あるカツラメーカー衰退に思う

インターネットを見ているとあるカツラメーカーの業績が悪化していることが掲載されていました。低価格のカツラが出現したことがその理由に挙げられていました。それもあるのかもしれませんが、主な原因は別のところにあると私は思います。

一言で言えば薬です。AGAに対してパラダイスシフトが起こっているのです。カツラで隠す時代から薬で治す時代になったのです。フィナステリドとデュタステリドの二つの薬によりカツラを使う人が減少しているだけだと私は思います。何故なら薬を使うとはいえ、自毛です。しかも病院によってかかる費用は異なりますが、カツラを使うことに比べると安価です。カツラと薬を比較すると一桁違うようです。薬の方が安くて自毛なので、わざわざカツラを試す人が減っているに過ぎません。

少し前までは恥ずかしくて人に相談できなかったかもしれませんが、今では手軽に情報が手に入ることもカツラより薬に流れる一因です。

私は従来のカツラ産業は早い段階で淘汰され、低価格のものだけがかろうじて生き残るだけだと思います。

何よりカツラは一度はじめるとやめることに勇気が必要です。一方薬はいつでもやめることが出来るのも始めやすさの違いとして、心理的なハードルを下げていると思います。

インターネットに掲載されたカツラメーカー衰退の解釈が間違っていると思ったので掲載してみました。もしこの事実にカツラメーカーの人達が気付いていなければ、淘汰は免れないでしょう。薬でカバーしきれない人を対象とするか、全く別の業種に進出するしかないのかもしれません。

爆発する洗濯機に思う

ある国の洗濯機が爆発するそうです。世界中で100件もの事故が起きているそうです。日本の企業であればPL法の兼ね合いもあるため、即座に対応するでしょう。その企業の驚くべき対策は「デリケートモード」の使用を推奨したそうです。携帯電話の発火事故も起こっています。

企業の目的が利益を追い求めているからでしょう。日本の企業もほんの数十年前までは利益ばかり追い求めていたため、公害問題を引き起こしました。最近では安全性を確保することが前提で、利益を求めています。

日本より数十年遅れで目先の利益に振り回されているのでしょう。安全性が第一だと気付いてもらうことを待つしかないのかもしれません。船の沈没事故でも利益優先でした。

企業が利益を追い求めるのは仕方ないことかもしれませんが、21世紀になっても安全性よりも利益を求めるのは残念なことです。「利益は企業のためならず」という理想の追求は無理でも、少なくとも安全性は確保する考え方になって欲しいと思います。安全性を犠牲にして利益だけを追い求めること自体が結局自分達を追い詰めることを知ることになるのでしょう。

安全性を確保することが企業にとって一番お得だということを多くの日本の企業は理解しています。日本の企業の製品は万が一に備えた安全性まで考えているから高くなってしまうのです。性能だけ真似してもハリボテのようなもので、安全性の担保が無ければこれからは誰にも相手にされなくなるでしょう。

日本の企業と某国の企業とでは、前提が全くことなるようです。多くの日本の企業は安全で当たり前、某国の企業は利益最優先が当たり前。世界中で安全が当たり前の世の中になることを願っています。

広島に所縁のない人達がカープファンになる理由

プロ野球にはいくつものチームがあります。多くの人は地元など何らかの所縁のあるプロ野球チームを応援します。しかし広島カープは広島との所縁のない人達が応援しています。その理由を考えてみます。

一言で言えばカープの選手の銭金ではない心意気に共感するのだと思います。札束で選手を買い漁る球団がある一方、銭金ではなくカープでプレー出来ることに誇りを持って帰ってくる選手に共感するのだと思います。世の中お金だけが全てではないということをカープの選手が、身をもって証明してくれるのでファンになるのだと私は思います。

その集大成がリーグ優勝です。とにかくお金をかけて選手を集める球団と対照的に、お金のことは二の次で集まる心意気に惚れるのだと思います。

お金を尺度にして物事を考えることしか出来ない人には到底理解出来ない魅力を秘めているのがカープという球団です。世の中お金だけが全てではないことを証明してくれたので、涙を流して我がことのように喜ぶのです。

お金は大切です。しかしそれだけではないとも思っています。しかしお金の威力と魅力を前にすると多くの人が屈してしまうのです。お金の対極にあるものの象徴、アンチテーゼがカープという球団なのではないでしょうか?

資本主義は良くも悪くもお金を中心に物事が動きます。資本主義の世の中ですからお金をかけて球団を強くするのは自然な流れです。上手な選手に高いお金を投資をし、球団を勝ちに導くのは資本主義では悪いことではありません。しかしお金が全てという考え方に何か釈然としないモヤモヤした気にさせる部分があるのも確かです。そのモヤモヤをスッキリさせてくれるのが、お金ではなく思いで動くカープの選手達です。

お金をかけて勝つのは当たり前です。お金をかけられないのに勝つところにカープに魅力を感じるのだと思います。日本人特有の判官贔屓も根底にはあるのかもしれません。

広島に所縁のないカープファンの人に直接聞いた訳ではありませんが、少なくとも私はこのように想像しています。

「浪速のエリカ様」はただの構ってチャン?

