無から有を生み出すことの出来る人だけが生き残る

これからは無から有を生み出すことの出来る人だけが生き残ることの出来る時代がやってきます。既に有るものを工夫するだけなら、恐らくすぐにでも人工知能でも出来るようになるでしょう。今の所無から何かを生み出すことは人間にしか出来ません。もしかしたら機械が無から何かを生み出す時代がやってくるかもしれません。逆に言えば、無から有を生み出す以外は何でも機械がするようになる時代がやってくるのです。人間のする仕事がなくなることを防ぐために、わざわざ機械化せずに人間に仕事を残すかどうか議論される時代がやってくるのではないでしょうか?

過渡期においては機械にドンドン仕事を奪われ、収入を失った人達が路頭に迷う時代がやってくるかもしれません。

少なくとも考える必要のない作業はいつでも機械に仕事を奪われる可能性があります。無から有を生み出す仕事だけが最後まで人間の仕事として残りそうです。

今のうちから無から有を生み出す仕事を考えてみて下さい。

ちなみに作曲家ですら人工知能にとって代わられそうです。既に人工知能による作曲がはじまっていますし、別の人工知能によりヒットする可能性があらかじめ予測できます。組み合わせることで、作曲した中でヒットする可能性の高い物だけを選ぶことは簡単なことのはずです。作曲は限られた記号の組み合わせに過ぎないから、現時点で実現出来たのだと思います。

発明家や起業家、様々なプランナーなど無から有を生み出すことを考えてみて下さい。少なくとも今の子供たちには無から有を生み出すことを伝えてあげましょう。

子供達の問題(保育園等)が後回しにされる理由

子供達の問題が後回しにされています。子供達の問題とは保育園の問題、学童保育の問題などです。
女性には働いて欲しいけど、子供達をみてくれるところがない。そしてその解決策を探しているふりはするけど十分な予算がないというのが現状です。

穿った見方かもしれませんが、これらの問題が解決されないのは選挙の票に結びつかないからだと思います。子供達の対策のしているという言い訳が出来る程度のことをしてやり過ごしているように感じてしまうのです。なにがしか出来ない言い訳を見つけ出して行動しないようにしているようです。

私は子供達は国の宝だと思います。国の立場から見ても将来の納税者です。子供達が将来にわたって一生の間に払う税金の額を考えれば、今のうちに子供達にその何割かを投資することは理にかなっていると思います。しかし現状としてそのようには考えられてはいません。

ヨーロッパの国では子供達を大切にし、教育費や医療費などの負担はほとんどない国もあります。何故なら子供達は国の宝だと考えられているからです。日本では子供達は親の責任で育てるもので、国はサポートするという方針です。良く言えば家族の絆に任せるのですが、悪く言えば家族に責任を押し付けています。親たちは税金を払った残りで子育てするという2重の負担を強いられています。この点が子育てが負のイメージを持たせてしまうのです。

子供達に良い教育を施すことが、将来良い納税者になるのですが目先の得票のことしか考えることの出来ない政治家には考え付かない考え方です。そういう理想的な政策を作ったとしても次の選挙で落ちてしまえば意味がないと考えてしまうのが現状です。

現在の選挙システムでは、投票してくれそうな政策を考えることが目的になってしまっています。民主主義の限界なのかもしれません。今の選挙制度では将来にわたって政策を考える人を選ぶ仕組みにはなっていないからです。

子供達にも選挙権を

この問題を解決する提案が一つあります。
それは子供達にも選挙権を与えるというものです。
実際には未成年者は親権者に投票権をゆだねるということです。
18歳から選挙権を認めるそうですが、日本の将来を考えるならば将来日本を背負って立つ子供達のためになる政策を作ってもらうために子供達にも選挙権を認めるのが一番です。しかし現実には子供には判断がつかないため、次善の策としてその親に選挙権を認めるという案です。将来の納税者を育てている親の意見を積極的に取り入れる社会システムにするためには有効な手立てだと思います。

もし子供の分も選挙権が与えられることになれば、一番に保育園の問題は取りかかるのではないかと思います。保育園の問題はないがしろにしても選挙権が親の1票しかないからです。
これだけで簡単に解決するとは思いませんが、子供達に対するお金の使い方は大きく変わると思います。

