常識が正しいとは限らない

誰もが当たり前だと思うこと、それが常識です。
当たり前なのですから、通常誰も真偽を疑うことはありません。
そして常識以外のことを考えなくなります。常識が正しいのが当たり前で常識以外に正しい訳がないと思うのです。
しかし常識が正しいとは限らないのです。常識が覆ることは良くあるのです。
まだ知らない方もおられるかもしれませんが、例えば傷口の消毒が当たり前でしたが、傷口の消毒はしない方が明らかに治りが早いです。
糖質の害がこれだけ明らかになってくれば、糖質を主食として食べるという常識も間違っているのではないかと思います。少なくとも糖質の食べ過ぎの症状が出た方は、糖質を主食として食べるという常識が間違っているようです。
赤ちゃんには紙オムツが常識ですが、オマルですることを促すと赤ちゃんもオマルで排尿・排便が出来るようです。つまり赤ちゃんにはオムツという常識が間違っているようです。必ずオムツにしなければならない訳ではなさそうです。

日本人の常識であるお米を食べるということが間違っているのであれば、他にも常識の方が間違っていることがあるのかもしれません。まずはどれだけ当たり前のことでも真偽を疑ってみることです。その結果どんな常識革命が待ち構えているか楽しみですね。戦争が無くなるような常識革命が起こるといいですね。

言い訳人間の見分け方

言い訳人間とはいつも言い訳する人の心理で書きましたが、何事も言い訳することで逃げ出そうとする人のことです。
言い訳をする人は自分の責任から逃れることが目的であるため、次に生かすということはありません。如何に責任逃れをするかしか考えられないので、残念ながら成長することもありません。
自分の責任だと認める概念がないので、いくら言っても時間の無駄です。

できることはできるだけ早く言い訳人間を見分けて、できれば相手にしないことです。
見分け方は簡単です。
問題を指摘し、どうするかを聞いてみることです。
言い訳人間はそれらしい理由を探します。つまり言い訳から始めるのです。
今後どうするか改善策を考えることはありません。何故なら自分の非を認めなければ改善策を考えることができないからです。
言い訳人間でなければ、すぐに改善策を探します。
原因を探ったところでタイムマシンで過去に戻ることができるわけではありませんから、原因そのものに意味はありません。

言い訳人間は自分の責任から逃れることが目的で言い訳をします。改善策まで考える余裕はないと思います。
言い訳人間でなければ、改善することが目的です。自分の責任から逃れる必要がないので、改善策を探すことに専念できるのです。

自分から理由を説明するのは言い訳人間の証拠です。
求められてもいない理由を自分から説明しようとする目的は言い訳だからです。
言い訳を避けるためには、何故問題が起こったのか相手から聞かれた時点で初めて理由を説明するのが良いと思います。

飾り消費は見栄消費と贅沢消費

先日実消費と飾り消費について書きました。
消費には飾りを削ぎ落とした最低限の消費である実消費と様々な付加価値のついた飾り消費に分けることができるという考え方です。
様々な飾りがつくことで楽しく感じたり魅力を感じたりするようになっており、その満足感に対してそれなりの対価を払うようになっています。

今回は飾り消費を更に二つに分けてみます。
見栄消費と贅沢消費です。この二つは重なる部分もあり、見栄消費でもあり贅沢消費でもあるということもあります。
見栄消費とは人に見られることを前提とする自慢の意味を含む消費のことです。
本人が意識しているか無意識しているかは別として人に見られるところでの消費は、見栄消費の一面があります。人に見られるから高いものを選んでしまうというのは見栄消費の典型的なものです。
腕時計やネックレスなどの身に着ける装飾品は見栄消費の一面があります。
年収1000万の人が、自分は年収が高いのだから高級車に乗らないといけないあるいは恥ずかしいと考えるのも典型的な見栄消費です。
贅沢消費とは人に見られることを前提としない、自己満足の消費のことです。
人に見られない自宅のソファーなどに高級なものを買うのは自己満足ですから贅沢消費です。しかし人を招いてソファーを人に見せることが前提であれば、それは見栄消費でもあります。

自己満足である贅沢消費は自分自身で満足感を得るという意味がありますが、見栄消費は人に見られることを前提としており、人がどう思うかを勝手に先読みして消費するのであまり意味がないように思います。
人に見られるものに高いものを使う深層心理には見栄消費の一面があるのではないでしょうか?

