糖質回避は危険と言われたら

一般的には糖質制限、このサイトでは糖質回避という考え方を提案していますが、「糖質制限は危険」だと指摘してくる人がいます。

そう言われたら、「お腹が空きますか?」と質問してみて下さい。空きますとの返事があれば糖質依存の確率が高まります。「空腹を我慢しているとピークをこえる感覚がありますか?」と追加で質問してみて下さい。ありますと空腹感を乗り越える感覚が確認出来ると糖質依存に陥っています。何故ならその空腹感は糖質依存禁断症状だからです。

糖質依存に陥っている方と依存対象である糖質の議論をしても時間の無駄です。何故なら糖質を食べる方に偏った考え方しか出来ないからです。

糖質回避教という考え方は、糖質を食べる人に糖質をやめるように考え方を強要することはありません。何故なら各個人の問題だからです。糖質を食べ続けても困るのは食べる人なので、食べる人の問題でしかないからです(課題の分離)。糖質を食べ続けることは各個人の自由ですが、糖質制限・糖質回避をしている人に危険だというのは越権行為だと思います。私から見ると糖質を食べ続けたい言い訳をしているだけにみえます。だから相手にしても仕方がないのです。そして糖質を食べる仲間が減ることを心配しているのかもしれません。ニコチン依存の方が、周りの方の禁煙を邪魔したくなる心理に似ているのかもしれません。

禁断症状まである糖質依存の方が余程危険だと私は思います。少なくとも自己抑制出来ない状態は異常です。このことが理解出来ない人とは議論を避けることをお勧めします。

糖質制限の仕方によっては客観的危険性も確かに考えられます。しかし危険性は糖質以外の食べ方の問題であり、糖質を食べないことそのものが原因ではありません。

相手の糖質依存を指摘しても糖質制限・糖質回避が危険だと言われたら、「心配してくれてありがとう」と笑顔で伝えるようにしましょう。

病気が治らないのは治さないのかもしれません

病院に通っていてもなかなか病気が治らなくて困っている人も多いと思います。

もしかしたら病気が治らないのではなく、わざと治さないのかもしれません。もしくは治ったことにしないのかもしれないのです。治さない目的は何でしょうか?それはお金儲けが目的ではないかと疑いたくなる医者がいるのは事実です。治さない方が儲かる仕組みなので治さないようにしてずっと通い続けてもらうのかもしれないのです。勿論治そうとする医師もいますので、そういう医師を探すようにしましょう。開業医は治さない方が儲かるのを知っている患者さん達が、患者さんが増えても医者個人の収入が増えない総合病院での診察を求めるのは自然な流れです。むしろ勤務医は病気を治す方が仕事が減るので出来る限り治そうとすることから、多くの人達が診察を求めるのではないでしょうか?

確かに治らない病気もありますが、病気が治っていても通い続けさせる医者がいるのも事実です。実際症状が出ないのに一年間薬を飲み続けさせられたという話も聞きます。酷い医者になると通院を中断すると怒られるから仕方なく通い続けているとも聞きます。

その医者達はその方が患者さんにとって良いと思い込んでいます。だから必要ないのでは?と質問しても聞く耳を持ちません。場合によっては怒り出します。思い込んでいるのですから悪気はないのです。思い込んでいる根拠としているのは論文ではありますが、そこには裏があります。確かに論文として存在はするのですが、製薬会社がスポンサーとなって行った研究の可能性が高いのです。となれば飲み続けた方が良いか、飲まなくても良いかといえば飲み続けた方が良いという結果を求めています。その意にそわないデータを出したら、次からスポンサーにはなってくれないでしょう。持ちつ持たれつの仕組みで出来上がる論文があるのです。その論文に飲み続ける方が良いとあれば、その論文を根拠に医者も患者さんに強要するのです。飲み続けてもらう方が医者の儲けにもなるからです。

多くの医者は患者さんを治そうとしていると思います。目的が病気の治療です。しかし一部の医者の治さないようにしているのです。何故なら病気を治すことが目的ではなく、お金儲けが目的だからです。当然医者本人はお金儲けが目的とは認めないでしょう。

お金儲けが目的の医者の見分け方

怒る医者はお金儲けが目的の可能性があります。お金儲けの邪魔になることに対して怒るのです。質問されるとうまく答えられないし答える時間が惜しいから怒る。指示した通り通院しなくて怒るのもお金儲け出来ないからではないでしょうか?