比例当選で離党しても議席保持は法の不備

ある党で比例当選した某議員が離党し議席を返してもらえないことを非難しています。以前にもあったのに対策を取らないのは議員達の怠慢でしかありません。何故なら自分達で法律を作ることの出来るという手段があるにも関わらず、非難するだけで法律を作ろうとしないのは怠慢でしかありません。

暗黙のルールとは常識を共有出来る間柄でしか成り立ちません。暗黙のルールを破ったとしても、出来ることと言えば非常識だと非難することしかないのです。常識そのものが共有出来ていないので、非常識だと言われたところで痛くもかゆくもありません。常識が通用するのは党内にとどまる場合だけです。党から飛び出す覚悟を決めてしまえば、党の人達に遠慮する必要などありません。何故なら党から飛び出した時点で、選挙において敵でしか無くなるのです。敵に遠慮するお人好しもそうそういないのではないでしょうか?

暗黙のルールを破る人が出現すると明文化したルールが必要となります。こうしてルールは生まれていきました。明文化された決まりが無ければやったもの勝ちです。明文化されていないのですからルールそのものがないのです。ましてや罰則などありません。

常識的に考えれば党の投票によって得た議席は、離党の時点で返すのが当たり前です。しかし明文化されたルールが無ければ、年間二千万円以上のお金を自ら投げ出す人もいないのではないでしょうか?

人々の常識に沿った、比例議員は離党の時点で議席を失うというルール・法律を作るべきです。何か大人の事情があるのかもしれませんが、ルール・法律を作ろうとしないのは議員の怠慢です。議席を返さないことを議員達が非難しているのは、法律を作ろうとしない自らの愚かさを喧伝することになる情け無い行為なのでやめておく方が良いと私は思います。

テレビでは本当のことは言ってくれません

テレビでは本当のことを言ってくれるとは限りません。一言で言えば大人の事情というやつです。

理想としてはテレビは視聴者の利益になる正しいことを放送するべきですが、資本主義の世の中ではお金を支払う人の利益になるように物事が動きます。
資本主義ではお金を支払う人の利益になることをするという考え方でいけば、NHKは受信料を支払う国民の利益になることを放送するべきです。しかしNHKはお金を支払ってもらう国民が、放送内容が悪くても受信料を支払わないという選択肢が事実上存在しないため、国民の利益を優先して放送するという観点が抜け落ちています。残念ながら厳密な意味では、資本主義の原理に反している状態です。どのような内容を放送しても、視聴者がお金を払うのが当たり前のため視聴者の利益になることを考えることをおろそかにしているようです。そして他の民放と数字で比較される視聴率で負けないことを目的に放送内容を考えているため、方針が迷走し結局は民放と変わらない内容を放送しています。

NHK以外の民放は誰のことを考えて放送しているかと言えば、スポンサーの利益、ひいてはテレビ局の利益のために放送を行っています。資本主義だから企業が利益のために行動することはある程度仕方がないとされています。では視聴者はどういう役割を果たしているかと言えば、テレビ局の利益を上げるための手段でしかないのではないでしょうか?

いくら正しいことを放送してもスポンサーがお金を支払ってくれなくなれば、いくら視聴率を稼いでも仕方がないと考えてしまうようです。残念ながら視聴者に対するテレビのコマーシャルの影響が減りつつあるいる今、スポンサーの意に沿わない放送は事実上出来ないのが現状です。ちなみにテレビコマーシャルの影響が下がりつつあるのは、視聴者が録画してコマーシャルを飛ばして見ることが当たり前になってきているからです。その結果アメリカではリアルタイムで視聴してくれるアメフトのコマーシャル料金が高騰しているそうです。スポーツはリアルタイムで視聴してくれるからです。

大人の事情で本当のことを放送しなくなった一例は糖質回避、一般的には糖質制限です。糖質回避は画期的なアイディアですが一時期を境に放送されなくなりました。当初は画期的なダイエット法として放送されていました。効果が劇的で様々な病気まで治るので危機感を抱く企業が多数出たのだと思います。このままでは企業の存続に関わるので慌てて糖質制限の危険性の喧伝を始めたようです。

