高収入でもお金を貯められない人の心理

お金を多く稼いでもお金を貯められないとして悩んでいる人がいるようです。
何故そのように考えるかという根拠を示すと、老後破綻を気をつけようというサイトや家計診断というサイトなどが散見され、貯蓄額の平均額は多いものの中央値はそれほど高くはないことです。更には高収入にも関わらずほとんど貯蓄していないという相談が寄せられると家計診断サイトや一部の雑誌で記事を見かけることがあるからです。

以前もお金を貯めるなら給料アップより意識改革貯蓄には無駄を省くより生活レベルを見直すとしてお金のことを書きましたが、今回は高収入でもお金を貯められない人の心理を考えてみます。その心理を一言で表現すれば、収入あるいは手持ちのお金の多寡によりお金の使い方が変わることです。収入や手持ちのお金の多寡によりお金を使っても良いと意識が変わってしまうので、無駄にお金を使っている自覚もないため節約という概念ではお金が貯まらないのです。

高収入でもお金を貯められない人の心理の特徴は、より高収入の人のお金の使い方に憧れ、お金があればある程使うお金の額も大きくなってしまいます。手持ちのお金や収入によりお金の使い道の質を上げてしまうのです。例えばこれまではファミレスだった食事が、収入が増えたことでホテルのレストランで食べるようになったり、回転寿司が回らないお寿司屋さんになったりといった具合です。他にも収入や手持ちのお金の多寡によって着る服やアクセサリー、家や車などをグレードアップしてしまいがちです。しかも周囲の高収入の人の生活と比較することで、更に多くのお金を使うことに憧れてしまいます。人と比較し羨ましいと思う心理がより一層お金を使う喜びを刺激し、より多くお金を使ってしまうのです。お金を使う喜びに溺れてしまうと手持ちのお金をこえてカードで支払うようになり、更にこえてしまうと借金をしてでもお金を使うようになってしまいます。

お金を貯める極意

お金を貯められない人の心理は収入や手持ちのお金の多寡によりお金の使い方が変わることでした。つまり高収入になればなるほど消費も増えるのでお金は貯められませんし、高収入故に見栄消費をするようになると下手をすると借金生活に陥ります。

お金を貯める極意は収入や手持ちのお金の多寡によってお金の使い方を変えないことです。具体的には高収入になってもファミレス、回転寿司のままお金の使い方を変えないことです。服やアクセサリー、家や車などでも同様にお金の使い方を変えないことです。

高収入になっても元の生活を維持することができれば簡単な引き算でわかるようにお金は貯まります。

収入が増えたとしても、全て変えるのではなく、外食・服・アクセサリー・家や車のいずれか一部だけお金の使い方変えることでお金が貯まるようになるはずです。

不謹慎狩り 次はディズニーランド

奥様を亡くされた歌舞伎俳優さんがブログを何度も更新されたことを非難する書き込みがあったそうですが、今回はディズニーランドに行ったことを非難する書き込みがあったそうです。

不謹慎狩りをする人の心理に描きましたが、非難する書き込みにより結局構ってほしいのです。

ディズニーランドに行かれたことを書き込んだのは、それを見た人達が前向きに生きていることを感じ取ってもらうことを目的としているはずです。自分自身が前向きに生きなければいけないという決意の表れなのかもしれません。歌舞伎俳優さんがディズニーランドに行かれたことを書いた目的がいずれにしても、他人がとやかくいう問題ではありません。家族でどのように受け止めどのように生きられるのか、家族の問題です。心配してくださる人達がおられるので、その人たちに向けた情報発信をしているにすぎません。

自分が困らない問題に対して求められてもいないのに意見を言ったり口出しをするからトラブルに発展するのです。自分の困らない問題には口出し、少なくとも攻撃をしない。こんな基本的なルールをみんながわきまえるだけで争いの少ない国になると私は思います(問題論)。

