怒らないではなく、怒る必要のない子育てを提唱しています。
子供が予想外の勝手なことをした場合、子供を怒ってしまうのは良くあることです。少し考えてみて下さい。
誰が悪いのでしょうか?
お隣に持っていく手土産のシュークリームを父親が、トイレに行く少しの間テーブルの上に置いておきました。たまたま家に帰って来た子供がお腹が空いていたのでそのシュークリームを食べてしまいました。トイレから出てきた父親はテーブルの上のシュークリームが食べられていることに気づき子供を怒ります。
『何でお隣に持っていく大切なシュークリームを食べたの!』
少し考えてみてください。誰が悪いのでしょうか?
悪いのは…
正解は誰も悪くないでした。
誰も悪気があって行動しているわけではありません。誰かを陥れようとしているわけでもありません。
子供はお隣にお持ちする大切なシュークリームだとただ知らなかっただけです。知らないことを怒るのは可哀想です。
誰も悪くはありませんが、敢えていうなら今回の問題のきっかけ、隙を作った父親です。
そもそもトイレに行く少しの間に子供が帰ってくること、そしてシュークリームを食べることを想定しなかった父親の落ち度です。
想像してみて下さい。もし間違って子供が食べると死んでしまうかも知れない毒団子(鼠を殺す殺鼠剤というものが本当にありました。鼠がいないのでわからない人もいるかも知れませんね)だとしても、同じようにテーブルに置くでしょうか?
この場合父親の取るべき行動は?
子供がシュークリームを食べてしまう隙を無くすことです。
子供が間違って食べてしまわないように、食べないでとかお隣にお届けとか張り紙をしておけば良いでしょうか?
たまたま張り紙に子供が気づかずに食べてしまう隙がありますし、張り紙に気付いても子供が我慢するという子供任せの隙があります。
食べないように書いてあるのに食べたとして張り紙に従わないことを怒る場面も想像できますが、そもそも子供に食べるか食べないかを任せることに無理があります。
食べるか我慢するか子供に任せた時点でどちらを子供が選択しても、責任は親にあると思います。
隙を無くす
少しの間でも目の届かないところにあれば何が起こるかわかりません。トイレだから目を離すのは一瞬のつもりですが、たまたま電話がかかってきて他に気を取られてしまうとシュークリームのことを忘れてしまうことも十分考えられます。
そう考えると子供に我慢させるのもかわいそうですし、子供任せの隙も問題です。
隙を無くすにはそもそも子供の目に触れさせないことです。
シュークリームを目の届かないところに隠してしまうのです。目に触れてしまうと子供が食べるか食べないかを悩ませるという隙を生みます。そもそも目に触れなければ子供も我慢する、食べてしまって怒られるという嫌な思いをする必要がありません。
いずれにしても親が気を付けることで隙を無くすことができると思います。
罠を仕掛けていた?
穿った見方をすれば、父親がシュークリームを食べる隙を残して、子供が食べたのを見計らって怒る罠を仕掛けたようにも考えられます。罠を仕掛けたのでなければ、何故子供の目に触れる隙を無くさなかったのでしょうか?
そこまでは考えられなかったとと父親は言うのでしょうか?子供は知らなかったといっても一方的に怒っているのではないのでしょうか?