糖質制限・糖質回避は様々な病気が治る画期的な食事法です。肥満アトピー性皮膚炎をはじめとする各種アレルギー、2型糖尿病などが治ります。治療薬がいらなくなってしまうので、治ってもらうと困ると考えた人達がスポンサー料を盾に糖質制限を放送しないように伝えているのかもしれません。糖質制限を否定的に放送するテレビ番組のスポンサーがパン屋さんだったこともありました。パン屋さんも危機感を抱いているようです。

糖質依存の危険性を考えると、主食という概念そのものに問題があるのかもしれまけん。しかし上記の理由でNHKが思い切った判断をしない限り、テレビでこのことが拡まることはないでしょう。テレビでは本当のことを放送するとは限らないのです。

本当のことは自分で探すしかありません。幸い21世紀にはインターネットという情報があります。後は嘘も多いインターネットから、正しい情報を見つけ出す知恵をつけるだけです。このサイトがその一助になることが出来れば幸いです。

近い将来銀行は淘汰されていく

銀行に対して恨みがある訳ではありませんが冷静に考えて、近い将来銀行は淘汰されていくと思います。特に地方銀行はかなり厳しい状況に追い込まれそうです。50歳代の銀行員は定年まで何とか持ちこたえられるかもしれませんが、40歳代はかなり厳しいと思います。このマイナス金利で急激に銀行員の未来が閉ざされつつあります。30歳代は間違いなく銀行の統廃合に直面すると思います。

将来に渡って安泰だと誤解されている医者のことを考えても2つの理由から悲観的です。医者は余るので、恐らく待遇は悪化します。丁度参考になるのが歯科医です。歯大を作り歯科医を量産したあと、予防が徹底されたため患者さんの争奪戦となっています。一説によると歯科の勤務医は看護師さんよりも年収が少ないというデータも拝見したことがあります。

話が脱線しましたが、今回予想するのは銀行です。

銀行は人や会社にお金を貸すことで金利により商売をしています。これまではお金を貸す側が主導権を握っていました。お金を貸しても大丈夫な人を選んで貸していました。お金を貸す相手を選ぶこと自体は、確かに仕方のないことでもありました。貸したお金が返ってこなければ意味がありません。貸したお金が返すことが出来るかどうかを見極める与信という作業にノウハウが蓄積され、ここが銀行員の腕の見せ所でした。

お金を借りることの出来る人は、銀行を選ぶ時代になりました。地元の銀行で借りるのが当たり前でしたが、金利が銀行によって異なるので金利の安い銀行を選ぶ時代になったのです。しかも金利が下がっている今は、借り換えると借り手も新たな貸し手とも得をする仕組みです。既に銀行からお金を借りているということはお金を貸す際の最も大切な与信をクリアしているのですから、借り換えてもらえればリスクも低く銀行にとってもお得です。

低金利に見合わないリスクであれば、借り換えを受けないだけのことです。つまりリスクの少ない借り手は低金利にドンドン乗り換えていきます。特に住宅ローンは借り換えリスクも低く、低金利での借り換えが可能です。返済期間がかなり長いので金利差が大きくなるからです。

現在は銀行員が行っている与信も、近い将来人工知能が活用されるに違いありません。嘘を見抜いたり必要な情報を集めるのは当面人間でないと無理かもしれませんが、必要な情報から融資可能かどうかの判断は人工知能の方が得意になるかもしれません。

これから銀行同士の競争が激化します。リスクの低い人達の住宅ローンを中心にした銀行が低金利で引き受けます。通常の銀行は金利以外の魅力を打ち出せなければ住宅ローンを扱うことはなくなります。

更に伏兵はインターネットです。住宅ローンは金利の安い銀行に集約されます。インターネット銀行が住宅ローンを扱うようになると思います。もしかしたら私が知らなだけで既に始まっているかもしれません。他にもインターネットに取って代わられる分野があります。企業への融資です。アイディア一つで、銀行のように細かいことを言われずインターネットを使って資金を集める方法が生まれました。クラウドファウンディングという手法です。アイディアをインターネット上に露出し、そのアイディアの製品を購入したい人が開発費を負担する代わりに安く手に入れる仕組みです。消費者にとっても作り手にとってもお得な仕組みです。クラウドファウンディングを利用するのは、元々銀行に融資してもらうような案件ではないことが多いとは思いますが、企業がお得だと思えば銀行を利用しなくなると思います。アイディア一つで市場調査も兼ねているので銀行の融資係よりはるかに合理的です。

