副鼻腔の存在する理由

私が学生時代、副鼻腔は様々な憶測はあっても存在する理由が分からないと言われていました。自然淘汰の理屈から副鼻腔が存在しなければ子孫が残せない理屈を考えてみると、存在理由がわかりました。副鼻腔が無ければ命に関わるあるいは子孫が残せない状況を想像してみれば良いのです。副鼻腔が無くても命に関わらないあるいは子孫が残せるのであれば、副鼻腔の存在する合理的理由とはなりません。

これまで考えられていた副鼻腔の存在意義です。

  1. 頭蓋骨の軽量化
  2. 声を共鳴させて音量を増幅
  3. 加温・加湿に関して鼻腔の補助
  4. 顔面への衝撃から脳を守る緩衝エリア

生物の進化の歴史から考えて、生き残る際に無駄な物は無くなっていきます。逆に生き残る上で必要だったからこそ残ったはずです。現在必要かはともかく、人類の進化の歴史においては副鼻腔があることが生き残る上で重要な役割があったはずです。これらのことを踏まえ自然淘汰の理屈から、生存に有利なものを検証してみます。

1.頭蓋骨を軽くするためという理由が言われていましたが、決め手に欠ける理由でした。何故なら軽くするだけであれば無駄な副鼻腔を削り落とし、その分顔が凹むことで副鼻腔が無くなるはずだからです。副鼻腔がある方が生存に有利なことが考えられます。

2.声を共鳴させて声を遠くまで飛ばすことを考えてみます。遠くまで声を届けることが出来ても生存に有利になる理由はありません。敵がいることを伝えるとしても、大きな声で伝えることで生き残るのは他の人です。更に付け加えるなら聞く人の耳が良ければ大きな声で伝えるよりも有利です。生き残るためには聴力が優れている必要がありますが、声が大きくても自身の生存には有利にはなりません。よって副鼻腔の存在理由にはなり得ません。ただし声が大きいと配偶者を見つけやすいという理由は考えられます。これは声が大きいと、本来の副鼻腔の存在理由が優れていること(副鼻腔が発達していること)が他人にもわかるため配偶者が声が大きい人を選ぶのです。あくまでも副鼻腔の発達が生き残りに有利だから、副鼻腔が発達している人が選ばれるだけで、声が大きいことは副鼻腔の発達している人を選ぶ手段でしかありません。

3.加温・加湿において鼻腔の補助をする。補助が無ければ生き残ることが出来ない程過酷な環境であれば鼻腔その物が発達するはずです。わざわざ副鼻腔が存在する理由にはなりません。副鼻腔が別の理由で存在するので、加温・加湿に利用しているのと考えるのが妥当です。

副鼻腔の存在理由

今の私にははっきりと存在する理由が分かります。先入観にとらわれることなく物事を考える「0から思考」で考えると簡単でした。副鼻腔があるのが頭の前面というのも大きなヒントです。軽くするのが目的なら頭の周囲に満遍なく存在しなければ理屈が成り立ちません。何故前面だけに副鼻腔という空間があるか?それは4.脳を守るための衝撃を吸収するための衝撃吸収エリア、つまり頭部を衝撃から守るバンパーのようなものだったのです。今の平和な世の中では想像がつきませんが、他の動物や他の人間との争いにより怪我をするのが当たり前だった遥か昔、脳を守ることが最重要課題でした。怪我をすることが前提で脳にまでダメージを受けないことが重要です。木の棒や拳で殴られても副鼻腔があることで衝撃を吸収することが出来ます。副鼻腔が車のバンパーのように働くのです。ちょうどバンパーが物にぶつかることを想定して作られているように、人の頭も進化の歴史の中では、頭に衝撃を受けることを前提で脳を守るように進化した可能性が高いと思います。他の動物や他の種族との戦いにおいて顔面に強い衝撃を受けた場合、副鼻腔が無ければ脳に直接衝撃が加わります。脳が身体の動きの司令塔ですから副鼻腔の小さな者は直接衝撃を脳に受け、動けなくなって殺されてしまいます。衝撃の際事故時のバンパーのように副鼻腔が潰れることで脳に直接衝撃が加わることを抑えることが出来ます。結果として脳に損傷がないためすぐに動くことが出来、命を守ることが出来るのです。

