なくとも女王様の心にまで届く進言はできなかったのでしょう。
そして責められることがなかったため、正しいと勘違いし、その勘違いがエスカレートしてしまたのです。
周囲が介入しない限りいじめがエスカレートすることと似ていると私は思います。いじめをしている人の多くが自覚がないように、恐らく女性議員も自覚はなかったでしょう。

この音声が公表されてしまった瞬間、勘違いの魔法が一気に解けたことでしょう。
裸の王様の寓話では、子供が裸だよと言ってくれたのですが・・・。
今回の事件では録音データが勘違いの魔法を一気に解いてしまったのです。

本当に女性議員のことを思って行動する知恵者が周囲にいれば、暴言が発覚すると大問題になりますから控えてくださいと進言するはずです。
恐らく進言してくれた人は一人や二人はいたはずですが、これだけの事態に陥ることを本人に想像させることができなかったのでしょう。進言してくれた人(本当にいたかどうかわかりませんが・・・)からすれば、今時録音は簡単でスマホでもすぐにできることを知っているので、いつ告発されてもおかしくないと考えていたでしょう。しかし女性議員はたかをくくっていたのだと思います。これまで大丈夫だったという根拠にならない自信に裏打ちされて行動し続けたのだと思います。

これからの元秘書の方の行動に興味があります。
本当に警察に告発するのであれば、正義感からの行動だとわかります。
警察に告発しなければ、結局お金が目的だったとわかります。
傷害罪で告発して有罪となれば国会議員の資格を失うはずです。女性議員としては自分の行動の結果失うものの大きさが初めて想像できたのだと思います。
元秘書の方の目的が気になります。

私は警察に告発してほしいと思いますが、お金が目的で告発しない可能性を考えると交渉過程や金額を週刊誌に公表してもらうのが面白いと私は思います。

教育勅語の小学校や獣医学部新設、暴言・暴行議員と政治に関しても驚くことばかりです。
小学校保育園でも驚くようなことがいくつもあります。
日本の行く末が心配になるのは私だけでしょうか?
多数決の民主主義の限界が見えてきたと思うのは私だけでしょうか?

75歳保育園園長逮捕から学ぶべきこと

先日『カビ生えたパンを小学生に』からわかったことに書きましたが、教師が問題になったこととその対策を書きました。
困ったことに今度は保育園の延長が問題行動を起こしたようです。

園児を噛んだということですから、何か病的な要素があったのかもしれません。

今回のことから学ぶべきことは、先生を信頼してはいけないということのようです。多くの先生は子供達のことを一生懸命みてくださるのでしょうが、ごく一部に通常の常識では理解できないような行動をとる人が紛れ込んでしまうことがあるようです。つまり先生を信用しようということの提案をしたいと思います。信用と信頼の違いとは、裏付けをもって信じるかただ信じるかの違いです。

今回のことが問題になったのは、保護者が先生の言動がおかしいと感じたことから通報したことがきっかけのようです。先生をむやみに信頼するのではなく、信用するために先生の言動を検証した結果辻褄が合わない発言があったことから不審に思って通報することができたようです。

絶えず先生を疑うことを提案したい訳ではありません。多くの先生は常識的に子供達に接してくれているはずです。ただ常識から外れた行動をとる常軌を逸した行動をとる人間はわずかながら世の中に存在しています。その人が免許をとって子供達に接している可能性がわずかながらあることを知った上で、問題がないか子供達の様子を見守るようにしましょう。
先生を信用するために。

子供達を守ることができるのは親しかいません。嫌なことがなかったか毎日声をかけてあげてみてください。詳しい対策は『カビ生えたパンを小学生に』からわかったことをご参照ください。

先生の言動が怪しく虐待が疑われる場合、児童相談所への通報も選択肢の一つです。疑いでの通報で構わないはずです。虐待をする人が親とは限りません。保育所や小学校であっても児童相談所への通報は受けつけてくれるはずです。ただし必死で隠そうとすることが予想されるため、本気で通報する場合にはある程度証拠を集めておいてから通報することをお勧めします。