かといって銀行という業種はなくならないとは思いますが、銀行の数が今ほど必要はなくなると思います。必然的に銀行の数が減ると思います。銀行員をリストラして現在と同じような待遇を維持するか、リストラせずに人数を保ったまま待遇を悪化させるかです。他の業種で起こっていることを考えれば恐らくリストラが起こるのではないかと思います。

銀行員の人達は今のうちに次の展開を考えておく方が良さそうです。今から銀行員になろうと考えている人は、銀行の仕事が競争にさらされていることを知っておく方が良いと思います。銀行は様々な制約を受けてはいますが、国から認可を受けた業務を独占しているので努力を怠っていました。そのツケを一気に払わされることになりそうです。例えば振り込み業務は長年15時で終わりです。ネット決済がこれだけ発達してもこのルールを改善しようとしませんでした(ようやく改善するようですが…)。何故なら銀行以外が振り込み出来ず、競争相手がいなかったからです。競争相手がいないので、改善しなくても困らなかったのです。銀行の独占業務に守られていましたが、これからは銀行同士の競争が激化するのですから大変だと思います。

目まぐるしい勢いで状況が変わる現代において、将来にわたって安泰な仕事はなさそうです。医者も銀行員も厳しい時代がやってきそうです。

今の赤ちゃんが働く頃にはどんな世の中になっているのか怖くもあり、楽しみでもあります。

ミスを怒っても意味がない

人間ですから誰でもミスをしてしまいます。
そのミスを怒っても意味がありません。たまたま今回は自分ではなく相手がミスをしただけのことです。
ただしそれが重大な結果を招くミスだったとしたら問題です。何が問題かというと、怒る立場の人がそのミスを事前に予測して防げなかった準備不足でもあるからです。
重大な結果を招く前の途中段階で順調かどうかを確認するのです。例えば途中で声をかけたのに『大丈夫』と言ったからと責める人もいます。しかしその言葉を信じた自分に問題があるのです。どのように大丈夫なのかを確認するという手間を怠った自分の落ち度です。だから怒っても意味がないのです。ミスがあれば重大な結果を招くのであれば、怒る前に自分で防ぐことのできることを考えもせず相手を怒っても意味がないのです。怒るくらいなら怒らなくてすむように自分で知恵を働かせれば良いのです。それにも関わらず手間をかけずに怒るのは、深層心理で怒ることが目的で、ミスする隙を与える罠を仕掛けているのではないかと怪しんでしまいます。怒ることが目的でないと言い切るのであれば、ミスをする隙をなくすために途中でミスがないか、ミスする隙もないかを逐一チェックすれば良いのです。その手間が惜しいのであれば、自分でやりましょう。

ミスを怒っても意味がないもう一つの理由は、過去には戻れないからです。
怒ったところで過去の事実を書き換えることはできません。怒ること自体が破壊的で次に生かすような建設的ではないのです。
過去には戻れないのですから、ミスを未来にどのように生かすかを考えることです。
ミスの原因を考えることも一理ある場合もありますが、責任追及の目的の原因探索に意味はありません。これも責任を逃れるために嘘で塗り固められるからです。次のミスをなくすために原因を考えるのであれば大きな意味があります。

例えば忘れ物というミスがあった。
このミスを怒ることに意味はありません。
ミスをしないように前もって持ち物チェックをして、足らないものがあれば困る前に準備するようにするのです。
この困る場面よりも前にチェックするのが親であり上司の役割だと思います。
それでもミスがあれば、怒るのではなく一緒にミスをなくす方法を笑いながら探せば良いのです。命に関わりかねないミスの恐れがあれば、飛行機の操縦や運行のように何重にも前もってチェックする以外に方法はないと思います。

いずれにしてもミスは誰にでも起こりえるものです。
だからこそ賢い人(上司や親)が、ミスができないようにする仕組みを考えてあげるべきです。

ミスを怒る人は自分が防ぐ余地があったのに、防ごうとしなかったのです。
つまり自分のせいでもあるミスを怒ることに意味はありません。
自分のせいでもあることを知らないという勘違いがミスを怒ることに繋がります。

