人類が糖質を重宝する理由

先進国で糖質を中心とした食生活が当たり前となっています。

何故糖質がこれ程重宝されるのでしょうか?

栄養面では糖質は要らない

栄養の面から考えても人類にとってそれ程望ましい理想の食材なのでしょうか?

実は栄養の面から考えれば、糖質は無理に食べる必要は無さそうです。何故なら糖質は消化され吸収される際にブドウ糖となるだけですが、そのブドウ糖は体内でたんぱく質からも作り出せるからです。タンパク質を食べていればブドウ糖は作り出せるのですから、糖質から無理にブドウ糖を取り入れる必要は無さそうです。
日頃糖質を食べない肉食動物もブドウ糖の血中濃度である血糖値は一定の値に保たれているそうです。(参考文献:炭水化物が人類を滅ぼす

糖質が広まった理由

では何故これほどまでに糖質が広まったのでしょうか?
その答えは人類の進化・発展の歴史にあります。
約1万年ほど前に栽培という知恵を獲得し、人類による農耕が始まりました。

  • 増やすことが容易だった
  • 保存ができた
  • 美味だった

人類が初めて自ら食料を増やして確保するという知恵から広まり始めました。
品種改良という知恵も相まって、収穫量を増やすことで食料が増えました。
そのおかげで人類が増えました。増えた人類の食料を確保するために更に開墾することで栽培面積を広げていきました。

先祖代々当たり前に糖質を食べていたから疑いなく食べているだけのようです。
確かに美味しいのでわざわざやめようという人も江部洋一郎先生が提唱され江部康二先生が広められるまで、これまでいませんでした。
糖質は不足して困ることはあっても食べ過ぎて太るくらいで、大した害はないと思っていましたから。

糖質をゼロから見直す

そろそろ立ち止まって、糖質についてどれくらい食べるのが人間の体にとって適切なのかゼロから考えるべき時がきたのかもしれません。

何故なら病気になることがわかっていてもやめられないという糖質依存に人類の多くが陥っているのですから。
ニコチンの害がわかってもタバコがやめられない人が大勢いるのと同じで、糖質の害もこれから理解されていくと思います。
人類が大きな落とし穴になっていることが判明したのですから。

私は食料の1割か2割を糖質からとるのがベストなのではないかと考えています。

血糖値と糖化産物とアトピー性皮膚炎(仮説)

糖質回避でアトピー性皮膚炎の改善率は現在のところ100%です。
糖質を減らされただけで改善しておられる患者さんがおられますし、食べるものは同じでも血糖値の上がりにくい食べ方を工夫されることでアトピー性皮膚炎が改善された方がおられます。
そこで現時点でわかっていることから考えられることを血糖値と糖化産物の影響を模式化してみました。

糖化産物がアトピー性皮膚炎の原因?
糖質と血糖値の関係
糖化産物とアトピー性皮膚炎の関係
  • 糖質を多く食べるとかゆくなる患者さんがおられる
  • 野菜を先に食べ、ご飯を後に食べると改善した患者さんがおられる
  • 糖質をやめるとアトピー性皮膚炎が改善した患者さんがおられる。

以上のことから糖質そのものが問題ではなく、血糖値が上昇することにより何らかの悪影響が考えられる。
血糖値の上昇はブドウ糖濃度の上昇を意味するが、ブドウ糖自体は非常に簡単な構造の分子のためブドウ糖自体が免疫機能に何らかの害を及ぼすとは考えにくい。
ブドウ糖とタンパク質が非特異的に結合する糖化による糖化産物が、免疫機能に何らかの影響を及ぼしている可能性が考えられる。

糖質を日頃より多く食べて数時間から翌日に悪化している患者さんがおられることから、糖質摂取とアトピー性皮膚炎の増悪は比較的短時間の相関が考えられる。

行政に必要なのは競争では?

行政改革・行政改革と叫ばれていますが、なかなか上手くいかないようです。政治家は様々な案を競って考えていますが、なかなか実現しません。政治家が良い案を考えても、行政が様々な言い訳で実現しないことも多いようです。

一番の行政の問題は競争が無いことではないでしょうか?

