Youtuberの暴走

Youtuberの暴走がテレビで報道されることがあります。

今回報道されたのは白い粉を覚せい剤のように振る舞い、警察官に追いかけさせるというものです。
白い粉は砂糖らしいのですが、警察官の前でわざと落とし走って逃げるというものでです。
パトカーも出動し大事になっています。
1人が行っただけであればそれほど問題ではないと思いますが、動画に撮影しyoutubeにアップしていることが問題だと思います。何故なら真似をする輩が出てくる可能性があるからです。
テレビでも犯罪に問われる可能性があると伝えていましたが、今回のyoutuberを犯罪で検挙するべきだと思います。

真っ先に思いついたのは威力業務妨害だと思いましたが、本来の業務だから妨害していないということだそうです。それなら故意に警察官に誤認させる紛らわしい行動をとったということで、公務執行妨害で検挙することを考えるべきだと思います。少なくとも改めて事情聴取をするべきです。

いわば何も知らない子供のような人が警察官をからかっただけのことです。犯罪になるとは思っていなかったはずです。犯罪ですよと世間に知らしめることで警察官の無駄な仕事が増えないと思うのです。紛らわしい行動をわざとすると犯罪に問われるということを知らしめるのです。もし現在取り締まる法律がないのであれば作るべきです。

youtuberにとってはただのネタでお金を得る仕事の一環かもしれませんが、からかわれる人間にとってはたまったものではありません。
再発防止策を考えるべきです。
警察への取材では静観するような回答だったようですが、今後の再発防止のために何らかの警告をしておかなければ、警察官をからかっても罪に問われないというメッセージに繋がってしまいます。

偶然を捉える面白動画は偶然の妙がありますが、ドッキリというのは作為があるため恣意的で作者のモラルが問われます。特に見知らぬ人をターゲットにすることは犯罪として取り締まる法律を作っても良いのではないかと私は思います。他人を故意に驚かせることは犯罪として法律を作るのです。故意かどうかは少なくとも撮影していれば簡単に証明できると思うのです。

国会議員の皆さん、こんな法案いかがですか?

国連安保理制裁決議草案 某国への石油禁輸反対

国連安保理制裁決議草案がわかりまいた。
某国への石油輸出を全面的に禁止するという内容です。私は石油の禁輸は反対です。
かといって私は某国を支持している訳ではありません。制裁をしてはいけないという訳でもありません。石油禁輸は危険だと思うのです。

私が石油禁輸に反対する理由は一つです。
戦前の日本と全く同じだからです。
日本は国際連盟により迫られた満州からの撤退を拒絶したため、石油禁輸処置を受けてしまいました。国際連盟加盟国は石油の禁輸と引き換えにされたら、満州撤退を受け入れると思い込んでいました。まさか石油を絶たれてでも満州を手放さないとは考えもしなかったのです。合理的にしか物事を考えない国際連盟加盟国の人達からすると、命をかけてメンツやプライドを守ろうとする日本の考え方が想像できなかったことが戦争に至った原因です。
日本への石油禁輸は逃げ道を完全に塞いでしまいました。
結果は事前の予想通りアメリカの勝ちになりましたが、合理的に考えるとは限らない日本人の行動原理が理解できなかったため、予想外の痛手を被りました。国力の差から合理的に考えた予想とは全く異なる勝ち方になってしまったのです。命を懸けて突入された神風特攻隊や人間魚雷回転などは恐怖以外の何物でもなかったことでしょう。

戦前の日本は石油と引き換えにしてでも満州を手放すわけにはいかないと考えました。国際連盟各国は石油がなければ何も出来ないのだから、石油が手に入らない状況に陥れば満州を手放すと考えていたのです。その認識の齟齬が悲劇をもたらしたのです。

戦前の日本との共通点

今回の某国が戦前の日本に似ていると思います。
戦前の日本は満州に固執しました。
某国は核兵器に固執しています。

戦前の日本は国際連盟から石油禁輸処置を受けました。
某国は国際連合から石油禁輸処置を受けそうです。

戦前の日本は合理的に物事を考えることをしませんでした。
戦力・国力・資源などを総合的に考えて戦うということをせず、負けることは想定せずに戦争をはじめてしまいました。
某国も国民が飢えながら核兵器を開発していることからも、合理的に物事を考えているようには思えません。