あえて個人名は出しませんが「浪速のエリカ様」と言われている国会議員がいます。ある政党の比例代表でしたが、様々な問題により政党からは除名されました。政党の比例代表だったため辞職を追求されたものの「浪速のエリカ様」と異名をもらう対応で、居座り無所属議員として活動しています。

その「浪速のエリカ様」は突然芸能事務所社長にツイッターで噛み付いたようです。相手にしてもらえなかったようですが、今度は国会で話題にすると息巻いているようです。

人の行動には必ず目的があります(目的論)。本人が気付いて自覚しているか自覚していないかは別問題です。目的を御本人に聞いてみたいところですが、恐らく自覚していないと思われますので想像してみたいと思います。そして本人に聞いた訳ではありませんので、ただの私の空想です。そのことを踏まえて読み進めていただければと思います。

私は言い掛かりをつけているのは、自分の存在意義を周囲にアピールすることが目的だと思います。目的が存在意義のアピールであれば、騒がれれば内容は何でも構わないのです。いわば自分で火をつけて火事だと騒いでいるようなものです。騒ぐことが目的ですから、自分の起こしてしまった火事の内容そのものはどうでも良いのです。

言い換えると世間を相手に構ってチャン状態です。何もしないと世間から忘れられるので構ってもらえるようにネタを提供しているのです。

グレる子供の心理

褒めてもらいたくても褒めてもらえない、称賛を浴びたくても称賛してもらえないことに気付いた子供に似ています。構って欲しい子供は称賛は無理だと悟ると、悪いことをするようになるのです。構ってもらう目的で子供たちはグレるのです。子供は周囲の無関心よりも、怒られることを望むのです。悪いことをしてでも構ってもらいたい子供の心理と恐らく似ていると私は思います。ちなみに構ってもらうために悪いことをする子供を怒ると逆効果です。何故するのかを聞いても、構ってもらうためとは言えない(本人も自覚していないから)ので周囲の人達は理解出来ません。正解は悪いことをして責めるのではなく、構って欲しかったことを受け入れてあげることです。そして悪いこと自体は淡々と処理することです。悪いことをすると怒られるとはいえしっかりと構ってもらえるという成功体験にしてしまわないことです。そしてどのように構って欲しかったのかを聞いてみることです。

生暖かい目で見守る

「浪速のエリカ様」は目的が世間に相手にしてもらうことですから、メディアが騒ぐと思うツボ・逆効果です。成功体験として繰り返してしまいます。次に言い掛かりをつけられた人が、「グレる子供と同じで、構って欲しいんですね。そっとしておいてあげましょう」と大人の対応をすることです。次に誰か言い掛かりをつけられることがあればその人に教えてあげて下さい。

本家エリカ様は抜群のルックスと演技力があるので復活出来ましたが、「浪速のエリカ様」は…。賞味期限ならぬ話題期限(世間が話題にしてくれる期間)は長くて2年3ヶ月。本人なりに世間に相手にしてもらうために必死な心理を、生暖かい目で見守ってあげましょう。

チャリティーと商売の違い

今年もそういう季節になりました。

チャリティーと商売の違いを考えてみたいと思います。ウィキペディアによると

チャリティーとは慈愛・博愛・同胞愛または慈善の精神に基づいて行われる公益的な活動・行為もしくはそれを行う組織のこと。

私はお金という対価を要求しない行為のことだと思います。チャリティーと称してお金を集め、自らは商売をしている人達がいます。

障害者を見世物にしているということを言う人もいますが、障害者の人達もテレビに出ない権利もあるので御本人が了承されていれば他人がとやかく言う問題ではないも思います。見世物のように見えて嫌なら、テレビを見なければ良いだけだからです。

チャリティーと称するなら、収入を得てはいけないでしょう。海外ではチャリティーで報酬が発生することはあり得ないそうです。日本ではチャリティーと称しながら、キチンと報酬をもらう人達がいるそうです。

私は募金活動で募金箱を持って募金を呼び掛ける人達にも懐疑的です。何故ならその募金が本当に活用されているか保証がないことと、募金活動をする時間があればその分働いて寄付すれば良いからです。目的が募金活動を行う人だと他人から認めてもらうことのように思うからです。お金を集めることが目的であれば、確実にお金になるアルバイトをして自分が寄付する方が確実です。

チャリティーの『意味』を考えてみても良いのかもしれません。自称チャリティーと本当のチャリティーを。

 