車のバンパーは前後にありますが人間の頭部には副鼻腔は前面にしかありません。この理由を考えてみます。自然界では後ろから衝撃を受けることはほとんどありません。車は一方向に並んで進むという自然界では考えられないような特殊な状況で、後ろから追突されることに備えたものです。人間が頭の後ろから衝撃を受ける場合には、副鼻腔のようなものがあったとしても守りきれないので後頭部にはバンパーは存在しないようです。その代わり後頭部の頭蓋骨の厚みが厚く作られています。

これまでわからなかった理由

何故このような簡単なことがわからなかったかと考えてみました。副鼻腔の使い方を考えてしまったようです。研究者達が常識にとらわれてしまい「0から思考」が出来なかったことに起因します。何故なら木や拳での殴り合いの時代が何万年・何十万年も続いたことが抜け落ちているのです。剣や銃など武器が発達してしまった今となっては、研究者には副鼻腔があることで生存に有利だとは想像出来なかったのだと思います。剣や銃では副鼻腔を簡単に突き抜けてしまうからです。木の棒や拳であれば副鼻腔が衝撃吸収のバンパーの役割を果たしてくれるのです。

簡単な思考実験でも容易に理解出来ることですから、恐らく今ならコンピュータシミュレーションで上記のことを計算すれば簡単に証明できると思います。

「0から思考」は文字通り0から物事を考えます。0から考えてみると、如何に日常的に常識にとらわれて思考しているかが良くわかります。

人の行動は衝動買いの心理に左右される

人の行動は衝動買いの心理に左右されるようです。衝動買いのメカニズムはこちらをご参照ください。一言で言えば脳内で分泌されるドーパミンが「衝動買いの心理」の元で、どうしても欲しくなるようです。

人類の進化の歴史の上で「衝動買いの心理」は非常に重要でした。今でこそ「衝動買いの心理」ですが、かつては命に関わること心理でした。食料を確保するという命を守る為の心理でした。危険でも少し無理をすれば手に入る物に対して、「衝動買いの心理」が働かなければ手に入れようとしないのです。何故なら危険だとわかっていることが怖いからです。人間は進化の歴史の上で様々な知恵がついたため、怖いという感覚を身につけました。危険なことを無闇にしないようにし、無駄な怪我や命を落とすようなことを出来るだけ避けるようになったのです。この怖いという感覚が進化し過ぎて、言わば怖がりになってしまったのです。しかし怖がってばかりいては食料は手に入りません。そこで「衝動買いの心理」の登場です。元々は手に入りそうな食べ物を実際以上に魅力的に脳に錯覚させることで、予想できる危険性という恐怖に打ち勝つ勇気を与えることで食べ物を確保してきました。この心理が「衝動買いの心理」になってしまったのです。

現代の文明社会では命懸けで食料を確保することは稀な話です。命懸けの部分わお金をかけて食料を確保するのです。命をお金に置き換えてみると「衝動買いの心理」が良くわかります。物を手に入れる手段が命をかけるかお金をかけるかの違いに置き換わったのです。その際に命を失いたくない心理が邪魔しますが、「衝動買いの心理」が恐怖を封印し食料の確保に行動します。お金を失いたく心理が物を買うことに抵抗しますが、命を失うかもしれない恐怖を封印出来る「衝動買いの心理」の前では無力に近いようです。

実は衝動買いだけでなくても「衝動買いの心理」は働いています。例えば各種の依存は「衝動買いの心理」を繰り返してやめられなくなった状態です。アルコールを飲むことで楽しいということを覚えます。次にアルコールを飲むかどうか悩んだ際に、ドーパミンによる「衝動買いの心理」が働きアルコールが欲しくて仕方がなくなります。何度も繰り返しているうちに、ドーパミンの分泌量が減るため、更なる刺激を求めるためアルコールの量が増えて依存に陥ります。タバコのニコチン依存もパチンコなどのギャンブル依存も同じ心理です。依存に共通しているのはいきなり依存になる訳ではないことです。一度も経験したことのないものは魅力がわからないからです。生まれてからいつの間にか陥っている糖質依存は依存しているという認識が難しいのが問題です。

他にも「衝動買いの心理」が行動を左右しているのは、ふと誰かに会いたいと思って後先考えずに行動するのもドーパミンによる「衝動買いの心理」と同じです。後で考えるとどうしてそのような行動をとったのかわからなくなるのは、正にドーパミンの働きによります。何かをして遊びたいと考える際にも「衝動買いの心理」と同じでドーパミンが働きかけているのかも知れないのです。

「衝動買いの心理」の持続時間は約10分だそうです。本当に行動したいのか「衝動買いの心理」で錯覚が起こっているのか判断するために、10分以上経ってから改めて行動するかどうか考えると良いと思います。他にはその行動で得られる効果や満足感が、わざわざ行動する価値があるかを冷静に考えてみると良いと思います。

