説明の上手な人と下手な人の違い 選択肢の提案

久しぶりに説明の上手な人と説明の下手な人の違いです。
選択を求める際に選択肢の提案の仕方で、説明の上手な人と下手な人の違いが如実にあらわれます。

説明の下手な人は選択肢だけを提案します。説明が下手な人に限って選択が遅いとイライラしたりします。実は自分の説明が下手なために相手が情報不足で選択に戸惑っているにも関わらず、イライラしているのです。選択を求められている人にとっては相手の説明が下手な上にイライラされるなんて災難な話です。
説明が不足している一番の問題は、自分が当たり前に知っていることだから相手が選択肢の内容を十分理解しているはずだと勘違いしていることです。相手が選択肢の内容を知らないということ自体に想像がつかないのです。結果として十分な情報を提供しないまま選択を求めるという、お互いにとって好ましくない状態に陥ります。

選択したとしても十分な情報を元にした選択ではないため、後悔することがあります。何より悩む時間が無駄になります。何故なら判断がつかない訳ですから、実際には悩む訳ではなく困っているのです。

説明の上手な人は選択を求める際に選択肢の提案をしますが、相手が戸惑った時点で説明を加えます。つまり悩むのではなく判断がつかず困っていることが理解出来るのです。説明が少し上手な人は選択肢の具体的な内容をそれぞれを説明します。選択肢の具体的な説明をしてもらえるので内容がわからず困ることはなくなります。しかしここから悩むのです。違いはわかってもどのように選択すれば良いのかわからず悩んでしまいます。

説明の上手な人は、選択肢の具体的な選択方法を教えてくれます。選択肢の違いだけを取り出して、相手が選択肢に求めるものを場合分けして提案してくれます。

具体的にはABCの商品があります。違いは性能に応じた値段です。割り切って最低限のことが出来れば良い、あるいは値段の安さで選ぶならCです。とにかく性能の良さで選ぶならAです。コストパフォーマンスを求める、値段と性能のバランスを求めるならBです。といった具合に選択の仕方も含めて提案するでしょう。

説明の上手な人は、話を簡潔にまとめることが出来るので、本来なら相手任せの選択を求める場合でも、早く答えを引き出すことが出来ます。実は説明の上手な人は、相手のためだけでなく自分のためにも上手に説明するのです。何故なら上手に説明することで無駄な時間を短縮することが出来るからです。相手が悩むのを待つことに意味はありますが、相手が困っているのを待っても何も生み出さないことを知っているからです。情報不足で選択出来ない困っている状態を速やかに解消してあげることが、お互いのためになることを知っているのです。

みんなが説明の仕方のトレーニングを受けると良いと思いますが、説明スキルの上達は残念ながら個人に任せられています。特に命に関わる選択を求める医師は、説明スキルの習得を義務付け、国家試験に導入しても良いのではないかとさえ思います。

選択肢の提案だけでなく、選択の仕方まで提案する説明の上手な方が増えて欲しいと私は思います。

糖質がやめられない 〜糖質中毒・依存症?〜

アトピー性皮膚炎やニキビは糖質回避をすることでかなり改善が期待できます。
そのことをお伝えしますが、糖質をやめられない方も多くおられます。糖質をやめるくらいで長年悩んだ病気が治るということに半信半疑ということも一つの原因だと思います。もし糖質が病気の原因かもしれないと信じてもらえたとしても、糖質をやめられない方も多くおられます。
病気を引き起こすことがわかってもやめられないのは、タバコによって病気になることがわかってもやめられないニコチン中毒・依存症の患者さんと全く同じです。

糖質中毒・依存症か見分ける極簡単な方法があります。強い空腹感があるかどうかです。糖質依存では、禁断症状として強い空腹感として現れます。その証拠に強い空腹感を何とか我慢していると、突然空腹感が薄れます。糖質依存の禁断症状を抜け出した瞬間です。糖質を自分の意思で避ける糖質回避をしていると糖質依存から抜け出すことが出来ます。糖質依存から抜け出すことが出来れば、禁断症状である強い空腹感はなくなります。

まだ糖質中毒・糖質依存の考え方は広まってはいないので対策は自分で意識して糖質をやめるしか方法はありません。いずれはニコチン依存症の治療薬のように糖質依存の治療薬が開発されるかもしれません。