症状が良くなっても薬を延々と続けるように伝える医者もお金儲けが目的の医者かもしれません。確かに症状がなくなっても薬を継続する方が良い病気もありますが、その場合には詳細なわかりやすい説明が必要です。普通の医師は当然患者さんにわかるように薬が継続して必要な理由を説明しますが、お金儲けが目的の医者は詳しい説明をしない傾向にあります。

そして患者さんの状況に関わらず同じような治療を続けようとします。通常なら症状が良くならなければ薬を変更するか生活の指導をするなど出来る限り治るように努力するはずです。症状が変わらなくても同じ治療法を継続しようとするのは、治すことが目的では無い可能性を示唆します。

自分が正しいと思い込んでいる医者は、余程のことがない限り自分が無意識のうちに治そうしていないことに気付くことはありません。自分に都合の良い論文を根拠にして行動しているだけです。かと言って常識的な考えである、症状も無いのに飲み続ける必要が無いことをわざわざ論文にする人もいません。結果として飲み続けるかどうかの論文は飲み続ける方が良いという製薬会社がスポンサーの論文だけがあることになるのです。

病名と治療法を聞いて、自分で薬の継続が必要か自分で考える方が良いと私は思います。もし医者の言動に不信な点があれば、一度違う病院を受診してみられることをお勧めします。

全ての医者が患者さんの病気を治すことが目的になる時代が来るといいですね。

判断に迷う理由 判断の仕方がわからない

判断とは選択肢の中から何かを選ぶことです。判断に迷うことはよくあることです。その理由はそもそも判断の基準が曖昧でどのように選ぶと良いかわからないことです。つまり判断の仕方がわからないのです。

逆に言えば判断の仕方がわかっていれば判断に迷うことはありません。判断の仕方がわかっているのに判断出来ない状況であれば、判断に必要な情報が不足しているのです。判断の仕方に合わせて、判断出来るようになるまで情報を集めれば良いのです。

世間一般では情報を集めてから判断することが多いようです。そして結局は情報が多過ぎて判断出来なくなるようです。

まず判断に必要な判断の仕方を決めてから情報を集めることです。判断の仕方がわからないのであれば、まず判断の仕方を考えることです。判断の仕方・基準さえ決めてしまえば、ただの仕分け作業です。今のコンピュータの得意な作業となります。

判断で迷っているのではありません。判断の仕方がわからなくて迷っているのです。判断の基準を絞り込みましょう。

お腹が空きすぎるとかえってお腹が空かなくなる理由

お腹が空きすぎるとかえってお腹が空かなくなる不思議な現象が起こります。お腹が空き過ぎてピークをこえる感覚で、ピークをこえてしまうとお腹が空かなくなります。他にも少し食べると余計お腹が空くという不思議な感覚があります。

いずれも糖質依存が原因です。お腹が空き過ぎてお腹が空かなくなるのは、糖質依存の禁断症状です。禁断症状では無ければ、尿意や便意のように目的を達成しない限り続くはずです。禁断症状だからピークをこえるのです。いわば糖質切れの状態で、脳が糖質を摂らせようとして本来の空腹感以上に空腹感を強く錯覚させるのです。禁断症状ではない本来の空腹感はピークをこえた後の空腹感です。その証拠に糖質制限する多くの人が証言するように、糖質依存から抜け出すと大してお腹が空かなくなります。

逆に言い換えると我慢して空腹感がピークをこえる感覚があれば糖質依存の証拠です。お腹が空かなくなることを目標に糖質制限、私の提案する糖質回避をすると良いと思います。

糖質依存から抜け出すと価値観が変わります。良かったらお試しください。

ちなみに糖質制限は危険とか、安全が確認されていないからやめておくほうが良いと主張する人達がいます。そもそも糖質依存の方が依存対象である糖質を食べたい言い訳にしか私には聞こえません。冷静に判断してもらうためにも糖質依存から抜け出した後で、危険性について話し合うべきです。まるで薬局で麻薬が売られていた時代に、依存者がやめたら病気になると騒ぐ依存患者さんのコメントのようです。かつて麻薬の危険性が理解されていなかったように、糖質の危険性を多くの人が理解出来ていないだけのことです。

 