よほどお金に余裕のある方は見栄消費も贅沢消費をしても問題ないと思いますが、普通の人が見栄消費や贅沢消費をしていると気が付いたときにはお金がないということになりかねません。自分の消費が実消費なのか見栄消費なのか贅沢消費なのかよく考えてみましょう。

実消費と飾り消費

消費、つまりお金を使うことには二つあります。
実消費と飾り消費です。
実消費とは必要最低限の消費を表します。
食事では身体を維持することを目的とした食事のことです。
美味しいとか楽しいということはそぎ落とした、栄養補給としての食事です。
他にも衣食住という言葉がありますが、衣料に関しても人に不快感を与えない程度の最低限の衣服を身にまとうことを表します。住まいに関しても広い狭いに関わらず、雨露がしのげることを表します。

実消費に快適性や楽しみという飾りを施すことで、より魅力的に見える商品になるのです。
飾りをそぎ落としたものが実消費です。

飾り消費には、明確なメリットを生み出すことを含みます。
例えば時間が短縮できる・便利になるなどの明確なメリットを生み出す場合です。
時間短縮は飾りでもありますが、限られた時間を有効に使うという意味では実消費でもあります。飾りの中には実消費と曖昧な部分もあるのです。
例えば東京大阪間を移動することを想像してみてください。
移動するというだけであれば、鈍行列車、自家用車、新幹線、高速バス、飛行機などが考えられます。
移動という観点だけで見れば実消費は鈍行列車や一般道を走っての自家用車での移動を表します。実際には自分の時間価値を考えると、移動時間が長くなることは移動費よりも時間の損失が大きくなるため、現実的な実消費は新幹線、高速バス、飛行機での移動と言い換えることができます。これらの中で飾り消費を表すと、新幹線でいえばグリーン車、高速バスや飛行機での特別席も飾り消費です。移動時間は変わらないにも関わらず、座席の快適性という飾りをお金を払って手に入れるのです。
時間短縮という明確な違いがあれば、それは飾りか実かは人によって違うということがいえます。学生のように時間はたくさんある人にとっては、時間を短縮できることには実消費としての価値が乏しいのです。逆に1分1秒を争うような時間の使い方をしている人にとっては、時間を短縮できることはどんなことをしても手に入れたい実消費といえます。これは人によって時間密度が異なることに起因すると思います。

別の例えを考えてみます。
サービス業を考えてみます。
至れり尽くせりの接客をするのが当たり前の業態として標準となっていると、それが実消費です。しかしある企業が工夫を凝らして飾りをそぎ落とすと実だけが残るため実消費となります。接客することが飾りであることがわかるようになるのです。
そもそも外食自体が飾りではありますが、その議論は別として、外食するとしたらと考えてください。

ステーキを食べることを考えた際、通常は席に座って注文を聞いてもらってステーキが運ばれてきます。これが当たり前でした。少し前まではステーキを食べることに関してはこれが実消費だったのです。飾り消費とは神戸牛や松阪牛などの高級和牛を使ったステーキであったり、ホテルなどの付加価値を表していました。
そんな中でステーキを食べてもらうという実だけを残し、飾りを削ぎ落としたのが『いきなりステーキ』です。いきなりステーキではカウンターでお肉の種類と焼き加減を伝え、焼けたお肉をセルフサービスで自分で席に運び、立ち食いで食べるスタイルです。いきなりステーキが表れたことで、注文を取る、料理を運ぶ、座って食べるということが飾りであることが浮き彫りとなりました。

他の例では様々な分野で俺の株式会社が飾りを削ぎ落とした飲食店を生み出してくれました。
ホームページを拝見する限り、俺のイタリアン、俺のフレンチ、俺のやきとり、俺の割烹など多数の業態で繰り広げられています。
飾りを削ぎ落とすことで実際にイタリアンを食べてもらうのに必要なこと、フレンチを食べてもらうのに必要なことなどそのお店ごとで実だけを残し、飾りを取り除いていくとあの業態に落ち着いたようです。飾りを取り除くことで経費を節減し、食材の質を上げています。回転率をあげることで利益を確保しています。私は俺の株式会社は『利益は企業の為ならず』を実践されている企業ではないかと思います。何故なら、俺の株式会社はスタッフの給料も多く払っているとのことです。スタッフも一定の収入を確保した上でお客さんに美味しいものを数多く提供するという理想を実現するために、運営資金として利益を確保しているように思います(実際には利益を追い求めているのかもしれませんが、少なくともお客さんを喜ばせる方向にぶれがないので、躍進できているのだと思います。)
飾りを徹底的に排除することで、驚異的な値段設定を実現しているようです。
このことからイタリアンやフレンチであっても座って食べるということは飾りであることが証明されました。座って食べるということが贅沢だという価値観を提供してくれたのです。