もしかしたら糖質はタバコと同じように扱われる時代が来るかもしれません。タバコのように他人には迷惑をかけないので糖質を食べる際に隔離されることはないと思いますが、税金がかけられる可能性はあると思います。その根拠は過剰な糖質のせいで病気を引き起こしているため、糖質を食べた人間が糖質によら病気の医療費を負担する考え方です。

糖質をやめると病気が治るメリットを良く考えて、糖質の我慢と病気の我慢を天秤にかけてみると良いと思います。

糖質をなかなかやめられ無い方は、糖質依存であることを受け入れて、対策を考えられると良いと思います。糖質を少し食べると余計お腹が空く不思議な現象が糖質をやめることを妨げます。正に依存の特徴の一つである自己抑制が効かないことをあらわしています。対策は糖質の量を減らすのではなく、糖質を食べないようにする方が回避しやすいです。糖質を食べないと、少し食べると余計食べたくなる現象を避けることが出来るので、糖質回避がしやすくなります。糖質がやめられない方はお試しください。

ダイエットでも同じですが、糖質を減らすよりもいっそ食べない方が楽です。少し食べると余計お腹が空くので、理性で食べたい欲求を抑える必要があるからです。私は一年間糖質を減らすダイエットを行いましたがかなり苦労しました。我慢の連続でした。糖質をやめると我慢がなくなり、簡単でした。ちなみに糖質をやめること自体が想像出来ないのも糖質依存の依存性をあらわすものです。

糖質をやめられない人ほど糖質を減らすのではなく、糖質を抜くようにしてみることをお勧めします。

他にも糖質中毒・依存を上手に抜け出す方法を見つけたら記載したいと思います。

機械と人間の違い 説明書の有無


機械と人間との違いは数え切れないほど多くありますが、決定的な違いは説明書の有無だと思います。

機械は人間が作り出したものですから説明書というものが存在します。機械が予想外の反応をしてしまうことはありますが、人間が作り出したものですから調整は可能です。

一方で人間には説明書はありません。どのように生きると良いという説明書がないのです。ある種説明書のように活用されているのが宗教です。宗教は説明書の存在しない人間に、食べ物や生き方を提案しています。宗教が正しい説明書になりえないことは、いくつもの宗教があることがその証拠です。

宗教は信じている人にだけ通用する生き方よ説明書ののようなものです。元々宗教は合理的な考えに基づいて食べ物を制限したり、生活習慣を制限しています。合理的な考え方に賛同出来た人が信じたのです。

人間はどのように生きると良いのかわからないため、少しずつ知恵をつけながら手探りで生き方を探しているのです。説明書を作るためには私利私欲を含めた主観を取り除き、完全に客観的に人間の性質を把握する必要があります。完全に客観的になることが出来ないため、説明書が作ることが出来ないのだと思います。

人間の説明書はありませんが、説明書に記載しても良さそうなことは糖質回避です。糖質は人間の身体にとって最善の食べ物ではなさそうです。少なくとも糖質を主食として多量に食べることは、説明書には到底記載できそうにはありません。食べ物において探し当てたことは、糖質を食べ過ぎると様々な害を及ぼすということです。欧米では小麦が悪いという概念があるようですが、恐らく米やジャガイモ、トウモロコシを含めた糖質が病気を引き起こしていると思います。

人間にも真実が記載された説明書があると良いですね。

怒るのも怒られるのも元は勘違い

怒るのも怒られるのも元を辿ると何らかの勘違いが原因です。
例えば先日掲載した患者さんに怒る医師は、自分は怒ることが許される程偉いと医師が勘違いしていることが原因です。または怒る程真剣に患者さんのことを考えているという勘違いです。質問されると怒り出す医師の勘違いは、質問する内容が失礼だと医師が考えていることです。

残念ながら人間には他人の頭の中で考えていることはわかりません。どのように受け取られるのか予想することは出来ても、実際の相手の反応に前もって知ることは出来ません。何らかの勘違いを元にして、怒る反応をする人がいるのです。一番の問題は怒るあるいは怒られる原因が、勘違いだということが当事者にはわかっていないことです。

怒るあるいは怒られることが何らかの勘違いが原因だとわかれば、怒るあるいは怒られること自体が笑い話となることもあります。先ほどの怒る医師の話でみてみれば、怒ることが出来る程偉いと勘違いしていることがわかれば、笑うしかありません。(実際には確認することは出来ませんが、そう考えると辻褄が合う言動が他にもみることが出来ると思います。)