商売は物や労働やサービスに対して対価を支払うものです。資本主義は対価を支払う商売の仕組みにより急速に発展しています。対価を受け取ることで何かを提供するのです。

チャリティーと称しながら対価を受け取るのは、チャリティーと商売の区別のつかない人達がいるのでしょう。

チャリティー活動を否定する気はありません。しかし報酬をもらいながらチャリティーだと称する人達がいるのは悲しいと私は思うだけです。

募金活動をしている人達が時給いくらかで報酬をもらいながら街頭に立っているようなものだと例えるとわかりやすいと思います。

元々チャリティーは宗教的な考え方に基づいて活動することが多いため、宗教が根付いていない日本では馴染まない考え方なのかもしれません。

今日は8月15日、平和記念日

今日は8月15日平和記念日です。

一般的には日本が戦争を止めることを宣言した日、終戦記念日として認識されています。

1945年8月15日のその日から71年間戦争をしていないことを私は誇りに思います。

8月15日を平和記念日として平和を祝う祝日に制定することを提案しています。このまま平和が続き、私が生きている間に平和記念日として祝日に制定されることを心から望んでいます。

100年でも1000年平和が続くと良いなと思います。理想を考えると、争いが無くなり戦争という概念が消える時代が来ることを望んでいます。更に国境が無くなるといいですね。

スポーツの意味とドーピング

スポーツ本来の目的は、身体を動かす能力を最大限引き出すことです。決まりが無ければ比べられないので、比較するためにルールを作ります。本来は身体の能力を最大限に引き出す目的で人と競うようになったのですが、本来の目的が薄れ競うことが見世物になってしまいました。そして勝った者だけが地位や名誉を得るようになりました。その弊害として勝たなければ意味がないと考えてしまうようになったのです。

身体の能力を最大限に引き出すことが目的であれば、ドーピングというズルに意味がないことがわかります。しかし勝つことが目的であれば、ドーピングしてでも勝ちたいという歪んだ心理に陥るようです。

ズルして得られた地位や名誉に意味がないと考えるのが普通の人の考えだと思いますが、ズルしてでも勝ちは勝ちと考える人はいるようです。それを国ぐるみで行う国があるのですから、世界は広いですね。

ドーピングしてでも早く走りたいというのは、走る相手に対して自転車で挑むようなものです。ルールを無視するのですから何の意味もなくなります。

娯楽が増えつつある今日、スポーツ観戦が娯楽として成り立つ世の中が何時まで続くのか興味があります。東京オリンピックはまだ成り立つと思いますが、サッカーや野球などの興行を考えて暑い時期に追いやられるオリンピックに意味があるのか私には疑問があります。

ポケモンGOが旅行の意味を変える?

ポケモンGOが日本でも配信開始されたようです。
ポケモンGOは位置情報を活用してポケモンを探すゲームです。時間と場所により出現するポケモンが異なるため、幅広く遊べるようです。

地域限定のポケモンをゲットするために旅行をする人も出てくるかもしれません。このことを逆手にとって地域振興目的に県や市がPRのために予算を組んでポケモンGOに宣伝費としてお金を支払うことも考えられます。どこの自治体が初めにポケモンGOと提携するのか私は見ものだと思います。

ゲームで人の流れを作り出せる時代になったということです。凄い時代だと私は思います。

イギリスがEU離脱で混乱している理由

イギリスが国民投票でEU離脱が決まったものの混乱しています。何故なら現政権は残留を支持していたからです。EUに対していくつかの要求を受け入れてもらったので、国民は残留に投票してくれるとタカをくくって国民投票をしてしまったようです。
現政権の思惑と国民の民意がズレてしまったことが混乱の原因です。
国民投票の前に選挙でEU離脱の是非をもう一度問い、EU離脱を主張する政党が買った場合に離脱を決するべきでした。そうすれば運営能力の問題は別にして、少なくとも現在のような混乱は招かなかったと思います。

現政権は残りたいのに離脱の手続きをしなければならない。でも手続きは出来ればしたくはない。だから混乱してしまったのです。恐らく国民投票で離脱の判断が下されてしまうことを想定出来なかったのだと思います。
どこかの国のように一党独裁ではないため、自分達の都合のよい論理の飛躍は出来ないはずです。
私にはどんな展開になるのか全く予想がつかないので、大変興味深く見ています。

EU離脱について

EU離脱について考えてみます。
すぐには離脱しない方針のようです。

まるで親戚同士で話し合って離婚することははっきりと決めたけど、肝心の配偶者にはまだ離婚したいと伝えていないようです。
そしてこの離婚は円滑にはいきそうにないで離婚条件の交渉が重要になりますが、離婚を口に出すと2年で離婚する縛りがあるのでまだ言い出せない状況のようです。(EUに離脱を通知すると2年間で離脱を完了する必要が生じるようです)

直接言われてないもののこれだけ離脱が大々的に報道されている現在、早く出て行ってほしいEU側と、予想外の離脱という結果に政治家達もどうしてよいかわからないイギリス側のお互いの腹の探り合いという状況のようです。

EUからの初めての離脱という出来事ですが、人類が初めて経験する離婚だと置き換えて考えてみれば大変なことが想像ができます。今でこそ離婚は珍しいことではありませんので、様々な経験と知恵の蓄積により困った際の対応策が容易されていますが、初めてとなると前例がないわけで様々なことを考える必要があります。1人対1人の離婚でさえ初めてとなると大変なことが、国同士の離婚に相当するEU離脱ですから想像を絶する困難が予想されます。

人類が戦争を回避するための知恵を得る一つのきっかけになるといいですね。