今日は8月15日、平和記念日

今日は8月15日平和記念日です。

一般的には日本が戦争を止めることを宣言した日、終戦記念日として認識されています。

1945年8月15日のその日から71年間戦争をしていないことを私は誇りに思います。

8月15日を平和記念日として平和を祝う祝日に制定することを提案しています。このまま平和が続き、私が生きている間に平和記念日として祝日に制定されることを心から望んでいます。

100年でも1000年平和が続くと良いなと思います。理想を考えると、争いが無くなり戦争という概念が消える時代が来ることを望んでいます。更に国境が無くなるといいですね。

資格を取るだけでは生き残ることは出来ない

今現在は資格を持っていれば仕事にありつけます。取るのが難しい資格であればある程、収入も高い傾向がありました。そのため学生さんは出来るだけ難しい資格を取ることを優先する風潮があるようです。しかし最近ではせっかく弁護士資格を取っても、仕事に就きにくく困る人もいるようです。訴訟が欧米並みに増えることを想定し、国の方針で弁護士を量産してしまったことが原因です。想定していた程訴訟は増えませんでした。一説によると弁護士の平均収入が減りつつあるそうです。借金の過払い金の請求の仕事がなくなりつつあることも影響があるのかもしれません。

最難関の資格である弁護士資格ですら、需給バランスにより仕事に困るのです。今増やしている医者や薬剤師が将来にわたり安泰だと考えるより、余程病気が増えない限り弁護士と同じような道を辿ると考える方が自然です。他の資格も今は不足していても、ちょっとしたきっかけで需給バランスが変わり突然余ることも考えられるのです。

今後は、資格を取っただけで満足してはいけません。需給バランスにより資格を持っている人は溢れるかもしれないのです。資格を取った上で更に何が出来るかが大切だと思います。人に対して資格プラスアルファの価値を提供出来ることが、資格を持っているだけの人が溢れる時代に生き残るコツだと思います。

人は争わないように進化している

人は争わないように進化しています。戦争が減っているのはその一つの表れです。
人類の進化の歴史において、争うことに備えて人間の身体の一部が進化した部分もありますが、争わないように進化した部分もあります。争うことに備えて進化したのは副鼻腔です。鼻の周囲に空洞があるのです。争いにおいてバンパーのような役割を果たしました。

争わないように進化したのは、目の白目の部分です。ゴリラなどをみてみると白目が黒く何処を見ているのかわかりにくくなっています。争いにおいて何処を見ているのか相手にわかってしまうと、攻撃しようとする場所がわからるため不利です。ゴリラは何処を見ているのか相手にわからないようにするために白目と黒目が曖昧なのです。自然淘汰の視点からみると、白目と黒目が曖昧な方が生き残り・子孫を残すことに有利だったのです。争うために白目と黒目が曖昧なのではなく、争いがあるから白目と黒目が曖昧な方が有利なのです。一方人間は白目と黒目がはっきりわかれています。視線の先という言葉があるほど相手が何を見ているのかはっきりとわかります。相手の興味を持っているものを知ることで、話題を共有することに意味があります。何より争いをしないことにも役立ちます。

白目がはっきりすることで争いを避けることが出来ます。このまま進化して争いがない世の中が実現するといいですね。

糖質の落とし穴から抜け出すと

先進国の人類の一部が糖質による落とし穴に落ちてしまっている話を昨年書きました。生まれてからしばらくすると糖質を食べるのが当たり前で、糖質依存に陥っても気づかないのです。何故ならみんなが糖質依存なので、依存という異常な状態であることが認識出来ないのです。我慢出来ない程お腹が空くのは糖質依存の禁断症状ですが、みんながお腹が空くから、生理的な空腹だと錯覚してちるのです。正に落とし穴の穴が大き過ぎてみんなが穴の底にいることを理解出来ないのです。

