裏付けのない論理は宗教と同じ

裏付けのない論理は宗教と同じだと私は思います。再現性はないかもしれないけど、信じている人を救うという意味で宗教と同じです。そしてただ信じているのです。裏付けがあって信用しているのではなく、裏付けなくただ信頼しているのです。

根拠もなく、こうすれば健康になります。これを飲めば健康になりますなどです。ここでは具体的な名前はあげませんが、本当かどうか怪しいと思うものは根拠をみていくと根拠の部分を曖昧に誤魔化しています。

話をしている人達はそのように信じているのですが、根拠を聞いても明確な答えはかえってはきません。その点が宗教に似ているのです。ただ信じているのです。

ステロイドという薬がありますが、毛嫌いされる方がおられます。根拠を聞くと副作用が怖いとおっしゃいます。具体的に心配されている副作用を聞くと明確な答えはかえってきません。ただ怖がっておられるのです。ステロイドの場合、飲み薬や注射は量にもよりますが、量が多ければ必ず副作用が起ります。しかし塗り薬の場合には短期間で起こるとすればニキビ程度です。誤った薬を長期間使えば、多毛や皮膚の萎縮や血管拡張などは確かに起こり得ますが、短期間ではニキビくらいです。そのニキビを恐れて薬を使わないのは不思議な心理です。ステロイド忌避教とでもいうべき心理状態なのかもしれません。

裏付けのないまま主張し信じてもらおうとするのは布教活動に似ています。偶然起こった再現性のない極端な話を信じてもらう手段に使うことが良くあります。いわば私は宝くじを買ったら当たったから、貴方も信じて買いなさいというのと似ています。どちらも再現性がないからです。信じることで具体的にどのように違いが出るのかを明確にしないことも宗教に似ています。ただ信じた人の気が済むのです。

怪しい話は根拠を聞いてみましょう。根拠がしっかりしていれば裏付けのある論理です。根拠が曖昧であったり、その人がただ信じているだけであれば裏付けのない論理で、宗教と似ています。信じることで心が救われるという意味がありますが、お金という見返りを求められることが多いです。

信用に足る裏付けのある論理を信じるようにしましょう。

例えば天動説と地動説は人類の歴史においては、かつては天動説が主流でした。わずかな力しか持ち得ない人間にとって地球を動かす力が理解出来なかったのですから仕方がありません。しかし現在宇宙に向けてロケットや人工衛星を打ち上げることが出来るようになり、様々な観測から地動説で間違いないことが裏付けられています。地球を宇宙から観測することで自転していることを観測し証明することが出来ます。ただ天動説が主流の当時、地動説を裏付ける方法が乏しかったためなかなか信じてもらえませんでした。今なら星までの距離もわかるので、天動説が事実だと仮定すると星の移動速度が光の進む速さを遥かにこえてしまうことからも、天動説が矛盾していることは容易に理解出来ます。このことからわかるのは、人類は思い込みにより間違いを正しいと錯覚してしまいます。どんなに当たり前だと信じていても、裏付けをとってみることです。

ちなみに糖質回避教論理的宗教だと主張していますが、糖質を控えることでかなりの確率で明確な違いが出ます。私の考えている根拠は糖質を控えることで病気が改善することが予測出来ることです。病気を避ける理想の食べ方は具体的には血糖値の上がりにくい食べ方です。血糖値の持続測定により簡単に裏付けをとることが出来ます。正確にはリブレ 血糖値持続測定による測定結果から導き出した食べ方です。確かに血糖値を上げない食べ方が病気になりにくいのは、何人もの改善という状況証拠しかありません。まだ裏付けが十分とは言えないかもしれませんが、怪しい外国産の未認可の薬よりは信用出来ると思います。

信じる場合には根拠を確かめてみましょう。納得出来る根拠を示すものだけ信じるようにしましょう。

口唇ヘルペスの原因の一つは糖質

口唇ヘルペスの原因の一つを見つけました。答えは糖質です。糖質が原因の一つと考えた状況証拠を解説していきます。

口唇ヘルペスとはヘルペスウイルスによる感染症です。発症する度に感染を繰り返している訳ではなく、体内に潜んでいるウイルスの再活性化だと言われています。口唇ヘルペスを繰り返す方は何度も繰り返し、一度感染して発症してもその後症状が出ない人もいます。