怒りの元の勘違いを見極める

怒るあるいは怒られる場面に遭遇したら、どんな勘違いを元に怒りを感じたのか、あるいは相手がどのような勘違いをしているのか考えてみてください。案外馬鹿らしい勘違いが元で怒りを感じていたり、相手が怒っていたりするものです。

自分は当然知っているべき常識だと思うことを相手が知らなければ、怒りを感じてしまうことがあります。その反対もあるかもしれません。相手が知らないことを怒っても意味がないことです。知らないのですから、そのことを怒っても理解する素養がないのです。知らないことは怒らず教えてあげれば良いのです。もし何かを知らないことが重大な結末に結びつく可能性があるのであれば、その重大な結末を教えてあげるのです。重大な結末をどのように責任を取るのか聞いてみることです。

諍いや争いの元も何らかの勘違いが原因です。相手が勘違いだと認める素養があれば、勘違いを教えてあげれば良いと思います。認める素養がなければ相手をしても無駄なので距離を置くことが最善の対策だと思います。この話はまた改めて。

質問すると怒り出す医師の心理

怒り出す医師の心理は以前書いてみましたが、今回は質問すると怒り出す医師の心理に特化して考えてみました。

プライドが高くわからないと言いたくないことを隠す目的で怒り出すか、自分の用意した説明を遮られるとどのように説明したら良いのかわからなくなることを避ける目的で怒り出すのだと思います。もしかしたら医師免許はお持ちでも頭の回転が早い訳ではないため、相手の質問に対応出来ないことを隠す目的で怒り出すのかもしれません。
いずれにしても患者さんに怒り出す医師の目的は自分の何かを守ることです。自分のプライドなのか、頭の回転が早くないことを知られないためなのかは人によって異なりますが、医師自身のために怒り出すのです。医師が不快に思うから怒り出すのでしょうが、患者さんのことを考えれば、不快だからといって怒るという選択は出来ないはずです。患者さん想いの医師であればいくら不快な質問をされたからといって患者さんを怒ることはしないはずです。つまり怒り出す時点で患者さん想いではないことが証明されたことになります。

恐らく質問されて怒り出す医師の多くは質問に答えていないと思います。つまり怒り出す一番の目的は質問に答えないことです。怒られた上に質問には答えてもらえないのですから、踏んだり蹴ったりです。怒られても萎縮せず、感情的にもならずに質問を繰り返し、怒り出すということはわからないということですか?と淡々と質問してみると良いと思います。怒り返しても意味がありません。
怒るという行為は優位に立っていることを示すだけのことです。怒り返したとしても患者さんが優位に立つことを認められません。もし言い返されなければ自分が正しいと更に勘違いしてしまいます。これまで勘違いを積み重ねた結果、患者さんを怒ることが出来るのです。怒ることで自分の弱点を隠すのです。決して自分の弱点と向き合うことは出来ないと思います。自分の弱点を隠すために怒り出すのですから。心理としては言い訳人間と同じような心理なのだと思います。失礼な質問をしたから自分は怒って当然だと自分に言い訳しているのではないでしょうか?失礼な質問だから答える必要はないと自分に言い聞かせているのかもしれません。

今回は質問されて怒り出す医師の心理を書いてみました。怒り出す医師に聞いてみたことはありませんが、大きく間違ってはないのではないかと思います。

対策は他の病院を探しましょう。質問しても向き合ってもらえない訳ですから、通う意味はありません。ましてや病気で悩んで受診しているのに、怒られるいわれはありません。怒られることに快感を覚えてしまうM気質な方以外は、他の病院を探しましょう。

ちなみ患者さんのことを心配する余り怒ってしまうというのは詭弁です。怒らない方法があるはずです。ましてや病気で困っているのは患者さんです。その困っている人を困らないはずの医師が怒るのは問題論の勘違いです。誰の問題かを把握できていないために怒り出すのです。
質問で怒り出す話とは少しずれますが、医師が困る問題だと仮定すればお金しか考えられません。再診してくれなければお金にならないから怒り出すのではないでしょうか?

もし医師に怒られてしまったら、怒り出した医師の心理に当てはまりそうな部分がないか考えてみてください。

様々な事情でどうしても通わざるを得なければ、このサイトを印刷して病院にそっと忘れて帰られてはいかがでしょうか?

