都知事の言い訳 封じるには

私は東京都民ではありませんから完全な部外者です。ただテレビやネットで言い訳が流されているので言い訳人間だなと思いながら見ています。以前もコメントしてしまいましたが、改めてコメントしてみます。

理由を聞いてもそれらしく聞こえる言い訳を考えてくるだけです。その言い訳を考えるために調査する時間が必要なのです。

私的な領収書が紛れ込んだと言い訳していますが、個人事業主がそのようなことをすれば脱税だとされます。だから一般人には私的な領収書が紛れてしまうことは通常考えられません。

例え話

スーパーで品物を持ったまま、他のことに気を取られてつい店を出てしまいました。そう言えば会計を忘れていました。指摘を受け確認しましたら確かにお金を払っていませんでしたので、お金は払います。お金を払ったので問題ないです。

これで済むなら世の中から万引きという犯罪は無いことになりますね。

今回の話に置き換えてみてください。

質問の仕方

私なら過去の言い訳について取り合ったりしません。切り崩しても他の言い訳を探すだけだからです。私なら他の逃げ道を塞ぎます。

私的な領収書が紛れていたそうですが、時間をかけて調査された結果、他にありませんでしたか?

無いとの返事なら、他に見つかれば隠蔽だと認めるという事ですね。という事は他にも不適切なものが発覚すれば、辞任は当然ですよね?

不適切だった領収書が紛れていたことが、他にも有るなら自ら公表しましょう。他にも有るが公表しないなら公表しない理由では無く、出さない目的を教えてください。

調査していないと言えば、それだけ自信があるという事ですね。それなら見つかれば隠蔽と認めるという事でしょう。

膨大な数なので見切れないと言われれば、多過ぎて適切に処理出来ないということですか?

突然起こり出せば、怒る目的は何ですか?何を隠すために怒っているのですか?と質問すると良いと思います。

とここまで今日の記者会見前に下書きしていました。記者会見で第三者に精査してもらうとネット上に掲載されたのできちんと対応するのかもしれないと思い掲載しないことにしました。しかし記者会見の録画を第三者に精査してもらうを繰り返すばかりでした。言い訳人間の典型のような答弁なので、やはり掲載することにしました。

第三者とは?

私があの記者会見の記者なら、第三者というからには利害関係の無い人間ですよね?と質問します。

現実的には知事が選び、知事が報酬を支払うそうです。それは第三者とは言わないように思います。

言い訳を考える時間稼ぎをするようです。

私なら第三者に精査を依頼する目的は何ですか?と質問します。人は必ず目的を持って行動するという目的論に基づいて質問するのです。理由だと様々な言い訳を探すことが出来ますが、目的は相当頭の回転が良くないと偽ることが困難です。目的は身の潔白を証明するためですか?それとも都合のいい言い訳を考える時間稼ぎですか?と質問します。

身の潔白の証明が目的であれば、それこそ第三者が用意した人物による精査が一番ですね。そのようにしませんか?出来ないならやましいことがあると認めるということですね?

第三者による精査の結果で進退は?という主旨の質問にも精査の結果待ちですとしか答えませんでした。問題があれば辞めますよね?と改めて質問するべきでした。そこで問題があれば辞めますとはっきり言わなければ、問題を指摘しない第三者を選ぶことを意味するということですね?と私なら畳み掛けます。

あと答弁からは辞めないことが前提です。本来であれば精査の結果次第で問題があれば辞めますとしか言えないはずです。精査の目的が問題の有無の追求であれば。そのように返答出来なかったのは精査の目的が問題の有無の追求ではないことが、類推出来ます。

あの記者会見では突っ込みどころ満載でしたが、目的が時間稼ぎのようですから目的は達成されたのでしょう。

余りに典型的な言い訳人間ぶりについ掲載してしまいました。まだまだ色々と出てきそうですね。都民ではない私には関係ないので考えるのはやめますが、テレビでこれらのことが流れ続けるのは何とかして欲しいですね。都知事を選んでしまった東京以外の人には関係無いと思うんですが、野次馬の心理で視聴率が取れるから放送するんでしょうね。