今回糖質が原因の一つと考えた根拠は、毎月口唇ヘルペスを繰り返していた方に が糖質を控えることで発症が止まり、半年後に送別会で糖質を食べたことで再発したことです。少なくとも毎月出ていた症状が糖質を控えることで発症が抑制され、再度糖質を摂ることで発症は、除去試験と再投与試験を表します。この方に関しては間違いなく糖質が何らかの形で関わっているでしょう。もしかしたらヘルペスも糖質一度に摂り過ぎ症候群の一種なのかもしれません。

あくまでも仮説ですが糖質によりピンポイントの免疫抑制が働くようです。この場合のピンポイントの免疫抑制がヘルペスウイルスに対して生じてしまっているのです。

糖質による免疫抑制の病態はまだ解明されていないため仮説の域を出ませんが、一時的に血糖値が上昇することで発症する可能性が考えられます。ということは病気を避ける理想の食べ方により、糖質を食べたとして口唇ヘルペスの発症を抑制出来るかもしれません。毎月ヘルペスを繰り返しているのであれば、糖質の食べ方に気をつけてみる価値は十分あると思います。何故なら抗ウイルス薬の持続投与により誤魔化す以外、他の手段では再発を抑制する手段は今の所ないからです。食べ方一つで再発しなくて済めばお得だと思います。

糖質以外に原因があるとすれば塩分だと思います。何故なら糖質を食べる際にどうしても塩分をとってしまうからです。つまり糖質を控えたつもりで塩分を控えたことで発症が抑制されていた可能性は残ると思います。

万が一糖質を控えてもヘルペスを繰り返すのであれば、塩分も控えてみて下さい。

感情で反対する人達

物事を理屈ではなく感情で反対する人達がいます。論理や理屈は言葉で伝えることは出来ますが、感情は人それぞれで感じ方が異なるため他人が正確に理解することは不可能です。感情で反対する人達と理屈で話をする人達の会話が成り立たないのは理解出来ないからです。

感情で行動するのは動物的です。何故かは説明出来ないけど反対ということです。よく分からないけど嫌という話です。

人間が他の生物を圧倒する程発展しているのは論理や理屈でお互いが理解し合えるからです。AだからBをする。CだからDはしてはいけない。何故ならこういう理由があるからといった具合です。再現性があることが特徴です。

論理や理屈が優れているのは異なる状況になっても、論理や理屈に沿って修正が出来ることです。感情で反対しているととにかく反対なので、修正が出来ません。どのように修正すれば賛成出来るのか自分でもわかっていないのです。感情で反対する人に対して、理屈が通じないとして憤ることがあるのは、そもそも理屈で物事を考えていないからです。感情で行動・判断しているので、そもそも理屈で考える発想がないのです。

感情で反対する人達を蔑む訳ではなく、現実として動物的なのです。何故なら論理や理屈で物事を考えていないからです。感情で反対する人はどれだけ優れた理屈でも考えを変えようとはしません。究極の感情、好きか嫌いかで判断しているのですから、嫌いなものは嫌いなのです。だから嫌いなものに対してどれだけ優れた理屈を並べられてもシャットアウトしてしまうので、会話が成り立たないのです。

感情での反対の判別法

感情での反対と論理や理屈で考えた上での反対かの簡単な判別法があります。どうすれば賛成出来るのか、とのような条件や状況なら賛成出来るのか、賛成出来る条件を聞くのです。この賛成するための必要条件を答えることが出来れば論理や理屈で物事を考えていると思います。逆に反対はとにかく反対としか言わない人は動物と大して変わりません。お猿さんでも反対は出来ます。2歳の子供でも感情で反対することは出来るのです。嫌々と駄々をこねて受け入れないのです。親が諦めるのを反対!反対!と嫌々をして感情で反対しているのです。