知らぬが仏と知らなければ損の違い

知らぬが仏と言う諺があります。知ってしまったがために悩んでしまうあるいは困ってしまうという諺です。
反対に知らなければ損なことも多くあります。
知って困るのと知らなければ困る違いを考えてみました。

その違いを一言で表現すれば、判断出来るか出来ないかです。判断出来ることは知らなければ損ですし、判断出来ないことは知らぬが仏です。
そもそも知らなければ判断がつかないため、何事も知った上で判断するのが基本です。割引きセールや割引き条件など知らなければ損してしまう情報も、知らなければ活用することが出来ない仕組みも良くあります。お得な情報は知らなければ損です。
知らぬが仏と言われるのはどんなものか考えてみます。判断がつかない情報を知ってしまった場合に当てはまります。得られる情報をどのように判断するか想定した上で、聞くかどうか考えるのが一番です。

つまり判断がつかないことは知らぬが仏だと思います。知る前に判断出来ることか判断出来ないことか考えてから聞くかどうか考えるべきだと思います。

良くある話がアレルギー検査です。何事もなく食べているものをアレルギー検査してしまって、結果が陽性でどうしたら良いのか判断に困ると言う相談を受けることがあります。本来なら検査をした医師が検査結果の判断をして指導するはずですが、結果だけ渡して終わりという医師がいるようです。もしかしたら医師もどうすれば良いのか判断がつかないのに、検査料目当てで検査しているだけなのかもしれません。

食べていて問題のない食べ物は本来ならアレルギー検査をするまでもありません。食べて問題がないのですから、摂取試験で陰性です。しかしアレルギー検査をした結果が陽性だと、食べて良いのか不安になってしまうのです。

知る前にその情報の内容をどのように扱うか考えた上で、知るかどうか考えると良いと思います。

仮に全てのことが判断出来る人がいるとすれば、その人は知らぬが仏と思うことはありません。どのような情報であれ、虚偽の情報でさえなければ判断材料が更に増えるので積極的に情報を求めると思います。逆に判断出来ないことが多い人は、知らぬが仏だと思うことが多くあることになります。

多くのことを判断出来るようになるためには、出来るだけ多くの判断材料を前もって知っておく必要があります。

あることを知っても、現時点での自分のもっている判断材料では判断出来ないと思えば、知らぬが仏としてあえて知ろうとしないことが賢明かもしれません。

痩せると寿命が短くなる?

痩せると寿命が短くなるのではないかと心配される方がおられます。
その根拠は標準体重より少し肥満気味の人の方が、痩せている人より寿命が長いというデータに基づいています。元々標準体重は最も寿命が長くなる体重から導き出されたようですが、体重別に寿命を調べてみると寿命が長いのは標準体重より肥満気味の方が寿命が長いことがわかったそうです。
そのことを元に糖質を食べないことで痩せてしまうと寿命が短くなるのではないかと心配されるのです。糖質回避をしない言い訳にこのことを引き合いに出す人もおられます。痩せない言い訳に使う人もおられます。

標準体重より少し肥満気味の人の方が寿命が長いのは事実かもしれませんが、解釈を誤ると間違った方向に誘導されてしまいます。
人間は自分の意思である程度体重をコントロールすることが出来ます。その自分の意思でコントロールした体重か、意識せずに落ち着いた体重かで意味合いが異なると思います。自然に痩せてしまう人もいれば、自然に太ってしまう人もいると思います。自然に痩せてしまう人は何らかの基礎疾患があって痩せ気味なのかもしれません。太り気味の人は元々健康だからこそ太ることが出来るのかもしれません。病気で痩せた人と意識して痩せた人との区別がないまま、判断することは出来ないと思います。
肥満気味の人の方が有利なのは、心筋梗塞などの疾患で体力があるため乗り切ることが出来る可能性が高いことに起因するようです。肥満気味なことがいざという時の余力となるから寿命が長くなることが言われているようです。確かに心筋梗塞が起こってしまった場合には肥満気味の人の方が有利なのかもしれません。
しかし糖質回避をして血糖値が上昇しなければそもそも血管が障害されないため、心筋梗塞を起こしにくい可能性があります。

