たんぱく質を食べても簡単には太れない

タンパク質は消化されるとアミノ酸になり、体に吸収されます。
太るのは脂肪が増えることです。たんぱく質を食べることで脂肪が増えるためには、アミノ酸として吸収され、一度ブドウ糖に作り変えられてから脂肪を作り出すというかなりの回り道をする必要があります。たんぱく質の食べ過ぎでアミノ酸が余ったら、たんぱく質に合成して筋肉として蓄える方が合理的だと思います。

ブドウ糖が足らないときに仕方なくアミノ酸からブドウ糖を作り出す仕組みなので、ブドウ糖が余ったら作る脂肪にはわざわざしないと思います。蓄える際、たんぱく質に合成するエネルギーと一旦ブドウ糖にしてから脂肪に作り変えるエネルギーを考えると、エネルギーロスが多過ぎてわざわざ脂肪にはしないと思います。理論上はたんぱく質を脂肪にして蓄えることは可能ではあります。

進化の過程において無駄なことをすると生き残る確率は下がります。
これだけのエネルギーの無駄をしてまで脂肪として蓄えるメリットがありませんので、たんぱく質を食べることで太るのはかなり無理があると思います。

たんぱく質をたくさん食べたとしてもエネルギーロスが多いのでわざわざ脂肪として蓄える可能性は低そうです。
その上糖質依存での食べ過ぎの要素がなければ、身体の恒常性を保つ働きがあるため、そもそも蓄えるほど食べ過ぎることができる可能性は低そうです。

わざわざ実験してみる価値があるかどうかはわかりませんが、やるとすれば動物実験で、タンパク質を過剰に食べさせることで太るか試してみるのも一つかもしれません。

アナログ思考とデジタル思考

アナログ思考とデジタル思考という分類を考えました。
何もアナログが古くてデジタルが新しいとか、アナログが遅くてデジタルが進んでいると表現したわけではありません。
思考方法の明らかな違いを表している言葉ではないかと思います。
というのがアナログとデジタルというのは明確な違いがあります。
アナログは境界が明確ではなく全てが連続していることを意味し、デジタルは境界が明瞭で一つ一つが非連続です。

どうやら人によりアナログ思考とデジタル思考の2種類の思考方法があるようです。
以前はアナログ思考が文系、デジタル思考が理系と考えていましたが、必ずしもそうとは限らないようです。

アナログ思考とデジタル思考でどちらが優れているとは一概にはいえません。
芸術などの感性ではアナログ思考の方が有利かもしれません。
芸術家の頭の中をのぞいたことがありませんので、明確にはわかりませんが様々なことの境界が不明瞭で連続的な考え方をしているのではないかと思います。
アナログ思考の方は明確な境界が自分でもわからないので、物事を言葉で人に伝えることが苦手な傾向があります。
物事の境界を自分でも明確にはわからないため、人にうまく伝えられないからです。
人には伝えられないけれども自分にはわかるというのがアナログ思考の人の特徴かもしれません。
明確に言葉に変換するのは苦手でも、絵や音楽など連続した表現が得意です。

アナログ思考では思考が連続なため、変化がどこで区切るかわかりにくく、物事を変化させるきっかけを捉えにくい傾向があります。
そのため物事を論理的に考えることが苦手な傾向があります。全く別の物事の関係も連続的に捉えようとする傾向があり、理解するのに時間を要する傾向にあります。論理も連続的に考える傾向があるため、非連続の論理展開は苦手な傾向があります。
自分がアナログ思考型だと思われた場合、人への説明される場合は物事の境界を意識するようにされると説明がわかりやすくなると思います。

人に説明するのは圧倒的にデジタル思考をする人が有利です。
何故ならデジタル思考の場合境界が明瞭なため、2つの物事をはっきりと区別して理解しているからです。
境界からこちらはAであちらはBという具合に説明するため、聞いている人が理解しやすい傾向があります。
そしてデジタル思考の場合、AがBに変わるきっかけも理解しているため、どうすればBになるのかも人に容易に説明できます。
その理屈を組み合わせることで、物事を論理的に理解することができます。
論理は言葉で伝えることができるので、人に考えていることを説明できます。

私自身の脳は完全デジタル思考なのでアナログ思考に関しては、恐らくアナログ思考だろうと思う方のことから想像して書いています。間違いがあるかもしれませんがご了承ください。