無料の罠

ただ程怖いものはないと言われたのは昔の話です。今では驚くほど多くの物が無料で楽しめる時代になりました。しかし中には無料は撒き餌で、しっかりとお金を使わせるという釣り針のような仕組みを備えている場合も多々あります。無料というエビで、大金という鯛を釣り上げようとしているのかもしれません。

無料の罠

無料の罠とは無料に潜ませてある釣り針のことです。釣り針に気付かず知らぬ間に大金を注ぎ込んでしまうことがあります。意図的に釣り針を仕組む場合と、高級サービスの一つとして課金制度を用意するものがあります。消費者にとって180度違う仕組みの大きな違いはその目的です。釣り針の仕組まれたものは、利益が目的で利益を上げる手段として無料でサービスを提供します。目的が利益ですからお金を支払ってもらうようにあらゆる仕組みを作ります。例えば無料ゲームが典型的です。無料ゲームはゲーム会社が利益を上げるために様々なイベントを行い、課金してもらうのです。ゲーム会社は利益を上げるために様々な仕組みを作り上げていることを理解した上で、楽しむと理想的な仕組みです。ちなみに無料ゲームに対して常軌を逸して課金し過ぎてしまうのは、ゲームに依存してしまった結果です。糖質依存などの依存と同じで、行為に対して依存するという点でギャンブル依存と極めて病態が似ていると思います。入り口が無料でゲームをはじめる際のハードルが無いに等しいのが問題を大きくしてしまいます。

無料の罠とは、ハマってしまうと無制限に課金する仕組みが備わっていることです。または最終的にお金を支払ってもらう目的で、無料を撒き餌に使うのです。最終的にお金を支払ってもらう目的で無料を売りにするものに、サーバー代無料を大々的に宣伝し、ミネラルウォーターを買ってもらう商売があります。ミネラルウォーターの商売が罠とまでは言えないと思いますが、仕組みを知らないまま話を聞くと無料でお得だと錯覚してしまいます。

無料の罠にかからないために、誰が支払うのか無料の仕組みを知っておく

何も知らないと無料はお得だと考えてしまいます。何も知らないと罠が仕組まれているか罠が仕組まれていないかわかりません。罠の有無の判断に、無料の仕組みを知ることです。いくらでも複製出来るアプリでも、データを保存するためのサーバー代がかかります。そのサーバー代などのランニングコストは誰が支払っているのかを知ることです。

物の販売であれば、無料の部分があれば必ず割高な部分があるはずです。その無料を補う部分を見極めることで無料の罠にかからずに、お得に生活することができます。

例えば本体無料の携帯電話(今はなくなりました)であれば、通話料で本体分を賄うのです。無料の漫画などはコマーシャルを表示することでランニングコストを賄ったり、一巻無料にして残りは購入してもらったりします。

YouTubeは無料で動画を楽しむことが出来ますが、その仕組みはスポンサーがコマーシャル代を負担してくれているので直接視聴者が支払わなくても良いのが画期的な仕組みです。動画提供者にもお金を支払うというこれまでにないビジネスモデルで更に画期的です。

Yahoo!やGoogleなどの検索も無料ですが、検索結果によって広告を反映させることで無料での検索を実現しています。(ちなみにYahoo!とGoogleは経営訪問、経営の目的が全く違うので一度調べてみると面白いですよ。いずれかの優れた経営方針の会社の考え方から「利益は企業の為ならず」の諺を思いつきました)

無料でも罠がないもの

無料がお試しになってもので納得出来たら購入を促すものには罠は仕組まれていません。例えば無料家計簿アプリや便利ツールなどです。無料で出来る範囲と有料範囲が明確に分けてあるので、罠は仕組まれていません。

お試し無料漫画で残りは購入を促すものは罠ではありませんが、衝動買いを促す仕組みを備えているものがあります。つい衝動買いをしてしまいがちな方にとっては罠が仕組まれていることを知っておくと良いと思います。

罠の簡単な見分け方

無料の分を誰が支払う仕組みか考えることです。最終的に自分が支払うのであれば罠かもしれません。衝動買いの心理を刺激する仕組みだと罠です。無料ゲームや次の話の読みたくなるお試し無料漫画などです。納得した時点で支払う仕組みのお試し無料アプリなどは、罠は仕組まれていません。