糖質制限が危険だと主張する人

糖質制限が危険だと主張する人がいます。恐らく糖質依存に陥っている人が、糖質をやめられないから重箱の隅をつつくような理屈を探しているだけだと思います。ニコチン依存に陥ってタバコをやめられない人がタバコをやめると危険だと主張しているようなものです。アルコール依存に陥っている人がアルコールをやめると病気になるという妄想に取り付かれてしまっていることに似ています。何故なら依存状態とは、正常な判断が出来ない状態だからです。糖質依存を抜け出して正常な状態になってから、お話するのが公平だと思います。恐らく依存が強すぎて糖質をやめることが想像つかない状態で、糖質をやめると病気になると妄想されているのに近いのではないかと心配します。

本当に糖質制限に危険性があれば人類は滅びていることでしょう。何故なら農耕が始まり糖質をいつでも食べることが出来るようになる前は食料の確保は非常に難しく、安定して確保することは無理でした。ましてや糖質は果物と並んで一年のうちの限られた収穫の時期だけのラッキーアイテムでした。人類の歴史から考えれば、絶えず糖質を食べている現代の食生活こそが異常な状態です。

収穫の時期にしか食べることの出来なかった糖質を食べないと危険だと主張するのは人類の歴史から考えて無理があります。少なくとも依存し健康を害する(参照:糖質の害が明らかになりつつある今)ほど食べ続けて良い理由を教えて欲しいものです。肥満は糖質の食べ過ぎによって起こります。肥満を解消するために糖質を控えることは理にかなっています。原因を取り除くからです。糖質を控える目安は糖質依存から抜け出すことです。糖質依存の禁断症状である強い空腹感がなくなることを目標に糖質を避ける(糖質回避)と良いと思います。

糖質制限を危険だと主張する人は、糖質を食べて欲しい目的があるのかもしれません。

糖質は血糖値を上げる働きしかありませんので、糖質を食べないことで血糖値が上がらなくなるので、むしろ健康になります。

糖質制限をすると脂質が多くなるから危険だと主張するのは的はずれです。それなら糖質制限ではなく、糖質制限の仕方に問題がある可能性を指摘するべきです。これらの理屈は糖質制限の危険性を客観的に考えるをご参照下さい。

不倫するのは先祖返り?

何かと不倫が話題になる昨今ですが、不倫するのは先祖返りなのかもしれません。

人類の多くは一夫一婦制を採用しています。他の動物ではゴリラのように一夫多妻であったり、パートナーを決めない乱行型のボノボだったり様々です。動物によってそれぞれ特有の夫婦の形があるようです。進化の過程においてそれぞれ合理的な理由があって今の形に落ち着いています。かつての日本でも一夫多妻制を認めていましたが、今では一夫一婦制を採用しています。

人類が一夫一婦制を採用しているのは、一夫一婦制の方が子孫を残すために有利だからです。詳しくは学術的な見解を含めて記載しています人類が一夫一婦制を採用している理由をご参照ください。人間は他の動物に比べて非常に未熟な状態で生まれます。だから夫婦二人で子育てをするように進化しました。女性は子育てに専念し、男性は子育ての間食料を集めてくることで家族が成り立ちます。夫婦になった時点で他のパートナーを探す必要がなくなるので、子育てや食料確保に専念できるので効率的です。そして独身者は既婚者を相手にしないことで無駄な労力を使わないようにする仕組みです。結婚指輪という仕組みは理にかなった仕組みであるといえます。配偶者がいるのぇパートナーの候補にしないで下さいという印になるからです。

結婚は長い年月をかけて培った一夫一婦制という仕組みを法律によって定めたものです。太古の昔には夫婦は常に一緒に行動していたため結婚というルールは必要ありませんでした。社会ぎ複雑になるに従って、夫婦が別々に行動するようになったため結婚という考え方が生まれました。そのルールを破るのが不倫です。

長い人類の進化の歴史の中で辿り着いた一夫一婦制を脅かすので、不倫が忌み嫌われるのです。一夫一婦制は子育ての際に最も効率的に子孫を残すことの出来る仕組みのようです。

一夫一婦制ではパートナーが変わらないことが前提なので、他の仕組みよりも維持するのが容易だというメリットがあります。一夫一婦制の最大のメリットはパートナーをめぐる争いが無いことです。その最大のメリットを脅かすのが不倫だから非難されるのです。

不倫をする前に、結婚の意味そして人類の多くが一夫一婦制を採用している意味を考えてみると良いかもしれません。

そして不倫してしまうのは一時の快楽に負けてしまったのか、後先を考える人としての知恵が足らないのかもしれません。もしかしたら結婚という概念のない、浮気が当たり前のお猿さんのように先祖返りをしてしまうからかもしれません。

嫉妬してしまう心理

友人や知人が贅沢な暮らしをしていると羨ましいと思ってしまう嫉妬という感覚は誰にでもある感情です。

何故嫉妬という感情はあるのでしょうか?