公になるのは氷山の一角のはずです。さすがに全国ニュースになるほどのことがあちこちで起こっている訳ではないと思いますが、実際にはちょっとしたおかしなことは身近にもあるはずです。ただ全国ニュースになる程の常識外れな行動ではないだけだと思います。問題となった先生達も恐らく自分の言動が常識から外れているという自覚はなかったはずです。つまり誰からも指摘されなかったことが言動をエスカレートさせて全国ニュースになるほどの行動をしまったのだと思います。先生の言動が常識から外れていないか見守ることが、子供を守ることになりますし、ひいては先生を守ることに繋がると私は思います。お子さんのおられるご家庭ではよかったら考えてみてください。

『カビ生えたパンを小学生に』からわかったこと

驚くようなニュースが流れています。
小学校の担任教師が小学1年生に対してカビの生えたパンを食べさせていたそうです。

報道からは先生に病的な素因があった可能性が考えられます。
私は専門ではありありませんし、想像で物事を判断しても意味がありません。
そこで報道からわかったことを書いてみたいと思います。

問題があったのは昨年の話です。偶然カビの生えたパンを食べさせられたお子さんが、テレビ番組でカビの特集を見て『カビを見たことがある!』と発言したことから発覚したそうです。
このことからわかるのは、小学1年生であれば善悪・物事の良し悪しの判断がつかないため先生の言うことを疑うことができなかったのでしょう。そして当たり前だと錯覚しているので、その時点ではお母さんにわざわざ言わなかったことが考えられるのです。

通常の先生であればこのような行いは当然しませんが、中には病的な行動をとってしまう先生が紛れ込んでしまう可能性があることがこの事実からわかりました。
ということは自分の子供を守るための対策を考える必要があると私は思います。念のため子供達を守るために、その対策をとるべきだとわかりました。その対策を書いてみます。

対策

子供達から話を聞くことです。それしかありません。学校であったことを一つ一つ聞いてあげることです。どんなことが嬉しかったのか、どんなことが悲しかったのか、そしてどんなことが嫌だったのかを聞いてあげるのです。積極的に学校に苦情を言うべきと主張したい訳ではありません。子供の勘違いで悲しんだり嫌な思いをしているかもしれません。もしかしたら先生の勘違いで怒られたりすることもあるかもしれません。当然子供自身が悪くて怒られたということもあるでしょう。それらを聞き出して客観的に解説をしてあげるようにするのです。
親として自分の子供をかばいたい気持ちをぐっと抑えて、客観的に時には先生や友達の立場に立って子供に説明してあげるようにするのです。
日頃からそのように子供の話を聞くことしか、このような親の常識から逸脱した行動をとる先生から子供達を守る術は私には思いつきません。ただ先生を見張る目的で子供達の話を聞くことを提案するわけではなく、子供の感じていることや考えていることを知る目的で行い、おまけとして先生が逸脱していないかを念のため確認するようにすることをお勧めします。何故なら普通の先生はわざわざカビの生えたパンを食べさせたりはしないからです。多くの先生は一生懸命子供達をみてくださっている訳ですから、本来なら見張る必要などないはずです。ただ念のために子供達から話を聞いて、先生が突飛な考え方や行動をされていないかを確認することを提案します。

恐らく問題となった先生は誰からも注意されることがなかったので、自分の行動に問題があったとは思っていなかったはずです。つまりこれだけ問題にされる自覚はなかったのです。丁度自覚がないままイジメがエスカレートすることに似ています。大問題になる程行動がエスカレートする前に誰かが軌道修正出来る仕組みを作るしかありません。その一つの手段として子供達から話を聞いて問題がないかをチェックするしかないのではないかと私は思います。先生を信頼しているからこそ、通常そのようなチェックをすることはないでしょう。しかし先生を信用するために念のための問題行動の有無のチェックをすることを提案します。先生を信頼ではなく信用できるように気を付けましょう。まさか先生が非常識な行動をとらないだろうという信頼という思い込みにより、今回のことが見過ごされていたことです。

何より怖いと私が感じたのは今回のことがカビを生徒がテレビ番組で見たことで偶然発覚したという事実です。見ていなければ子供達が嫌な思いをしただけで終わり、誰も知らずに済んでしまったかもしれないことです。もしくは死亡事故が起こった後で発覚するかもしれなかったことです(アレルギーの食材を無理やり食べさせたという証言もあるようなので、亡くなっていれば殺人となっていたかもしれません)。

子供達の話を聞くことが子供達を守ることに繋がると私は思います。
いじめにあっていることを早く見つけることができるかもしれませんし、自分の子供がいじめをしていることに気付くかもしれません。もしかしたら先生から体罰を受けていることがわかるかもしれません。逆に子供の勘違いにより問題行動をしていることに気付くことができるかもしれません。子供の感じていることを聞いてみる。様々な利点があると私は考えます。