経済も政治体制も破綻した国々を見ると、競争が無かったことが破滅へ向かわせたことがわかります。

働いても働かなくても同じ報酬であれば、働かないのが人間です。さぼっている訳でも手を抜いている訳でもありません。競争が無ければ比較対象が無いので改善する意味がわからないだけです。そもそも競争がなければ自分たちが殿様商売をしていることにすら気づけません。決まりを自分たちで作って、その決まりに従わなければ拒絶するという殿様商売を繰り返しています。用紙が違います、別の課の問題ですなど拒絶する理由を幾つも用意しているようです。
他に選択肢のない市民・国民は従うしかないのが現状です。別の選択肢が用意されれば便利な方が選ばれるのは当然です。

具体的にどの様に導入するのが良いのか現時点ではわかりませんが、今思いつくのは行政組織を二つに分けるのか、隣と比べるのかです。この競争の仕方から競って発案してもらうのです。行政側から発案してもらい、合理的なものを政治家が選ぶのです。

これまでの横並び主義・前例主義から突然競争主義に転換し行政側、公務員の方々に競ってもらうのです。

一部の小学校では競争が良くないこととして、運動会でも順位をつけないことが流行ったそうですが、もしかしたら行政や公務員の方々が、競争させられることがないように小学校から競争を無くすように仕向けていたのではないか?と邪推してしまうのですが考え過ぎでしょうか?

行政に必要なのは競争

競争が始まればサービスは向上し価格も下がります。こんなにいいことずくめなのに何故競争を避けるのでしょうか?当事者達は競争が無い方が楽だからです。競争がなければ自称最善で何も困りません。他と比べないのですから絶対最善などする必要がないのです(自称最善と絶対最善)。最善を尽くしているといえばそれで済んでしまうのが競争がない世の中です。

行政同士の競争中?

実は今行政同士で競争が起こっているのです。競争原理が働きサービス合戦が過熱し、奪い合いが起こっています。ふるさと納税制度です。各行政機関でお礼を工夫することで税金の奪い合いをしています。ふるさと納税制度を利用せず、真面目に納税するのが損をするかのような不思議な制度です。しかし別の視点から考えると、行政に競争原理を導入するとどれだけサービスが向上するかの社会実験と捉えることが出来ます。知恵とサービスで税金を奪い合うと考えれば面白い取り組みです。

これだけふるさと納税制度が広まっていることから考えると、行政に競争原理を取り入れることは正解だとわかります。(ふるさと納税に更に競争原理を取り入れる方法はリンク先をご参照下さい)

ふるさと納税制度からも行政においても競争が正解なのは誰の目にも明らかです。何故他の行政の対応には競争原理を取り入れないのでしょうか?

この考え方が政治家の皆さんの目にとまり、出来るだけ早く行政に競争原理が導入されることを祈っています。

フリクションボールの改善点

勝手に対策を考えてみるカテゴリー『私が社外取締役なら』ですが、今回は画期的なボールペンです。

擦ると消える不思議なボールペン、フリクションボールですが公的な書類にフリクションボールで記入する事例があるようです。
フリクションボールで書いて、困るのが書いた人なら自己責任ですが、一度受け取ってしまった後で消えてしまうと困るのは受け取って側です。
そこで勝手に対策を考えてみました。
受け取りの際に簡単にわかるようにすると良いと思います。
フリクションボールのインクに紫外線に反応する蛍光塗料を混ぜるのです。
役所での提出や契約書など文字が消えると困る場合には、紫外線を当てて確認すると良いと思いますがいかがでしょうか?

他にも色々な案を考えてみました。フリクションボールは摩擦熱に反応して文字が消えるので、強い光を当てて確認することも考えました。ちょうどコピー機にその機能を備えると理にはかなっていますが、フリクションボールが消える程の熱を与えるコピー機をわざわざ用意するのは少し大変かも知れません。ドライヤーの熱を利用することも考えましたが、不確実です。

やはり蛍光塗料を混ぜるのが一番理にかなっていると思いますが、いかがでしょうか?フリクションボールのメーカーさん、良かったら社内で検討してみて下さい。

特許をとって売り込むことも考えましたが、特許が成り立つかどうかわかりませんし、特許が取れたとしても採用されるかわかりませんので、公表することにしました。

子供は怒られても意味がわからない?