糖質依存という大きな落とし穴

糖質回避により糖質依存という大きな大きな落とし穴から抜け出すと、落とし穴に落ちていたことを初めて正確に認識出来ます。糖質を食べているうちは落とし穴の中にいることを理解出来たとしても、どれほどの落とし穴なのかを正確に認識することは出来ません。何故なら普通の人は依存対象を客観視出来ないからです。本来なら客観的事実に基づいて判断すべき医者ですら、糖質依存者は糖質に対する歪んだ欲求を認めようとしません。そして落とし穴に落ちていることを認めません。

落とし穴を抜け出すと

糖質回避により糖質依存から抜け出すと、落とし穴の全容が理解出来ます。現実に落とし穴に落ちた場合、落とし穴の中からは落とし穴の大きさは理解出来ないと思います。落とし穴が大きければ大きい程外に出なければ理解出来ません。逆に落とし穴から抜け出すと、如何に大きい落とし穴だったのかを認識することが出来ます。

糖質を食べないことで、改善される病気は多々あります。一番わかりやすいのが肥満です。糖質依存により糖質の自己抑制が出来ない結果太るだけのことです。糖質依存から抜け出すと痩せるのは当たり前のことです。糖質制限がもてはやされましたが、糖質依存の概念を理解し落とし穴から抜け出した人々からみれば取り立てて騒ぐことですらありません。水が高いところから低いところへ流れるように、糖質依存で糖質を食べ過ぎれば太り、糖質依存から抜け出して糖質の量が減れば痩せるだけのことです。

糖質回避により改善する病気は他にも多数あります。各種アレルギーや自己免疫性疾患、2型糖尿病も治ります。糖質に伴い塩分も過剰摂取することで高血圧も発症するようなので、糖質回避により高血圧も治る可能性があるのです。糖質が免疫機能に作用ことから、発症機序のよくわかっていない特発性といわれる病気の大多数の原因ではないかと考えています。

私は糖質依存から抜け出すことで6割から8割の病気が治る可能性があると考えています。なかなか治らない慢性感染症や癌も糖質による免疫機能障害が一因だと思います。癌まで糖質の影響で発症するのであれば、8割近くの病気が治る可能性があります。

毎日普通に糖質を食べておられる方は、もしかしたら今いるところが落とし穴の底かもしれないと考えてみてください。落ちている落とし穴が大き過ぎて、落とし穴だと理解出来ないのです。日本人の多くの人が落とし穴に落ちていると想像してみてください。落とし穴から抜け出した人は、落とし穴に落ちている人を哀れ気に見ているのです。

貴方も糖質回避により落とし穴から抜け出しませんか?

山の日よりも平和記念日を

今日は山の日だそうです。今年から祝日となりました。お盆前の祝日で私は戸惑いましたが、世間では歓迎されているようで経済効果が大きいようです。

私は山の日よりも平和記念日として8月15日を祝日に制定すれば良いと考えています。幾つか意味がありますが、詳しくはリンク先を読んでみてください。幸いにして71年間戦争することなく平和に生きてきています。日本が戦争をしないことを毎年祝う日とするのです。今年も祝うことが出来たと平和であることの有り難みを実感する日とするのです。

私は山の日よりも有意義な祝日になると思います。知り合いの政治家の方がおられたら進言してみてください。

お金を貯めるなら給料アップより意識改革

お金を貯めるなら給料アップより意識改革がお勧めです。何故なら給料が上がってもそれに応じて支出も増えれてしまえば、お金は貯まりません。

給料アップよりも意識改革がお勧めです。具体的には生活水準を下げるのです。

今の年収ならこのくらいの生活が当たり前として生活しているとなかなかお金は貯まりません。手元にあるお金の多寡で生活が変わる人はお金が貯まらないのです。手元にお金があればそのお金に応じた使い方を考えてしまいます。