言い訳人間のようですから、封じるのは難しいのかもしれません。封じることが出来るとすれば行動の目的を質問するしかないと思います。

予備知識が無いと物事は理解出来ない

物事を理解するためには予備知識が不可欠です。その予備知識が無いまま物事を理解しようとしても無理があります。学校の勉強が苦手で授業がわからなくなるのもこの、理解するための予備知識の不足が原因です。

説明の上手な人は理解してもらうために必要な予備知識を含めて説明していきます。当然のことながら相手のレベルに応じて予備知識の説明は詳しく話したり簡略化したりして対応します。相手のレベルに合わせ予備知識を追加することが苦手な人が、説明が下手とみなされるのです。

例えば月食という天体現象を説明する場面を考えてみてください。予備知識として自分達が住んでいるのが地球だという予備知識が無ければ理解は非常に困難です。何故なら地球の影が月に映し出されるのが月食だからです。太陽と地球と月の位置関係から説明しなければ、正確に理解してもらうことは困難です。

複雑な物事は特に予備知識が足らなければ決して理解することは出来ません。新しい情報に触れた場合、すぐに理解出来なければ、理解するために必要な予備知識が何かを見極めることが大切です。

学校での勉強の目的は、理解するために不足している予備知識を見極めるトレーニングをしていると解釈するとわかりやすいと思います。だから小手先の答えの導き方を教えてもらったところで、一向に学力が向上しないのです。

一般に頭が良いと言われる人は、自分で不足している予備知識を見極め、その予備知識を吸収出来るようです。人の手助けを受けずに出来るため、頭が良いと言われるのです。

自分で不足している予備知識を見極めるトレーニングをしてみましょう。きっと違う世界が見えるようになりますよ。

ちなみにディープラーニングは不足している予備知識を自分で探し出す新しいコンピュータの学習法です。正にコンピュータが人間をこえようとしています。少なくともすぐに機械に負けてしまわないために、ディープラーニングと同じことが出来るようになりましょう。

恩を仇で返されたという間違い

恩を仇で返されるという考え方があります。私は根本が間違っていると思います。そもそも恩を仇で返されるとは、相手のためになること(恩)をしてあげたにも関わらず、こちらの害になる行動(仇)をとられた場合に使う言葉です。

ここには考え方の間違いがあります。受けた恩は忘れず、与えた恩は忘れるべきです。恩は受けるものであって与えるものではありません。恩を与えたと思っているから腹が立つのです。そもそも恩とは受けた側が感じるものであって、行動した側が感じるものではありません。与えた恩を忘れずに覚えておく時点で、見返りを目的とした浅ましい行動でしかありません。

相手のためになればそれでよいのです。見返りを求めるために行動しているから恩を仇で返されたと感じるのです。恩を仇で返されたと言っている人は見返りを求めて行動していた表れでしかありません。実際には見返りを求めて行動した訳ではないにしても、相手の思いがけない行動に驚いて、何か悪いことをしたか振り返ると恩を感じてくれても良いはずなのにと考えるのでしょう。そこで恩を仇で返されたと言ってしまうのだと思います。ただ見返りを求めて行動したので無ければ、あえて恩を仇で返されたとは言わない方が良いと私は思います。

世の中には色々な人がいるものです。人間関係や状況は刻一刻と変わります。人からしてもらった人として恩は忘れてはいけませんが、人にしてあげたことはすぐに忘れる方がお得です。何故なら相手が恩を感じるのか恩を感じないかは相手の問題だからです。相手が恩を感じているはずだと勝手に期待しても、何も感じていなければ意味がないからです。もし万が一にでも恩を感じてくれていれば、幸運くらいに考える方が良いと思います。

自分が覚えていなくても相手が覚えてくれていれば良いではありませんか?人のためにしてあげたことは早く忘れましょう。そうすれば少なくとも恩を仇で返されることは無くなります。何故なら相手にしてあげたことを忘れているから恩と仇という捉え方が無いからです。