怒らない子育てではなく、怒る必要がない子育てを提案しています。

タイトルの子供は怒られても意味がわからない?とはどういう意味でしょうか?

それは怒っても子供には、何に対して何故怒っているのか伝わらないということです。

怒る場合の多くは、相手と自分の何らかの齟齬(勘違い)が原因です。片や常識で片や全く知らないことからはじまります。

親にとって常識だから子供も知っていて当たり前として怒るのですが、子供は親にとって常識だと知らないので、怒られる意味がわからず戸惑います。親は言わなくてもわかるだろう!と怒ることもありますが、残念ながら言わないとわかりません。親の考えていることがわかるのは親だけなのです。人によっては自分の考えていることは全て当たり前だから、みんなが同じ考えを持っていて当然だと思い込んでいます。その当然のことを知らなかったり、当然のことをしなかったりするので怒る人もいるのです。自分だけの思い込みとも知らず。

怒られても意味がわからないのは、怒っている側の一方的な思い込みだから怒られている側には理解出来ないのです。

怒ることで伝わるのは、怒っている・不快な思いをしているという事実のみです。

怒る必要はないとは思いますが、もし怒るとしても何に対して何故怒っているのかを伝えなければ相手にとっては犬に吠えられているのと同じです。怒っている意味がわからないのですから、子供にとって犬に吠えらるのと変わりません。

怒るより叱るより諭すのが一番です。

少なくとも感情を全面に出さず、何が問題かを客観的に伝えてあげるようにしてみましょう。親からみた主観的なことを言われても子供には理解出来ません。客観的もしくは子供の立場に立って理解出来るように説明してあげましょう。

思いやりという名の価値観の押し売り?

今回思いやりの『意味』を深く考えてみます。

本来思いやりとは相手の事を考え配慮することです。この思いやりですが、無意識のうちに自分の立場から見た相手の事を思いやるという価値観の押し売りをしていないでしょうか?
本当の思いやりは相手の立場になって、相手の事を考えてあげることです。

みんなが本当の意味での思いやりを持って行動すれば、争いが減ると私は思います。

相手の事を考えていると口では言っても、本当に相手の立場に立って、相手の事を考えてのことでしょうか?実は相手の事を考えてという名目で、自分の立場からの価値観を押し付けてはいないでしょうか?

相手の立場に立って考える

最終的に困るのが相手であれば相手の問題です。(問題論)
その相手の問題を自分の立場から口出しするのは越権行為です。相手の立場に立って物事を考えた経験のない人には、相手の立場に立って考えるとは想像つかない考え方のようです。思いやりとは本来相手の立場で相手のことを一番に考えてあげることです。

例えばある親子の話

例えば子供が高校には行かないと言い出しました。親は高校くらい出ていないと将来困ると考えて子供に高校に行くことを強く勧める場面を思い浮かべて下さい。

親としては高校を出ていないと将来困ることを知っているので、高校に行くことを勧めるのは思いやりだと思っています。本当に相手の立場に立って相手を思いやる思いやりと言えるでしょうか?

子供の思い

子供は職人として一生生きていくことを決心し、高校に通う三年間が勿体無いと考えて高校に行かないと言っています。1日でも早く一人前の職人になるために高校に行かないと決心しているのです。それでも高校に行った方が良いと強く勧めるのは本当の思いやりでしょうか?

親の思い

親は子供が高校を卒業していないと将来苦労する可能性が高いことを知っているため、高校への進学を勧めています。親の立場からした思いやりではありますが、親の立場からの価値観です。職人として一人前になれなかった時のことを勝手に考えて、先回りして考えてしまうのです。

そして子供は親の知っていることを知らないのです。

子供の将来のことは明らかに子供の問題です。困るのは子供にも関わらず、本来困らないはずの親が自分の問題のように誤解してしまうことが良くあります。子供の問題に例え親だとしても口出しするのは越権行為です。

思いやる方法

では本当の思いやりであればどうすれば良いのでしょうか?