話が噛み合わない場合、デジタル思考の人とアナログ思考の人がお互いが同じ思考だと思い込んでいて、やり取りが噛み合わないのかもしれません。

アナログ思考とデジタル思考の話は今後掘り下げていきたいと思います。

直感的・感情的思考と論理的思考もご覧ください。

健康被害のあるものには課税されている

タバコやお酒は健康被害がわかっても禁止されてはいませんが、課税することである程度過剰摂取を抑制しています。(実際にアメリカではお酒を禁止する法律、禁酒法が制定され混乱の時代だったようです)
本来はタバコやお酒による健康被害による医療費の負担は、受益者負担の原則からタバコやお酒を嗜む人が負担するべきだと思います。脳が騙されて依存状態になっているとはいえ、嗜むと決めたのは自分自身だからです。嗜む嗜まないの選択の結果、嗜む人だけが健康被害になるのだから、それ嗜まない人に金銭的な負担を強いるのは平等の原則に反するという考え方です。

一説によりますとタバコの健康被害は年間3兆円、税収は年間1兆円。元々は税収を得るためにタバコを認めたのに、割にあいません。2兆円も余分にかかっています。
本来この2兆円分は喫煙者が負担するのが、公平だと思います。タバコを吸わない人にタバコの吸った人の医療費を負担してもらうのはおかしな話です。

糖質も依存性があり健康被害が明らか(肥満、2型糖尿病、生活習慣病)なので将来的には課税するべきではないでしょうか?一部では砂糖への課税が検討されましたが、砂糖が問題なのではなく糖質が問題だという本質の捉え間違いからきたことです。糖質に課税する方が合理的だと思います。(食べ物による健康被害、現代の脚気?はこちら)
ただし現状では嗜む嗜まないの選択肢が存在しなかった(糖質の害の『知識』がなかった)ので、糖質の影響が知れ渡り、嗜む嗜まないの選択が出来るようになるまでの時間を要するとは思います。

考え方としては糖尿病や高血圧が糖質の摂り過ぎによるものですから、糖質による健康被害として糖質摂取者に医療費の負担をお願いするのです。現実問題の解決策としては糖質による疾患の医療費分に相当する課税が妥当ではないかと思います。
安いから糖質でお腹を膨らませている一因があり、その結果として医療費の負担をしているのです。糖質を相応の値段にし、医療費を減らしてみんなが健康になるのは理想的な世の中だと思います。

糖質を食べることで生じる健康被害の分を糖質を食べる人が負担するという合理的な考え方です。

タバコによる健康被害の医療費分をタバコ代に2兆円分上乗せする方が先だとは思います。

ある人は100年かかると言っていました。
私は30年で実現できれば良いなと考えています。

お墓の意味は?

物事を突き詰めて考えてみる物事の意味を考えるですが、今回はお墓に関して考えてみました。

お墓の歴史

本来は亡骸を弔うためのものでした。
日本でも大昔は火葬せずそのまま土中に葬る土葬でした。
そして埋めた場所の目印の墓標を立てたのが始まりだと思います。
国土が狭く人口が増えたこともあり場所が足らなくなるため、豊富な木材を使って火葬するようになりました。昔は全ての骨が残らない程焼くことは困難でしたので遺骨が残りました。その骨を捨てるわけにもいかず埋葬する習慣が出来ました。
世界中を見回すと、遺体を鳥に食べてもらうことで空にかえるという鳥葬や川に遺体を流す水葬など様々な弔い方があります。
日本ではお墓を大切にする文化が根付き、先祖を敬うという価値観のためお墓参りが大切な行事となりました。また家を継ぐという事はお墓を継ぐという事にも通じ、墓を守ると言う言葉もあります。