戦前の日本は報道統制がされており国民に事実が知らされませんでした。
某国でも統治するために都合の良いことだけしか国民に知らされていないようです。

逃げ道がなくなると破れかぶれになる

石油禁輸が議決されると、逃げ道がなくなるため戦前の日本のように石油が残っているうちにうって出てしまう可能性が出てきます。
戦前の日本のように某国が思い切った行動に出て、早期に停戦をすることを目指して軍事行動を仕掛けてしまう可能性があるのです。

いかに困難であっても逃げ道が残されていれば生き残る算段をしますが、逃げ道が全て塞がれてしまうと戦前の日本のように破れかぶれの行動に出てしまうかもしれません。

私は混乱を避けるためにい逃げ道はあけておく方が良いと思います。
戦前の日本と同じで制裁を合理的に考えることが出来ず、余力のあるうちは恐らく何を引き換えにしても受け入れないと思います。いきなり禁輸ではなく石油を半分あるいは3分の1に抑え、次にミサイル発射・核実験をすれば更に半分あるいは3分の1というように制裁を実感させながら促すしかないように思います。

恐らく石油禁輸をしても核実験は続けると思いますし、石油禁輸をしても効果がなければ・・・。誰も制御できなくなってしまうからです。

それよりも超大国との同盟関係にあるため、攻められないとたかをくくっているところがあるので、同盟関係の見直しを提案する方が現実的ではないかと思います。

軍事衝突が起こることなく解決することを祈っています。

国会議員の不倫騒動に関して思う

国会議員の不倫騒動に関して思うことを書いてみたいと思います。
正直私の生活には関係ないのですが、テレビで報道しているためふと思ったこと書き留めてみたいと思います。(ちなみに人がついつい芸能ニュースを見てしまう理由は野次馬の心理をご覧ください)
思ったことは2点です。
・この時期の報道には何らかの意図がありそうだということ。
・報道姿勢についてです。

この時期の報道に思う

不倫騒動の国会議員は幹事長に就任予定でしたが、不倫報道があるということで急きょ他の方になりました。
幹事長就任前に報道することに意図があるように思いました。何故なら1・2週間待てば幹事長に就任していたわけです。幹事長という要職に就いている人の不倫報道の方が雑誌は売れると考えるため、経済原理では就任まで待つと思うのです。にも関わらず直前に報道するということは、何らかの目的があるように思うのです。
あくまでも私の想像に過ぎませんが、幹事長就任に不満を抱く人達が党のイメージを下げつつも、幹事長主任後という最悪のタイミングを避けて報道するように恣意的に動いたことが考えられます。

一番雑誌の売れるであろうタイミングの幹事長就任直後ではなく就任直前にわざわざ報道する目的が、私の頭で考えた限り他には思いつきませんでした。

他にこのタイミングで雑誌に掲載する目的があれば報道してほしいと思います。

報道姿勢について

自分の生活には全く関係のないはずの不倫報道で疑問に思うのは、さも被害を被ったような姿勢で報道することです。
芸能人が不倫をしても報道陣には全く関係がありません。そもそも芸能ニュースを見てしまうのは、野次馬の心理が働くからに過ぎません。
生活には全く関係のないにも関わらず不倫をわざわざ報道してしまうのは視聴率が一定数とれるからでしょう。

芸能人の不倫は好きにされれば良いと思いますが、政治家となると少し話は変わってくると思います。何故なら政治家は法律というルールを作ることが仕事だからです。結婚というルールを守ることが出来ない結果不倫をしてしまいます。ルールを守ることが出来ない人が国民全員が守るべき法律というルールを作ることに問題があるのではないかと疑問に思います。
不倫そのものは配偶者の権利の侵害に過ぎませんが、ルールを守ることが出来ない問題を質問しないことが不思議です。
刑事罰を受けるような犯罪ではありませんが、法律で決まったルールを守っていないことは確かです。