今となってはネガティヴな感情とされる嫉妬ですが、実は人類の進化に役立っていたそうです。そして嫉妬には2つの意味があるのです。

今となっては様々な病気を引き起こす糖質依存が、かつての人類の発展に役立っていたことと同じです。進化の過程では糖質のおかげで飢えることなく人類が発展することが出来ました。

嫉妬は人のことを羨ましいと思う感情のことで、この嫉妬心が努力する動機付けに役立っていたそうです。人のことが羨ましいから努力して人と同じことが出来るように努力することです。羨ましいと思わなければ、人は努力しようとしないようです。より良い生活を得ようとして努力するのは人のことを羨ましいと思う嫉妬心が原動力なのです。

ではその嫉妬の元となる心理は何でしょうか?

一言で言えば嫉妬の対象となる人と同じはずなのにという心理です。同じはずなのて違うことがズルいと感じてしまうことが嫉妬の元となります。ですから本来は努力の量が違えば、嫉妬の対象とはならないはずなのです。同じではないからです。多くの場合は、努力している嫉妬される人はこの違いを知っています。努力していない人はこの違いが理解できません。偶然の結果くらいにしか認識出来ないのです。努力の違いだと気づくことの出来る人は、自分が努力する原動力とすることが出来ます。嫉妬を動機付けに頭の中で切り替えることが出来るのです。こういう健康的な心理が人類の進化に役立ちました。

稀に人との違いに気づくことが出来ず、ズルいと感じてしまう人がいます。ズルいから引きずり降ろそうとしてしまう病んだ心理に陥る人がいます。対策は相手にしないことか、違いをわからせてあげることだと思います。ただ病んだ心理状態のため、違いがわかったとしても、その違いの元となること(例えば才能とか努力できる環境とか)がズルいとして、自分を高める方向には思いが回らないので逆恨みされてしまうリスクを負うことになります。出来るだけ距離を置くようにしましょう。

糖質は人類の敵か味方か、それとも・・

糖質は人類の敵?

糖質の害はいくつかわかっています。
少なくとも食べ過ぎると誰にでも肥満という問題が起こりえることは明らかです。

人によっては2型糖尿病を発症してしまったり、高血圧になってしまいます。
まだ疑いの段階ですが、各種アレルギーやニキビ、イボ、ヘルペスなどの慢性感染症の再発する可能性が考えられます。

では糖質は人類の敵なのでしょうか?

糖質が人類の味方だった時代

そもそも何故人類はこれだけ糖質を食べるようになったのでしょう。

少なくとも明らかな害がわかるまで、糖質は人類の味方でした。
少なくとも人類がこれだけ発展することができたのは間違いなく糖質のおかげです。
何故なら食料の確保が動物にとって一番の問題だからです。動物が多少の変動があっても一定数で大きく数が増えないのは、確保できる食料に依存して動物の個体数が決まるからです。動物にとって一番の問題である食料の確保が糖質の栽培のおかげで簡単にできるようになりました。他の動物から見れば食料を自分たちで増やすことのできる魔法のような行為かもしれません。人類は食料の確保のために糖質を栽培することで発展しました。

そして人類が糖質を重宝する理由に書きましたが以下の理由から食料の確保から一歩進んで、好んで食べるようになりました。人類は好んで糖質を増やして食べたのです。

糖質が広まった理由

何故これほどまでに糖質が広まったのでしょうか?
その答えは人類の進化・発展の歴史にあります。
約1万年ほど前に人類は栽培という知恵を獲得し、農耕が始まりました。
そして急速に広まりました。

  • 増やすことが簡単だった。1年で数十倍の収穫を得ることができる。
  • 保存ができた
  • 美味だった
  • 依存性があった

人類が初めて自ら食料を増やして確保する知恵から、糖質は広まり始めました。
品種改良という知恵も相まって、収穫量を増やすことで食料が増えました。
そのおかげで人類の個体数が増えることができました。つまり人口が増えて発展したのです。
増えた人類の食料を確保するために更に開墾することで栽培面積を広げていきました。
糖質には依存性があったため一度依存になるほど口にしてしまうと、強い空腹感という禁断症状のため糖質を何とかして手に入れようと努力することも、農耕を盛んにし人類の発展に寄与した可能性が考えられます。