とにかく反対という感情で反対する人達は2歳児なんだと解釈し、生暖かい目で見守ってあげましょう。

感情での反対の対処法

議論の際、感情で反対する人に無駄な時間を潰されないために、どうすれば賛成出来るのかその条件を教えて下さいと伝えましょう(参考:言い訳人間の対処法 出来る言い訳を聞く)。とにかく反対で反対の理由をまくし立てるのであれば、反対する言い訳をして論理や理屈で物事を考えることが出来ないことを隠そうとしているに過ぎません。他人の感情をお互い理解することは出来ないのですから、感情での反対を議論しても時間の無駄です。反対であることは承り、感情での反対とは議論を避けるようにしましょう。

議員でも感情で反対する人達がいます。感情で判断する人達の共感を集めて議員になったのかもしれませんが、感情を元にした話し合いは不可能なので本来は議員には向いていないのです。何故なら論理や理屈のすり合わせが出来ないので、議員の仕事である物事の最適解を探すことが出来ないからです。

感情で反対する人達を論理や理屈の土俵に引き上げる、出来る言い訳を聞くという考え方、もし良かったら取り入れてみて下さい。

糖尿病は何故治らないのか?

糖尿病は血糖値が下がらなくなる病気であり、血糖値を上げる原因は糖質です。
世間一般では糖尿病は治らないことが常識です。
しかし現実には少なくとも2型糖尿病は治癒する可能性が十分あります。その理由は一言で言えば、糖質と血糖値の関係を正しく認識していないからです。そのことを解説していきたいと思います。

糖質を食べなければ血糖値が上昇しなくなるため糖尿病は改善します。
1型糖尿病の場合は薬なしになることは困難かもしれませんが、2型糖尿病は糖質を食べなければ薬もいらなくなるのです。2型糖尿病に関して糖質を食べなければ全員薬がいらなくなるのか、糖質を食べなくても一定割合で改善しない人もいるのかはわかりません。少なくとも糖質を控えるか糖質をやめることで、2型糖尿病は改善が期待できます。治る場合すらあるのです。

では何故治らないのでしょうか?一言でいえば糖質を食べるからです。
では何故食べるのでしょうか?糖尿病になることを知らないのです。知っていても食べ続けるのは、病気になるとわかっていても食べてしまう時点で糖質依存の証拠です。

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糖尿病が治らない理由

糖尿病が治らないのは糖質を食べるからです。それ以上でもそれ以下でもありませんが、知っていても食べてしまうのは上記のように糖質依存です。
糖尿病が治らない一因は糖尿病患者さんが、糖質が原因であることを知らないのです。
本来なら医者から教えてもらうはずですが、教えてもらえない場合があるのです。何故なら糖尿病が治ってもらっては困るから、糖質を控えるとよいことを積極的に教えようとしない医者がいるのです。糖質と糖質以外の食材の食べる順番により血糖値の上昇の仕方は明らかに異なりますが、そのことを糖尿病患者さんに伝えていない医者もいるようです。特に炭水化物だけ食べるのは勿体無い食べ方です。おにぎりだけ食べるのと唐揚げを食べてからおにぎりを食べるだけで血糖値に明らかな違いがあります。

残念ながらカロリー説は間違っています。何故なら食後血糖値は唐揚げを食べる方が低くなるからです。カロリーを摂る方が下がるのですから明らかな間違いです。少なくとも食後血糖値に関してはカロリー説で考えることは間違っています。

食後血糖値は食事中糖質割合に依存するようです。糖尿病が治らないのは糖質の知識不足です。少なくとも炭水化物だけ食べるのは勿体無い食べ方です。糖質の本当の姿を知り、上手に付き合うよくにしましょう。詳しくは病気を避ける理想の食べ方を参考にしてみてください。

子供を闇雲に褒めて育ててはいけない理由

世間一般では子供は褒めて育てようという風潮がありますが、私は子供を褒めて育ててはいけないと考えています。絶対に褒めてはいけないというような極端なことを言いたい訳ではありません。わざわざ褒めるところを探してでも褒める育て方は勿体無いと考えているのです。その理由を書いていきたいと思います。

褒めるとは?