情報を集める前にするべきこと

情報を集める前にするべきことがあります。わかっている人には当たり前の常識ですが、わからない人もいると思いますので敢えて書いてみます。

情報を集める目的を考えることです。目的もなく情報を集めることは、野次馬的好奇心と変わりません。

情報を集める目的をまず明確にすることです。情報を集めることで何を知りたいのか、何がわかるのか前もって考えることです。ただ知りたいことを集めると野次馬的好奇心で情報を集めてしまうかもしれないのです。野次馬的好奇心から集めた情報は、使い道がないので時間の無駄です。

情報を集める目的をまず考えてから、どの情報を集めるのか検討することです。目的が定まることで必要な情報が明確になります。情報を集める最終的な目的は何らかの判断をすることだと思います。逆に言えば判断を左右する情報だけを集めると良いのではないでしょうか?先に情報の目的・使い道を考えてから情報収集をすると無駄な情報をわざわざ探す手間を省くことが出来ます。

情報を集める際に、情報を集める目的を考えることなく、手当たり次第に情報を集めていませんか?

例えば家族旅行を考えた際に、候補地を探す場合、予算や宿泊日数を考えることなく手当たり次第に楽しそうな候補地を探しても無駄が多くなかなか決まりません。一泊2日で移動に片道1日近くかかる場所は、候補地には相応しくありません。先に一泊2日が決まっていれば移動にかけることの出来る時間は多くても半日でしょう。先に一泊2日で予算は5万円と情報を集める目的を決めてから情報を集めると、無駄な候補地を探す手間が省けるのです。

仕事の早い人や手際の良い人は、情報の集め方が上手なのかもしれません。

物事の考え方は参考文献「自分の頭で考えよう ちきりんさん。」をご参考ください。

都知事が家族旅行に政治資金の言い訳

都知事が家族旅行に政治資金を使っていた問題です。

秘書に任せていたら私的な支出が混じっていたという言い訳をしています。考えたら誰でもわかることですが、通常私的な支出に領収書をもらうことはありません。癖でもらったという言い訳をするかもしれませんが、間違いを避けるために普通の人はもらわないはずです。癖とはいえ敢えて領収書をもらったのであれば、目的は通常であれば経費で落とすことでしょう。少なくとも無意識のうちに政治資金に混ざっても良いと考えていたのではないかと思います。絶対に混ざってはいけないと考えていればわざわざもらわないし、もらったとしてもすぐに捨てるように思います。

少なくとも秘書に領収書を渡した時点で、混ざったという子供のような言い訳は通用しないと思います。法律違反はわかっていてもバレないと思っていたからやってしまったのでしょう。本当にわからずにやってしまったのであれば他人のお金である税金を扱う仕事には適性のない証拠です。

万引きして商品を戻したら行為が無かったことになるかと言えばならないでしょう。お猿さんでも嘘をつくのですから、人間なら上手な嘘がつけるでしょう。嘘を見抜けるのは人間だけです。都内には住んでいませんので都知事のことは私には直接関係がありませんが、言い訳が見苦しいので記事にしてみました。

羽毛の産地偽装に思う 人はバレなければ嘘をつく

通常嘘はいけないことだとされています。本音と建て前という嘘はともかくとして、嘘をつくことにより信用を失うため嘘をつかないようにします。

多くの人は「嘘つきは泥棒のはじまり」として嘘をつくことを戒められて育ちます。嘘をつくのが当たり前の世の中だとわざわざ本当かどうか絶えず確認しなければならないため大変です。みんなが快適に過ごすために嘘をつかないようにするのです。

しかし現実にはお猿さんでも赤ちゃんでさえも嘘をつくさんのです。人間の大人が嘘をつかないと考える方がおかしいのです。

では通常人間が嘘をつかないのは何故でしょうか?それは嘘がバレると信用を失い相手をしてもらえなくなるからです。逆に言えばバレなければ嘘をつく可能性があるということです。

そこに嘘をつく隙が生まれてしまうのです。隙を無くすための一番の方法は嘘がないか確認することです。全てを確認するのが一番ですが、一部でも確認すると多くの人が嘘をつかなくなります。嘘が全くバレなければ、出来心で嘘をついてしまう人が多くなります。