まず相手の思いの確認

ここでの問題は親と子の思いにズレがないかの確認がなされていないことです。生きている年数が違うので親と子では持っている情報量が全く異なります。

例えば職人さんの世界の厳しさを親は何となく知っていますが、子供は全く知らないだけかも知れません。職人さんの世界に入って逃げ出すかも知れないと親は心配しますが、厳しさを知らない子供は一人前になれると信じきっているかも知れません。

職人さんになれなかった場合、中卒での就職はかなり難しいことを親は当然知っていますが、子供は職人以外は考えたこともないだけかも知れません。

もしかしたら職人さんへの憧れもあって深く考えずに、職人を目指しはじめただけかも知れません。

本当の思いやり

子供の立場に立って考えてあげることです。子供は1日でも早く一人前の職人になることが目的なので高校に行くことを無駄だと考えています。

親は職人として一人前になれなかった時、中卒での就職を考えるとかなり不利になることを心配しています。親が子へ高校への進学を勧める場合、このことは親にとって常識なので子供も知っているはずとして説明せず、高校への進学だけを勧めてしまいます。

子供への伝え方を間違うと大変な誤解を招くことがあります。子供としては今から一生懸命頑張ろうとしているのに、上手くいかない場合の話をするのは子供にとって許し難い考え方に思えるようです。大人の駄目な場合を想定して、準備しておくという発想そのものがないため、あたかも親が失敗を望んでいるかのように誤解してしまうのです。

本当の思いやりであれば、子供が大人と同じ情報を得てから将来のことを判断したか確認してあげることです。例えば以下の3つです。

  • 職人さんの世界は厳しいけど耐えられるのか?
  • 職人さんになれなかった場合、就職は困難だから職人さんを諦めてから高校に行くことになるかも知れないけどそれでも良いのか?
  • 高校は勉強だけではなくて、三年間かけて同い年の友達を作る場でもあるけれどもその機会を失っても良いのか?

親も子供が憎くて言うわけではありませんが、子供の立場から考えてあげないと子供には全く理解できません。親子の持っている情報量の差が大きすぎるため、伝え方を間違うと関係がこじれてしまいます。親は子供と同じ立場を想像し、何故そのように子供が考えたのか、そして親の知恵を使って子供のためになる選択肢を広げてみてあげて下さい。

本当の思いやりとは相手の立場に立って考えることだと思います。自分の立場から相手を思いやるというのは思いやりという名の価値観の押し売りです。相手のためにならず、自分の価値観の押し売りになってはいないでしょうか?

糖質回避での病気の改善率

糖質回避で病気が改善しています。

アトピー性皮膚炎の改善率

アトピー性皮膚炎はかなり効果が期待出来そうです。現時点で7名の方が改善しています。

アトピー性皮膚炎は糖質回避をされている方は皆さん改善しています。今のところ糖質回避されてアトピー性皮膚炎が改善していない方はおられません。

アトピー性皮膚炎では糖質回避の有効率100%です。糖質回避の程度は糖質を少し減らす程度から完全回避まで様々ですが、糖質回避の程度に応じてアトピー性皮膚炎の改善と相関がありそうです。

この現時点でわかっていることは糖化産物原因説を支持します。

慢性蕁麻疹の改善率

慢性蕁麻疹に関してはお一人改善しています。糖質を減らし慢性蕁麻疹の症状が少し改善しています。お一人は糖質回避をされても改善していません。現時点での改善率は50%です。

お一人は改善していないのですが、糖化産物原因説がまだ正しいとすれば慢性蕁麻疹の原因となる糖化産物の半減期が長く減らないからかも知れません。糖質回避を続けることでこれから改善するのかも知れません。

2型糖尿病の改善率

2型糖尿病の方はお一人完全糖質回避をされました。結果は2型糖尿病が失くなりました
1人だけですので、改善率100%です。
万が一完全糖質回避で改善しなければこちらをご参照ください。

怒る必要のない子育て 勝手なことをしたら?