街中で見かける怒っている親を見ると、親の配慮不足だと感じることがよくあります。
食べるものをこぼして服を汚して怒っている親。子供がこぼしそうならこぼしにくい食べ方を前もって提案すれば良いことです。その提案をせずに怒っているのは罠を仕掛けて、罠にかかった子供を怒っているようなものだと思います。そして親はこぼしにくい食べ方を知っているけど、子供はこぼしにくい食べ方を知らないだけなのです。罠を仕掛ける前に教えてあげれば、お互い嫌な思いをしなくて良いと私は思います。それでも前もって教えないのであれば、怒りたいからわざと教えないという正に罠をしかけている心理が根底に潜んでいるのかもしれません。
父親の取るべき行動は
同じことを防止するためには、子供が食べる隙を無くすこと。子供の目に触れないように高いところに置くとか冷蔵庫にしまっておくなどの防止策を考えます。
念のために自分がうっかり忘れてテーブルに置いてしまった場合の保険に子供にも予防策を伝えておくのも一つの方法です。もしかしたらお隣の荷物を預かっているだけかもしれないから食べてよいかどうかを確認してから食べるようにしてねと伝えておくのです。
人に頼らず自分でできることは自分で気を付けて防止はするべきなのですが、更にうっかり忘れてしまった時に備えて、子供にもダメ元で確認するように伝えておくのです。
子供には食べてはいけないと禁止するのではなく、お隣に持っていくものを勝手に食べたらお隣の人が悲しいよね。困るよね。お父さんが困らないように助けると思って食べないでね。と同意を求めるのです。
禁止されると受け入れにくいのですが、同意を求めると自分のこととして受け止めるので自分で考えるように促すことができます。
ただしこのように伝えていても食べてしまった場合も怒ってはいけません。
もともとの隙を作ったのは自分なのですから。保険が効かなかっただけのことです。
もし子供の方が立場が強ければ
もし子供の立場の方が強ければシュークリームの対応は異なると思います。
親が勝手に食べたことを伝え怒ろうとした時点で
『そこに置いた人が悪いのでは?』
『シュークリームが食べてほしそうにおいてあったよ。』
『食べてはいけないのなら、何故見えないようにしてくれなかったの?』
と強く言われたらどのように伝えるのでしょうか?
別の場面を想像してみてください。もし相手が自分の上司でも同じ対応をするでしょうか?
いつも甘いものが目の前にあれば食べてしまう上司がいても、同じようにテーブルの上に無造作にシュークリームを置いておくでしょうか?
子供は親の奴隷ではありません。
子供は親が養っているからといって親の奴隷ではありません。(奴隷という言葉は頭を書き換えるきっかけとして意図的に使いました。)
当然本当に奴隷のように扱っているわけではありませんが、親の心理として子供は親に無条件に従うべき・従って当たり前と考えてはいないでしょうか?
自分の思い通りにならないだけで怒ってはいないでしょうか?
親が自分自身がわかっているから子供もわかっているはずと思い込んではいないでしょうか?
子供の立場にたって冷静に子供の話を聞いてみると、子供の言い分に一理あることもよくあります。親の先入観を取り除いて子供の言い分に耳を傾けるのです。
一方的に親の立場から怒るのは、養っているのだから自分に従って当然と思い込んでいないでしょうか?
怒らない方法を探してみましょう
何も子供に媚びろというわけではありません。
子供に気を遣えというわけでもありません。
ただ怒らない方法を探してみましょう
何も知らない子供の立場にたって考えてみれば、怒る必要はありません。
子供は何も知らないだけなのですから。知らないことを教えてあげればよいだけのことです。
怒るより叱るより諭すでよいのです。
勝手なことをしたら
実はタイトルの勝手なこととは子供がシュークリームを食べてしまったことではなく、父親が子供を怒ったことです。
勝手なこととは怒ることです。怒ることは感情を使って人を支配することが目的ですから、怒らない方法を考えることだと思います。
何故怒ってしまったのかを考え、怒らない方法を探すことです。
子供を怒る必要はありません。
必ず怒らなくても済む方法があるはずです。
子供には何が足らず、何故怒りたくなるのかを根本を遡って防止策を考えてみてください。
今回のシュークリームの話であれば、怒りたくなる根本はシュークリームをもう一度買いに行かないといけないからではないでしょうか?結局父親自身が困るから怒ってしまうのではないでしょうか?それならもう一度買いに行かなくても良いように、食べられないように隠してしまえば誰も困らないのではないでしょうか?
一度おこってしまったことは変えられません。
それならおこってしまったことを教訓に次に同じことを繰り返さない知恵を得ることです。
そうすれば怒る必要はないと思いますがいかがでしょうか?