私は嘘をつくことで利益を得ることは全て詐欺罪を適応すれば良いと思います。

食品でも産地偽装がありましたが、言ったもん勝ちで嘘がバレるはずがないと考えて嘘をついたのだと思います。建築分野でも耐震強度の偽装もありました。東京オリンピックのデザインの盗用もありました。世の中には様々な嘘が蔓延っています。

多くの場合、小さな嘘からはじまり、バレないことに味をしめて嘘が大きくなるのだと思います。

恐らく自動車の燃費の問題や排ガスの不正も同じだと思います。バレなければ誤魔化しておけば良いと考えてしまうのが人間です。性善説の考え方で制度設計をするのはただの怠慢だと思います。人は誰でも楽して儲けたいのです。

嘘をつくのを咎めても仕方がありません。嘘をつくのは確信犯で倫理観が低いのですから、バレるかバレないかのギャンブルをして負けたくらいにしか思っていません。咎めるよりも、懲罰的な莫大な罰金も含めて相応の対価を支払ってもらうことです。

そしてそのような嘘をつく隙を無くす方法を探すことです。隙を無くすことに協力すれば罰金的な意味合いの対価を減額するようにすれば、喜んで協力するのではないかと思います。嘘つきはそれくらいしか価値がないと私は思います。

今回の羽毛布団の産地偽装は、輸入量と販売量の違いから不正は明らかです。嘘をつく隙を無くすための対策は、抜き打ちで産地の徹底調査を行うなどです。嘘がバレる仕組みが作ってあれば、偽装は減るのではないかと思います。

金髪やタトゥーは仲間を見分ける配慮

テレビ番組である芸能人の人がタトゥーを披露したことでネット上で話題になっているようです。そこで金髪に染めることやタトゥーを入れることに関して書いてみようと思います。

人の行動には意識しているか意識していないかに関わらず、必ず目的があります。自分でもその目的を明確に意識出来ていないまま行動することがあるので、わかりにくくもあります。

金髪に染めることやタトゥーを入れることはその人にとって様々な意味があるのだと思います。ただのおしゃれなのかもしれませんし、他の人とは違うということをアピールしたいのかもしれません。金髪に染めている人やタトゥーを入れている人の思いをとやかく言うことは越権行為だと思います。他人の問題(課題の分離)に口出しをすることになるからです。

髪の毛を金髪に染めたり、タトゥーを入れたりするのは、見た目を飾ることで受け入れてくれる仲間を見分ける配慮だと私は思います。金髪に染めることやタトゥーを入れることは、自分の意思でする限り個人の自由だと私は思います。そしてそのことを個性として受け入れることが出来るか受け入れることが出来ないかも個人の自由だと思います。積極的に友達になるのか距離を置くのか、全く気にしないかは自由だという考え方です。

金髪やタトゥーは受け入れられない人に近寄って欲しくないという目的で身につけた、目に見えないバリアーのようなものなのかもしれません。

もしかしたら、お互いが嫌な思いをしないための配慮なのかもしれません。金髪に染めることやタトゥーを入れることで、その人の中身が変わる訳ではありませんが、見た目を変えて人に見せることで仲間を探しているのではないかと思います。

ちょうど動物や昆虫が仲間を見分けるために、特有な見た目をすることに似ているように思います。

嘘は猿でもつける。嘘を見抜くのは人間だけ

嘘は少し賢いお猿さんでもつくことが出来ます。少し賢いお猿さんのつく嘘とは、敵が来たと警告音を発するのです。騙された周りの仲間が逃げ出した間に、餌を独り占めするのです。お猿さんは嘘を見抜くことが出来ないためか、仲間は責めたりしないそうです(参考:現実を生きるサル、空想を語る人)。言い換えるとお猿さんの中で最も進化した知恵のあるお猿さんが嘘をつくことが出来るようです。嘘をつくのが一番の知恵者なので、周りのお猿さんは嘘を見抜くことが出来ないのです。

少し賢いお猿さんが嘘をつくことが出来るのですから人間が嘘をつくのは仕方のないことなのかもしれません。しかし人間は嘘をつくことはいけないこととして考えられています。嘘をつくことで損をする仕組みになっているのです。嘘がわかってしまうと損をするので多くの人は嘘をつくことが少ないのです。