育児放棄による乳幼児の放置死の報道に思う

育児放棄により乳幼児の放置死の報道が散見されます。亡くなられたお子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
これらの報道を見て思うことがあります。
論調が、育児という当たり前のことをしないとして、親ひいては行政を責めているように思います。
親を庇う訳ではありませんが、親もどうしていいのかわからなかったのだと思います。親の心理としては、暗に死んでも仕方ないとは思ったとは思いますが、育児から逃げ出したい心理に陥っていた可能性が考えられます。

私は責め立てるような報道をしても意味をなさないと思います。何故なら亡くなった命はかえってこないからです。それならば再発を防止出来る知恵を報道する方がはるかに建設的だと思います。例えば検診に来ていなかったのであれば、その時点で強制的に面会する法律が必要かもしれませんねなどです。法的な問題で実現するかどうかは政治家や行政の方に考えてもらうとして、その解決策の一つを提案するような報道であるべきではないでしょうか?
他にも周囲の人達に取材し、よく泣いていたや様子がおかしかったという声を報道することもあります。解決策としては、不自然なことがあった時点で虐待の疑いで通報することを促すような報道が再発防止に役立つのではないかと思います。その際通報先の電話番号を表示するとより効果的だと思います。あるいは再発防止策を視聴者から募るという、集合知から解決策を探すのも一つの選択肢だと思います。

そして今の報道でも虐待をしてはいけませんというメッセージは伝わると思いますが、現時点で虐待してしまっている人に向けてもメッセージを発信出来ると良いと思います。多くの場合虐待している人達に虐待しているという自覚が無いからです。虐待してしまいそうという場合の親からの相談先も報道すると、再発防止に役立つと私は思います。もしそういう相談先が無ければ、相談先を作ってもらえるように行政に働きかけると良いのではないかと思います。

報道の目的が見てもらうこと、つまり視聴率なので仕方がないのかもしれませんが、そろそろ再発防止を目的とした報道があらわれても良いと思います。

座る二宮金次郎氏の銅像に思う

薪集めの間に歩きながら本を読んでいた二宮金次郎氏の銅像が、今は座って本を読んでいる銅像に変わりつつあるそうです。

薪集めの時間も惜しんで本を読んだことが逸話として残っています。座って読むなら逸話とは話がずれてしまいます。歩きながら本を読んではいけないという考え方のため、二宮金次郎氏の銅像が座ったのでしょう。私は教務力の低下が放棄を心配してしまいます。

二宮金次郎氏の銅像の背景を説明することを放棄しているのではないかと思います。もしくは理解してもらえないから銅像を座らせたのではないでしょうか?

二宮金次郎氏が子供の頃は、子供が働くことが当たり前でした。勉強よりも家の手伝いが優先されて当たり前の時代でした。そして昼間にしか本が読めなかったはずです。明かりを灯してまで本を読むことは許されない時代でした。仕事としての薪集めの合間に時間を惜しんで本を読むことに意味がありました。当時は山道ですからすれ違う人などほとんどいません。転んでも自己責任です。自分が痛いだけです。このような背景を伝えることで、二宮金次郎氏の考え方の素晴らしさがわかるのです。

銅像を座らせたのは、恐らく先生方もこの背景が理解仕切れていないのではないでしょうか?

確かに現代では歩きながら本を読むことは危険です。自分自身が車に撥ねられるかもしれませんし、誰かにぶつかるかもしれません。二宮金次郎氏が歩いていた頃とは大きく環境が異なるのです。

二宮金次郎氏は、歩きながら本を読んだから凄いのではありません。時間を惜しんで勉学に励んだから凄いのです。時間を節約する手段として歩きながら本を読んだだけのことです。いわば家の手伝いもして、勉強もする知恵を考えたから凄いのです。

このことを伝えることの出来ない日本の未来が心配です。

非常識な人に非常識だと言っても通じない

非常識な人に非常識だと指摘しても通じません。何故ならそのことに関して常識という概念を持ち合わせていないか、確信犯だからです。

常識という概念がない

説明しても概念がないのですから話が通じません。雪を見たことのない熱帯地方の人に言葉で雪を説明するのが困難なのと同じです。

そもそも常識と非常識の概念がないのですから非常識だと非難しても、意味が理解出来ません。

非常識だと指摘した際のの反応は何が非常識?と戸惑います。意味がわからないのでどう反応したらよいのかわからず、困ってしまいます。指摘して困っていれば悪気は無くて、常識を知る機会が無かっただけなのがしれません。知らないことを怒っても意味がないので、常識を概念から丁寧に教えてあげましょう。