怒らないではなく、怒る必要のない子育てを提唱しています。

子供が予想外の勝手なことをした場合、子供を怒ってしまうのは良くあることです。少し考えてみて下さい。

誰が悪いのでしょうか?

お隣に持っていく手土産のシュークリームを父親が、トイレに行く少しの間テーブルの上に置いておきました。たまたま家に帰って来た子供がお腹が空いていたのでそのシュークリームを食べてしまいました。トイレから出てきた父親はテーブルの上のシュークリームが食べられていることに気づき子供を怒ります。

『何でお隣に持っていく大切なシュークリームを食べたの!』

少し考えてみてください。誰が悪いのでしょうか?

悪いのは…

正解は誰も悪くないでした。
誰も悪気があって行動しているわけではありません。誰かを陥れようとしているわけでもありません。
子供はお隣にお持ちする大切なシュークリームだとただ知らなかっただけです。知らないことを怒るのは可哀想です。
誰も悪くはありませんが、敢えていうなら今回の問題のきっかけ、隙を作った父親です。

そもそもトイレに行く少しの間に子供が帰ってくること、そしてシュークリームを食べることを想定しなかった父親の落ち度です。

想像してみて下さい。もし間違って子供が食べると死んでしまうかも知れない毒団子(鼠を殺す殺鼠剤というものが本当にありました。鼠がいないのでわからない人もいるかも知れませんね)だとしても、同じようにテーブルに置くでしょうか?

この場合父親の取るべき行動は?

子供がシュークリームを食べてしまう隙を無くすことです。

子供が間違って食べてしまわないように、食べないでとかお隣にお届けとか張り紙をしておけば良いでしょうか?

たまたま張り紙に子供が気づかずに食べてしまう隙がありますし、張り紙に気付いても子供が我慢するという子供任せの隙があります。
食べないように書いてあるのに食べたとして張り紙に従わないことを怒る場面も想像できますが、そもそも子供に食べるか食べないかを任せることに無理があります。
食べるか我慢するか子供に任せた時点でどちらを子供が選択しても、責任は親にあると思います。

隙を無くす

少しの間でも目の届かないところにあれば何が起こるかわかりません。トイレだから目を離すのは一瞬のつもりですが、たまたま電話がかかってきて他に気を取られてしまうとシュークリームのことを忘れてしまうことも十分考えられます。
そう考えると子供に我慢させるのもかわいそうですし、子供任せの隙も問題です。
隙を無くすにはそもそも子供の目に触れさせないことです。
シュークリームを目の届かないところに隠してしまうのです。目に触れてしまうと子供が食べるか食べないかを悩ませるという隙を生みます。そもそも目に触れなければ子供も我慢する、食べてしまって怒られるという嫌な思いをする必要がありません。

いずれにしても親が気を付けることで隙を無くすことができると思います。

罠を仕掛けていた?

穿った見方をすれば、父親がシュークリームを食べる隙を残して、子供が食べたのを見計らって怒る罠を仕掛けたようにも考えられます。罠を仕掛けたのでなければ、何故子供の目に触れる隙を無くさなかったのでしょうか?
そこまでは考えられなかったとと父親は言うのでしょうか?子供は知らなかったといっても一方的に怒っているのではないのでしょうか?

街中で見かける怒っている親を見ると、親の配慮不足だと感じることがよくあります。
食べるものをこぼして服を汚して怒っている親。子供がこぼしそうならこぼしにくい食べ方を前もって提案すれば良いことです。その提案をせずに怒っているのは罠を仕掛けて、罠にかかった子供を怒っているようなものだと思います。そして親はこぼしにくい食べ方を知っているけど、子供はこぼしにくい食べ方を知らないだけなのです。罠を仕掛ける前に教えてあげれば、お互い嫌な思いをしなくて良いと私は思います。それでも前もって教えないのであれば、怒りたいからわざと教えないという正に罠をしかけている心理が根底に潜んでいるのかもしれません。