婚姻というルールを守ることが出来ない人が法律というルールを作る仕事に就くことの問題点を質問してみるとよいのではないでしょうか?
それとも自分達も不倫をしているからそのような質問はされないのでしょうか?
人のことは国会で責めたてたのに、自分自身がルールを守れない人が国会議員として法律を作る仕事をしていることは疑問に思います。(法案を考えつく能力があるのかどうかは調べてはいませんが・・・)

報道を見ていて2点ふと思ったため、書き留めてみました。

某国の電磁パルス(EMP)攻撃の怖さ

某国が核実験を繰り返しています。
しかも今回は水爆を爆発させたとしています。
さらに電磁パルス(EMP)攻撃を出来ると主張しています。

このことは私が2017/5/2に恐れていると書いた内容そのものです。

核爆弾を遥か上空で爆発させることで生じる電磁波が全ての電気機器を破壊してしまいます。日本は国土が狭いので一発の核爆弾でEMP攻撃をされてしまえば、日本国内全ての電気機器が使用不能になるのです。電気回路に瞬間的な過電流が流れることで回路が焼き切れるのです。

確かディスカバリーチャンネルで見た試算だったと思いますが、その試算によると1年で9割の人間が死んでしまうとされていました。何故なら車や鉄道・船など電気機器を使う輸送手段が全て動かないからです。

これまで見せていた技術を組み合わせるとEMP攻撃は可能だとは思っていましたが、今回某国がEMP攻撃可能だと名言しました。

国際情勢が新たなステージに突入してしまいました。満州を巡り四面楚歌に陥り石油を止められた戦前の日本を思い起こさせる、かなりまずい流れです。

2人の目的が主導権争いに勝つことではなく、あくまでも駆け引きであって目的は平和であって欲しいと心から願います。もし2人のどちらかが主導権争いに勝つことが目的であれば、不測の事態が突発的に起こり得るので怖いですね。

21世紀にもなって東アジアで戦争が起こりませんように心から願っています。

お互い目的を突きつけあって妥協案を探す、目的論でしか解決策はないと思います。誰か坂本龍馬役をしてくれないかな…。

某医大の使い捨て器具の使い回しについて

某医科大学で本来は使い捨ての器具を滅菌して使い回していたことが発覚しました。行政への通報により調査したところ看護師さんが独断で使い回していたことがわかりました。

コンプライアンスが問題となる昨今、ダメなことはダメなので通報自体は正解だと思います。恐らく匿名での通報のた現実には誰が通報したのかはわかりません。ふと誰が通報したのか気になって思考実験してみました。通報の目的で分けて考えてみます。あくまでも私の想像に過ぎません。

一つは患者さんの不利益を避ける良心による通報。もう一つは通報した人の自分の利益のための通報です。最後に思い付いたのは関係者を困らせるこもが目的の悪意の通報です。

良心による通報

すぐに思い付いたのは同僚の看護師さんです。直接関わってはいないものの、偶然本来なら使い捨てのものを滅菌して再使用していることを疑問を持った可能性です。もし同僚の看護師さんが通報したのであれば、直接使い回しをした看護師さんに指摘したかどうかはわかりません。指摘していれば誰が通報したか問題になった際に疑われる可能性が高いため、直接指摘せず通報した場合も十分考えられます。

他にも思い付くのは気付いた医師からの通報です。ただ医師からの通報の可能性はかなり低いと思います。何故なら気付いた時点で自分達で、看護師さんに指示するだけで済むからです。わざわざ通報されなくても改めることが出来るからです。医師からの通報であれば、若手の医師の通報だと思います。

いずれにしても内部からの通報は良心による通報です。そういう人達がいる組織は正常な運営を出来る組織に生まれ変わることが出来るかもしれません。

自分の利益のための通報

ふと思い付いたのが自分の利益のための通報です。通報により誰が得をするのか考えてみました。通報により得をする人がいるのです。得をする人は、自分の利益のために匿名で通報した可能性があります。