現在のお墓の意味

現代では骨を残らず全て焼くことも可能なため、骨を拾うと言う儀式は形式的なものとなりました。
またお骨の炭素を使ってダイヤモンドを作ることも出来るため、必ずしもお墓に納める必要はないのではないかと思います。
お骨はお墓に収めないといけないと言う『常識』は、子供の頃から当たり前だと信じた思い込みに他なりません。
成仏出来ないと主張される方もおられるかも知れませんが、その方はそう信じていると言うだけのことです。
誰にもわかりません。
一時期はやった歌の歌詞でも、お墓の中にはいないそうです。
お墓が家族の負担になって、お金を払って他人にお参りしてもらうくらいなら、お墓はなくなってもよいのではないかと私は考えています。
極論すると火葬して残った遺骨の処理に困るので、止むを得ずお墓におさめているだけのことです。本人の遺志に沿う形で、遺族が納得できる他の方法があれば、それで良いと思います。
本人と遺族の問題であって、他人が口出しする問題ではないのです。
私の骨はダイヤモンドにして家族に持っていてもらえたら、お墓参りしてもらう手間が省けてよいと私は思っています。

 

21世紀の営業マンの仕事

21世紀の営業マンの仕事は20世紀の営業マンの仕事とは大きく異なります。何故なら、営業マンの最大の武器である商品の情報はインターネットからいくらでも手に入るからです。人は欲しければ自分で机に座ったまま、情報収集が簡単にできます。インターネットが全てではありませんが、営業マンしか知らない情報がある時点で何らかのやましいことがあると疑ってしまいます。
営業マンは激減していくと思います。

そんな中で21世紀の営業マンに求められるのは、相手の立場になって相手の代わりに考えること。様々な状況ごとに場合分けをして考えてあげること。
自社製品を売ることだけが仕事だと考えているのは、20世紀の営業マンだと思います。

営業マンが営業をかけるのであれば、まず相手の要望を聞くことです。
100万円のものを売ろうとしても、相手の予算が10万円ではお互い時間の無駄です。それでも話を聞いてもらおうとするのは説得する目的です。相手の都合はともかく自分の商品を買ってもらうことが目的だからです。

まず金額を言おうとしないのは、衝動買いの心理を活用し購買意欲を高めてドーパミンの魅力に取りつかれた魔法をかかりやすくするためです。金額を言った時点で話を打ち切られる可能性が高いから金額を言わないのです。テクニックとも言えなくもありませんが、誠実ではないと思います。

私は飛び込み営業は断ります。パンフレットを置いて帰ってもらいます。パンフレットも持たずに営業に来られる方がおられるのは本当に困った話です。口車に乗せる気満々だったと私は受け取ります。
電話も営業かどうか確認し、営業だと資料の郵送を伝えてもらい全て切ることにしています。
何故なら現時点の生活で満足しており、何か欲しくなれば営業などしてもらわなくても、自分で調べて購入するからです。

21世紀の営業マンの理想

  • 相手の希望・要望、求めているものを聞く
    • 自社製品とかけ離れていれば即座に諦める
    • 自社製品購入の説得をしても意味がない。
    • 相手の希望に見合う商品が他社製品であれば、そのことを伝えてあげる
  • 売っている商品・金額を手短に説明する
    • 可能性がなければ即座に諦める

大切なことは相手の代わりに相手のほしいものを考えてあげることです。相手が何を求め、何がしたいのかを見極めて代わりにして差し上げるのが21世紀の営業マンの仕事だと私は思います。

そんなことを言っていては物は売れないと思われたかもしれませんが、それは売る物の選択に問題があるか、売る相手の選択に問題があるという選択ミスだと思います。

緊張する人・上がり症の人の心理

緊張する人・上がり症の人の心理を考えてみました。
緊張するのは上手にやれると考えているのが前提です。もしくは上手にやれないといけないと思い込んでいる人です。
そして上手にやれなければどうしようと不安に思ってしまうのです。
設定ラインが上手に出来て当たり前で、上手に出来なければどうしようと考えてしまうことが原因です。

特にしっかり頑張りなさいとか失敗は許さないとかのプレッシャーをかけられると、緊張する度合いが高まります。
失敗したところで、やり直しが出来るわけでもありません。
うまくいかなかったところで、過去に戻れるわけでもありません。

うまくいかなくても次に生かして学ぶところがあれば、厳密な『意味』での失敗ではないのです。

緊張する人・上がり症の人の対策は?