お金を貯めるためにはお金を使わないことですが、具体的には生活水準を下げるのが一番有効です。無駄な支出を減らすというのは具体性のない対策です。多くの人が無駄だと思いながらお金を使ってはいないからです。例えば年収700万円の人が、年収500万円の人の生活をすればお金が貯まります。年収300万円の生活すれば更に貯まります。年収700万円の人が年収900万円になって200万円分貯まらないのは、無意識のうちに年収900万円の生活水準になってしまうからです。年収が増えたことで気が緩むようなイメージです。年収が増えたことで年収900万円になった時点で、気が大きくなって支出が年収1000万円以上の水準になってしまうとお金が足らなくて困ります。

お金を貯める一番の対策は意識改革です。生活水準を下げ、実際の年収より収入が少ないことを想定して生活してみることです。生活水準を下げる際に削る支出は無駄とは言わないまでも、贅沢な支出だっただけのことです。贅沢をしていればお金は貯まりません。

お金を貯める大切なことはお金に対する意識・認識を変えることです。意識改革の極端な例を考えてみると、年収が半分だと仮定して生活してみると良いかもしれません。年収が半分だと贅沢が浮き彫りになるので、生活が全く変わると思います。お金が足らなくてお困りでしたら、年収が半分だと考えて生活してみてください。

国が方針を変えるだけで医療費の削減は簡単

国が方針を変えるだけで、医療費の削減は簡単です。自己責任として嗜好品による病気は嗜好品を楽しむ人に支払ってもらうようにするだけです。ちなみに自分でわざと怪我をすると健康保険は使えず自己負担となります(自傷行為といの精神疾患の一症状としての、自らわざと怪我をする場合には健康保険が適用されるかもしれません)。それと同じように自分で選んで嗜好品を楽しんだ結果病気になる訳ですから、自分の責任として自己負担が当たり前だと思います。逆に今の状態の方が不公平なのです。何故なら嗜好品を楽しまない人まで、嗜好品を楽しむ人の分の医療費を負担しているからです。

嗜好品に医療費の上乗せ

つまり医療費の中の嗜好品による病気の治療費を、嗜好品を楽しんだ人に負担してもらうのです。国がこの方針を変えるだけで医療費は減らすことが出来ます。突然嗜好品による病気の治療費を全額自己負担とするとなると莫大な費用が必要になるため、大変です。現実的には嗜好品に前もって医療費を上乗せして販売するのが簡単で確実だと思います。治療費を先払いする分嗜好品の価格が高くなるため、結果として嗜好品による病気を減らし国民が健康になるのです。このように考えれば良いこと尽くめです。

タバコ

嗜好品による病気でよく知られているのはタバコです。タバコによる病気の治療費に年間何兆円もかかっているので、その分をタバコを吸う人に負担してもらうのです。タバコによる病気を自己負担とするとタバコ一箱が1000円程度になるようです。

糖質

他にも砂糖や糖質による病気が多数あります。2型糖尿病は間違いありませんし、生活習慣病はただ単に糖質依存症に過ぎません。各種アレルギーも糖質の摂り過ぎに過ぎません。ニコチン依存によりタバコが健康被害があるとわかってもやめられないように、糖質も糖質依存によってやめられないのです。タバコは医療費と比較すると少ないながら課税されている分消費が抑えられていますが、糖質は税金のような足枷がないため安価で食べ過ぎているのです。タバコは年齢制限もあるため、分別がついてからタバコを吸うか吸わないか選択することが出来ます。糖質が厄介なのは子供の頃から当たり前に食べていることです。物心ついた時点で糖質依存に陥っているのです。ちなみに糖質依存かどうかは我慢出来ない程お腹が空くかどうかです。我慢出来ない程お腹が空くのは、糖質依存に間違いありません。何故なら糖質依存の禁断症状だからです。その証拠に糖質依存から抜け出せば、お腹が空かなくなります。正確には空腹を我慢したあとのピークをこえた空腹感しか感じなくなります。

糖質ではなく砂糖に課税しようとした国がありますが、糖質に課税しなければ意味がありません。考え方は本質をかすめているので惜しいものの、本質からは少しズレているので大した効果は期待出来ないでしょう。糖質にこそ医療費を上乗せするべきです。

嗜好品に医療費の上乗せしない方が不公平なのです。

国が病気を生み出している?