非常識の確信犯

非常識だと理解した上であえて非常識な行動をしている確信犯なので非常識だと指摘しても話は通じません。指摘された場合、多くの人は無視するでしょう。あえて怒り出す人もいるでしょう。自分の欠点を隠す目的で怒り出すのです。言葉尻をつかまえて揚げ足をとることもあります。

非常識を指摘して無視したり、惚けたり、怒ったりした場合には確信犯です。相手にするのはやめましょう。時間の無駄です。指摘されてやめるくらいなら最初からやりません。自分が嫌な思いをしないために、関わらなくてすむ方法を探しましょう。どうしても関わる必要があれば、法律や規則、ルールを突きつけて従わざるを得ない手段を探すしかありません。そのような手段が取れなければ、諦めるしか無いのかもしれません。極力距離をとりましょう

戦闘民族ホモサピエンス

あるアニメに戦闘民族〇〇人というのがあります。正確には民族という括りと、星の人種というのはずれたネーミングではありますが、そのアニメを見た人達には浸透した言い方です。そのアニメの中の戦闘民族は破壊と殺戮を繰り返すそうです。

タイトルの戦闘民族ホモサピエンスという言い方にも問題があることも承知の上であえて書いてみました。ホモサピエンスとは人類のことです。人類の歴史を考えてみると人類こそ破壊と殺戮を繰り返す戦闘民族なのではないかと思います。その結果様々な動物を絶滅させているようです。自分達が生き残るためではありますが、多くの動物を殺すことで繁栄しています。今でこそ共存共栄という知恵により、必要以上に動物を殺したりはしませんが、かつての人類はその知恵がありませんでした。他の動物を食料として、あるいは敵として次々と殺していったのです。人類は肉体的には他の動物に劣っていますが、他の動物を遥かに凌ぐ知恵と団結力により人間よりも大きな動物まで仕留めていました。道具と言葉による連携によって他の動物には成し得ない殺戮を繰り返していました。

かつてお猿さんから人間に進化する過程で得た知恵により、多くの動物を殺しました。その中で同じ食料を求めるネアンデルタール人など他の霊長類も滅ぼしたようです。そういう意味では今の戦争も、生物としては当たり前の生き残るための争いでしか無いのかもしれません。

戦闘民族ホモサピエンスが無秩序な状態から、一定の秩序を手に入れたのが宗教だと思います。無駄な争いを避け、みんなが快適な生活を過ごす目的で宗教が生まれたのです。そして宗教を広めるために死後の世界観を利用したのです。

しかし人類には他の動物にはない知恵があります。かつては他の動物を殺すために作った知恵を、争いを無くす方向に向けることで争いを無くすことが出来る可能性があります。

争いが起こる元の多くは食欲を満たすことです。太古の昔は食料を求めて、今では食料やエネルギーの確保を求めて争いが起こっています。一つは生きる上で必要な欲以外は捨てることです。より多く、より美味しいものを食べたいという欲求が争いを生みます。人類全てが足るを知るという感覚を持つことが理想なのかもしれません。

ホモサピエンスは知恵により争いを無くしたと歴史書に書き込める日が来るといいですね。

〇〇するのは勿体無いですよ。

今回は魔法の言葉です。
魔法の言葉とは短い言葉で真意を一瞬で伝える言葉のことです。

誰でも魔法の言葉を使うことが出来ますが、1日に何回も説明する機会のある医師にこそ魔法の言葉を習得するお得ではないかと思います。

以前は病気が治らないことを一言で伝える魔法の言葉を書きました。現代の医学で病気が治らないはずが無いと思い込んでおられる方には、言葉で病気が治りませんと伝えてもなかなか理解してもらえません。一言で「そんな魔法みたいな治療はないんですよ」と伝えると一瞬で御理解いただけます。

今回の魔法の言葉は「〇〇するのは勿体無いですよ」です。医師は余り使わない言葉遣いですが、効果は絶大です。

具体的な使い方は抗アレルギー剤の使い方です。痒みがあれば抗アレルギー剤の内服を行い、痒みが無ければ抗アレルギー剤を内服する必要はありません。ちなみに抗アレルギー剤を内服を継続した方が、効果が高いという論文はありますが、製薬会社がスポンサーとして研究した論文のようです。その論文を根拠に抗アレルギー剤を処方すると製薬会社も医者も儲かるので、都合が良いようです。