あくまでも私の想像、思考実験に過ぎませんが、動機としてはあり得ると思います。患者さんのためという大義名分も成り立ちます。

通報によって得をする人とは使い捨て器具のメーカーの人達です。メーカーは使い捨てを前提に開発し、価格設定をしています。使い捨て器具を滅菌して再使用することを想定して製造していないため、経営が成り立たなくなってしまうかもしれません。使い捨て器具の使い回しというズルにより、メーカーが潰れるのは本意ではないと思います。

現実には通報により得をする訳ではありません。使い捨て器具なので、本来であれば再使用された分が発注されているはずでした。得をする訳ではなく本来の使い捨ての姿に戻るだけです。

私は自分達の利益のための通報で構わないと思います。何故なら使い捨て器具の使い回しというズルを、自分の利益のために遠慮する必要はないからです。自分の利益のために通報し、結果として患者さんのためにもなるからです。

悪意の通報

書いているうちに思い付いたことですが、悪意による通報があります。それは関係者を困らせることを目的とし、コンプライアンスの問題を通報することを手段として利用した場合です。

通報の動機が悪意であっても、使い捨て器具の使い回しという事実に問題があることは明らかです。発覚するきっかけが悪意を元にした通報に過ぎません。

悪意の通報であれば関係者を困らせることが目的なので、当事者に伝えたりはしないでしょう。何故なら当事者が解決して今後使い回しをやめてしまえば、困らなくなってしまうからです。

今回の問題点

上記のいずれの形の通報であったとしても、問題点は通報により発覚したことです。何らかの形で内部事情を知り得る人間が通報したことで発覚したことが問題です。内部からの指摘により改善した訳ではなく、行政からの指導の結果明るみに出てしまったことです。自分達の組織内で自浄作用が働かなかったことを『意味』するからです。

使い回しをした看護師さん達の勿体無いという思いで行っただけであれば、比較的簡単に改善出来るかもしれません。しかし経費削減を組織が求めた結果であれば根が深いと思います。

今後診療を受けられる患者さんのために、組織に自浄作用が残っていることを祈ります。

疑惑の一線市議、一線をこえて辞意表明

状況証拠から逃げ道がない疑惑の神戸市議がいつ辞めるのか興味がありましたが、先ほど辞意を表明したようです。

論理的に物事を判断するデジタル思考で考える人であれば、領収書を発行してくれた人が印刷をしていないと表明した時点で逃げられないことを瞬時に悟ります(そもそもデジタル思考で物事を考える人は先々考えるので、後で申し開きが出来ない行動は極力避けますが…)。逃げられないことを理解するために3日を要したようです。

3日で受け入れたことは政治家として生きていく可能性をギリギリ残したのかもしれませんが、かなり厳しいとは思います。

彼が将来政治家として生きていくことが出来るかどうかは、本当の意味で自分で辞める判断が出来たかどうかです。自分で判断して辞める決断をしたのであれば、生き残る事の出来る可能性が僅かに残りますが、党の人達から説得されて受け入れただけであれば判断力が乏しいので政治家は無理でしょう。

ここからは想像の域を出ませんが、領収書を発行した人が印刷していないと表明した致命的な事実にも関わらず、3日してからの辞意表明は自分での判断では無いように思います。何故なら自分で判断出来れば、致命的な事実により逃げられないことは明らかだから、即座に辞意を表明するはずです。もし即座に辞意を固めたものの、党の人達との調整をしていたのであれば大したものですが…。残念ながら質問の受け答えを見ている限りそこまでの大物ではなさそうです。

一線をこえるこえないで話題になった一線市議こと神戸市議、今回は一線をこえてしまったようですね。マスコミの前に立てば今度は一線をこえたということですか?と質問責めでしょうね。今年の流行語大賞にノミネートされそうですね「一線をこえる」。

24時間はテレビ局を救う

あるテレビ局で24時間テレビ放送がされています。はじめた当時、夜中は放送は休止することが当たり前でした。その点で24時間放送することは画期的でした。更にチャリティーというコンセプトも他には無かったため、意味があったのだと思います。