こんな理不尽な言いがかりに心揺れたときには魔法の言葉で乗り切りましょう。

気にして下さってありがとうございます

都議選に思う

私は都民ではありませんが、テレビでしきりと報道されるのでふと考えたことを書いてみようと思います。

自民対都民ファーストの会という構図でした。結果は都民ファーストの会の圧勝でした。結果は結果です。都民は都民ファーストの会を選んだということです。都政だけではなく国会議員の醜聞が影響を与えたとされています。

限界を迎えつつある民主主義とは正解を選ぶものではなく、最適解を選ぶものです。正解がなければ消去法で一番ましな人を選ぶしかないのが現状です。ましな人がいなければ投票しないというのが現状ですが、今回はこれまでとは違う選択肢が別に用意されたため投票してみたというところでしょう。

本来であれば都議会は都知事の暴走を止めることを目的とする組織です。選挙という関門があるとはいえ、その都議会を都知事の考えに賛同する人達で埋めることには疑問があります。大阪で市長や府知事に賛同する政党を作って議会を動かした実績があるので、当たり前のようにみんなが受け入れていますが本来の知事・市長・議会の役割を逸脱していると私は思います。

築地から豊洲への移転を止めて知事の力を誇示し、結局何も変わらないまま移転を認めるという暴走を止められないまま都議選になったため当然といえば当然の結果です。移転を止めた都知事の目的は都知事の権力の誇示だったようです。幸い選挙に勝ったことを考えると目的は達成されたようです。国政の影響で敗れたと言い訳している落選議員もいましたが、本来の仕事である都知事の暴走を止められなかったことが原因であることは気づいていないようです。

今回の選挙で都知事の行動を都民が承認したと受け止める可能性があるので、更なる暴走が始まりそうです。何故なら暴走を止めるべき都議会の多くをとりこんでしまったからです。暴走の目的は権力の誇示と人心掌握のようなので、そのような視点で都知事の行動を見ていると面白いかもしれません。

暴走の目的が権力の誇示でも人心掌握でも私は構いませんが、政治をみんなのためになる方向に導いてほしいと思います。最終目的が私利私欲ではなく、みんなのためになる理想の政治であることを祈っています。

ググれカスとググってもカス

ググれとは、googleで調べろという意味です。
ググれカスとは、自分でgoogleで調べれば簡単にわかることを他人に聞くことをカスと表現しているようです。カスという蔑むような表現はともかく、自分で出来ることをしようとしない人に投げかける言葉です。

最近では『ググってもカス』という言葉まで出ているそうです。
『ググってもカス』には二つの意味があると私は思います。カスが人を表すか情報を表すかです。
ググっても必要な情報を得ることが出来ない人に対する言葉と、ググって出てきた情報が有益ではないことを表す言葉です。

自分で情報を得ようとしない人は論外ですが、情報の求め方次第では『ググってもカス』となるようです。
いずれも情報を探す側の知識が必要だということの現れだと思います。
一つはググり方の問題。一つはググって得た情報の検証の問題です。
ググり方の問題とは、検索するキーワードを事前に選ぶことです。求める情報を適切に出せる検索キーワードを絞り込むことが必要です。これが出来ないと必要な情報を短時間で取り出すことが出来ないため、『ググってもカス』となります。
もう一つのググって得た情報の検証とは、ググって出てくる膨大な情報の中から求める情報を探しだし、その情報が正しいかどうか自分の知識と照らし合わせる作業のことです。事前に正しいかどうか検証するための知識がなければ、ググって出てくる情報の真偽が判断できません。情報における砂上の楼閣のようなものです。出てきた情報の根拠がない、あるいは信頼性がわからない情報を元に書き込んであるものが無数に散見されます。ネット上に書き込んだ人が根拠なく空想のように思いついた情報が無数に存在するのです。書き込む目的は広告収入です。事実ではなく見てもらえることを目的としてそれらしいことを根拠なく書き込んでいる人達がいるのです。テレビが視聴率のためにいい加減な情報を垂れ流していたことが思い出されます。
患者さんと話をしていると、荒唐無稽な質問をされる方がおられるので質問の意図を聞いてみるとネットで読んだと言われます。ネットを信じておられる方はいわばネット教という宗教の信者のようなものです。時間をかけて説得しても私には説得できる自信はないため、『ネットと私とどちらを信じるかですね』として議論を避けます。
話が脱線しましたが、ググった情報がカスか意味あるものかを判断するだけの予備知識が求められる時代になっているということです。