そもそも褒めるとは出来ないと思っていること、つまり出来ると期待していないことが出来た際に賞賛することです。つまり褒めるのは相手が出来ないと思っていた現れなのです。だから目下の者が目上の者を褒めると違和感を感じるのです。

凄いですねと褒められれば、この人は自分に期待していなかったと理解すべきなのです。褒められたら本当は残念がらなければいけないのです。褒められて喜ぶのは自分も出来ないと思っていた場合です。自分にとって当たり前のことをして褒められても大して嬉しくないのは、出来て当然だと考えているからです。

闇雲に褒めて育ててはいけない理由

闇雲に褒めて育ててはいけない理由は、闇雲に褒めて育てていると子供や人が褒められないと行動しなくなるからです。褒められることが目的と勘違いしてしまい、褒められるために行動するようになるのです。いわば褒められることに心理的に依存するのです。褒める側からみても褒められている人は喜びます。その褒められた人が喜ぶから褒めるという依存に陥る、お互い共依存の状態に陥ることもあるのです。

子離れ出来ない親や、親離れ出来ない子供は褒めて褒められの共依存状態なのかもしれません。

親が子供を一生褒め続けることは不可能です。だから闇雲に褒めて育ててはいけないのです。親に闇雲に褒められて育てられた人は、自分が行動すれば褒められることが当然だと勘違いしています。褒められるためにわざわざ行動しているのに、期待通り褒められないとやる気をなくしてしまうのです。歪んだ心理が潜んでいると、自分は努力しているのに正当に評価してくれない相手に対して敵意を抱いてしまいます。

つまり目的を勘違いしてしまうから褒めて育ててはいけないのです。本来の目的を知らず、褒められることが目的なので、ズルをしてでも褒められようとしてしまいます。

褒めて育てていては自立出来ない子供に育ててしまうのです。自立出来なくても良ければ闇雲に褒めて育てると良いと思います。

褒めて育てているつもりが、闇雲に褒めて自立心を摘み取ってしまっているのかもしれません。勿体無い褒め方です。

褒め方の提案

闇雲に褒めてはいけないのは上記の通りです。闇雲に褒めてはいけないだけで、褒め方に気をつければ褒めても構わないと思います。その褒め方を提案したいと思います。

出来なかったこと、出来ないと思っていたことに対してだけ褒めるようにしましょう。いつも出来ることを闇雲に褒めるのは、自分の意思で頑張る力を削いでしまう勿体無い褒め方です。

褒める際に出来ないと思っていたかどうかを考えて、褒めるかどうか決めるのです。出来ないと思っていたのであれば素直に褒めれば良いと思います。出来ると思っていたのであれば、日頃の努力の賜物なので出来ると思っていたよと笑顔で伝えてあげれば良いのです。

ちなみに「学力」の経済学によると褒めるのは結果ではなく、過程が良いそうです。何故なら結果は偶然や様々な要因によって左右されてしまうため、必ずしも自分だけの要因ではないからです。どのようにすれば同じ結果が得られるか自分でもわからないため、再現性がないからです。その点努力の過程を褒めると、自分が努力すれば良いだけです。他の要因に左右される紛れがありません。結果は残せなくても努力することを褒めると、次の努力を厭わなくなるのです。

適切に褒めましょう

何でもかんでも闇雲に褒めると褒められることが目的になってしまいます。

絶対に褒めてはいけない訳ではありません。適切に褒めるようにしましょう。

出来ないと思っていたことが初めて出来たのであれば褒めるべきだと思います。逆に出来ると思っていたことが当たり前に出来ても褒めるべきではないと思います。

結果が伴わなくても特段の努力をしたのであれば、努力を認めてあげるべきだと思います。努力を認めてあげるだけで、次の努力が出来るようになります。

子供や人の褒め方、一度考えてみてあげてください。

沖縄・北方担当相の失言の心理

通常の場合、失言する人の心理は他の人の受け取り方まで思い至らないことです。しかし今回の沖縄・北方担当相の失言は心理が少し異なるようです。その理を考えてみます。

一言で言えば舞い上がってしまっているのでしょう。何年か前に現在タレントとして活躍している元議員が、当選直後給料や待遇をテレビで大喜びして話題になりました。その心理と似たような状態なのだと思います。