そして先祖代々当たり前に糖質を食べていたから、現代においても疑いなく食べているだけのようです。
確かに美味しい上にいつの間にか糖質依存に陥っていたのでわざわざやめようという人もいませんでした。江部洋一郎先生が提唱され江部康二先生が広められるまで、糖質には棘ともいえる欠点があることを誰も疑わなかったのです。
糖質は不足して食糧難で困ることはあっても食べ過ぎても太るくらいで、大した害はないと思っていましたから仕方のないことです。

糖質の正体

糖質は人類の発展には間違いなく多大なる貢献をしています。
その糖質の果たしてくれた役割を否定するつもりはありません。
しかし食べ過ぎることに害があるのも間違いのない事実です。

糖質は人類の仲間!ただし…

では糖質はどのように解釈すればよいのでしょうか?
私は薬のようなものだと思います。
薬は適量であれば薬として働きますが、どんな薬でも量を間違えて取りすぎると毒になってしまいます。時には命を落とすこともあるでしょう。
糖質もそのようなものだと思います。

適量を楽しむことには全く問題はありませんが、薬と同様に大量摂取は危険です。
正に医療用麻薬や依存性のある薬のようなものです。
適量であれば抜群の効果を得ることができますが、依存状態に陥ると自己抑制ができなくなってしまいます。

適量を楽しむのが糖質に対する適切な楽しみ方だと思います。

そこで考え方としては糖質回避教の考え方です。
糖質を毒として忌み嫌うという忌避するわけではなく、避けられるときは避け、時に楽しむというとらえ方が私は適切だと思います。

糖質回避教という考え方はいかがですか?
糖質はかつては味方でした。しかし敵ではないものの、適切に付き合わないと人類に害をもたらします。
糖質は人類にとって、仲間だと思います。
しかし取りすぎに気を付けないといけない、裏切る可能性のある油断できない仲間なのだと思います。
気を抜くと裏切って体に害を引き起こすので、取りすぎに気を抜かないように気を付けましょう。

太る理由がわかった今…

太る理由糖質依存糖質そのものの特徴的な性質だとわかった今、ダイエットは糖質を避けること以外考えられません。糖質を避けた上で痩せなければ、そこで初めて食べる量を減らすことを考えれば良いことです。

信じるか信じないかではなく、いつ受け入れるかです。自分の経験と照らし合わせてみることで、納得がいくことがあると思います。議論の余地はありません。

もしかしたら他にも痩せる良い方法はあるかも知れませんが、それは言わば痩せるブレーキを探しているようなものです。糖質は太るアクセルなので、痩せたいのであればブレーキを工夫する前に太るアクセルを踏まないことです。

アクセルを踏まない状態(完全糖質回避)でも痩せられない場合、初めて食べる量を減らすことを考えれば良いと思います。アクセルを踏みながらブレーキを踏んでも止まらないのは当たり前のことです。車を止めたいなら、何よりも先にまずアクセルを離すことからはじめると思います。

もし誰かが本気でアクセル踏みながらブレーキを踏んでも止まらないと叫んでいたとしたら、止まる訳がないと笑いだしてしまうことでしょう。現実にはそんなギャグ漫画みたいなことを命懸けで行うことはありません。何故なら車の仕組みを知っているからです。アクセルは進む、ブレーキは止まる。万が一両方踏めば踏み方でアクセルが強ければ進み、ブレーキが強ければ止まります。

ダイエットに関しても実はみんなが知らないだけで単純です。(糖質回避や糖質制限をしている人は既に当たり前に理解していることです)

糖質を食べ過ぎれば太り、糖質を避ければ痩せていきます。タンパク質・脂質は脳を騙す仕組みがないので、そもそも食べ過ぎることが出来ません。糖質を食べることがアクセルでダイエットがブレーキです。わざわざダイエットというブレーキを踏まなくても、糖質を食べるアクセルを踏まなければ痩せていくだけです。

動物には太り過ぎない仕組みが備わっている

野生動物は太らない仕組みが備わっています。肉食動物は太り過ぎると走れなくなって餌が捕まえられなくなるので、自然と痩せていきます。太ったまま生きていくことは出来ません。草食動物は太り過ぎると肉食動物の一番の餌になってしまうので、子孫を残すことが出来ず自然淘汰されてしまいます。草食動物は餌が豊富にあるからといって食べ過ぎて太ることは死活問題なので、太り過ぎない仕組みが備わっているのです。