私が残念に思ったのはチャリティーとして大勢の人に募金を求めながら、自分達は商売にしている点です。人に募金を求めるのですから、当たり前にテレビ局の売り上げ、出演者の出演料も全て寄付されていると誤解していました。出演料などで週刊誌では騒がれていますが、少なくともテレビ局が公式にCM料など収益を全て寄付しているとは発表してはいないようです。収益を全て寄付しながら公式発表しないような奥ゆかしい企業だと良いのですが…。私の想像の範囲内であれば公式発表していない時点で、チャリティーとしながら当日の収益を寄付してはいないのではないかと思います。出演者が出演料、テレビ局が収益を全て寄付しているのであれば心より応援させて頂きます。しかし商売としてやっていながら、人に募金を求めるのであればそのことを公表した上で募金を募るべきだと思います。何故なら誤解してしまう人が多いからです。

愛が地球を救う

がスローガンのようですが、

24時間がテレビ局を救う

が真実ではないでしょうか?噂によるとイメージアップに繋がるので企業は積極的にCMを出すそうです。目的がチャリティーではなくてテレビの収益なのでテレビ局を救うと表現してみました。テレビ局を救うついでに寄付を集めているように思います。はじめた当初は純粋にチャリティーの気持ちから始まったのかもしれませんが、今はお金を目的にしているように見えてしまいます。誤解であって欲しいと思います。

資本主義の世の中ですから私企業が行う経済活動は自由に行っても良いとは思います。しかし視聴者に誤認させて募金を募るのは反則だと思います。いわば募金箱を持っている人がアルバイトで給料をもらっているような状態です。

以前は独特の募金箱を見かけたらしていましたが、このことに気付いてから募金はやめました。まずはテレビ局が24時間の収益全てを寄付してから人に寄付を求めるべきだと私は思います。24時間の収益全てを寄付するようになれば喜んで寄付したいと思います。

24時間はテレビ局を救いますが、愛があると良いですね。

国の行く末をかけた2人のチキンレース

国の行く末をかけた2人のチキンレースが行われています。どちらも望んでチキンレースを始めたわけではないと思いますが、結果としてチキンレースが繰り広げられています。チキンレースとはチキンが憶病者を表す言葉で、度胸試しのゲームです。元々はお互い向かい合って自動車を走らせ、恐怖を感じた方がハンドルを切り、先にハンドルを切った方の負けというゲームです。先にハンドルを切ると憶病者で負けというルールです。言葉や行動で挑発して先に軍事衝突をした方が負けというチキンレースを行なっています。

チキンレースの本当の勝ちはチキンレースから降りること。つまり逃げるが勝ちだと私は思います。少し前に流行ったドラマは「逃げるが恥」だそうですが、私は逃げるは勝ちだと思います。少なくとも負けではないと思います。

チキンレースを繰り広げる2人は逃げることは負けだと考えているのではないかと思います。一番の負けは軍事衝突、戦争に突入することです。軍事衝突や戦争になれば戦争の勝敗はつくかもしれませんが、失うものが圧倒的に大きく誰も得しません。その軍事衝突や戦争に至る可能性があるチキンレースは危険だし勿体無いと私は思います。

国の行く末をかけた2人とも戦争をしたい訳ではないことを祈っていますが、少なくとも戦争になれば被害が甚大になることはわかっていると思います。

チキンレースを繰り返すと何らかの偶発的な事柄で、軍事衝突が起こるかもしれません。ミサイルが狙った所からズレて領地に偶発的に当たってしまうことなどです。万が一人的被害が出てしまうと引くに引けなくなってしまいます。

グアム周辺に打つと警告したことを目的論で考えてみると、警告に対する反応を見極めることだと私は思います。本当に打ってしまうと取り返しはつきませんが、警告することでまずは反応を試しているのです。宣戦布告とみなすとの反応があれば思い留まるが、いつもと変わらぬ反応であれば試しに打ってみるか見極めているのだと思います。正にチキンレースです。