このサイトは私がこれまで得た様々な知識を元に確かだと私が確認できたことのみ掲載してているつもりです。このサイトが正しい情報を身につけるお手伝いが出来ると幸いです。

自分がカスにならないように、またカスをつかまないように正しい情報を得る知恵を身につけたいですね。

 

目的論が国を動かす

人間の行動には必ず目的があります。
人々の多くは理由により行動を左右していると考えているため、理由を追求しますが私は無意味だと思います。何故なら理由は後付けの言い訳と区別がつかなくなるからです。理由を訊ねられた場合自分に都合の良い理由を口にするからです。つまり言い訳と理由を区別する必要があるため時間の無駄です。
余り知られていませんが、自覚しているか自覚していないかの違いはあるものの通常人は目的によって行動が左右されています。

例えば車で移動するのか歩くのかを決める際、人に理由を聞かれれば早く移動するために車で移動すると答えるかもしれません。実際にはただ単に身体が楽をするという目的で車で移動するに過ぎません。逆にわざわざ歩くことを選択するのであれば、人に聞かれると健康のためと答えるかもしれません。しかし実際には早く行きたくないからゆっくり行きたいという目的を達成するためにゆっくり移動するために歩いているに過ぎません。つまり目的はゆっくり到着することなのです。人に尋ねられても行きたくないからとは言えないからそれらしい言い訳、健康のためと答えるのです。

話が少し逸れましたが、目的論が国を動かしたことが私が知る限り2回あります。
一つは薩長同盟、一つは日中国交正常化です。
今では日本国内の薩摩と長州ですが、かつてはそれぞれ国として仲たがいしていました。その二つの国が手を取り合って同盟を結んだことで国が動きました。このとき坂本龍馬氏が間を取り持ったとされています。喧嘩している相手を結びつけるには同じ目的達成するために手を取り合ったのです。
日中国交正常化は田中角栄氏が間を取り持ちました。日本と中国が国交を正常化するという目的の元で話し合い合意を得たのです。恐らく田中角栄氏は目的を前面に出し、交渉にあたったはずです。中国からすれば過去攻め入った国との交渉ですから簡単には許すことの出来ない相手です。しかし過去は変えられません。その解釈を議論しても無意味だと田中角栄氏は悟っておられたのでしょう。

私は坂本龍馬氏、田中角栄氏は誰から教えてもらうことなく人間の考え方の真理、目的論にたどり着いていたのではないかと考えています。
しかもアドラーの心理学でいう共同体感覚に似た感覚にもたどり着いていたのだと思います。坂本龍馬氏は日本全体で考える。田中角栄氏は日本と中国全体で考えるという物事の大きな考え方ができたのだと思います。
常識の枠の外でも答えを探す天才でしたが、残念なことに二人とも天才過ぎて周囲の人達は理解しきれなかったようです。

目的論が世の中を変えることが出来ると私は考えています。
目的を話し合う世の中になってくれることを心から望みます。

自衛隊ならぬ自民隊?

以前から失言について書いていますが、今回は防衛大臣の発言が問題になっています。
都議選の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」という趣旨の発言をされたそうです。

恐らく防衛大臣ご自身は何を言っても良いのか悪いのかわからず発言されているようです。その証拠に時間をおいて取材されても、何が問題だったか記者の方に教えてもらって初めて理解されたことです。これまでも発言が軽く問題になっていましたが、今回は自分が自衛官のトップだから自民党に投票してくださいという発言にはってしまっています。自民党の防衛隊という印象を与えてしまいました。取材陣も『自衛隊ならぬ自民党の防衛隊、自民隊ですか?』と質問すればよいのではないかと思います。

更に政権は憲法改正を視野にいれています。
状況によっては自民軍にしようとしているのかと疑われてしまいます。

日本ではさすがに起こりえないと信じたいのですが、ある一党独裁国家では現実に軍隊の銃が国民に向けられ現実に死者も出たようです。某国では現実に国軍ではなく党軍なのです。