YouTubeや検索サイトのようにそもそもお金を支払う仕組みのないものは、罠の要素がありませんから安心して使いましょう。

何故無料かを考えてみましょう

夢とお金の国

夢とお金の国、他の国からみるともしかしたら日本はそのように見えているのかもしれませんが、今回は別の話です。

毎年値上げしているあるテーマパークの話です。

子供向けを装っていますが、本来大人向けで言い訳のために子供も楽しめるように装っているというのが正しい解釈だと思います。中学生や高校生になっても楽しめるのは本来大人向けだからです。

そして毎年値上げしています。魅力が高まったから値上げしても入園者は減らないだろうという思惑が透けて見えます。お客さんのことを一番に考えていれば、待ち時間が長く、大して乗り物に乗れないので値上げはしないと思います。利益を目的にしているのは明らかです。企業であれば当たり前だと思われるかもしれませんが、企業が利益だけを追い求める時代は終わったと思います。少なくとも利益を求めない企業が現実にいくつか生まれています。それらの企業は目的が利益ではないのでブレないのが強みです。残念なのが日本の企業ではないことです。成功しているからこそ利益の考え方を「利益は企業の為ならず」のように切り替えてみて欲しいものです。

お金の魔法がかかっているのかもしれません。テーマパークの経営者もお客さんも。利益だけを追い求める企業は魔法が解けた時点で、手痛いしっぺ返しを経験するように思います。値上げしても入園者が減らないと、もしかしたら入園者が減るまでこれからも毎年値上げを続けるかもしれません。ただ一度入園者が減り始めると、魔法が解けた人が増えた結果なので慌てて値下げしても入園者が戻らなくなるかもしれません。

ちなみに大阪の夢とお金の国は、お金の国であることを隠そうとしていないので潔いと思います。ファーストパスがお金で買えることです。お金で並ぶ時間を買ってもらうという発想のようです。自分で余分にお金を払うかどうか選択できるのが理に適っていると思います。

魔法の解き方

夢とお金の国の、お金の魔法の解き方を考えてみます。夢とお金の国の中のことは、お客さんを喜ばせることが目的ではありません。目的は利益です。お客さんを喜ばせることは手段のようです。利益を最大化するために夢を見させてくれているのです。確かに楽しい夢かもしれませんが、お金を稼ぐために幻を見せられていると冷めた目で見てみると魔法も解けるかもしれません。

とはいえ恋人や子供達など、誰かの喜んだ顔を見るために、あえて魔法にかかるのも楽しいひと時なのかもしれません。

いずれにしても夢とお金の国、値上げしても入園者が減らないだろうとタカをくくっているように見受けられるので、入園者が減るとどのように方針を転換するのか興味深いなと思います。

実際には日本国内のお客さんの魔法が解けても、海外からお客さんを呼び込んで、テーマパーク自体は困らないのかもしれません。出来れば「利益は企業の為ならず」の考え方を取り入れて、どこにも負けない企業になって欲しいと私は考えています。

嘘をついて得をすれば全て詐欺罪適応しては?

人の世には様々な嘘が蔓延っています。

ものの本によりますとお猿さんでも嘘をつきますし、赤ちゃんですら嘘をつきます。本音と建て前で建て前は厳密にいえば嘘なのですから程度の差こそあれ、嘘があちこちにあるのは仕方ないのかもしれません。嘘つきは泥棒の始まりという諺(ことわざ)がありますが、人によってはバレなければ良いと考えているようです。もしかしたらバレなければ嘘ではないとすら考えているのかもしれません。

これまで企業の多くの嘘が発覚してきました。産地偽装やテレビのヤラセ、果ては不正プログラムで排ガス基準を検査時だけクリアするという大掛かりなものまでありました。個人では耳が聞こえない偽作曲家や幻の細胞を作り出した偽科学者まで発覚しました。

日本は法治国家で法律によって秩序が保たれています。法である決まりを破るつ罰として律せられるのです。法を破ると罰せられるのが法律ですが、嘘が発覚しても罰が軽すぎるので一か八かの勝負をするのです。嘘が発覚しなければ儲けもので、嘘が発覚しても得られるメリットに比べて明らかに罰が軽いから嘘をつくのだと思います。