緊張する・上がる原因は自分自身を追い込むからです。

上手に出来ればラッキー。
ミスが3つなら合格。ミスが10個を超えたら次はやめておこう。
とか気楽に構えれば良いのです。口に出すと真剣さが足らないなどと怒り出す人もいるかもしれませんから、自分の中に秘めた合格ラインを作っておけば良いのです。

それが無理なら、そもそも上手に出来る訳がない。上手に出来たら天才、出来なくて当たり前なんだから

一生懸命気楽にいこう

という心境で臨んでみましょう。良くも悪くもやり直しは無いのですから。

子育ては親を育てる・親も育つ

子育ての意味を考えてみます。

子育ては文字通り子供を育てることです。
しかし実は親を育てる一面もあり、親も育つのです。

どういう意味か考えていきます。
子供が大人になっても困らないように常識を身につけさせてあげることが、一番の目的だと私は思います。

子育てでついつい怒ってしまうということをよく聞きます。
全ての元は親御さんの勘違いです。

大人の常識は子供の非常識だから

大人は子供が知っていると思い込んで、子供が知らないことを怒るのです。
本来子供が知らないことを親が知ることで、大人が当たり前に思っていたことを子供は知らないのだと再認識できるのです。
大人にとっては疑いもしない常識が欠落している子供の考え方を知ることで、いつの間にか当たり前で不思議にも思っていなかった常識の意味を再認識できるのです。この常識の意味の再認識こそが親を育てることにつながり、親が育つのです。

子供の知らないことを知ることで親が育つ

子供を怒る必要はありません。
何故なら子供は知らないだけなのです。
親が知っているから子供も言わなくてもわかるだろうというのは、親の勝手な思い込みです。親は自分が育つ際に誰かに教えてもらったのです。自然に身に着けたつもりですが、誰かに教えてもらったのです。
子供にとってその誰かとは、怒っている親以外あり得ません。
本来は知らないことを教えてくれるべき親が知らないことを責めるのですから、子供にとってはたまりません。
かといって一人では生きていけないので我慢しているのです。

子供は何かをただ知らないだけなのです。

怒る必要なんてありません。

競争がなければ殿様商売に気付けない

資本主義の意義は競争があることです。
法律により参入が規制される場合や免許により規制されている場合、競争原理がゆがめられてしまうため、本当の意味での資本主義にはなりません。

規制や免許の必要のない通常の商売では競争が起こることこそが、皆が切磋琢磨することでより良い状態に変わっていきます。(劣る状態のままであれば、淘汰されるからです)

あまり知られていませんが、競争がない企業は殿様商売をしています。
殿様商売とは、ふんぞり返っていてもお客さんが来てくれるので、企業努力をしない商売方法ということです。

一部の規制や免許で保護されている業態などが当てはまります。病院や診療所、製薬会社なども当てはまるのかもしれません。
同じ地域に競争相手がいない業種もそういう一面があるかもしれません。高い値段にしても買うでしょという心理が透けてみえるような企業です。競争がいないうちは殿様でも問題がありませんが、競争が表れて慌てて殿様が商売人に変わろうとしても間に合いません。

競争がないからと高を括っていると、もしかしたら突然インターネットが競争相手に名乗りを上げてくる可能性があります。

競争相手がいない場合でも役立つ考え方があります。
それは『利益は企業のためならず』です。
利益は企業のためにあるわけではない。お客さんのためにこそあるべきだという考え方です。詳しくはリンクをご覧ください。

医療に関しても、様々な利権が絡んでいるのですぐに実現はしないと思いますが、患者さんのことを考えれば、病院にいかなくても病気が治る・適切な薬が手に入る世の中が理想だと思います。
私自身殿様商売の一面がないか振り返ってみたいと思います。

衝動買いのメカニズムとその対策

ついつい勢いで買ってしまう衝動買いですが、そのメカニズムを考えてみます。

生残りのための仕組み

衝動買いのメカニズムは、元々は生き残りのための仕組みでした。
欲しいものを実際よりも魅力的に感じる錯覚させる仕組みが原因のようです。

大昔の人類を思い浮かべてみてください。
川の向こう岸に美味しそうな果物を見つけました。
溺れるかもしれないので泳いで渡るか躊躇しています。
脳は無理してでも食べた方が生き残りに有利なため、自分自身を騙します。
美味しそうな果物を見た目以上に大きく魅力的に感じる魔法をかけるのです。
(一種の錯覚、勘違い。自己暗示のようなものだと思ってください)
大きな果物で食べないといけない・食べるしかないと思うようになってしまうのです。
そこで川に飛び込んで果物を食べることに成功します。
川に飛び込まない人類の子孫は食糧不足により死に絶えました。
私たちはこのようにして、川の向こうの果物を食べることの出来た人類の子孫なのです。食糧難の時代には役立ったこの仕組みが、物が簡単に手に入る今の私たちを苦しめます。