肥満気味の人の方が寿命が長くなるので痩せなくて良いということは、痩せないための言い訳でしかないのかもしれません。

自分の意思で痩せると寿命が短くなるのだとすれば、その理由は私には思いつきません。自然と痩せてしまうと寿命が短くなるのは、痩せてしまう何らかの理由が寿命を短くする可能性があることを想像するのは難しくないことです。痩せてしまう理由としては消化器系の問題や内分泌系の問題、あるいは精神的な問題がベースにあるのかもしれません。

体重を意識して減らし標準体重以下にした人の寿命と元々標準体重以下の人の寿命の比較や、標準体重以上の人の寿命との比較が無ければ痩せていることが危険なのか、痩せることが危険なのかわからないと思います。

確か動物実験ではカロリー制限した方が寿命が長くなるので、人間でもカロリー制限である糖質回避する方が寿命が長くなると私は予想しています。
糖質回避することで血管を障害する危険性は減るので、寿命は長くなる可能性が高いと思います。
実際には糖質回避した人達が寿命を迎える結果が出るまでわかりませんが、身体にとって血糖は有害なのでその血糖値を上げる糖質を食べない方が糖質を食べるより寿命は長くなるのではないかと考えられます。

糖質を食べるか回避するかはどちらを信じるか宗教のようなものです。
私は糖質を避けることの出来るときは回避する糖質回避教を信じています。

皮膚疾患は糖質食べ過ぎのメッセージ?

ある種の皮膚疾患は糖質食べ過ぎを知らせる身体からのメッセージなのかもしれません。

ある種の皮膚疾患とはアトピー性皮膚炎やニキビです。他にもあると思いますが、アトピー性皮膚炎やニキビは糖質を食べ過ぎると比較的短期間で症状が悪化するようです。アトピー性皮膚炎では糖質を食べ過ぎると翌日には症状が悪化するようです。糖質を食べ過ぎると翌日には症状が悪化することは何人かで確認しましたのでどうやら間違い無さそうです。ニキビでもお一人ですが、食べ過ぎると翌日新しいニキビが出来ると言われる患者さんがおられました。

ニキビはまだはっきりとはわかりませんが、アトピー性皮膚炎は食べ過ぎると翌日には悪化するようです。

翌日には症状が出ることから、症状が悪化した時点で1日前までの食事で糖質を食べ過ぎていないか振り返ると良いと思います。食べ過ぎた覚えがあれば、次からその量を食べないように気をつけると良いと思います。それだけで症状を悪化させることを抑えることが出来るのです。

アトピー性皮膚炎の症状の悪化は、糖質を食べ過ぎたという身体からのメッセージだと解釈するとわかりやすいと思います。

アトピー性皮膚炎は自己調整出来る病気

恐らく糖質を食べなければアトピー性皮膚炎の症状は出ないと思います。糖質をやめることが出来る人はそれが一番の近道だと思います。糖質を食べながらアトピー性皮膚炎と付き合う付き合い方として、症状の悪化を身体からのメッセージとして解釈する考え方をお勧めします。食べ過ぎの量を体感することで、次から食べ過ぎないように気をつけることが出来ると思います。つまりアトピー性皮膚炎はいつ悪くなるかわからない疾患だった時代から、糖質を食べる量によって自己調整出来る病気になる時代が来るということです。

糖質を我慢するのか、アトピー性皮膚炎の痒いのを我慢するのか選ぶことの出来る時代が来ると思います。

アトピー性皮膚炎を治す方法の一つとして理解してもらえると幸いです。ニキビも食べ過ぎると翌日悪化するのであれば、アトピー性皮膚炎と同じように身体からの糖質食べ過ぎのメッセージとして解釈出来るかもしれません。

もしかしたら尋常性乾癬や尋常性白斑、円形脱毛症などの皮膚疾患も糖質食べ過ぎのメッセージなのかもしれません。糖質を食べ過ぎると短期間で症状が悪化するのであれば、アトピー性皮膚炎と同じように解釈出来る時代が来るかもしれません。

赤ちゃんがお風呂で泣く様々な理由

赤ちゃんをお風呂に入れると泣いてしまうことが良くあります。その理由を考えてみます。一言で言い表すと赤ちゃんは慣れない感覚に驚いているのだと思います。泣かさないためには、驚かさないように気をつけると良いと思います。

裸にしてすぐに泣いてしまう赤ちゃんは、服に覆われていることに慣れている赤ちゃんです。その服が脱がされると不安になってしまうため泣いてしまいます。対策はすぐにタオルをかけて肌に触れさせてあげましょう。タオルをとると泣いてしまうようならタオルのままお風呂に入れても良いと思います。