嘘によって得をしたことが発覚した場合には、詐欺罪を適応するというように法律を変えてはいかがでしょうか?そもそも法を守らないと罰することで、罰を避けるために法を守らせる意図があります。法律が現状にあっていないのは明らかです。

更に嘘による利益は発覚した場合、不法行為として全額没収することとすると良いと思います。脱税額全て没収の脱税対策と同じような効果が期待できるかもしれません。何しろ嘘が発覚すれば全額没収の上に犯罪者ですから、嘘をついてまで利益を出そうとはしにくくなります。

嘘で利益を得ることを無くすにはこの法律が有効なようですが、政治家が一番に捕まりそうですから自らの首を絞めるような法案は絵に描いた餅で実現は難しいようですね。

嘘のない世の中が来るといいですね。

日本の人や物が世界で信頼される理由

日本の人や物が世界で信頼されています。かつて日本製は信頼出来ない物の代名詞だった時代もあったようですが、今では世界トップクラスの信頼を表すブランドになっています。日本で売れたということが、日本の市場に受け入れられたというブランドにすらなりつつある程の信頼感があるようです。今回ふと思いついた日本の人と物が世界で信頼されている理由を考えてみました。

当然日本人全てが信頼出来る良い人な訳ではありませんが、成功している日本人の多くが共通した考え方をしていると思います。相手のことを思い遣ることが出来るということです。

日本の人や物が世界で信頼されるのは、買った後のことも考えて物を売るからだと思います。日本人は人と長年に渡りより良い関係を築くことを目的として商売をしています。日本は歴史的にみると政治体制が長年安定し、人々が同じ場所で生活することが多かったのです。多くは農家で農業に従事していましたので、引っ越すことが出来なかったのです。商売人もわざわざ引っ越す必要が無かったので長年同じ場所で商売するのが基本でした。粗悪品を騙して売ったとしても長くは続けられません。長く商売するつもりなら、相手のためにもなる商売をするのです。買った後で相手が後悔すると信用を失い、例え利益が出たとしても良しとしないのです。そのため買ってもらった後でわかった不具合も、後悔させないために出来るだけの対応をするのです。あらかじめ不具合を生じないようにするのはもちろん、不具合がわかれば改善策を考えます。相手が困ることを避けるためです。未知の不具合にも備えるために、どうしても価格が高くなってしまいます。高い価格は信用代のようなものです。

一方国の体制が何度も変わり、隣人が何度も変わるのが前提の国々では日本人のような発想は理解できません。騙された方が知恵が足らない分、間抜けだと思われるのです。お金と物を交換した時点で終わりです。不具合が後で分かっても、買う時点で見抜けなかった買い手の落ち度だと考えるようです。苦情を言ったとしても納得してお金を支払ったのだから、筋違いだとされるようです。連絡先のわからない露天や行商人、訪問販売での一度きりの商売のような関係性です。

わかりやすく言えば、日本人は後々のことを考えて落ち度なく万全な商品を売るのに対して、他国は安くする分お金を受け取った時点で終わり、売った切りです。何度も購入する商品であれば、次から購入しなければ良いのですが、船や列車など長年使うものはこの違いを良く理解しておくべきです。そして理解されているからこそ日本の人や物が世界で信頼されているのだと思います。

日本人にとっては当たり前の相手の信頼を得ることを、無駄だと考える人々がいることを知っておくと商品の売り方が変わると思います。信頼に対する考え方の違いが理解されないと製品の価格だけで判断されてしまうことになります。

全ての元になるのが、日本人は「和」を大切に考えているからだと思います。周りの人達と仲良くすることを島国の中で長年かけて培った日本人にとって何より大切なのは、お互いより良い関係を築くことです。だから日本語は相手の顔色によって語尾を変えることが出来るのです。日本語の仕組みは諍いを避ける目的に、語尾によって簡単に意味を反対に出来るのです。外国人から日本語が曖昧だと言われるのは、日本語の言葉をそのまま翻訳するからです。日本語の言い回しを翻訳するから曖昧に聞こえるだけで、日本人同士ははっきりと意思の疎通がはかれています。翻訳の齟齬により曖昧な印象をなだけです。

私は日本の人や物が世界で信頼されているのは、「和」を輸出しているからではないかと思います。