アフリカ発祥の人類にも太り過ぎない仕組みが備わっていたはずです。何故なら太り過ぎるとライオンなどの肉食動物の餌になってしまったはずだからです。人間の感じる満腹感が本来の太り過ぎない仕組みです。

動物も満腹だと目の前に獲物がいても襲わないそうです。(水族館でサメと同じ水槽で餌となる魚が飼われていることがありますが、サメをいつも満腹にさせることで水槽の魚を食べないようにしているそうです。それでも少しずつサメに食べられて魚は減るそうです。)

では人間が太ることの出来る仕組みは?

動物には太り過ぎない仕組みがありますが、人間だけが太り過ぎない仕組みを無くしてしまったのでしょうか?それとも仕組みはあるのにうまく働かなくなってしまったのでしょうか?

合理的に考えれば人間だけが太り過ぎない仕組みを無くしたということは考えにくいと思います。太り過ぎない仕組みをすり抜けてしまう何かがあるはずです。

痩せようとしても痩せることが出来ない程の何かです。

太る仕組みは糖質依存

太り過ぎを避ける仕組みである満腹感が太らないようにブレーキをかけてくれます。しかしこの満腹感を誤魔化す仕組みがあるのです。その仕組みとは糖質に騙されるのです。糖質依存に陥って満腹感を誤魔化す仕組みが発動して、食べ過ぎることが出来るのが原因です。俗に言う甘いものは別腹と表現される現象です。実際には糖質は別腹でご飯などもついお代わりして食べ過ぎるのはこの影響です。人類の進化の歴史上、体にとって特別なご褒美である糖質は次にいつ食べられるかわかりませんでした。無理をしてでも多く食べる仕組みを身に付けた方が寒い冬を乗り切る際には有利だったようです。

本来なら太ることの出来ない仕組みの備わっている動物でも、ペットになると太るものもあらわれます。デブ猫やデブ犬です。恐らくこれらの多くは糖質を多く含む食事を与えられて食べ過ぎた結果だと思います。

太らないはずの動物が太る実例として考えれば、動物の一種である人間も同じ仕組みで太ることは容易に理解できます。

糖質そのものの特徴的な性質

人間の身体にとって糖質そのものに特徴的な性質があります。簡単に表現すれば、糖質は効率が悪く多過ぎると毒になるのです。そのため優先的に使い、余ると毒になるので仕方なく脂肪として蓄えます。これが太る仕組みです。

間違ったダイエット方法

糖質回避をせずにダイエットしている人がいれば、それはアクセルを踏みながらブレーキを踏んでいる状態です。稀に痩せることもあるかも知れませんが、非常に効率が悪いので、是非このサイトを教えてあげて下さい。糖質回避教のススメです。ただし強要はしないで下さい。信じるものだけが得をすれば良いと思います。だから宗教の一種、論理的宗教としているのです。

まず太った原因を取り除くことです。

中には糖質回避だけでは痩せにくく、食べる量の制限も必要な方もおられますが、多くの方は糖質回避だけで痩せていきます。

かつてテレビが広まり、焦った新聞が行ったこと

庶民の情報収集手段が新聞だった時代、ラジオはあったもののそれほどの脅威とはなりませんでした。ラジオでは音楽を伝えることは出来ましたが、声の情報伝達は情報量も多いはなく新聞とは競合しなかったようです。

しかしテレビは違います。映像というそれまでにない脅威の情報伝達力に新聞各社は焦りました。

テレビにとって代わられ、当時は新聞の未来が真っ暗だと思われていましたが、あることに気付いて共存の道が見つかりました。それはテレビの番組欄を新聞に掲載したのです。

当時はテレビをつけてみないと何を放送しているかわからなかったので、テレビを見るために新聞で確認するこというスタイルが当たり前になりました。こうしてテレビが出現しても新聞は共存することが出来ました。

今では新聞だけでなく、テレビもインターネットによりビジネスモデルが崩壊しかけています。テレビの番組欄のような共存の知恵がなければ、新聞・テレビの市場は今後縮小されていくことでしょう。