いきなりステーキや俺の株式会社ができるまで、ステーキは座って食べるもの、イタリアンやフレンチも座ってゆっくり食べるものということが最低限の実消費でした。
飾りを削ぎ落とす業態が表れたことで、接客してもらうことは飾りだったのだと消費者を気づかせてくれたのです。
飾り消費がしたい人は今まで通りステーキハウスやホテルに行ってステーキを食べるでしょうが、ステーキを食べたいだけの人は飾りのないいきなりステーキを選ぶことになるでしょう。イタリアンやフレンチはゆっくり食べるという飾りも必要だと考える人はこれまで通りの業態のお店に行くことでしょう。
飾りはいらないという人は飾りのないお店を選ぶ傾向にあります。

お寿司もどんどん飾りがなくなっていきつつあります。
回転寿司という業態が一般化した現在、通常のお寿司屋さんは雰囲気や高級な食材を楽しむことができるという意味で飾り消費です。
お寿司を食べるということで考えると回転寿司が実消費ですが、回転寿司の中でも注文を店員さんが聞くというのは飾りかもしれません。決まった内容を受けるだけであれば、タッチパネルで充分です。回転寿司と銘打っていますが、すべてタッチパネルの注文で作る回転寿司屋さんも出てきました。

いきなりステーキや俺のフレンチなどの例でわかるように、人は飾りがなくなったことで初めて飾りだったと気づくことがあります。
いずれにしても飾りだと気付くことができるのは比較することで初めて気づくことができます。
消費する際にこれは実消費?飾り消費?と考えるようにしてみると良いかもしれません。
今飾り消費をする余裕があるのか?飾りの意味があるのか?を考えてみるとよいのかもしれません。
先日書いた『お金の貯まる人とお金の貯まらない人の違い』で書いた違い、持っているお金によって買うものが変わる人の場合お金が貯まらない傾向にありますが、買うものは飾り消費をしている傾向にあります。言い換えるとお金の貯まる人は実消費、お金の貯まらない人は飾り消費をしているのではないでしょうか?
飾り消費をなくしていくだけでお金の使い方が変わってきます。まずは飾り消費を意識することからはじめてみましょう。

次は飾り消費を見栄消費と贅沢消費に分けてみたいと思います。

五感を育てるおむつなし育児

以前お伝えした子育ての常識革命の続きです。
オムツではなくオマルやトイレで排尿・排便することを提案しています。
当サイトの記事は以下の通りです。
首が座ったらトイレトレーニング
赤ちゃんはオムツという常識を疑う

偶然図書館で参考になりそうな本を見つけました。非常に理にかなっていると思います。
既に本として出版されていますので、詳しく知りたい方はご購入をお勧めします。

ちなみにこのような情報はテレビでは放送してくれません。
何故ならスポンサーであるオムツメーカーが嫌がるからです。
テレビは視聴者へ有意義な情報を届けることが目的ではなく、利益をあげることが目的です。
利益が目的なのでお金を払ってくれるスポンサーの意向に沿わない放送は行ってくれないのです。

凄く参考になりそうなので私はこの本をAmazonで注文しました。
良かったらご購入ください。

お金の貯まる人と貯まらない人の違い

お金の貯まる人と貯まらない人の違いを考えてみました。
私は典型的なお金の貯まらない人でした。今はお金の貯まる人になりました。両方を経験したからこそ、その明確な違いがわかりました。

持っているお金の額によって生活が変わるか変わらないか

当たり前かもしれませんが、お金が貯まるか貯まらないかは、持っているお金で生活が変わるか変わらないかです。誰でもお金が多くあるとそれなりに使ってしまいがちですが、お金の貯まる人は極端にはお金の使い方が変わりません。お金の貯まらない人はお金があると使い方をあれこれ考えてしまいます。お金があると使い方が変わってしまう人は、お金が貯まるとお金の使い方を考えてしまうのですから、そもそもお金が貯まる訳がないのです。

お金の貯まらない人はあるお金をどう使うかを考えてしまいます。お金の貯まる人は今あるお金の額に関係なく、最低限何にお金が必要かをまず考えます。

お金が貯まる人になるためには、今あるお金の額によって生活を変えないようにすることです。

収入が増えたから良い車に乗って、収入が増えたから良い所に住んでというような考え方をしていると残念ながらお金は貯まらないのです。

確かに多くの人は少しでもより良い生活をしたいと考えがちですが、ある調査ではより良い生活をするとは周囲の人達と比較してより良い生活をすることを意味するそうです。人は無意識のうちに人と比較することで、良い生活を目指すようになるそうです。厄介なのが収入が増えると、比較するのが同レベルの収入の人達に変わってしまうことです。だから収入が増えても満足することはありません。収入が少ない時から考えると夢のような生活をしていても、周囲の人達と比較してしまうとまだまだだと考えてしまうのです。