衝動買いのメカニズム

同じことが衝動買いでも起こります。
一目見て欲しくなります。頭の中で魅力が駆け巡ります。
どんどん魅力が増大するドーパミンの魔法がかかります
冷静な判断は無理です。
何しろ昔は溺れるかもしれない程の命がけでも、川を渡るほどの魔法なのですから。
財布の中身が減るということはあるものの、命を危険にさらすことなくほしいものを手に入れるのです。
結果として何故買ったかわからないものが家にいくつもある状態に陥るのです。
ちなみに様々な依存では、この魔法の繰り返しが起こってしまうのです。
一度欲求が膨らんで手に入れたものや経験は、忘れられません。
そして一度経験したことは慣れてしまうので、同じ喜び・ドーパミンを得るために欲求がエスカレートしてしまうのです。

衝動買いの対策

欲しいものを魅力的に見せつけるドーパミンの魔法がかかるのは約10分です。
10分間我慢して乗り切ると、魔法が解けます。
ただし10分間ほしいものを眺めて考え続けていると、脳に魔法をかけるドーパミンが減りはしますが、出続けるのでお勧めしません。
考えてはいけないと打ち消そうとすることが、脳にとって一番ストレスになるそうです
10分間他のことを考えるか、他の売り場に行くことをお勧めします。
それでもほしければ衝動買いではないのかもしれません。
別の対処法は、買ったものの具体的な使用法を想像してみることです。冷静に値段に見合った価値があるか検討してみるのです。
実は買い物がしたいだけで、物がほしいわけではないかもしれないのです。

参考文献:
脳内麻薬 快楽物質ドーパミンの正体
スタンフォードの自分を変える教室

炭水化物・糖質を食べる理由は何ですか?

これまでの常識や先入観を全て忘れて冷静に考えてみて下さい。

炭水化物を食べる理由は何ですか?

私が炭水化物を普通に食べていた頃、食べていた理由を考えてみました。

  • 子供の頃から当たり前に食べていたから
  • 食事といえば炭水化物が基本だから
  • 好きだから
  • 美味しいから
  • 安いから
  • 主食とされているから
  • 腹持ちがいいと思っていたから
  • おかずだけではお腹がいっぱいにならない気がするから
    • 食事した気がしないから
  • 手軽に食べることが出来るから
    • パンやおにぎりなど

考えてみるとこんなところです。簡単に言えば子供の頃からの刷り込みです。

他の選択肢を知らなかったことも当たり前に炭水化物を食べていた理由です。

炭水化物を食べる意味

炭水化物を食べることで少なくとも肥満という実害があることを知らなかったのも、平気で食べていた理由です。

栄養学は始まった時点で、みんな当たり前に炭水化物を食べているから、本当に身体に必要かどうかは検討せず、炭水化物を食べるものと定義したようです。

炭水化物は消化さらブドウ糖とし吸収されるだけです。アミノ酸からもブドウ糖は作り出すことができるので食べ物として無理に食べる必要はありません。

何故炭水化物を食べるのか、一度じっくり考えてみてもよいかもしれませんね。

他に食べるものが無かった時代とは異なり、飽食の今となっては栄養という意味はあまりないようです。

肥満、生活習慣病という炭水化物の食べ過ぎで起こる病気のリスクを知った上でも、ただ美味しいという楽しさの追求を続けるのかどうか。

リスクを知った上で炭水化物を食べられるのは全く問題がありません。タバコの害を知った上でもタバコを吸われる方と同じです。将来困る本人だけの問題だからです(誰の問題論)。ただ危険性を知らずに食べ続けるのは勿体無いと思います。

主食として当たり前に毎日食べるよりも、本来の炭水化物の役割・たまに見つけたご褒美として食べるラッキー食材の地位に戻してあげるのが良いのかもしれません。

決して炭水化物はやめなきゃダメなどと人に強要することなく、こんな考え方があることを教えてあげてください。