人間は物事を論理的に考えることが出来るため嘘に気付くことが出来ます。先程の嘘の警告音で仲間を追い払ったのに、残って餌を独り占めしているとおかしいと気付くのです。もし警告音が本当なら一番に逃げ出さなければ辻褄が合いません。そのように考えることで嘘を見抜くことが出来るのです。

お猿さんは最も進化し知恵のあるものが嘘をつくのですが、人間では進化した者は嘘をつかなくなり、最も進化し知恵のある者は嘘を見抜くことが出来るのです。お猿さんでは知恵者の証である嘘が人間では愚か者の証なのは面白いと私は思います。

もしかしたら嘘つきは、後先を考えることの苦手なお猿さんに近いのかもしれません。

ちなみにお猿さんでもつける嘘ですが、人間の赤ちゃんも嘘をつくことが出来ます。赤ちゃんの嘘とは嘘泣きです。本気泣きだと涙を流して要求を訴えますが、嘘泣きはとりあえず声を出して気を引こうとするのです。来てくれるとラッキーくらいの軽い気持ちで声を出しています。良かったら赤ちゃんを嘘を見抜く視点で観察してあげてみてください。

人間は赤ちゃんの頃には嘘をつきますが、知恵をつけると共に嘘をつかなくなるのです。それは嘘をつくとかえって損をするという知恵を身につけるからです。親が教えてくれることもありますが、嘘が発覚することで信用を無くし、嫌でも思い知ることもあるようです。

知らないと怖くない

知らないと怖くありません。

怖くないことを自慢する人がいますし、怖がりを馬鹿にする人までいます。怖くないのは、ただ怖さを知らないだけかもしれないのです。怖さを十分知った上で怖がる必要のない方法を見つけたのであれば良いのですが、怖さを知らないだけであれば困ったものです。

良く知らないだけで闇雲に怖がる必要はありませんが、怖さを知らないのも問題です。

そもそも恐怖心は人が無謀なことをして命を落とさないために、備わったブレーキです。知ることで恐れることも出来ますし、知ることで恐れを乗り越えることも出来ます。

例えば子供は怖いものがありません。危ないという概念がないからです。怖がることが出来ないのです。

怖さを感じることなく行動するのは危険な可能性があるのです。危険に気付く知識を得た上で、危険を乗り越える知恵も身につけることをお勧めします。

何しろ知らないと怖くないのですから。

怖くないのか、怖くなくなったのか、その違いを理解することが大切です。

どんな状況でも現状が正常だと思い込む錯覚

どんな状況でも現状が正常だと思い込んでしまう錯覚に陥ります。

逆に言えば、人はどんな状況にでも当たり前に慣れてしまう素質を備えているのです。

現状を当たり前と考えて正常だと思い込んでしまいます。

例えば糖質依存はご飯を主食とする日本人には当たり前の感覚です。日本人のほとんどの人達が糖質依存に陥っているので、依存状態が当たり前過ぎて、気付くことが出来ないのです。糖質回避により、糖質依存から抜け出して初めて糖質依存だったと理解出来るのです。

現状の当たり前から抜け出すには、比較してみるしかありません。当たり前のものがなければどうなるのかを想像してみるのです。想像がつかなければ実際になくしてみるしかありません。

例えば高校にいくのが当たり前だと思い込んでいたとして、高校にいかなければどうなるのかを考えてみます。義務教育ではないので、必ずしも進学する必要はないので特に問題にはなりません。しかし就職という視点からみると不利になるので、高校卒業と同程度の資格を認める大検を受けるか、その先の大学に進学することを考えてみるのです。

働くことが当たり前でどんな状況でも正常だと思い込んでしまうこともあります。この思い込みにより俗にいうブラック企業が成り立ちます。過酷な労働条件も正常だと思い込んでしまうのです。他の企業と比較をしなければブラックだと気付くことが出来ないのです(実際には労働基準法との比較でも気付くことができます)。

全ての人がタバコを吸っていればタバコを吸うのが当たり前ですが、誰もタバコを吸わない国に行けば、タバコを吸うのが当たり前ではないことに初めて気付くことが出来るのです。

あらゆることを比較してみることで当たり前の思い込みから抜け出すことが出来るかもしれません。