お湯をかけると泣いてしまう赤ちゃんは、お湯の温度に驚いているのかもしれません。水そのものに驚いているのであれば、自分の手を少し濡らして赤ちゃんを撫でて慣らすと良いかもしれません。お湯の温度に驚いているのであれば体温前後の温度のお湯をかけると良い対策になると思います。他にはお湯の勢いに驚いてしまうこともあると思います。ゆっくりかけるようにしてあげると良いと思います。

お湯につけると泣き出す場合には、お湯の温度に驚いてしまうこともありますが身体を支えられていない感覚に驚いてしまうのかもしれません。泣かさないためにはお湯の温度は赤ちゃんの体温より少しだけ高いくらいがオススメだと思います。それだと身体が温まらないので、お風呂に入ってから少し追い炊きしてお風呂の温度を上げると良いと思います。身体を支えられていない感覚の対策は、身体が水の中に浮いた状態をなくすことです。突然重力が感じられなくなって混乱してしまうのだと思います。対策はすぐに足や背中を支えてあげることです。ベビーバスなら赤ちゃんの足や背中をお風呂の床につけても良いと思います。一緒に湯船に浸かっているのであれば、自分の胸やお腹あるいは足に赤ちゃんをのせてあげることです。そうすることで赤ちゃんの不安が減るため、泣きやみます。一つの対策としてはしっかり抱きしめ赤ちゃんが安心したまま、お風呂にゆっくり浸かるのも赤ちゃんが驚かないので良いかもしれません。

お風呂にしばらく入ってから泣き出すのは、熱いのか寒いのか、喉が渇いてきたのかもしれません。赤ちゃんの立場になって熱くないか寒くないかを考えてみてあげることです。泣いている理由が見当たらなければ、喉が渇いたのか疲れたか眠くなったのかもしれません。いずれにしてもそろそろお風呂から出たい合図と考えてお風呂から上がりましょう。

赤ちゃんがお風呂で泣くのは様々な要因があると思いますが、根本は赤ちゃんにとって不快だからだと思います。熱い寒いなどの身体的なものから不安を元にした不快まで様々です。結局赤ちゃんにとってお風呂が未知の世界だから不安で泣いてしまうのだと思います。不安を取り除くようにしてお風呂に慣れさせてあげるのが泣かさないコツだと思います。

新聞の折り込み広告でふと思う

新聞の折り込み広告でふと思います。
新聞は要らないけど、折り込み広告は地域の情報源として一定の意味があるのではないかと。
かと言って折り込み広告を得るために、インターネットで手に入る新聞記事に月に何千円ものお金を出すのはもったいない気がします。でも折り込み広告は欲しいとは思います。
新聞の定期購読をやめる人もいる時代、新聞販売店の事情も含めて一つの案を考えてみました。
折り込み広告だけ欲しい人と定期購読の減る新聞販売店の両方が得をする案です。
解決案とは折り込み広告だけ無料で配達してもらうという案です。(折り込む新聞がないので正確には折り込み広告とは言えませんが) 無料で配達してもらうのですから契約は必要ありません。契約の代わりに、無料配達を希望する家庭はポストにシールをはって折り込み広告希望の意思表示をするのです。要らないと思えばシールを剥がせば良いのです。配達員もシールのある家だけ配れば良いのでそれ程負担にはならないと思います。一軒家のポストを全て見て回るのは無理なので、マンションなどの集合住宅だけ出来るサービスかもしれません。新聞販売店は折り込み広告の配達件数が増えるメリットがあります。

インターネットで新聞記事が無料でリアルタイムで手に入る時代なので、残念ながら新聞配達のシステムはいずれ無くなってしまうと思います。私には新聞配達がインターネットに打ち勝って生き残る策は思い付きません。その無くなるまでの期間を少しくらい延長する延命効果は期待できるのではないかと思います。

どれだけ折り込み広告だけの希望があるかわかりませんが、販売店にとっても配達件数を稼げるのでお得ですし、配達員も集合住宅だけであれば負担は最小限で済みますし、無料で折り込み広告がもらえる家庭もお得です。三方よしの策だと思いますがいかがでしょうか?

何より新聞をとらずに折り込み広告が手に入ると面白いと私は思いました。