私自身は支持政党はないため自民党に対しても中立ですが、憲法改正を目指している割に防衛大臣の思慮が浅く、発言に配慮が足らないことを残念に思います。

取材陣も『防衛大臣の発言は自民隊のように聞こえますが、憲法改正で自民軍を目指されるのですか?違うのであれば、わかるようにご説明ください』と質問すると真意を引き出せるのではないかと思います。

私としては自民隊という認識をしている訳ではなく、ただ思慮が足らなかっただけの失言であってほしいと思っています。

問題発言の議員さんも元自民党でしたし、組織票による民主主義の限界が近づいているのかもしれません。

後で条件を出された場合 目的を訊ねる

議論や審議の途中、後で条件を出される場合があります。
世間一般では理由を聞きますが、無意味です。何故なら理由とは言い訳を考えているに過ぎないからです。百歩譲って理由があって後から条件を付け足したのかもしれませんが、他に理由があっても本当のことが言えないからそれらしい言い訳と区別がつかないのです。
理由を聞くことが時間の無駄なのは、本当の理由・判断の根拠なのか言い訳なのかを聞いた側が知恵を使って見極める必要があるからです。言い訳を論破するにはかなりの労力と知恵を要します。

後で条件を出された場合には、後で条件を付けくわえた目的を訊ねるのです。問い質すという方がもしかしたら正確かもしれません。
理由はいくつでも出てきます。言い訳なのですから、それらしく聞こえる理由を並べればよいからです。しかしかなりの知恵がなければ目的をすり替えることは困難です。少なくとも私の知恵では目的をすり替えて答えることはできません。目的がないということはあり得ません。人間の行動には目的を自覚しているか自覚していないかに関わらず、必ず目的があるからです(目的論)。

少し前に提案したのは獣医学部新設の問題点 後出しジャンケンに書いた、獣医学部新設の審議の際、後から同一地域に獣医学部がないことという決定的な条件を付けくわえたことです。本当に同一地域に獣医学部がないことが重要であれば、最初から設定されるべき条件です。最初からこの条件が設定されていれば、他大学も四国での開学を目指したはずです。他地域での開学に向けて無駄な労力を使う必要がなかったはずです。

例えば出された条件で案を作成し、提出した後で更に条件を突き付けられた場合に目的を訊ねることは重要です。何故なら思いつきで条件を突き付けたのであれば、再度提出しても更に条件を加えられる可能性があるからです。目的・方向性が前もってわかっていれば、対策もできる可能性があります。目的を教えてもらえないのであれば、付け加えた条件は獣医学部新設の時と同様断るための言い訳に過ぎません。目的を訊ねることは言い訳を見極めるために非常に有効です。

妻が亡くなり更新回数が多いと非難する人の心理

元アナウンサーで有名な歌舞伎俳優さんの奥様が亡くなりました。
奥様が亡くなられた後で歌舞伎俳優さんが1日十数回ものブログを更新されたことを非難する人がいるそうです。その心理を考えてみたいと思います。

一言でいえば自分の心理を押し付けたい人です。言い換えると不謹慎狩りの一種でしょう。
悲しんでいる自分が正しく、悲しむとは静かにすることだという考え方に捉われている人です。自分が悲しんでいないのに、人が同じように悲しんでいないことに勝手に憤りを感じてしまうのです。非難している人の文章を少し読みましたが、奥様の実の親だと許せないはずだと勝手に置き換えて非難しています。

他人を非難することで自分こそが正しいと認識してほしいのです。
面と向かって人と話をするのであれば、言えないことでも匿名であるネットだからこそ好き勝手なことを書き込んでいるに過ぎません。何故なら面と向かって話をするのであれば、後でこんなことを言ったと責められることがあるからです。直接責められないまでも、人からの見られ方が変わることを恐れて安易なことは言えないのです。匿名だからこそ後で責められる可能性を考えない無責任な書き込みに過ぎません。