広島市の小学校8月6日の登校日なくなるに思う

これまで原爆の日である8月6日を登校日としていた広島市の小学校が、広島市の条例により教職員が休みとなるため登校日を取りやめることになるそうです。教職員の給料の支払いが県から市に移管されることから、教職員にも8月6日が休みという条例が適応されるというような内容の報道でした。

私が登校日を決める立場にいるとして、8月6日を登校日から外す説明の仕方を考えてみました。直接原爆を受けた被爆者が生存されていることもあり、8月6日を登校日から外すことに違和感を感じる人に対して、行きたいと考えている生徒や先生達が8月6日の広島市の平和公園で開かれる記念式典に参列できるように8月6日を休みにします。という説明を私ならします。

行動を変える場合、今回は8月6日の登校日を変更することに対して、様々な考え方が交錯すると思います。少なくとも被爆者が登校する訳ではありません。8月6日から登校日を変更すると平和に対する意識を問われる可能性がありますが、参列したい小学生や教職員が平和記念式典に参列出来るようにする目的で休みにしますと私なら説明します。

当然全員が参列することを望むわけでもありません。休みにすることで記念式典に参列するという選択肢が小学生や教職員に新たに生まれるという視点から、説明すれば違和感を感じる人は少なくなるのではないかと思います。

8月6日が登校日であっても、大して意識していない人達もいるでしょう。逆に8月6日を登校日から外すことで、たった72年前に原爆で焼け野原になった地に平和祈念式典として平和の大切さを改めて実感するために集まることができるようになる人もいるでしょう。

8月6日が登校日から外されるだけで報道されるということは、そのことに違和感を持つ人がいるからでしょう。しかし平和を望む心は皆同じはずです。そして同じ登校日の変更という事実も、視点一つで解釈が変わります。
争いを避ける視点こそこれから世の中を平和にしてくれるのではないかと私は思います。

いじめで中3女子自殺でわかったこと

いじめで中3女子自殺に思うに書きましたが、その後わかってきたことがあります。

残念なことに教育委員会がいじめを隠そうとしていたことがわかってきました。
中学校はいじめの事案にあたると報告を上げていたにも関わらず、教育委員会がいじめはなかったという結論を議決したそうです。少なくともいじめを疑う物証があるにも関わらず事実を局解しいじめはなかったということにしたかったようです。
第三者委員会のメンバーが、いじめはないが保護者の意向により念のため第三者委員会を設置したという趣旨の発言をされていました。

いじめがなかったと判断を示す根拠を示す議事録はほとんどが黒塗りで公表されたようです。逆に言えば表に出せない理由でいじめはなかったことにしたということです。

人々の行動には必ず目的がある(目的論)ので、教育委員会がいじめを隠そうとした目的を考えてみます。考えられることは二つです。ただのことなかれ主義かいじめそのものを隠す目的があるかのどちらかです。

ことなかれ主義の場合、いじめはなかったことにすれば後の対策は必要がないため楽だから、いじめはなかったで片付けようとしたのだと思います。誤魔化していればそれで済むと考えたのかもしれません。

いじめそのものを隠す目的の場合、これはあくまでも仮説ですがいじめをした人間が教育委員会のメンバーの家族だった可能性を考えました。教育委員会の仲間の家族を守る目的でいじめを隠したのではないかと私は疑ってしまいます。教育委員会のメンバーの家族が問題のあった中学に在籍していたかどうかは調べればわかることです。そのようなことがないことを祈っています。

いずれにしても教育委員会は何らかの目的でいじめを隠そうと考えたのです。隠しきれないとわかった為、いじめを認めたに過ぎないようです。

対策はいじめで中3女子自殺に思うに書きましたが、いじめがあることを前提にすることです。いじめがあるのは仕方ないから重大な問題になる前に対策をとるようにすることです。いじめはあってはならないものという前提に無理があるようです。医療界においてもミスはあってはならないものという考えから、ミスは起こり得るから小さなミスから重大なミスを避ける知恵を見いだす仕組み(ヒヤリハット)を導入しています。
教育界も早くいじめを失くす仕組みを作り上げてほしいですね。

亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
今回の問題が、今後いじめで亡くなる人がいなくなる足がかりになることを祈っています。