人との比較をやめて、現時点の収入で無理のない生活を基準にして、お金があっても生活を変えないようにするのです。もし可能であれば想像出来る最低限の生活費での生活をすることを基本とするのです。別のページに書く予定ですが、最低限の物の値段に対して付加価値をつけて高く売ることを考えています。付加価値とは言わば飾りという贅沢です。お金があると飾りに憧れてしまうのです。飾りにお金を使わないように心掛けるとお金を使わないようになります。

給料やボーナスが出たから奮発するというのは危険な兆候です。良かったらご参考まで。

赤ちゃんや子供が天才と言われる理由

赤ちゃんや子供が天才という考え方があります。私もその通りだと思います。みんな天才として生まれ普通の大人になっていくのです。天才で生まれた子供は周りの大人から天才の芽を摘み取られ普通のヒトに育つのです。

ごく稀に存在する飛び抜けた本当の天才は、周りの大人の言うことに耳を傾けることなく独自の育ち方をします。周りの大人が天才の芽を摘み取ることなく天才ぶりを引き延ばすことが出来ると、天才のまま大人になることが出来、比類なき才能を発揮出来るのです。例えばエジソンは小学校に馴染めませんでしたが、理解ある母親が天才の芽を摘み取ることなく育て、比類なき才能を開花させました。

赤ちゃんや子供の天才ぶりを大人が理解出来ない理由の一つに、赤ちゃんや子供に何も出来る訳がないという思い込みがあります。
例えば赤ちゃんもトレーニングすればオマルで排尿・排便出来るようになりますし、赤ちゃんのうちから嘘を上手につくのです。出来る訳がないと思い込んでいると試したり疑ったりすることがないのです。トイレトレーニングなんて出来る訳がないと思い込んでいるので、赤ちゃんの仕草を見逃してしまうのです。赤ちゃんが嘘をつくなんて想像すら出来ないので、赤ちゃんの嘘に振り回されるのです。
赤ちゃんや子供は大人のように言葉で意思を伝えることが出来ないだけで、大人と同じように考えています。むしろ常識にとらわれない(まだ常識を身につけていないだけです)自由な発想なので、大人よりも素直で直感的、場合によっては理にかなった合理的な考え方をします。大人は何事も常識という目に見えないフィルターを通して見てしまうので、物事の本質をつかめないことが良くあります。例えば糖質の害は明らかですが、大人は長年主食として食べていた常識にとらわれて受け入れられない人が大勢います。しかしこれまで生きている期間が短い分、常識に染まっている時間が短いので、子供だと案外簡単に糖質の害を受け入れることが出来るかもしれません。(頭での理解という意味で理屈に従って糖質がやめられるかどうかは別問題ですが)。

子供は何事を考えるにも全く先入観にとらわれることがないので、発想が無限に広がるから子供はみんな天才と言われるのです。
ヒトは常識という知恵と引き換えに、少しずつ天才としての才能を封印していくのかもしれません。

特に発明の分野では、常識にとらわれない子供の自由な発想が天才ぶりを発揮出来るかもしれません。何か困ったことがあると、子供の自由な発想をヒントに発明すると思いがけない物を作ることが出来るかもしれません。

子供の頃のように自由な発想を出来るように、常識にとらわれることから抜け出す方法は、常識革命の起こし方をご覧ください。

赤ちゃんも嘘をつく?

おサルさんも嘘をつくことを知っていますか?
ある種のおサルさんは敵が来たという鳴き声を上げて仲間を逃げさせて、その間にエサを独り占めしてしまうそうです。つまり嘘の鳴き声で仲間を騙してエサを独り占めするのです。しばらくして戻ってきた仲間は独り占めしたおサルさんを責めることはないそうです。(参考文献:現実を生きるサル、空想を語るヒトより)
つまりおサルさんも嘘はつけますが、嘘を見破る知恵があるのは人間だけということのようです。

そして赤ちゃんの嘘ですが、赤ちゃんは嘘泣きをします。
本当は泣くほどではなくても試しに泣いたふりをしてみるのです。
少し鳴き声を上げるというのが嘘泣きで、涙が出ないことが多いで空泣きとも言い換えることができるかもしれません。
赤ちゃんが嘘泣きする目的は抱っこしてほしい、相手をしてほしいなど寂しい思いをしている際に抱っこや相手をしてもらうために嘘泣きをすることが多いようです。嘘泣きで相手をしてもらえれば満足しますが、嘘泣きで相手をしてもらえなければ本気泣きになってしまいます。