現時点では国が病気を生み出しているようなものです。何故なら嗜好品であるべき糖質を主食として推奨し、食事の6割を主食で摂るように促しているからです。このことが2型糖尿病や各種アレルギーなどで国民を悩ませているのです。

国が糖質を食べないように推し進めるだけで、医療費は簡単に削減出来ます。糖質による病気が失くなるのですから。

糖質回避により医療費削減を目指す政治家

糖質を食べないように推し進めることで医療費削減を目指す政治家が出て来ればよいと私は思います。

みんな糖質依存から抜け出しましょう!糖質回避を推し進めます。結果として医療費が削減出来ます。更に糖質による病気の治療費は糖質を食べる人達に払ってもらいましょう。

このことを訴える候補者が出てくると私は面白いと思います。国が負担する医療費が大幅に削減出来ますから、その分を子育て支援に割振ることで少子化対策になります。タバコによる病気の治療費だけで3兆円という資産があります。糖質による病気に至っては、その何倍にもなるでしょう。糖質をわざわざ推奨するせいで、無駄な医療費にお金をかけていると言っても過言ではありません。

農家と製薬会社への配慮が必要

糖質を食べない、タバコを吸わない世の中になれば栽培している農家の方々が困ります。その対策は必要でしょう。具体的には他の作物に切り替えて栽培する手助けをするなどです。

製薬会社も病気があることが前提で病気を治すことを目的にこれまで開発費をかけていたのですから、病気が失くなることに対する配慮は必要だと思います。具体的にはタバコや糖質による病気に対する薬を開発している製薬会社に開発費を補塡することなどです。

簡単なことが出来ない理由

嗜好品と病気に対する既得権益を守りたい人達が必死で反対するでしょう。嗜好品に依存している人達も嗜好品が高くなるので、値上がりには抵抗するでしょう。つまり人それぞれの私利私欲のために簡単なことが出来ないのです。

嗜好品を避ける方が健康になってお得だと理解する人達が少なくとも過半数をこえるまで実現は困難です。しかし過半数をこえた段階で議論が巻き起こることでしょう。嗜好品を楽しんだ結果病気になったのだから、自己責任だという考え方が主流になるでしょう。過半数をこえるのが何時になるのか、時間の問題です。私は20年程度で過半数をこえると良いなと考えています。私の知人は千年かかると言っていました。

少なくとも私の生きている間に実現することを祈っています。

スポーツの意味とドーピング

スポーツ本来の目的は、身体を動かす能力を最大限引き出すことです。決まりが無ければ比べられないので、比較するためにルールを作ります。本来は身体の能力を最大限に引き出す目的で人と競うようになったのですが、本来の目的が薄れ競うことが見世物になってしまいました。そして勝った者だけが地位や名誉を得るようになりました。その弊害として勝たなければ意味がないと考えてしまうようになったのです。

身体の能力を最大限に引き出すことが目的であれば、ドーピングというズルに意味がないことがわかります。しかし勝つことが目的であれば、ドーピングしてでも勝ちたいという歪んだ心理に陥るようです。

ズルして得られた地位や名誉に意味がないと考えるのが普通の人の考えだと思いますが、ズルしてでも勝ちは勝ちと考える人はいるようです。それを国ぐるみで行う国があるのですから、世界は広いですね。

ドーピングしてでも早く走りたいというのは、走る相手に対して自転車で挑むようなものです。ルールを無視するのですから何の意味もなくなります。

娯楽が増えつつある今日、スポーツ観戦が娯楽として成り立つ世の中が何時まで続くのか興味があります。東京オリンピックはまだ成り立つと思いますが、サッカーや野球などの興行を考えて暑い時期に追いやられるオリンピックに意味があるのか私には疑問があります。