私が社外取締役なら、インターネットのホームページ紹介の番組を立ち上げます。インターネットは無視できない規模・将来性ですから、ホームページ紹介の番組と共に今後スポンサーになってもらうことを考えて深夜枠でも放送するようにします。ホームページの紹介は検索に使うキーワードが伝われば良いので、15秒・場合によっては10秒でも伝わるので、30秒単位のコマーシャルを10秒単位に変更してホームページのコマーシャル枠を作ります。

とはいえこれからやっても既に間に合わないかも知れません。

男女での相手の選び方の違い

男性は女性を顔で選び、女性は男性を性格で選ぶ傾向があるそうです。

私独自の考えではなく、ディスカバリーチャンネルで見た内容が理にかなっていると思いましたので、違いをまとめたものです。

男性は女性を顔で選び、女性は男性を性格で選ぶそうです。

男性は女性を顔で選すぶ

男性が女性を顔で選ぶと言っても時代や地域によって好まれる顔が異なります。それでも無意識のうちに顔で選んでいるのでしょうか?どのような基準で選んでいるのでしょうか?

ディスカバリーチャンネルでは男性が女性を選ぶ基準は、女性の顔が左右対称かどうかだそうです。目が大きい・鼻が高いということは関係がないようです。目が大きくても、鼻が高くても生存に有利にはならないからだと思います。(寒い地域だと高い鼻は生存に有利かも知れませんが)では女性の顔が左右対称だと生存に有利、子孫に有利な可能性があるのは何故でしょうか?それは顔が左右対称だと、以下のことの表れと考えるようです。

  • 遺伝的に問題が少ないこと。
  • 左右対称では無くなる大きな怪我をするような危険なことをしなかったこと。
  • ホルモンバランスも問題ないこと。

これらのことから男性は女性の左右対称性を無意識のうちに考えるようです。女性を選ぶ際に自分の子供のことを考えて遺伝的な観点から女性を選ぶ方が子孫を残す上で有利だった名残りなのかも知れません。

学問的に傾向があるだけで、必ずしも全員に当てはまる訳ではありません。女性の顔を目鼻立ちではなく左右対称性の観点で見てみるのも面白いかも知れません。

かと言って必ずしも顔で選ぶとは限りませんし、目鼻立ちで選ぶ人もいると思います。学問的には男性は女性の顔の左右対称性で選ぶ傾向があるというだけのことです。

女性が男性を選ぶのは性格

女性が男性を選ぶ基準・一番の心配事は、出産後に自分と子供の食べる物を確保してくれるかどうかです。優しくて食料を運んでくれるかどうかで選ぶそうです。つまり性格で選ぶそうです。

多くの動物やお猿さんでは、メスは強いオスを求めました。人間は赤ちゃんが他の動物と比較して格段に未熟な状態で生まれるため、一夫一妻制を採用し、優しく優秀な食料確保者であることを男性に求める傾向があるそうです。他の動物では子育て中でも、メスは食料確保が出来ますが、人間では少なくとも赤ちゃんの首がすわるまでは女性の食料確保が問題です。人類の進化の歴史では女性が生き延びる確率を高めるために、強さよりも優しさを重視する傾向があったようです。

学問的にこうした傾向があるというだけで、最終的には好きになってしまえば、その人が運命の人です。タデ食う虫も好きずきということだと思います。みんなが共通の好みだと人気が集中してしまうので、隠された魅力を見つける能力が備わっている人ももしかしたらいるのかも知れません。

あくまでも学問的にはこのような傾向があるということです。

 

人類が一夫一婦制を採用している理由

多少の例外はありますが、人類の多くは一夫一婦制を導入しています。

人間のやることには必ず理由があるはずです。
長年受け継がれてきた風習ですから何か合理的な理由があるはずです。

不思議に思っていましたがヒントになる記事を日経サイエンスでみつけました。
(参考文献:日経サイエンス2014年12月号 一夫一妻になったわけ)

700万年以上前に大型類人猿と人類の祖先であるホミニンが共通祖先から分かれた際に3つの革新的な変化が起こったそうです。

  • 二足歩行により食物を運ぶことができるようになった
  • ペアボンド(一夫一婦制)を採用するようになった
  • メスの排卵を知らせる外部シグナルがなくなった

食物を運ぶことができるようになったことで、オスは美味しい食材をメスに差し出すことで求愛をしたそうです。
それまでのメスの奪い合いに費やした労力を、オスはできるだけ広い範囲を効率よく探し回り貴重な食材を獲得することに振り分けました。
メスは強い戦士よりもより魅力的な食材を確保するをパートナーとして選ぶことにつながったそうです。
一夫一婦制を取り入れるにあたり、それまで存在していたメスの発情期をなくしたそうです。発情期があるとパートナーとして選んだオス以外を引き付けてしまうため、無駄な争いを避ける目的で発情期をなくしたようです。