おサルさんでさえ嘘をつくのですから、赤ちゃんが嘘泣きをしても不思議でもなんでもありません。

赤ちゃんや子供の嘘に罪はありません。
嘘があって当たり前として、大人が更に人間としての知恵をつければ良いだけのことです。

赤ちゃんが嘘をついてまで相手をして欲しがるなんて可愛いではありませんか。
ただ寂しい思いをさせてしまっていることを考えて、赤ちゃんの相手の仕方を変えてあげるとよいかもしれませんね。

過去は責めても仕方がない 過去の上手な使い方

既に起こってしまった過去は責めても仕方がありません。何故なら時間は一方向にしか流れず過去には戻れないからです。タイムマシンが発明されない限り過去を責めても意味がないのです。

そのため起こってしまったことの理由を聞いても意味がありません。理由を聞いても嘘をついたり本心を隠したいからです。それらしく聞こえることを探し出して言い訳として理由を言うだけのことです。その話の中の嘘に注意しながら過去のことを聞いたとしても、過去には戻れないため何も意味がないのです。

過去の上手な使い方は、過去の失敗や成功を教訓として未来に活かすことです。
過去を責めても過去に戻ることができるわけではなく、取り返しがつかないので意味がありません。タイムマシンを持たない私たちにできるのは、過去を責めるのではなく過去を次に生かす教訓とすること、未来に活かすことです。
過去を責めても、過去をやりなおすことが出来ません。取り返しがつかないものにこだわっても時間の無駄です。責めるのではなく次に生かす教訓とするため、過去の問題点から改善策を学び取るのです。

例えば21世紀のアトピー性皮膚炎の対処法で書いたように、糖質を食べすた結果アトピー性皮膚炎が悪化しますが、糖質を食べたことを責めても意味がないのです。過去には戻れないからです。どの程度食べたのかを思い出すことで、次からその量を食べないという改善策として生かすのです。

別の例えでは戦争という過去は責めても仕方がないことです。
過去は変えられないのですから。戦争は何も生み出しません。価値あるものを破壊し、世界の力関係が変わっただけでしかありません。人類全体で見ると何も生み出しておらず、多くの物が破壊され、多くの人の命が失われてしまいました。戦争を責めても仕方のないことです。
しかし戦争に至った経緯を検証することで、二度と再び戦争をしない知恵を得ることができるのではないでしょうか?

身近な例え話では子供が言いつけを守らなかったことを責めても意味がないのです。何故なら過去には戻れないからです。何故言いつけを守らなかったのかを聞いても本当のことは言わない可能性があります。言いつけを守らなかった事実を元に、どうすれば言いつけを守れるようになるのか今後を話し合えばいいのです。その場合には目的論の考え方を導入すると問題解決が簡単に行えます。いずれにしても言いつけを守らなかったという起こってしまったことを怒っても何も生み出しません。子供が言いつけを守らなかった目的を聞いて、どうすればよいのか改善策を相談することが正解だと思います。

過去の上手な使い方を考えてみましょう。

子育ての常識革命 首が座ったらストローを

子育ての常識革命を提案しています。
以前は首が座ったらトイレトレーニングを提案しました。実現するとオムツやお尻拭きの消費量が格段に減るので、オムツ代やお尻拭き代が節約できます。お母さんも頑張りがいがある子育ての常識革命です。

今回提案するのは首が座ったらストローを試してみることです。
トイレトレーニングほどの常識革命ではありませんが、ちょっとした違いになります。ストローで吸うことができるようになれば、外出が非常に楽になります。
生後6か月から使えるストローがこちらです。

普通のストローで試しても良いのですが、ストローを吸ってもなかなか吸えないのが現状です。
そのため赤ちゃんがストローを吸ったことと、中身が吸えることの因果関係がわからないためトレーニングしにくいのです。

この商品が画期的なのはボタンを押すことでストローの口元まで中身が満たしていることです。吸うアシストができるのです。ちょっとでも吸うと中身が出るので因果関係がわかりやすく、トレーニングにうってつけです。非常に理にかなった商品だと思います。
商品説明には生後6か月からとありますが、ダメ元で首が座ったら試してみるとよいと思います。
自分で吸うことを覚えてくると、ボタンを押してアシストしなくても自分で吸うようになります。
自分で吸うことができるようになると普通のストローを吸うことができるようになります。

おでかけにはこのマグがおすすめです。

 

このセットなどは出産祝いにも最適なのではないかと思います。

今回の子育ての常識革命は月齢にとらわれないお試しをしてみると良いという話です。