痒みは間違った免疫反応によって引き起こされます。抗アレルギー剤の内服はこの間違った免疫反応を止めることを目的とします。間違った免疫反応が起こっていなければ飲む必要はないはずです。痒みが治れば内服しなくて、良いですよとお伝えします。患者さんとしては内服は必要は無いと言われて、副作用があるから本当は出来れば飲まない方が良いのかと心配されることがあります。または飲まないと痒くなるのが不安だから飲みたいという心理になる方もおられるようです。

そこで魔法の言葉の登場です。「抗アレルギー剤は痒みを抑えているだけなので、痒くないのに抗アレルギー剤を飲むのは勿体無いですよ」とお伝えすると、一瞬で納得してもらえます。そもそも痒みは糖質を食べ過ぎて数時間で出るので、糖質を控えると痒みは改善しますので抗アレルギー剤なんて必要無くなります。そのことを一言で伝える魔法の言葉が「勿体無いですよ」です。

この「勿体無い」という言葉には、危険な訳ではありませんが無駄になりますよという誰にでもわかるニュアンスが含まれています。良かったらお使いください。

 

人の行動は衝動買いの心理に左右される

人の行動は衝動買いの心理に左右されるようです。衝動買いのメカニズムはこちらをご参照ください。一言で言えば脳内で分泌されるドーパミンが「衝動買いの心理」の元で、どうしても欲しくなるようです。

人類の進化の歴史の上で「衝動買いの心理」は非常に重要でした。今でこそ「衝動買いの心理」ですが、かつては命に関わること心理でした。食料を確保するという命を守る為の心理でした。危険でも少し無理をすれば手に入る物に対して、「衝動買いの心理」が働かなければ手に入れようとしないのです。何故なら危険だとわかっていることが怖いからです。人間は進化の歴史の上で様々な知恵がついたため、怖いという感覚を身につけました。危険なことを無闇にしないようにし、無駄な怪我や命を落とすようなことを出来るだけ避けるようになったのです。この怖いという感覚が進化し過ぎて、言わば怖がりになってしまったのです。しかし怖がってばかりいては食料は手に入りません。そこで「衝動買いの心理」の登場です。元々は手に入りそうな食べ物を実際以上に魅力的に脳に錯覚させることで、予想できる危険性という恐怖に打ち勝つ勇気を与えることで食べ物を確保してきました。この心理が「衝動買いの心理」になってしまったのです。

現代の文明社会では命懸けで食料を確保することは稀な話です。命懸けの部分わお金をかけて食料を確保するのです。命をお金に置き換えてみると「衝動買いの心理」が良くわかります。物を手に入れる手段が命をかけるかお金をかけるかの違いに置き換わったのです。その際に命を失いたくない心理が邪魔しますが、「衝動買いの心理」が恐怖を封印し食料の確保に行動します。お金を失いたく心理が物を買うことに抵抗しますが、命を失うかもしれない恐怖を封印出来る「衝動買いの心理」の前では無力に近いようです。

実は衝動買いだけでなくても「衝動買いの心理」は働いています。例えば各種の依存は「衝動買いの心理」を繰り返してやめられなくなった状態です。アルコールを飲むことで楽しいということを覚えます。次にアルコールを飲むかどうか悩んだ際に、ドーパミンによる「衝動買いの心理」が働きアルコールが欲しくて仕方がなくなります。何度も繰り返しているうちに、ドーパミンの分泌量が減るため、更なる刺激を求めるためアルコールの量が増えて依存に陥ります。タバコのニコチン依存もパチンコなどのギャンブル依存も同じ心理です。依存に共通しているのはいきなり依存になる訳ではないことです。一度も経験したことのないものは魅力がわからないからです。生まれてからいつの間にか陥っている糖質依存は依存しているという認識が難しいのが問題です。

他にも「衝動買いの心理」が行動を左右しているのは、ふと誰かに会いたいと思って後先考えずに行動するのもドーパミンによる「衝動買いの心理」と同じです。後で考えるとどうしてそのような行動をとったのかわからなくなるのは、正にドーパミンの働きによります。何かをして遊びたいと考える際にも「衝動買いの心理」と同じでドーパミンが働きかけているのかも知れないのです。

「衝動買いの心理」の持続時間は約10分だそうです。本当に行動したいのか「衝動買いの心理」で錯覚が起こっているのか判断するために、10分以上経ってから改めて行動するかどうか考えると良いと思います。他にはその行動で得られる効果や満足感が、わざわざ行動する価値があるかを冷静に考えてみると良いと思います。