人の行動には必ず目的があるはずです(目的論)。非難する人の目的を考えてみれば、人から構ってほしい構ってチャンなのでしょう。非難したことで非難されても相手にされないよりも、ましだと考えるのです。ちょうど愛情に飢えた子供が非行に走り、無関心よりも怒られることを選択する心理と同じだと思います。

心ある人であれば、歌舞伎俳優さんの悲しみを感じ取ることはできるはずです。

歌舞伎俳優さんは非難の声があることは知っておられましたが、静かに受け流されていました。立派な大人の対応だと思います。
このような言われない非難を受けた状況を抜け出す魔法の言葉を思いつきました。
気にしてくださってありがとう

魔法の言葉 気にして下さってありがとう

私は魔法の言葉という考え方を提案しています。
余計な心配をしてくれた人には『心配してくれてありがとう』という考え方を提案しています。

今回は奥様が亡くなられた後で1日に十数回ブログを更新していることを回数が多いと歌舞伎俳優さん非難されたことを知って思ったことです。明らかに心配している訳ではないため、『気にして下さってありがとう』という考え方に思い至りました。

奥様を早くに亡くされて悲しみの中にあり、その悲しみの癒し方は人それぞれです。その悲しみの癒し方を迷惑を被っている訳でもない他人がとやかく言うのは越権行為で、一言でいえば余計なお世話です。しかし相手に直接余計なお世話と言えば角が立ちますし、同じレベルに降りていって相手にしてあげる必要はありません。

余計なお世話だと思った際には心穏やかに魔法の言葉をお返ししましょう。

気にして下さってありがとうございます。

獣医学部新設の問題点 後出しジャンケン

今となっては開学出来るかどうか疑問が残りますが、獣医学部が新設される方向で多くの人々が動いています。
問題は獣医学部を新設する経営者が総理大臣の友人であり公私混同だとされていることです。

これまで何年も認められなかったものが突然認められ、急ピッチで開学に向けて動いているようです。

審議の過程において2大学が名乗りをあげました。その後条件が追加されたため、現在の大学に決まったようです。

後で条件が追加されたため、追加された条件により大学が絞られてしまいました。
私はアドラーの心理学の人間の行動には必ず目的があるという目的論を信じていますので、今回わざわざ選考過程で条件が追加されたことに目的があると思います。
私は選考過程で条件を追加した目的は、大学を今の大学に絞り込むことだと思います。

追加された条件は『現在近隣に獣医学部がないということ』が条件でした。もしもう一つの大学を選ぶことを目的に条件を追加するとすれば、『近隣の獣医学部と連携が取れること』という条件を追加したことでしょう。後出しジャンケンなのですから、選び出すために条件を設定できるということです。

今回の問題は後出しジャンケンを追求しなかったことです。新聞社やテレビ局が後出しジャンケンのように後で条件を出した目的を聞くようにするのです。獣医学部の地理的な空白を埋める目的であれば、最初から出すべき条件です。最終選考過程で1大学に絞られてしまう条件を後で出す時点で、選ぶ側が1つの大学に絞り込みたかったはずです。理由を聞くと言い訳をいくらでも用意されてしまうので、言い訳のきかない目的を追求するのです。突然思いついたという言い訳をするのであれば、大して重大ではないため撤回して議論しましょうと振り出しに指し戻せばよいのです。

本当に地域が絶対条件なのであれば、お互い無駄なことをしないために最初から地域を限定するという条件を出して公募するべきです。
行政・政治の後出しジャンケンを認めてはいけません。後出しジャンケンを認めてしまえば、行政や政治家の好きなよう後で条件を付けることが出来るからです。
最終選考でわざわざ地域を限定する目的を問いただしてほしいものです。

質問の仕方も『大学を絞り込む目的以外に、わざわざ選考過程の最終段階で地域の条件を付けくわえた目的があればお答えください。』『人間の行動に目的は必ずあるはずですから、答えられなければ大学を絞り込むことだと認めたことになります。』『大学を絞り込む目的以外に目的があればお答えください』
という質問の仕方にします。
大学を絞り込む目的ではない言い訳から始まるはずなので、答えに窮して自滅すると私は思います。誰か質問してほしいものです。