国の行く末をかけた2人のどちらからでも良いのでチキンレースから早く降りて欲しいものです。どちらが大人の人間かが問われていますが…。どちらも鶏だと…。

軍事衝突が起こりませんように。

沖縄・北方担当相の失言の心理

通常の場合、失言する人の心理は他の人の受け取り方まで思い至らないことです。しかし今回の沖縄・北方担当相の失言は心理が少し異なるようです。その理を考えてみます。

一言で言えば舞い上がってしまっているのでしょう。何年か前に現在タレントとして活躍している元議員が、当選直後給料や待遇をテレビで大喜びして話題になりました。その心理と似たような状態なのだと思います。

2人に共通しているのは分不相応な地位を思い掛けず獲得してしまったことではないでしょうか?。

失言の際の表情は2人共喜びに満ち溢れています。通常の失言はうっかりというか聞き手の受け取り方の認識不足ですが、今回の表情からは遊園地にでも行く予定ではしゃぎ回っている子供のように見えます。

元議員で現在タレントは舞い上がった状態から通常の心理に落ち着いて議員を続けましたが、今回の沖縄・北方担当相はどうなるのでしょうか?舞い上がっていたことを素直に認め、今後は地に足をつけ落ち着いて仕事をすると宣言すれば続けることが出来るかもしれません。舞い上がっていたことを認めなければ、他の失言大臣と同様辞めざるを得ないと思います。とはいえ任命責任を問われるので即座に更迭させることは出来ないので、更なる混乱が予想されます。

政治が混乱するのは残念なことです。

言葉により仕事を失ってしまう失言、気をつけなければいけませんね。

72回目の原爆の日

72回目の原爆の日を迎えました。
人類が初めて実験ではなく武器として核兵器を使ってしまった日です。日本としては使われてしまった日です。

人間としてまだ未熟な幼児が、間違って銃を手にして撃ってしまったようなものだと思います。幼児が刀を持って振り回しても、自分が怪我をしても大人を殺してしまうことはないでしょう。しかし銃は違います。幼児でも引き金をひくことさえ出来れば、大人を殺してしまうことがあり得るのです。そもそも幼児が武器を持つことは通常ありませんが、間違って手にしたとしても刀であれば間違いは起こりません。しかし銃であれば間違いが起こり得ます。つまり銃は幼児にとって予測不可能な結果を招く分不相応な武器だと言えると思います。だから銃は間違っても幼児が手にしないように厳重に管理されているはずです。人類がまだ分別がつかないまま手にした武器が核兵器だったのだと思います。

人間が未熟であれば未熟である程、武器は威力があればある程使いたくなってしまうものです。人類が成熟してから手にすべき破滅的な威力を持つ核兵器を未熟なうちに手にしてしまった結果、使ってしまったのです。

その直後に長崎では使われてしまいましたが、その後72年間攻撃に使われることはありませんでした。使われなかったことわ幸いですが、残念なことに人類が成熟した結果使われなかった訳ではありません。銃を突きつけ睨み合うのと同じように、核兵器をお互いが突きつけ牽制した結果使うに使えなかったに過ぎません。過程はともかく、核兵器が使われないで済むことが何より大切です。

広島と長崎の惨状から本来人類が使ってはいけない兵器であることを理解した一面もあるとは思います。核兵器廃絶は絵空事ですが、自分達からは先制核攻撃しないことを全ての核保有国が約束することで結果として誰も核攻撃をしないことになります。

原爆が人に対して使われてしまった事実は変わりません。その事実は変わらないのですから何を学ぶかが大切です。人類が2度と使ってはならないと学んだのであって欲しいと私は思います。

私は核兵器だけでなく武器が必要なくなる世の中を望んでいます。

今後も核兵器が使われることなく、人類が成熟することを望んでいます。私達が生きている間に、争うことがなくなり武器が必要無い世の中になるといいですね。

73回目の原爆の日も平和に迎えられることを心より望んでいます。そして100回目も200回目も平和に包まれた平和祈念式典が開かれるといいですね。

原爆で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り致します。