一夫一婦制の期限の3つの仮説

  • メスのまばらな分布説
    メス同士が離れて暮らしていると複数のメスをパートナーとして選ぶのは困難となる
    魅力的なエサをオスに要求する種に見られる傾向がある
    人類は社会性を構築する種族でメス同士が離れて暮らすとは考えにくく、人類以外の動物ではよくあてはまる
  • 子殺し回避説
    強いオスに戦いを挑んで勝利したオスは、自分の子孫を残すために元のオスの子供を殺す
    子供を殺すことを避けるために、自分と自分の子供を守ってくれるオスを選ぶ
  • 父親による子の世話説
    子育てに父親が参加することで、子供の生存率が高まるほか、母親との絆もより深まる
    子供を抱いて運ぶだけで、授乳に匹敵するエネルギーが必要なため、父親が運んでくれるだけで母親には助けになった

統計的な解析では霊長類との比較では子殺し回避説がやや有意な可能性があり、別の統計では父親による子の世話説は最も可能性が低いと判定されたそうです。
学術的には最終見解はまだ出ていないようです。

私の考える一夫一婦制になった理由

か弱いメスが一匹で存在していたとは考えにくいと思います。
もしメスが一匹だけで存在すればオスは力ずくでわが物にすると思いますから、不用心な一匹で過ごすのは考えにくいと思います。一匹で過ごしていれば言語もふ発達しなかったと思いますから、否定的だと思います。

子殺し回避説は確かに一理あります。一夫一婦制を導入すれば子殺しは避けることができます。何故なら子供を守るために他のオスと父親が争う場合、母親も争いに参加することで2対1で子供を守ることができるのです。
サルをはじめとした他の動物ではオス対オスですが、一夫一婦制を導入した人類の祖先は二人で一組で家族としての絆で他のオスに対応することで勝負にならず、無駄な争いを避けることができたと考えられます。

父親による子の世話説。
私は懐疑的です。子供を抱いて世話をするよりも、母親がほしいのは子供がある程度まで育つ間の食料です。一緒に食料探しに移動するために子供を抱っこして父親に世話してもらうよりも、美味しい食材を探してもってきてくれる方が母親としてはありがたいはずです。先述した子殺し回避のためには母親の近くにいなければなりませんが、基本的には父親は食材探しだと私は思います。
人類は赤ちゃんが他の動物に比較して圧倒的に未熟な状態で生まれます。何故なら他の動物と同程度まで母親の胎内で育ってしまうと産道を通り抜けることができないからです。首がすわらない状態で生まれるのはそのためです。首が座るまでは母親は赤ちゃんを抱っこしたまま動くことができません。合理的に考えれば母親も出産で体力を消耗し授乳もするので、食料を父親と一緒に探し回るよりも、食料を確保してきてもらうことを望むはずです。少なくとも赤ちゃんの首が座るまでは移動は避けたいはずです。

人類は出産後の子育てに労力があまりにかかるため、夫婦二人で子育てに当たり役割分担したことが考えられます。夫婦二人で子育てすると有利になるというよりは、子供が小さいうちは母親だけでは安全には子育てができなかったのではないでしょうか?
このあたりに一夫一婦制になった合理的な理由がありそうです。

そして一夫一婦制では一度パートナーを決めると次のパートナー選びという作業が必要なくなるため、子育てに専念できるというメリットがあります。
ゴリラなどの一夫多妻制では維持するのに多大な労力を使いますし、新たにボスの座を獲得するのに多大な労力を必要とするのと対照的です。一夫一婦制はより多くの個人が安全に子孫を残せる合理的な仕組みだったことが考えられます。ボノボのような乱交型だと、子育ての際に食料を運んでくれない可能性があるため子育てに多大な労力を要する人類にとってはパートナーを決めるということに大きな意味があるようです。

人類の進化の歴史で培った一夫一婦制の意味は、赤ちゃんが他の動物と比べて非常に未熟な状態で生まれることに由来すると思います。子育てを二人で行わないと安全に育てることができないことから、発達したのだと私は思います。

子孫を安全に残すために一人のパートナーを決めることに意味があるのです。
ちなみに通常は一夫多妻のお猿さんですが、メスザルがボス以外の若いサルを誘惑して浮気することもあるようです。

人類でもたまに浮気してしまう人が存在するのは先祖返りの一種なのかもしれません。