父親の取るべき行動は

同じことを防止するためには、子供が食べる隙を無くすこと。子供の目に触れないように高いところに置くとか冷蔵庫にしまっておくなどの防止策を考えます。
念のために自分がうっかり忘れてテーブルに置いてしまった場合の保険に子供にも予防策を伝えておくのも一つの方法です。もしかしたらお隣の荷物を預かっているだけかもしれないから食べてよいかどうかを確認してから食べるようにしてねと伝えておくのです。
人に頼らず自分でできることは自分で気を付けて防止はするべきなのですが、更にうっかり忘れてしまった時に備えて、子供にもダメ元で確認するように伝えておくのです。
子供には食べてはいけないと禁止するのではなく、お隣に持っていくものを勝手に食べたらお隣の人が悲しいよね。困るよね。お父さんが困らないように助けると思って食べないでね。と同意を求めるのです。
禁止されると受け入れにくいのですが、同意を求めると自分のこととして受け止めるので自分で考えるように促すことができます。
ただしこのように伝えていても食べてしまった場合も怒ってはいけません。
もともとの隙を作ったのは自分なのですから。保険が効かなかっただけのことです。

もし子供の方が立場が強ければ

もし子供の立場の方が強ければシュークリームの対応は異なると思います。
親が勝手に食べたことを伝え怒ろうとした時点で
『そこに置いた人が悪いのでは?』
『シュークリームが食べてほしそうにおいてあったよ。』
『食べてはいけないのなら、何故見えないようにしてくれなかったの?』
と強く言われたらどのように伝えるのでしょうか?

別の場面を想像してみてください。もし相手が自分の上司でも同じ対応をするでしょうか?
いつも甘いものが目の前にあれば食べてしまう上司がいても、同じようにテーブルの上に無造作にシュークリームを置いておくでしょうか?

子供は親の奴隷ではありません。

子供は親が養っているからといって親の奴隷ではありません。(奴隷という言葉は頭を書き換えるきっかけとして意図的に使いました。)
当然本当に奴隷のように扱っているわけではありませんが、親の心理として子供は親に無条件に従うべき・従って当たり前と考えてはいないでしょうか?

自分の思い通りにならないだけで怒ってはいないでしょうか?
親が自分自身がわかっているから子供もわかっているはずと思い込んではいないでしょうか?
子供の立場にたって冷静に子供の話を聞いてみると、子供の言い分に一理あることもよくあります。親の先入観を取り除いて子供の言い分に耳を傾けるのです。
一方的に親の立場から怒るのは、養っているのだから自分に従って当然と思い込んでいないでしょうか?

怒らない方法を探してみましょう

何も子供に媚びろというわけではありません。
子供に気を遣えというわけでもありません。
ただ怒らない方法を探してみましょう

何も知らない子供の立場にたって考えてみれば、怒る必要はありません。
子供は何も知らないだけなのですから。知らないことを教えてあげればよいだけのことです。
怒るより叱るより諭すでよいのです。

勝手なことをしたら

実はタイトルの勝手なこととは子供がシュークリームを食べてしまったことではなく、父親が子供を怒ったことです。
勝手なこととは怒ることです。怒ることは感情を使って人を支配することが目的ですから、怒らない方法を考えることだと思います。
何故怒ってしまったのかを考え、怒らない方法を探すことです。

子供を怒る必要はありません。
必ず怒らなくても済む方法があるはずです。
子供には何が足らず、何故怒りたくなるのかを根本を遡って防止策を考えてみてください。

今回のシュークリームの話であれば、怒りたくなる根本はシュークリームをもう一度買いに行かないといけないからではないでしょうか?結局父親自身が困るから怒ってしまうのではないでしょうか?それならもう一度買いに行かなくても良いように、食べられないように隠してしまえば誰も困らないのではないでしょうか?

一度おこってしまったことは変えられません。
それならおこってしまったことを教訓に次に同じことを繰り返さない知恵を得ることです。
そうすれば怒る必要はないと思いますがいかがでしょうか?

アトピー性皮膚炎 究極の脱ステロイド療法?