2人に共通しているのは分不相応な地位を思い掛けず獲得してしまったことではないでしょうか?。

失言の際の表情は2人共喜びに満ち溢れています。通常の失言はうっかりというか聞き手の受け取り方の認識不足ですが、今回の表情からは遊園地にでも行く予定ではしゃぎ回っている子供のように見えます。

元議員で現在タレントは舞い上がった状態から通常の心理に落ち着いて議員を続けましたが、今回の沖縄・北方担当相はどうなるのでしょうか?舞い上がっていたことを素直に認め、今後は地に足をつけ落ち着いて仕事をすると宣言すれば続けることが出来るかもしれません。舞い上がっていたことを認めなければ、他の失言大臣と同様辞めざるを得ないと思います。とはいえ任命責任を問われるので即座に更迭させることは出来ないので、更なる混乱が予想されます。

政治が混乱するのは残念なことです。

言葉により仕事を失ってしまう失言、気をつけなければいけませんね。

炭水化物だけ食べるのは勿体無い食べ方

リブレ 血糖値持続測定器を使い様々な食事と血糖値の関係を検索しています。
おにぎり1個とおにぎり2個の血糖値の違い (1個でも2個でも変わらない)
おにぎり2個と唐揚げの食後血糖値 (唐揚げにより血糖値が下がる)
おにぎり2個と特保コーラの食後血糖値 (特保コーラを飲んでも上昇)
おにぎり2個とお茶の関係 (驚くべきことにお茶を飲むと血糖値が上昇)
お茶と特保コーラの血糖値の違い (お茶と比べると特保コーラは上がらない)
たまごサンドイッチの食後血糖値 (たまごサンドイッチは血糖値が上がらない)

を掲載しました。

これらのことから言えることは炭水化物だけ食べるのは勿体無いということです。何故なら食後血糖値は食べ物の糖質割合によって決まるからです。炭水化物だけ食べると糖質割合が高いため食後血糖値が高くなります。オカズと共に炭水化物を食べると糖質割合が下がるため食後血糖値は低く抑えることが出来ます。

まだ実験で確かめてはいませんが、ラーメンだけ、うどんだけ、チャーハンだけという食べ方をすればおにぎりと同じような食後血糖値の上がり方をするはずです。

炭水化物だけ食べるのではなく、オカズと共に食べるだけで食後血糖値は上がりにくくなります。にも関わらず炭水化物だけ食べるのは勿体無いと私は思います。

患者さんと話をしていると炭水化物はそれ程食べていないと言われる方がおられます。しかし症状からはどこかで炭水化物・糖質を食べておられることが考えられます。表情からは嘘をついておられる訳ではありません。ということは炭水化物の量以外の何か答えがあるはずです。その答えが食事中の糖質割合です。つまり量が少なくても糖質割合が高いと症状が誘発されるのです。血糖値だと考えてリブレで検証してみると間違いなさそうです。血糖値が糖質一度に摂り過ぎ症候群を引き起こす状況証拠だと思います。この様に考えると糖質一度に摂り過ぎ症候群は適切な病名ではないのかもしれません。糖質の量が少なくても割合が高いと症状を誘発する可能性があるからです。このことは今後検討したいと思います。

炭水化物だけ食べる、つまりおにぎりだけ・うどんだけ・ラーメンだけ・パンだけ食べると病気が誘発される可能性があるのです。おにぎりやうどんやラーメン、パンなどはそれだけで美味しく食べることが出来るように進化してきました。手軽で美味しく頂けるところに落とし穴があったのです。何か一緒に食べると病気が誘発されにくいのですからお得な話です。炭水化物だけ食べるのは勿体無いという考え方、もし良かったら受け入れてみて下さい。

病気の先の糖質回避

転ばぬ先の杖の諺から新しい諺を考えつきました。

病気の先の糖質回避

です。まだ証明されてはいませんが、多くの病気が糖質によって引き起こされているようです。今のところ明らかに証明されているのは2型糖尿病くらいかもしれません。しかし糖質回避によりいくつもの病気が改善あるいは消滅する状況証拠から、病気の原因が糖質であることが示唆されます。