お金に酔う 収入が増えても貯金が増えない理由

お金に酔うことがあります。お金に酔うとは思わぬお金を手に入れたことで舞い上がってしまうのです。

お金を手にする以前に憧れていた物を買おうとしてしまいます。例えばテレビであったり車であったり、人によってはブランド物のバッグかもしれません。

欲しいと思っていたお金を手に入れたことで、お金を使うことに酔ってしまうのです。お酒に酔うことに似ています。お金に酔うことそのものが楽しくて、お金を使うことに依存してしまうのです。だからあるお金を後先考えずに使ってしまうのです。この点でもお酒に似ています。お酒の好きな人はその場の雰囲気が楽しくて、二日酔いになると後で体調不良で大変だとわかっていてもお酒を飲んでしまいます。お金を使うことに酔うと二日酔いと同じように後でお金が足らなくなって困るのです。

お酒が好きな人がお酒を楽しんでいるように、お金を使うことに酔う人は、お金を使うこと自体を楽しみます。お金に酔う人は、何か物や体験を手に入れることが目的ではなくお金を使う手段なのです。だから高い方が嬉しい一面もあり、払うことの出来る範囲で出来るだけ高いお金を支払う傾向があります。お金を使うことそのものが目的なのでそれで構わないのです。

お金に酔う心理は見栄消費も重なると、エスカレートしがちです。人目が気になる人は贅沢なお金の使い方をしてしまいます。お金に酔う心理と見栄消費が重なるとお金を使うことに依存する消費依存とでもいうような不自然な心理状態に陥るのかもしれません。

収入が増えてもお金が足らない人はお金に酔っている可能性があります。もしかしたら上記の消費依存のような病んだ心理状態かもしれません。借金してでも買い物をしてしまうのは消費依存の可能性が高いと思います。一度お金を使うことに酔っていないか、客観的に考えてみることをお勧めします。本当に物や体験を買いたいのか、ただお金を使いたいだけなのかを見分けるのです。買っても使ったことが無い物が一つでもあれば、かなり可能性は高いと思います。

収入が増えてもお金が貯まらない人は、お金を使うことそのものが目的になっていないか確認することをお勧めします。それだけで、お金に対する意識が変わるかもしれません。一度考えてみてください。

同じ食べるなら美味しい物という罠

人間は動物であり、食べ物を食べない限り生き続けることは出来ません。生命を維持するために必ず何かを食べて生きています。

必ず行う行為である食べるという行為ですが、どうせ食べるなら美味しい物を食べるというのは大きな落とし穴があります。

食は生命を維持するために必要ですが、美味しさという快楽は必ずしも必要ではありません。美味しさを追求するということは快楽を追求することに繋がり、溺れてしまうことがあるのです。

美味しさに溺れる一例が糖依存です。糖質という美味しさに溺れてしまい、人類の進化の歴史とともに精製することで糖質の純度をあげていきました。小麦は全粒粉から小麦粉に、米は玄米から白米に純度をあげて美味しさを追求しました。益々快楽の虜になってしまったのです。

生活が豊かになったおかげで、生きるための食と快楽のための食が曖昧になってきました。その結果お金に余裕があれば美味しい物を食べようするようになりました。実は美味しさという快楽に依存してしまい、美味依存とでもいうべき、お金に余裕が無くてもとにかく美味しい物を食べようとする人までいるのです。

どうせ食べるなら美味しい物を食べようと考えることで、糖質依存や美味依存という罠に陥るかもしれません。糖質依存や美味依存に陥ると、肥満や2型糖尿病や各種アレルギーなど病気になるかもしれませんし、必要以上に食費がかかるのでお金にも困ることになります。これらの弊害全て合わせて罠にはまるようなものです。罠に陥ることのないように食べる『意味』を考えるようにしましょう。栄養補給の食なのか、快楽のための食なのかです。いつも快楽を追求すると罠に陥るので気をつけるようにしましょう。