アトピー性皮膚炎の究極の脱ステロイド療法を発見しました。

と言っても私が発見した訳ではありません。治療も薬もいりません。

糖質回避が究極の脱ステロイド療法?

単純に炭水化物を食べない糖質回避をしてみるだけです。しかも完全糖質回避をしなくても血糖値が上がりにくい食べ方をするだけで改善する可能性があります。お二人血糖値が上がりにくい食べ方でアトピー性皮膚炎が改善しています。

実際糖質を食べないあるいは減らすことでアトピー性皮膚炎が改善している方が6人おられますので、糖質が悪化因子の一つであるのことは間違いないと思います。

糖質回避で全員治るかどうかはまだわかりません

糖質回避で全員のアトピー性皮膚炎の方が改善するのかは、まだわかりません。

ただ御飯一膳なら問題なく、御飯をお代わりするとアトピー性皮膚炎が悪化し、おにぎり+パスタで顔が真っ赤になられた方がおられます。

薬を使わないので副作用の心配をしなくても良いのが最大の利点です。(炭水化物は食べなくても大丈夫です。)

脱ステロイド療法のついて

元々脱ステロイド療法は健康食品やその他のグッズ販売目的に、一部の業者が不安を煽って広まった一種の宗教のようなものです(アトピービジネス)。糖質回避教での脱ステロイドが広まると、不安を煽りたい業者さんは商売上がったりにらなるかも知れませんね。(今でもアトピービジネスがあるのかどうか知りませんが)

危険も金銭的負担もない脱ステロイド療法として糖質回避教が広まるといいですね。

問題論 誰の問題か区別する考え方

誰の問題か区別して考えましょう。
他人の問題に介入するのは例え親子・先生と生徒間であっても越権行為です。ましてや友達とはいえ他人の問題に口出しするのはトラブルの元です。

他人の問題に何らかの介入をしようとするから争いが起こります。

誰の問題かを区別する方法

誰の問題かを区別する方法は簡単です。
放置した場合、誰が困るかを考えるだけです。

最終的に困る人だけの問題ということです。

例えば子供が勉強しないと困るのは子供です。進学出来なくて困るのも子供です。高校に進学出来なければ働けば良いのです。勝手に親が高校に行かなければならないと決めつけるから、子供はどこか他人事で親が困ると勘違いするのです。子供は高校に行かない意味がわかりませんし、働く意味もわかっていないので他人事でいられるのです。

子供に自覚がなければ子供の困る仕組みを考えることです。勉強しないなら働いてねと伝えるだけで頭を書き換える一言になると思います。

他人の問題に口出ししない

親子であっても他人の問題に口出しをするべきではありません。他人の問題に口出しをするから争いを生じます。

自分が困らない問題に口出しをするのは越権行為です。意見や感想を求められた場合は別ですが、自分から感想を述べるだけでも議論が混乱するため他人の問題への口出しは控えるべきだと思います。

他人の問題に口出しをしなければ争いはかなり減ると思います。
争いの元をたどれば、他人の問題への口出しが原因だということはよくあります。

越権行為は気にしない

他人の問題に口出しをしてくる越権行為は気にしてはいけません。自分の問題ではない部外者の言うことですから、深く考えず無責任な思いを口にしているに過ぎません。そんな無責任な意見に当事者が振り回される必要はありません。

他人の問題の場合に言った意見と、状況が変わり自分の問題になった場合の意見が食い違うことも良くあります。他人事で考えたことと、自分の問題として考えたことでは考え方が違うのは仕方がないことです。このことだけ考えても他人の問題への口出しは控えるべきだとわかります。

例えば、子供が宿題をしない。
困るのは子供ですから、子供の問題です。
本来は子供の問題に親が口出しをすること自体が越権行為で問題なのです。
口出しするよりも子供が宿題をしなければ困ることを理解させることが大切です。宿題の意味を理解出来なければ、子供が困るように仕向けるのです。宿題をしなくて先生に怒られるなり、宿題を忘れて恥ずかしい思いをするなどです。

放っておくと自分が困る自分の問題だけ口出しするように心がけましょう。
私はアドラーの心理学から学びました。