糖質による明らかな病気があれば、病気を失くす目的で糖質回避することを以前から提案しています。今回は現在明らかな病気がなくても糖質回避をすることの提案です。病気を避ける理想の食べ方を盛り込んだ諺を作ってみたに過ぎません。

少なくとも花粉症やアトピー性皮膚炎、ニキビはかなりの確率で改善が期待出来ます。イボなどの腫瘍性病変も食べ方により改善が期待出来ます。逆に言えば食べ方によって病気を発症しているだけなのかもしれません。食べ方による病気は身体の発するSOSなのかもしれません。身体に負担のかかる食べ方をしていることを、病気として知らせてくれているのです。

病気の発症する先の糖質回避を促す諺が「病気の先の糖質回避」です。簡単な食べ方の工夫で病気になる確率が変わるのであればやらなければ勿体無いと私は思います。良性腫瘍であるイボが糖質回避により改善するので、悪性腫瘍に対しても効果が期待出来ると考えています。

まだ状況証拠しかない不確かな宗教のような話です。しかし糖質回避という身体に負担のない食べ方で病気が避けられる可能性があるのなら試してみて損はないと私は思います。もし信じて頂けるなら糖質回避あるいは病気を避ける理想の食べ方を試してみて下さい。

間違いを正す仕組み

人間のやることには間違いがつきものです。人間である限り物事を絶えず完璧にこなすことは不可能です。

であれば、間違いを正す仕組みが必要なはずです。間違いを修正する仕組みと言い換えても良いかもしれません。政治が混沌としスッキリしないのは間違いを正す仕組みが存在しないからではないでしょうか?

世界的に主流の経済の仕組みは資本主義ですが、間違いを正す仕組みが自然に働くため繁栄しています。何故なら間違った商売は選ばれることなく物やサービスが売れず淘汰されてしまうからです。多くの人が求める商売が結果的に正しいとわかるのです。丁度生物が自然に適したものが生き残ることに似ています。そのため民間企業は自己責任において様々な商売を行い、適切な商売は繁盛し不適切な商売は淘汰されるのです。不適切な商売を行うと人々に選んでもらえず、経営が成り立たないことで自然と正されます。間違いが自然と正される仕組みが資本主義の本質です。

資本主義は自然淘汰の仕組みが備わっているため、成り行きに任せておけば優れたものが勝手に生き残ります。そのため商売を始めようとする人は、前もって出来る限り知恵を働かせるのです。資本主義の利点は自然の成り行きに任せれば良いため、間違いを正す仕組みを必要とせず、管理者が不要であることです。

自然の成り行きに任せれば良いため資本主義が選ばれているのです。人間が考え出した様々な物事には間違いを正す仕組みが必要です。例えば医者の間違い、医療ミスを正す仕組みとしては裁判があります。間違いを正す仕組みがあるから、間違いをおかさないように気をつける心理が働くのです。もし今でも医療ミスという間違いを正す裁判という制度が無ければ、患者さんは泣き寝入りするしかありません。医者も気をつけるという発想はないでしょう。もし裁判という医者の間違いを正す仕組みが無ければ、自分の行動は全て正しいと勘違いしてしまう医者だらけになっていることでしょう。

人間がやることは間違いだらけです。その中から最適解を手探りで探しているような状況です。間違いがあってはいけないとして隠すから解決が遅れたり泥沼に陥ったりしてしまいます。人間だから間違いが当たり前で、間違いがあれば正せばよいと考え方をそろそろ変えないと勿体無いと私は思います。イジメがなくならないのはイジメがあってはならないという視点から物事を眺めているからです。イジメは一定割合で起こるものだから大事に至る前に解決という視点に立つことです。これも間違いを正す仕組みの一つだと思います。

間違いは起こるものなので、大事に至る前に正す仕組みを作りましょう。例えば議員さん達が様々な問題を起こしても身分が保証されているため剥奪されることはありません。特に政党の比例代表で選出された議員は、政党の代表として選出されているので政党をやめてしまえば議員資格を喪失するはずです。にも関わらずそのような仕組みが存在しないため、開き直ることで議員に居座ることが出来てしまいます。少なくとも政党の比例代表は離党すれば議員資格喪失という仕組みにするべきです。そうしないのは法律を作る自分達政治家がいつそういった状況に陥るかわからないからではないでしょうか?

小学校新設問題、獣医学部新設問題など間違いは起こるものです。責め立てると必死で隠そうとしてしまいます。当然犯罪の責任はとってもらうのですが、間違いの起こらない仕組みつまり再発防止策に協力してくれれば減刑などのメリットを与えることで経緯を全てはっきりさせるべきです。そもそも間違いは無いという視点で制度設計されてしまっているため、綻びが出ると今回のように大騒ぎになってしまいます。そろそろ行政にも間違いを正す仕組みを取り入れて欲しいですね。私の思い付く具体的な間違いを正す仕組みについては改めて書きたいと思います。

第二次世界大戦も間違いを正す仕組みが存在しなかったため、結果として原爆という悲劇に行き着いたのではないかと思います。何故なら戦争の勝敗という意味では、戦争開始して一・二年もすれば決着はついています。何しろ日本には資源がないのですから戦争が長引けば長引く程不利になります。戦争の間違い、つまり負けを認める仕組みが無かったため原爆という決定打を打たれるまで受け入れられなかったのです。しかも広島だけでは間違いを認められず長崎にも落とされてようやく受け入れることが出来ました。

そもそも戦争をすること自体が間違いですからありとあらゆる手段を講じて間違いを避けるべきです。万が一間違いが起こってしまった場合には、出来る限り早く被害が少ないうちに正す仕組みを考えるべきです。間違いは起こらないから考えないではなく、間違いは起こるから正すという考え方をするようにしましょう。

72回目の原爆の日

72回目の原爆の日を迎えました。
人類が初めて実験ではなく武器として核兵器を使ってしまった日です。日本としては使われてしまった日です。

人間としてまだ未熟な幼児が、間違って銃を手にして撃ってしまったようなものだと思います。幼児が刀を持って振り回しても、自分が怪我をしても大人を殺してしまうことはないでしょう。しかし銃は違います。幼児でも引き金をひくことさえ出来れば、大人を殺してしまうことがあり得るのです。そもそも幼児が武器を持つことは通常ありませんが、間違って手にしたとしても刀であれば間違いは起こりません。しかし銃であれば間違いが起こり得ます。つまり銃は幼児にとって予測不可能な結果を招く分不相応な武器だと言えると思います。だから銃は間違っても幼児が手にしないように厳重に管理されているはずです。人類がまだ分別がつかないまま手にした武器が核兵器だったのだと思います。

人間が未熟であれば未熟である程、武器は威力があればある程使いたくなってしまうものです。人類が成熟してから手にすべき破滅的な威力を持つ核兵器を未熟なうちに手にしてしまった結果、使ってしまったのです。

その直後に長崎では使われてしまいましたが、その後72年間攻撃に使われることはありませんでした。使われなかったことわ幸いですが、残念なことに人類が成熟した結果使われなかった訳ではありません。銃を突きつけ睨み合うのと同じように、核兵器をお互いが突きつけ牽制した結果使うに使えなかったに過ぎません。過程はともかく、核兵器が使われないで済むことが何より大切です。

広島と長崎の惨状から本来人類が使ってはいけない兵器であることを理解した一面もあるとは思います。核兵器廃絶は絵空事ですが、自分達からは先制核攻撃しないことを全ての核保有国が約束することで結果として誰も核攻撃をしないことになります。

原爆が人に対して使われてしまった事実は変わりません。その事実は変わらないのですから何を学ぶかが大切です。人類が2度と使ってはならないと学んだのであって欲しいと私は思います。

私は核兵器だけでなく武器が必要なくなる世の中を望んでいます。

今後も核兵器が使われることなく、人類が成熟することを望んでいます。私達が生きている間に、争うことがなくなり武器が必要無い世の中になるといいですね。

73回目の原爆の日も平和に迎えられることを心より望んでいます。そして100回目も200回目も平和に包まれた平和祈念式典が開かれるといいですね。

原爆で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り致します。